イエス様はどんな人が幸いだ、祝福だと言われるのか、28節です。
むしろ幸いなのは、神の言葉を聞き、それを守る人である。
イエス様はこの世の中から有名になり、成功し、出世し、立派な働き、かっこいい姿、全然そうではない。
神の御言葉を聞いて守る、従う人が幸いだ。
事実は、この人が幸せなのかないのか、
所有とかその人の外部的に持っている権力、何とかそのことによるものではありません。
幸せはあくまでも内面的なこと、心のことです。
いくら偉い地位を持っていて、富と力を、権勢を持っているのだとしても、心に平安がない。
いつも何かに追いかけて、足きれいに何か患わせて、不安、心配、悩みばっかりするなら、その人は幸せはありえないでしょう。
私たちは何に一番追いかけられて、何に一番心配でしょう。
子供に対して何が一番心配でしょうか。
これは100年しかいけない。
この人生の中で、私の子はうまく食べていくか、将来どうするかということがほとんどでしょう。
また、家族の健康、将来のこと、私たちの子供たち、私たちの家族はどうなるのか。
安全、安心、これがほとんどの親たちが心配していることではないでしょうか。
しかし、イエス様はそれを主の祈りの中で一言で表現しました。
日曜の糧を今日も与えてください。
皆さん、日曜の糧ということで全部入っています。
遺植主、健康、安全、将来のすべてのことが、全部日曜の糧の中に入っています。
それをイエス様が神様に満たしてくださるように祈りなさい。
神様がそれを満たしてくださるなら、私たちがいくら努力して頑張って何かそのために毎日走っているんだとしても、
神様が満たせてくださるなら、それが一番安心で一番素晴らしいことです。
なぜなら、全世界がなくなっても神の言葉は生きていて、それが必ず実現できると言いました。
全世界のすべては神様が一言で作られました。
神様は全能の力を持っている創造主であり、すべてが神様の手にあるものです。
だから神様が与えてくださると言ったら、何が心配でしょう。何が問題でしょう。
なぜ煩われてそして心配するのでしょうか。
では、神様がそれをしっかり与えてください。
二丁の糧は心配するな。全部与えてくれるから。
どんな人がそのような保障、祝福を得ることができるのでしょうか。
私たちが世の中で安心のためにお金を稼いで、また出世、成功、将来の保障のために健康どうしようか。
たくさんの良いことを食べて、スポーツクラブに行って、いつも健康などを運動して、
将来私は健康安心だから、病気がかからなくて済めるかな、いろいろなことをYouTubeにたくさん言っているでしょう。
そのために一生懸命頑張って心配しながら、またまたこれもこれもこれもするよりは、
神様からの日曜の糧が必ず与えられると確信ができるなら、皆さん何が心配でしょう。
だったら神様から日曜の糧がしっかり与えられるこの祝福を誰が受け取ることができるのか。
今日の聖書では、神の言葉を聞きなさい、それを守りなさい、それなんです。
神の御言葉を聞いて守るなら、世の中で精一杯頑張って、それも安心できないものを手に入れようと頑張ることより、
あなたたちには最後まで天国に来るまで世の中で絶対心配しないような全てが与えられると、
イエス様が言っているんです。
神の言葉を守ること、これがどれほど大事なのか。
皆さん、神の言葉の中には、罪と私たちの罪、裁き、地獄、悪魔、これを全部解決する方法が聖書の中にあります。
また、聖書の中には私たちが永遠な命、天国に入る秘訣が書いてあります。
また、神の御言葉の中には、毎日毎日私たちの霊を生かしてくれるし、
沈むことなく落ち着くことなく、いつも私たちが元気強く確信を持って信仰を持って生きる全てのパワーを聖書が与えてくれる。
だから紫辺の記者は紫辺一書二節でこう言うのです。
誰が一番幸いな人なのか、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人と言いました。
皆さん、世の中でたくさんのものを持っているんだとするなら、
この世の中が与えられるたくさんのものは、私たちにもっともっと強い欲を与えてくれます。
また、高ぶりになり、教え石になり、このことを世の中でもっと夢中に導きます。
しかし、神の言葉を愛し、御言葉に従って生きるなら、神の言葉が私たちの心に平安、天国、シャローも与えてくれます。
言葉で言い表せない喜びと幸せ、神様がうまくやったと言われるほど、
神様が喜ぶとき、私の霊は感激して、もう喜びに満ちあおれるようになるんです。
ですから、四つの畑の例えがあるでしょう。
ある人は道端、ある人は石だらけ、ある人は茨の地、そこには幸せがない。
良い土、良い土は神の言葉を聞いて、それを従う人。
その良い土には、100倍、60倍、30倍の立派な実りがあると言われるほど、ことなんです。
子供が頭がいい、お金もうまく稼ぎ、出世、成功するなら、みんなが憧れます。
ああ、その子はいいなあ。
しかし、それは一時的、この要的です。
もっと大事なのは、神の御言葉を聞いて従う、守る人です。
これよりもっと大きな祝福はないと聖書は言っています。
私たちが神の御言葉に従うなら、神の御胸が成し遂げられます。
また、神様の計画を成し遂げるときに、私たちに神様からの大きな報いがあります。
神様が喜ばれる、認められる人になるなら、皆さん何が心配でしょう。
ではなぜ、世の中の人々は、神の御言葉に従うことが一番祝福だということを知らなくて、
他のことを夢中になって、それをやるんだって、やるために教会も来れないし、聖書も読めないし、
神様が祝福だと一切やらなくなったんでしょう。
ですから、イエス様はそれを悟らせるために、この次の話をしてください。
29節、30節です。
今の時代の者たちは横島だ。
印を欲しがっているが、ヨナの印のほかには印が与えられないと言います。
ヨナの印っていきなり何でしょう。
神様がヨナ、預言者ヨナに、あなたはニヌベに行って福音を伝えなさい。
ニヌベの人は罪が溢れて、裁かれるようになる。
だから行きなさい。悔い改めの福音を伝えなさい。
しかし、ヨナは神の御言葉を欲しがらなかった。
神様の御言葉、アシリアの主導であるニヌベに行くことは嫌だった。
だから神様を拒んで、自分が神様を逆らって逃げました。
ヨナは神様の御言葉を聞かなくて、自分勝手に逆らって幸せになったのでしょうか。
幸せになりませんでした。
彼は大きな逆らの腹の中に入って3日間苦労しました。
しかし御言葉に従って行って伝えたら、自分も期待していない変なことを送りました。
ニヌベの人、この人たちが悔いあるためながら、救いが与えられたんです。
この都市全体が救われたんです。
ヨナの印は何かと言いますと、御言葉に従わなければ苦労しかない。
御言葉に従うなら、命の救いがあり、神様が喜ぶし、
あなたには大きな祝福があるよ、これを教えてくださった。
同じようにイエス様はこの世に来られました。
人類の罪と裁きによって、人類がもう地獄に行くしかない。
その人たちを救うために来られたんですけど、
ユダヤ人たちはイエス様を受け入れませんでした。
イエス様はいくらメッセージをされたとしても、聞いてくれませんでした。
結局ユダヤ人たちはどうだったんですか。
AD70年度、ローマから完全に滅ぼされて、
その時から2000年間、国がない民として全世界にさまよいながら、
国がない恥を受ける民になってしまった。
しかし、謙遜にイエス様を受け入れた人は、
ユダヤ人であれ、イゴ人であれ、すべての人、
どれほどの罪人であれ、その人たちが救われて天国に入るようになりました。
なぜイスラル人たちはイエス様を無視し、イエス様に逆らったのか。
傲慢な心だった。
自分たちは選ばれた民、立法と信念を持っているし、
ダビネの子孫だから、自分たちは絶対に滅ぼさないと信じたんです。
そしてイエス様の御言葉が自分に気に合わないと思って絶対受け入れてくれなかった。
結局イスラル人たちは滅ぼされました。
彼たちは何を願ったのか。イエス様の御言葉を受けるんじゃなくて、
病気が癒やされ、悪霊が追い出され、自分の生活の問題だけ解決してくれ、
印ばっかり求めました。
イエス様が御言葉を受け入れないユダヤ人たちを見て、
あなたたちを裁く人がいる。
どなたかと言いますと、2人の例を挙げました。
1つは31節。
南の国の中央が裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、
彼らを罪に定めるであろう。
南の国の中央、南の国はどこですか?
今、アシャンゲームのサッカーをやっていますけど、
その辺りのところ、エーメンというところですが、
その地方から来た地方だと言っています。
なぜ彼女がイスラエルに来たんですか?
ソロモンの王の話を聞いて、知恵がある言葉、それを聞きたくて聞きたくて、
しかし人々はそんなことを考えません。
御言葉に従うよりは、
この世の中でどうすればお金を稼ぎ、成功し、出世するか。
そればっかり考えるんですよ。
それを求めるのに、100年しか行けない人生を全部使ってしまう。
もし皆さん、この世の中でたくさんのものを得ることが祝福だとするなら、
イエス様が来られて、高尚外の3年間、何を教えたんでしょう。
この世の中で出世する方法、成功する方法、有名になる方法、
そのことを教えたんじゃありませんか。
むしろイエス様は、金持ちが天国に入るのは難しい。
ラクダが針の穴に通るより難しいと言われました。
だったら私たちは何を従うべき、何を求めるべきでしょう。
人生100年、短いんですよ。
短い人生の中で、私の全てをどこに投資するべきなのか。
今日イエス様は、神の言葉を聞き、それを守るところに
あなたの全てを投資しながら、それが永遠に祝福される道だと言っています。
しかし誰も分かっていない。誰も聞きようとしない。
では、どうすればそれを悟ることができるか。
そのためにイエス様が34節、あなたの体の灯火は目である。
皆さん、私の体があります。しかし私の霊があります。
私の霊が見る目があります。目ということはすごいですよ。
目で見ることは、私の霊、私の心に通じます。
だから目が大事なんですよ。
目が澄んだら、目が明るいなら、よく見えます。
しかし目が濁ったら、よく見えない。
そうなったら、霊が暗くなって、
自分の人生をどう生きるべきか、何が大事で何が価値あるものかがわからなくなります。
だから大事なのは心だよ。心を見る目が大事だよ。
皆さん、アブラムの息子イサク。
イサクは年を取ってどうなったんですか。目がうまく見えませんでした。
エッサオとヤコボがいたんです。
長子の権利。それでエッサオに祝福しようと思いました。
しかし間違えてヤコボを祝福してしまう。
それによってお家が兄弟の間に殺してしまうという大惨事になったんじゃありませんか。
父親の目が暗くなったら、家がダメになります。
目が暗くなった人の人生はダメな人生なんです。
どうすれば目が明るくなるのか、これが大事なんです。
イエス様はこの世に来られて、
ご自分が神様であり、神様がおきつかをされて、永遠の命を与えるために来られたということを、
御言葉を通して、人格を通して、印を通して与えても、
悪霊の働きだ、悪霊の仕業だと言いながら、
誤解して受け取ってくれない。
彼の目には何か被されていて、見るべきものが見えない。
だからどうしようかと思います。
じゃあ皆さん、そのために一番うまく祈った人がいます。
それがシト・パウルなんです。
シト・パウルがそのために祈るんですけど、
エペソ1章17節から19節、私が読みます。
どうか私たちの主、イエス・キリストの神、
栄光の源である御父が、あなた方に知恵と敬意の礼を与え、
神を深く知ることができるように、
ここの目を開いてくださるように、
そして神の招きによってどのような希望が与えられているか、
聖なる者たちの受け継ぐ者がどれほど豊かな栄光に輝いているか、
悟らせてくださるように、
また、私たちの信仰者に対する絶対な働きをなさる神の力が、
どれほど大きいものであるか悟らせてくださるように。
じゃあ皆さん、私たちの心を明るくする、これは何でしょう?
これは聖霊さん、知恵と敬意の礼だという。
知恵と敬意の礼が与えられたら、神様をよく見ます。
私の心の目が明るくなって開かれます。
そして何が見えるのか、
神様が私たちを招かれるとのどれほど祝福なのか、
また、私たちが受け継ぐべき天国の素晴らしいことがどれほど素晴らしいことなのか、
また、この世に住んでいる神の子供に対する神様の絶対的な力が、
どれほど素晴らしいことなのかを悟らせてくださるように。
皆さん、私はこれを見て、神の子供である私たちを守る神の力が、
どれほど大きく、どれほど素晴らしいか、
これを、事実、素晴らしい神の恵みが私たちを守っているのに、
私たちは心配ばっかり。
ハランから戻ってくるこのヤクブ、ハランに戻っていったら、
この兄弟エッサウが私を殺すんじゃないかと心配になって、心配になっていくんだけど、
そこで誰がついてきたんですか?
マハナイモっていう。
これは神の天使の2つの部隊がずっとついてくるんです。
それは分からないからヤクブは怯えて、
どうしよう、エッサウが私を殺すならどうしようと思っていたんです。
事実、私たちを神様の天使たちが今守っているんです。
これを守っていることを知らないから、
恐れ、心配、悩み、私はどうするか、私の将来、
もう私の健康どうなるか、私の将来にもう食べるものあるのか、
いろいろ心配するんでしょう。
なぜ心配するんでしょうか。
目が黒くなって、目がダメなんです。
だから見るべきことを見えないで、
見てはいけないことばっかり見ているから心配ばっかりしているんです。
だからシト・パウロは神様が知恵と経緯の礼を与えて、
あなたの目が明るくなって、
神様があなたたちにどれほど喜んでいるし、
あなたのために備えてある天国の素晴らしさ、
地上で住んでいる神の子供たちの絶対的な力で守っている、
神様はあなたたちを見ていることができないから、
あなたたちは今、
こんな信仰生活、こんな神の子供だと言いながら、
こんなみつぼらしい生活をしているんじゃないかという、
このようなことを言っているんです。
神の世界は素晴らしい。
神様は私たちのために与えてくださったこの祝福は素晴らしい。
この世で生きている子供に対する神様の愛、
神様の守り、神様のこの祝福はもう備え、素晴らしい。
そのうちに天国にいただく私たちのものはもっともっと素晴らしい。
これをどうして見ることができるか。
見言葉と精霊の狭さ、それが見えないとき、
この世のことばっかり求めるんですけど、
この世の中のものはしばらくです。
私は昔、韓国の大技術で勤めるとき、
私は他の会社の人と違って、
私には出張のチャンスがたくさんあった。
アメリカに行ったりヨーロッパに行ったり。
当時はもうマイリージュうまくやってなかったんです。
私はそのマイリージュあったら今ヨーロッパ旅行に行けるんだよ。
格好よくアメリカ、ヨーロッパは会社のお金で偉そうにしました。
また日本の駐車員として来て、
当時は大きな家、大きな車、
それでゴルフをやって格付けて、
私は幸せだと思いました。
しかし会社を辞めてみれば、
これは本当にバブル、雲のようにシャッと消えていきました。
夢で見たようなことで今はシャッと消えてしまいました。
最初にこのことがありました。
わずかな間に現れて消えていく朝霧の同じだった。
本当にわずかな間、私の目の前で私が何を考えて何を見ていたのかと思われるほど、
それはすぐ消えていきました。
本当にその時には高ぶりになって、
心が何か変なことに入っていって、
全然分からない。
しかし、私たちが見事に従うことによって与えられる神の祝福、天国の栄光、
これは永遠に永遠に続きます。
また私たちが見事に従うなら、
天国でどれほど大きな祝福が今待っているのか分かっていないから、
どうしようどうしようということでしょう。
それを見る目が与えられるように。
ですから今私たちの切磋なる祈りは何なのか。
世の中の祝福をどうすれば出世し成功しお金を稼いでどうすればうまく生きるか、
そんなことは神様が全部与えてくださることだから、
そんなことは神の子供がそんな患ってはいけない。
私たちが考えるべきこと、祈るべきことは、
主よ我が目を開いてください。
見るべきものを見ることができるように、
神様目を開いてください。
これを切に切に祈らなければいけません。
ちなみに前回、教会学の先生から教えてもらった、
マタイの言書の三蔵の水君、
そのことで三蔵の水君で祝福は何と言ったんですか。
心の貧しい人は幸いだ。
天の国はそのような人たちのものである。
ところが心の貧しい人は幸いですけど、
どうすれば心が貧しくなりますか。
いや、今日から貧しくなることを決断します。
貧しくならせてください。
そうするんだって貧しくなりますか。
どうすれば心が貧しくなるのか。