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2022-02-13 25:28

「わたしに従いなさい」2022年2月13日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年2月13日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

マルコ2:14-17 そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。15.イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。16.ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。17.イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

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今日は、「私に従いなさい」という歌いを持って メッセージを分かち合いたいと思います。
教会は今年に入って、礼儀的な戦いについて分かち合っています。
なぜなら、弱音の福音書対忠孝書で見てますと、
私たちがぶどうの木の生活をするなら、 必ずついてくるものがあるんだと言います。
弱音忠孝書18節に、「よがあなた方を憎むなら」と言います。
ぶどうの木の生活をするのに、なぜ憎むのですか?
これが礼儀的な戦いです。
この礼儀的な戦いには、必ず勝たなければいけません。
負けたらすべて奪われてしまいます。
信仰生活だけではなく、人生そのものが 礼儀的な戦いの中にあります。
ところが、人々は礼儀的なことを分からなくて、
自分が願う通り、思いのまま、自分の目的、自分の道、 自分がやりたいことを全部やっていきますけど、
これが実行中心的な生活です。
これは神様が見られるのには罪です。
悪魔は、罪をきっかけとして、世の中のすべての人を取り子としています。
取り子としているその人たちから、悪魔は、いわゆる、 畜生、畜生といいますと、
盗んだり、ほふったり、滅ぼしたり、 その人の幸せを全部奪われてしまいます。
だから、取り子になった人は、この世の中を地獄のように過ごしながら、 死んだら地獄に行きます。
神様は、このような人間を愛してくださって、 救うために、一人子、イエス・キリストを送ってくださいました。
イエス・キリストが来られたんですけど、 ルカの22章37節を見ますと、
イエス様は、犯罪人の一人として数えられたといいます。
イエス様は犯罪人ですか?
そうではありません。
でも、イエス様は、犯罪者と共に過ごされたといいます。
なぜそうしたんでしょうか?
犯罪者たちを救うためです。
では、まず一番です。
では、なぜ犯罪者たちは、そのような状態になったんでしょうか?
それを今まで学んできました、 ローマの6章16節です。
誰に従うか、従う者の奴隷になるということです。
サタンは、現在の元にある人間に、 第1話2章15節、16節を見ますと、
肉の欲、目の欲、生活の奢り、 このような罠を犯しておいて、誘惑します。
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じゃあ、肉の欲、目の欲、この世の奢り、 これは人間が一番欲しがるものであって、
これをみんな尋ねて、探し求めています。
しかし、これを探し求めているなら、 罠にかけられて、負けてしまいます。
お金をみんな好みます。
しかし、お金の問題のゆえに、 イスカレデユダはためになりました。
バラーム預言者はためになり、 今日のレビ、マタイですけど、
レビも人生がためになりました。
また、女性の問題によって、 サムソンの人生がためになりました。
名誉を貪る人、アナニア、サピラ、 その人たちも、もう死んでしまいました。
宗教主達者たち、バリサイ人たちも、 名誉を貪ったんです。
その誘惑をしました。
そして、誘惑に負けたら、 彼たちは全部、ためになりました。
イスカレデユダを見てください。
イエス様の使徒十二人の中で、 一人だったんですけど、
彼は、一番今、ひどい地獄の中にいます。
サムソンは、女性によって、ためになりました。
アナニアは、死んでしまいました。
だから、誘惑に負けたら、大変になります。
私たちは、勝たなければなりません。
どのように勝つのか、 第1話2章17節にあります。
世も、世にある欲も、過ぎ去っていきます。
しかし、神の御心を行う人は、 永遠に生き続けます、と言います。
神の御胸通り生きるその人は、 朝の霧のような人生じゃなくて、
永遠に変わりがない人生になります。
神様は、すべての人を憐れんでくださって、 イエス・キリストを贈ってくださいました。
イエス様を懲られたことを、 イザヤ章は、このように書いてあります。
イザヤ53章、5節、6節です。
彼が差し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、
彼が打ち砕かれたのは、私たちの刀のためであった。
彼が受けた懲らしめによって、私たちは平和が与えられ、
彼が受けた傷によって、私たちは癒された。
私たちは羊の群れ、道を誤り、 それぞれの方角に向かっていた。
その私たちの罪を、すべて主は彼に負わせられた。
イエス様は私たちの罪、また弱さを担ってくださるために、
十字架に書かれて、罪と罪の呪いをすべて担ってくださり、
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誘惑者、サタンを勝ち抜きました。
そして、誰でも主の皆を呼び求める人は救われると言います。
また信仰によって、イエス様のところに来る人には、 私について来なさいと言いました。
ところが、どのような人はイエス様について行って救われ、
どのような人はついて行かないで救われないのでしょうか。
これは大事です。
マルコン2章17節、今日読んでくださったところに、
イエスはこれを聞いて言われたと言います。
医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
私が来たのは、正しい人を招くためではなく、 罪人を招くためである。
ここで正しい人、疑人、罪人、
これは神様の前で自分自身が自分をどう見ているか ということを教えてくださるんです。
皆さん、自分は罪人だと思いますか。
そうではなければ自分は疑人だと思いますか。
私は物足りないもので問題が多く、罪しかないと思いますか。
私は問題がない、うまくやっていると思いますか。
神様が見られるのに、人間は弱くて罪を犯すしかない。
罪によってサタンの呪いからどうしても逃れることができないから、
救い主としてイエス様をこの世に送ってくださったのに、
この神様の前で自分はどんな姿勢をとるのか、
ここに生きるか死ぬかが書かれてあります。
今日聖書のレビィは、自分は罪しかないと思いました。
そしてイエス様の招きに従いました。
彼はイエス様、神様の恵みを背負って、
罪を許してもらい、神の子供としてイエス様の弟子、人になりました。
これによって、一丁にして呪いの中にいる人が、
神の恵みにいる人を変わりました。
お金の奴隷の生活をした人が、神の子供になりました。
しかし宗教主導者たちは、自分たちがよくやっているんだと思いました。
神様が見られるのにも、自分たちは正しい義人だと思いました。
ですから、罪人、その人たちと違うと確信を持って傲慢になりました。
そして、神様を怒ってくださった救い主、イエス様を拒否しました。
これによって、彼らは神の恵みを背負うことができなく、
相変わらず呪いの中にいる人になりました。
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ところが、なぜ宗教主導者たちは、自分たちが義人だと思ったのでしょう。
これは、宗教主導者お互いに、また人々からの評価が、
自分はうまくできていると、自分たちがその酷い評価を聞いたからです。
また、自分自身が持っている宗教的な熱心、
また世界で、この世的に勉強をたくさんしたでしょう、
いろいろな背景を持っているでしょう、それを委ねたからです。
人に委ね、この世に委ね、自分自身を誇りました。
しかし、神様の見前で、神の観点から、自分はどんな人か分かりませんでした。
皆さん、神様の前で自分自身が罪人だと思うのか、
正しい人だと思うのか、これは、一人の人間の永遠な将来を決める大事なことですけど、
これをもって、神の前で謙遜なのか、傲慢なのか、神様が判断されるんです。
たびたび、私たちの人生に試練がある理由は、
私が今信じて委ねていることが何なのか、もう一度考えさせ、確認させてくださって、
そして、自分が信じて委ねていることが、自分を救うことができないし、
自分を幸せにしてあげることができないものだということを悟って、取り戻すために与えてくださるチャンスです。
神様は、神の子供たちにいろいろな試練を与えてくださって、
今、私が何を委ねているのか、何を愛しているのか、間違えたらそれを捨てるように、
生かすためにチャンスをくださる場合があります。
試練があるとき、どうすればいいですか。悔いを改めて取り戻せばいいんです。
そうしたら、もっともっと良い人になるように、回復してくださいます。
ところが、それを分からなくて、試練があるんだって恨んで、神様に不平不安する人は、これは情けない人間です。
そのような姿勢で、どのように回復できますか。
神様がチャンスをくださるとき、それを悟る恵みが与えられればと思います。
では、3番です。
イエス様が従うことを決心されたら、これからどうしたらいいでしょうか。
イエス様はレビに、私についてきなさいと言いました。
では、どうすることがイエス様がついていくことなのか、これを考えていきましょう。
まずはじめに、イエス様がついていくということは、
信仰によって神の子供になった人に、神様をくださる特権があることを分かって、
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それを徹底的につかんでいかなければなりません。
いわゆる一書中二説、イエス様を信じる人には、神の子供になる資格、
神の子供になる特権を与えてくださったと言います。
では、ここで言われる資格、特権とは何でしょうか。
神の子供たちに五つの確信があることを知っていますか。
では、ぜひ覚えて、自分のものにしてください。
まずはじめに、救いの確信があります。
私は今日、この世を去っても死んでも天国に入るんだ。
この確信、これより大事なことはありません。
たったら何にも怖くならないようになります。
救いの確信を持っていますか。
これは神様は、イエスキリストを信じて神の子供になった人には、
今日死んでも天国に行くようにしてください。
この確信をぜひ覚えてください。
二番目、祈りの答えの確信です。
子供たちが叫ぶなら、親が反応します。
子供たちが何かお願いしますと言うのに、親は知らんぶりにする親はいません。
私、神の子供は、神様の声を聞いてくださいます。
ですから、私が声をかけるなら、神様は必ず聞いてくださるんだという確信、これを疑ってはいけません。
皆さん、この確信がありますか。
この確信があるとき、祈りはよくよく答えられます。
三番目、導きの確信です。
信じる人には聖霊様が来ておられます。
聖霊様は私たちの中で何をされるんですか。
私たちを保護され、私たちを導かれるんです。
ですから、神の子供には、聖霊様が来ておられる人には、
聖霊様が何とか何とか私たちを導いて、すべて過ちをしたとしても、
合わせて善になるように助けてくださいます。
そして、導いてくださいます。
聖霊様がおられるなら、どこにいても天国に行くようになります。
四番目、許しの確信です。
皆さん、私たちが罪を告白するなら、
必ずイエス様は、罪をイエス様の自称によってきれいに洗ってくださいます。
罪の問題解決なければ、サタンに勝利できません。
罪の問題をどう解決しますか。
信じる人はイエスキリストの自称によって清くなります。
15:00
許しの確信、これがサタンに虜にならない一番大事なことでしょう。
また、勝利の確信です。
イエス様が勝たれました、私たちも勝ちます。
イエス様が勝つなら、私たちも勝ちます。
悪魔は私たちにいつも、あなたは死んでも地獄に行くぞとか、
私たちが救われてないとか、祈っても意味がないとか、いろいろ騙します。
この五つの確信が確かになっているなら、
騙されないで、誘惑されないで、私たちは強く勝ち抜くことができます。
まず、五つの神の子供の確信、これを信じて確信を持っていっていただきたいと思います。
子供たちにもよくよく教えてください。
だったら子供たちもこの確信を持つとき、
サタンが子供たちを手を出すことができなくなるでしょう。
2番目、礼儀的な健康を守らなければなりません。
体が痛くなるなら何もできません。
同じように、礼儀的な病気になれば、礼儀的な戦いができなくなります。
ですから、私たちは健康をしっかり守らなければいけないんですけど、
健康になるために、ここ三つをやってください。
礼儀的な呼吸、呼吸、息をつくことです。
この礼儀的に息をつくこと、これ祈りなんです。
祈りを続けてやってください。
2番目、礼儀的な家庭、これはご飯です。
これは見事場です。見事場大事です。
礼儀的な健康、これは伝道、隣人を愛するこの活動です。
これは忠実にやってください。
私たちが毎日息をつく、ご飯を食べる、運動して体がますます強くなるように、
私たちの礼儀的なところにも健康になるように、これをいつもやってください。
人生も健康な人が幸せになり、立派になり、力強く生きることができます。
信仰も同じです。礼儀的な健康な人が幸せになり、平安を持つことができます。
病気な人は、弱い人は病気になりやすいし、
悪魔が少し攻撃してもすぐ倒れてしまいます。
皆さん、もし最近、なぜこんなに力がないのか、なぜ満足がないのか、
人生がなぜこんなに面白くないのか、なぜないと思いますか?
祈りの生活、見事場の生活をチェックしてみてください。
この2つをないがしろにして、それをうまくやらなければ、人生の力が全くなくなります。
18:03
面白くならないんです。満足もならないんです。
何より、祈りの生活、見事場の生活を取り戻すこと、これが大事なんです。
3番目、PLOの生活を私たちが忠実にやるほど、成功的な人生を過ごすことができます。
祈って、聞いて、従う。
ですから私たちの信仰は、神様との親しみの中で、PLOの生活だと言うでしょう。
そのPLOの生活をするとき、神の身分通りに生きることができるし、
使命を成し遂げることができるし、礼儀的な戦いに勝利の人生を過ごすことができるし、
一番祝福的な人生を過ごすことができます。
もしPLOがうまくできなければ、悔い改めてもう一度やればいいんです。
また、今まで一度もそのようなことができなかったら、今からでも大丈夫です。
特に皆さんの人生に大事な大事な選択の余地があるところには、必ずPLOをやってください。
結婚をするとか、ビジネスを始めるとか、引っ越しをするとか、人生の大事な選択には必ず神様に聞いてからやってください。
自分勝手にやって、ああ間違えた、早く直さなきゃ、これほど人生を無駄遣いをすることでしょう。
重要なことであれ、重要なことこそ、PLOの生活をちゃんとやっていきましょう。
これの中で一番大事なのは、精霊様の助けです。
悔い改めた人に来られる精霊様、その精霊様の働き、敏感に従うことが大事です。
これはこれからも皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。
このようにイエス様に従うなら、イエス様は万王の王、万宗の主ですから、
イエス様を牧者としてついていく羊が、一番安全で力強い、そして祝福された人です。
詩編の九十一篇の一節、コロナ禍の中で今よく聞かれる聖書ですね、
意図高き神の下に身を寄せて隠れ、全能の神の陰に宿る人よ、と言います。
意図高き神の下で自分の身を隠せ、そこに宿る人、意図高き神様の懐にいるなら、どれほど安全でしょうか。
イエス様を従う人に、このような祝福はいつも伴います。
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最後にイエス様はレビに私についてきなさいと言いました。
この時レビは躊躇しないですぐついていきました。
なぜならレビは自分が今まで間違えた人生を過ごしてきたことをわかったからです。
それを認めてイエス様を着実についていったら聖マタイという人になりました。
そうしたらマタイ自分だけではなく、同じような過ち、同じような立場にいた大勢の人々を救う大きな働きができました。
皆さん今のようにコロナ禍の恐怖の中で私たちが何ができますか。
何にもできない状態でいるから神様が私をどう見ておられるか。
電動するべきなのに電動もできないし、もう教会出席もできない状態だからどうしようどうしようと私たちは思うのではありませんか。
皆さんより私がもっともっと今私自身を責めているところなんですけど、楽観なさらないでください。
ただ毎日毎日今日分かち合いましたこの3つを行ってください。
信じる人が持っている5つの確信を確かめてくださり、自分のものにしてください。
また礼儀的な健康のために呼吸すること、ご飯を食べること、運動すること、お祈り、見言葉、そして人との交わり、隣人を愛するところの熱心をしてください。
3番目、親しみとPLOの生活を熱心にしてください。
この3つを行うことがイエス様が私に従いなさいと言われたその意味です。
躊躇なさらないでこれを毎日毎日私たちが忠実にやっているうちにイエス様が私たちの人生を変えてくださり、コロナ禍の中で私たちを通して周りの人を救うことができるようにしてくださるでしょう。
また私たちを安全に守って導いてくださるでしょう。
私たちが今このコロナ禍の中で信仰生活がうまくできないんじゃないかと言われる方が思う方がおられるなら、他のことをなさらないでこの3つぜひ実践していただければと思います。
そうするならイエス様が皆さんの人生を皆さんの家庭を立派に変えてくださり幸せと安全な家庭になるように導いてくださるでしょう。
ぜひともコロナ禍の中で神様の守りの中にいる私たちになりましょう。
24:03
お祈り出します。
主よ、コロナ感染者が毎日1万人を超えている中で私たちの生活、私たちの信仰が萎縮されている状態です。
この時信仰とは何なのか、イエス様がついていくのが何なのか、いろいろ考えているところなんですけど、私たちに今日メッセージをくださってありがとうございます。
落胆しないで、自分自身を責めないで、信じる人が持っている5つの確信、礼的な健康、親しみとピエロの生活をしっかり守る、忠実にする私たちにならせてください。
そうするなら、私たちの牧者であるイエス様が羊である私たちをよくよく導いて助けてくださると信じます。
主よ、私たちの教会の上へ豊かな恵みを与えてください。
また、1万人を超えるコロナ感染者の中で日本のリーダーたち、日本の医療関係者たちを主が大きく祝福してうまく守ることができるように導いてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン、ありがとうございます。
25:28

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