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2024-03-10 36:42

「救いと豊饒を与える為、来られたイエス様」2024年3月10日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2024年3月10日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch/
(聖書)Ⅱコリント8:9あなたがたは、わたしたちの主イエス キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。 ヨハネ6:26‐27イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。27. 朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」

メッセージ題「救いと豊饒を与える為、来られたイエス様」

*四旬節の時期を過ごしています。イースター前の40日間、心の準備を。特にキリストの受難を
*イエス様が来られて十字架を背負った理由?初めは人類の救いです。罪と過ちによって、苦しんで過ごし、死んでからは地獄に行くしかない人類を救う為にイエス様が十字架で贖いの死を
*イエス様が来られたのは、また大きな意味が!貧困からの救い、豊饒を与える為。どうすれば?

1.神様の天地創造を思えていますか? 創世記1.2章!
*創世記1,2章は本当に素晴らしかったです。特に人間の為に備えられたエデンの園は?創世記2:9足りないことが無い、完全な満足のところ!しかし罪によって神様から離れると?すべてがなくなりました。ここで、創世記2:17食べると必ず死んでしまう? 御言葉の意味!欠乏と死が・・
罪の呪い、創世記3:17₋19虚しい人生、なぜ生まれ、なぜ過ごしているのか!呪いしかない人生
人間がどうすれば、エデンの園を回復できるか?熱心に努力すれば?人間として方法がありません
#人間を憐れんで下さった神様、回復の為イエス・キリストを。ヨハネ3:16,10:10どうすれば得られる

2.見せて下さった事例の中で2つを…ここで回復の方法を見つかることができます様に!
1)ヨハネ5章、ベトザタの池、38年の病者を癒されたイエス様! ベトザタは慈悲、愛の意味。しかしそこは世の中で一番残忍なところだった。人々が看病をしながら最後に捨てるところ。神の慈悲を待ちながら・・・そこで唯一の希望は?天使が降るとき池の水が動くが、一番先に入る一人だけは病が癒されるという伝説が。本当にあるかないか知らない伝説に希望を持ち待ち続けるところ・・・聖書はこれがこの世の姿であると! *世の人々はそこにすべてをかけていきますが、イエス様はどのように癒されるのか?5:6‐8御言葉によって!御言葉に従うとき?不思議な力が与えられ#これを通してイエス様は真理で命であることを!方法は?御言葉を聞いて従うことによって・・・
2)ヨハネ6章、荒野で5千人を食べさせたイエス様! イエス様は行くところところ、大勢の人が、教えを頂く為、病気を癒される為・・・人が多いので自分の順番は?何日間も食べないで?食べさせたいと思われ、弟子に質問、ヨハネ6:5どこでパンを買えば?5千人を食べさせるパンはどこから?旧約時代荒野のイスラエル民200万人、どこからマンナとウズラが? <‐神様から!PLO で得られる

3.そうしたら、問題が生じました。 ヨハネ6:14,15
*イエス様を求めるが?食べて生きる目的で・・・完全なご利益の信仰を?そこでイエス様は・・・ ヨハネ6:27これからは何を食べるか心配しないで、生活人ではなく・・・使命人としていきなさいと!
*食べさせて下さったイエス様を知るなら、これからは・・・大宣教命令に従って!荒野の訓練の目的が申命記8:16,18すべてを与えることができる神様を信じるなら?神の使命に専念できる
*覚えるべきこと!福音が入るところには、どこでも女性たちが鎖から自由になり、豊かな国に! @人間の罪によってエデンの園は隠されているが、それはイエス様の内に!どう得られるか?P L O

サマリー

イエス様は、私たちの救いと豊かさを与えるために来られています。歌を通してメッセージを共有し、救いと豊かさについて説明されます。38年間苦労していた人がイエス様に助けを求め、御言葉によって癒されます。問題はイエス様の御声に従うことで解決されることが伝えられています。この世は100年間続きますが、天国と地獄は永遠です。主のために生きることで、最高の人生を送ることができます。

イエス様の救いの働き
今日は、「救いと豊かさを与えてくださる為に来られたイエス様」という歌いをもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
私たちは今、四巡節の時期を過ごしています。 四巡節はイースターの前の40日間の期間を意味します。
その間、心と体を清めて、そして特にイエス様の十字架、
中南を深く考えながら、救済、また経験な生活、それをもっともっと深く実践して励むこの時期であります。
中南節のメッセージといえば、経験な生活を主題としてメッセージをするべきですけど、
今日私は少し異なる、違うメッセージを申し上げたいと思います。
イエス様が私たちに行ってくださった十字架と復活を通して成し遂げてくださったことがたくさんあります。
その素晴らしいこと、私たちのためにしてくださったこと、それを
受難所だということで言えなければいけないんじゃないかと思って、私はその中からテーマを選びました。
イエス様が来られたのは、十字架を背負って、
そして私たちの人類の救い、これがイエス様の一番大事な教跡であり、
私たちが覚えて実践するべきことであります。
罪と過ちによって死んでいた。
その意味は、罪と過ちによって生きている間苦しみを受けて過ごし、
死んでからは地獄に行くしかない人類のために、
神様は一人一人イエス・キリストを送ってくださって、
十字架で罪、十字架で罪、過ちを全部自分の血によって代謝を支払ってくださり、
救いの道を開いてくださった。
これほど人類に光はありません。
もう地獄に行く私たちが、天国に行く道が見えた。
光が照らされた。
命が与えられる、永遠な命が与えられる、この素晴らしいイエス・キリストの働き、
これはもう感謝するべきことであり、
このイエス・キリストによって与えられたことは、自分のものにしっかり保って、
永遠に永遠に保ち続けるべきことでしょう。
これが一番素晴らしいことです。
ところが、これだけではありません。イエス様が成し遂げてくださった、たくさんありますけど、
今日はその以外にもう一つ皆さんと分かち合いたいと思います。
イエス様の豊饒の使命
これは貧困からの救い。
豊かさを与えるためにイエス様が来られたということです。
今日読んでくださった第二コリント8章9節には、
イエス様は豊かなお方である。
全世界がご自分のものです。
豊かな豊かな神様なのに、
この世に来られた時には、
この豊かさを一つも使わなかった。
なぜでしょう。
このすべての豊かさを私たちに与えるためだったということで、
このすべての豊かさを私たちに与えるために、
イエス様は少しも使わなかった。
しかし皆さん、今使ってますか。
この豊かさが皆さんの中にありますか。
もしなければ、なぜないのか。
これを今日一緒に考えながら、
これから、ぜひイエス様の豊かさが私のものになるようにという、
その決断をもって、
四巡説を過ごしていきたいと思います。
皆さん、神様が天地創造されたことが、
創世紀1章、2章で現れています。
創世紀1章、2章で現れた全世界は、
どれほど美しく、どれほど豊かったのか知ってますか。
一箇所だけ読んでいきましょう。
創世紀2章9節。
主なる神は、見るからに好ましく、
食べるのに良いものをもたらす、
あらゆる木を地に生え入れさせ、
また、その中央には、
命の木と、善悪の知識の木を果てにさせられた。
じゃあ、四つの種類があるんですね。
これ一つ一つ非常に大事です。
見るのにも素晴らしい。
また、食べるのに素晴らしい。
また、ここにこれだけじゃありません。
命の木、健康。
皆さん、健康よりもっと大事なことは今はないでしょうね、私たちには。
命の木があります。
また、善悪の知識の木。
もう、しつけがしっかりできる。
このことも、エデンの祖母にはありました。
エデンの祖母には、人間に足りないことがない。
もう、時が巡り来れば、多くの実を結ぶ。
地儀にかなって、私たちにたくさんの実を与えてくださる、
木がいっぱいありました。
この木々によって、私たちに、この時になれば、
実を結ぶ、結ぶ、結ぶ、そして私たちを満たしてくださる。
人間に完全な満足が可能なところが、
天地創造の中で、エデンの祖母でした。
しかし、それがなくなりました。いなくなりました。
なぜですか。罪によって。
罪によって、神様に不従順したら、
イエス様の豊饒の与え方
それで、このすべてがなくなってしまったんです。
じゃあ、なぜでしょう。
創世記2章17節。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。
食べると必ず死んでしまうという、
御言葉の意味を、人間は分からなかったよ。
必ず死んでしまうということは、
永遠の命と豊かさを与えてくださる神様から、
切り離されることだよということです。
枝が木から切り離されたら、
もう枝はすでに死んでいるものでしょう。
同じです。
その罪によって、神様から切り離されて、
命が死になり、幸せが苦しみになり、
祝福が呪いになり、
天国に行く者が地獄に行く者になった。
これが必ず死んでしまうという意味なんです。
そして、人間には、罪の呪いとして、
欠乏、また死というものが来ました。
それを教えてくださるところが、
創世記3章17節からです。
神はアダムに向かって言われた。
お前が女の声を聞き従え、
取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに土は呪われるものとなった。
お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ。
お前に対して地は茨とアザミを生え入れさせる。
野の草を食べようとするお前に、
お前は顔に汗を流してパンを得る土に帰るまで。
お前はそこから取られた土に、
地理に過ぎないお前は地理に帰れと言われた。
人間は苦しんで汗を流しながら、
やっとご飯を食べるようになります。
そして結局は、死んでどこに行くんですか?
地獄に行く。
もうそれが定まれている。
地獄に行くことです。
人間はもう虚しい虚しいしかありません。
なぜ生まれたんでしょう?
なぜこんな呪いの世界、
なぜこんな世界に私は生まれなきゃいけないのか。
皆さん、生まれたくて生まれたんじゃないかもしれないけど、
この世の中にはもう呪いしかないんで、
なぜこの世に生まれたのか、
なぜこの世はこんなものなのか、
これへの答えが、
創世記2章17線、
正しいチェン役の知識の木からは決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまうよということを軽く受け入れた。
これはもう軽んじったということでしょうか。
神の御言葉を軽んじた人間。
エデンの園は消えてしまって、
残ったのは呪いしかない。
苦ししかない。
じゃあ皆さん、私たちが頑張るって、
いい会社に入って頑張るって、
エデンの園を取り戻すことはできますか。
エデンの園は人間の努力によって取り戻されることではありません。
いくら頑張るんだって、それは得られるものではありません。
だから人間は足りないこと、
欠乏、
また苦しみながら、
どうしようどうしようと悩みながら、
結局死んでしまう人間。
人間を憐れに思ってくださった神様が、
イエス・キリストを送ってくださった。
イエス・キリストによって、
創世紀3章16節はこう言います。
一人も滅びないで、永遠の命を得るため。
また弱音10章10節には、
私が来たのは、羊が命を受けるため、
しかも豊かに受けるためだ、と言います。
その意味は、
この初めのエデンの園を、
私たちに回復してくださるために、
イエス様が来られた、ということで考えていいでしょう。
では、どうすれば、
イエス様がエデンの園を回復してくださるために来られたのに、
私たちはどうすればそれを得られますか。
私は手に入れることができますか、と。
それを印として見せてくださった、
2つの事例を今日紹介しながら、
その中から答えを得たいと思います。
では、まず1つ目。
要はね、古書には、
ベデスタの生贄のところが現れます。
そこで38年間病気を患っていた人を癒やされたイエス様。
もともとベデスタという意味は、
慈悲、愛を意味します。
慈悲の池、神の慈悲の池というのはすごいですね。
しかしそこは、世の中で一番慈悲と愛がないところでした。
では、そのイケニエ、ベデスタのイケニエはどんなところなのか。
皆さん、年をとっていってごめんなさい。
人間がだんだん弱くなって、病気になって、
面倒を見るのに非常につらいでしょう。
私の兄弟4人ですけど、
私の姉、2人の弟、私ですけど、
私は日本に逃げているから、
3人の私の兄弟が、私の父親、もう93歳までいました。
私の母が91歳、92歳ですかね。
長生きをしました。
最後の何年間は、もう3人の兄弟がお互いに
順番を決めて、介護をしながら、
2人の最後を見守っていったんですね。
最後の時を見守る家族。
疲れて疲れて、しょうがないしょうがない、どうしようもできない。
それで、家ではこれ以上介護ができないと思ったら、
最後にどこに捨てるのか。
ベデスタのイケニエに行きます。
それで人を捨てます。
捨てながら、これは神の慈悲の生き栄だよ。
神様の恵みと慈悲がここに訪れるから、
そこで神の恵みによって癒されましょうね、と言いながら、
そこで人を捨てるところがそこだった。
ですから皆さん、ベデスタのイケニエは、
イスラエルの中で面倒を見るのに、
これ以上はダメだと思っている人々を捨てるところが、
ベデスタのイケニエの傍らのところ。
その人たちはどうするのか、聖書を読みますと、
天使が下ってきます。
その時に水が動くんだって。
そこで、一番早めにそこで飛んで入る人が、
入る人だけ癒されるという伝説がある。
皆さん、伝説ということはあるかないかもわからない。
その本当に曖昧な、漠然的な、その伝説を信じて、
人々はそこでずっと待っているところです。
みんな、嫌だ、痛い痛い、痛い痛い、痛い痛い、
うめき声を出しながら、そのチャンスだけ望めて、
それを考えながら、そこで生きながら、
結局、そこで死んでしまうところが、ベデスタのイケニエのところです。
聖書は、ベデスタのイケニエは何だと言いますか。
これは、この世と同じだ。
この世の中が、ベデスタのイケニエと同じだところだよ、
ということを、私たちに言っているところであります。
世の中の人々は、来るか来ないかもわからない、
そのチャンス、希望、それを目指して、そこで生きているのですが、
イエス様は、この38年間病気に患われた人たちを、どう癒やされるのでしょうか。
いわゆる古書の6節を読みますと、
まずイエス様は、その人に言って、
よくなりたいか、と聞きます。
よくなりたいか、希望があるのか、と聞きます。
不平不満の捨て方
でも、彼によくなりたいか、と聞いたら、彼は何と言うのか。
私だったら、よくなりたいです、助けてくださいと言えばいいのに、彼は何と言うのか。
私が水が浮くとき、私を先に入れてくれる人がいないのです。
人がいないから、助けてくれる人がいないから、私は癒やされていないまま、
今まで38年間、今、私は苦労しています。
彼は自分が癒やされない理由を周りの人のせいにして、
環境のせいをしながら、
人が助けてくれないから、私は今までこんな状況だよ、と。
皆さん、人のせいをして、不平不満ばかりするなら、
人との関係は良くなりますか。
うまく助けた家族さえも、ずっと不満を不平にして、人のせいをしたら、
最後は、もうダメだ、ダメだ、私はこれ以上は我慢できない、と。
逃げていくでしょう。
それで、彼は38年間苦労しています。
イエス様、彼の不平不満、他の人のせいをすること、
また、彼が決定的に敗北する意識を捨てなさい。
そして、これから遠くから着いて立ち上がりなさい、歩きなさい、と言われました。
イエス様の御言葉に不思議な力があって、
今まで考えもなかった、立ち上がることもできたし、
徒歩を担いで歩き出そうと思いました。
彼はベデスタの生贄のそのところに水が浮くとき、
一番初めに入って癒されたんじゃなくて、
イエス様の御声に従って癒されました。
皆さん、私たちもいろいろな問題、いろいろな病を持っているでしょう。
それが誰のせいだと思いますか?
なぜ癒されていないと思いますか?
父親が母親が助けてくれないから、
周りの人が私をうまく助けて面倒見てくれないから、私はできないんだと思っていらっしゃったら、
その考えを捨ててください。
イエス様は許されないから。
イエス様を信じて、御言葉を信じて、立ち上がればいい。
それだったら治されます。
大事なのは、イエス様は道であり、真理であり、命であります。
イエス様は命なんです。イエス様を生かせるのは道なんです。
イエス様はこの世の中で一番正しい答えを持っているわけです。
イエス様の御声に聞き従うなら、神の命が働きます。
神の力が働きます。
だから彼が立ち上がったんです。
弱かった健康、強い健康として家に戻ることができました。
どうすれば私たちの弱さが、私たちが足りないものが解決できますか?
イエス様の御声を聞きましょう。
イエス様の御声を聞くために、主を私はどうすればいいんでしょうか?
お祈りを持って、主の前に時間を作りましょう。
そして聞こえたら従いましょう。
そうするなら、イエス様は今も私たちを助ける力があります。
もう一つの事例があります。
ヨハネ6章のところです。
パン1つ、魚2匹で5,000人を食べさせてくださった。
イエス様の御声に従う
奇跡を起こしてください。
皆さん、イエス様は交渉街の時に、どこに行っても人々が集まりました。
どこに行っても人のおびただしい人たちがついてきました。
また、ヨハネ4章23節です。
イエス様はどこに行っても、教え、述べたえ、癒された。
だから人々は、イエス様から神の御声を聞きたくて、
また、癒してもらいたくて、イエス様のところに来たんです。
ある時、イエス様は目が見えない人を癒されました。
だったら、イスラエル全国に目の見えない人たちは、全部イエス様のところに集まる。
また、重い皮膚病に患っている人々。
イエス様のところに癒されると、その噂が出るでしょう。
全国から集まりました。
また、悪霊に取り憑かれた人、悪霊を追い出してくださる。
悪霊が出て行きますか?誰によって出て行きますか?
イエス・キリスト、皆によって出て行くんです。
だったら、イエス・キリストじゃなきゃいけないから、
全国からそのような病気を持っている人々、全部集まっていきます。
だから、イエス様の周りには、おびただしい人々が集まって、
でも、イエス様はお一人で、全部癒してあげるから、
私の順番まで来ると、大変な力がかかるんじゃないですか。
だから、イエス様はあちこち動いていらっしゃるから、
だから、皆がずっとついて行って、また、うーっとついて行って、
お弁当を作って、ついて行ったんですけど、
もう何日経ったら、食べ物全部なくなってしまいました。
でも、癒してもらいたいと思って、イエス様について行く、この人々、
その時があるので、広い山に登ったり、あるので、イエス様は教えたから、
何にもないところで、イエス様に何日間、自分の病気を癒してもらいたくて、
ついて行く、かわいそうな人々、イエス様はこの人たちを助けたんだ。
だから、イエス様が弟子たちに、こう言います。
これが、ヨワネロクショコセツです。
この人たちを食べさせるには、どこでパンを買えばいいだろうか、と言います。
どこでパンを買えばいいだろうか、と言ったのに、
その中で、ピリッポという弟子が、
200デナリオン、1デナリオンが1肉の賃金ですから、
200万円があるんだとしても、この人たち全部食べられませんよ、と言う。
ダメだよ、食べられませんよ、と言うことです。
その時、イエス様、あなたたちの中に何があるのか。
ある子供が、パン5つ、魚2液を持っています。
じゃあ、では、あなたたちは、この全ての人を、この席に整えなさい。
そして、その上にお祈りをして、そして、
ご世人に分け与えなさい、と言う。
イエス様からの得るもの
ご世人と言うんですけど、男性だけご世人ですから、
女性と子供たちを含めたら、1万人以上でしょう。
1万人以上の人が、満腹するほど、いいっぱい食べて、
それで、中に顔を残した、という奇跡を起こしました。
みなさん、ここで、私たちは錯覚してはいけないことがあります。
イエス様が、何を聞かれたと言いますと、
どこで買って、この人々を食べさせるか、と聞かれたんです。
どのぐらいお金がかかるか、それを聞かれたんじゃありません。
どこで買えばいいか、と聞かれたんです。
じゃあ、みなさん、どこで買って、それを食べさせますか。
イスラエル人たちは、旧約時代に、200万人の人たち、60万、
男性だけ60万ですから、100万、150万以上の人々は、
アラノで生活するときに、パン、バンナとウズラが飛んできてくれました。
じゃあ、それはどこから来たんでしょう。
どこから来たのか、と聞くんです。
これは、神様から来たんです。
アラノのようなところで、5000人を食べさせる、このパン、
どこで買って、この人を食べさせるか、これはイエス様からなんです。
みなさん、ここ大事なんです。
パンが買うのに、いくらお金がかかるか、お金はいくらか、と聞いたんじゃなくて、
どこからパンを買えばいいのか、と聞かれたんです。
イエス様の答えは、イエス様からです、と言ってほしかったです。
私たちが足りないパン、私たちが足りないすべてのもの、
どこから買えますか、どこから得られますか、イエスキリストから得られます。
じゃあ、イエスキリストから、それをどのように私たちが得られますか。
それは、イエス様の見こえに聞き従えば、これが一番大事なことです。
これから私たちのすべての問題も、イエス様に頼んで、イエス様の見こえを聞き従うなら、
私たちのすべての問題は解決できると信じます。
しかし問題は、私たちは神様から、イエス様から問題を解決しようとしないで、
信仰は持っているのに、毎週、教会は行っているのに、
問題解決は、この世の中のやり方で、自分の考えの今までやったやり方で解決しようとします。
信仰は別、生活は別。
だから何もないんです。世の中の人々と同じようなことです。
信仰を持っている、何の意味があるのでしょうか。
だからこれから私たちは、自分の人生の問題、自分の家族の問題、自分にあるすべての問題に対して、
その答えはイエス様から出てくるんだ、神様から出てくるんだということをしっかり覚えて、
主よ、この問題どうすればいいんでしょうかということを、神様に答えが出るまで尋ねて、尋ねて、尋ねて、
答えが得られたら、その通りしたか。
これが私たちのこの貧しさ、貧困、欠乏から豊かになる秘訣なんです。
これぜひ実践していきましょう。
試して、今週から私たちに足りないものがあったら、祈って聞いてみましょう。
神様から来られる、イエス様から来られる答え、それが私たちを誠に幸せにするでしょう。
そうしたら問題が生じました。
これがヨハネ6章中4節中5節です。
それを食べてみた人々は、これから私たちはイエス様を尋ねるんですけど、
これから食べて生きる問題をすべてイエス様に尋ねればいいんだ、頼めばいいんだと思って、
完全なご利益信仰になってしまうんです。
イエス様は何を願っているんですか。神の見言葉を聞いて、信仰を持って、悔いを改めて、しっかり神の子供に立ち、
この世の中を救う、祭祀の王国、聖なる国民になれ、
これが神様の願いであるイエス様を教える目的なのに、弟子になる、聖なる者になる、
王なる祭祀の王国になる準備はしないで、これからイエス様についていけば食べ物、人生の問題解決できるから、
ご利益、ご利益、ご利益ばかり求める変な人間になってしまったんです。
こうしたらいけないでしょ。だからイエス様が言われる6章27節、
朽ちる食べ物ではなく、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。
この意味は、毎日食べて生きるためにイエス様を尋ねるんじゃなくて、
私が立派な信仰になり、人々を助けて、その人たちも天国に導く、
この世の中の人々を救う人になりたい、そのような人になれということです。
皆さん、聖書全体的に通じる一つの約束があります。これはマタイの6章33節。
聖書どこでもマタイ6章33節を繋がってみれば、全無中心です。
これは何ですか。何よりもまず、神の国と神の気を求めなさい。
そうすれば、あなたの必要なものは全て私が加えてあげる。
まず、神の国と神の気を求めなさい。
そうすれば、あなたの必要は全て私が満たしてあげるからという約束です。
これは聖書全体的に同じです。
では、私たちが必要なことがある、必要なものを満たす、こればかり考えるんじゃなくて、
まず、神の国と神の気、神様が願われること、神様が喜ばれることは何なのか、
それをまずやれば、食べ物を生きるために必要なものは、神様が全て加えて与えられる。
皆さん、アレヌの訓練の理由は何ですか。アレヌというところは何もないところです。
何もないところでも、あなたたちを豊かに食べさせ、その時に衣服も何か崩れることがなかった。
健康の問題、病気も誰も引っかからなかった。
アレヌの40年間、200万人の人が同じ服、同じ靴、同じような姿で40年間も過ごすのに問題なかった。
いつも朝真ん中、夜はうずらが、食べるもの、いろいろな問題、何にもなかった。
何にもないところで完全に満たしてくださった神様を信じて、
これからあなたたちは食べるために生きるんじゃなくて、
私が喜ぶこと、私があなたたちに願うことをやりなさい。
一番最高の人生になるために
食べるものを私が責任取るから、心配するな。これなんです。
皆さん、この世の中は100年、天国地獄は永遠です。
100年のこの人生を一番うまく過ごす方法は何でしょうか。
最近私たちは、教会は長島さんと清本さんを天国に見送りました。
その方たちは今も私は生きているような気がしますけど、
清本さんは70何歳で天に召されたんですね。
人生非常に短いです。今清本さんに比べたら、私今69ですから、あと4、5年です。
あと4、5年だったら、皆さんバイバイ、私は天国に行きます。
あっという間ですよ。4、5年ということはあっという間ですから、
私の願いは今、ユナちゃん、ミノリちゃん、アユミちゃん、結婚式をしっかりさせて、
そして私は天国に行くという夢をいつも持っているんですけど、
そこまで私は生きていきたいんですね。でもそれもわずかな時間です。
私は今、本当に近くにいる人間が私だと思います。
そうでしょう。人生短いです。
人生短い人生の中で、どうすれば私の人生が一番最高の人生になるのか。
短い人生で主のために生きる。
主が私に任せられた使命のために生きる。
そして天国で永遠に祝福されていく。
永遠に永遠に。
これが一番素晴らしい人生です。
だからこの世の中で、使命を担うのに神様は、
まず神の国と神の武器を持ってみなさい。そうすれば食べ物は心配するな。
それ以上素晴らしい約束はどこにあるのでしょうか。
福音の広まりとその恩恵
じゃあ、皆さん、世の中で貧困の中にいる私たちを救う、
神様を祝福される方法は二つあります。
一つは、イエス様は命のパンですから、イエス様の御声を聞き従う。
そうするならイエス様が私たちの必要を満たしてくれる。
もう一つは、マタイ6章33節。
まず神の国と神の武器を持ってみなさい。そうすれば全て食わえてあげる。
この二つを覚えて実践していきましょう。
そうするなら神様は全て食われてあげてくれる。
イエス様の貧しさによってイエス様の豊かさを私たちにくださるのですが、
それは天国で素晴らしい。神様としての栄光、また天国の全ての富、
またサッタンを滅ぼす力とパワー、全て食われる。
私たちが一つ覚える武器ごと、昔々全世界は貧しかったのです。
しかしイエス様の福音が入るところ、どころどころ豊かになったのです。
皆さん、イエス様の福音がエルサレムに始まって、
初めはヨーロッパですね、アメリカに行って、それからアジアに行って、
それから中国、また中東、そして最後はエルサレムに戻っていったらこの世の中は終わりです。
福音が今どこまで行っているのですか?
今終わりに近づいたということはそこから出るのですが、
福音がエルサレムからヨーロッパに来ました。
昔貧しかったヨーロッパが福音が入ったら豊かになりました。
イギリスは太陽が沈むことがない国と言われて、それほど豊かな国。
その福音がアメリカに来ました。
アメリカは今世界最強の国です。
その福音が日本、韓国、中国に来ました。
今日本、韓国、中国豊かですよ。
KポップとK文化とかなんとか、すごい世界を今動かしているでしょう。
その力はどこから来たんですか?
福音なんですよ。
それが今中国から中東、そして最後に行くんですけど、
福音が入るところで二つの特徴は一つは豊かになった。
もう一つは女性の人権が回復できた。
福音が入るところどころ女性が奴隷から、
奴隷は昔々ね、その状態から女性の人権がすごくなった。
レディファースターになった。
そんな素晴らしい自由と全ての豊かさを与えてくださるイエス・キリストの福音。
そのためにイエス様が十字架で死んでくださり、貧しくなられて、
その豊かさを私たちに全て与えてくださる、この素晴らしさじゃないでしょうか。
私たちがやるべきこと、このイエス・キリスト福音を、
また今も信じていない人々に伝えて、
その人々の中にも自由と豊かさと人権の素晴らしさが流れて、
その人たちもイエス様のようにイエス様のために生きる、
天の御国のために生きる人を私たちは育てることです。
結論を申し上げます。
人間の罪によってエデンの園はなくなり、隠されています。
しかし隠されている、それが今どこにあるんでしょう。
それがイエス・キリストの内にある。
イエス・キリストが今もこのエデンの園の一部分、
天国にいたら全て回復できますけど、
エデンの園の一部分を私たちに与えてくださっています。
どうすればいいですか。
イエス・キリストの内に留まり、御声に聞き従う人に、
皆さん私たちが貧しい貧しいと言わないで、
イエス・キリストの内に留まる。
そして御声を聞き従う生活を通して、
今この世で私たちがこの豊かさと自由と、
神様の全てのものを回復できる私たちになりましょう。
それがイエス様が十字架で死んでくださるこの
受難主、死順節の大きな大きな意味だと思います。
イエス様を褒めたたいます。
お祈りいたします。
死を私たちは今、死順節の期間を過ごしています。
イエス様が来られた理由、十字架を背負って復活された理由、
その全てを私たちに祝福して与えてくださり、
癒しと豊かさ、天国を与えてくださることだということを、
学んで感謝します。
私たちもイエス様の豊かさをいただき、
大勢の人々に救いと癒しを施すものとしてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン。
36:42

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