私を呼んでくださるところがあったら、どこにも行きます。
当時私に特別な見言葉が与えられました。
これがマッタイ6章33節です。
あなたが必要なことは主がご存じだ。
だからあなたはまず神の国と神の器用を求めなさい。
そうすればあなたのことすべて私が満たしてあげる。
良い約束でした。
ですから私はこの見言葉を命のように掴んで、
それで毎日、主よ、今日は何をすることが
まず神の国と神の器用を求めることですか、
聞きながらやりました。
とにかく私は新学校の時、他の学生より、
まず神の国、神の器用を求めることが何か、何か。
それで福音を伝えたり、また聖書勉強会を開いたり、
何とかまず神の国と神の器用を求めるなら、
主がすべてを満たしてくださる、
あたってくださるという約束を信じながらやりました。
3年間その生活をし続けた結果、奇跡が起こりました。
私と一度会ったこともない、
北九州という都市があるとは思いませんでした。
福岡の上に北九州という都市があるので、
そこにあるある教会から連絡が来ました。
一度来てもらいたい、
それで向こうに行ってメッセージをさせてもらったんです。
次の週もう一度来てくださいと言われて、
行ったら何か牧師の面接とかいうようなことがあって、
それでその教会、そこに行くようになりました。
私は全然知らない。
私はその北九州あるとはもう全然知らない。
そのところで4月から赴任するようになったから、
日本は卒業式が3月ですね。
2月に赴任先が決められて、
ギリギリの瞬間、私は読んでくださるところがあって、
恥を受けないようになりました。
本当に私の心ではそれは奇跡だと思いました。
皆さん、信仰を持つためには、信仰を強くなるためには、
何か切に求めることが必要なんです。
それがなければ、信仰はなかなかできません。
皆さんも切に願われることがあるでしょう。
信仰の先輩たちが持っている切なる願いと希望、
それを少し考えていきましょう。
私が今日のテーマ、私たちの切なる願いと希望、
この話はもともと私から出たことではなく、
今、自分に来られる金筑くんさんが韓国に行かれる前、
私に何度も何度も言われた言葉です。
切なる願いと希望、切なる願いと希望。
多分金筑くんさんは37年間日本で過ごされたんですけど、
ご自分の最後の時の自分も日本選挙に関心があって、
祈っていろいろ伝道したり働いたんですけど、
私に何か実りがあるのかといろいろ考えられたんじゃないかと思います。
それでご自分なりに何かもったいない、
何か気の毒だと思われることがあったでしょう。
ですから切なる願いと希望、それをずっと言われたのではないかと思います。
これはもともとパウルが使った、パウルの祈りの中にありました。
パウルは切なる願いと希望を持って何を願ったのか、
これがフィリップ1章20節、21節にあります。
もう一度私が読みましょう。
そしてどんなことにも恥をかかず、
これまでのように今も生きるにも死ぬにも、
私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。
私にとって生きることはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
パウルが切に願って希望したことはキリストだったのです、キリスト。
先週私たちはキリストに対して学びました。
パウルの頭にはキリストによっていっぱいだったのです。
キリストはどんな方ですか?
キリストは油注がれた方で、
神様が王、最首長、預言者を立てるときに角に油を入れて、
それでその人の上に注いで、
あなたは王、あなたは最首長、あなたは預言者として立てられたのです。
ですから油注がれた者、これがキリストなんです。
ですからキリストという名前、イエスがキリストという名前は
ものすごい神様から全ての力をいただいて、
それで神様が一番願われる働きをする方ですから、すごいパワーがあります。
イエス、キリストはサタンを滅ぼす魔王の王です。
罪と呪いを取り除く最首長です。
神の御声を聞かせてあげ、神様に出会わせてあげる預言者という意味です。
ですから罪人には、罪人はもう罪人という言葉は時代で、
サタンの奴隷という意味ですから、
だから罪人からサタンを追い出し、また呪いから救われ、
神に出会わせる、神の祝福を預かる者とされる、
また、彼の切なる願いと希望、
主の道を備える、
この役目を彼がうまく成し遂げたんです。
また、洗礼者ヨアネの素晴らしさは、
自分のついてくる弟子がいました。
その弟子たちをイエス様に全部贈るんです。
そして彼が何というのか、
あの方は栄え、私は衰えなければならない。
自分の弟子をイエス様に全部贈るほど、
イエス様のためには自分の全てを寄税するんです。
この洗礼者ヨアネの素晴らしい働き、
そしてイエス様がお生まれになって、
イエス様を、バプテス様を授けられ、
そしてイエス様がこの世の中で、
メイシアとしての道、これを始まるようになりました。
またもう一人紹介するのは、シメオンとアンナです。
シメオンとアンナも、切なる願いと希望がありました。
いつか年取っているシメオンに、
洗礼様が現れて、ルカの2章26節に、
メイシアが来るまであなたは死なないんだ。
どんな意味ですか?
メイシアが来るまであなたは祈りなさいということでしょう。
それをシメオンだけじゃなくて、アンナもその話を聞きました。
シメオンとアンナ、おじいちゃんのおばあちゃん2人が、
それでメイシアが来ることを待ちながら、
メイシアを送ってください、メイシアを送ってください、
ずっと祈るんです。
当時、皆さん、イスラエルは全部信者です。
みんなが信者です。神を信じています。
しかし、神の身分を知っている人は誰もいなかった。
メイシアが来るように祈る人も誰もいなかったんです。
みんな信者なのに、神の身分を知らなかった。
しかし、2人は神の御声を聞いて、そのために祈り始めるんです。
本当に誰もメイシアを待ち望むことなく、
誰もメイシアのために祈ることがない時に、
おじいちゃん、おばあちゃん2人が、メイシアが来るように祈るんです。
メイシアが来られました。
そして結局、神殿でイエス様に出会います。
喜びに満ちあふれた、その姿が聖書はわざわざ記録しています。
本当に聖書の中で信仰を持って、神様の身分を知って、
切なる心と希望を持って祈り続けた人は、
みんながイスラエルだから信者ですよ。
この中でわずかな人数しかいなかった。
本当に本当に。
では、今私たちにはどんな使命があるんですか?
私たちの切なる願いと希望は何ですか?
私たちには、日本の大収穫のために、
リバイバルを起こってくださいという夢があります。
そのために教会の回復が大事だということがわかります。
しかし、日本のリバイバル、大収穫のために、
この人数でできますか?
皆さん、人数は問題じゃないです。
神様を見られるのは、この人の心の切なる願いと希望を見ておられる。
事実、皆さん、エリア、イスラエルの中で自分一人しかいませんでした。
宣伝者ヨハネ、当時宣伝者ヨハネのように目を覚ましている人は一人しかいなかった。
シメオンとアンナ、二人しかいなかった。
少人数の人々でした。
しかし、彼らの祈りを聞いてくださって、
神様は素晴らしい御業を通して、
イスラエルを再建されたり、
イスラエルに神の御業を贈ってくださったんです。
私たちがこれからやるべきことは、
私たちに照らしてくださった神のビジョン、
そのビジョンに切なる願いと希望を持って祈ること。
またもう一つは、リバイバルを受け入れる新しい川袋を作ることです。
聖書に現れたエリア、
宣伝者ヨハネ、シメオンとアンナのような信仰の先輩たちのように、
私たちも祈ることができればと思います。
ここに寄生と献身があるんです。
皆さん、他の人も全部やるのに、
私もついてやるのはあまり難しくありません。
誰もやっている人がいないのに、
自分だけがそれをやるのがこれが難しいんです。
特に日本は集団主義ですから、
みんなやることは一緒についてやるのはもう当たり前だけど、
誰もやっていないのに自分だけやるのはこれをも大変なことです。
そこに寄生と献身が必要です。
リバイバルのために一番大事なのは、
新しい川袋の教会とお祈りなんです。
私は今年71歳になりました。
また私、教会にはもう年取っていらっしゃる方や先輩たちがおられるので、
皆さん、祈りには何か力が、大きな力が必要なことではありません。
祈りに一番大事なのは私たちの献身。
切なる心、また切なる声さえあれば、いくらでもできます。
私たちが最後の時、日本を救う大収穫のために、
リバイバルを送ってくださるように、
神様に祈る教会になれればと思います。
金鶴くんさんに最後の最後まで、
数回私に言ってくださった切なる願いと希望。
これは、このような神のビジョンが、
私たちをこれをもって祈り続けること、
そこに金鶴くんさんにも一緒に参加して、
共にやりたいという、この希望ではなかったかなと思います。
イエス様がルカの中二症49節、
私はこれを今週の最も気になる聖書として、
私はここで決めているんですけど、
イエス様はこうやります。
私が来たのは、地上に火を投ずるためである。
その火が既に燃えていたといったらと、
どんなに願っていることか。
イエス様がこの世に来られた理由は、
火を投じるためだ。
火を投じるためにイエス様が来られた。
じゃあ皆さん、この火が何ですか。
この火は、精霊の火、リバイバルの火。
だからペンテコスの時に、
精霊の火、リバイバルの火がこの地上に来たでしょう。
イエス様はリバイバルを起こるために、この世に来られた。
私たちが説に求めることは何ですか。
日本のために、神様のリバイバルの火が、
精霊の炎が、日本に来るようにと祈ることです。
これが既に日本に精霊の火によって燃えされ、
リバイバルがあちこちで豊かに起こっているなら、
私たちがどれほど神様に喜ぶでしょう。
しかし、まだ火が日本に投じることができなかったから、
そのために祈り続ける、私たちの群れが今必要なんです。
私たちの祈りを通して、どうか主が日本に精霊の炎を送ってくださり、
リバイバルの炎を送ってくださって、
道を歩きながら教会を見て、もう泣きながら教会で吐いて倒れる。
これを五輪際の伝道と言います。
精霊様が直接伝導される。
引きつけてこられる。
このような働きはこの大塚のところで行われたら、
私たちが教会の前に通る人が、
学生たちもたくさんこの道を通って学校に行くでしょう。
子供たちが精霊の火を打たれて、
うわーと泣きながら葡萄の木の教会に入ってきて、
そこで、主よ私をお許しください。
イエス様を信じたいです。
イエス様は私をどうすればいい。
今度、五輪神道がこう言うんです。
教会に来たんですけど、聖書を4回、1回、2回、3回、4回、5回、
その5回に聖書を勉強会するまで、
イエス様の話をしませんでした。
創世紀、天地創上、エデンの創農、人間を作られた目的、
なんとかなんとか言う。
彼女はずっと待ってました。
それで5回目にだって、
罪を犯した人間と言いながら、
ここでイエス様の言葉が出たら、
信じたいです、信じたいです、という。
彼女はイエス様の話が出るまで待っていたということで。
でも私は他の言葉ばっかり言っちゃって、
あと考えたら、もう全て準備ができた人なのに、
私がイエス様を伝えるのが遅すぎたと思って、
まあ、杭を洗ってもらったんですけど、
待っている人がいるんですよ。
すでに精霊によって準備されて、
それで教会に行く準備ができている人が、
日本でたくさんいるかもしれない。
しかし私たちがイエス・キリストという言葉を言わないから、
誰も分からなくて、今黙っているんじゃないかと思います。
ここで精霊様の、精霊の火、リバイバルの火が注がれたら、
その火の力によって私が、
イエス・キリストを信じましょうと言ったら、
たくさんの人が集まって来るかもしれない。
これは許され者で行われて。
ペテロが1回の説教で3,000人が集まって来た。
また1回の説教で5,000人が集まって来た。
このような素晴らしい働きを、
イエス様がルカの中二症49説に教えてくださった。
どうかどうか精霊の火が日本に来るように、
大阪に来るように、
武道の教会に来るように、
皆さんのお家に来るように、
この火がもう各家でもう、
もう投じることができたら、
どれほどどれほどご喜ぶでしょう。
それがまだ投じられないから、
この心でどうかしよう早く早く、
それを成し遂げてくださいと、
祈るイエス様の御声がここにある。
その働きのために、
寄生したり献身したりする人たちには、
一番祝福される。
皆さん、世の中の人はみんな苦労していますよ。
みんな苦労しています。
お金持ちであれ、もう成功した人であれ、
みんな苦労しています。
いろいろな問題で苦労しています。
でもその苦労の報いは何ですか。
もう苦労苦労だけで、
苦労しながら死ぬでしょう。
しかし、主のために苦労する、
寄生し献身することは、
主の報いがあるんですよ。
豊かな報いがあるんです。
私が聖書一ヶ所を皆さん紹介しましょう。
支援の37の25節です。
若い時にも、年老いた今も、
私は見たことがない。
主に従う人が捨てられ、
主を従う子孫たちがパンを食うこと、
主に従って主に持ちられる人の子孫たちが、
物語になるということを見たことがない。
これはどんな意味ですか。
親によって子供たちが満たされ、
孫たちが満たされ、
祝福されることを見たということです。
そうです。
主に持ちられる人の子孫たちが、
うまくできないことを見たことがないということを、
支援の37編で教えてください。
子供たちに祝福を与えたいんだけど、
自分が持っているお金を全部預けておいて、
子供たちに何とか、
それが子供に祝福になれるのか、
分かりません。
しかし私たちができるものは、
私が主にうまく持ちられ、
主に従うものになって、
主がこの従うもののことを見て、
一番願っていることは、
子供たち、孫たちじゃありませんか。
親の一番心配は子供ですから。
だから主が私を見て子供たちを祝福した。
アブランを見てイサクを祝福した。
アブランを見てヤクブを祝福した。
アブランを見てヨセプを祝福した。
イスラエルを祝福されるように、
私たちを見て、
私たちの子供たちに、
主が豊かな祝福を与えてくださる。
これが私たちの一番、
親の一番願いがそこにあるんじゃありませんか。
子供たちをどのように祝福しましょうか。
どのように子供を守りましょうか。
子供をついていて、
いつも何とかとやりますか。
主が守ったら一番完璧。
主が祝福されたら一番完璧です。
アブランがうまくやったら、
イサク、ヤクブ、ヨセプ、イスラエル、
民族全体が祝福されるように、
私たちが主が一番願っておられることを、
ここに切磋なる願いと希望を持って、
献身、犠牲をするなら、
主が私たちのすべてを豊かに祝福してくださる。
その働きがある。
皆さん、私たちがなぜ天国で、
大きな祝福、報いを受けますか。
この世の中で主のために犠牲し献身したから、
天国で豊かな祝福あるんじゃありませんか。
何もしてないのに天国で祝福されたい。
これは違うんじゃないですか。
主のための犠牲と献身、
これが一番素晴らしいこと。
私たちに与えられた使命のため、
これから私たちは心を合わせて、
祈りを持って、主が一番願っておられることに、
用いられる私たちの教会になれればと思います。
これが私たちの切なる願いと希望になりますように。
お祈りいたします。
主よ、私たちの切なる願いと希望は、
キリストです。リバイバルです。
主に出会うことです。
主の皆が崇められ、主の御国が来ますように、
また、主の御心がこの地で行われますようにです。
どうかどうか、そのために私たちを用いてください。
そのために私たちを使ってください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン。