1. 名谷教会
  2. 2013/03/24:聖日礼拝(旧音源)
2013-03-24 58:31

2013/03/24:聖日礼拝(旧音源)

2013/03/24 聖日礼拝(旧音源)




00:02
おはようございます。
初めての説教ですので、皆さんも緊張していらっしゃるかもしれませんし、私もちょっと緊張していますけれども、
今日も神様が御言葉を通して、私たち一人ひとりに、恵みと回復と、また本当に必要なメッセージを語ってくださることを待ち望んで、
そして祈りつつ、死の死に声に耳を傾けて参りたいと思います。一言お祈りいたします。
愛する天皇キシナ神様、今が目三時だします。
今日は神様の御前のお前に、そして神の者が膝をまくって霧をして、死の今に礼拝をお捧げいたします。
どうかしよう、今から聖人様が、今日でなければ聞くことができない。神様の御言葉を一人ひとりの霊の中に、心の中に、
死をどうか、その心の板に膝、膝につけて、そしてその御言葉を通りに生きることができますように。
どうかしよう、私たちをあなたの御言葉をもって養って、そして育えて、聖人を育ててくださいますように、お願いをいたします。
このものは隠して、しっかり御自身の栄光だけが現れ、御言葉だけが語られますように、この群れをどうかしよう、哀れてください。
イエス様の御名によって御祈りいたします。
今日は、祈る聖徒、それから祈る教会という内容をもって、御言葉を取り付かせていただきます。
イエス・キリストは今も生きておられます。信じますか、皆さん。
生きる人だけが、私たちのすべてのすべてであり、人生の唯一の指針であり、唯一の模範であり、また私たちが担うべき唯一の御方であられます。
聖書1ヶ月ですね。一緒に御言葉だけしたいと思いますけれども、ヘブルビットへの手紙、ヘブル書です。
ヘブル書、十二書、二節。私が持っている聖書は、440ページです。十二書、二節。ヘブル書、第十二書、二節。
03:34
では、御一緒にお読みしましょう。
3、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから、目を離さないでなさい。
イエスは、御自分の前に置かれた喜びのゆえに、恥ずかしみをものづつに十字架を忍び、神の膝の右に立つ。
では、ここにですね、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい、という御言葉だ。
皆さんはですね、普段ですね、イエスは、イエスキリストは、私のすべてのすべてだと、そういうふうに告白していらっしゃるでしょうか。
皆さんにとってイエスキリストは、すべてですか、あるいは、皆さんの人生にとって一部でしょうか。
イエスキリストは、すべての、ですから、私の人生から、私があります。
そして、イエス様を聞くと、残るものがあるかどうか、いない。
そのイエス様を仰ぎ見て、その後を従っていく。
そして、イエス様が語られたように、私たちも語る。
イエス様が行われたように、私たちも行う。
イエス様が歩まれたように、私たちも歩む。
イエス様が祈られたように、私たちも祈る。
それが、この朝、イエス様が私たちに望んでおられることであります。
皆さん、イエス様の生涯は、どんな生涯だったのでしょうか。
06:00
イエス様の生涯は、御言葉を胸に伝えること。
それから、癒されること。
それから、祈られること。
それが、イエス様の生涯のすべてだったんです。
他にもありませんでした。
もう一か所、開いてみましょう。
マターニュール福音書4章23節です。
今日は、多くの箇所を開きますので。
マターニュール福音書4章23節。
新約聖書6ページです。
4章23節。
では、御一緒に。
よろしいですか。
3、はい。
イエスは、ガリラやジェンドをめぐって、カイドで教え、
御国の福音を述べ伝え、
民の中のあらゆる病気、あらゆる患いを治された。
アーメン。
ここにですね、ガリラやジェンドをめぐってカイドで教えられました。
そして、まずは何をされましたか。
御国の福音を述べ伝えられました。
そして、民の中のあらゆる病気、あらゆる患いを治されました。
これがイエス様の御生涯なんです。
もう一か所、見てみましょう。
マルコの福音書1章35節です。
マルコの福音書第1章35節。
神学聖書65ページです。
では、御一緒に3、はい。
さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて、
寂しい所へ出ていき、そこで祈っておられた。
アーメン。
皆さん、イエス様は、このですね、
祈っておられたという言葉の言語の意味はですね、
これが常にやっている、
習慣になってですね、繰り返してやっている、
そういう意味がこの中に含まれて、
たまに朝早く起きて祈られたじゃなくてですね、
毎朝、朝早いうちに、暗いうちに起きて、
祈り続けておられた。
イエス様の御生涯は、御言葉を述べ伝え、
09:00
癒し、そして教え、そして祈られたことが、
イエス様の御生涯全てなんです。
他にはないと言っても過言ではありません。
イエス様がこのような御生涯を送られたということであれば、
イエス様を信じ、従って、またイエス様の弟子である私たちは、
言葉をもべ伝えること、癒しこと、
そして祈りことに最善を尽くすべきではないでしょうか。
最善を尽くすという意味がですね、皆さん、
それは、最も価値あるものに受けたるという意味なんです。
皆さんの人生の中で、あるいは日々の生活の中で、
皆さんにとって一番価値あるものは、価値あることは一体何ですか。
言葉を述べ伝えること、
兄弟姉妹たちを帰りみて、取り出して、祈ること、
また自分のために、家族の好きなために、
教会のために、この町、この国のために、
祈ることが、実は私たちが最優先にしなければならないことです。
皆さん、言葉にありますように、出て行って、
福音を述べ伝えていきますと、
必ず主が借りて入れて収穫することができるその日が、
必ず訪れてくることを信じました。
そして、祈っていけば、家族が救われ、親族が救われ、
そして救いの神業が起きることを信じてまいりました。
また、兄弟姉妹たちのために取り出して、心込めて祈るときに、
その祈りを父が聞いてくださって、
あらゆる病が癒され、心の病が癒され、
心の中にある古き傷が癒される、
回復の恵みが差し切られることを信じてまいりました。
祈れば、祈ったように応えられることを祈っていきたいと、
その願いを出しました。
今日の御言葉を見ますと、
ダビデのサンタが出てくるんですね。
この第5章のダビデのサンタ、歌はですね、
12:05
ダビデがとてもつらいときに歌った歌なんですね。
彼は人にはなかなか言えない痛み、あるいは苦しみを抱えていたことでしょう。
そんな中でダビデは神様の御前に出てきてですね、
心を打ち分けて神様に、
厚く、あるいは正直に隠さず祈って、
いや、叫んでいました、呼ばわっていました。
私の言うことを耳に入れてください、主よ。
私の呻きを聞き取ってください。
私の叫びの声を心にとめてください。
私の王、私の神、私はあなたに祈っています。
主よ、朝明けに私の声を聞いてください。
朝明けに私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。
ダビデはですね、朝明けに祈らずにはいられなかったんです。
神様に呼ばわらずにはいられなかった。
皆さん、この詩を読まれてですね、ダビデの心が伝わってくるでしょうか。
ダビデの心境がお分かりになるでしょうか。
まるでですね、海に溺れた人が叫んでいるような気持ちだったでしょう。
私の呻き、私の声、朝明けに彼は目を覚まして祈っていました。
朝明けに祈っていました。
さっき見ていただいたマルコの勲章にもですね、
イエス様は朝明けに目を覚まして、起きて祈っていられました。
この朝明けに、早朝に祈るということは皆さん、
一日の初めのその時を清別して神様の御前にお捧げしますということなんです。
15:03
それはどういう意味でしょうか。
それはこの一日の二十四時間はあなたのものです。
私のものではありません。神様どうかあなたに御前にお委ねします。
どうか神様が術を収めて、この二十四時間を清別して、そしてどうぞという清別の時です。
どうしたかたら、前を向いていただけますか。
つまりイケメンではないですけれども、見にくい顔ではないと思いますので。
前を向いていただいてですね、アイコンタクトしながらメッセージを。
私は固い。皆さんは神の御言葉をですね、聴いていただけたら嬉しいと思います。
皆さん、朝明けに、早朝に祈る人はですね、簡単に言いますと、
罪を犯す暇がないんです。朝早く起きるためにはどうすればいいでしょうか。
夜、早く寝なければならないんですよね。
例えば朝四時、起きようとしたら、夜十一時、十二時、一時までですね、
起きてですね、テレビを見たり、ビデオを見たり、雑誌を見たり、新聞を見たりする暇がないんです。
もちろん忙しいこともあるかもしれませんけれども、その忙しさもですね、後でお話したいと思いますが、
一日の生活のサイクルを何に焦点に当てて生きるかがとても大事なんです。
焦点に起きて祈ること、聖書を読んで、そして祈ることを優先にする人は、
夜早く寝て、そして朝早く起きて、それは自分中心、もう自己中心じゃなくて、神中心の生き方に、生き様に変えることを意味します。
すべてのこと、一日のすべての忙し、お仕事や職業や様々な家事や色々なことがありますよね。
それをしないでください。そういう意味ではありません。しなければならないんですよね。
でも、そういったことをする前に、神様の御前で、まず、清律して、祈りを持って、主をお愛して、そして支援をいただき、
主の御子やいただき、そして御言葉から本当に、この一日の力をいただくその時を持たないと、
18:00
私たちはですね、一日を清く神の子として、神の弟子として生きることはできると思いますか、皆さん。
できないんですよ。御言葉と祈りに清められて、そして力をいただいて、
そうして毎日一歩一歩歩む人は、何をしてもですね、勝利できますし、苦難も試練もですね、
自分は弱いですけれども、天からの知恵が、力が注がれますから、十二分それを軽くですね、乗り越え、勝利できる人生になります。
ただ人生に失敗があるいはつまずきがあるでしょうか、自分に何かが足りないからです。
その問題とぶつかって、それを勝利できる、それを乗り越えることができる力が、能力が整えていないからなんですよね。
どうすればいいでしょうか。祈って、祈って、精霊に満たされて、精霊十万の恵みをいただいて、
そして神様が助けいただいて歩む人は勝利できます。そして慰められ、そして御言葉に導かれますから、強い道を歩むことができるでしょう。
皆さん、祈れば出来ます。そして祈れば応えられます。
ところが皆さん、私たちには粘り強い祈りが必要なんです。粘り強く祈ること、応えられるまで祈って、祈って、祈って、祈っていくことが必要なんです。
そのような強い霊的習慣が必要です。
一日、朝、1分、2分、3分、あるいは5分、祈らない余裕はいいことでしょう。
それよりもっと祈りの深みまで入っていただきたい。
そしてその中で神の御小屋を聞き、人格的に全人格的に神様とお会いして、恋を改めて、精霊に満たされて、そして神のものに変えられるその恵みを、
この朝の上天の祈り、あるいはこの礼拝、あるいは水曜日の人会を通して、あるいは御言葉の学びを通して、師を深くお愛する恵みが、私たちにはどうしても必要です。
21:11
そのような祈りに入る人はですね、30分、1時間、2時間、3時間も祈れるんです。
その時には、少し座り込んで長く祈ることも必要です。
皆さん、私たちにはどれほど多くの祈り課題があるでしょうか。
まずは、神の悔やための祈りをしましょう。悔やためなきには、何の恵みも、また次の道を歩むことができます。
すべての恵みとすべての悔やしは、低くは、このスタート形で悔やためなんです。
また、この国のために、日本のために、どれほど多くの祈り課題があるでしょうか。
まだ0.5、ある統計には0.4、ある統計には0.6と言われているクリスタル人口なんですよね。
99%が神様が知らない。
この国のために、私たちは目を省きて、祈って、祈り尽きて、いくつかあります。
また、この明太に教会のために、皆さんがですね、長い間、愛をもって、祈りをもって、仕えてこられたんですよね。
本当に素晴らしいことなんです。
さらにもう一歩踏み出して、この教会が続けて成長していけるように。
そして、この明太に教会があるがゆえに、この神戸が祝われますように、祈っていただきたい。
クリスタルがあるがゆえに、この国が祝福されますように、祈っていただきたい。
ただ、私が信じてですね、救われて、それで終わりじゃなくて、
クリスタルがあるがゆえに、このお町が、この国が、救われるように、祈ってまいります。
また、教会の牧師のために、また役員者のために、
エステスの教師の方々、さまざまな法事がなさっている兄弟姉妹のために、神の力が注がれるように祈りましょう。
24:10
また、個人個人の家族の救いのために、自分の霊的な回復のために、あるいはさまざまな病気の癒やしのために、祈るとですね、
3分、4分、5分では祈れないんです。足りないんです。
30分、1時間、2時間も、祈っても祈っても、もう時間が足りないんです。
祈りの深みまで入ってきます。祈りの深みまで入って。
そこで、人格的に、死を愛して、そして、死の御前で罪を悔やためて、そして、清められて、御声を聞かせていただいて、
祈りが答えられ、そして、本当に勝利するクリスチャンでありたいと、創設に願っております。
悔やための祈り、精霊に生かされて祈ることが、どういう変化を、支給力をもたらすか、一つお明かしをしたいと思います。
2年前、3.11の東北大震災があったときでした。前の福岡協会で、私は協力選挙票、投票しておりましたけれども、
その2週間後に、1週間の特別記者会が開かれました。朝6時、午前10時半、夜は8時でした。3回記者会が持たれました。
それで、うちの夫婦はですね、やっとこの福岡協会に祈りの石がついて、本当に燃やされるんだなと、本当に嬉しくですね、本当に期待していました。
月曜日の朝、商店に出たら、前とあんまり変わらない人々が座ってきていらっしゃいました。午前もあんまり変わらず、夜も同じ。
それで、月曜日はみんな忙しいから、今日は少なかったかなと思いました。明日はもっと来るだろう。この時に祈られたならばように、明日はもっと多く来るだろうと思っていました。
火曜日、同じでした。水曜日、同じでした。夜ちょうど、その週の人会の当番が明かってきたので、月曜日からこの人会に参加して、自分も祈りながら、また水曜日のメッセージもありましたから、祈って祈って、メッセージを準備していた頃、聖霊様に強く示されました。
27:10
そして、神様が、聖霊様が、本当に魂で揺らしている。この時に、この日本のクリスタンが、祈らなければ、一体誰が祈るんだろう、という御言葉を示されました。
そして、水曜日に、夜の8時の人会でしたけれども、私は御言葉を、皆さん、神様が、この日本を愛して、この大震災をもって、この地を潜って、目を覚ましていなさい、祈りなさい、という神様のシャインがあるにはかかわらず、
皆さんが祈らないと、誰が祈るのでしょうか、という御言葉を取り仕掛けました。その夜、強い聖霊の御臨在がありました。
そして、メッセージを終わった後、その教会は、高台が結構広いんですけれども、高台に来てもらって、みんな膝を交わして、あの教会でも初めての、そのような祈りでした。
そして、まずは、祈らなかった自分自身の、この国のクリスタルの罪のために、クリアのための祈りを、聖霊に導かれて、お尻を叩かれる、そのような雰囲気で、祈らせていただきました。
深く、本当にですね、長い間、クリスタル信仰生活をしてきた方々ですけれども、本当の意味で、神様の御前で、深く泣きながら、叫びながら、クリアのためのことが初めてでした、といった方も結構、自分自身もクリアされました。
それで、この会が終わったんですね。次の日曜日でした。礼が終わってですね、ある姉妹が、私にですね、来てですね、「先生、先生、お話があります。何でしょうか?」って聞いたら、
次の日曜日の一会に、自分は20年ほど信仰生活をしてやっていましたけれども、あのような深いクリアのための祈りは、本当に初めてでした。
祈りで精霊に満たされることは、こんなことなんだ、と初めて経験しました。そして、自分の傲慢の罪を、クリアされました、とあたり出してくれてですね、またすぐに変化が起きたんですけれども、
30:12
彼女はですね、まだご主人さんが、子供は二人、家は娘、父は息子ですけれども、夫婦関係は結局喧嘩をしているわけではないんですけれども、長い間ですね、何を話すときにもですね、顔を見ないでですね、
お父さんも、そんな感じで話している。何かの壁がある。それを自分がどれほど傲慢だったか。その主人の夫を、イエス様の愛で愛していなかった、その罪を悔やかねて。
そしてですね、その翌日ですよ。翌日、子供が学校に行ったときに、仕事を出る前にですね、お詫び。今まで私が悪かったです。私のこの傲慢や。
そう言ってですね、本当にお詫びすることができた。それで今はですね、そのご主人との関係がとても良く、彼女の顔が変えられ、生き生きとしてですね、礼拝に望む姿勢が変わる。
そして近くに習東明さんがいらっしゃいますけど、とてもお喋りが好きなんです。それで彼女もですね、いやいやしながらいて聞く、そんな感じでですね。
でもその習東明さんの魂を憐れむ心に変えられ、そしてその以降ですね、教会のご年配方の集会がある度に、そろってお連れしてきて。
習東明さんに本当に家様の心を持ってお仕えすることができたと、そういう風に変えられてですね、素晴らしい変化がその祈りと悔やかにから全ては主がなされたことです。主がなされた。
皆さん、聖書一箇所、またお披露目しましょう。エレミア書三十三書三節。九百聖書千三百六ページ。
33:10
エレミア書三十三書三節。いいですか。では、一緒に三杯。私を呼べ、そうすれば私はあなたに答え、あなたの知らない理解を超えた大いなることをあなたに告げよう。アメン。
皆さん、この御言葉を信じますか。私を呼べ、そうすれば私はあなたに答え、あなたの知らない理解を超えた大いなることをあなたに告げようとあります。
皆さん、私はですね、単純な信仰を持ってほしいんです。御言葉に書かれている通りに信じて行えばいいんです。呼べとありますから呼べばいいんです。
祈って、呼べ、そして呼ばれば、主は聞き入れてくださり、答えてくださいます。皆さん、私はですね、神様のお助けなしには一瞬も、いや一秒も生きることはできないんです。できません。
お金がいくら多くても、立派な仕事を持っていても、あるいは大きなお家を持っていても、主のお助けなしには私たちは生きられません。
家様さえもですね、いくら忙しくても、いくら疲れていても、この祈ることを休まなかった。皆さん、最近現代人は忙しいですよね。子供も忙しいですけど、大人も忙しいです。
でも、家様は最も忙しい。イスラエルですね、もう南から北から、また様々な人がもうついてきてですね、軍医とかですね、「ああ、家様、祈ってください、祈ってください。」そういう人がもう数え切れないほど周りにあった。
でも、その中で家様は忙しいからこそ祈られたわけなんです。最も重要なことがあったからこそ、もっと祈りに。
皆さん、私たちはですね、普通ですね、忙しかったり、あるいは疲れていると、何をする時間を省いていますか。
36:15
だいたいですね、家事や仕事や様々なことで、試験やそういったことで忙しかったらですね、まず生徒を呼ぶ時間、あるいは祈る時間を省いて、そして、そして、仕事に臨むことがあるのではないかと思うんですね。
皆さん、忙しければ忙しいほど、もっと深く長く祈らなければなりません。忙しいから、素敵事が多いから、あるいは決定したくてはならない事が多いから、それはですね、重要なことが多いという意味なんですよね。
だから忙しい、だから様々な忙しがれたり、そういうことなんです。ですから重要なことを、忙しいことを目の前にして、もっと祈らなければならないんじゃないでしょうか。そうしていくと重要な仕事。
そういったことのために、神の知恵をいただく、強い自由感を身につけていただきたい。身につけていただきたい。
またもう一つ、私たちが目を覚まして常に祈らなくちゃならない、その理由は、私たちは日々この霊的戦いに当たっているからです。霊的戦いを日々やっているからです。
目には見えないこの悪魔の、サタンの力が、勢いが、攻撃が、誘惑が、吠えかけるし、手のように私たちの周りにうろうろしているわけなんです。
聖書1ページを見てみましょうか。第1ペテーロ5章8節。新約聖書458ページです。5章8節。よろしいですか。
ご一緒に3回。身を慎み、目を覚ましていなさい。あなた方の敵である悪魔が、吠えかけるし、手のように食いつくすべきものを探し求めながら、歩き回っています。
39:14
アーメン。皆さんこれは物語ではありません。私たちの実生活がこれなんですよ。身を慎み、目を覚ましていなさい。皆さんは目を覚ましていらっしゃいますか。目を覚ましていらっしゃるでしょうか。
あなた方の敵である悪魔が、吠えかけるし、手のように食いつくすべきものを探し求めながら、歩き回っています。ですから私たちは目を覚まして祈っていなければならないのです。
霊的に眠っている人は、この誘惑に陥ってしまって、負けてしまって、いつもですね、本当にもう、過労して信仰生活をする生き方になるかもしれません。
しゅりゃくせいとみますと、モーセがですね、イシュラリンの人々を連れて出会しました。アラノを通っていくときに、アマネク族と戦いがあったんですね。そのときにモーセは何をしたんでしょうか。
武器をもっと準備したんでしょうか。槍とか矢とか、そういったものを準備したんでしょうか。ご存知でしょうか。モーセは。これは神様の助けが必要なんだ。彼は助けて、山の上に登って、そこで両手を挙げて、イシュラリンのために祈ったんですよね。
知らないですか、みなさん。ご存知ですよね。祈ってました。モーセが手を挙げて祈っているうちに、イシュラリンは勝ちました。しかし、自分でですね、両手を挙げていると、みなさんもそうですけど、しっかりとボンボンボンボン目がかかってしまうんですよね。手を挙げると、イシュラリンは負けてしまった。
どうしたんですか。アロントを振ると、ひと手ずつ、下から支えて、モーセを石の上に座らせて、そしてずっと祈っているうちに、イシュラリンはアマネクを打ち破って、引っ張って。
みなさん、これはただのお話であります。これは、私たちの礼儀的な生活に何が必要なのかを、私たちにですね、あらかじめ、もう、昔々からのこの話を通して、この第一ペテラの御言葉と同じ御言葉なんです。
42:11
日々の生活は、まるでイシュラリンがアマネクと戦っているように、私たちはこの世のものと、世の誘惑と、この古い悪魔の文化というものと、戦っているからなんです。
様々な攻撃がやってくる。テレビを通して、新聞を通して、世の人々を通して、様々なことを通して、悪魔は、サタンは、私たちを洗脳させて、御言葉から離れさせて、祈りから離れさせて、兄弟狭いから離れさせて、境界から離れさせて、そして信仰をなくしてしまおうとしている攻撃が日々、私たちの周りにあるわけなんです。
唯一的に鈍感なものになってほしくありません。敏感になっていたい。そして常に祈って勝利できるためには、祈り続けていくしかないんです。なぜでしょうか。
精霊の力が必要から、神の力が必要からなんです。そうしていきますと、どんな誘惑か、どんな攻撃があっても、軽くそれを打ち破って、境界の現役的水準は、みんな同じというふうに思われるかもしれませんけれども、実はかなりの差があります。
韓国のある一つの境界ですけれども、その境界は、昔からその牧先生は、親徒さんにあまりにも優しくして、「蒼天に来るのは遠いし忙しいですから来なくていいですよ。私一人で祈るから来なくていいですよ。一人で蒼天を守る。」
そうして、その境界は祈ることとか、聖書を学ぶことはあまりしない。時間があったら、天気がよかったら、ピクニックに行くんですよ。よく遊びに行く。花見に行ったり、体育会やったり、これやったり、よく遊びに行く。
だから、その境界で20年以上信仰生活、初めて救われた人は、「ああ、これが当たり前。これが信仰生活なんだ。」そういうふうに考えていた。
その境界が、カブワケみたいにカブワケして、そのカブワケした境界に、私の派遣協会のシエロー協会から副牧師をやっていた牧師が、その境界に、私みたいに赴任して行きました。
それで、私の派遣協会について、また後でお話ししますけれども、もう20時間祈る境界。そして、朝も昼も夜も祈り、学び、伝道する境界ですから、その牧師が言って、「それが当たり前。普通ですから、さあ、蒼天に祈りましょう。人から祈りましょう。学びをしましょう。伝道に出かけて訪問でもしましょう。」
45:21
そう言っていたら、「先生、施行してください。」と。そんなにやる必要がありますか?と言われた。皆さん、どっちが正義だと思いますか?
私の派遣協会です。プサンにあります。プサンに書かれたことありますかね。プサン。韓国の南の、ソウル南の中で一番大きい境界で。このプサンという町は、神戸と似ていますね。山、町、海なんですけど、同じです。似ています。本当に似ていますけれども。
南の港町だから、様々な構造があるんです。韓国の中で福音家率が最も低い町なんです。8%くらい。韓国語が平均24万5と言われていますけれども、その中で8%くらいで、8%しかプサンがいない町の中で、今、もう引退された言語牧師、キョンキルコ先生ですけれども、
その先生は、38年前、その町に開拓されて、祈りに、伝道に、祈りに、祈りに、伝道に、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに、祈りに
夜9時があります。
毎週金曜日は、9時からだいたい12時まで、祈祷会が持たれます。
金曜日は朝5時半からは、男性の学び会があります。
日曜礼拝は、今、7回か8回あります。
月曜日、火曜日は午前クラス、夜のクラスがあって、信者さんがですね、学びにします。
夜はですね、仕事を終わって、教会に来てですね、7時から8時から勉強をしてですね、11時に終わって、家に帰ります。
火曜日は伝道隊が集まってですね、1時間、祈って、1時間、御言葉をいただいて、そしておにぎりをいただいて、それぞれの地域に行ってですね、
2時間、3時間、訪問、伝道会など、お茶、代をですね、設定して伝道します。
それを30年以上、やり続けてきました。
ある人がですね、その教会の夫人の方にですね、
48:03
あなた、その教会の牧師ですか?という、毎日、教会に出勤するんですね。
月曜日は学びに、火曜日は学びに、水曜日は木曜日に、木曜日は積もる分あって、金曜日は朝の、午前はまた学びがあるんですよね。
土曜日はそれぞれの法師に行って、日曜日は朝から夜まで法師をして。
でも、不思議なことは、その人々は恵まれて、大いに祝福される。
皆さんはどのようなクリスタルの生き方になりたいのでしょうか。
皆さん、私たちには、良い、また、清い霊的習慣を身に付けなければなりません。
身に付けていただきたい。
もっと祈る習慣。
もっと聖書を読む。そして、牧師として。
そして、禁忌や礼拝、そのような強い勇気習慣を身に付けて。
そして、もっと深刻な深みまで入ってですね、歩んでいただきたい。
その中で、御言を聞かせていただいて、神様と人格的にお会いして、
そして、本当に素晴らしいことを経験させていただく、そのようなクリスタルになっていただきたい。
ですから皆さん、一週に、日曜日、教会に来てですね、
神様、一週間ぶりです。出会いして、また来週。
そんなクリスタル生活じゃなくて、日々応じて、あるいは教会に来ていただいて、祈って、祈って。
そのような、父のために生きる、神様のために生きるクリスタルでありたい。
特に教会は、昔から、お互いも熱く祈って、そしてお互いもよく誘って、伝導して、
本当にですね、私、夫婦がいてもですね、熱い空気さんが大勢いらっしゃるなと、そう思わされました。
そういうのを感じていました。
皆さんも今までの祈りと、涙と、尊いご奉仕と、そしてその捧げ物があったから、今もこの明壇に教会があるわけなんですよね。
それ、神様は覚えて、本当に喜んでおられるでしょう。
そして、神様がまた、その涙をもって蒔いたその種を、時に満ちて、主が従ってくださることを知って、これからもっと一歩踏み出して、もっと進んでですね、
51:19
祈りに専念し、または学びに専念し、伝導に専念して、主の教会を祈りをもって立て上げていきたいと、そう願っております。
明日から、湯南市を1週間の特別祈祷会が開かれます。朝6時、午前10時や夜7時です。
ええ、先生、1、2、3回もするんですか?びっくりされたかもしれません。
日本の教会で今までこういう祈祷会がなかったかもしれません。もちろんあったかもしれませんけれども、それは1回でも多くの方がしてほしい。
そして、自分自身のために、家族の作りのために、家族のために、主の教会のために、この国のために、祈ってほしいからです。
皆さん、来てください。私は、食事と公の仕事以外にはカイドで、講壇がちょっとひどかったら講壇で祈ったりしたんですけれども、狭い国では祈れないんです。
前に先に座って、ずっと1日、教会でお過ごししますので、皆さん、決まった時間でもいいですし、他の時間でもいいです。
教会に来て、一緒に祈ってまいりましょう。
祈っていくときに、神様はどんな素晴らしい恵みをなってくださるか、期待してですね、期待をもって、真面目に祈りたいと思います。
それから4月、また5日からはですね、3週間、また同じく、6時、10時の夜に教会が開かれます。
信念、祈福、大吾をきたまえです。信念に向けて、様々な皆さんの異動や変化や様々なことが終わりでしょう。
皆さん、そのためにまず、祈りをもってしまいましょう。素晴らしいことが必ず起きます。
心が癒され、感触が救われること、そして素晴らしい、本当にですね、この救いというものは、教会の救いですね、
精霊様が見られて、本当に、ああ、魂をここに送ってもいいんだ、そういう安心できる教会に、神様が新しい人を送ってくださるわけなんです。
ですから、祈っていきますと、精霊様が不思議に不思議に送ってくださる。
私はもう信仰生活を43年間、ずっと見てきました。素晴らしいことが起きますよ、祈ってまいります。
どうか、祈りをもって、祈りをもって、神様の恵みを豊かに満ち溢れるほど、理解を超える、創造を絶する素晴らしい恵みを、
54:16
これからですね、一緒にですね、体験させていきたいと、切に願っております。お祈りしましょう。
今ですね、しばらくですね、ご一緒にですね、御言葉の応募の祈りをですね、
ご一緒にですね、声を出して祈ってもいいですし、静かに祈ってもいいですし、ご一緒にですね、神様の御言葉を覚えてですね、
祈りを注いでください。この教会のように、祈りの意を満たしてくださいとですね、また明日から、お互いの人間界に出れるように、
そうかしら、力を与えてください。目を覚ましてください。そういう意味ですね、祈ってまいりましょう。お祈りしましょう。
ハレルヤ、主よ神様、あなたの名が、これから感謝いたします。どうぞ、主よ神様、あなたの恵みが、あなたの恵みにあります。どうぞ、主よ。
本当に神様、どうぞ、我々は一人一人に、神様、どうぞ、神様、あなたの恵み、我々に与えられます。
どうぞ、主よ神様、本当に、我々は本当に、祈りを与えます。どうぞ、神様、祝ってください。
あなたの恵みがあります。祈りの恵みがあります。どうぞ、主よ神様、我々は一人一人に、あなたの本当に素晴らしい恵みが与えられます。
どうぞ、神様、素晴らしく導いてください。
お主よ、主よ、主よ、神様、どうぞ、我々は本当に、神様の、あなたの恵みを寄り添えてくれます。
主の力があります。主の恵みが本当に、神様、あります。どうぞ、神様、我々に祈りの本当の意を注いで、あなたの力を注いでください。
どうぞ、神の恵みがあります。主の力があります。どうぞ、祈りの深みまで、我々は本当に、命で食い止めるだけで、主を愛してくれます。
本当に、主の恵みがあります。どうぞ、我々にそのお恵みを、どうぞ、我々に、一人一人に与えます。
主よ、神様、どうぞ、我々は本当に、あなたの恵みを寄り添えてください。
どうぞ、神様、我々は本当に、あなたの恵みを注いでください。
どうぞ、神様、どうぞ、私を導いてください。
お祈りいたします。
愛する天皇神様、あなた達は、あなた様のお助けなしには、一瞬も生きることができない弱い存在です。
しかし、神様にとっては、不可能なことはあります。
どうかしよう。
孟子が一生のために祈ったように、
ダビデが死の御前に叫び呼ばわり、朝明けに祈ったように、
イエス様が朝明けに、いや、暗夜に起きられて、ずっとずっと祈っておられたように、
57:10
私たちにも、イエス様のように祈ることができますように、
どうかしよう。
祈りの霊を、祈りの力を、どうかしよう。
満たしてお助けしてくださいますように、お願いいたします。
祈りをもって勝利して、祈りをもって、本当に神様の素晴らしい豊かな恵みを、祝福を体験できますように。
どうぞしよう、神様、お願いいたします。
どうぞしよう。
本当に新しい年が始まろうとしています。
この時に、まず死の御前に膝をますいて、自分自身のために、家族の福のために、
また死の強化のために、この国のために、祈ることができますように。
どうぞしよう。
祈りの霊を一人一人に抱いてくださいますように。
明日から持たれる一週間の基督会、また一月から持たれる三週間の基督会の中で、
本当に不思議な恵みと癒しと、回復と、祝福と、祝いの御業を、どうぞしよう。
私たちは見たいですから、
しようどうか、あなたが見させて行ってなってくださいますように、お願いいたします。
神方は感謝し、神様の命によってお祈りいたします。
58:31

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