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2023-08-13 37:07

「心の茨を抜き捨てましょう」2023年8月13日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年8月13日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
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https://listen.style/p/tokyovinechurch/tccfeben
▼動画によるメッセージ:
https://www.instagram.com/reel/Cv3nIT8phpK/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==

マタイ-23「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。 19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなけれ ば、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。 20石だらけの所 に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、 21自分には根がないので、しばらくは続いても、 御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。 22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を 聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。 23良い土地に蒔かれたものとは、 御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」
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今日は、「心の茨を抜き捨てましょう」という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、ヘブナイ書9章27節。 人は一度死ぬことは定まれていて、それから裁きを受けるようになるんだということです。
それで、私が一番恐れているのは、私は牧会をしながら一番たくさん聞いた話が、愛がない牧師だという話でした。
キリスト教で一番大事な愛、第一の忌ましめ、神様を愛する。 第二の忌ましめ、隣人を愛する。
これがうまくできない牧師が、神様の裁きの者の前で、どんな判決を受けるのでしょうか。
いくら私が牧師になりました、いろいろうまく頑張りましたと言っても、第一の忌ましめ、第二の忌ましめができないということは、
一番大事な本質ができていないということですから、 私もそれを恥ずかしく思って、
なんとかして、私の人生の最後は、それを挽回していきたいと思って、
それで先週、私は三つのことをこれから実践したいと思いますと言いました。
その初めが、 イエス様を理論的じゃなくて、人格的にもっともっと知りたい。
二番目、私の心がいつもイエス様によって100%、
あなたの私の心の中をパッと見たら、イエス様だけが100%、私たちの思い、考えの中でちょっとおられるようにしていきたい。
三番目は、イエス様と共にもっとたくさんの時間を過ごしたいと、私はもう偉そうに先週、私が決断しますと申し上げました。
いっぺんにたくさんのことを実践しようとしたら、何もできないですね。
先週考えてみますと、私はもう恥ずかしいほど、それがうまくできませんでした。
それで、YouTubeはあまり見ないように皆さんに申し上げたんですけど、見てみたら私がYouTubeをまだ見てました。
どうしようかと思って、いろいろ悩んで、また神様に集中しようと思ったら、
アメリカの娘のことがパッと思い出されて、どうしようと思いながら祈って、
また一緒にいる息子のことを考えたら、またこのやつのために祈らなきゃと思って、
また教会の緊急祈りの課題、いつも伝道医さんとはわかっちゃってるんですけど、それも祈らなきゃと思ったら、
この3つのことが1週間、本当にうまくできなかったことを私は告白しなければなりません。
これが事実、十字架の福音でいつも私たちがわかっちゃっている、神様の御化を求める、神の手を求めることと同じです。
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神の御化を求めるということは、神様ご自身を求めることです。
神の手を求めることは、私たちの目的のために、神様何とかやってくださいということを神様に願うことです。
緊急課題が多くなればなるほど、神の御化を求めるのはやっぱり難しいんだなぁと思いました。
それで朝デボーションの時間で、ずっとそれを恥ずかしく思っているので、神様は私に4つの畑のことをぱっと思い出させてくださりました。
今日読んでくださった、マタイの中山書22節。
茨の地に落ちた種は、世の思い患いと富の誘惑という茨に刺されて、成長ができなかったから、美を結ぶことができなかったということです。
ですから、私たちがいくら神様に対してこれをやりますという決断をするんだとしても、
良い土のような心にならない限り、それがうまくできないんだということをわかりました。
皆さん、私たちの心に世の中の心配がいっぱいあります。
また、自分が欲しいむさぼりがいっぱいあります。
また、妬み、憎しみ、怒り、悔しさ、それがあったら心が神様に合わせられるんでしょうかね。
また、体の病気があって痛みが続けられるなら、
また、子宮に解決しなきゃいけない問題があるなら、
神の御加護を求めるということは理論で、
事実、神様、早くなんとかこれをやってくださいと言うのではありませんか。
ですから、神様に私たちが正しい祈りをしようとするなら、
私の心の中にある茨のような、まだ整理ができていない心を、
まず整えなければ、それができないんだなと思いました。
ですから今日は、心の茨をどのように解決すればいいのか、
それを一緒に考えていきたいと思います。
そして、心が良い土になって、
そして、神様との親しみの中で、
今日、私がやりたいと思っているこの3つのことがうまくできるようにやっていきたいと思います。
では、4つの畑の例え、
これは、マタイの13章、マルコの4章、ルカの8章で書かれてあります。
この内容は皆さんご存知なので、簡単に解釈しますと、
道端のような心はどなたですか?
これはパリサイビットのような人です。
パリサイビットたちは信仰ということは、自分がよくやっている。
だから、自分の信仰、自分の方法を固執します。
その人たちは自分が一番正しいと思っているから、決して変わりません。
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イエス様さえもパリサイビットを変えることはできませんでした。
このような人たちは神様が使うことはありません。
その人たちに神様は何の期待ができません。
また、石だらけのような心です。
それはイエス様がついていた大勢の群衆と同じです。
群衆は自分の確かな目的がありました。
それは自分の人生の切な問題、解決です。
自分の人生にあるこの問題、切にこれを解決したいという目的を持ってイエス様についていきました。
この方たちはイエス様はどんなメッセージをされても関心ありません。
イエス様との人格的な交わり、関心はありません。
ただ自分の問題が解決できるのかできないのか、そこに関心があります。
解決できたら、ありがとうございますと言って消えてしまいます。
正直にこの人たちは自分の問題さえ解決できれば占いしてもいい、他の宗教でもいい、他のところでもいいです。
イエス様だけじゃありません。
この人たちが石だらけの心だ。
3番目、茨の畑の心です。
茨の畑はもともと良い信仰でした。見言葉をよく受け入れます。
問題は心に茨があるということです。
信仰が成長するなら、茨が差して信仰をダメにするんです。
この茨が何かと言いますと、今日の聖書はこの世の重い煩い、富の誘惑と言いました。
ここに当てはまる人は聖書にたくさん現れています。
ロッドの妻もいました。バラも預言者もいました。イスカレとユダもいました。
イエス様についていた弟子たちも同じです。
またほとんどの私たちもここに当てはまります。
イエス様についていきたいんだけど、世の重い煩いのゆえに、決断する時決断できなく、曖昧な信仰生活をします。
また富の誘惑に惹かれて、結局道を逸れてしまって、他の道に行く場合があります。
そして神様との親しみ、信仰の成長、信仰の実りを結ぶような決定的な瞬間、
この世の中と妥協してしまって身を結ぶことができない、非常に残念な信徒たちです。
私たちは世の重い煩い、富の誘惑の問題を必ず解決して良い父にならなければいけません。
神様との深い愛の関係は良い父、信仰の成長、また天国のすべての祝福は良い父の人が受けることができるからです。
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私が先週いくら決心をするんだとしても、私の心の中にあるこの世の重い煩い、また誘惑、この問題を解決できなければ、
私は神様との愛の関係、また隣人を愛する牧師もなれないでしょう。
結局私が言っている第一、第二の今しめは理論に過ぎません。自分もできない、そのことになってしまうのです。
ではどうすれば私たちは世の重い煩い、富の誘惑の問題を解決し良い父になれるのか。
まず世の重い煩いの問題です。 皆さん、重い煩い、優しい言葉では心配。
心配がない人はいますか? 弱い私たちはみんな心配を持っています。
うまくできなければどうする。これはもう悪いことではないんじゃありませんか。
うまくできなければどうする。もし自分の子供、私の子供たちはこれからどうなるんだろう。
この心配を親としては当たり前のように見えるんですけど、心配は信仰の目を塞がれてしまいます。
心配ということは不思議に、一番最悪の状態を想定するようになって、人をイライラさせます。
ですから神様の道、方法に従うよりは、世の中の方法、自分の方法に従って働くようにするのが、これが心配というものです。
心配、恐れ、これは礼儀的な問題です。ヘブライション2章15節には、悪魔は恐れをもって全世界の人を支配し、
まだ彼たちを動かしているんだと。悪魔が世の人々を支配し、その人を操る力は、
恐れです。心配です。ですから私たちは悪魔の支配に陥らないためには、
恐れ、心配を勝ち抜かなきゃいけないんですけど、私たちはどのように勝ち抜きますか?
まず、信仰です。任せることです。第一ペトロ5章7節、思い患いは何にもかも神にお任せしさい。
神はあなた方のことを心にかけて言ってくださるからです。また、祈ることです。どんなことでも思い患いはやめなさい。
何事につき感謝を込めて祈りと願いと捧げ、求めるものを神様に打ち明けなさい。
そうすればあらゆる人生を超える神の平和が、あなたたちの心と考えをキリスト・イエスによって守るでしょう。
12:01
また1・4章では、真夜中でイエス様が水の上を歩いて来られます。
幽霊だと思いました。しかし、いや私だと言ってやれ。それでペトロが、私も水の上を歩かせてくださいと言います。
だったらイエス様が来いと言いました。 その話を聞いてペトロは水の上を歩きました。
水の上を歩いたんです。しかし、ペトロが下を見る瞬間、
水の上を歩くのはできないんじゃないか。 溺れちゃったらどうするのという心配が入ってくる瞬間、信仰がなくなりました。
それで水に溺れてしまいました。それを見てイエス様は何と言うんですか。
1・4章31節、信仰がない人よ、なぜ疑ったのか。
なぜ心配したのか。 心配を勝ち抜くためには信仰が成長しなければなりません。
信仰の成長はどうすればできますか。たくさん祈ればできますか。 信仰は見事場によってです。
見事場を受け入れて従うなら何かが起こります。 それを見たら信仰ができます。
また、うまく従うことができなかったら悔いを改めます。 悔いを改めたら必ず精霊の働きがあります。
それを通して許しの、許しの経験をする。 見事場によっていろいろな経験をします。
それを通して信仰がますます良くなります。 信仰は見事場なしには成長できません。
ですから私たちがますます信仰を通して心配を乗り越えなきゃいけません。
昔の話ですけど、また同じ証です。 私は40代の初め頃に会社を辞めて新学校を始めました。
その時一番の心配は、新学校に入ってから私が心配し始めたんですけど、それは
私を招聘してくれる教会があるかということです。 なぜなら新学校に行ったら新学生たちは日本の新学生たちは日本語がペラペラですね。
私は日本語が一般の言葉ではなく、 成長できない日本語は私よくできませんでした、当時まで。
私は長く出陣をしたんですけどそれでもできませんでした。 会社辞めるとき部長だったんで日本語ができないから
どんな教会が私を招いてくれるか 外国人であり日本語もできない私をどこが招いてくれるかと思ったら
40代になった私を これから会社に戻ることもできないし前に進むこともできないし
そして日本の教会が招聘してくれなければ私はどうなるのということを後になってわかったんですね。
15:06
私は大きな冒険をした無謀な働きをした それでも顔が真っ黒になりました
どうしようどうしよう 毎日神様に説に求めました
その時神様がマタイの6章33説 まず神の国と神の義を求めなさいそうするならこれらのものは皆加えて与えられる
その御言葉 それは当時私の命でした
だから毎日まず神の国と神の義を求めることは何だろうと思いながらずっと祈ると祈った時に私にマタイの28章19説
あなたたちは行って全ての民を私の弟子としなさい 日本語もできないのに私はとにかく弟子にする働きをしようと思って
出会うすべての人に千称勉強会しませんか 千称のことを一緒に学びませんか
日本語もできないのに声をかけました その時出会った方が今田さんでありのぞみさんであります
不思議でしょう もう全然つながりができない私たちなんだけど神様が結び合わせてくださりました
正直に私は万数万勉強会しながら こうするなら日本では伝道ができるんじゃないかという希望を持つことができました
それで3年後卒業する時に日本の新学生と同じように日本の教会に赴任することができました
新学校で私を本当に煩わせたこの心配は マッタイの6章33節見言葉を通して解決できました
これから私たちは心配がなくなったのか いいえ 将来のことは誰もわからないから私たちは将来のことを考えるたびに心配があります
それだっていつも心配ばっかりするわけにはいけないでしょう どうすればいいですか
まず神の国と神の木を求める生活を毎日やって続ける そうするならすべて加えて与えられる約束が実現されると私は信じています
そのように見言葉が実現でき見言葉を実現できたら私の心の中にある心配という 茨がなくなるでしょう抜け出されるでしょう
そうするなら私の心が良い土になります 良い土には神様の100倍60倍30倍の実りができるからこれから神様どれほど
楽しい素晴らしい 神様の見業が期待されるでしょうか
18:00
じゃあ皆さんもぜひとも心配に負けないで見言葉を持って心配を勝ち抜いてください じゃあ2番目
富の誘惑です 私はこの富の誘惑
他の言葉で言えば貪り 貪りは心配よりもっと怖いものだと思います
皆さんイスカリテユダがなぜイエスサムを裏切ったんですか 貪りです
バラム予言者がなぜイスラエルを裏切ったんでしょうか これは貪りです
ダビデがなぜ罪を犯して殺人罪を犯してしまったんですか 貪りです
私たちが何かを見るとき 大事なのは神様が許されたことじゃなければ私の心を整えてそれを片付けなければなりません
神様が許されていないのにも関わらず見てそれを持ってむさぼり始めたら そこには必ず悪魔が働きます
エーヴァは蛇が神様が許されなかった チェニアクの知識の木の実を食べなさいと誘惑したとき
皆さんそれはダメよ絶対ダメよ言えばよかったです しかしそんな話をしませんでした
誘惑に対して曖昧な態度を持ちました だったらダメになりました
ダビデは神様が許された妻で満足しなければいけませんでした しかし
他の女性を見てむさぼりが入ってきたのにそれを油断しました そうしたら心が暗くなって彼はそれからは悪魔が導く通り
下院の罪を犯し殺人罪を犯しました 悪魔の誘惑はどれほど強いのか
ダビデも良心がある人でしょう 良心が自分の心を抑えることができませんでした
皆さん最近は私たちにものすごい大きな誘惑があります 世の中のむさぼりが比較意識
競争心 レタミと共にむさぼりが働きます 競争心比較意識それと共にむさぼりが働いたらどうなりますか
それは私が私がそれを先に取りたいと思う心になるんじゃありませんか じゃあ誘惑なのに
誘惑なのに自分はそこに誘惑を先に取りたいと思っている心
怖いでしょう 第1話2章15節16節に悪魔は人々を肉の欲 目の欲 この世の奢りという欲むさぼりで支配してそれで滅亡に導くんですけど
これを勝ち抜く人はいるんでしょうか これを勝ち抜くことができなければ
21:03
信仰生活はだんだんだんだんためになるでしょう ルカの中2章で見ますとイエス様は2つの治療を通してむさぼりに対して警告されます
ある若者がイエス様に訪ねてきました その若者の願いは遺産の問題です
親からの遭属遺産があったんだけどこれを兄貴が全部独占してしまった 私に残してくれなかった
先生何とか言ってください 脱皮の話を当時聞かなきゃいけなかったから先生何かやってくださいと言いました
しかしイエス様は何と言われるんですか ルカの中2章15節にこう言います
どんな貪欲にも注意を払い用心していなさい あり余るほどのものを持っていても人の命は財産によってどうすることはできないからだ
永遠の命を得ることとは財産とは全く関係ない 遺産をもらわなければどうするもらわなくてもいいんじゃないか
あなたの心の中のむさぼりが問題だと言う 皆さんむさぼりを持っている限り天国には入れません
むさぼり またもう一人愚かな金持ちです
彼は農業がうまくできて毎年倉庫を壊して 私この収穫を収めまたもっと大きな倉庫を作ってそれぞれそこに収めている
たくさん収めてあと彼は何と言うんですか 私の魂をこれから立派にエンジョイして人生を過ごしてみよう
その時イエス様は何と言うんですか 中二章の21節
愚かな者よ今夜お前の命を取り上げられる お前が用意したものは一体誰のものになるか
自分のために富を積んでも神の前に豊かにならないものはこの通りだ イエス様彼はなぜ愚かだと言いますか
彼の問題は人の命は神様のものなんだけど 自分は自分の命をいくらでも味わうことができると思った
間違えたんです またすべての収穫は神様の恵みによってできたものなのに
神の恵みじゃなくて自分の努力によってできたと思った 特に
彼は神の富の管理者としての役割が全然できなかった だからイエス様はあなたが愚かな者だと言いました
みなさん新明記8章18節には神様は富を築き上げる力も下さることができるんだと言いました
神様はアブラウム・イサク・ヤクブ・ヨスク またソロモンとダビデ
全霊がないほどたくさんの富を与えてくださいました 彼らに富を与えてくださったのは特別な目的がありました
24:09
ダビデとソロモンには神殿建築のためにたくさんの富を与えてくださいました しかし結論的に見てますと
富をたくさん与えて堕落してないケースがほとんどなかったんです ですから神様は富はいくらでも与えることができるんだけど
神様は私たちに富を与えるのに気をつけておられます そして一般的に神様は私たちにどのように富を与えてくださるのか
日常の糧です 必要な時に満たしてくださいます
それを神様があれので 水、マンナ、ウズラを賜儀にかなっていつも与えてくださいました
神様は全部一遍に全部与えることができなかったから そうしたのか?そうではありません
神様は私たちの安全のためにそうします 私たちは神様に不変します
神様全部一遍に与えてください それだったら私がこれから管理して私がうまく使うから
なぜ一遍にたくさんくれないんですか 私たちは自分が管理してたくさん集めておいてそれで自分が何とか使いたいと思っています
だから毎日毎日マンナを少し少し与えるのに不満があります しかし神様は私たちはよく知っておられます
聖書は富に対してたくさんの警告をしております なぜなら富、金持ちになってからダメにならなかった人がいなかったからです
約部古書1節 飛んでいる人たちよく聞きなさい
自分に降りかかってくる不幸を思って泣き喚きなさい
飛んでいる人たち お前たちは不幸を思って泣き喚きなさい
飛んでいる人たちは不幸が尋ねるのにやりやすいということです
また中級書24節 重ねて言うが金持ちが神の国に入るよりは
ラクダが針の穴を通る方がまた優しい
ラクダが針の穴をどう入るんですか それより
金持ちが天国に入るのがもっと難しい 怖いでしょう
第一手もて六書十節 金銭の欲はすべての悪の根です
金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て様々なひどい苦しみを突き刺される者がいます
27:01
金持ちになろうとして礼力にためにならなかった人を見たことがないと神様が言われています
じゃあ皆さん このように堕落する可能性が高く
地獄に行く可能性が高いとしても金持ちになりたいですか
じゃあ本当に金持ちになりたいなら皆さん訓練をしっかりやってください 富に対する管理能力です
管理能力がないものに富が与えられたらその人は富によって滅ぼされます だから滅ぼされないように管理能力つけて富を持つべきですけど
じゃあまず今日2つを申し上げたい まずはじめは十分の一を区別する訓練を受けます
マラキ3章8節から10節 長いですから私は簡単に申し上げます
十分の一を区別する理由 これはまずはじめに
すべては神様から来たという信仰告白です 私が得られたすべてはあなたが私に下さいましたということを信仰告白が十分の一を区別することです
また一つ 私はお金に対する貪りに捉えられることではなく
神様の見胸通りお金を管理することができますという信仰告白が十分の一を区別することです じゃあまず皆さんここに対して神様から認めをしっかり受けてください
これが神様の富を管理する人には必ず慎重です 伝道師さんと私はこの訓練をしっかり受けています
また今も受けています 皆さん私がこんな恥ずかしいから言いたくはありませんけど
十分の一を区別するところに何か問題があったら 必ず事故が起こります
それを通して私は神様ごめんなさいと言って 私はいつも区別する訓練をやっています
私は年金が過ごしているんだけど
いつの間にかそれが出なくなりました なぜなんだろうなぜなんだろう悔しくて悔しくてたまらなくてなんとか
向こうに行って訴えたりなんとかして それを見てみたら
何とか出続きとか何とかが問題があってできませんでしたって言って それを解決してみた
それで私はよく神様の前で考えたら 教会から受ける生活費に対しては十分な一をしっかり区別するんだけど
年金に対しては十分な一を区別していなかった 悟ってそれから
30:04
しっかり区別するように今やっています 私にはこんな神様が
訓練をさせてください それが一つ
また一つは マタイの六章二十節 透明は天に積みなさい
透明を自分のところに積むんじゃなくて天に積む 以前私は以前も申し上げたんでしょうかね
息子がアメリカから帰ってくる時に3000ドルを 骨塊としてもらったということできました
3000ドルをこの紙幣として持っているなら 皆さんいいと思いますよね
ある日布団に入れてどこか汗がかってるんだけど いつかそれを足してみたら匂いが
臭い匂いが あーだから
日当たりが良いところで干して何とかやろうとしたら 全然できてない
だからこれを私は日本縁で帰ってしまいました 日本は
あまり良くなかった時だったのに 感性があまり良くなかった時に匂いで固まらなかったから
それを感染してしまったんですけど その時私はいろいろ考えました
天に積みなさい そこには虫が食うこととサビがつくことではなく
なるほど 聖書はこの話をされるんだと私は思いました そうです
私たちは私たちの富をどこかに何か収めておく それで私が自由に使えばいいんじゃないか
皆さん 私たちは神様 富を天に積むことをよく訓練してください
これを天に積むということは神様のために また隣人のために使うことです
これは第一第二の今しみの実践です そうするなら神様がいくらでもまた与えてくださるでしょう
これを積極的に行うことによって むさぼりを勝ち抜かなければなりません
そうするなら神様は安心してたくさん与えてください 問題は世の中の金持ちは多いんだけど
神様に用いられる金持ちは少ないということです 神様はむさぼりを勝ち抜く
富に対して訓練されている 管理者を探しています
私はいつも代々道中福音教会といったら あまり良い評判は知ってないんですけど
常恩義先生は十一献金に対してものすごい厳しく説教します だから中福音教会の使徒たちは十一献金をしっかりやっています
だからかもしれないけどその教会は 経済的に神様から用いられる長老たちがたくさんいます
33:03
神様から与えられた富によって その教会は世界的に福音を伝えるのにうまくやっています
願うことは私たちの教会にも 富に訓練された方が現れ神様が安心して
たくさんの富を預かってくださる方が現れることを祈っています じゃあむさぼりに勝ち抜くためにはまず大事なのは神様のことをしっかり区別すること
またもう一つは 自ら満足する心が大事です パウロはこう言います ピリポ四書中一説
物欲しさにこういうことではありません 私は自分に置かれた境遇に満足することを習い覚えました
貧しい時は貧しいなりに 富む時は富なりに 私はうまくこれを乗り越える それを満足しています
じゃあ私たちにもこのような自ら満足する心が与えられることを祈ります この世は100年天国地獄は永遠です
この世の100年の中で 富をいっぱい持って私たちは何をすればいいのか
神様の宮座にたくさん使ってください また神様のまず神の国と神の気を求めれば死ぬまで
私に日曜の糧が 枯れることがない
いつも満たしてくださるでしょう じゃあ私たちはこの世の中では使命に専念して楽しく楽しく生きるのは天国でやりましょう
私と天道師さんは昔ゴルフが大好きでした 私はもうゴルフはこれは楽しくてやめられないと思いました
しかしお二人は 天国でゴルフをしようとしてこの世の中ではゴルフをやめました
クラブを捨ててしまいました 結論を申し上げます
キリスト社が貪りを持つなら見苦しいです 見にくいです
パラム預言者のようにイスカルテヌーダーのように 私たちは貪りを持つのに何かふさわしくない存在です
またキリスト社が心配する姿 これは嫌です
ミシンジャーが見たらその人は自分が信じる神様が自分を助けてくれないかな 皆さんこれは神を冒毒することです
ミシンジャーはそのようなその人が信じる神は信じたくないねと思うかもしれません 天道の道が塞がれます
ぜひとも信仰の成長を通して 私たちの心にある心配の問題
貪りの問題 これが茨です
茨を全部抜け捨てて 私たちは良い土になりましょう
良い土になって神様との親しみの中で 神様をもっと知りたい
36:06
私の心の100% 神様をいつも思い出しいつも考えていきたい
また神様とたくさんの時間を共に過ごしたい そのような私たちになれればと思います
お祈り致します 主よ
今日私たちはなぜ神の美化を求める信仰ができないのか それが心配と貪りのゆえだということを分かっちゃいました
この世は100年 天国地獄は永遠なんですけど この世の100年を心配と貪りにとらえられて
無駄な時間を過ごすことがないようにしてください イエス様よく信じて主の御業たくさんやりながら
天国に行く私たちにならせてください 私たちの良い土になるように助けてください
イエス様の皆を通してお祈り致します アーメンアーメン
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