今日は、「初めのころの愛を取り戻してください」という対応をもってメッセージを伝えたいと思います。
私たちの信仰は、私たちを愛しておられる神様の愛を悟ることから始まります。
神の愛を知っている人が、神を愛することができるし、また、神様の身むね通り、兄弟を愛することができるからです。
赤ちゃんが、先に母親を愛することを望むことはできません。赤ちゃんは何もわかっていません。
母親が赤ちゃんをどれほど愛しておられたのか、後になって赤ちゃんが知って、それで母親を愛し、母親が喜ぶ身むね通り生きることができるんです。
私は、私の母からたくさんの愛を受けました。
ですから、私はこの世の中で一番愛する人が、私の母でした。
私が小学校で熱心に勉強しました。
なぜなら、母が成績が良ければ喜ぶことを見たからです。
私の希望、私の全ては、母が喜ぶことを見ることでした。
今、母が亡くなったんですけど、今も母を思い出したら、涙が出ます。
母の愛は、私の心のふるさとです。
ところが、母は、私だけ愛したことではありませんでした。
私は姉、また二人の弟がいるんですけど、前回、韓国で兄弟がみんな集まっているところで、
私の弟が、ママと言いながら、何とかママを声したらという姿を見て驚きました。
私だけじゃなくて、弟も母が愛してくださったんだ。
私は、私が一番愛されたと思ったんですけど、私だけじゃなかったということを分かりました。
本当に本気でママと言いながら、このような姿を弟がやりましたね。
私たちは、母の願い通り、兄弟たちが仲良しで今、暮らしています。
なぜなら、母がこれを一番願っておられたかったんですね。
ここで、母が私たちを一番愛されたでしょうか。
また、神様が私たちを愛されたでしょう。
神様の愛と母の愛、どちらがもっと私たちを愛してくださったんでしょうか。
とにかく、母の愛を思っている人は、母の願い通り生きようと頑張るでしょう。
神の愛を知っている人は、神様の見守り通り生きようと頑張ると思います。
神様が私たちをどれほど愛しておられたのか、これは誰が教えてくださいますか。
これは精霊様です。
子供たちがいつも言います。
神様は私を愛してくださいない。
神様は私を愛しておられない。
どうしてこう思うのかと言ったら、自分が祈ったという。
祈った通り、神は私を助けてくれなかった。
だから私を愛してくださらないんじゃないかということですけど、
このような誤解をとにかく乗り越えなければ、
子供たちが神様に心が開かれないこともあるかなと私は思います。
今日のメッセージを通して、
精霊様が私たちに神様の愛についてもっと強く教えてくださって、
神様と私たちの関係性がもっと強くなれればと思います。
また信仰生活でまた大事なことがあります。
これが神様との関係性です。
今日、葡萄の木の生活と同じことです。
神様は全てを持っておられます。
神様は天地創造の時、何にもなかった。
無からこの全てを作られたんです。
無からこの全てを作られた神様。
この神様ができないこともないし、
神様が持っておられないことは何にもありません。
神様は全部知っておられる。
神様は全部可能です。
またその上、神様は絶対全、
私たちに対する良い計画を持っておられる。
神様は私たちに良くないもの、悪いものは絶対くださらないお方です。
神様は絶対全です。
人間が苦しむ理由は、
神様との関係が悪くなったからです。
また、神様を離れたからです。
神様によくつながっていたダビデが、
詩編の23章の1節で、
詩は七次会、私には何にも欠けることがない。
乏しいことは何にもないと言いました。
ところが、私たちが神様とどのようにつながることができますか。
どのようにつながっていることができますか。
ここに愛ということが必要です。
神を愛するなら、つながっていくことができます。
神様を愛していないなら、
神様とのつながりがなかなか難しいでしょう。
またそこに首都ヨワネが来て崩壊されて、
それでマルコもそこで崩壊して、
もういろいろ働きがエペソ地域にあったんです。
エペソ教会に。
皆さん、世の中で一番素晴らしい先生たちが
エペソ地域で全部崩壊されたんです。
だったらエペソ地域教会に対して文句する人がいますか?
一番偉い先生たちがその教会で全部崩壊されたとしたら、
一番うまくできた教会ではないですか?
素晴らしい教会です。
誰も文句できない状態。
しかしその教会に対して、
イエス様が言われた見言葉が、
今日読んでくださった2節から5節までです。
じゃあ少し読んでみましょう。
私はあなたの行いと労苦と忍耐を知っており。
そうです。
当時、教会のために皆さん非常に熱心に教会を建て上げました。
教会のために苦労しました。
素晴らしいことです。
また、あなたが悪者と共に我慢できず、
自ら人と称して実はそうでない人たちを調べ、
彼らたちの嘘を見抜いたこともしている。
エペソ地域の教会は霊力の分別力がありました。
これで偽物が来て、
偽キリスト、偽物、偽予言者たちが来て、
いろいろなことを教えたら、
それをすぐ見抜いて、
それは嘘だ、これは間違いだ、これは正しくない、
ということをしっかり覚えていました。
また、あなた方はよく忍耐して、
私の名のために我慢して疲れ果てることがなかった。
当時、エペソ地域もローマの迫害があったでしょう。
その迫害を耐えしのぶ信仰が、強い信仰があったんです。
皆さん、どれほど素晴らしい教会でしょうか。
しかし、ここで私があなたたちに言うべきことがあるんだ。
あなたたちは初めの頃の愛から離れてしまった。
全てが良かったんですけど、
一つ良くなかったことが何かと言いますと、
初めの頃の愛から離れてしまった。
それを悔い改めなければ、
私はあなたのところにある職大をその場から取り除けてしまう。
じゃあ、皆さん、一つ叱られること、
これが初めの頃の愛から離れたということです。
初めの頃の愛は何ですか。
神様との初めの出会い、救いの感激と言いましょうか。
救われたことに対するこの喜びと感激が、
今はないねということです。
神様を愛していないこともないし、
神様に熱心がないこともないし、
苦手のためにこんなに働いている、頑張っているのに、
初めの頃の愛が、感激がないから、
私はあなたのところから職大を取り除けてしまう。
業界に職大ということは、
個人的な信仰から救いを取り除けてしまうと言われるほど、
これは怖い話であるし厳しい話であります。
じゃあ、皆さんここから見ていますと、
イエス様は何を一番大切に思っておられるのかがわかるでしょう。
初めに神様に出会ったところで、
私たちが持っていたトキトキする心。
皆さん初めに奥さんに出会って、
それで奥さんと愛するところの、
その初恋のこのトキトキする心。
そのことが信仰にもあるんですけど、
そのことがなくなってしまったということです。
いや、愛しているのにトキトキする心がないということ、
これが問題になるのか。
私は1995年度で初めに東京に来たときに、
そのとき、前の教会で松井伝道師を見ました。
当時は四十児だったんです。
ああ、いい人だなと。
本当に熱心な人だなと。
本当にしっかりやる方だなと。
私はこののぞみさんを、
それから1998年だったらのぞみさんは高校生ですかね。
高校生として勉強会に来られたのぞみさんに会いました。
純粋な人。
それから東京に来て、
またそのとき、何年度かは分かりませんが、
ユナちゃんをベイビーカーに乗せて、
木曜日の勉強会に来ている平日中ですよ。
夜、人が多いはずなのに。
会社を終えてユナちゃんをベイビーカーに乗せて、
勉強会に参加する一日締まりを見ました。
初めの頃の愛。
これはすごいですね。
どこからその純粋さ、またその熱情が出てきたんだろうかと。
私は大学院のときに、
父が韓国の田舎のチャンニョンというところの教育長としていたので、
週末になれば父の家に行って、そこで寝泊まりをして、
日曜日夜帰ってくるところなんですけど。
父と私の関係は信仰によって非常に難しくなりました。
日曜日朝、向こうは鐘を何か鳴らしながら、
鐘の音で人を教会に呼び集める、このようなことで、
日曜日の朝、鐘の音が響いたら、
私は教会に行きたくて行きたくて、
それで朝早く靴を隠しておきます。
鐘の音が響いたら、それで私は密かに教会にシャーと行きます。
それで礼拝を守るんですけど、
当時礼拝は私は本当に涙でした。
その礼拝を終えてから家に帰ってきたら、
家は本当に大騒ぎになっている。
殺伐な雰囲気の中で母はいつも泣いていました。
その中でも私は教会の鐘の音を聞いたら、
教会に行きたくて教会に行きたくてたまらなかった。
私も分かりません。どうしてこんなことがあるんでしょうか。
心の中で精霊様がおられるから、
私は教会の鐘が鳴るときに教会に行きたくて、
母親はいつも泣くし父親は怒るし、
家は怖い雰囲気になっても教会に行きたくて教会に行きたくて。
当時なぜ父はこんなに怖くなったんでしょう。
皆さん、精霊様がいる人と精霊様がいない人の間の葛藤ではないかと。
父が悪い人じゃなくて、精霊様の働きを父が理解できなかったからだったんです。
私が申し上げたいのは、当時はこんなに純粋で熱情があったのに、
今私はどうなんでしょう。
今は牧師だから、礼拝を私が導いていかなきゃいけないから、
このことを感じたのは、
聖書勉強会を3年間、新学校の時に、
カーッとやったからです。
聖書勉強会をやればやるほど、
神様が私に聖書、種をたくさん与えてくださいました。
また、パンを与えてくださった。
不思議ですよ、皆さん。
使命を担う人はパンを与えてくださった。
だから私は、新学校は給料がないでしょう。
給料がないのに、食べるもの、生活は、
もう変わりがありませんでした。
どうしてですか。
隣から、他の人から、もう食べ物が与えられるんです。
驚くほどびっくりしました。
第2国と九州を出世と、本当だなと思いました。
本当に皆さんこれを体験することです。
もう一つが、今日、教会学校で教えてくださった、
PLOの生活です。
神様と親しい交わりの中で、
とにかく神様から聞こうとする。
皆さん、神の御行をよく聞く人はいません。
しかし、何が問題があったら、
何があったら、神様これをどうすればいいんですか。
教えてください、教えてください。
うまく聞くこともできないくせに、聞こうとする。
どんな方法を通しても、どうすればいいか分かりますよ。
聞こうとする。
積極的に聞こうとする人に与えられます。
そうでしょう。
求めなさい、そうすれば与えられる。
叩きなさい、そうすれば開かれる。
探しなさい、そうすれば見つかる。
そうですよ。
聞こうとする、これが大事なんです。
そのようにして、神様との関係がよくなればどうなるのか。
ほうとう息子が父の家を離れるときに、
彼に待っているのは苦難でした。
貧しさでした。
彼は豚が食べる稲子豆で腹を満たしたいとしても、
くれる人がいなかった。
くれる人がいないんですよ。
父から離れたら、私にくれる人がいないほど貧しくなります。
もう悲惨な状況になります。
しかし、彼が父の家に戻ってきたら、
すべての祝福が取り戻され、
息子としての地位と息子としての地位が取り戻されました。
すべての祝福、豊かさを味わって、
この世で天国を味わう秘訣は、
主の愛をして、愛の中でとどまることです。
今日の私は賛美、これは大好きです。
この賛美が、ただただ出た賛美ではありません。
このようないろいろなつらい経験をした人が、
神に出会った時、そこから出た賛美がこれですから。
だからこの賛美を、皆さん賛美を歌う時に、
貧しい方と息子が、神に出会ってすべてを取り戻した時に、
誠の神はここにいたんだな、ここに誠の父がいた。
それを父に出会ってから喜ぶ人が歌う賛美が、
誠の主よ、この賛美ではないでしょうか。
初めの頃の愛、大事です。
初めの頃の愛を失ったら、すべてが難しくなります。
皆さん、神様に礼拝する、賛美する、無理やり礼拝する。
もう行きたくないのに、礼拝参加して、無理やり賛美して、
無理やり祈って、もう祈りなさいと言うから適当に祈って。
これが喜びがあるんですか。
夫婦の間で本当に妻を愛して愛することと、
妻だから、私が旦那だから義務的に愛することとは全然違うように、
喜びを持って愛すること、これを神様が一番願っておられます。
喜びを持って愛するなら、すべてを持っている神様が何を与えてくださらないのでしょうか。
神の愛の中にいるとき、一番豊かで、一番幸せで、一番祝福に満ちあおれると信じます。
しかし、私たちはどれほどこれをよく失ってしまうんでしょう。
これをどれほど忘れてしまうんでしょう。
ですから、私たちの信仰には新たにすることが必要です。
昔、私たちは昔の韓国の教会は春をリバイバル集会として、
秋になったらまだリバイバル集会、なぜでしょう。
忘れるから、忘れるから。
だからもう偉い先生たちが来られて、
まだメッセージを通して心を入れ替えてくださる、しっくり替えてくださる、
このことを度々やりましたけど、
私たちには10月ぐらいにやることしかありません。
私たちはどうすればいいでしょう。
見言葉を受け入れて、誠に悔いを改めるとき、
精霊様が新たに来られて、私たちの心と体をすべてを考え、
精神的な部分まですべてを新たにしてくださいます。
大事なのは精霊様です。
精霊様を逃さないように、忘れないように、
いつも精霊様に求めていく私たちになりましょう。
新しくしてください、新たにしてください。
昔々私が神様に出会ったとき、心がドキドキして、
礼拝に参加する度に涙が出るほど、
礼拝が素晴らしかった覚えが今はありません。
牧師でありながら、義務的に礼拝を導くとか、
義務的に神と皆さんのために祈るんだけど、
昔のように一人の人に会って、
与えられたことに喜び喜び喜びがあって、
その人のために一週間祈って祈って祈って祈って準備して、
それで私がその人のために御言葉を与えながら、
その人の悔いを改めるように助けながらやっていた、
この情熱と純粋な心が今はありません。
主よ、私はどうしてこんなになってしまったんでしょう。
その理由、皆さん今日覚えながら、
一つ一つ罪、またいろいろな思い煩い、
またいろいろな世の中の誘惑、
全てを追い払って、主との関係を取り戻しながら、
十日十日、私はあなたしかいません。
あなただけで十分です。
私にあなたを豊かに与えてください。
私の心を百パーセント、百二十パーセント、
あなたによって満たしてください、満たしてください。
切に切に主を求めるなら、必ず主は来てくださるし、
私たちの心がリバイバルをできるように助けてくださると信じます。
この春、春は全てが何か生かされる時期です。
この春の四巡節、この時期にイエス様の十字架と復活を通して、
心を新たにする、入れ替える、この素晴らしいチャンスになりますように、
私たちは切に主を求めるこの時期になれればと思います。
お祈り出します。
主よ、四巡節の今の時期、
本当に私たちの信仰を新たにしてください。
昔はあなたに対する感激がありました。
この心からの賛美がありました。
しかし今はありません。
どうしてこんなになったのか、
よくよく調べて悔い改めて、それを入れ替えて、
あなたを愛する、この時が一番良かったと思うその時を、
もう一度私たちに取り戻してください。
あなたを愛し、あなたの中に留まるものになりたいです。
助けてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アメン。