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「若者よ、起きなさい」2026年4月19日のメッセージ
2026-04-19 36:02

「若者よ、起きなさい」2026年4月19日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年4月19日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T

▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9

▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch

 

(聖書) ルカ-17  それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。

 

メッセージ題 : 若者よ、起きなさい (ルカ-17)

*もしある人が、他の人は持っていないお金を沢山持っているとするなら?その人はお金を持って?

*もしある方が、世の中で他の人が持っていない命を持っているとするなら?命を持って働くでしょう。命は神様だけ!神様は天地創造のときから命を持って?全宇宙を動かされ、世界に命を与え、人間も

*この世の神と言われる悪魔は死の力を持っているから?戦争、分裂、殺すことを…ヨハネ10:10なぜ悪魔を盗人と?世の初めからアダムが持っていた世の支配権を騙し奪って?イエス様が来られた理由

*神様は創造の初めから…命によって!特に、贖いの死をされたイエス様を復活させた?ローマ8:11

 

1.今日は、ルカ7章を通して、イエス様が行われた命の働きについて…

*死の力悪魔が支配するこの世は?病んで、痛んで、死んでいきます。ルカ7:1-10で,また11-12

*さて、イエス様の一行がナインの町に近づいたとき、葬儀の行列と…ある寡婦の一人息子の死?当時の女性の立場?男性がいなければ何にもできない社会。夫が死んだときは息子がいるから!しかし一人息子まで死ぬなら…生きる意味、目的、希望がすべてなくなりました。未だ若い息子が死んで無気力に?←なぜ泣くしかないのか?死んだら終わりだから!いくら愛しても、人間の限界、仕方がないから。このように死の力は、いつもいきなり襲ってきて、私たちの貴重な人と希望を奪っていきます。

#しかし、この死の行列を止まらせる力の方が…命の主、イエス様!イエス様は彼女を憐れんで共感され

13節、「もう泣かなくともよい」と言われた?泣かなくても良いとは?泣かなくともいいように私がしてあげる?との意味。どうしてイエス様はそんなお話ができるのか?←イエス様こそ、復活の命の権勢者であるからです。#イエス様は私たちの罪、過ちを担う為来られ、寡婦の悲しみを解決する為にナインに

 

2.では、イエス様はどのように、この女性を悲しくないようにしてあげられますか?

*7:14近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。(民数記19:11には死体に触れた人は汚れるといわれるが)イエス様は触れながら言われた!その一言に不思議なことが!「15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。」 いきなり、悲しみの行列は喜びの行列になり、死の行列は復活の行列に変わり、神様を賛美したと!=このイエス様は、ただ病気を癒す程度のお方ではなく、死んだ人も生かされる復活の主、命の主である! #ここで、若者よ起きなさいと言われたのですが、ではお年寄りは無関係なのか?イエス様のお歳は永遠!従って皆は若者であり私たちに向けられた御声として。*イエス様の御声を聞くとき、若者はこれ以上、棺に閉じこまれる必要なかった

*イエス様は私たちの心の中の人間限界、絶望感を追い出し、命と復活の喜びを与えるお方、恐れを追い出し、人生の希望を新たにされるお方!使徒行伝の使徒たちは?今日の若者は?復活の証人に

 

3.先週から、神様が私に与えて下さる感動?御声?

*なぜ、私たちは神様が与えて下さった子供の権勢を使わないのか?ヨハネ14:12,ヨハネ20:22-23霊的な癒し、全人的な癒しは罪の赦しから! *何がやさしいのか?ラザロが生かされることとvs私たちの家族の癒し?→神様は癒すのに問題がありませんが、私たちが信じないことが問題。ここで、マタイ18:18-20を覚え、共同体の祈りの力を使いましょう。@イエス様は、今も復活であり命であります。

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サマリー

本メッセージは、ルカ7章のナインの町で起こった、やもめの一人息子をイエスが蘇らせた出来事を通して、イエス・キリストの「命の働き」と「復活の主」としての力を伝えています。悪魔が死の力で支配するこの世で苦しむ人々に対し、イエス様は「若者よ、起きなさい」という御声で、死の行列を喜びの行列に変え、絶望の中にあった母親に希望を与えました。この出来事は、イエス様が単なる癒し手ではなく、死をも克服する復活の主であることを示しています。 さらに、このメッセージは、私たちも神の子として与えられた力を行使し、恐れや人間の限界を乗り越えて、互いのために祈り、神の約束を信じて行動することの重要性を強調しています。ラザロの蘇生やナインの若者の復活のように、イエス様の御名によって祈る時、神は不可能を可能にし、私たちを通して大きな働きを成し遂げられると語りかけています。教会は、この復活の命と信仰をもって、互いを家族として支え合い、神の国を広げていく使命を持つと結ばれています。

命の源としての神と悪魔の死の力
今日は、「若者よ、起きなさい」という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
もし、ある人は、世の中で他の人が持っていない お金をたくさん持っていると思いましょう。
そうするなら、その人は、そのお金によって 世の中で何かしようと思うでしょう。
もし、この世の中で誰も持っていない 命をある方が持っていると思いましょう。
その方は、その命を持って、 たくさんの人に何か与えようと思うでしょう。
まあ、はじめから言葉が変ですけど、何を言おうかと言いますと、 命は神様だけが持っているんですよ。
命、永遠の命、まことの命は神様だけが持っています。 世の中、誰も持っていません。
もちろん神様は、永遠の命、命だけじゃなく、 他のことも全部持っていらっしゃるんですけど、
神様がどこに持っておられるのは、命です。命。
神様はその命を持って、天地万物を創造されました。
神様がこの命を持って、今、全宇宙を動かしています。
これを動かすのにエナジーが必要でしょう。 この命の力で動いています。
また、神様は、春、夏、秋、冬、この季節の変わりを与えてくださり、
また、冬、全部死んだと思っているこの地域から、
春になれば、芽が出て、何とか命の働きができる。
また、それを持って、秋には実を与えてくださる。
これ全ては命がなければできないことです。
神様がその命を絶対自然に与えてくださいます。
また、その命を持って、土で作った人間の花に命を入れられたら、
人間が生きるものになった。
ですから、今、これが私たちなんです。
私が土で作られた、信じられますか?
聖書は確かに言っています。
土で作ったのに、神の命が入ったら、今のような、もうこの皮膚、柔らかいこの姿になったという、不思議な命です。
神様、この命を持って、全世界を命を与え、動かし、実りも与えてくださり、
全てを潤がすように、私たちを喜ばせてくださいます。
ところが、この世の神と言われる悪魔は、死の力を持っています。
この悪魔は、死の力を持っているから、いつも悪魔の働きには、殺そうとするんです。
いつも戦うようにします。戦争するようにします。
幸せな家に悪魔が入ったら、夫婦喧嘩、また家庭がダメになります。
教会に悪魔が働いたら、悪魔は悪魔に好きを与えたらいけません。悪魔は好きを狙ってくるものだから。
だったら、教会が争いになり、分裂になって、教会がダメになってしまいます。
ですから、聖書は、言わぬに中書中説。
盗人が来るのは、盗んだり、放ったり、滅ぼしたりするためにもかならない。
私が、イエス様が来られたのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため。
なぜ悪魔は盗人というんですか。悪魔は、悪魔が持っている今、この力はどこから来たんですか。
もともと、アダムが持っていた力。
人間、アダムが持っていた、この世の管理権、支配権。
それを、アダムを騙して、誰も騙されて、従う者の奴隷になるものですから。
だから、人間が、神様の子供が、悪魔の奴隷になってしまって、
この世の管理権、支配権を、悪魔が持って、この世の神のように今、働いています。
騙されなければいいのに、今も全世界の人々が騙されていると、牧師録、中二症、旧説は教えてください。
全ての人が今、騙されて、悪魔についています。
だから、悪魔は今、全世界の人々の神、主、王なんです。
でも、神様の立場から見ていますと、これは泥棒なんです。
アダムが持っていた、この世の管理権、支配権を、盗んで、悪魔が使っているから。
だから、悪魔の働きを滅ぼすために、イエス様が来られたと。
イエス・キリストの復活の命の働き:ナインの町の奇跡
第1話の3章8節を教えてください。
天地創生の時から、神様は、命の働きを熱心に働いています。
旧約聖書を見ていますと、命の働き、奇跡、救い、もう様々な働きが書かれてあります。
新約聖書に入っても、神様は、イエス様、人たちを通して、大きな働きをしています。
一番、驚くほどのもの、感謝したいものは、人類の救いのために、
十字架で、贖いの死、贖うための死を担われたイエスキリストを、十字架の死から救われ、復活させられた。
これが、本当に本当に素晴らしいことだと思います。
このイエス様を信じる者は、イエス様が復活されたように、私たちも復活するんだと、ローマ書8章11節は教えています。
旧約聖書から今に至るまで、神様の働き、命の働きは、今、熱心に紹介されています。
今日は、この中で一つ、ルカの7章を通して、神様、イエス様が行われた命の働きを分かち合いたいと思います。
死の力を持っている悪魔が支配するこの世の中は、本当に問題が多い。
死の力で支配するから、みんなが苦しんでいます。
もうみんなが、本当に苦しんでいます。
この苦しみのすべての理由は、罪のゆえですけど、
罪のゆえに、命である神様から切り離されて、悪魔の支配下にある。
これが、あと、永遠になることが地獄でしょう。
しかし、今も地獄のような状態です。
今、皆さん、いろいろな苦しみ、弱さ、貧しさ、これになっているんですけど、
この救いはどこから来るんですか、といったときに、
この世の中はどれほど難しい状況なんでしょうか。
だから、みんな苦しんで、病んで、それで死んでいくところです。
ルカの7章の初めのところを見たら、
100人台上の大切な負荷が病気にかかって死にかかっている。
病気になって死にかかっていることを分かって、イエス様がその人を癒してくれます。
じゃあ、命の働きがありますね。
また、今日紹介してもらいたいと思います。
7章の11節から、弟子たちと一緒にナインという町、名前がナインですけど、
ナインという町にイエス様が行こうとされます。
じゃあ、イエス様がナインという町に近づいていったところで、
ある母親の一人息子が死んで、
その葬儀の行列が、そこで行列とイエス様の一行が会うようになりました。
その姉妹はヤモメなんですけど、彼女の一人息子が死んだということです。
ヤモメで一人息子が死んだそのところで、
この死の力の前ではみんなが泣くしかない。
何にもできないんです。
だから、母親も泣いているし、ついていく全ての人は悲しい悲しい泣いているだけなんです。
彼女もある時、愛する弟と結婚して息子を産んで、幸せな家庭を作りました。
家族を一緒に暮らす、これが一番幸せでしょう。
しかしある日、ご主人が、旦那さんが死んでしまいました。
ユダヤの世界で男性がいないということは、
女性の働きは何にもできない一番弱い立場ですから、
絶望と悲しみの中でどう生きればいいか。
しかしその時は一人息子がいたんです。
息子と一緒に、息子に全ての希望をかけて、
息子が自分の生きる理由、生きる希望、息子がうまくできることを見ながら、
悲しみも乗り越え、何とかうまくいこうと頑張りました。
しかしある日、主人が亡くなってしまいました。
主人じゃなくて、一人息子も。
主人が亡くなった時には一人息子がいるから、
一人息子に希望をかけてこれから生きようとしたんですけど、
一人息子さえも死んでしまった。
もう彼女の人生どうなるんでしょう。
生きる理由がありますか。
希望がありますか。
何を目的として生きる。
もう金持ちになりたい。
もう金持ちになったんで、彼女は何にできるんでしょう。
一番気になっているのは、
一番悲しいことは、一番熱心に働く若者。
この時に横たわっている、この息子を見る時に、
もう嘆きするしかない、この母親の気持ち。
母親が悲しんでいるから、周りについていく人も全て悲しんで、
葬式を行うために一緒についていくところなんです。
なぜみんな悲しく思いますか。
死んだら終わりだからです。
いくら愛する人だとしても、
愛する人だとしても、愛する人が死んでしまえば、
何もできない。
泣くしかない、この悲しみ。
これが今世の中の状況です。
しかし、この死の行列を止まらせる方がいらっしゃいます。
この方が復活の主、命の主であるイエス・キリストです。
イエス様は彼女を憐れんだということです。
もう聖書の中に書いてあります。
ご自分の悲しみのように、イエス様は悲しまれて働きをされたという。
じゃあ、悲しんでおられる彼女に、
誰が何をもって慰めることができますか。
今、主人も亡くなって、一人息子も亡くなって、泣いています。
誰がそこにいて、何の言葉を語ってくれれば、
彼女はこの悲しみから乗り越えること、生き返ることができますか。
悲しむ彼女を慰めることは、何にもできません。
本当に大きな悲しみによって、泣いている人を
ところにいて、何とか何か喋ること自体が嫌なんです、これが。
ストレスなんです。
一番いいのは、泣いている人の隣にいて、一緒に泣いてあげること。
これしかないかなと思うんですけど、
そこでイエス様は何とか言われたんです。
何を言われたんですか。
十三節です。
主はこの母親を見て、哀れに思い、
もう泣かなくてもいいと言われた。
もう泣かなくてもいい。
皆さん、この話は誰ができる話ですか。
泣かなくてもいい。
泣かなくてもいい何か、何か対策、法案、何かが、道がありますか。
それがないのに泣かなくていいよ。
どうして泣かなくてもいい状態になりますか。
どうしてイエス様は泣かなくてもいいと言われるんでしょうか。
イエス様だけが、この悲しんでいる彼女の悲しみを解決してあげることができる、
復活の命を持っておられるからです。
イエス様だけが慰めることができます。
世の中、誰も慰めることができません。
イエス様は私たちの罪、過ちをすべて背負って、
贖いの死のために、忠実家を背負うためにこの世に来られて、
またイエス様は、このナインの城の町のヤモメを助けるために、
慰めるために、彼女の問題を解決してくださるために、
ナインの町に来られたんです。
ではイエス様はどのように、この姉妹が泣かないようにしてくださるんですか。
イエス様はまず彼女を慰めてから、
死んで横たわっている、この息子の棺のところに行きました。
民俗中級書では、死んだ人と接触するなら、その人も穢れるというもんですけど、
イエス様の愛はこの立法を乗り越えています。
イエス様は棺に手を振れ、こう言われます。
若者よ、あなたに言う。起きなさい。
その一言で、驚くほどのことが起こりました。
すると、詩人は起き上がって、物を言い始めた。
詩人は起き上がって、何か物を言い始めた。
それで、お母さんがそこに行って、抱きしめて、何とか言ったでしょう。
一瞬の時に、悲しみの涙が喜びの涙に変わりました。
死の行列が復活の行列に変わりました。
その死の行列についていた全ての人が、
共に神様がこの民を心にかけてくださったと言いながら、
神様に栄光を与える賛美をする場面が出てきます。
この聖書はイエス様がどんなお方なのか、確かに教えてください。
イエス様はただ病気を癒してあげるレベルの方ではなく、
死んだとしても生き返らせることができるお方なんです。
イエス様が若者よ、起きなさいと言われたんですけど、
それがただ、ここに横たわっている若者だけが起き上がるような、
このようなメッセージでしょうか。
そうではありません。このメッセージは事実。
これからこの聖書を読む全ての人に与えられる神様の見言葉なんです。
若者よ、起きなさい。
私は年寄りだから関係ないかな。
皆さん、イエス様お年は何歳ですか。
イエス様は永遠です。
イエス様に比べたら全ての人が若者です。
特に今ここで若者というのは、
一番熱心に働くことができる年の人を言っています。
みんな熱心に働くことができれば、全部若者です。
熱心に働くことができる人が、
なぜ無気力でここで倒れて、
ここで今横たわっているのか、
それも死の力に抑えられてということなんです。
だけど死の力に抑えられていることではなく、
私は命の主だから、
私の話を聞いて、
起き上がりなさい。
もうあなたは立ち上がりなさいというメッセージがここにあるんです。
若者よ、起きなさい。
そうです。
このイエス様の見声を聞くときに、
もう質疑の中で横たわっていたこの青年は、
起きるしかない。
この命のパワーによって、
これをファーッと立ち上がって打ち破って、
それを起きるしかなかったということ。
このようにイエス様は、
私たちの心の中で、
いつも私たちは人間の限界ということがあるんです。
いや、私はいくら頑張ってもこのぐらいしかできない。
私が何をするんだとしても、
いや、これはできないだろう。
あきらめる。
だから絶望してあきらめられる人が多いでしょう。
そのことを追い出し、
神の命と復活の力、
神の恵みを吹き入れられるお方です。
また神様は、私たちの心の中にある恐れ。
一番問題は悪魔は恐れを持って働くんだと。
恐れをおののく人に悪魔は、
その中にファーッと入っていきます。
なぜなら、悪魔は臆病の霊だからです。
臆病、恐れるところには悪魔が働きます。
神様を賛美し、神様を褒めたたえるところには、
精霊が働きます。
だから皆さん、心配、悩み、悩み、心配やめなさい。
聖書で一番禁じているのは、恐れるのはやめなさい。
心配やめなさい。
恐れ、これは絶対にだめなんです。
なぜなら、これは悪魔の隙を与えるものになる。
だからどうしよう、今日はだめだ、
今日はできないんだろう、
私はこれはできない。
そのようなあきらめる考えを、
イエス様に任せて、
主の御力によるなら、私は何でもできます。
神は不可能があるのか、
神はできないことはない。
だから、神を信じる人は、
私の力で生きるんじゃなくて、
神様の御力によって生きるものですから、
そのために精霊様が、
私のうちにおられるものですから、
だから信じていくなら、
精霊が共に働いて、
できないことも不思議に、
難しいことも、
何かパッと考えたら、
お、優しい道があるね、
何かシャッとできるね、
頭があまり良くなくて、
うまく何か働きができない人も、
イエス様が働いたら、
頭が良くないものではないように、
自分は働いてくるのが分かります。
すべてできるようにしてくださるお方が、
命の主、復活の主、イエスキリスト。
今日の聖書は、
使徒業、
今日の聖書は、
イエス様が出会う前には、
その棺の中で横たわっていて、
もうすべて死んだんですね、
この世と断絶されて、
もう死んでいる、
夢もいらない、
使命もない、
何にもない状態でした。
しかしイエス様が来られて、
「若者よ、起きなさい」という御声の力と希望
若者よ、起きなさい、
神の御言葉がシャーッと入る時に、
彼はしっかりパターッと立ち上がりました。
皆さん、一回死んだ人が、
生き返られて、
この世にもう一度死ぬようになったら、
生きるようになったら、
死んだことも経験して、
生きるようになった、
そのケネセギン先生みたいに、
もう死んで地獄の目の前まで行って、
生き返られた、
地獄の、
見て、もうこの世の中にって、
地獄ありますよ、地獄ありましたよ、
ケネセギン先生、
熱心に言うのをそれがじゃありません。
また、この命のところ、
死んだところから、
生き返られたところで、
イエス・キリストによってできた、
これをこれを何とか言わなければ、
一生涯この若者は、
イエス・キリストの証人として、
自分の使命ができたと思います。
この体験は本当に素晴らしいことです。
十字架と復活、
死んだ三日後に復活された、
これは普通のことではありません。
死んだという経験、
また、蘇られたという経験、
それを自分の人生の体験として、
一生涯自分自身を主のために、
行く、働く人にならせるでしょう。
だから、この棺の中で横たわっていた人が、
イエス・キリストの一言によって、
起き上がって、
それから、この若者の働きは、
これからどうなるでしょう。
素晴らしいことではないでしょうか、
ということは、
今日の先週が教えてくださることなんです。
先週、私はナザロ、
ナザロの余暇になって、
生き返られたナザロに対して滅路をして、
家にいるんですけど、
私の心の中で、
強い感動があるんです。
何とか声が私に聞こえてくるんで、
なぜ私たちは、
私たちに与えられた、
神の子供の力を、
県政を使わないのか。
第1ヨワネの福音書、
14章21節、
はっきり言っておく、
私を信じる者は、
私が行う業を行い、
まだもっと大きな業を行うだろう。
私を信じる者は、
私が行う業を行い、
もっと大きな業を行うことになる。
また、ヨワネ20章21節22節、
そう言ってから、
彼らに息を吹きかけて言われた、
聖霊を受けなさい。
他人の罪をもあなたたちは許せば、
その罪は許される。
じゃあ、イエス様のこの御言葉、
皆さん、霊的な癒し、
イエス様の癒しは、霊と精神と体の、
全人的な癒しなんですけど、
このイエス様の癒しは、
どこから始まるのか、
この霊的な癒し、
罪の許しから始まります。
ですから、
他人の罪をもあなたたちが許せば、
その罪は許されるという意味は、
全ての癒しを可能にする、
鍵を与えてくださったことです。
神様は、
私たちに人を助ける、
癒す、
救う、
鍵をくださった。
この全ての問題の原因は、
罪なので、
罪の許しを宣言する、
罪の許しを与える、
力をくださったということは、
全てのことの鍵をくださったことです。
ここで私は、
先週の感動を申し上げましょう。
死んでから4日になったラゾロに、
ラゾロよ、
生き返りなさい、
ということと、
今、私たちの家族が病んでいます。
この家族が癒されること、
死んだラゾロが生き返ることがやりやすいですか?
今、病気になっている家族は、
病気が癒されることがやりやすいでしょうか?
神様からの立場から見ていますと、
何がやりやすいでしょうか?
死んで4日になって、
臭い匂いも出るラゾロを生かすことが、
もっともっと難しいことではないでしょうか?
そのようなラゾロを、
墓から呼び出し、
また、今日のナインの町には、
若者が生き返られて、
物を言うことまでさせられた方が、
今、私たちの家族の病気、
家族の弱さを、
癒してくださらないのでしょうか?
ラゾロも生かされ、
ナインの若者も、
死から生かされた方が、
私たちの病気、
私たちの無気力、
私たちの知能の弱さ、
そのことを助けてくれないでしょうか?
神様は全てができます。
できないことはありません。
私たちを不可能だとすることも、
神様は簡単です。
神様は癌と風邪は同じです。
もういい、治すのが同じです。
ひどいことを言えば治ります。
簡単なことです。
神様には問題がないんですけど、
問題は信じない私たちが問題です。
私たちが不信仰しながら、
信じないだけではありませんよ。
祈らない。
また、イエス様の復活の力を使わない。
だから、神様は何にもできない。
私たちは神様の手であり、
口であります。
神様は私の口を通して語られ、
私を手を通してひどさわったり、
癒したりします。
口と手が何もしていない。
神の子の力を行使する:祈りと共同体の力
神様は感動を与えても、
何にも話さない。
何にも手を伸ばさない。
だから、神様が先週私に、
あなたは神の子供の力を持っていると、
理論では言うけど、
それを持ってあなたは何をやっているのか?
いやー、と。
だから、私なりに先週、
いろいろな文章を作ったり、
天道寺さんにメールしようか?
やめよう。
天道寺さんにメールしたら、
まだ負担に欠けるんだという、
いろいろなことがあるから、
私なりに一人、どうしよう、どうしよう。
神様、これをやりなさいと、
言われるような気がするんですけど、
これを言えば、みんなが、
いやー、こんなことまで?
と言っちゃうので困るから、
1週間我慢しました。
今日、やっとメッセージができるので、
私はここで、皆さんにあえて言います。
神様が約束されたんじゃありませんか?
皆さん、マタイの18章、
18節から20節。
これは神の約束ですよ。
私たちがもうやれば、
その通りにやってくださるということです。
はっきり言っておく。
あなた方が地上で繋ぐことは、
天上でも繋がれる。
あなた方が地上で解くことは、
天上でも解かれる。
またはっきり言っておくが、
どんな願い事であり、
あなた方のうち2人が地上で、
心を一つして求めるなら、
私の天の父は、
それを叶えてくださる。
2人また3人が、
私の名によって集まるところには、
私もその中にいる。
神様は、もう私たちが、
地上でやろうとするなら、
天上でやらせてあげる。
また2人が、
地上で祈るなら、
神様は私たちのために、
韓国の聖書では、
私たちのためにと書いてある。
私たちのために、それを叶えてくださる。
と書いてある。
また2人また3人がいるところには、
私はその中にいる。
なぜいるんですか。
共に働くとダメでしょう。
だから、
私たちはこれから考えていきましょう。
私は神様からの感動を伝えることだけなんですよ。
教会で病んでいる方、
力が弱い方、
何かによって今、
うまくできない方、
いられる、おられるなら、
私たち教会、
みんなが一緒に情報を
共有して、
一緒に、
一週間ずっと、
一日何回祈るか、
分かりません。
一週間ずっとその方のために、
祈ってあげましょうと。
イエス様が、
ヨハネ11章43節、
ラザロ、出て来なさいと言いました。
またルカの教の
7章14節には、
若者よ、起きなさいと言いました。
だからこれから私たちは
こういう場です。
お家である方を考えながら、
ラザロ、行きなさい。
行きなさい。行きなさい。
もう切磋に切磋に、
心から燃える心で、
みんなが、どこにいても構いません。
みんなが神様に向かって、
ラザロ、起きなさい。
ラザロ、起きなさい。
若者よ、起きなさい。
出て来なさい。
私たちみんなが祈ることです。
力が弱い人は、
主よ、力を与えてください。
与えてください。
祈りの一番大事なのは、
また7章に、
求めなさい、そうすれば与えられる。
探しなさい、そうすれば見つかる。
ただけなさい、そうすれば開かれる。
誰でももらってない人は、
求めないから、
探さないから、
叩くことはないから、
何にも与えてもらわない。
だからこれから、
探してもらいましょう、ということです。
教会の愛する家族を、
私は今日初めに、
なぜ、私は皆さんを家族だと思うのか。
私のお姉さん、
お姉さん、
私の兄弟、
私の弟、
私の娘、
私の妻、
私の孫、
みんな私の家族だと思っています。
そうですよ、本当に。
私はその覚悟を持って、
今一人一人のために、
祈りながら、
皆さん、サクちゃんに何かある。
サクちゃん、何があったらどうするの。
心痛いでしょう。
この痛みを持って、
子供一人一人のために、
祈ってあげる。
これは家族じゃありませんか。
神様は私たちを、
家族としてくださったものですから。
だから、天国に行く時まで、
この世の中は、
荒野と同じなんです。
彷徨っているこの荒野の中で、
水がない時もあり、
パンがない時もあり、
お肉食べたいんだけど、
お肉がない時もあり、
いろいろなことが足りない荒野の中で、
主の助けを求めながら、
家族みんなを連れて、
神奈川まで行こう、
神奈川まで行こう、
これが私たちの教会生活じゃありませんか。
だから、みんな力を合わせて、
行きましょう。
特に今日皆さんに申し上げたのは、
ラザロー、出てきなさい。
若者よ、起きなさい。
この祈りを、
今、ラザローと若者の代わりに、
他の方に入れればいい。
サクちゃん、起きなさい。
最近、サクちゃんの写真、
見せてください。
大丈夫、ミスター、大丈夫。
大丈夫、大丈夫、
すごいですよ。
この可愛い、
可愛い子供たちのために、
私たちが何ができますか。
祈ってあげ、
子供たちが何かうまくできるように、
助けてあげる。
これが私たちの残された、
私たちの最後の使命ではないでしょうか。
日本でリバイバル、
また大収穫、OK、OK、いいですよ。
それよりまず、
教会の家族みんなが、
うまくできることを、
私たちがまず求めるべきではないか。
ですから、みなさん、
教会の家族の問題とか、
弱さとか、痛みとか、
必要なこととか、
みんな覚えていらっしゃるでしょう。
いつも祈りの大木に載せているから。
それをもって家族みんなが、
ラザロー、出てきなさい。
若者に起きなさい。
そのような叫びの声をもって、
一日何回でも、
ラザロー出てきなさい、
ラザロー出てきなさい、
ラザロー出てきなさい、
ある人の名前をつけながら、
出てきなさい、出てきなさい、
起きなさい、起きなさい、
一週間、じゅっとやってみましょう。
一週間に、
私たちが熱心にやったところで、
二人また三人が、
私の名によって祈る、
集まるところ、
また二人が私の名によって祈るなら、
叶えてくださる神様の約束を、
見てみたい。
実現することを、
見てみたいということは、
これが私は、
神の御言葉通り、
行きたいと思って、
努力する教会の姿ではないかと、
皆さんに申し上げたいと思います。
ぜひともぜひとも、
これから家族みなさんの、
名前を覚えて、
ラザロー、
若者に対して、
イエス様がなさった、
同じ祈りを、
私たちはやっていきましょう。
これが私たちが、
家族に対する、
一番小さな義務だと思います。
それから始まるでしょう。
この祈りから、
教会が始まってみる教会に、
ぜひともなりたいと思います。
結論を申し上げたい。
イエス様は復活であり、
命であります。
死んだラザローも、
死んだ若者も、
イエス様の見事も、
生えていくとき、
お墓、また、
棺を打ち破って、
そこからバーッと出てきました。
同じように、
私たちも、
復活の命のイエス様、
皆によって祈るとき、
神様がイエス様の皆によって、
大きな見業を成し遂げてくださることを、
信じます。
まず私たちが、
復活の命を豊かにいただきましょう。
また、
信仰を豊かにいただきましょう。
そして、この信仰と命をもって、
日本を愛する方々を救い、
また、
天国に導いていく、
私たちの教会になりたいと思います。
お祈りいたします。
結論:復活の命をもって歩む教会
主よ、
今日は復活の力を持ってられる、
イエス様に対して、
学びました。
今まで私たちは、
神の子供の特権を持っていながらも、
あまり使わなかったことが、
分かりました。
これから、
信仰によって使いたいと思います。
私を信じる者は、
私が行ったことを行い、
もっと大きな技を行うことができる、
と。
弱音中四書、中伝説に言われた通り、
私たちにその見業を、
見せてください。
行ってください。
イエス様の皆を通して、
お祈りいたします。
アーメン。ありがとうございます。
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