今日は新年の第3週目のメッセージとして
主よ、私たちにおそれを敬う心を与えてくださいという対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
新年の初め、私たちはこの1年間、私たちはどんな信仰生活をしなきゃいけないのか それに対する大事なポイントを何項目、皆さんに申し上げているところですけど
初めの主は 過去のことを忘れましょう
これから私たちを導いていかれる神様を見上げていきましょうということを申し上げました 過去のことが私たちの足を引っ張るなら前に進むことはできません
イエス・キリストが十字架で私たちの罪・過ち全てを 解決してくださるために血を流してくださって
それで私たちは悔いをあらためればいくらほど 過去のことは全部取り消されてくださるんですけど
なぜ過去のことで思い混ぜるのでしょうかということを申し上げました ですから過去のことは神様に任せてそして
神様の導きを頼みながらこれから前に進みましょう というのが初めのメッセージ
2週目のメッセージは油注ぎと申し上げました
もし私たちに油注ぎが豊かにあるなら 神様の御業をうまくうまく用いられることができます
しかし神の油注ぎがなければ 私たちが人間できないやり方でいくら頑張っても何もできない
だから私たちは油注ぎが大事だ この油注ぎが過去の油注ぎにならないように
いつも悔いあらためながら神様が任せられたことを熱心にやりながら 神様油注ぎを豊かに与えてくださいしたい求める
この生活しましょう 正直に今日のメッセージのために私はこの悔いあらためることがあったら悔い改めて
神様私が僕がメッセージをうまくできるように力をくださいと言いながら 油注ぎ油注ぎ油注ぎを豊かにくださいと祈りながら準備してきました
私は神様の油注ぎがなければ私がいくら語るんだってこれは人を変えることができますか 説得することができますかできません
油注ぎ油注ぎ大事です じゃあまた今日申し上げたいことは恐れう山を心を持つこと
これが取りほど大事なのかを申し上げたいと思います 神様と人間の間の関係性
これは親しい関係性にならなきゃいけないんですけど 親しい関係性になるためには
私たちは神様に対して恐れう山を心を持つことが大事ですよ ということを申し上げたいと思います
エレミア中8章で神様が トウキシのたとえを通して大事な部分を教えてくださるんですけど
エレミア中8章2節4節に神様がエレミアに あなたはこれからトウキシの家に行け
じゃあそこでトウキシ 土工という人が粘土を持ってどのように器を作るのかを見てみなさい
それからエレミアはトウキシの家に行きました 行ったらトウキシが熱心に粘土を通して陶器を作るんですけど
それが自分のこの土工の心に合わなければ それはカーッと壊してしまう
また傑作品を作ろうと頑張っているこの姿を見てみながら 今日6節美を粘土が同行の手の中にあるように
イセレルの言うお前たちは私の手の中にあると言います 私たちの人生は神の手の中にあります
神の手の中にあるこの粘土のような私たち この私たちが神様にどのようにするかによって
傑作品を作ろうともできるし ああダメだダメだということで壊すこともできる
じゃあ作り上げる力も壊す力も神様にある じゃあどうすれば私たちは神様が立派に作ってくださる傑作品としての人生を過ごすことができるのか
そこで大事なことが神様に対する恐れうやまをこから
じゃあこれを今日申し上げたいと思います 神様は投降子です
神様は粘土で器を作ってあげるように私たちを作られました
じゃあ創世記2章を習わせてみますと 主なる神は土の塵で火土を形作りその花に命の息を吹き入れられた
人はこうして生きるものになった 本当に投降子が粘土で器を作るように神様は土で人間を作られました
大事なのは私たちの人生が 神の手の中であるこの粘土のように存在ですけど
どうすればその方によって一番素晴らしい傑作品として作られるのか これが大事なの
傑作品として作り上げるならその人は100年与えられた人生を一番うまく生きる人になるからです
2024年度新しい年が与えられました この新しい年の中で私たちは去年までうまくできなかったとでもいいです
今年神様に手の中に持ちられる粘土のような存在として 傑作品として作り上げる私たちになりましょう
どうすればいいのかそれを一緒に考えていきたいと思います
まず大事なのは私たちは土 粘土のような存在ですが
自由意志を持っている土だということを知ることは非常に大事です 神様は創造の主権者です
神様は何でも思いのまま作る権利があります
力もあります また神様は不可能がありません
神様が全世界全宇宙を 無から有を作りました
全世界も作られました 神様には不可能がありません
神様が作られた全ては神秘で満ちあうれる世界です ところが神様は人間を作られた時には
神の身姿で作られたと言います または神様の力を私たちに与えながら
神様は全ての秘書物を私たちに管理させると言われます 創世紀1章26節で
また2章16節におこう言います 主なる神は人を命じて言われた
その全てを木から取って食べなさい それは神様が作られた全てをあなたが勝手にしなさいということで
私たちに全ての権利を与えてくださったことがわかります 神様はこの世界全世界を神様の思いのまま作られたんですけど
人間だけは 人間に自由意志を与えてくださいました
じゃあなぜ神様は全世界のすべてのものは思いのまま作って終わったんですけど 人間だけはご自分の姿で
まだ人間だけには神様が持っている全ての権利と同じような 自由にできる権利を与えてくださったのか
これを見てますと神様は人間を愛する 愛の対象として作られたことがわかります
皆さん愛は絶対強制にはできません 自由意志を持っている尊いな存在が
お互いに自分の心から 心からのことでお互いに愛し合う
これが本当の愛だからです ですから神様は私たち人間に対しては勝手に何にもなさいません
人間が自分から心から神を愛するように 神様は人間の前で模範を見せながら
自ら人間に仕えておられるところであります 人間と神様との関係これ非常に大事
ここで神の主権があるんですけど人間の自由意志があって 神の主権と人間の自由意志がいつもともにいかなければいけないことがわかります
ここでもし人間が神の身分を要求して 自分の心から神様私が神様の御心通り私が従いますと言うなら
神様がその人を通して 素晴らしい傑作品を作り上げることができます
しかし人間が神様を完全に無視して私は私だよと思いながら 自分勝手にやるなら
神の手の中にいる粘土じゃなければ 神様はこの人間を通して何ができますか
何にもできません 人間は神様の働きを邪魔にすることもできる
その自由意志さえ人間に与えてくださったとするなら 神様が人間をどれほど愛しどれほど信頼されたのかがわかります
ところが人間は神様を裏切ってしまいました 悪魔に騙されて
神様を育った自由意志を持って神様禁じられた 善悪の知識の木の実を食べてしまって
それから神を背いて悪魔に従っていった だけどこの世の中が
もう悪魔がこの世の神のような存在として今その不利をしているところです それにもかかわらず神様は人間を愛されて
ご自分の一人子イエスキリストをこの世に送ってくださり 忠実家の父親によって私たちを救ってくださる
悪魔を滅ぼし私たちを救ってくださって そして全世界を元通り回復なさっているところであります
これを見てますと自由意志を持っている人間がどんな姿勢で神の前に立って どんな姿勢で神に従わなければもう一度
第二の善悪の知識の木の実を食べるこのような仕業がなくなるのか そこで大事なのは人間は神の前で恐れ敬う心を持つことが非常に大事だ
ということを教えてくださいます 神を恐れ敬う人間は当騎士の手に持たれている粘土のように神様がその人を通して
神の御業をうまく成し遂げることができます またその人は人生の最高の存在になります
しかし神を恐れ敬わない人間は神の手に留まっていないので その人を通して神様は何ができると思いますか
何もできない ですからエルミア18章7節から10節まで聖書は私たちにこう言っています
神様が 私がある国に対してある民族に対して災いを下さうとするとき
その民族をよく見たらその人たちが神の御心を悟って 悪を捨てて取り戻すことができれば
私がその人に災いを下そうとすることを これを止めます キャンセルします
しかしある人ある民族ある国家が その国を建てようとする
この人を通して災いの祝福を建設しようとするのに その人たちが悪から立ち返らなければ
神様はその人に幸せを与えようとしても それを止めて災いを下すこともできるんだよ
だからあなたたちは私たちに従いなさいということを言っています じゃあここで人間が良くなるのか良くならないのか
命なのか死なのか祝福なのか災いなのか それは神様の前で人間の心の姿勢
態度心構えなんです ですから神様が一番大事に思っているのは恐れ敬う心
へり下る心 もし恐れ敬う心へり下る心を人間が神の前に持つことさえできれば
神様がその人が何をするんだとしても許してあげます また祝福の人生ができるように助けてください
その事例が誰かと言いますとアハブオーから見ることができます レチョウギジョウの21章29節
皆さんアハブオーという存在はイゼベルという世の中で一番悪い妻によって騙されて
それでイスラエルを空城の国としてしてしまう またイスラエルの預言者を全部殺してしまう
最後に残っていたこのエリアを もう殺そうとするし迫害した人がこのアハブオーとイゼベルなんです
こんな悪い働きをしたそのようなアハブオーはどんな判決を受けるべきでしょうか ところがレチョウギジョウの21章29節にこう言います
アハブが私の前にヘリクだったのを見たか 彼が私の前にヘリクだったので私は彼が生きている間は
災いを下さない その子の血だになってから彼の家に災いを下す
そうしながらアハブオーを生かしてくれます 本当に大事なのは神様を恐れ敬う心
ヘリクダル心なんです ですからイスラエルの知恵の章である神言のところには
恐れ敬う心ヘリクダル心の大事さに対していろいろ記録している 神言を記録した目的は神言の初めにずっと書いてありますけど簡単に申しますと
神様の知恵を与えてくださってそれから世の中でうまく生きるように幸せに生きるように するために神言が書かれてあります
その中で神言の一番大事な聖書が1章7説ですけどこう言っています 死を恐れることは知恵の初め無知な者は知恵と悟しを侮る
一番大事なのは恐れ敬う心 それが知恵の初め神様の知恵をいただくためには恐れ敬う心が大事だよということを
ソロモンが自分の子供に教えるその書がこの神言のことですね
じゃあ私たちが神を恐れ敬う心で神様が与えてくださる知恵を持つことができれば 一章33説をこう言います
私に聞き従う者は確かな住まいを得 災いを恐れることはなく平穏な中で暮らすことができるよ
そうです この世の幸せ祝福成功
またこの世で幸せ平穏な人生を過ごすためには神様を恐れ敬うことによって 神の知恵をいただければできます
私たちは神様に恐れ敬うことを学ぶなら神様は知恵をくださるんですけど その知恵は私たちがお金を稼いでいただく
この世はいろいろな有益があるんですね それよりはるかに大きな有益を与えてくれる
知恵は私たちを罪から守ってくれるし また死に至らないようにしてくれる
またこの世だけではなく永遠な天国に至るまで 永遠な命と祝福を受けるように助けてくれるのが知恵なんです
ですから私たちはどんな代価を払ったとしても 神を恐れ敬う心を学び神様がくださる知恵をもとなければなりません
神言の3章では恐れ敬う心のこの有益をいろいろ教えてくださるんですけど
ソロモンが自分の息子ルホーヴアムと言いますかね ルホーヴアムに対するこの愛の心で神言を書きながら私の息子よこうしなさい
そうするならこんな祝福あるよ こうしなさいそうするならこんな祝福あるよとしながら
3章1節から10節までこの祝福をいろいろ教えてくださるんだけど この初めは
恐れ敬う人は神の御言葉に従うようになるんですが そうするなら神様はその人の健康を守ってくださる
うまく食べてまたうまく排泄してうまく寝て 健康に長生きができるように神様がしてくださる
皆さんこの言葉をよく見ていますとこれは当たり前じゃないかと思うかもしれません
皆さん私が65歳を過ぎてから この御言葉の大事さを今考えている
私の母が以前亡くなる前に私の家族によって介護をいろいろやっている時に
母の一番の心配は排泄ができない
だから私は向こうに行って母のために祈ってあげながら よく食べてよく排泄してイエス様をよく信じて信じるようにと私は祈ってあげたんです
皆さんよく食べてよく排泄するこれは自然ではありません これは非常に難しいことを歳をとっていけばいいことがわかります
歳をとっていけばいいこと またうまくよく寝ること
これは祝福の中で祝福なんです 本当に本当に大事ですよ
神様が神をおそれを敬う人にそれができるようにしてくださっています
いろいろな薬を飲むより神様をおそれを敬う このことを学んでいただきたい
2番目に神様は私たちをおそれを敬う人は神を尊重するようになる
だったら神様も私たちを大切にしてくださる また人生の中で成功する人生ができるようにしてくださっています
まず3番目 神様は神言の3章5節から何です
心を尽くして主位信頼し自分の分別に頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け
そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる
皆さん どれほどどれほどたくさんの人が人生を試行錯誤のゆえに人生を無駄遣いしているのか知っていますか
何か買った間違えたあーこれ返品する それで時間使うしお金を使うしエナジーを使うし
いろいろなやり直しやり直し試行錯誤で人生をどれほど無駄遣いするか知っていますか 神をおそれを敬う人は選択が正しい
行く道が正しい だからまっすぐに行けるようにしてくださる
これがこれがどれほど大きな祝福なのか また4番目に
主が3食9節から10節それぞれの収穫を初物を捧げ 豊かな持っているものの中で捧げて主を
敬うなら それはそうするなら主はあなたの蔵を穀物を満たし
ただあなたのすべてを満たしてあげると言います 神様をおそれを敬う人は神様は私の人生を豊かに
私の蔵 私の蔵ということは昔は蔵ですけど今は銀行の貯金っていうことでしょ
豊かに満たしてくださると神様が約束してください また神言の2章3章続けて見てますと神様がくださる知恵を通して
この知恵は平安の道 貴人の道 永遠の命の道で私たちを導いてくださる
しかし悪人は神をおそれを敬うことはないから神の知恵をいただくことができない だから自分勝手に生きながら滅亡され地獄に陥ってしまうんだって言う
皆さんノアはこの堕落した時代に神をおそれを敬う人でした だから神様がノアの人生また家族を祝福して
裁きから自分の家族だけが生き残ることができるように神様が保護してください また神様アブラム
アブラムが神の御言葉によく従っていくらアブラムを通してイスラル民族を作られ イスラル民族全世界のキリストたちが今もアブラムアブラムと呼ばれる祝福の存在としてください
しかしサウル王は神様を尊重しないんです 神様を無視します だから神様がサウルを無視して
王から退けられ今のサウルとサウルの家族は神様から一番悲惨な存在になってしまう しかしダビデは諸子として生まれたんですけど
それで幼い時は孤独で難しい生活をしましたけど 神様をおそれを敬うから神様がイスラルで一番尊敬する王としてしてください
今も皆さんイスラルの国旗の中でこの星があるでしょう これは何ですかダビデの星
イスラルとダビデはもういつも永遠に永遠に一緒に生きます 一番尊敬され一番敬うそのような方になりました
ダニエルはパベロンで過ごしながら開国で過ごしながらも神をおそれを敬いました 捕虜生活しているパベロンとペルシアの王様が4人も変わったんですけど
彼は総理としていつまでもいつまでも平穏な生活をしました なぜ彼は神様をおそれを敬う人だったのか
私たちはどんな災いの中でどんな苦難の中で最後の時の難しい時期の中でも 神様をおそれを敬う心さえ持つことができるなら
私たちは神様が守られ祝福されいつも平穏な生活の中で過ごすことができるでしょう じゃあでは
どうすればおそれを敬う心を持つことができるか 本当に感謝したいのは私は
子供の時から神をおそれを敬う心がありました それが宗教心があったということですかね
私は母親のおかげだと私は信じていますけど 私はこのおそれを敬う心
今日朝教会に来る時に寒い時朝雨が降っている時に 今日何人ぐらい教会に来るかなと私なりに
牧師と伝道師はいつもこればかり考えているんですよ
神と同じ教会に来るかなと思うんですけど 寒い寒いと思ってこんな時に朝傘をかけながら教会に来るのかと
でも教会からこの子供たちまで全部来てくれる 素晴らしい教会ですよ
当時私は家から家の父はキリスト教大嫌いで 教会が大嫌いで
それで私は教会に行こうとするから 父が私をもう本当にもう嫌いでした
一番問題は日曜日の朝です 私はもう昔は鐘をねベーン流せでしょ
その声を聞いたらああ主よ礼拝礼拝礼拝礼拝と 日曜日の朝からえっと靴を何か隠しておいてちょっと待ってる
家の中がもう地獄のような荒んな気持ちになります でも私はもう礼拝の時間に合わせて家から飛んできます
帰っていったら父親から母が殴られて
後になってわかったんだけど当時怖かったよ 痛かったよと言われる
そうしながらも私は教会行きたくて行きたくて 私はその心を与えられたのは本当に神様の恵みだったと思って
母親のおかげだと私は思ってますけど その宗教心に御言葉が入ったら信仰になっていく
それで牧師になっていったところなんですけど しかしこれはみんなが持っているんじゃなくて
アグスティンという人がコンペッションという自分の地上天のような本を読んでいますと 彼は神様に逆らったんですね
神様を脅威しました 神を脅威した人がどうして聖者のような人になったのか
多分モニカお母さんのお祈りのおかげではないかと思う とにかく
宗教心を持っていっても持っていかなくても 恐れを敬うことを心を持つことはできます
どうすればできるのか その秘訣は
イザヤ中一章二節にあります イエス様には七宗の聖霊の力が望むと言いますけど
その中でこう言います イエス様の上に主の霊が留まる
知恵と識別の霊 修了と勇気の霊 主を知り主を恐れ敬う霊
イエス様の上に主を知り主を恐れ敬う霊が留まったから イエス様には油が注がれが十万で五輪剤が十万で
神様に対する恐れ敬う心は十万で 神様によくよく用いられたということです
大事なのは主を恐れ敬う霊が働くなら 皆さん私たちは恐れ敬う人になります
じゃあどうすればそれができるのか まずはじめに
神様にもっともっと近づくことです もっともっと近づくことです
神様に近づく方法は何ですか 礼拝 賛美 お祈り
それを通して神様にもっともっと近づくなれば 例えば
宗教塾二重章では孟瀬が神様からお祈しめ 十回をいただくために神の山に登ります
神様に近づいて登っていくなら何があるんですか 神の栄光の炎の中で煙の中で神の五輪剤があり
その中に入れば入るほど豊かな豊かな恐れ敬う心が与えられて 彼の顔には光が輝いた
その光輝くことを見てイスラエル人たちが信仰が与えられるほど 恐れが与えられるほど素晴らしい働きができた
また 五重屋六章には五重屋がある日
五重屋は祭祀場なんです 神の神殿に入って神の礼拝捧げるところで
神様の玉座が幻の中に現れ そこで天使たちが聖なるかな聖なるかな聖なるかな
万聞の衆 衆の栄光が満ち溢れるその場面を見てしまう その時彼の口から
衆を私は汚れた唇の者 私は汚れた者ですと言う
神の栄光が与えられるその場面を時に彼の心から恐れ敬う心が生じて 衆を私は汚れの者です罪人ですと叫ぶ
役部があに餌を逃げて この金庵から原に逃げるところで
それで行く途中でベデルというところでもう日が暮れて そこで石を枕として寝ているところ
天に開かれ 天からこの地に
はしごが 天使たちが下ったり登ったり下ったり登ったりすることを見る時に
ああここが神の家でここがベデルだ それで朝起きたばかりでそこで祭壇を築いて神様に礼愛を捧げるんじゃありません
皆さんどうするなら恐れ敬う心が豊かに与えるのか 神にもっと近づく近づく近づく近づく
礼愛として近づく賛美として近づくお祈りとして近づく 1日24時間が与えられるんですけど24時間の中で皆さん神様をどのくらい待ち望んで
神様どれくらい 神に祈ったり賛美したり神様来てください来てください神様求めるんでしょうか
その心が 神様の恐れ敬う心が与えられる
もう他の方法はありません 神様に近づけばいい
近づけばいい そして恐れ敬う心が豊かに与えられるなら私たちの人生が変わります祝福を与えられます
成功する人生になりますどんなことも恐れない人生になり 災いの中でも安全に守られる人生になる
2番目 またどんな人が恐れ敬う心が与えられるのか神の御言葉を聞いて従う
真面目に従う ルカの御所でペトロが夜通し魚を捕りましたしかし一匹も捕れません
しかしイエス様が朝 深い所に行って網を下ろしなさい
漁師たちの常識では朝昼になったらまだ深いところにはもう昼には魚がないことをわかってますけど