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2021-08-29 31:23

「極限的状況で成功的な人生を過ごす秘訣」2021年8月29日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年8月29日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
00:00
聖書の箇所は、四書八書一書七節と八節です。
ただ、強く大いに厳しくあって、私の下部、モセが命じた立法をすべて忠実に守り、
右にも左にも逸れてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。
この立法の書を、あなたの口から話すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。
そうすれば、あなたはその行く先先で栄え、成功する。
今日のメッセージの対話は、極限的な状況で成功の生活をする秘訣という長い対話ですけど、それを皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。
今日一緒に読まれたこの四書八書は、イスラエル民が主治エジェットして、アラノを経て、カナーンに入って、安息に預かる、このすべてのプロセス、過程を記録した本です。
この本は、キリスト社たちがイエス・キリストによって味わうことができる、救いのすべてのプロセスを表す歴史的なモデルでもあります。
ヨーシュアをキリシャ語といえばイエスです。ヨーシュアはイエスです。
ですから、ヨーシュアはイエス・キリストを象徴する人だということを考えてもいいでしょう。
ところが、イスラエル民は主治エジェットすることが目的ではありませんでした。
イスラエル民の目的は、カナーンの地に入って、カナーンの地で安息を得ることが目的でした。
同じようにキリスト社たちも、イエス様の主治家の父親の力で、罪とサタンから解放され、救われることが目的ではありません。
私たちの目的は、神様の国に入ることです。未国に入ること。そこで永遠な安息を味わうことが目的です。
イスラエル民がカナーンに入って安息を得るためには、敵との戦いがありました。
聖なる戦いがありました。キリスト社たちが神の国に入って、永遠な安息を味わうためには、この世の悪を妨げるすべての者との戦いが必要です。
ここで、ヨウシュワ賞は、霊力な戦いの本だと言えるでしょう。霊力な戦いで勝利をする秘訣が何なのか、
03:02
これがヨウシュワ賞にはよく書かれてあります。特に今日読みました、この1章では、
成功する人生のための秘訣を教えてください。
私たちみんな、成功したいんです。人生で成功したい。
勉強でも、就職でも、昇進でも、また世の中で様々な試験で、私たちがパスして、
またはビジネスにも成功したいんです。
しかし、この世のすべてのことに成功したとしても、
信仰生活で失敗するなら、悲惨な人生になるしかありません。なぜなら、この世は100年、
天国地獄は永遠だからです。この世で成功したのに、地獄に行くんだと。
だったら人生、本当に悲惨なんです。ですから私たちは、この世でも成功し、
また天国に入って、永遠な救いを得ることも大事でしょう。
その秘訣が何なのか、神様はヨウシュワに教えてください。
これが1章の1節から9節の内容ですけど、これを今日4つの項目をもって、
皆さんに説明したいと思います。
じゃあまずはじめに、この世で、また礼儀的にも成功する人生になるために、
立って行きなさいと言います。立って行かなければいけません。
ヨウシュワ書1節には、主の下部、孟子の死後という言葉で始まります。
孟子が死んだということです。
孟子は奴隷だったイスラエルの民を出地エジプトさせて、40年間アラノの道で導いて、
約束の地カナンまで至る偉大な使命を担いました。
孟子は偉大な使徒者、立法を伝えてくれた人、神に出会った人、数多くの奇跡を行った人でした。
また、奴隷であった自分の民を抱いて、謙遜と仁和で使えた良き牧者であり、礼儀的な父でもありました。
このような孟子がカナンを目の前にしたところで、死んだんです。
孟子が死んだとき、イスラエル民はどれほど大きな悲しみと落胆に陥ってしまったでしょう。
孟子が死んだことによって、イスラエルの運命もこれで終わったのではないかと思われます。
しかし皆さん、孟子は死んだんですけど、神様は死にませんでした。
神様は生きておられ、すべての歴史を主観者でコントロールされておられます。
06:03
孟子は立派な人だったんですけど、孟子には限界がありました。
しかし神様には限界がありません。
孟子の死後、神様は要所を選んで、彼を通してカナン征服の御業を成し遂げようとするんです。
ここで見てますと、信仰で一番大事なのは、敬意処という言葉です。
敬意処。神様は孟子が死んだら、これ以上働きができない方ではありません。
神様は敬意処を願われるんです。そして既に準備しておられます。
孟子に引き続き要所をリーダーとして立てて、働きを敬意処しようと思います。
私たちがこれを知るとき、知って信じて準備しながら信仰生活するとき、神様の同働者になることができます。
また、神様がすべて、この次まで準備しておられるんだと思うとき、私がすべてやらなきゃという、この普段から解放され、
まだ絶望しないで、主の御業に用いられることができます。
神様は敬意処を願います。アブラムの神、イサクの神、ヤクプの神様です。
アブラムで終わったといったら、この信仰ということは何でしょうか。
ですから私たちは、この次まで考えながら、神様との交わりの中で、次を準備してくださる神様を信じて、
私たちができる働きがあれば、準備していかなければなりません。
じゃあ、神様は備えておいた、この後継者、要所に神様が命令をされます。
私の下辺、モーセは死んだ。今、あなたはこの民をすべてと共に立って、
ヨルダン川を渡り、私がイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。
イスラエル民はモーセが死んだので、悲しみと絶望の中で深く落ち込んでいました。
神様はその人たちに、死んだモーセを見るのではなく、生きている神様、歴史をコントロールされる神様を見て、立ち上がって行きなさいと言います。
神様は、私たちがどんな理由であれ、絶望の中で座り込んでいることを願っておりません。
サタンの戦略の中で一つは、私たちが現実問題に縛られて諦めにすることです。
ですから、できない、できない、不可能だよと思いながら諦めさせるんです。
09:04
私たちが現実問題に縛られて、神の国に対する希望を失って、この世で安住してしまうなら、
生活するために生きる悲惨な人になります。
皆さん、私たちは使命があるからこの世に来ました。
食べて生きるために、ただ食べて生きるためにこの世に来たのではありません。
神様は私たちが立ち上がって、ビジョンを持って行きなさい、挑戦することを願います。
私たちは挑戦することです。ここに人生の生き甲斐があり、神に栄光を与えることはできます。
私たちは休みたいんです。休んで得られるものは何にもありません。
立って生きるとき、そこに生き甲斐があり、物罪があるんだとしても、神に栄光を与えることはできるんです。
ここで神様イスラエルの人たちが、神の命令を聞いて進み出ていくことができるなら、
3節4節、私はあなたたちの足を裏が踏むところをすべてあなたに与えようと約束しました。
ここで大事なのは、神様はカナンを私たちにすでに与えてくださる約束をしましたけど、
私たちがこのカナンを所有するためには、私の足で踏むことが大事だということです。
聖書にはたくさんの約束があります。いろいろな約束があります。豊かな生活、神様すべて約束してくださいました。
しかし、それは私たちが足で踏むときにくださるんです。足で踏まなければくださりません。
神様はエデンの園を与えてくださいながら、人がそれを耕し、守るようにされた。
アダムはエデンの園を守ることができないから、エデンの園を失ってしまった。
イエス様は山蔵の推訓で、マタイ7章、7節、8節、求めなさい、そうすれば与える。
探しなさい、そうすれば見つかる。門を叩きなさい、そうすれば開かれる。
誰でも求める人は受け、探す人は見つけ、門を叩く人は開かれると言います。
しかし、私たちは求めない、探さない、叩かないから得られないのではないでしょうか。
ですから神様は、立って行きなさい、自分の足で踏みなさい。
マタイ11章、12節には、天の国は力つぐで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。
12:00
神の約束を信じて、積極的に激しく襲う人たちが、約束したものを得るようになるんだと言います。
激しく襲うとき、神の恵みが与えられ、神様の備えられたすべてを見て感謝し、生きている神様を体験することができるのです。
ですから私たちは、立って行かなければいけません。
信仰生活で一番警戒しなければいけないことは、礼儀的な安逸です。
イエス様復活なさった後、弟子たちに世界選挙を命じられました。
あなたたちは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。
上から精霊が望むなら、あなたたちは力を受け、イエロサレムとユダヤとサマリアと地の果てまで私の承認になろうと言います。
私たちは上からの力をいただいて、積極的に前に進まなければなりません。
近代選挙の父であるイギリスのウィリアム・ケイリー、神様がくださった世界選挙のビーズを自分は抱いて担おうとしました。
当時イギリスの教会はカーロバン主義の行為に落ち込んで、礼儀的な深い眠りにいました。
彼たちは、すべての民を私の弟子にしなさいという選挙命令は、私たちとは関係ない、当時の人たちに与えた命令だと。
また、神様が予定された人は全部信じているようになっているから、私たちが苦労しなくてもいいと、この哀悼感で落ち込んでいました。
しかしウィリアム・ケイリーは考えが違いました。
世界に出るために、彼は修善をする人だったのですが、彼は海外に出ようとしたら、海国語を勉強しなければいけません。
ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、この海国語を学びました。
彼は仕事をしながらも、そばにはいつも本が開いていました。
ウィリアム・ケイリーはインドの宣教師に行き、インドで40年間インド人に仕えながら、近代宣教の父になりました。
このように神様は、宣教の熱心を持って、具体的に準備しながら、積極的に前に進んでいく人たちを通して、神の御業を成し遂げてくださいます。
天国は激しく襲う者のものです。
ですから、立っていく人を神様は喜んで、その人たちをうまく使ってくださるのです。
二つ目です。この世でまだ礼的に成功する人になるためには、神様が共におられることを信じなければなりません。
15:03
一生五節です。一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はいないだろう。
私はボーゼと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。
九節にも、あなたがどこに行っても、あなたの神、主は共にいると言います。
皆さん、ボーゼは初めから偉大な下人になったことではありません。
神様はボーゼに、シチュエジプトのこの使命を任された時、ボーゼがこう言いました。
私は口が鈍い。私は舌が鈍いものです。他の人を選んで使わせてくださいと言いました。
自分はできないと言いました。しかし神様は、誰が人の口を作ったのか。私ではないのか。行きなさい。
私があなたの口と共にいて、あなたが言うべき言葉を私が教えると言いました。
ボーゼが偉大な使徒者になったのは、神様が共におられたからです。
イエス様の弟子たちは田舎の者だ。自分の国の外に出たこともない田舎の者でした。
しかしイエス様は彼らに全世界を任せて、全世界に参りながら福音を述べ伝えなさい。
福音を聞く人は永遠の命を得る。全ての民を私の弟子にしなさいと言いました。
しかしこれは不可能な御言葉のように聞こえます。しかしこれが実現された理由は、
マタイ28章20節。美王、私は世の終わりまでいつもあなた方と共にいると約束したからです。
神様が共にいるという約束よりもっと力になり、和さみになる方証はありません。
神様は天地を作られた全能の方。人間の生きるか死ぬか、祝福か災いか、
全ての世界をコントロールされる主権者です。神様は私と共におられ、力が必要な時は力を与え、
勇気が必要な時には勇気を与えてください。知恵が必要な時には知恵を与えてくださいます。
その時私たちはどこに行っても何をしても成功する人生ができます。
神様は私たちがうまくやる時だけ共におられることではありません。失敗する時もっと共におられます。
苦難の時もっと共におられます。神様は私たちが信仰によって生きようとするなら、いつでもどこでも共にいてくださいます。
ですから信仰によって神様と共に行きたいということが大事です。
しかし私たちは神様に対する不信心、疑い、
18:03
また心が傲慢になって神様に逆らう時には共にできないんです。
また神様よりこの世の中を愛していく時には共に行くことができないでしょう。
その時皆さん悔い改め神様を求めることが大事です。悔い改め神を求める時、また信仰によって生きるとする時、
神様はいつも共におられ私たちを助けてくださいます。
3つ目です。この世でまだ礼儀的に成功する人生のためには、
心を強くしなければなりません。
じゃあ今日聖書の中で神様は要所に続けて続けて3回も繰り返し教えることがあります。
強く大しくあれ ただ強く大いに大しくあれ
私は強く大しくあれと命じたではないか。
3度も繰り返し繰り返し強く大しくあれと言います。
なぜなら要所が神様の誓約戦争をする時には強い心、大胆な心が必要です。
しかし要所は要所の後継者として重い責任感を持っています。
またカナンの使命、これが私ができるか心配と恐れがありました。
モーセが死んだから、偉大な使徒者が死んだから、自分は何ができるか。
また不平不満を持っている民たちをうまく導くことができるか。
カナンの地では背が高い、巨人のアナク子孫のようなこの敵たちが多いのでその者たちに勝ち抜くことができるか。
心配恐れしかありませんでした。
その心をよく知っている神様はその人に、要所に強く大しくあれと言います。
皆さん私たちの体が弱くなれば免疫力が落ちて病気になりやすいんです。
心が弱くなれば様々な否定的な考え、不信心、敗北的な考えに縛られて
戦う前にもうすでに負けてしまいます。
疲れた、難しい、できない、できない、そうしたらすべてができなくなります。
限界的な考えに縛られてしまいます。
だったら何にもできません。
だから皆さん心が弱くなることは非常に難しいです。
しかしなぜ心が弱くなるんですか。
心が弱くなるのは罪とサタンのゆえです。
罪を犯すならいくら強靭だとしても無力になります。
21:04
皆さん神様が一番愛したダビデも罪を犯したら彼は無力になりました。
また不信心、疑いに縛られてしまえばいくら力を出そうとしても出すことはできません。
その原因は何なのか。
罪をきっかけとして働くサタンです。
ですから私たちは私が無力になって力がなくなったと思った時には悔い改めです。
神様に罪、過ちを悔い告白してイエス様の父親によって清くなった時
私たちには上から与えられる力ができて私の内なる人が強くなります。
そして大しく大胆になります。
4つ目です。
心強く大しくして私たちは何をすればいいのか。
これは結論ですけど見事場を掴んで見事場中心的な生活をしなければなりません。
今日の7節8節をもう一度読みます。
私の下部猛瀬が命じた立法すべて忠実に守り
右にも左にもそれてはならない。
そうすればあなたはどこに行っても成功する。
この立法の書をあなたの口から話すことなく
昼も夜も口ずさみそこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。
そうすればあなたはその行き先で栄え成功する。
今容赦はカナン西行く戦争これは担わなければなりません。
カナンの西行く戦争を勝利するために私たちは何をすればいいですか。
軍事訓練をして武器を準備しなければいけないように思います。
しかし神様は武器また軍事訓練より立法すべて忠実に守り
右にも左にもそれてはならない。
この立法の書をあなたの口から話すことなく
昼も夜も口ずさみそこに書かれてあるものをすべて忠実に守りなさい。
軍事訓練をするのではなくて見言葉をしっかり掴みなさい。
なぜでしょう。
みなさんこれが大事なんです。
イスラエルの戦いは神様がなさいます。
自分がやるんだとすれば軍事訓練と武器が必要です。
しかし神様が戦争をなさるので
神様の戦いの準備は見言葉を知って
見言葉が言われた通りに従うことです。
そうすれば神が働きます。
私が働くのではなくて神様が働くためには
私たちが神の見言葉を知って見言葉に従うことが大事だからです。
24:02
ですから神様は神の見言葉、見言葉、見言葉
それを従順にしなさいと言うんです。
ヨウシュワはこの神の命令、約束
神様の見言葉を心から受け入れました。
そしてこの命令にすぐ従順しました。
ヨウシュワに対する民たちの反応はどうですか。
ヨウシュワの命令通り民たちも同じように従順しました。
彼たちは心を一つにして
神の見言葉に絶対的に従順しました。
そうしたら神様が彼たちとともに戦うから
行くところどころ勝利し
物事がうまく運ばれたんです。
そしてカナン西域戦争をうまく担うことができました。
今度私は韓国を訪問しながら不安でした。
心配もいっぱいありました。
恐れもありました。
コロナによって厳しい日本と韓国の貿易体系
どのように対応していいか心配しました。
まず韓国に行って私は
このユシムチップを入れるのはうまくできなくて
携帯電話はできなく
インターネットもできない
お袋の家は何にもありません。
そうしたら正直に戻れない
どこかに私は閉じ込まれているような不安感がありました。
何をしようとしても
弟に頼んでいかなきゃいけない。
弟はビジネスマンだから忙しいんですよ。
もう全部頼まなきゃいけない。
私は正直に
皆さんに二度も会えないんじゃないか
戻れないんじゃないかと思いました。
だから想定の祈りを熱心にしました。
その時神様が私にくださった見言葉が
弱音の福音書14章1節と6節の見言葉です。
心を騒がせるな
神を信じなさい
そして私をも信じなさい
私は道であり心理であり命である
私を通らなければ誰も父の元に行くことができない
この見言葉を与えてください
また私がいつか読んだルーターの
この見言葉をどのように適用したのか
この治療を思い出してくださいました。
私はその見言葉を掴んで
心を騒がせるな
神を信じなさい
そして私も信じなさい
私は道であり心理であり命だよ
これを見言葉を私は掴んで
口で口つさみながら
前に前に進んでいきました。
4泊5日の短い日程の中で
PCR検査を何回も受けました。
その証明書を発給してもらわなきゃいけない
またソウルからインチュン空港まで
検査のためにも行かなきゃいけないし
27:01
飛行機を乗るためにも
往復するのに道が遠いんですよ
それは困るんですよ
また空港の検疫
いろいろな過程があるので
またそのうまくパスできる
また戻ってくる
車の提案
一般の車は乗れないものだから
だからハイヤーさんを通して
車を提案しなきゃいけない
また成田に到着したら
またPCR検査をするんですね
私はそのすべてのプロセスの中で
すべてのところで私は心を騒がせるな
神を信じなさい
そして私も信じなさい
私は道であり真理であり命である
道であり真理であり命である
言われたイエス様の見言葉を
私はずっと掴んできました
その結果イエス様は本当の
本当の道でした
本当の命でした
そしてイエス様は私を日本の家に
息子のもとにまた皆さんのもとに
安全に戻ってくるようにしてくださいました
私は今度このすべてを担いながら
シチュエジプト中級書4節
あなたたちをわしの翼に乗せて
私のもとに連れてきたという
そうです
私の弟のお父さんの家は
スウルの小徳というところなんですけど
そこからインチョン空港まで行くのに
オリンピック道路を通らなきゃいけない
それ混んで動かないんですよ
そこをなんとか上からわしの翼に乗せて
この車をインチョン空港まで運んでくれれば
いいなあと思いました
それで弟と一緒に祈りましたよ
神様私をそのところから
この日本の家まで
また皆さんに出会うようにこの礼拝のところまで
わしの翼に乗せて
私を連れてきてくださったということを
本当に聖書通りだなと私は信じています
皆さん極限的な恐れの中で
心配恐れ不安の中で
成功的な人生を過ごす秘訣は何ですか
その時々与えてくださるこの礼拝の御言葉
今度私は弱音の福音書14章1節と6節でした
その御言葉を信じて
その御言葉をつかんで前に進んでいっていくです
私はこのことを今度経験しました
御言葉通り
神様は私の真事の道になってくださいました
私の命になってくださいました
ここには愛する皆さんの取りなし祈りが
30:00
あったことを私は覚えています
皆さんに感謝し神様に感謝し
これで家族が大事だなと
私たちは教会の家族として
皆さんをこのように助け合って愛し合って
本当にこれから前に進んで進んで
天国まで行くこと
これが教会だなということを
今度切に切に悟ることができました
神様に感謝し皆さんに感謝します
ありがとうございます
お祈り出します
神様コロナが拡散されるこの状況の中で
神様今度韓国の訪問を通して
神の御言葉が生きており
御言葉を信じて従って生きることの
大事さを悟らせてくださって感謝します
私は道であり真理であり命であるという
イエス様の御言葉はその通り
成し遂げられたことを感謝します
これからも神様イエス様
私たちの道 真理 命として
私たちの教会 教会の家族一人一人を
導いてください
命になってください
イエス様の皆を通してお祈り致します
アーメン
31:23

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