ギリスト社に何がうまくできる技術、戦略、方法が必要でしょうか?
ギリスト社に、私たちにある方法、戦略は何でしょうか? これは神の御臨済です。
神様との親しい間乗りの中で、すべてに対して、神様はこれをどうすればいいですか?
問う、聞く、従う、これなんです。
私たちの神様の問い、聞き、従うことさえできれば、神様が来て共にやってくださいます。
そして私たちがやるべきことを、神様が自ら解決してくださいます。
この以外は、ギリスト社に方法はありません。戦略はありません。
問題があれば、神様に祈る。 神様の指示を待つ。
神様が教えてくださるなら、従う。 これが、神の民がこの世の中で生きる方法、生きる戦略です。
その神様の御臨済のために、大事なのは、御言葉を読むこと、祈ることが必修なんです。
ですから、イエス様は私たちに、祈りなさいと言われます。
さあ、創世紀3章、戦略の知識の木の実を食べたその後、この世のすべての人、人類には問題がたくさんあります。
この問題を解決する方法として、イエス様は、祈りなさいと言われます。
今日読んでくださった、ルカの中八書の御言葉は、イエス様が弟子たちに、祈りについて教えながら用いてくださった例です。
ルカの中八書には、あるヤモメがいました。
ヤモメ、当時のユダヤ人の世界、イスラムの世界には、女性は力がありません。男性が力があります。
男性がいない、女性だけの微分、これヤモメです。
ヤモメが一番世の中で弱い立場の存在です。
世の中で一番弱いヤモメが、世の中で一番強い力を持っている傲慢な裁判長、そのお互いには、もう話ができる相手ではありません。
ところがヤモメは、たくさんの恨みを持っていた。自分たちが解決しなきゃいけない、たくさんの問題を持っていました。
しかし、自分の問題を裁判長に願いをして、裁判長に何か解決してもらうんですけど、もらわなきゃいけないんですけど、
裁判長は神様も恐れない、人を人として思わない、傲慢な人でした。
だから、ヤモメのような力がない人は無視するでしょう。
はじめは無視したんですけど、ヤモメはどうして自分の問題解決ができたのか、
毎日毎日尋ねて、助けてください。私の問題、私の恨みを解決してください。
もう裁判長に煩わしいほど、尋ねてきました。
だから裁判長は考える時に、この人を問題解決してあげなければ、散々な目に遭うようになるんじゃないかと思って、
裁判長は弱いヤモメの問題を解決してあげたということです。
それを用いてイエス様は、祈りはこうするものだよということを弟子たちに教えてくださったんです。
祈りは一回やって、助けてください、問題解決してくださいと尋ねて、
やってくれなければ仕方がないなと諦めるものではない。
解決できるまで毎日毎日尋ねて、訴える、訴える、訴え続けること、これが祈りだよということです。
しかし傲慢なヤモメ、続けてこのお話、訴えることができるのは、森さん難しいでしょう。
無視しながら退けられたとするなら、二度もいけないんじゃないですか。
でも彼女は続けていくしかなかった理由は、悔しさだったからです。
彼女はこの問題を解決しなければ私は勝負できないという悔しさ。
また解決してくださる相手はその人しかいない。
だからその人しかいないから、その人に行って訴えるしかなかったでしょう。
続けて続けて訴える時、裁判長は煩わせるヤモメのこの恨みを解決するしかなかった。
それでイエス様は不義な裁判長だとしても諦めない。
このヤモメの願いを解決してあげたなら、
私たちを愛し憐み深い神様は私たちのすべての問題を解決してくださるのに違いがないでしょう。
だから昼も夜も叫び求める者の選ばれた人たちのこの願いを必ず解決してくださる。
だからこのように祈りなさいということです。
イエス様がお話しされる要旨は、諦めないで続けて祈りなさい。
弱い私たち、この世の中には問題がたくさんあります。
私たちにもいろいろな恨みがあることがたくさんあるでしょう。
難しいことがたくさんあるでしょう。
どうしたらいいでしょうか。
イエス様は最後まで諦めないで祈りなさい。
そうするなら神様が必ず解決してくださるよというお話を今日されたんです。
じゃあここで、なぜ続けて祈らなければいけないんですか。
自分の子供が一回話をするなら聞いてくれればいいでしょう。
なぜ祈りの応答に時間がたくさんかかるのでしょうか。
これを必ず私たちは知らなければいけません。
祈りの応答には先決条件があるからです。
じゃあまず、願いをする私たちと祈りを聞いてくださる神様の間の関係性が問題。
神様と私たちの関係がもうダメになっているならどうですか。
神様と私は全然知らない関係だったら、私たちが祈るんだって神様は聞いてくださいますか。
また私たちは神様が嫌がることばかりやりながら、神様これは助けてくださいと言うなら、神様は解決してくださいますか。
これを必ず直さなきゃいけないでしょう。
じゃあ皆さん聖書にこのような見事があると知っていますか。
イザヤ59章1節2節です。
主の手が短くて救えないと言うのか、主の耳が鈍くて聞こえないと言うのか、
むしろお前たちの悪が神とお前たちの間を下手で、お前たちの罪が神様の御化を隠させ、お前たちに耳を傾けるのを妨げているんだということです。
ここで私たちの悪、私たちの罪の問題を解決しなければいけないでしょう。
またマザイ18章33節にはこう言われています。
私たちの過ち、罪を神様が許してくださったように、私たちに罪過ちを犯した他の人も許さなければいけない。
許さなければ神様も私たちを許してくださらないと言います。
だから私たちは神様に祈りの答えをいただくためには、私たちの何か追い目のある人たちをまず許したり、
その人たちの問題を解決しなければ、神様さえも私たちを許してくださらないと言うから、
祈りの答えをいただくためには、私たちの周りをよく見て、まずその問題を解決しなければならない。
また聖書には私たちは神の御心にかなう祈りをしなければいけない。
しかし私たちは神の祈りの身分が何なのかよくわからないでしょう。
だから祈りを始めたら、神様はこのような問題を一つ一つ解決してあげながら、
それで私たちの祈りに応えてくださるから、先決条件、そのことを解決するのに時間がかかるということです。
ですから私たちはこの答えが出るまで、私たちは祈らなければいけません。
祈りの中で神様が応えてくださるこの器を作ってくださる、綺麗に作ってくださる、
問題があることを一つ一つ片付けてくださる、この働きを神様がまず行うのです。
しかし祈ってすぐ、もう答えてくださるんじゃないかと思ってやめてしまうなら、
片付けてくださることもできないし、私の信仰を変えてくださることもできないし、祈りの答えもいただくことはできません。
しかし続けて祈るなら、祈りの中で私たちの信仰も変えてくださるし、周りも片付けてくださるし、私の器も綺麗に神様が解決してくださります。
そしてその祝福されるべき、この綺麗になっている器に神様が応えてくださるなら、
この答えてくださったことが私だけじゃなくて、全ての人の益になる、素晴らしいことになるんです。
皆さんここで大事に思っているのは、神様は適当に答えてくださることはありません。
神様は必ず器を作っておいて答えてくださいます。
私たちの教会、今、新しい革袋の教会を作りましょうと言うでしょう。
神様はリバイバルを適当なところに送ってくださることはありません。
新しい革袋を作っておいてリバイバルを送ってくださるんです。
これは神様はもうそれしかない。
神様はアブラームを呼ばれながら、創世紀中二章二節を言われます。
私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源になるようにと言います。
大いなる国民、子供一人じゃありませんよ。大いなる国民を与えてくださる。
約束しておいて、一作を与える時まで25年間かかりました。
なぜ25年間も必要ですか。子供一人与えてくださればいいでしょう。
子供を与えるのが問題じゃなくて、アブラームが器が、アブラム、アブラハムじゃなくてアブラムになる、この器が小さすぎたんです。
だから、一作にふさわしい、大いなる国民にふさわしい器を作っておいて、一作を与えてくださったんです。
そうする時に、アブラムはこれから信仰の継承、アブラムは一作を約束、それで大いなる国民を作ることができたんです。
そのような器作りのために神様が、私たちの祈りを通して、私たちの器を変えてくださるので、
一回祈って、できないじゃないかと思って、諦める、やめる、このような祈りになってはいけません。
祈りの時間を通して、私たちの器を変えてくださるので、最後、最後まで祈り続けなければなりません。
最後まで祈ることは絶対無駄ではありません。祈ったことには必ず答えがあります。
私だけじゃなくて、私たちの子孫まで、みんなに幸せになるような答えを必ずくださいます。
ですから、私たちが祈った結果は、全てが幸せになるようになります。
私も苦労して祈りました。祈り続けました。神様がなぜ、一人子供を与えてくださらないんですか。
25年間続けて続けて、神様に訴えながら、子供をください、子供をください、続けてやりました。
25年経って、遺作をくださったんですけど、皆さん、遺作の名前の意味、ご存知ですか。
遺作の名前の意味は、「笑った」ということです。笑った。
私の家の子どもはうまくできていません。
どうしてその家はうまくできているのか聞いたら、教会に通っているんだ。
私も教会に行ってみようかという願いがあって、それで父が怖い人なので、日曜日の朝、教会に行ったらもう大変になるから。
だけど私はどうしようかと思ったときに、蒼天の祈りに行けばいいんじゃないかという気持ちになって、初めに蒼天の祈りに出ました。
その蒼天の祈りで、ある伝道師さんがメッセージをされたんですけど、そのメッセージの見言葉が何だか、ヘブナー書中1章6節です。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神が存在しておられること、また神はご自分を求める者たちに報いてくださる方であることを信じなければなりません。
神様は必ず報いてくださる方を信じなければいけない。
私は報いてくださることを願っているので、是非とも是非とも報いてくださいという気持ちで、このヘブナー書中1章6節、教会に初めに行ったときに初めに出会った見言葉でした。
この見言葉を掴んで、私は毎日毎日、朝、蒼天の祈りに行きました。
今考えてみれば、全ては神の手を求める祈りばかりだったんですけど、神様は初めに来た私に熱心に神様を応えてくださいました。
この次に私は洗礼を受けました。洗礼を受けてから、私の家が本当に大事に思っている洗浄を拝む儀式、このジェサーブ。
これが私はできないと空中崇拝だと分かりました。私は長男であり、私はまだ直孫である私が、洗浄に対して儀式を私は拝むことはできません。
私の父はもう怒って怒って私を追い出してしまいました。大学3年生の時に私は怖くて家から逃げてしまいました。
家から逃げて学校に戻ってくるバスの中で、世の中を見てますと世の中の人々はみんな幸せに見えるんだけど、なぜ私は信仰によって家から追い出されるこのことがあるのかと思ってすごく悲しくなりました。
ところがそこには神様の計画がありました。その時神様は私に、私は聖書も読んでないのに私の頭の中に御言葉がありました。
聖霊様が入れてくださったでしょう。マルコ10章29節30節です。
イエスは言われた、はっきり言っておこう。私のため、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、裸を捨てた者は誰でも、今この世で迫害を受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、裸も百倍を受け、
後の世では永遠の命を受ける。今私は家のことを犠牲するかもしれないけど、神様は必ず百倍報いてくださることを、これを美子玉が教えてくださるじゃないですか。
私が今迫害を受けているんですけど、そこには神様の計画があるんだなと。それが私の家を救う計画でした。
毎日出て、美子玉通り、私の家庭を救ってください、祈りました。その結果、神様は、私の家族一人一人に働いてくださった。
初めは私の母が信仰に入り、次には私の弟が信仰に入り、最後は私の父が信仰に入りました。
30年間かかったんですけど、父が私に洗礼を受けたということです。私に父が洗礼を受けた。理解できますか?
また、日本で私は息子をインターネッションスクールに送ったんですけど、そこでいじめを受けました。
また、私は私なりに仏会が下手くそで、2005年度仏会を失敗して韓国に戻らなきゃいけませんでした。
ほぼ3年間、韓国で浪人をしました。 子供の問題、仏会の問題、
私はもうこれからも会社に行こうともできなくて、子供の問題、仏会の問題どうしようかと思って、
毎日蒼天の祈りに行って、ほぼ泣くほど祈りました。 皆さん、
息子が当時いじめられて引きこもりまで行った。 その息子を生かすために学校に行って校長先生の前で泣いたり、
また病院に行ってお医者さんの前で泣いたり、 教会の良い教会というところに行って、何とか祈ってもらって助けてもらいたくて、
ほぼ毎日泣きながら子供を生かすために頑張りました。 また私は宣教師なんで韓国に行ったら
韓国でウロウロしている宣教師、牧師たちがたくさんいました。 もう韓国で何か働く場所を探すのはもうこれはダメでした。
教会に行ったら、皆さん教会でこう言います。 日本の宣教師でしょ。いつ日本に戻りますか。
日本に戻る教会もないのに、 宣教師、牧師、教会行けませんよ。
本当に難しい状況でした。 だから家族4人みんな苦しんでいるし、息子も難しい状況で、私もビジョンがない。
本当にこの状況の中で、悲惨な悲惨な状況で、 そこで毎日早天の祈りに出て叫ぶこと以外は道がありませんでした。
叫んで叫んでいるこの時間を通して、神様は私の信仰を古い皮袋から新しい皮袋に変えてくださる時間でした。
ある日早天の祈りで、祈って終わって帰ろうとする時に、何か見言葉がパーッと耳に聞こえてくるんですよ。
何の見言葉なのか、なぜ唸たれるのか、私の魂よ。 なぜ埋め込むのか、神を待ち望め、私は名を告白しよう。
神を起こそう、私の救いと。 私のこの見言葉を持って家に帰って、聖書どこか読んだ見言葉でどこなんだろうと探していたところで、
詩編の142編、そのところに見言葉があることがわかりました。 その見声を聞いて間もないうち、道教のある教会が私を読んでくれました。
それが前の教会でした。 皆さん、祈りということはすごいものですよ。
祈りは辛いから祈るかもしれないけど、祈りは必ず素晴らしい答えが待っているんですよ。
皆さん、東西南北、みんな塞がれているとしても、落胆しないでください。
上の扉は開けているんじゃありませんか。 当時毎日死ぬほど苦しかったんですけど、
今考えてみれば、その時泣きながら祈った祈りの答えが、一つ一つ出し遂げていることに感謝します。
しかし、また終わっていることではありません。 私に見せてくださった職大の幻、またあります。
私は信じます。私が諦めないで最後まで祈るなら、神様は必ず私を最善の道に導いてくださり、
その職大の幻も必ず成し遂げてくださると信じます。
私は死ぬまで諦めないで祈るつもりであります。
今考えてみますと、今まで祈ったことがほぼほぼ成し遂げていることがわかります。
その間私は全てを用いて祈りました。 教会に行ったら僕先生のメッセージがあるでしょう。
私はメッセージを全部書き取りました。 全て書き取りました。その中で祈ることがあるなぁとチェックして、それを用いて
蒼天の祈りに行って、それを全部祈りました。 また生活の中で色々な問題が起こるでしょう。
それは全部祈りの対目です。 明日朝、もうこのことを思って神様に祈ろう、祈り続けました。
その祈り、当時は難しくて苦しくて仕方がなかったんですけど、 それがあるからこそ私は祈ることができたことに感謝します。
私が祈ったことは全て解決できました。 皆さん、私の父、母、私の兄弟たちにこれが成し遂げられ、
また私の子供、成し遂げられ、 また私はこれからも私の教会にこれが全て成し遂げることを信じます。
皆さん、私はいろいろなことを教会に通いながらたくさんの考えたものですから、 韓国の超大型教会の牧師先生たち、私はいろいろ調べてみました。
その牧師先生たちが成功するしかない秘訣がありました。 その秘訣が何か知っていますか?
その先生の前、このお父さん、まだこの祖母、この上のその方たちがたくさん祈ったことがわかりました。
その方たちが成功したのはただ成功したことではありません。 その前の先祖たちが、2代、3代目の先祖たちがたくさん祈った祈りの結果、
この祈りの背景があってから、今の先生たちがこんな素晴らしい牧会ができるんですよ。 皆さん、その先生と私の働き、真似できますか?できません。
その先生たちは勝てません。なぜなら、その祈りの背景がその先生たちを支えているからです。
しかし、私には祈りの背景が全くありません。 だから私はたくさん苦労しています。
今も苦労しているところであります。 しかし、私は今祈っていることは、私の子供たち、
私の子の次の世代には絶対、私みたいな苦労をさせたくありません。 だから私は子どもたちのために祈ります。
私の祈りのおかげで子どもたちが良くなるでしょう。 今私は教会の子どもたち、2世たち、またお年寄りの皆さんのために祈っています。
私の祈りがその方たちに必ず成し得ることを信じるからです。 立派になる方は、その前の2代、3代目前からずっと祈り、祈った結果が今、その先生方です。
私とその先生たちはもう比較できない。 勝てません。 理由は、その先生たちには支えてくれる祈りのパワーがあるんです。
祈りの背景があるんですけど、私はそれが全くないからです。 だったら皆さん、私たちの子どもたちどうしましょうか。
教会の子どもたち、2世たちどうしましょうか。 私たちが祈りをして、その方たちを支えていかなければいけませんじゃありませんか。
だから私たちが今やるべきことは、大事なのは祈りなんです。 私たちが子どもたちに何か譲ってあげるものがあるんですか。お金がたくさんありますか。
何を遺産として残してあげますか。 一番大事なのはお金ではありません。
一番大事なのは祈りの遺産なんです。 祈り。子どもたちのために祈っておけば、神様が私と次に次に祈ってくれる。
アブラムを祈ったから、アブラムの祈りを聞いて、イサクをうまくできるし、ヤコクがうまくできるし、ヨセプがうまくできたんです。
アブラムの祈りのおかげは、子孫たちに全部与えられたことと同じなんです。 子どもたちに祈りの遺産を残すほど大きな祝福はないと思います。
ところが現在の元にある人たちは、私たちは祈りません。 少し生きる道が見えたら、祈らなくてまたそこでやるんですよ。