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2021-09-12 32:19

「キリストを得る為に」2021年9月12日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年9月12日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄 
聖書の箇所/フィリピ3:7-12  7しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。 8そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、 9キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。 10わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、 11何とかして死者の中からの復活に達したいのです。12わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
ヨハネ17:3 3永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
00:00
今日のメッセージのテーマは キリストを得るためにというテーマです。
9月は私たちの信仰を新たにしたいと思っています。 皆さん、信仰は素晴らしいものですよ。
信仰はものすごい力があるものです。 私たちはどうすればこの力ある信仰になれるのか。
キリスト社は、自分が信じているイエス様を知る時、力があります。
ですから、ヨワネ17章3節。 永遠の命は神とイエス・キリストを知ることだと言われていますね。
しかし、知らなければどうしようもできません。 知らなければ、目に見える世界が全部になります。
そして、この世の中を委ねて誇ったりするしかありません。 世の中の人々は、この世のことを栄養として、そしてそれを味わって楽しんで、それを誇りとして生きます。
しかし、キリスト社は、キリストを知って、信じて、味わうことを誇りとして、そして、それで礼拝をし、賛美し、伝道をするのです。
ところが、今の私たちは、何を栄養としているのか。 また、何を頼りにし、誇りとしているのか、いうことが大事です。
目白く3章でラオテギア教会を見ていますと、3章の16、17節にラオテギア教会はこう言います。
私は金持ちだ。道足りている。何一つ必要なものはいない。私は満足しているよ。 教会通いながら満足していると言います。
しかし、イエス様が見ていらっしゃることは、完全に違います。17節に見ますと、自分がみじめなもの、哀れなもの、貧しいもの、目の見えないもの、裸であるものを分かっていないんだと。
自分たちは、もう金持ちだ。満足していると言うんですけど、イエス様を見るのには、あなたはみじめなものだと言います。
どうしてこんなことがあるんですか。神様の観点ではなく、自分の観点から見たんです。
イエス様は20節で見ていますと、イエス様はドアの外で追い出されている。イエス様が玄関を叩いているところであるんです。
イエス様が教会におられなければ、自分勝手に考えます。 だから自分は正しい。自分は満足していると言います。
しかしイエス様がおられるなら、イエス様の観点が照らされるなら、自分自身が本当にどんな存在かを分かります。
03:08
じゃあ私たちはどうですか。イエス様が見られるのにはどんな存在でしょうか。
今日はこの部分を一緒に考えていきたいとおもいます。
誰でも信仰生活をするのには、このステップステップ段階があると言います。
現在私たちは全く分かっていないんですか。少し分かっていますか。また豊かに成長している段階ですか。
イエス様がこんな惨めなものと言うんですか。イエス様が誇りと思っていらっしゃる、本当に素晴らしい存在になっているのでしょうか。
このいろいろな部分がこの信仰の段階で現れることなので、今日は信仰の先輩であるシト・パウルが信仰の段階、ステップがどのように変わっていったのか、
その部分を考えながら、今私はどんな段階なのか、これでもっともっと進んで成長するためにはどうすればいいのか、それを一緒に考えていきたいと思います。
じゃあ初めに誰でも信仰に入る前から言うと、初めの段階はイエス様をよく知らない段階があります。
シト・パウルの場合はイエス様をよく知らない時には迫害者でした。迫害者サウルという人でした。
シト・パウルになる前の名前がサウルでした。
シト行伝22章3節4節を見ますと、シト・パウルはイエス様と同じ時代に生まれて成長しましたけど、彼が生まれ育っていたのは、小アジア、タルソという地方だったのです。
異邦の国で生まれ育ったので、イスラエルの中でおられたイエス様に出会ったことはなかったのです。
しかし彼はユダヤ人として正当的な立場を持っていたのです。
彼はサウル王の王家であるペナミン部族、また彼はカマリエルというところで厳しい教育を受けたパリサイ派の人でした。
立法に対しては、道が過ぎるほど熱心を持っていて、当時イエスを異談としてイエス・キリストを信じている人たちを迫害する、彼はまだ民族主義者でした。
しかし彼は素晴らしい熱心を持っていたのですけど、神様の見心も知らないし、また精霊がいない人だったのです。
自己中心的な観点、また立法主義的な熱心で、彼はキリストを信じる人々を迫害したのです。
06:02
彼自身は自分の誇りで満たされた人、また信仰の熱心ということは立法主義者、熱心ですね、すごく立法主義傲慢な人でした。
人々はもうシト・パウルが怖くて怖くて、もう近づくこともできないほど、自分に対して肝心に満足している、自分に対して誇りを持っているその人でした。
そのような人に対して神様が計画を持っておられたことは本当に素晴らしいですね。
私たちも昔々はこのような時期がありました。神様も知りませんでした。イエス様も知りませんでした。
もう分かっているのはこの世のことだけ。だからこの世の中で自分の思いのまま熱心に過ごしてきたその時期がありました。
エピソード2章1節から3節を読みますと、その時期はこの世の神である悪魔の指示通り動いたと聖書は教えてくださるのです。
私たちは霊力のことを全く知らないで目に見えることしか知らないので私たちはこのような生活をしました。
しかし神様はそのように神も知らない、精霊もおられない、自分勝手に過ごしているその人たちに対しても
関心を持っているし計画を持っているんだということをご存知ですか。本当にこれを考えるときに感謝しかないですね。
今皆さんの身の回りで教会も嫌だしイエス様も知らないそのような方がいらっしゃいますか。
その方たちに対しては神様の計画がないように見えますか。いえ、神様は計画を持っていますよ。
その人たちに対して立派な計画、関心を持っています。 だから私たちが自分勝手に考えるんじゃなくて私たちはその人たちのために祈ってあげなければいけません。
2番目にそのようなサウルに光であるイエス・キリストが訪ねてきてくださいました。
イエス様に出会ったサウルはどのように変わったのでしょうか。これがシド行伝26章の12節から19節までの内容です。
イエス様に出会ってサウルは本当に驚きました。 今まで自分自身がもう
確信を持って信じていたユダヤ教の立法主義、その信念が絶対的に正しいことではないことがわかりました。
ここで26章の14節からがこの聖書ですけど
09:03
イエス様はキリスト社を迫害するためにダマスコに向かって行くところでいきなり太陽の光よりもっと明るい光が自分に照らされたんです。
イナピカリに映されたと言いましょうか。 その時14節私たちはみんな地に倒れた時
サウルサウルなぜ私を迫害するのか 棘のついた棒を蹴るのはひどい目にあうぞ
私にヘブライ語で語りかける声が聞こえた 私は主よあなたはどなたですかと申しましたが主は答えられた
私はあなたが迫害しているイエスである 光の中で聞こえた見声
サウルサウルなぜ私を迫害するのか
サウルは自分自身は絶対正しいと思っていた 自分の信念自分の価値観が
何か間違えたことを悟ったんです 今まで自分は完全だと思ったのにうまくやっているんだと思ったのに自分が大きな間違いを
しているんだということを悟った時の自分自身の混乱 混沌
また目が見えなくなり真っ暗の中で3日間過ごしているサウル その中で彼は変わったんです自分に現れたこのイエス様が
4千年間も自分自身もイスラエルの民族がずっと待って臨んできた メイシアであることはわかったんです
また彼は自分に対して神様が関心を持っておられるし 自分に対して使命を持っておられることをわかったんです
これ16節から 起き上がって自分の足で立って
私があなたに現れたのは私があなたを見たこと そしてあなたが私を見たことそしてこれから私が示そうとすることについて
あなたを奉仕者また証人にするためであると言います 間違えたことを悟った時の驚き
また自分の使命がわかった時 熱心派であるサウルはどんな行動をしたんですか
迫害者がいきなり伝導者として変わります その時サウルはなんと言うんですか
使徒行伝26章19節に 私は天から示されたことを背くことができなかったと言います
12:00
その時から彼は自分の名前をサウルからパウルと変わって 迫害した人が迫害される立場になります
皆さんご存知ですかサウルということは偉い人という意味があるんですけど パウルということは小さなものという意味があります
イエス様に出会ったらみんな変わります サウルのような強すぎる人強い人も変わったんです
3つ目に しかしイエス様を伝えるためにはイエス様を知らなければなりません
イナビカリだけでイエス様を全部知ることはできません ドラマティックな証はいいかもしれませんけど
イエス様に対して知ることはできません 皆さん
素晴らしい体験があるんだって立派な信仰なのか これは必ずしもそうではありません
信仰のためにはイエス様と共に時間を過ごすことが大事です イエス様共に交わりの中でイエス様を深く知っていくことが大事です
イナビカリに打たれたことでイエス様を全部知っているのか 全然知っていません ドラマティックな証があるだけ
ですから毎日毎日イエス様を深く知っていくことが大事です ですからシト・パウロは14年間
イエス様と自分だけの隠された時間がありました アラビアで3年 そして自分の故郷であるタルソで11年
これがカラディア書1章17節から2章1節までずっと書いてあります その間彼は見言葉と精霊を通して
イエス様と深く深く深い交わりの時間を過ごしました
シト・パウロが出会ったイエス様はどんなお方なのか イエス様は世の光です
皆さんイエス様は世の光だということを知るだけでもどれほどの時間が必要でしょうか またイエス様は命のパンです
命のパンであることを知るためにイスラル民はアラノで40年間が必要でした また永遠の命の泉です
また良き牧者です また神に至る道を真理を命です
特にイエス様は復活の命なんです また知恵と知識の宝がイエス様の家にあり
またイエス様の家には恵みと真理とがいっぱい入っているし また神聖な栄光が充満なお方でした
それをどのようにイナピカリだけで知ることができるでしょうか
15:02
モーゼが神の山に登って眩しい神の栄光の中で40日間過ごされ そして神様に出会ったんですけど そして実戒を受けたんですけど
その後のモーゼの願いは いつも神の栄光をもっと見せてください もっと見せてください これだとしたら
神の栄光 神様の知識は限りがないということがわかります 使徒パウロはイエス様と深い交わりの時間を持ちました
皆さん私たちもイエス様とこのような深い交わりの時間が必要です それを通して神様を知り
精霊様を知りイエス様を知る深い時間体験 これが絶対的に必要です
自分も知らないイエス様をどのように伝えますか 皆さん世の中のものの中には
もう外見は美しいかもしれませんけど この中身に入ってみたら罪だらけです
ですから外見だけで見て素晴らしいと思っていたら必ず失望してしまいます なぜなら中には腐っているからです
しかしイエス様に出会ってイエス様と交わりをすればするほど 神秘的な美しさとその素晴らしさに私たちは感動するようになります
だからそのイエス様のこの深い素晴らしさ その神秘の美しさに出会ったら
罪と死の中にいた人たちが全部変わっていくんです その素晴らしい恵み素晴らしい真理素晴らしい栄光の中で
罪だらけの人が本当に良い人と変わっていくのです ですから永遠の命は神様とイエスキリストを知ることだと言っています
皆さん世の中の美しさをロウソクの光だとするなら イエス様の美しさは太陽の光と同じです
ですからそれを発見した人はそれを一番大事に思います
マタイ13章には裸に隠されている宝石を発見した人は 自分の全てを売り払ってその裸を買ったと言います
またヨアネ4章でサマリアの女はイエス様に出会ってからは 自分は自らかけておいたバリケートを全部外して
イエス様のところに神の教会に出て礼拝することを願ったのです だからこの町に入っていた私は名車に出会ったよと言っていることになるのです
私たちはイエス様をもっと深く深く知ることが大事です 深く知るためにはここで大事なことがあります
18:00
イエス様に出会うためイエス様を得るためには妨げがあります
まず世の中のものが妨げになります 皆さんの知識を持っている世の中の知識が妨げになります
イエス様を自分の理性知性自分の知識 自分の何か頭で判断しようと思います
自分が理解できなければ心を開かれないのです 私の神学の教授はイエス様はパン5つ魚2匹で5000人を食べさせると言ったのです
パンを食べさせたという聖書を自分の考えでは理解できないから私はこの奇跡は認めませんと言いました
だから自分の知識が妨げになったのです だから素直でイエス様を受けれないからその先生にはパン5つ魚2匹で5000人を食べさせる奇跡は絶対ないでしょう
信じないからです 私の頭で何か信じない壁があるならそれが妨げになって
永遠の命の光永遠の命のパンが自分のものにならないんです ぜひともこれを捨てていただきたい
またこの世で好きなもの 誇りと思っているもの理想的なものが様的に言われる
私はバリサイ人での私はこのようなイエスを異端信じることができない 世の中の知識者たちもインテリだちもイエスを信じないでしょう
だから私はイエス信じたくない受け入れることができない インテリが何ですか
自分の頭で理想は何ですか自分が好きに思っていることは何ですか それを捨てない限りイエスキリストを受け入れることができないし永遠の命の力
永遠の命を受け入れることはできないんです だったら自分の好きなものを捨てればいいでしょう
自分の知識を捨てればいいでしょう 皆さん新しいものを家に入れようとしたらすでに家にあるものを捨てなければなりません
冷蔵庫を大きな冷蔵庫を持ってきようとするなら既存ある冷蔵庫を捨てることも必要でしょう
私たちがイエスキリストを受け入れるするためには私が持っていたこの世の価値観 この世の中の知識
自分が好きなものを捨てることが大事なんです
まず世の中のことが妨げになるんだということ またイエス様を得るためには死ななければいけない死の経験が必要です
どんな宗教も真似できない復活 復活の命をキリスト教は持っています
イエス様は復活の命です この復活の素晴らしさをどのように知ることができますか
21:00
復活するためには私が死ななければいけません ですからシト・パウロは第一コリント中号書31節に
私は毎日死ぬと言いました なぜ毎日死にますか
死んで終わりではありません 私が死ぬなら復活の命を味わうことができるからということです
私たちは首都福音のために自分の十字架を背負って生きる この寄生を通して復活の命の働きを体験することができます
皆さんいろいろ経験があるでしょう 昔電動をする時に電動訓練
毎週電動しましょうと ある人と水曜日の午後10時に約束しておいて
当時私は東京で会社に勤めていたんですけど 会社終わってから水曜機動会を終えてそれから電動に行こうとしたら疲れて疲れて
当時風邪気味で風邪気味で しかし電動するために行ったんですよ
電動が終わった時には命がいっぱいありましたね 命に満たされて疲れが全部なくなって風邪気味もすっきり残っちゃったんです
皆さんこれをどのように説明しますか 首都福音のために私が寄生したり自分がやりたくないことも
私がやった時には神様から復活の命が与えられたんです それ経験があるでしょう
皆さん献金に対していろいろ経験があると思います 神様の御言葉に従うために自分の命より大事に思っているお金を献金しました
それによってこの後どうなりましたか 私と妻は献金によって本当に本当にたくさんのことを体験しました
神様が満たしてくださることを体験したということでしょうかね そのことを皆さん是非とも是非とも
もう教会の中でたくさんの方が体験したと思います また神道に対する奉仕
自分を寄生しながら毎日毎日病院に行って ある方のために祈ってあげたり使えてあげたら
もう死んでいく人が生き返られたということも 私も伝道師さんも証があるし皆さんも証持っているでしょう
復活の命が現れるためには私が死ななければ 私が寄生にならなければ復活の命は現れません
復活のためには死が必要なんです まず死ぬことが大事です
私たちが大切にしているこの世の中のことを捨てるなら 神の宝を得ることができるし神の栄光を見ることができる
首都福音のために自分を寄生して自分を死んでいくなら 復活の命を味わうことができます
24:04
ですから復活の命をパウロは味わうために 私は毎日死ぬ毎日死ぬ
毎日死ぬことによって毎日復活の命を味わって また周りの方々がパウロを通して命を得て
生かされ癒され助けられたということが パウロを通してできたでしょう
皆さんぜひとも自分の世の中のことを下ろしてください また復活の命を味わうために自分のすべてを寄生にしながら
首都福音のために働いてください 最後に私は私の恥ずかしい証を皆さんに申し上げたいと思います
これが私だけじゃなくて大勢の方たちがこれを間違いをすることですから 私がこれを寄生をする意味で証をしたいと思います
私は世の中の革歴 世の中の名誉
本当に好きなものです 私は私の子どもたちにもこれを強要して
子どもたちが私に反発したり 子どもたちが苦しめたりしたんですけど
私はこの習慣が今も残っているんじゃないかと思います ですから悔い改めて徹底的に捨てるためにこの証をします
以前の教会にいる時に韓国から韓国でピヨンミン先生という本当に素晴らしい先生が 集会の講師として来られました
それで私の教会の家族を紹介しながら その先生の前にある方に対してこのように紹介しました
先生この方は日本の有名な慶應出身ですよ と言ったんです
そうしたらその時その先生が私を見る表情が 10年過ぎた今も私覚えています
情けないなぁ 私を無視するようなその表情
今もメッセージを準備する時にその表情が目に見えるような気がします 私はこのメッセージを準備しながらこの意味をもっと深く悟るようになりました
その先生の情けない奴だなぁという表情
それだってお前は牧師なのか 世の中の学歴を誇ることを見たらあなたは未だにキリストに出会ったことがないね
あなたは世の中のことばかり考えて神様から神の栄光の祝福を味わってない牧師だということは明らかになったな
牧師であるなら世の中の学歴を誇るじゃないよ 神様を愛してイエスキリストを誇るべきではないか
イエス様が見えないから世の中の学歴 敬余
敬余がこんなに神の前で大事なのか あなたを見たらあなたの教会のレベルがわかるような気がする
27:08
情けない牧師だなぁ イエス様を誇りにしなさい
というような表情 皆さんわかりますか
当時の私のレベルがそのぐらいだった だからその先生が私を見ることは
情けない牧師だなぁというそのような一言表情 これが今も私覚えているんですよ
皆さん 今日のメッセージを準備しながらもう一度考えたら
学歴好きなもの世の中の名誉好きなもの またそのようなことを持っている人を羨ましく思った
この牧師 本当に恥ずかしく思います
皆さん 私が今まで好きだった学歴名誉
世の中の出世 成功 シト・パウロはこれを排泄物として思って
イエス様をもっと知りもっと愛したくて もう後ろのことを捨てて世の中のことを排泄物として思って
イエス・キリストを得るために毎日死んだ 毎日死ながらイエス・キリストを求めていたんです
そうしたらイエス様に深く出会うことができ 世の中のものではなく神の栄光 命
命のパン 神の栄光を味わうことができて パウロを通して大勢の人が世の光を出会うことができるし
世のパンをいただくことができて生かされたんです この世の中のもの好きなこの牧師を通して誰が命のパンを得ることができますか
命の光を照らすことができますか できないんです
ですから私はこのメッセージを準備しながら 本当に今まで世の中のこと大好きだった私を悔い改めながらこれからはイエス・キリストを得
イエス・キリストの中にある不可知の命を得て この不可知の命を味わうものになりたいと思っています
ですから私はピリポ3章7節から12節 もう一度私がそう読んでみます
しかし私にとって有利であったこれらのことを キリストのゆえに損失とみなすようになったのです
そればかりか私の主キリストイエスを知ることのあんまりにも素晴らしさに 今では他の一切を損失とみています
キリストのゆえに私はすべてを失いましたが それらをチリアクタとみなしています
キリストへキリストのうちにいるものと認められるためです 私には立法から生じる自分の気ではなく
30:04
キリストへの信仰による気 信仰にもどついて神から与えられた気があります
私はキリストとその復活の力を知りその苦しみに預かって その死の姿にあやかりながら
なんとかして死者の中からの復活に達したいと達したいのです 私はすでにそれを得たというわけではなく
すでに完全なものになったというわけでもありません なんとかして捉え合おうと努めています
自分がイエスキリストに捉えられているからです この聖書は私たちみんなの信仰告白になりますように
そしてイエス様をもっとしてイエス様をもっと愛して イエス様の中にある永遠の命
永遠の力 永遠の栄光を
この世の中で豊かに味わってそれを延べ伝える 私たちになれればと思います
お祈り出します 主よ
世の中の革命 名誉 出世 成功 大好きだった またそれを誇った
私の姿を悔い改めます 牧師だと言いましたけど
仏会をする技術 仏会をする方法だけで
イエス様に対してよくわからなかったことも告白し これからはパウルのようにイエスキリストを得るために
自分を心地しんで毎日イエス様を受け入れるために 前に前に前進する私になりたいと思います
牧師のレベルが教会のレベルだというなら 皆さんの前で私は本当に情けない恥ずかしいものです
これからはイエス様を知り愛すること イエス様を誇る教会になりたいと思います
どうかイエス様をもっともっと私たちに照らしてください
イエスキリストの皆を通してお祈りいたします アーメン
32:19

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