今日は、「若者よ、起きなさい」という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
もし、ある人は、世の中で他の人が持っていない お金をたくさん持っていると思いましょう。
そうするなら、その人は、そのお金によって 世の中で何かしようと思うでしょう。
もし、この世の中で誰も持っていない 命をある方が持っていると思いましょう。
その方は、その命を持って、 たくさんの人に何か与えようと思うでしょう。
まあ、はじめから言葉が変ですけど、何を言おうかと言いますと、 命は神様だけが持っているんですよ。
命、永遠の命、まことの命は神様だけが持っています。 世の中、誰も持っていません。
もちろん神様は、永遠の命、命だけじゃなく、 他のことも全部持っていらっしゃるんですけど、
神様がどこに持っておられるのは、命です。命。
神様はその命を持って、天地万物を創造されました。
神様がこの命を持って、今、全宇宙を動かしています。
これを動かすのにエナジーが必要でしょう。 この命の力で動いています。
また、神様は、春、夏、秋、冬、この季節の変わりを与えてくださり、
また、冬、全部死んだと思っているこの地域から、
春になれば、芽が出て、何とか命の働きができる。
また、それを持って、秋には実を与えてくださる。
これ全ては命がなければできないことです。
神様がその命を絶対自然に与えてくださいます。
また、その命を持って、土で作った人間の花に命を入れられたら、
人間が生きるものになった。
ですから、今、これが私たちなんです。
私が土で作られた、信じられますか?
聖書は確かに言っています。
土で作ったのに、神の命が入ったら、今のような、もうこの皮膚、柔らかいこの姿になったという、不思議な命です。
神様、この命を持って、全世界を命を与え、動かし、実りも与えてくださり、
全てを潤がすように、私たちを喜ばせてくださいます。
ところが、この世の神と言われる悪魔は、死の力を持っています。
この悪魔は、死の力を持っているから、いつも悪魔の働きには、殺そうとするんです。
いつも戦うようにします。戦争するようにします。
幸せな家に悪魔が入ったら、夫婦喧嘩、また家庭がダメになります。
教会に悪魔が働いたら、悪魔は悪魔に好きを与えたらいけません。悪魔は好きを狙ってくるものだから。
だったら、教会が争いになり、分裂になって、教会がダメになってしまいます。
ですから、聖書は、言わぬに中書中説。
盗人が来るのは、盗んだり、放ったり、滅ぼしたりするためにもかならない。
私が、イエス様が来られたのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため。
なぜ悪魔は盗人というんですか。悪魔は、悪魔が持っている今、この力はどこから来たんですか。
もともと、アダムが持っていた力。
人間、アダムが持っていた、この世の管理権、支配権。
それを、アダムを騙して、誰も騙されて、従う者の奴隷になるものですから。
だから、人間が、神様の子供が、悪魔の奴隷になってしまって、
この世の管理権、支配権を、悪魔が持って、この世の神のように今、働いています。
騙されなければいいのに、今も全世界の人々が騙されていると、牧師録、中二症、旧説は教えてください。
全ての人が今、騙されて、悪魔についています。
だから、悪魔は今、全世界の人々の神、主、王なんです。
でも、神様の立場から見ていますと、これは泥棒なんです。
アダムが持っていた、この世の管理権、支配権を、盗んで、悪魔が使っているから。
だから、悪魔の働きを滅ぼすために、イエス様が来られたと。
第1話の3章8節を教えてください。
天地創生の時から、神様は、命の働きを熱心に働いています。
旧約聖書を見ていますと、命の働き、奇跡、救い、もう様々な働きが書かれてあります。
新約聖書に入っても、神様は、イエス様、人たちを通して、大きな働きをしています。
一番、驚くほどのもの、感謝したいものは、人類の救いのために、
十字架で、贖いの死、贖うための死を担われたイエスキリストを、十字架の死から救われ、復活させられた。
これが、本当に本当に素晴らしいことだと思います。
このイエス様を信じる者は、イエス様が復活されたように、私たちも復活するんだと、ローマ書8章11節は教えています。
旧約聖書から今に至るまで、神様の働き、命の働きは、今、熱心に紹介されています。
今日は、この中で一つ、ルカの7章を通して、神様、イエス様が行われた命の働きを分かち合いたいと思います。
死の力を持っている悪魔が支配するこの世の中は、本当に問題が多い。
死の力で支配するから、みんなが苦しんでいます。
もうみんなが、本当に苦しんでいます。
この苦しみのすべての理由は、罪のゆえですけど、
罪のゆえに、命である神様から切り離されて、悪魔の支配下にある。
これが、あと、永遠になることが地獄でしょう。
しかし、今も地獄のような状態です。
今、皆さん、いろいろな苦しみ、弱さ、貧しさ、これになっているんですけど、
この救いはどこから来るんですか、といったときに、
この世の中はどれほど難しい状況なんでしょうか。
だから、みんな苦しんで、病んで、それで死んでいくところです。
ルカの7章の初めのところを見たら、
100人台上の大切な負荷が病気にかかって死にかかっている。
病気になって死にかかっていることを分かって、イエス様がその人を癒してくれます。
じゃあ、命の働きがありますね。
また、今日紹介してもらいたいと思います。
7章の11節から、弟子たちと一緒にナインという町、名前がナインですけど、
ナインという町にイエス様が行こうとされます。
じゃあ、イエス様がナインという町に近づいていったところで、
ある母親の一人息子が死んで、
その葬儀の行列が、そこで行列とイエス様の一行が会うようになりました。
その姉妹はヤモメなんですけど、彼女の一人息子が死んだということです。
ヤモメで一人息子が死んだそのところで、
この死の力の前ではみんなが泣くしかない。
何にもできないんです。
だから、母親も泣いているし、ついていく全ての人は悲しい悲しい泣いているだけなんです。
彼女もある時、愛する弟と結婚して息子を産んで、幸せな家庭を作りました。
家族を一緒に暮らす、これが一番幸せでしょう。
しかしある日、ご主人が、旦那さんが死んでしまいました。
ユダヤの世界で男性がいないということは、
女性の働きは何にもできない一番弱い立場ですから、
絶望と悲しみの中でどう生きればいいか。
しかしその時は一人息子がいたんです。
息子と一緒に、息子に全ての希望をかけて、
息子が自分の生きる理由、生きる希望、息子がうまくできることを見ながら、
悲しみも乗り越え、何とかうまくいこうと頑張りました。
しかしある日、主人が亡くなってしまいました。
主人じゃなくて、一人息子も。
主人が亡くなった時には一人息子がいるから、
一人息子に希望をかけてこれから生きようとしたんですけど、
一人息子さえも死んでしまった。
もう彼女の人生どうなるんでしょう。
生きる理由がありますか。
希望がありますか。
何を目的として生きる。
もう金持ちになりたい。
もう金持ちになったんで、彼女は何にできるんでしょう。
一番気になっているのは、
一番悲しいことは、一番熱心に働く若者。
この時に横たわっている、この息子を見る時に、
もう嘆きするしかない、この母親の気持ち。
母親が悲しんでいるから、周りについていく人も全て悲しんで、
葬式を行うために一緒についていくところなんです。
なぜみんな悲しく思いますか。
死んだら終わりだからです。
いくら愛する人だとしても、
愛する人だとしても、愛する人が死んでしまえば、
何もできない。
泣くしかない、この悲しみ。
これが今世の中の状況です。
しかし、この死の行列を止まらせる方がいらっしゃいます。
この方が復活の主、命の主であるイエス・キリストです。
イエス様は彼女を憐れんだということです。
もう聖書の中に書いてあります。
ご自分の悲しみのように、イエス様は悲しまれて働きをされたという。
じゃあ、悲しんでおられる彼女に、
誰が何をもって慰めることができますか。
今、主人も亡くなって、一人息子も亡くなって、泣いています。
誰がそこにいて、何の言葉を語ってくれれば、
彼女はこの悲しみから乗り越えること、生き返ることができますか。
悲しむ彼女を慰めることは、何にもできません。
本当に大きな悲しみによって、泣いている人を
ところにいて、何とか何か喋ること自体が嫌なんです、これが。
ストレスなんです。
一番いいのは、泣いている人の隣にいて、一緒に泣いてあげること。
これしかないかなと思うんですけど、
そこでイエス様は何とか言われたんです。
何を言われたんですか。
十三節です。
主はこの母親を見て、哀れに思い、
もう泣かなくてもいいと言われた。
もう泣かなくてもいい。
皆さん、この話は誰ができる話ですか。
泣かなくてもいい。
泣かなくてもいい何か、何か対策、法案、何かが、道がありますか。
それがないのに泣かなくていいよ。
どうして泣かなくてもいい状態になりますか。
どうしてイエス様は泣かなくてもいいと言われるんでしょうか。
イエス様だけが、この悲しんでいる彼女の悲しみを解決してあげることができる、
復活の命を持っておられるからです。
イエス様だけが慰めることができます。
世の中、誰も慰めることができません。
イエス様は私たちの罪、過ちをすべて背負って、
贖いの死のために、忠実家を背負うためにこの世に来られて、
またイエス様は、このナインの城の町のヤモメを助けるために、
慰めるために、彼女の問題を解決してくださるために、
ナインの町に来られたんです。
ではイエス様はどのように、この姉妹が泣かないようにしてくださるんですか。
イエス様はまず彼女を慰めてから、
死んで横たわっている、この息子の棺のところに行きました。
民俗中級書では、死んだ人と接触するなら、その人も穢れるというもんですけど、
イエス様の愛はこの立法を乗り越えています。
イエス様は棺に手を振れ、こう言われます。
若者よ、あなたに言う。起きなさい。
その一言で、驚くほどのことが起こりました。
すると、詩人は起き上がって、物を言い始めた。
詩人は起き上がって、何か物を言い始めた。
それで、お母さんがそこに行って、抱きしめて、何とか言ったでしょう。
一瞬の時に、悲しみの涙が喜びの涙に変わりました。
死の行列が復活の行列に変わりました。
その死の行列についていた全ての人が、
共に神様がこの民を心にかけてくださったと言いながら、
神様に栄光を与える賛美をする場面が出てきます。
この聖書はイエス様がどんなお方なのか、確かに教えてください。
イエス様はただ病気を癒してあげるレベルの方ではなく、
死んだとしても生き返らせることができるお方なんです。
イエス様が若者よ、起きなさいと言われたんですけど、
それがただ、ここに横たわっている若者だけが起き上がるような、
このようなメッセージでしょうか。
そうではありません。このメッセージは事実。
これからこの聖書を読む全ての人に与えられる神様の見言葉なんです。
若者よ、起きなさい。
私は年寄りだから関係ないかな。
皆さん、イエス様お年は何歳ですか。
イエス様は永遠です。
イエス様に比べたら全ての人が若者です。
特に今ここで若者というのは、
一番熱心に働くことができる年の人を言っています。
みんな熱心に働くことができれば、全部若者です。
熱心に働くことができる人が、
なぜ無気力でここで倒れて、
ここで今横たわっているのか、
それも死の力に抑えられてということなんです。
だけど死の力に抑えられていることではなく、
私は命の主だから、
私の話を聞いて、
起き上がりなさい。
もうあなたは立ち上がりなさいというメッセージがここにあるんです。
若者よ、起きなさい。
そうです。
このイエス様の見声を聞くときに、
もう質疑の中で横たわっていたこの青年は、
起きるしかない。
この命のパワーによって、
これをファーッと立ち上がって打ち破って、
それを起きるしかなかったということ。
このようにイエス様は、
私たちの心の中で、
いつも私たちは人間の限界ということがあるんです。
いや、私はいくら頑張ってもこのぐらいしかできない。
私が何をするんだとしても、
いや、これはできないだろう。
あきらめる。
だから絶望してあきらめられる人が多いでしょう。
そのことを追い出し、
神の命と復活の力、
神の恵みを吹き入れられるお方です。
また神様は、私たちの心の中にある恐れ。
一番問題は悪魔は恐れを持って働くんだと。
恐れをおののく人に悪魔は、
その中にファーッと入っていきます。
なぜなら、悪魔は臆病の霊だからです。
臆病、恐れるところには悪魔が働きます。
神様を賛美し、神様を褒めたたえるところには、
精霊が働きます。
だから皆さん、心配、悩み、悩み、心配やめなさい。
聖書で一番禁じているのは、恐れるのはやめなさい。
心配やめなさい。
恐れ、これは絶対にだめなんです。
なぜなら、これは悪魔の隙を与えるものになる。
だからどうしよう、今日はだめだ、
今日はできないんだろう、
私はこれはできない。
そのようなあきらめる考えを、
イエス様に任せて、
主の御力によるなら、私は何でもできます。
神は不可能があるのか、
神はできないことはない。
だから、神を信じる人は、
私の力で生きるんじゃなくて、
神様の御力によって生きるものですから、
そのために精霊様が、
私のうちにおられるものですから、
だから信じていくなら、
精霊が共に働いて、
できないことも不思議に、
難しいことも、
何かパッと考えたら、
お、優しい道があるね、
何かシャッとできるね、
頭があまり良くなくて、
うまく何か働きができない人も、
イエス様が働いたら、
頭が良くないものではないように、
自分は働いてくるのが分かります。
すべてできるようにしてくださるお方が、
命の主、復活の主、イエスキリスト。
今日の聖書は、
使徒業、
今日の聖書は、
イエス様が出会う前には、
その棺の中で横たわっていて、
もうすべて死んだんですね、
この世と断絶されて、
もう死んでいる、
夢もいらない、
使命もない、
何にもない状態でした。
しかしイエス様が来られて、