まず私たちが何をするのではなく 神様は信じることを願っています。
今までの6章28節29節 そこで彼らが神の業を行うためには何をしたら良いでしょうかというと
イエスは答えて言われた 神がお使わしになったものを信じること
それが神の技であろうと言います 私たちは何かやろうとします
しかし神様は信じなさいと言います 私たちはやろうとするのに神様は信じなさいと言います
私たちの考えと神様のお考えはだいぶ違いますね
じゃあこの神様はどんなお方なのか 私たちは神様をどのように信じればいいのか
そのために今日読んでくださった支援の100弁 1節から5節なんですけどそれは本当に役に立ちます
じゃあ支援の100弁の3節に司令 主こそ神
主が私たちを作られた 私たちは主のもの
主の民 その牧場の羊と言います
じゃあここで私たちは神様は私たちを作られたお方
神様は私を作ったとしたら私は神のものです これは非常に大事です
神様は主権を持っています ご自分のままに思うままに行うことができるお方です
全世界を作られたから創造主です 初めに何かされるまた最後に何か締め切れる
そのことも全部神様がなさい 私たちの人生
生きるか死ぬか 災い祝福を全部コントロールされる主観される方が神様です
何より神様は私たちを作られたんです ですから私たちは神のものなんです
私たちを作られたから私たちを一番よく知っておられます ですから私たちがうまくできるように神様はたくさん私たちに語られます
教えられます だから人生を一番うまく生きる方法は神様が教える通り
言われる通りその通り従って生きることです しかし人間は自由意志があるので
なかなか神様が言われた通り生きるよりは 自分が願っていると生きることを希望しています
1年振り返ってみますと 私たちは神の御声を聞くこともなかなかなかったし
私たちの思いのまま過ごしているんじゃないかと思います その時神様は待ってくださいます
またもう一度チャンスを与えてくださいます それを考えると感謝ですね
主見を持っている創造主が 私を待ってくださる
神の御声を聞いて従うまで待ってくださる これが
大きな恵みではないかと思います また神様は私たちの救い主になります
ローマ書5章8節に しかし私たちがまた罪人であったとき
キリストが私たちのために死んでくださったことにより 神は私たちに対する愛を示されたということです
私たちはいつも罪を犯したり過ちをしたり それによって悪魔に取られて悪魔の家来のように過ごしたことだけなのに
神様は私たちが神様のものだと思って 私たちを救うためにこの世に来てくださり
十字架を背負いながら私たちを救ってくださる 贖ってくださいました
今もたくさんの罪を犯しているんですけど 神様のものだからご自分のものだから
私たちに続けて恵みを与えてくださる これが感謝です
1年振り返ってみますと私は罪過ちしかないのに 神様が限りない愛と恵みを与えてくださいました
感謝です また神様は私たちの羊飼いと言います
私たちは神様の羊です タビデがよく言われました支援の23編の一節
主は羊飼い私には何も欠けることがない 今年神様は私たちの良い羊飼いとして私たちをいい道
良いことができるように導いてくださいました しかし私たちは羊のように不従順して思いのまま
あちこち勝手に歩んできました ところが神様は最後まで
帰り見てくださり保護してくださいました 1年間考えてみますといろいろ事故の危険性
いろいろ危ないところがたくさんありましたけど 不思議に神様が守ってくださいました
神様のおかげで1年間大きな事故なしで過ごすことができて本当に感謝します
もう天道さんと私はいつも皆さんのいろいろなお話を聞きます もう祈らなきゃと思ってまたいろいろなこと
ああなんかこんなことなってはいけないのにといういろいろあります 私は息子を抱えているので息子もいろいろ難しい時期がありましたね
そのことも一緒に祈るとき神様がよく私たちを導いてくださったことを感謝します また神様は絶対善です
私たちの父母は私たちに無限の愛を施してくださいます
私は今父と母がいないから今すごく寂しいんですけど 父母
父母といったらもういつも私たちのために愛を示してくださったこと 限りない愛これが親の愛ではないかと思います
同じように神様も私たちにいつも愛を与えてくださり いつもいいことばっかり与えてくださいます
ローマ書8章28節 神を愛する者たちつまり
御計画に従って召された者たちには万事が益となるように共に働くということを私たちは 知っています
数多くの罪過ちを犯したんですけどこの罪過ちをきっかけとして 私たちに大きな悟りを与えてください
もっともっと成熟できるように主がすべての過ちすべて悪いこと 罪それを良い方法で導いてくださって私たちを成長させてくださいました
本当に本当にありがとうございます 神様は相乗主
私たちは神のもの だから神様を守ってください
私たちを救ってくださった救い主 また私たちの良い羊飼い
その種に委ねて今年1年を過ごすことができて本当に感謝します 弱くて倒れたりいろいろ難しいことがあったり
本当に私たち難しいことたくさんありました しかし
限りがない恵みを私たちに与えてください 罪を犯して次にごめんなさいと言って助けてくださいと言ったら
もうすぐすぐ私たちに助けの手を伸ばしてくださる神様 絶対善の神様
この神様が私たちとまた教会を守ってくださいました 主の慈しみ深い主の誠実さ
これからも永遠に私たちを守ってくださると信じます アメン
また神様が願っておられるのは私たちが変わることです 第2コニト5章15節にイエス様はすべての人のために死んでくださった
その目的は生きている人たちがもはや自分自身のために生きるのではなく
自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることです
イエス様が十字架で死んでくださった理由は 私たちが自分のわがままに生きるんじゃなくて
これからイエス様のためにイエス様に見習って生きることを願って そのものすごい大きな代価を支払ってくださったんです
じゃあこれからは今のままに過ごすのではなく 神様のために生きるということです
その私たちの生活が変わらなければ神様との交わりができないんです だから私たちが変わって神との交わりをしながら
神様のすべての祝福をいただくことを願ってイエス様が私たちの代わりに死んでくださったんです
では私たちが変わらなきゃいけないんですけど どのように変わればいいでしょう
そのために十字架の福音を私たちは学びました 今までは自己中心的に
自分のために生きました これからは自分のために生きるんじゃなくて
神様のために生きるこのことを教えてください なぜこれが大事なのか
聖書が第一の忌ましめ 第二の忌ましめと言われるのは神を愛しなさい 隣人を愛しなさい
神を愛するなら神の祝福を全部いただきます 隣人を愛するなら隣人が私の一番力ある協力者になります
神を愛する神様のすべて 隣人を愛するすべての人が私の友達力になります
だから神を愛し隣人を愛していきなさいと言うのに 私たちは自分だけ愛します
自己中心的に だから神の愛もいただくことはできない 周りの人たちの助けもいただくことはできない
こんなに人生難しいよと言われます だから変わりなさい 自己中心はバカなことだ
神中心 隣人をために生きる その人になったらあなたは幸せになる 必ず成功する これが聖書の教えでしょう
また今までこの世の価値観を持って 自分の思うままに過ごしました
偶像も拝んだり自分の欲望に従って生きたんですけど これからはこの世の価値観ではなく
聖書的な価値観 精霊に従っていきなさい
なぜそれが大事ですか 精霊に従って生きる時 神様が使うことができるんです
自分勝手に生きる人は神様が使うことができません 神様が使うその時 私たちは大きな見合わせができるし
神様から報いをいただくことができるんじゃありませんか だから世の中の価値観じゃなくて神様に従っていきなさいということです
これからまた生活人 うまく食べて生きるために生きるんじゃなくて
使命人になります 何か神様がくださったビジョンと何か使命を持ってそれを成し遂げながら
自分の生き甲斐があるしこの世界にも貢献できるし 神様の喜びになる人生を過ごしなさい
しかしそれは嫌だ 私は私が食べて生きることばかりそればかりやろうとする
また考えとしては様々な 貪り 罪を犯しながら
考えを守らなきゃいけません これからは神様が喜ぶ考え 神様愛する考えそればかりするなら
この考えが清いから神様がよく祝福してくださるんです また一つ大事なのはこの世の100年が全部だと思って
この世だけ考えて生きること これはやめなさい この世は100年ですけどこの後天国地獄が待っているよ
この世の100年は目標が天国に行く準備する時間なのに あなたはこの100年をどのように生きているのか
天国に行く準備しているのか これを聞いているんです
この世の100年が全部だと思ったら この100年だけうまく食べて生きるためこの世の中で出世して成功しようと頑張るでしょう
それが100年後にあることをわからなくて愚かなことです 人たちはどう生きたんですか
この世は旅人 この世はカリスマへと言いました 自分のふるさとは
天の御国だと 神の国だと 私は神の国が目標だと思って過ごしました
このように今私たちの目標 私たちの人生の今何を目指しているのか それが戦勝的に
神様が願っておられるのに変わること そうする時まことに神の子供になり
天国の市民になり 神様が持ち入れる 祝福される人になるんです
このように私たちの人生の目的 方向 また生きる方法を変えてくださるために
イエス様は十字架を背負って 聖霊様を送ってくださいました
私たちが何より学ぶべきことは 神様の観点だと思います
マルコ13章1節2節にこのような記事があります イエス様と弟子たちがイエルサレムに登りました
カリラヤの田舎の漁師たちがイエルサレムに行ったら イエルサレムはこんなところか
そこでヘロデ神殿を見たんです どれほど華麗なのか
弟子たちが素晴らしい素晴らしい イエス様見てくださいこの華麗な素晴らしい神殿ではありませんか
驚くほどでしょう うわぁうわぁと言います
弟子たちは神殿の表だけ 海面的な姿だけを見ました
ところがイエス様は何を見ているんですか イエス様は回転的な姿じゃなくて心の中心を見ております
人は海面的な姿を見るけど神は心によって見ると言います イエス様は何と言うんですか
神殿を運営している宗教主導者たちの罪と貪り 神殿に出入りしている民たちの心の中心を見ました
神様には関心がない 自己中心であり
ご利益信仰であり 儀式的形式的習慣的に信仰生活している彼らをイエス様は見ました
弟子たちは素晴らしい素晴らしいというのにイエス様は何と言われるんですか この大きな建物を見ているのか
一つの石もここで崩さずに 他の石の上に残るものはない
すなわちこの神殿は滅ぼされる
みんなが素晴らしい素晴らしいと言っているのにイエス様はこの神殿は滅ぼされると言いました
そのお話し通り AD初期70年 エルサネム神殿はローマによって完全破壊されてしまいました
なぜこのような話を申し上げるのか
最後の時一番大事なのは分別力です 霊的な分別力
騙されたらいけません 私たちはなぜ騙されますか
外面的な姿ばかり見るんです すべて今韓国はもうなんですか
生計大国と言います
恥ずかしい言葉です 神は心を見ているのに人は表ばかり
これ全部間違いな人生を過ごしていることです どうして私たちは心を見ることができないのでしょうか
信仰は心なのに表ばかり見て表によって人が良い悪い
表ばかり見て良いところ悪いところ そのような判断それが間違える一番騙される一番の問題なんです
私たちは心を見ましょう 本質を見ましょう中身を見ましょう
それじゃなければ最後に私の信仰は誰に引っ張られてどこに行くのかわからなくて迷いながら
結局広い道に行きます 狭い門から入って細い道に行く人は本質を見るんです
心中心を見るんです そこは広いけど大勢いるがいるけど別の道だ
この道は行く人がいないけどこの道は命の道だ 分別がなければ別の道に行って安心して
だから最後の時はみんなためになっていく可能性がたくさんあるんです
私たちは神様の観点をもらいましょう 神様の目線をもらいましょう
そして神様のようにイエス様のように行きましょう これは聖書を教えてくださることではないでしょうか
この観点から見てますと今年私はどうだったんでしょうか 主はいつも言われます私を愛する人たち私の子供たち
私に来なさい近づいてきなさい 神様に近づいていくことは何ですか
私自身が変わることです 変わらなければそれは近づくことはできません
近づくことはできないのに近づこうと頑張ります 私が変わらなければ近づこうとしてもできません
だから神様を信じることまた神様の願う通り 私たちが変わっていくこと
その時私たちは神の近づく神様の属性と私たちは属性が同じになれば近づくようになるでしょう
もっともっと神に近づいていきたいと思います そうしたらある人がこう言うかもしれません
いつも信仰ばかりいつも変わりましょうというばかりで神様の御業はいつやりますか
イエス様はこう言われます誰も新しい葡萄酒を古い顔袋に入れたりしない 新しい葡萄酒は新しい顔袋に入れるものだ
私たちが神を信じる また神中心的な価値観を持つなら
それが新しい顔袋になることです そうするなら神様は私たちに聖霊を送ってください
その聖霊様が神の働きを全部出せるんです 私たちがやることではありません