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2024-03-17 40:20

「愛と奉仕の恵みを注いでください」2024年3月17日(日)のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2024年3月17日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch/
 (聖書)マルコ13:1-10イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」2. イエスは言われた。「これらの大きな建物を見て
いるのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」3. イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。4. 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」5.イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。6. わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。7. 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。8. 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。9. あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。10. しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。

 

メッセージ題 : 終末論と再臨の信仰
*四旬節はイースター前の40日間、その間一番大事なのは、イエス様の苦難と十字架です。その十字架の前、ゲッセマネの園でのお祈りで十字架を背負う力を頂きました。またヨハネ13:1愛する弟子たちの為に二つをしてくださいますが・・・その一つ、終末論と再臨信仰を与えました。
*キリスト教の信仰の4つの柱。創造、堕落、贖い、再臨です。しかし昔から世界が混乱になるならいつも偽りの宗教指導者たちは終末論を通して人を惑わし?では正しい終末論は?マルコ13章


1.神様の神殿が滅ぼされるば愛がありますか?神様の教会が駄目になるなら、その理由は?
*マルコ11,12章でイエス様は葉の茂った無花果の木を呪い、神殿の境内に入られ私の父の家を商売の家にするな!また宗教指導者の権威主義、偽善に対して心痛まれた。もっと大きな問題は弟子たち、マルコ13:1‐2神殿の表だけ見て素晴らしい?権力を羨ましく?霊的な分別力がない・・・その神殿に対して、崩されると!弟子たちは神殿の表を見たがイエス様は中を見られた。神様に大事なのは、立派な表姿より、内面の真実さ。神様の御前で真実に、罪を悔い改め、御言葉通り従って生きることが立派な建物よりもっと大事である。

 #ここで、神殿の変遷史。旧約のモーセの幕屋、ダビデの幕屋、ソロモン神殿、ゼルバベル神殿、ヘロデ神殿・・・しかし新約の時代の神殿は?ヨハネ2:19イエス様の十字架と復活を通して、イエス様を通して神様の御前に進み出ることができたので?イエス様の体が神殿である。マタイ18:20、2-3人がイエス様の御名によって集まったところにイエス様が頭としておられる。新約の時代は建物ではなく信徒の集まりが教会です。その中心にイエス様がおられる。Ⅱコリント6:16,Ⅰコリント3:16その為に聖さが大事#神の神殿、主の教会がいくら立派な姿を持っていても聖くなければ&御声に従わなければ?


2.終わりのとき、神殿が崩れるとき、どんなしるしがあるのか?
1)先ず、AD70年の為に、マルコ13:5人々の惑わし! 

2)7,8節、世の中が混乱に陥る! 

3)9節、信徒に対する迫害!これは福音の機会になり、聖霊様が乗り越える力を下さる。家族からの迫害もあるが、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。終わりのときは、難しい、苦労と艱難のとき、その為にイエス様は?14節に、山に逃げなさい、この世の未練を捨てなさい、救いだけ考えなさい、祈りなさいと!

#21-27節は、世の最後に対する予言!1)21-23偽メシアが! 

2)24-25宇宙に大変化が! 

3)26-27節に、イエス様の再臨が・世の終わりの時の希望は、ただイエス様!


3.このような希望を持っている人はどう生きればいいでしょう? 33-37気を付けて、めをさましていなさい。
*目を覚ますというのは? 

1)霊的に緊張を緩めないで、いつもイエス様が来られることを覚えて生きる。毎日、非の打ちところがない生活を。

 2)主が任せられた使命をもっと忠実に!ルカ12:42-44 終末信仰は現実回避ではなく、主の栄光の為に、もっとすべてを尽くす時期。その為@忙しい世界。ビジョンと使命がなければこの世に流れてしまう。ビジョンがあるなら・予言の理由

00:00
今日は終末論と再臨信仰について 一緒に考えていきたいと思います。
四旬節は、イエス様の復活の前の40日間を 四旬節と言います。
その中で十字架と復活を深く黙想する時期です。
四旬節で一番大事なのは十字架ということです。
イエス様は十字架は誰でも怖がるようになります。
なぜならローマがローマに反抗できないように 十字架を通して植民地地域を全部脅かせた。
十字架ということを考えたらローマに逮捕したくない。
それほど厳しい処罰が十字架だったんですね。
イエス様も人間なので、イエス様はまことの人間でありまことの神様なので 十字架の前には本当に苦しくなりました。
最近教会学校のメッセージでよく教えてくださるんですね。
ゲッセマネ会に対して、祈りに対しては十字架、先々週ですかね。
教会学校のメッセージをぜひ私たちが参考にして 私には良い勉強になりました。
この怖い十字架の前で十字架を背負う力を 上からいただかなければいけなかった。
上から力をいただくのにはイエス様の ゲッセマネ園での祈りが大事だった。
それほどイエス様は十字架の準備をしっかりされたんですね。
そしてイエス様はまた一つ課題がありました。
イエス様は一番愛しておられるこの弟子たちをどのようにしては残しておいて
イエス様は十字架で亡くなられ そして復活して昇天されるべきなんですけど
弟子たちをどうするか。
ヨハネ十三書一節にはこう書いてあります。
イエスはこの世から父のもとへ移る ご自分の時が来たことを悟り
世にいる弟子たちを愛してこの上なく愛し抜かれた
弟子たちをご自分ができる全てを尽くして愛された
この愛される弟子たちを残したまま イエス様は十字架でこれから大変な苦難の道を歩まなきゃいけないんですね。
この弟子たちをどうすればいいでしょう
皆さんはごめんなさい
もし私が今私の終わりの近づいて もう後ほど私は死ぬと思ったら
私はどうすればいいでしょう
まあ死ぬは死ぬんですけど、愛する もう我が息子、また教会の家族皆さん
どうすればいいでしょう。また私はこれから起こるべき何か秘密
03:01
世の中の秘密を全部知っています
だったら皆さんに何を伝えればいいでしょう
これからこのようなことが起こる あなた準備しておきなさいよ
これ私が行くけどあなたはこの世に残って必ず準備しなきゃいけないよ
言いたいでしょ 今日イエス様はそのような気持ちで弟子たちに2つのことを伝えるんですけど
その中で一つまた来週一つ二つを皆さんに申し上げたいと思います
これは終末と再臨についての信仰です
キリスト教の一番大事な4つの教理があるんですけど
キリスト教の一番大事な教理は創造 堕落
また贖いの救い また再臨ということです
キリスト教は4つの教理によってできているんですけど
まずはじめに創造 堕落 贖いの救い それで再臨
ここで再臨という信仰は信仰すべてをまとめることになるので
再臨信仰があるのかないのかは非常に大事です
しかし以前でもいつでもこの世の中が困難になるなら
偽りの宗教主導者たち また異端がたくさん現れて人々を惑わすんですけど
何をもって惑わすのか 世の終わりだよ 世の終わりだよということをいつも脅かしながら人々を惑わすんです
じゃあこの世の終わりが来ます 終わりが来るんで皆さん持っている財産お金
どんな意味があるんでしょう それ全部神様に捧げなさい
そうするなら神様があなたたちを天国に連れて行くよ 救われるよ
言いながら偽りの宗教主導者たちが人々をたくさん騙していきました
だから終末論を語る人たちは いつも世の中の人々から怪しいと言われるんです
でも私はどうすればいいのか 聖書の言葉
イエス様が言われた終末論と再臨進行について 今日一緒に分かち合いたいと思います
その内容はどこにあるのか 4つの福音書の中で
マタイの24章 マルコの13章 ルカの21章に
この終わりの時についていろいろ教えてくださったことがあります
終わりについてはマタイの24章 マルコの13章 ルカの21章をぜひ参考していただきたいと思います
今日は私はマルコの13章を通して 皆さんに申し上げたいと思います
皆さん 神の神殿が滅ぼされることができますか?
06:04
神様がおられる神殿でしょ? 神の神殿は絶対滅ぼされないと思うじゃありませんか?
神の教会がダメになったらどうしますか? 神の教会がダメになる場合があるんですか?
神の教会がどうなればダメになりますか?
人が来なくなってもう予算が全くない 運営ができない
それから教会がダメになりますか? そんなことありませんよ
神の教会がダメになる理由一つ これは教会が堕落したからダメになる
教会が臭くなったからダメになる 神様の神殿がいつダメになるのか
神殿が堕落するなら 臭くなるならダメになります
皆さん 私たちの教会は今 臭い状態ですか? 神様が見れるので清い状態ですか?
これは私たちがいつも考えなきゃいけないところです
マルコ11章13章にはイエス様は ある一軸の木を呪われました
一軸の木を見たら葉っぱが茂っているので すごいなと思いました
でも行ってみれば実が全くない
葉っぱが茂っているから立派になるんだけど 一軸の実が全くない だからイエス様は呪われました
またイエス様はその間に神殿に入られて
私の父の家を商売の家にするな! 言いながら全部ひっくり返してしまったんですね
じゃあ皆さん なぜその時そのことがあったのか
教会 神殿が腐敗してしまった 臭くなってしまった
ところが もともと問題は何かと言いますと イエス様の弟子たちでした
イエス様の弟子たちは ヘロデ神殿の素晴らしさを見て 素晴らしい素晴らしいと言います
これが問題です 弟子たちは壊滅的な姿を見て
またその時に宗教不足たちのこの立派な服 またこの偽善振り
偽りの信仰 それでもいいし 素晴らしい
壊滅的な姿だけ見て素晴らしいと思ったんですけど
イエス様は何を見ていらっしゃるのか
マルク13章1節2節でこう言います
イエスは神殿の境内を出て行かれる時 弟子の一人が言った
先生 ご覧ください なんと素晴らしい石 なんと素晴らしい建物でしょう
イエスは言われた これらの大きな建物を見ているのか
一つの石もここで崩されずに 他の石の上に残ることはない
09:00
弟子たちは素晴らしい素晴らしいと言うんですけど イエス様はこれが全部滅ぼされると言われています
なぜイエス様はこのような話をされるんですか
外面的な姿は立派です
しかしその中でそれを運営する人 またそこに参加して礼拝する人の心は腐敗しています
そうするなら外面的な立派な姿は 神様に何の意味もないということです
一つの石もここで崩されずに 他の石の上に残ることはない
これは実際AD70年度 ローマのティトスという将軍がエルサレムを墓石にしました
その時噂がありました
エルサレム神殿の壁の大きな石の中には宝物が隠されている
だからこの壁を全部取り壊して 宝物を探したのになかったということですね
今残っているのはこの西の方にある嘆きの壁 それだけ残しておいて
今歴史をいろいろ物語りをしているところなんです
じゃあなぜエルサレム神殿 ヘルデルの神殿
長い長い立派に作られた神殿がダメになったのか 滅ぼされたのか
それはそれを運営する またそこに参加する人々の心が臭くなってしまったということです
弟子たちは表を見ています イエス様は心を見ています
イエス様は神殿の中で 権威的 偽善的 不正 腐敗
自分の栄光ばかり見ている宗教人たちの 自己中心的な腐敗を見てきました
また民の形式的な信仰 御利悪信仰 不信仰を見ていました
また神殿で商売している人々の 無茶ぶりを見ていました
神様が一番大事に思っているのは表ではありません 心の真実さということです
神様の前で真面目に自分の罪を悔い改め 神の御言葉に真面目に従うこと
これ以上大事なことはありません その悔い改め神の前で神様に従おうとする心がなければ
いくら華麗な立派な信仰生活をするんだとしても 神様はそのことを全部滅ぼしてしまいます
ここで皆さん 神殿がどのように変わってきたのか これを一度考えてみれば非常に大事なことがあります
神殿の一番初めは神様は猛聖に命じられた 猛聖の聖幕ということがありました
12:05
この猛聖の聖幕がイスラエルに入ったら イスラエルでダビデの幕屋を建てて
そこで神の契約の箱を建てされて そこに礼拝を捧げました
そこまでは良かったかもしれません それからソロモンが立派な立派なソロモンの神殿を作りました
それで滅ぼされてバーベルの捕虜になって バーベルの頃に戻ってきて ゼルパベルという人が神殿を建てました
それを旧約聖書の終わりの頃 このゼルパベル神殿を少し加えて
ヘロデが立派な立派な神殿を作りました これはイエルサレム神殿という
そこまでは旧約聖書で神殿が主に 界面的に立派な姿を持って人々を呼び集め
そこで神様に生贄を捧げながら 神に礼拝する場所として主に使いました
これが旧約聖書にきたら何が神殿だかと言いますと イエス様はヨハネ2章19節に悔いがありました
この神殿を壊してみろ 三日目に建て直すからと言います
それはイエス様のご自分の体が 三日目に建て直されることを意味しました
イエス様は十字架と復活を通して神様に進めていく 神様に出ていく道を開いてくださった
イエス様の体を通して神様の前に進み出ていく道を開いてくださったから これからは神殿の建物を通して神様に出ていくんじゃなくて
イエスキリストの体を通して神様の御名に進み出ていく道が開かれました
ですから主約聖書では主約時代ではイエス様の体が神殿なんです
イエス様の体 神殿 これは建物ではありません
イエス様はこう言われているでしょう
2人また3人が私の名によって集まるところに私がそこにいる
だから主約聖書は建物が神殿だったんです 教会だったんですけど
主約聖書は私たちが集まっているこの集まりが 神殿であり教会であります
だから今から主約時代から私たちの考えを変えなければいけません
神徒たちの集まりが教会なんで そこにイエス様がおられ そこに礼拝を捧げ そこに神様に出会う場所になりました
建物とは全く関係ない ですからシト・パウロが第2コリッド6章16節
私たちは生ける神の神殿です
15:00
第1コリッド3章16節にはあなた方は自分が神の神殿であり
神の霊が自分たちの家に住んでいることを知らないのですか?と言う
ここで大事なのは神の神殿 教会がいくら華麗で立派な開明的な姿を持てたとしても
清くなければ神様はこれを滅ぼしてしまいます
まだ主約時代の神殿は建物ではなく 神徒たちの集まりです
でもこの神徒たちの集まりが 清くなければいけません
皆さん清さということは区別です 世の中の人々は自分勝手に生活します
しかし教会の人はどう生活しますか? 神の御言葉に従って生活します
神様に礼拝を捧げて神様の御前で正しい人生を過ごすこと これが清さです
教会が清さがなければ教会はためになります
でも私たちは神様の前に出て祈って 神様から祝福を頂くこればかり考えるんですけど
教会が清くなければ意味がないということを知ってますか? 考えてますか?
じゃあ教会は清さが命です これから大事に思っていきましょう
牧師もメッセージの前に出て行きにくい改めて 清さを持って礼拝します
皆さん牧師が背広を着て立派な顔も着てそれで礼拝するんだって これ清い礼拝ですか?
清さと関係ありません 牧師自身が神の前に1週間どのような生活をしたのか
これが神の前で私が裁かれるか裁かれないか そのメッセージが神の前に通じるか通じないかと
関係があります 清さは思っての姿ではありません
清さは心です 神の前で認められるものなのか それじゃないのかそれが大事なんです
当時の宗教仏陀たち 私はイエルサレム神殿の全ては神様が許されないほど堕落していたから
神様がローマを通して神殿を滅ぼしてしまった だから私たちも気をつけなければいけないんだぜひ覚えてください
イエス様が神殿が滅ぼされる時どんな印があったのかを教えてください
ここは簡単に申し上げたいと思います 神殿が滅ぼされる時期は本当に困難な時期です
世の中が一番難しい時期です その時期にはマルコ13章5節には人々からの惑わしがあると言います
イエスは話し始められた 人に惑わされないように気をつけなさい
18:00
大勢の人々が来て 私がキリストだ私がイエスだと言いながらあなたたち言うであろう
また終わりの時には偽りがたくさん惑わしします それである人が来て聞いてください
ここの集会は素晴らしいよ奇跡もあるし色々たものあるよ 騙されないでくださいということです
なぜなら偽りの預言者たちまた今私たちの命を狙っている人は 何か奇跡不思議なものを見せてあげて人を騙そうとします
この時に神の御言葉の真理 しっかりした御言葉に立っていない人は全部騙されていくでしょう
ああある先生有名な先生ああそこに行こう このように人々に振り回されてあっちこっちあっちこっちと言ったら皆さんの命はなくなります
ぜひここで気をつけなさい 昔でも今でも
人から騙されることがたくさんあります 神殿の中には人が臭くなってしまって
神殿の外には惑わしがあってそれですべて人によって騙されるんだということを ぜひ覚えてください
2番目に世の中が困難に陥ると マルコ13章7節8節戦争の騒ぎ戦争の噂を聞いても慌ててはいらない
また8節に国民が谷見に国は国に撤退して立ち上がり 方々に地震基金が起こりいろいろな混乱がある
世の中が大騒ぎにしている でも気をつけなさい神様が生きておられる
また9節からはキリスト社たちが迫害されると言います イエス様の十字架の後初代業界はものすごい迫害がありました
イエルサレムにいる信徒たちは全部イエルサレムから出ていかなきゃいけないほど迫害がありました
しかし迫害によって散らされるとき それを通して神様は福音を述べ伝えるチャンスとして使えたんですね
ですからいろんな困難迫害が来るとき心配するな 聖霊様についていきなさい
だったら聖霊様が迫害を通して福音を全世界に述べせるチャンスとして用いられるだろうと言います
とにかく終わりの時期は苦しみの時期 困難の時期です その時弟子たちは何をすればいいですか
世の中の流れ 一人の人間として耐えられないことがたくさんあります
その時私たちは祈らなければいけない
21節から27節はエルサレムの滅亡予言を通して 最後にある人類の終わりについて予言してくれます
21:00
その時の印も同じです 終わりが近づいたら21節23節には偽メシアと偽予言者がたくさん現れて
奇跡や不思議な技を行って できれば選ばれた人たちをも
ためにしようと 惑おそうとする
だから皆さん信仰を持っているということで油断してはいけません
もういったん1割の予言者 このサタンの働きは信じる人を惑おそうとする
信じる人を地獄に連れて行こうとするから
だから私たちは真理に立って いつもイエス様にくっついていかなきゃいけません
また終わりの時の本当に大事な特徴は 宇宙に大変化が起こる
私も聖書を読みながら こんな時期が来るかなぁと私は思うんですけど
じゃあ読んでみましょう 24節にこう言います
太陽が暗くなり 今太陽の光で全部生きているのに
太陽が光を放つことはできなくやる
また月が光を放さず 星が空から落ちる
天体が揺れ動かされる
最後に全宇宙に大変な激変が起こるということです
いつ起こるか 本当にその時があるか
今これからずっと見てみましょうね
このようなことが宇宙に大変化が起こるその時 24節に見ますと
その時人の子が大いなる力と栄光を帯びて 雲に乗ってくるのを人々は見るであろう
その時人の子は天主たちを使わし 地の果てから天の果てにまで
彼によって選ばれた人たちを 主王から呼び集める
全部呼び集めて それで羊とヤギを不別しておいて
そこで最後の裁きが行われる
その時がいつ来るかな その時が本当に来るかな
いろいろ皆さん考えられるかもしれないけど 聖書に書いてあります
神の御言葉は一点一角も 全部最後に成し遂げられる
これを信じる人たちはこれからいろいろなことを 見ていながら気をつけなければなりません
歴史の始まりがあったら 歴史の終わりがあるのは決まっているでしょう
人類の歴史の始まりは 神様の天地創造から始まったんですけど
人類の歴史の終わりは イエス様の再臨から始まります
それで最後の時の裁きを通して 天国地獄を分けられます
その時 人類の歴史は終わりですけど
そこで 未信者たちは恥辱の日です 恥を受ける日です
24:02
また裁きによって滅亡される日ですけど
信じる人たちにはその日が救いの日であり 栄光を受けられる日になります
イエス・キリストは忠実化と復活を通して
サタンの勢力 死の勢力を滅したから
ご自分を信じてついてくる人たちには 永遠の命を与えることができます
ですからこのイエス様だけが 人類の最後の希望になります
私たちには希望がなければいけません
ですからみんなが自分なりの希望を持っています
なぜ頑張りますか これを成し遂げたい
なぜ頑張りますか このようなことを実現していきたい
みんな一つ一つ希望を持っているでしょう
しかし最後の時に自分が今まで考えて 一番大事だと思っているこの希望が
全く無意味だ 虚しいことだと判別されれば
その時皆さんの挫折はどれほど大きいでしょう
ですから私たちがこれを信じて これを求めていく希望を持つことが大事ですけど
この希望は死んだ後も永遠に私たちに与えられるべき 正しい希望じゃなければいけません
この希望は何か イエス・キリストなんです
このイエス・キリストは私たちの罪のために 十字架で死んでくださり
また私たちを天国王に受け入れるために イエス様が最後に私たちのところに再臨されるお方です
だからイエス様だけが私の救い主であり 私を最後に天国に入れてくださり
裁きの時から私たちを救ってくださる 誠の希望になります
だから私たちはイエス・キリストだけを 自分の最後の最後までついていく くっついていくべきだと思います
イエス様は絶対私たちを 失望させたりすることはありません
ではイエス・キリストに希望を持っている人として 私たちは最後の時をどのように過ごさなきゃいけないのか
マルコ13章28節29節は 一軸の木の盾を見なさい
一軸の木の盾を通して今の世の中の時代の流れを読みながら 今がどんな時期かを悟りなさいということです
29節 それと同じようにあなた方はこれらのことは起こることを見たら 人の子が戸口まで近づいていることを悟りなさい
事実イエス様の再臨は誰もわかりません
その日その時は天使たちも知らない イエス様も知らない 父なる神様だけ知っておられます
ですから私たちは終わりがいつ来るかいつ来るか それを速談することをやめて
27:05
終わりの印が現れ始めたら じゃあこれから気をつけて 目を覚まして目を覚ましていきましょうということですね
この聖書33節から37節までは 気をつけて目を覚ましていなさいということを4回も繰り返し教えてください
では目を覚ましていきなさいということはどんな意味ですか これから寝ることをやめなさいということの意味ですか
寝なければ次の日働くこともできない何もできなくなるでしょう じゃあここで目を覚ましていきなさいという意味は
礼儀的な緊張感 いつ終わりが来るかわからないからいつも礼儀的な緊張感を持ってそうしなさい
油断してはいけない じゃあ皆さんイエス様いつ再び来られるか
それいつも気にしている いつも考えてすべてを行う
これが大事なんです 一日一日死の前で
恥ずかしいことがないように 後悔することがないように
本当にいろいろ恥ずかしいことがありますね 後悔することもたくさんありますね
考えてみたら罪ばっかりじゃありませんか 早く悔やるため早く悔やるため神様の前でいろいろ問題
罪が神と私を下手で神様の手が私を救うこと 私がいくら叫んでも神様の耳に聞こえる
このことができないように罪が妨げをするから 神様と私の間で罪を全部これを悔い改めてこれをなくす
神の前で正しいことばっかり行う毎日毎日 これが礼儀的な緊張感なんです
これを毎日やっていきましょう 今日もしかしたらイエス様が来られるかもしれない
それで注意して注意して神様の前で慎んで毎日過ごす これを目を覚ましていなさい
もう一つは 主が私たちに任せられた使命を私たちが忠実に行いなさってくれ
私はルカの12章42節から44節 これは大事に思っています
主は言われた主人が召使い立ちの上に立ってて 時間通りに食べ物を分配させることをした忠実で賢い管理人は一体誰であろうか
主人が帰ってきた時言われた通りにしていることを見られる下人は幸いである
確かに言っておくが主人は彼に全財産を管理させるのに誓いない
皆さん終わりの週末信仰ということは いやもう現実はもうダメだ
30:02
だから現実を逃避する それが週末信仰ではありません
また世の中には腐っているから適当に過ごそう 何とか自分の信仰だけ守ろう
このような初極的な信仰生活ではありません 終わりの時の信仰生活は積極的に自分に与えた使命を担う人です
これから見てますと私は本当に褒めたい人たちがいます 教会学校の教師たち
私たちの教会は小さいから 私たちの教会がやるべき働きがあまり少ないんです
しかし今一番働きを力を入れているのは 教会学校の子どもを育てることです
先生たちが毎週毎週油注ぎを祈りながら メッセージを準備してメッセージするんですけど
事実は皆さん 私が毎週子ども学校のメッセージを聞いて それで私が恵まれて力を受けています
教師たちを通して力を受けている牧師 私はできれば皆さん
教会学校の時間に合わせて教会に来られて 教会学校先生たちのメッセージをみんな聞きましょう
それがもっと恵みがあるから もっと素晴らしいから これを聞いて牧師のメッセージを聞いて
2つのメッセージで1週間の力をつける 教会学校の先生だけ褒めてごめんなさい
大事なのはおのおのご自分が持っている 神様が与えてくださった才能があります
タラントがあります これを生かしていくことです
私の才能は教えることだとしたら教師をやる 私の才能は使えることだとしたら法師の役目
また私の才能は他のことにあったとしたら それを通してご自分の才能タラントをうまく生かしてください
結局これを通して神に使える 人に使えることでしょう
第一の今使命 第二の今使命
最後の最後に私が持っている全てのタラントを生かして 神様に使える礼拝 人々に使える使命
これをうまくまとしていく このような生活をもっともっと積極的にすること
皆さん私たちの人生100年としたらこれはすごく長いように見えるんですけど 考えてみたらあまり長いことではありません
私たちの人生よく考えてみてください 生まれてから20歳までは勉強です
勉強で忙しい精一杯頑張ります 20歳から40歳まではまず職業を持って
まず結婚してそれで子供を産んで安定的な生活するのに精一杯頑張っています
また40代から50歳60歳までは子供たちを支えるのに もう面倒見るのに精一杯頑張ります
33:06
忙しい忙しい 子供たちが何人出てくるか 一人一人一人大変になります
それで70歳になったら体のいろいろ不具合があって 病気病気病気病院病院病院ばかり苦労しながら
それでこの世から去っていきます 皆さん人生長いと思っても20歳までは勉強するのに
40歳までは仕事 あと子供
また50歳60歳までは面倒を見ることで精一杯 70歳まではみんな健康ボロボロで
それで煩いながら結局去っていきます 人生短いし人生疲れます
その忙しいこの人生の中で 皆さん一番大事なのは何かと言いますと
私たちはこの忙しい生活をしながら神様の前に行って あなた人生何を知ったのか
私忙しかったですよ 仕事 子供 これしかできませんでした
皆さんこれは生活して帰ってきたのかと思うでしょう
ここで大事なのは神様からいただいたビジョン 神様からいただいた使命なんです
忙しい中で私は使命があるよ 忙しい中で私がやるべきことがあるよ
礼拝使命だよ これしっかり覚えて忙しくても礼拝参加する
忙しいでも少し時間を準備して子供を教えたり 信徒たちに伝えたり
いろいろ訪問したり面倒見たり このことを忙しい中で少し少しの時間を準備しながらそれを行う
それが皆さん 最後に見てみますとある人は神の前で
生活ばかりして帰ってきましたと言うかもしれないけど 私はこの忙しい中でも私がやるべき第一の今しめ
第二の今しめ 全然違う人生になります
だからビジョンがあるのか使命があるのか 神様から言われた自分の使命を自分が派遣したのか
これが大事 私も20歳30歳まで私は精一杯もう会社で社長になろうと私夢でした
精一杯頑張りました その中で私は選挙団体から私の使命を派遣しました
ああ私はこうするために生まれたんだなと思って それから私はこの牧師の道を歩みました
私は神様の前に行ってあなたは何をしてたのか 遅くなりましたが私は牧師の使命して教会になんとかやろうと頑張りましたが
神様が言う あなたの能力は中にないんだけどあなたよく頑張ったなと言われるかもしれない
私には希望がそれしかありません その時イエスさんが私を助けてくださるでしょう
36:04
でもこのヤツ頑張りましたよ神様と言われるでしょう 私の希望は何か最後の時主はよくやった
私の小さな忠実な下辺よくやった 私の希望はそれしかありません
お前世の中食べて生きるためにいたのか 私があなたに頼んだことはどうなったのか言われるじゃありませんか
皆さん大事なのはイエス様はなぜ最後の最後の時に弟子たちに終末があるよ 私が再び来るよこれを教えてくださったのでしょうか
世の中は忙しいんだ食べて生きるために忙しいんだ しかし覚えなさいあなたには使命がある
あなたにはやるべきことがある 第一いましめ第二いましめが大事だと覚えなさい
いくら忙しい生活の中でもこれは忘れてはいけないよ イエス様それを教えてくださいそれをしっかり受け止めた人は
世の中忙しい忙しい中でも 私がやるべき使命私がやるべき神様に使えること
それが最後に見ていますと ただ生活した人と使命を分かってから最後まで頑張った人はもう大きな差がある
その通り裁かれるでしょう イエス様の願いは
最後の最後私が再び来る時に何もしませんでした 世の中のんびりしましたうまく食べていきました
そんなことをやめて 私は私に与えられた使命をやりました
と言われる人になってほしいということは イエス様の最後の時の弟子たちに残してくださった
終末論再び来られるという 再臨進行ではないかとイエス様のこの最後の愛する弟子たちに頼まれたこと
私たちも心にちょっと肝に銘じて これからの私たちの人生の最後までそれを頑張ってやっていきましょう
忙しいからできませんでした 忙しくても最優先的にやるべきことはあるんだということ
それがキリスト社の違いです 世の中の人とキリスト社の違いは私はやるべきことがある
私はそれを最優先的に行う ぜひともイエス様の最後の終末論と再臨進行の大事さをぜひ覚えていきましょう
お祈りいたします 主よイエス様は今日メッセージを通して
39:04
惑わされないようにと言われました 私たちは人の話に騙されない
界面的な姿だけ見て判断すること それを騙されないように気をつけていきましょう
また目を覚まして祈りなさいと言います それはイエス様がいつ来られても私は準備できています
またイエス様を任せられた使命を私は全うしてきました とそのことができるようにイエス様は願っておられます
100年人生本当に短い人生ですけどその中で大事なことは何なのか その中で私たちが必ず掴むべき希望は何なのか教えてくださってありがとうございます
いくら忙しい世の中だとしても私たちに教えてくださった そのことをしっかり
祈って守ってイエス様から褒められる私たちにならせてください 私たちの誠の希望はイエスキリストだけだということをぜひ皆さんに神様
示してくださり悟らせてくださり照らしてください イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン
40:20

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