00:08
今日は新年の1回目のメッセージとして
今日は新鮮な油注ぎのためにという対応を持って
メッセージを分かち合いたいと思います
先週 新年初めのメッセージで
新年神様からの新しい御業を期待するなら
過去を忘れましょう
また新しい働きをなさる
神様を見上げていきましょうと申し上げました
ですから皆さん
去年の1年間の痛い思い
まだいろいろな問題、傷
また自分の過ち、罪
これを全部イエス・キリストの十字架の地上に
清く洗って
そして私たちはこれから新しい出発をすること
そのことが大事だということをメッセージをしました
今日は新年の2回目のメッセージとして
今年また強調したいことがあります
これが油注ぎということです
信仰は物々しいものです
初めに神様が天地万物を創造された
全てがなかったんですけど
全てがあるように創造された
この創造の力が今も私たちの間に働いて
今も神様がいろいろなことを知ってくださるんだということを
信じることが私たちの信仰です
不倫の女が子供、赤ちゃんを産みました
また海を分けて乾いた地のように渡りました
パン5つ、魚2匹で5000人を食べさせました
これは我々は考えるとありえないんだけど
超自然的な働きを含めて
考えなきゃいけないことが信仰ということです
このような信仰生活は
私たちの力では絶対できません
神様が共におられて
神様が行われることです
私たちが信仰を持っているということは
私たちに神様が共におられ
また神の力で私たちが生きているということが
信仰生活しているということです
ここに大事なのは油注ぎということです
私が初めに韓国で教会に行ったときに
その教会は本当に盛り上がって
非常に祈りが強い教会だったんですね
その教会で僕先生もそうだし
信徒たちがいつも言っている言葉があります
上から炎の火を受けなきゃいけない
上からの火を受けなければいけないよ
03:01
炎の火を受けるなら
仏会のレベルが違う
また信徒たちの信仰のレベルが違う
その話を聞いて
炎の火を力をいただくために
山に登って祈ったり
断食もして祈ったり
またその当時有名な先生たちの集会が
あちこちあったんですけど
そこに行って
何か神様からの炎の火を受けたいと思って
ずっと参加したりしたことがあります
とにかく過去の先輩たちは
神様からの強い炎のような信仰をいただくために
いろいろ頑張ったことが分かります
また皆さんも
信徒たちの代表祈りをよく聞いたら
油注ぎを与えてくださいという祈りをするでしょう
炎の火を受けること
また油注がれること
これは一体何を意味するのか
それをどのように受け入れることができるのか
信念 私たちはこの力を欲しいので
そのことを一緒に考えていきたいと思います
まず油注ぎって何でしょう
油注ぎの定義は
神様がなさることだから
私たちが一言で油注ぎは何だということを
言うことは非常に難しいです
なぜなら聖書でもいろいろな意味で
油注ぎを使っているからです
ある聖書では油注ぎは
聖霊の力だと言います
ある聖書には油注ぎは
聖霊の賜物を意味すると言います
また今日読んでくださった第1話2章27節には
油注ぎは聖霊様ご自身だという言葉です
だからこれは聖霊の力なのか賜物なのか
聖霊様ご自身なのか
聖書の中でも油注ぎという言葉が
いろいろな表現として使われていることがわかります
大事なのは油注ぎがあるとき
神様が私たち各々与えてくださった
聖霊の賜物と才能が
より効率的に優しく
力強く働くことができるということです
油注ぎがあれば優しくすべてができます
しかし油注ぎがなければ
いくら頑張って何かしようとしても
なかなかうまくできません
ですから信仰の先輩たちは
信仰生活で一番大事なのは救いだよと
では二番目に大事なことは何か
油注ぎだと言われたんです
救いは一番大事でしょう
天国に行かなければ信仰の意味がないから
二番目大事なのは聖霊の油注ぎだ
06:01
だから聖霊の油注ぎを求めなさいと言う
神様は神のしもべたちに
ただ働きなさいと
あなたの力で働きなさいと言われません
必ず仕事をさせるときには
油を注いで働かせる
旧約聖書の王様たち
まだ最初たち
預言者たちは
全部油注がれて働きました
イエス様も
ヨワネ3章34章を
今日読んでくださったところでは
神様がお使うしになった方は
神の言葉を話される
神様が霊を限りなく与えてくださるから
霊を限りなく与えてくださる
これが油注ぎを豊かに与えてくださったから
イエス様が神の見事ばを語られたことで
理解できるでしょう
このように油注がれたということは
神様がその人の働きを認められる
皆さん これ大事ですよ
神様が認める人と認めない人がいるんだから
認められることを意味するし
また神様の特別な力
献身を与える意味もあるし
また神様がその人と共におられる意味があるから
油注がれたということは
特別な意味があります
ところが 今日申し上げたいのは
油注ぎの中で一番大事なのは
新鮮な油注ぎが必要だということです
皆さん 車を運転される方がいらっしゃるでしょう
車にはエンジンオイルがあるんですけど
エンジンオイルはいつも
新鮮なエンジンオイルを入れたときに
車がうまく走ります
また皆さん 天ぷら 揚げ物
その揚げるときに
油が新鮮なものにならなければ
健康に悪くなります
だから油注がれることも大事ですけど
その油が新鮮な油注がれなければいけないということです
新鮮な油注ぎと関連して
聖書は過去の油注ぎ
現在の油注ぎ
また将来の油注ぎということがあります
皆さん これご存知だったんでしょうか
油注ぎは全部同じで
油注ぎで過去と現在と将来の油注ぎはあるのかと
言われるかもしれないけど
サムエル ジョーの聖書は
それを私たちにしっかり教えてください
そこで同じ時代に3人の人がいました
サウル サムエル ダビデです
サウルは過去の油注ぎとして現れる人物です
過去 神様が油を注いで使ったんですけど
09:02
今は尻除けられた
またサムエル
今 神様から健在の油を注ぎいただいて
かつても立派に働いている人
またダビデは油注がれたんですけど
神様から今 用いられていません
苦労ばっかりしています 訓練を受けているところ
将来の油注ぎ
そのことで3人の弟はよく説明しているんですけど
まず 過去の油注ぎです
過去 神様が油を注いでその人を一度使ったんです
ところが今は神様が尻除けられました
尻除けたということで
用いを奪ったり その人に与えた他物を奪ったりすることではありません
ローマ書中1章29節を見ますと
神の賜物と招きとは取り消されないものなのです
神様が用いを与えたとして
あなたを尻除けられる
どうして すぐ用いを奪ったり
賜物を奪ったりすることではありません
神様はその人が亡くなるまで
そのことをそのまま置いておくんです
だから私たちが勘違いしやすいんです
皆さん サタンは
サタンの力がどこからいただいたんですか
昔々 サタンが天使長の時に
神様から与えられた他物を持って
今 悪魔 サタンの仕業をやっているんです
奪えばいいのに
神様は軽く奪ったりしないんです
問題は 神様は過去使ったんですけど
今は尻除けたんですけど
自分も知らなく 民たちも知らなく
神様だけ知っている
今は神様はその人に声をかけません
神様と関係性もありません
神の御業を教えてくださいこともありません
しかし 彼は権益 王としての権勢を講じています
人々は知らないから
神様が建てられた王様だと言って
よくよく拝んだり従ったりします
しかし 神様が見捨てられたから
その国はどうなるんでしょう 大変でしょう
皆さん もし教会が 牧師が
神様が過去の油注ぎ
昔は使ったんだけど
お前は今は資格はないと思って
神様は尻除けられたとしたら
私が勤めている教会に来て
礼拝を捧げる皆さんは何ですか
神様がもう声もかけてくださらない
神様は使ってもくれされない
御臨罪も全て取り消されたのに
12:00
ああ 立派な先生と言いながら
ここに来て礼拝をしたり
皆さんは全部無駄なことばかりしている
だから 過去の油注ぎなのかどうなのかを
よくよく知らなければ
過去の油注ぎの教会に行ったら
大変になります
サムエルは現在の油注ぎです
今 現在 神様が
サムエルに新鮮な油を注いで
御声をかけてくださり
また 神様との関係性の中で
いろいろな声をかけてくださるから
サムエルはその声を聞いて
その通り働きます
それが一番祝福された人です
神様も知っているし
本人も知っているし
民たちも全部知っている
ああ この方は
神様が今 用いられているかどうか
その働きは非常に美しい
また その実りもたくさんあります
ぜひ 私たちの教会は
現在の油注ぎの中で
教会が維持して働かなければならない
ダビデは将来の油注ぎの代表です
神様から油を注がれたんですけど
また使っていません
サムエル上の16章13節
サムエルを使わせて
ダビデに油を注ぎました
油を注がれて
ダビデはどうなったんですか
神の霊がしっかり強く働いているんだけど
その時から訓練が始まります
取り扱われます
サウルに追いかけられて
死ぬほど苦労します
それがサムエル上の内容が
全部その内容です
ダビデはもう死ぬほど苦労される
ダビデが油を注がれたのは
神様は知っています
自分自身も知っています
しかし民たちはまだ分かっていません
訓練ばっかりです
ここで私はいつも
もし私は過去の油注ぎではないか
そういうことをいろいろ私は工夫しています
過去の油注ぎだったら皆さんどうなるんでしょう
業界はどうなるんでしょう
伝道師さんは現在の油注ぎ
私はよく分かっています
また私たちの子どもたち
2世たち
将来の油注ぎ
将来の油注ぎは今訓練中です
油注がれたといって
何も今お仕事もないし
何もできないし
訓練ばっかりです
訓練を受けていらっしゃる方は
サムエル女王の聖書をよくよく読んでください
そこの中には
ダビデがどのように訓練を受けているか書いてあります
訓練を受けるとき一番大事なのは
訓練に対する真実な態度です
訓練を受ける人が真面目に訓練を受けること
これが非常に大事です
ダビデがどんな話をしたのか
15:00
どんな行動をしたのか
神様のいろいろな働き
サウル王を追いかけて殺そうとするときに
ダビデがどうしたのか
よく見てください
これが将来の油注ぎの人が学ぶべきことです
ダビデは立派に合格しました
そしてサムエル女という聖書には
ダビデが王様になって
よくよく用いられたことが書かれてあります
その訓練
将来の油注ぎは
訓練に対する自分の態度
ここが非常に大事だということです
ではここで一番問題は
過去の油注ぎです
サウル自身も
タミダチも
自分は退けられたことを知らなかった
しかし神様は彼を退けたんです
確かに過去の油注ぎを追っていったんですけど
今は神様が共におられないし
声もかけてくださらないし
何の感動も与えてくださいません
だからサウルが
どうすればいいかわからないとき
彼は息苦しいほど
ここで何をすればいいかどうすればいいかわからない
神様は声をかけてくださらない
だから彼はどこに行くんですか
サムエル上の28章の6節と7節を見ますと
占い師を訪ねていく
アクレインに訪ねていくということです
神の国の王であるイスラエルの王が
神様じゃなくて占い師を訪ねていくほどだったら
サウルの人生どうなるんでしょう
イスラエルはどうなるんでしょう
仮の働きはどうなるんでしょう
私たちは絶対過去の油注ぎになってはいけません
ではなぜサウルは過去の油注ぎになってしまったのか
ここが問題
サウルは神の国イスラエル王様です
ところが神の国イスラエルはもともと王様はどなたですか
神様です
今の王であるサウルは神様の代理者として
神様の代わりにイスラエルを統治しているところなんです
しかしこの神様の代わりに統治するなら
何をするんだとしても神様に訪ねて
神様これをどうすればいいですか
これをこうしたいんだけど神様はどう思いますか
ずっと聞くべきでしょう
神様に問いかけてこれを聞いてから働くべきなんだけど
一切聞かない
自分が王様だとして自分勝手にします
神様に対して不信心もやります
神の見事な目に対して不従順もやります
だからサウルは来て
あなた今間違えているよと言ったら
彼はサウルを殺そうとしたり
また神様に逆らいます
頑固です
自分は考え通りやろうとしています
18:04
また人の評価に非常にこだわって
だから人の前で偉そうにやりたい
自分の立場ばっかり考える
神様が間違えた間違えた何度もチャンス与えたのに
聞いてくれません
神様の前でサウルの信仰は非常に問題がありました
その内容を見ることが
サムエル城の13章と15章にあります
ペリシテと戦争をするときに
まず戦争する前に礼拝を捧げて戦争に出るんですね
礼拝は誰がやるんですか
祭司長である預言者であるサムエルが来て
それで礼拝をして
サウル王に祈ってあげるなら
サウルが出て戦争をするでしょう
しかしサウルが
サムエルがまだ来ていない
遅く遅れています
だったらサウルが
私がやる
私が王だから
自分がやってしまいます
神様が決められた油注ぎの秩序があるんですけど
それを越見して
これを全部破ってしまう
私が王だから
自分勝手にします
神様の秩序を破るということは
神様を無視することです
これを一回間違えたことで
神様はしりどけたりはしません
次に15章に行ってみますと
アマレクトの戦争があります
そのとき神様が
全てを打ち殺しなさい
それで戦争に使わせた
しかし彼は
戦争に勝つ力を神様がくださったのに
それを見て
良いものを全部残しておいて
良くないものばかり
しりどけ
全部殺してしまいました
良いものは自分のもの
残しておいて
良くないものだけ
全部殺す
選択的な中旬です
皆さん
私たちがメッセージを聞くとき
自分に気持ちいいメッセージを聞いて
そして自分に少し良くないことがあったら
無視する
これは皆さん悪いことです
不純純よりもっと悪いのが
選別的な純純だということですから
そのときもサムエラが来て
あなたは神様が今叱られている
その話を聞いて
悔いを改めるというのは良かったんですけど
それは神様がくださったチャンスだったんですけど
彼はサムエラの話を聞いてくれない
彼は神様より
人々から自分が王様だと認められることを
もともと大事にしたんです
だから神様のことを受け入れくれなかった
人々の前で私の顔を潰してはいけない
だから何とか私を褒めてくださいと
21:03
言われるほど
人々の前で自分の評価を大事にしたんですね
それだけではありません
ダビデが油注がれて
これからコリアテを倒し
いろいろなことをします
人々の評判が
サウルよりダビデがもっと偉いという評判が
たくさん出ています
だったらダビデが私の代わりに
王になるんじゃないかと思って
値段でそれでダビデを殺そうとして
十何年間追いかけて殺そうとします
サウルの信仰の姿勢
心構えが神の見舞いで非常に間違えていったんです
結局神様は彼を知りどけたら
悪霊が彼を支配して
それからはもうカンコになって悪くなって
結局サウルとサウルの家族は
別望されてしまいます
初めは謙遜だったのに
どうしてこんなに悪くなったんでしょう
ここで信仰の姿勢
信仰の心構え
まだ成熟していない人に
大きな任務が与えられることは
どれほど危険なのか
これがサウルを通して分かります
結局彼は準備できていない王だったから
彼が破滅に導かれてしまったんじゃないかと思います
ここで今日もう一つ大事なのは
過去の油注ぎになってしまったら
これは取り戻されることはできないんですか
私はこのためにいろいろ工夫しながら
本当に神様
過去の油注ぎになってしまっても
神様取り戻してくださるんですかと
私は慎んでこのメッセージを準備したんですけど
事実王になって変わったのは
サウルだけではありません
ダビデも変わったんです
サウル王の罪は
神の見事前に対する不従順
また秩父に対する一見
神様が決められた秩父の中で
自分が勝手にやっていく
この一見
これは神を無視することだ
また不従順
選別的な従順
これがダビデの主な罪ではないかと思います
しかし皆さん
サウルの主な罪
ダビデの罪は何ですか
ダビデは自分に忠実な父家
ウリアの妻を罰せばと
下院の罪を犯します
この下院の罪を隠すために
自分にこんなに忠実した
本当に素晴らしいウリアという
この父家を殺してしまいます
下院の罪
この上に人殺しの罪を犯してしまう
こんな悪いことをして
彼が回復できるのか
24:00
私たちが考えるときに
サウルが大きい罪ですか
ダビデが大きい罪ですかと言ったら
サウルは大抵
秩序に対する罪が多いですね
しかしダビデの罪は
これは人間性がない
こんなに倫理・道徳的に
本当に悪い人間です
そのダビデが回復できると思いますか
しかしダビデは
神の下部
ナタン
預言者が
あなたが罪人ですと言われたときに
人の前で自分の立場を考えるよりは
神様の前で
自分自身がへり下って
泣きながら悔い改め始めます
このダビデの悔い改めの姿を
詩編の51編はよくよく書かれてありますけど
新京都訳で2カ所だけ読んでみましょう
詩編51編の中3節です
御前から私を退けないでください
あなたの聖なる霊を私から取り上げないでください
あなたの前で私を退けないで
私に与えてくださった聖霊の油注ぎを
私から退けないでください
取り除けないでください
泣きながら祈ります
また中9節で言いますと
しかし神の求める生贄は
打ち砕かれた霊
打ち砕かれ喰いる心を
主よあなたは侮れないでありませんか
と言いながら
神様の前で小学生のように
ガンガン泣きながら
私を退けないでください
私を生かしてくださいと泣き続けます
皆さん王様が小学生のように
みんなが見ている前で神様の前で
へり下ってへり下って
おそれを敬う心を持って
神様に悔い改め続けるこのダビデの姿
結局へり下って悔い改めるダビデは
神様から取り戻されました
しかしサウルは一切そのことはありません
だからサウルは取り戻されなかったんです
ここが大事なんです
皆さん私たちに命ある限り
私たちがこの世で生きている限り希望があります
死んでしまったら悔い改めはできません
ですから生きている限り
私たちが謙遜になって
また神様をおそれを敬う心を持って
神様から何か少しのヒントさえあれば
悔い改め始める
これが大事です
私は神様にいつも祈ることがあります
私は子供の時から
私の母が私を鞭を打たれたらもう逃げます
鞭を打たれること嫌だから逃げて
母が今怒っているのか怒っていないのか
27:03
それをよく見て家にシャーッと入って
お母さんと言いながら
私が鞭を打たれるのは大嫌いだから
そうでしょう皆さんも
だから神様が鞭を打たれたら
人間と耐えられる人はいないから
だから神の御前では赤ちゃんのように
王様が小学生のように赤ちゃんのように
泣き続けながら私を退けないでください
聖なる霊を私は取り除けないでください
と言いながら
神様に叫び求めるこの民の姿のように
私たちも少しのヒントさえくだされば
神様にすぐ悔い改める
皆さん赤ちゃんの素晴らしさは何が知っていますか
お母さんから一言言われたら
もう目から涙がポロッと出てしまいます
この純粋さを
いつまでもいつまでも保つことが一番大事
年取ったとしても王になったとしても
神様から一言指摘あって
あなた今間違えているとしたら
涙がポロッと出ながら
主を赤ちゃんのように主の前で泣きながら
主を生かしてください
主の霊を私から取り除けないでください
切に切に求めるこの心
是非とも是非とも
これをやっていただければと思います
是非皆さん
子供たちはもう聖書を勝手に考えて
神様私愛していないとか
いろいろ言うけど
勝手に考えて
聖書を誤解されないでください
また希望を諦めてはいけません
神様私は愛しています
絶対神が私を愛しておられる
絶対善ということを忘れてはいけません
だから私たちは神様の前で
どのように過ごすのか
神の御言葉をどのように理解するのか
神様に対してどのように理解するのか
非常に大事です
神は絶対善
私がいくら悪いこと
いくら罪を犯すんだとしても
私に対する愛は変わりがない
それを確かに信じて
早く主の御前で
跪いて助けてください
生かしてください
許してください
この祈ることさえできれば
新鮮な油注ぎはいつまでも
いつまでも与える
私たちが生きているこの100年が非常に大事
これ100年がどうするかによって
永遠な天国
永遠な命
永遠な死
地獄が
これはどこに行くのか
決められるからです
神様の願いは
私たちはみんな悔い改めて
回復できることです
神様は一人の人も地獄に行かないように
30:03
一人の人もみんな天国に行くように
1000年を1日のように待っておられる
聖書は私たちにこう言っています
またイエス・キリストは私たちを救うために来られて
私たちがいくら罪を犯すんだとしても
イエス・キリストがみんなを呼ぶことさえできれば
十字架の地に流れた地霜によって
私たちの罪を清く洗ってください
いくら悪い罪を犯す
人間としていくら悪い罪が何ですか
人殺しもちろん何でも
私たちが悔い改めることさえできれば
神様は許してくださり
回復してくださり
新しい力を与えてくださり
天国に入れてください
だから一番大事なのは悔い改め
へり下って悔い改めることができるかということです
今日のメッセージをまとめてみましょう
油注ぎは神様のこういうな権限だから
私たちが勝手に油注ぎを来るように
また油注ぎが働くときに
それを止めることはできません
油注ぎはもう私たちが手を出すことはできない
神様の領域の働きですから
私たちは接地に求めるべきですけど
私たちができることは何なのか
はじめは悔い改めること
一つ何かがあっても悔い改める
赤ちゃんのようにお母さんの一言で
涙をポロッと流すほど
悔い改めが早い
純粋な心をいつも保つことが一番大事
二番目
主が命じられたことを忠実に行うこと
うまくできてもうまくできなくても
忠実にやろうとすることが大事です
なぜなら行おうとする人に油を注ぎてくださるからです
三番目
神様の油注ぎを主体求めることです
神様は主体求める人に油注ぎを与えてください
ですから信仰の先輩たちは
油注ぎを求めるなら
はじめも主体求めなさい
二番目も主体求めなさい
三番目も主体求めなさい
今まで私たちがいくら悪いことをした
罪を犯したとしても大丈夫です
いくら人生がダメになったとしても大丈夫です
上の三つ
悔い改めと従順と
また主体求めることさえできれば
神様が私たちを必ず回復してくださり
油注ぎを与えてくださいます
皆さんこの世は100年
100年長いと思っても長いんですけど
短いと思ったら非常に短いです
この短い人生の中で神様が共におられながら
神のご臨在のこの力
33:01
健性
また神様の素晴らしい
神様の癒しのパワーをいただいて
この世の中を救い
大勢の方たちを癒し
そのようなキリスト教師になりたいなら
必ず油注ぎがなければ
私は皆さん伝道師さんにいろいろ情報を与えてください
伝道師さん私に報告してください
誰誰が今問題あります
祈りましょうと
一緒に祈るんです
ただ祈ることと
精霊の油注ぎが豊かにあるとき祈ることは
全然違います
だから牧師の働きのために
私に必要なのが何か油注ぎなんです
新鮮な油注ぎを求めるなら
牧師は何をするのか
私の生活の中で
罪・過ちがあるなら
必ず悔い改めます
そして牧師の仕事を忠実に行おうとして
頑張ります
そうしながら
油注ぎ油注ぎ
塩油注ぎ与えてください
私は心からずっと
死体求め死体求め
油注ぎ油注ぎ油注ぎ
求めます
そうしたら牧師としての働きが
油注ぎによってできます
これは大事
私が頑張るんだって何の意味もありません
また皆さん
私だけではありません
教会学校の教師
皆さん
今すごく大事なことを知っていますよ
今子どもたちの将来を
今教師たちの見言葉によって
すごく大事な働きを今しているところです
教師の働きのために悔い改め
生活の中で小さな罪でも悔い改め
また教師の働きを熱心にしようとします
そうしながら
私は教師としての油注ぎを豊かに与えてくださいと祈る
取りなし祈り
教会で取りなし祈りほど大事なことはありません
取りなし祈りに働く人は悔い改め
熱心に取りなし祈りに参加する
油注ぎ
油注ぎ
主要を与え
それだけではありません
会社に勤める会職場の
サラリーマンたちも上からの力が必要です
私は何より大事なのは子どもたちです
勉強する
自分の力頭で
この入っている知恵だけで勉強しようとしたら
限りがあります
上からの限りがない知恵をいただいて勉強する子どもは
格が違います
レベルが違います
だから子どもたちにも油注ぎが必要です
お仕事で働く皆さんも油注ぎが必要です
牧師も業師も取りなし祈りの働き人も
私はみんな油注ぎが必要です
36:03
だから今日3つ
悔い改めながら
従いながら
油注ぎ
油注ぎ
油注ぎを与えてください
切に切に求めること
これが油注ぎの一番大事なポイントです
2024年度
私たちみんな
神様から与える新鮮な油注ぎによって
神の認め
神の建成
また神様が
共にいてくださる
この信仰になるなら
2024年
誰も行ったことがない未知の世界だけど
私たちは希望を持って
勇気を持って
楽しみながら
2024年度
1年間頑張ることができるでしょう
皆さんの上に
主の油注ぎが豊かにありますように
豊かにありますように
お祈りいたします
主よ
昔の信仰の先輩たちが
主が与えてくださる炎の
主の力をいただいて
教会の働き
職場の働き
また家庭の全ての働きに勝利して
伝道して
弟子に作って
たくさんの実りを結ばれたように
新年の始めから
私たちも
神様が与えてくださった
新鮮な油注ぎによって
立派に進みていっていく
私たちにならせてください
主よ
私たちの教会
私たちの家庭
私たちは子供たちの上に
主の新鮮な油注ぎによって
毎日毎日豊かな生活ができるように
導いてください
イエスキリストの源を通して
お祈りいたします
アーメン
アーメン