00:00
では今日は、まず神の国と神の義を求めなさいという題で メッセージを分かち合いたいと思います。
この題をもって、前回皆さんに申し上げたこともありますけど、 今は山上の水君の中の一部として、私たちは
マタイの6章の部分を今一緒に分かち合っているところであります。 皆さん、信じる人でも信じない人でも
一番敏感な問題があります。 これはお金の問題です。
私の命を、私のすべてを主に捧げますと言いながら、 これだけはできませんということがあります。
これはお金のことです。 命を捧げてもお金はできませんと言います。
それほどお金は敏感な問題です。 正直に私たちキリストたちが
神様を信じますか、お金の力を信じますか。 神を信じるんだと言いながらも
神様がともに言ってくださらなければどうしようかと心配することより、 お金がなければどうしようかと、それでもっと不安になるのではありませんか。
世の中の人々がみんな熱心に働く目的があります。 この目的はお金を稼ぐためです。
なぜ勉強しますか。なぜいい格好に進学しますか。 なぜいい会社に入ろうと頑張りますか。
なぜいい人と結婚しようとしますか。 まだ私たちは老後のために何を一番気にして準備しておられますか。
すべてのところにはお金があります。 豊かな中で幸せと安静と安心のためには何が必要ですか。
お金がなければいけないとみんな思います。 お金さえあればできないことは何もないと思っていることではありませんか。
では皆さん、お金で天国を変えますか。
ある人たちはこう言うかもしれません。天国地獄というものはないよ。 この世の中が全部だ。死んだら終わりだよ。
そのように考えられるからお金がすべてだと言うかもしれません。 皆さんはどうですか。
この世は100年、天国地獄は永遠。 また死んだ後には裁きがあることを皆さん信じますか。
それを信じるんだと言うなら、永遠な天国のために私たちはどんな物質感を持って過ごさなければいけないでしょうか。
また神様を信じるのか、お金を信じるのか、お金の力を信じるのか。 この問題に対して確かな回答を自分が持っていなければ
03:10
信仰はただの飾り、目的はお金で、神様は道具として用いる 懲りやく信仰になるかもしれません。
ですからイエス様はこの問題について確かな方向性、原則を与えてくださいました。
これがマッタイの6章33節です。 私たちがこのイエス様の大原則、その通り生きるとき
神中心的な信仰、神様が目的である信仰になります。 今の時間、マッタイの6章33節、何よりもまず
神の国と神の気を求めたいと言われるイエス様の御声を深く受け入れることができればと思います。
では今日のメッセージの第1番です。 聖書的な物質感
これは富は天に位置してみなさいということです。 人間は動物とは異なり
本能的に将来の安全と幸せのために何かを集めようとする所有欲があります。
また他の人より先に行きたいという 狂騒心、むさぶりもあります。
また私の人生どうすればいいかという いつもいつも自分の人生のための悩みをします。
ここに私たちの目の前に何が見えますか? 神様は見えません。
目に見えるのはお金と宝物だけなんです。 ですからお金が宝物が自分の人生を責任を取ってくれると信じて
不動産を持っていたり株を投資したり 銀、銀、宝石を買って集めたり
お金を貯めたり 結局その所有を持っているこのすべてによって安心感をいただこうとしています。
皆さんはどうですか?たくさん集めておいたんですか? ところがここに問題があります。
イエス様はこの世の中に集めておいた財物を奪っていく敵友がいると言います。
中級生と言っている。 あなた方は地上に富を積んではならない。
そこには虫もありサビもあり盗人があって盗み出していくよ。
虫、サビ、盗人 このようなものが一生懸命集めておいた財物を
06:03
ためにしすべて奪っていきます。 私が住んでいる清瀬駅前の交番では
昼の間いつも放送が流れています。 住民の皆さん
オレオレ詐欺に気をつけてください。 オレオレ詐欺に気をつけてください。
年取っていらっしゃる方が大勢住んでいるところなので 詐欺によって騙されてお金が奪われる被害者が大勢おられるそうです。
皆さん詐欺師たち本当に気をつけなきゃいけないでしょう。 また私たちのすべてを奪っていくものがあります。
ルカの中二症の金持ちのように 農業して毎年豊作で蔵を壊し、また大きく、また蔵を壊し大きくして財産をたくさん集めておきました。
人生の最後を幸せに過ごしたいと思っているところで 死んでしまいました。
そして自分が一生涯稼いだこのお金を少しも使うことができなく 死によってすべて奪われてしまう不幸な人もいました。
じゃあ皆さん、病によって火災によって事故によって泥棒によって 詐欺によって死ぬことによってすべての財物が奪われてしまいます。
ではどのように生きることが賢い人ですか? 二重説をご覧ください。
富は天に積みなさい。 そこには虫が食うことも錆びつくこともまだ盗人が忍び込んで 盗み出すこともないんだ。
イエス様は 天に富を積みなさいと言います。
天に積み上げた富は失う心配はありません。 天に積んでおけば永遠にその価値が保存されます。
後ほど私たちは天でこれを永遠に味わうようになるでしょう。
では富を天で積むという生活はどうすることですか? 実際どのように生きることですか?
富を地上で積むことは自分のために生きる生活とするなら 富を天に積むことは神の国神の栄光のために自分の財物
富、時間、才能すべて投資して 首都福音のために自分自身を献身する生活を意味します。
この働きは 御子に神の国があることを信じる信仰がなければ絶対できないことです。
09:03
ですから信者だけがその働きができます。 教会の元老である永島さんという方がいます。
その方の家に行けばいつも聞くお話があります。
ご自分と親しいある方は新宿にビールを何件も所有しておられるそうです。 お互い年を取っていらっしゃるので
それを持っていったら死んでしまえばその財産どうするのか 生きている間に主のために使うことができるように
そして何件も所有している新宿のビールの中で1回くらいは教会として 恋愛の場所として使うことができるように
ご自身の健康が回復できればお友達のところに行ってぜひお話ししてあげると言いました。
たくさんの財産を持っていってそのまま死んでしまえばどんな用があるんでしょうか。
生きている間に主のために使うべき その時価値があるでしょうと言いながら
気の毒だ気の毒だと言われています。 富を天で積むことはなぜ大事でしょうか。
21節をご覧ください。 あなたの富があるところにあなたの心もあるのだと言います。
心は富とつながっています。 富をこの地上で積むなら
心がいつもこの地上で向かうようになっています。 富を天で積むなら心が天の父なる神様に向かうようになっています。
皆さん財物の誘惑がどれほど怖いか知ってますか。 富に自分の心が奪われたら
心の目が暗くなります。 礼儀的な分別力を失い
人生の目的が大きく過ちます。 24節をご覧ください。
誰も二人の主人に使えることはできない。 一方憎んで他を愛するか一方親しんで他を軽んじるかどちらかである。
あなた方は神と富とに同時に使えることはできないと言います。
実際イスカリエとユダはイエス様とお金を同時に愛したんです。 しかし決定できない瞬間
銀30のためにイエス様を売り払って 今イスカリユダは一番悲惨な人になってしまいました。
私たちも油断できません。 富を天に積むことではなく地上で積んでみれば
私たちの心はいつも地上に向かうようになります。 神様からだんだん離れていくでしょう。
12:06
しかし富を天で積むなら私たちの心も天におられる神様にもっともっと近く近づくようになるでしょう。
神様だけあがめてみる単純な目 清い目を持つようになるでしょう。
そうするなら私たちの心も明るくなって 誠の知恵と分別力を持つようになります。
ですから富は全天に積まなければならないとイエス様はいつもお話しされるんです。
では2番です。 ではこのような心配が生じるのではありませんか。
富を天で積むなら 神様のために富を全部使ってしまうなら
私はこの地上でどう生きればいいんですか どのように生きればいいんですか
これに対してイエス様は心配するなと言います。 皆さん父と弟子たちは
信仰によってイエス様が召された時に 船と父親を捨ててイエス様を従いました。
そして弟子たちはいつも共同生活をしました。 ところがイエス様はある一定の場所で留まる方ではありませんでした。
あちこち動いておられたんです。 ですから弟子たちもイエス様についていて
ある時はオリブ山で寝たり ほとんど牢状で外で寝泊まりをしなければいけなかったし
食べ物もあまりなかったんです。 ですから麦畑を通りながらもなる時は
麦の方で自分を腹を満たそうとしました。 弟子たちは毎日毎日何を食べるか
どこで寝るかという現実的な問題があったんです。 このような心配の中にいる弟子たちにイエス様がお話しします。
25節です。 だから言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと
また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。 命は食べ物より大切であり
体は衣服より大切ではないかと言います。 ではなぜ弟子たちはこのような衣食獣の問題に心配する必要がありませんか?
それは天の父なる神様が自ら食べさせ着させてくださるからです。
神様は空を飛ぶ鳥を持って説明してくださいます。 空を飛ぶ鳥に神様は命を与えてくださいました。
またその鳥が食べて生きることができるような昆虫、 穀物、実をたくさん備えておきました。
15:09
また神様は野の花に命を与えてくださいました。 それに加えて野の花にはソロモンの王の衣よりもっと美しい花を咲くようにしてくださったんです。
それに対して弟子たちの存在はどうですか? 神様に対して弟子たちの存在は
鳥または草よりはるかに大切な存在です。 神の見姿であるからです。
では神様は鳥と花を食べさせ着させたように 弟子たちをも食べさせ着させてくださるんじゃありませんか?
また私たちが心配してはいけない理由は 心配するなんてするんだって何の役にも立たないからです。
むしろ漣漪的な問題が生じるからです。 27節ご覧ください。
あなた方のうち誰が思い悩んだからといって 寿命をわずかでも伸ばすことができるか?と言います。
私たちが心配するんだって 寿命を1時間でも1日でも伸ばすことができるか?できないということです。
皆さん心配するなら長く生きることではなくむしろ ストレスによって精神病によってまだ悪くなります。
それにも関わらず人々は遠い将来の心配まで持ってきて心配をします。
どうしたらいいんでしょう? イエス様は何を食べようか何を飲もうか何を着ようか心配する弟子たちに
信仰の薄い者たちよと叱られました。 イエス様の御言葉を通してみますと心配の原因は
神様が絶対善の神様、神の主権を信じないし 私たちは愛する神様を信じない
不信仰から来るものです。 皆さんお金がいくらたくさんあるんだとしても心配はなくなりません。
心配は礼儀的な問題、信仰の問題だからです。 不信仰と心配を続けるなら悪魔に捉えられるようになります。
ですから第一ペトロ五章七節から 重い患いは何もかも神にお任せしなさい。
神があなた方のことを心にかけて言ってくださるからです。 身を慎んで目を覚ましていなさい。
あなた方を敵である悪魔が吠えたける獅子のように 誰かを食い尽くそうと探しまれています。
18:07
皆さん悪魔が誰を探し回っているんですか? 心配する人です。
ですから私たちは九節茶、信仰にしっかり踏みとどまって 悪魔に対抗しなければなりません。
ですから私たちに心配が襲ってくるときは あ、これは礼儀的な攻撃だと考えて
全世界の持ち主絶対者である 私たちの主である神様を信じる信仰によって
悪魔に対抗しなければなりません。 これをやらなければどうするのか
これをやらなければ悪魔が与えてくれる鬱病 不安症などの精神的な病に苦しむようになります。
ですからシト・パウロはこう進みました。 ピリッポの4章6節7節です。
どんなことでも重い悩むのはやめなさい。 何事につけ感謝を込めて祈りと願いと捧げ、
求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすればあらゆる人事を超える神の平和が
あなた方の心と考えとをキリストイエスによって守るでしょう。
キリストイエスによって守られ、神の平和が与えられる。 これが御国を得られることの素晴らしいことです。
では3番です。ですからイエス様は 心配の克服する次元ではなく
神の保障によって生きることができる キリストシャーの人生の大原則を教えてくださるんですけど
それがマッタイの6章33節です。 何よりもまず神の国と神の気を求めなさい。
そうすればこれらのものは皆加えて与えられる。 イエス様の弟子たちキリストシャーたちは心配する代わりに
やるべきことがあります。それは何ですか まず神の国と神の気を求めることです。
神の国と神の気を求めるということは神様が統治される 神の国が成し遂げるように
また神の身群が私たちの中で成し遂げることができるように それを目的として生きることです。
皆さん神様が皆さんを何のためにこの世の中に送ってくださったと思いますか 食べて生きる働きがどれほど苦労なのか
それを体験して苦労を経験してみなさいとしてこの世に送ったと思いますか いいえ
21:03
神様が創造された本来の創造目的と実情を回復するために送られたんです
私たちが当たり前としてやるべき人間の創造目的 その働きをするなら
もっから世を創造された神様 初めにエデンの園ですべてを与えてくださった神様
イスラル民をアリノでマンナとウズラを食べさせてくださった神様 空の鳥と野の花を食べさせ生きさせる神様が
私たちをもう食べさせ生きさせ済ませ すべての問題を解決してくださるということです
ですから私たちは心配することをやめて 本来やるべき働きをするべきです
皆さんこの約束を信じることができなく続けて心配ばっかりしているならどうなりますか
そのような人たちは明日のことのために心配するようになります 34節です
明日のことだけですか 明後日のためにも心配しなきゃいけない
1ヶ月後のためにも心配しなきゃいけない 1年後10年後
いつものことを心配しなきゃいけません まだ子供のためにも心配し孫のためにも心配しながら
私たちは心配の重さに踏みいじられて窒息するかもしれません
イエス様は神の国と神気を求める人たちにどんな約束をしましたか
もう一度33節の後半です そうすればこれらのものは皆加えて与えられる
これらのものということは何ですか 私たちの人生に必要な日曜の過程だけではなく
日曜のすべてのことです それを恵みと祝福として与えてくださると言います
何回も申し上げますけど私の進学の時期は 今日の弟子たちのような重い煩いの連続でした
私は40歳の前半 40歳の時に
神様の招きを感じて 会社の駐在の生活をやめて
4人家族を連れて福岡の進学に変異を入学しました ところが皆さん進学は給料がないでしょ
大企業で部長として働いた者が給料がないから アラバイトもしながら勉強するんですけど
日本は尽脈社会じゃありませんか 私が見てみたら進学生たちのお父さんまた家族は
24:04
もう日本の教会の有名な牧先生たちが多かったんです しかし私は日本で親戚お友達
もう知人一人もいません 非常に寂しかったです
また進学の学びをしてみれば私の日本語は全く通じない
どれほど日本語を知らないのか全然通じない それを感じたんです
日本のどんな教会が私みたいな日本語もできない 外国人を牧師として使ってくださるか
不安と心配と恐れによって 進学の初めの時期は顔が真っ暗になりました
どうしようどうしよう 卒業して日本の教会に赴任されなければ
ビジョンを切れるし無職になるんで 皆さん夫であり父である者として
家族にどれほど無責任な人間でしょうか 絶望的な心で必死に死を求めたんです
私の人生でそのように切迫に祈ったことはありませんでした その時神様は聖書を通して
マタイの6章33節を与えてくださいました 私はこの見言葉を掴んで握って
進学の期間の中ではずっとまず神の国と神の家を求めること それは何なのかと考えながら
マンツーマンの勉強会ショーグループの勉強会 福音を伝えることに全力を尽くしました
日本語もできないのに熱心にやりました その時神様は私に大切な大切な日本の方たちをたくさん
与えてくださいました その方たちと毎週出会って聖書の学びを分かっちゃったんですけど
それをやりながら 日本でどのように福音を伝えるべきか
神様は私に仏会の革新を与えてくださいました またその時福岡で出会った方の中では今同居でも一緒に
同働者として使える方たちもいます また給料もない新学生の時
その時が会社で給料が多かった時よりもっと豊かに神様が食べさせてくださいました
また最後の最後 卒業の直前
一度も行ったこともない教会が私を招いてくださったんです ですから卒業の前に赴任先が決められたんです
不思議不思議な働きでした どれほど感謝でしょうか
恥を受けないようにしてくださる神様を賛美します まず神の国と神の寄与を求めたんですけど
27:07
それは私なりに精一杯頑張ったんです しかし神様はこれをすべてを加えて与えてくださいました
これがまさにマタイの6章33節の見言葉の成就ではありませんか
これは人間によることではなく不思議な神の手による約束の成就だったんです
皆さん明日のことは誰もわかりません未知の世界です 明日何が起こるかわかりません
皆さん今このようなコロナの時期 コロナがこのように全世界を変えてくれるとは誰も考えたことはないでしょう
人々は不確実な将来の安心と保障のために何をするんですか 除菌をしたり保健にかけたりするんですけど
それよりもっと大事なのは神様の保障が大事なんです どうすれば神様からの保障をいただくことができますか
マタイの6章33節です まず神の国と神の寄与を求めるんです
神様が創造されたその目的を回復するために私たちが働くことです
結論を申し上げます 神様はイエス様はご自分に従った弟子たちに確かな物質が
聖書的な優先順位を教えてくださいました ですから私たちは無意味な心配ばっかりすることより
神様が見事ばに教えてくださったその約束に従って生きること それによって神様の保障をいただくことができればと思います
皆さん私たち自身のためにも富を天で積む生活をしなければなりません またどんな状況の中でもまず神と神の国と神の寄与を求める
信仰の生活はできるようにお願いします 私たちがこのようにするなら神の約束を信じる時
コロナによって将来は不透明ですけど 神様の保障が私の人生を導いてくださると信じます
今の時代神様の確かな保障 信仰によっていただき
大胆に過ごすことができることを祝福いたします お祈りいたします
神様 神様の確かな保障の約束を聖書を通して教えてくださってありがとうございます
30:02
信じることはない信じてない世の中の人々のように 私たちも無意味な心配ばっかりすることではなく
まず神の国と神の寄与を求める生活ができるように恵みを与えてください そして神の保障によって大胆に
私たちに与えられた人生を全うすることができるように導いてください イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン