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  2. 「恵みのメシア 、イエス様!..
2021-12-12 30:26

「恵みのメシア 、イエス様!」2021年12月12日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年12月12日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

聖書の箇所/ルカ1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。

ローマ7:34 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。 4.ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から复活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。

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今日は、恵みのメシア、イエス様の対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
毎年迎えているこの対抗説と、また来週のクリスマス。
今年は、今までコロナによって抑えられていたこの気持ちを、 今、だんだん自由になっているところですから、
クリスマスをきっかけとして、イエス・キリストが来られたことをきっかけとして、 この自分が欲求を紛失しているような時期ではないかと思います。
しかし、信じている私たちは、今、アドベントの時期、クリスマスのこの大事な意味を知って、 この時期を正しく過ごすことをお願いしたいと思います。
皆さん、対抗説の意味は、メシアが来られることを待ち望むことです。
今は、メシアが来られたので、再び来られる、再臨なさるイエス様を待ち望んで、 その方が来られる道を準備する、備える時期であります。
ところが、イエス様が来られたことに対して、聖書は何と言われるのか。
ルッコの1章79節、今日読んでいただいたところなんですけど、 78節から、
高いところから光が我らに訪れ、 暗闇と死の陰に茶している者たちに照らされたと言います。
この聖書から見ていますと、なぜ暗闇と死の陰に茶しているのか。
また、どのように光が私たちに訪れたのか。 これを今日一緒に考えながら、
私たちは信じている私たちなのに、光が照らされていないように、 死の陰、暗闇の中で今いらっしゃるキリスト社たちがいるなら、
今年は必ず光を受けて、光の中にいるクリスマスになるように、 お願いしたい心でメッセージを準備しました。
今日はローマ章7章と8章の記事を持って、 微言葉を分かち合いたいと思います。
まずはじめに、なぜ死の陰に茶している者たちと言われるのか。
皆さん、創世紀には神様が天地万物を創造されて、また人間を創造されて、 人間のためにエデンの園を設け、
人間に必要なすべてをエデンの園に与えてくださいました。 エデンの園には人間のすべての満足がありました。
創世紀2章8節9節、私が読んでみましょう。
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主なる神は東の方のエデンに園を設け、 自ら形作った人間をそこに置かれた。
主なる神は、見るからに好ましく、 食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生え入れさせ、
また園の中央には、命の木と、善悪の知識の木を生え入れさせられた。
エデンの園には木がいっぱいありました。 この木は毎年、毎年、慈悲にかなって、私たちにたくさんの実りをくれます。
この実り、実りが人間のすべての満足を与えることでした。
ここでみなさん、エデンの園を得るために 人間が頑張ったことはありますか。ありません。
神様がすべて与えてくださったんです。 その時は恵みによってすべてが与えられました。
一言で言えば、恵みによって生きたということです。 しかし、罪を犯してからすべてが変わりました。
恵みは消えてしまい、人間は自分が何か必要なものを得るために 一生懸命頑張らなきゃいけなくなりました。
そして、一生懸命頑張ったその功労、その代価をもって認められ、祝福をされることを願う、
恵みではない、行いの法則によって生きる人間として、転落してしまったんです。
その後、この世の中には神の恵みによって生きる人がいるし、 自分の努力、自分の行いに委ねて生きる人がいるということがわかります。
これを教えてくださる聖書はローマ書8章2世節です。 キリストイエスによって命をもたらす憐いの法則が、
罪と死との法則からあなたたちを解放したということです。 世の中には、
罪と死の法則、また自分の熱心で生きる人たちの群れがあり、 もう一つの群れは、命をもたらす憐いの働きによって恵みによって生きる人たちがいるということがわかります。
これはある意味から見たら、鎖と同じです。 束縛と同じです。
恵みの束縛で生きるのか、 行いの束縛で生きるのか、
皆さんはどっちでしょうか。 まず、罪と死の法則、他のことでは行いによる法則なんですけど、
神様から離れたすべての人類は立法の下で過ごしています。 宗教を持っている人は立法の下、
宗教を持っていない人は良心という心の法則の下で過ごしています。 立法は何を要求しますか。
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新明記30章19節を見ますと、 人生には命と祝福、死と呪いがある。
立法を守りなさい。そうするなら命と祝福であり、 守らなければ死と呪いだということを言っています。
今まで私たちは、完全懲悪という言葉で今まで使ってきたんですね。
ところが現在の元でいる人間は根本的な弱さを持っています。 たびたび私の息子から私は、パパ認知症じゃないの?と言う。
まさか天道寺さんといろいろ何か働くときに、私はこう言います。
先生、それで昔本当に会社で部長をやったんですか? 嘘じゃなかったんですか?
いやー 私がどうしてこんなになったのか
分かりません。年取っていくことは本当に悔しいことですね。 だんだんだんだん記憶力がなくなり、すべてが鈍くなってしまい、
今やっていることに対して責められることばっかりです。 また各家の家のことによって
先祖から流れてくる弱さがあります。 うまくやっていきたいんですけど、遺伝子的な部分があってうまくできないことがあるんですね。
第二デサロニキ二章七節には、父母の秘密の力があると言います。
皆さん、父親もそうだった。母親もそうだった。 だから私もそうであろう。
皆さん、これが父母の秘密の力です。 そしたら父親の流れ、遺伝子が私にも働き、
母親の悪いことは私にも働き始めます。 私はこんなに生まれたからしょうがない。これは運命かな。
それで受け入れて過ごします。 これが父母の秘密の力で、皆さんこの父母の秘密の力を断ち切るためにイエスキリストが来られたことを信じて、その考えが入ってくるなら、もうこれを追い出してください。
イエスキリストの名に出て行けと言えば、その流れが消えてしまいます。 ぜひともこれを子供たちに教えなきゃいけません。
うまくやれば祝福と命。 しかし私たちは弱さがあるから、
うまくできないことばかりです。 だから人生の大部分を罰と奴隷と、
苦労の中で過ごします。 結局人間たちに残っているのは、ルカの1章79節のように暗闇と死の影に差している人間姿はそれだけです。
2番目です。このような人類に恵みによって生きる新しい道を与えるためにイエス様は来られました。
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イエス様が来られたのをルカの2章14節には、 糸高き所には栄光神にあれ、地には平和美心にかなう人にあれと言います。
またヨハネ1章14節にはイエス様が来られたことを、言葉は肉になって私たちの間に宿られた。
私たちはその栄光を見た。それは父の一人子としての栄光であって、 恵みと真理とに満ちていたという。
じゃあ皆さん、どうすれば地に平和が望むことができますか。 私たちは現在のもとで弱さを持っているから、
立法を守ることができなく、立法の呪いから逃れることができない私たちですけど、
この苦しい鎖から私たちを逃れさせるために、イエス・キリストが来られた。
イエス・キリストが来られて何をされたのか、ヘブライシア9章22節には、
十字架の地で私たちの罪と過ち、呪いの問題を解決してくださって、
シドギョで2章38節、悔いを改める人には、 聖霊を送ってくださって、
これからは恵みによって生きる新しい道を備えてくださったんです。
ここでどのように聖霊様によって神の恵みが望まれるのか。 聖霊様は助け主です。
私たちを助けて立法を守ることができるようにさせてくださるんです。
そして立法が教えてくださる祝福と命を得るようにしてくださるんです。
ところが私たちはキリスト教になったので、1日2日で変わる人ではありません。
立法を守れないことがたくさんあります。 守れなければイエス様の父親によって、
守れなかった罪をあがなってくださり、再び挑戦できるような新しい力を与えてくださる働きを聖霊様がなさいます。
ここで聖霊様の特別な働きは、悟らせてくださることです。
毎日罪を犯して地獄に行くしかない私たちのために、イエスキリストが来られて、
私の代わりに十字架で死んでくださったイエス様の愛を悟らせてくださいます。
ですから私たちは初めは弱さのゆえに罪を犯すんだけど、私のためにイエスキリストが来られて死んでくださった
その恵みに感動して、心からイエス様のこの恵みに応えたいという心ができて、
だんだん罪を犯さないようになり、罪を勝ち抜くことになり、罪によってダメになることがないようにしてください。
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また、罪の結果がどれほど怖いのかを悟らせてください。
私たちは犯す罪、過ちによってサタンが働く。
サタンが私の中に入ってきて、私たちは徹底的にダメにするんだということを教えてください。
ああ、そうだったのか。私のこの苦しみ、問題はサタンの働きだったのか。
私はサタンに騙されてこの罪を犯してしまった。悪かったなぁと悟らせてください。
ですから、以前の過ちのきっかけとして、これからは過ちをだんだんだんだん犯さないように助けてくださる方が聖霊様です。
このようにして、結局は罪を守ることができる、守る確率が高くなるようにできる。
そして、祝福と命を得させるようにしてください。
みなさん、これが恵みです。
それをローマ書、リー書、8章、29節には、神を愛する者たち、つまり後継過去に従って召された者たちには、
万事が益となるように共に働くということを私たちは知っています。
これは、聖霊の働きによってできることです。
私はこれを、私自身と私たちの家族に適応していただければと思います。
私たちが行いに委ねて生きるなら、毎日焦るんです。
たびたび怒ります。なぜ怒りますか?
うまくできないから、焦ってできないから、怒ります。
心配、悩みだらけです。
しかし、恵みに委ねれば、うまくできたら、神様の恵みによってうまくできたら感謝。
うまくできなかったら、うまくできなかったことをきっかけとして、次はうまくできるだろうという希望を持って、
神様の恵みをくださいと言いながら感謝します。
そうです。そのような働きを聖霊様がやってくださるんですけど、
通常、私たちは間違えた、ダメだと言ったら、これで人生終わるんじゃないかと思います。
しかし、違いますよ。
過ちを犯してみたから、これからは良くなります。
過ちを通して、それによってどれほど自分に痛みがあるのかを、皆さん感じたりはありませんか?
次回は、そのような同じ過ちを犯さないように、聖霊様は助けてくださるんです。
そして、人がだんだん聖霊様によって変わっていき、良くなっていくんです。
超聖人レビという人がいました。
その人が、イエス様に出会って変わりました。
聖魔体になりました。
七つの悪霊に取り憑かれた、マクダラマリア。
イエス様に出会って、悪霊が追い出され、イエス様の愛によって変わっていって、
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最後までイエス様についていく弟子になりました。
パウロも、昔はイエス様に対する邪魔者、迫害者だったんですけど、
彼が変わって、一番立派な使徒になりました。
その時、彼はこう言います。
私がこの世になったのは、神の恵みだった。
彼は徹底的に、神の恵みによって生きる人でした。
皆さん、私たちが自分の行いに委ねて生きるなら、
自分自身もダメになり、周りの人との関係もダメになり、
焦り、怒り、心配、悩みばっかりで、
結局、バッチリと泥いしかない人生になります。
しかし、私たちは恵みによって生きるなら、祝福される人生になるのです。
ローマ書7章1節から4節には、
パウロはこれを、結婚に例えて分かりやすく教えてくださいます。
皆さん、ある姉妹とある兄弟がいます。
兄弟の名前は、リッポという兄弟です。
リッポという兄弟は、正しい方です。立派な方です。
いつも立派なことばかりします。
正義の味方のような兄弟です。
その兄弟を見て、ある姉妹が酷めぶれとして彼を愛恋してしまいました。
そして、リッポという兄弟と姉妹が結婚したのですが、
姉妹は弱さと完璧がないものです。過ちだらけです。
リッポさんと結婚したから、私はこれから幸せになるでしょうと思って結婚したのですが、
正しいことばかりやっているリッポは厳しいのです。
少しうまくやれば褒めてくれるのですが、
過ちだらけの自分の姉妹に対して、いつも怒りっぱなしで、
いつも厳しくチェックしながら懲戒します。
姉妹はこの立派な兄弟と一緒に暮らすのは難しくなってしまいました。
私は過ちが多いから、弱いから、
叱られるのは当たり前だと思って過ごすのですが、
これはなかなか結婚生活が難しくなるのです。
この兄弟と出会ったのは私の運命かな、人生は苦しいものだと思いながら過ごします。
これが行いの法則、罪と死の法則のもとに過ごす全ての人の生き方です。
この人が自由になりたい、恵みによって生きたい、そうするためにはどうすればいいですか。
ここでパウロが教えてくださるのは、
夫婦の間の関係を教えてくださいます。ローマ書7章3節から4節です。
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夫婦が結婚制約して二人が夫婦になりました。
夫婦が二人生きている限りは結婚制約という約束が効力を発揮します。
しかし夫婦の中で一人が死ぬなら、
この結婚の制約の効力がなくなります。
そして結婚の制約を守る必要もなく、
相手の残された一人はまた他の方と結婚することができます。
これを利用して私たちが立法と結婚した姉妹が
立法と過ごすのは苦しかったのですが、どうすれば立法の苦しみから
自由になれるか。イエス・キリストが十字架で死ぬ時、一生に死んで、
イエス・キリストが復活する時に一生に生きて新しく生きるなら、
そしてイエス・キリストと結婚することになるなら、私たちは立法から逃れて、
恵みと結婚して自由になれるのです。これをパウロはローマ書7章3節4節を通して
立法と私たちの関係と結婚を例えを通してイエス様の関係を説明してくださるのです。
立法から逃れてこれから自由になって新しい自由の身としてイエス・キリストを結婚する方法は、
イエス様が十字架で死ぬ時、私たちも自分の昔の自分が死ぬことです。
そして新しい人として生きることです。
新しい旦那さんになったイエス様は恵みが豊かなお方です。
ヨハネの1章16節を読みますと、恵みの上、恵みに満ちあうれるお方です。
このイエス様はうまくやれば褒めてくださいます。
しかしうまくできなかった時、私たちの過ちを自分が全部背負ってくださって、
自分が代わりに罪と罰を担ってくださって、続けて愛を施してくださるから、結婚した姉妹が幸せになるのです。
聖書の中で婚礼の話がたびたび出てくるのですが、なぜ婚礼の話を次々と教えてくださるのか、
私たちはイエス様とこの恵みの中で生きることだということを教えてくださるためです。
自分の弱さ、完璧主義者であるパウロは、自分の弱さによって嘆いたところで、イエス様に出会って悟ってこのような話をするのです。
ローマ書7章24節25節です。
私は何と惨めな人間でしょう。死に定められたこの身体から誰が私を救ってくださるでしょうか。
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私たちの主イエスキリストを通して神様の恵みに感謝致します。
イエス様これたのは、私たちはこの行いの法則ではなく、恵みの法則の中で過ごすことができるようにしてくださるためでした。
では3番目です。では誰がイエス様に出会うのか。
イエス様はイエス様のように謙遜な人がイエス様に出会います。
じゃあまず私たちはどのように死にますか。先ほど十字架で私は死ぬと言ったんですけど、どのようにすれば死にますか。
皆さん、過去の私の罪、過ちを悔い改めるなら死にます。
悔い改める時、私は十字架にかけられることです。悔い改めが死の道なんです。
悔い改めを通して私はイエス様と共に十字架で死にます。
そうするならイエスキリストの十字架の師匠が私を清く洗ってくださり、
聖霊様がその場で私に臨んでくださることによって私たちが新しい人として変わります。
悔い改めることによってイエス様と共に十字架で死に、共に蘇ることができるんです。
聖書はあちこちで私は死んだという言葉が出てきます。
エペスト2章5節、コロサイ3章3節、コロサイ2章12節、カラディア2章20節、聖書はなぜ私たちは死んだ、死んだ、死んだと続けて教えてくださるのか。
これが大事だからです。私が死んでキリストが私のうちにおられるなら、罪の問題が解決できます。
悪魔が働くことができます。できません。
悪魔の呪いがなくなり、恵みが私に働き始めます。
ところが人々は本当におかしいんです。
自分の力で熱心に努力して何かを成し遂げ成功することを願います。
そのような人がいるならみんな羨ましく褒めます。
私はそれが悪いということではありません。
ところが自分の力で熱心にやってどのくらい成し遂げることができますか。
勉強うまくできた人は勉強うまくやって良い格好に入って良い会社に入って社長になり金持ちになり、そして権力者になり有名な人になることもできるでしょう。
それでみんなが羨ましく思う立派な存在になることをみんなが好きと思います。
24:05
ところが自分の努力によって病気にかけられることはないようにできますか。
罪を犯さないようにできますか。神様のように死ななく永遠に生きることができますか。
悪魔に勝ち抜くことができますか。自分の熱心によって天国に行くことができますか。
考えてみると人間の熱心によって成し遂げられるのはこの世の100年の中で限られた部分だけができることなんです。
ここで皆さん神様の前で謙遜な人と傲慢な人が現れます。
永遠から永遠に生きておられすべてを主観される前知前能絶対前である神の前で
人間の努力でよって成し遂げることが本当に何にもないということを分かって
自分自身の限界を悟って神様の恵みと助けを謙遜に求める人
このような人々が聖書は謙遜な人だという それじゃなくて私の力で何でもできる
なぜ信仰という信仰は弱い者たちがやるものだという 自分の努力をよってやらなきゃいけないんだと思っている人は神の前では傲慢な人です。
自分の努力に何ができると思いますか 限られた少しの領域
生きている100年の中で少しのことができることを誇りと思って自分自身を表すこれは傲慢です。
永遠に生きる人間 永遠に生きる神様の前で
何もできないことを悟って主の前でひざまずいて大主よあなたの助けが必要ですという人 その人が謙遜な人です
この観点から見ますと誰が神様に出会い誰が恵みをいただくことができるか 謙遜な人です
約部4章6節もっと豊かな恵みをくださる それでこう書いてあります神は傲慢な人を敵とし謙遜な者には恵みを与えてくださる
要は1章11節12節にはこのようにお話してください 言葉は自分の民のところに来たが民は受け入れなかった
しかし言葉は自分を受け入れた人その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた 言葉はイエスキリスト意味します
イエスキリストが来られたのになぜイエスキリストを受け入れないんですか 知らないから受け入れない人もいます
27:00
また自分の行いに委ねて傲慢な人は受け入れないでしょう しかし誰が受け入れますか
自分の物足りなさを知って謙遜な人は受け入れられます
暗闇と死の影に茶している呪いの中で過ごしている 苦しみの中でいる人間を
生かそうと思っておられる神の身むねに従ってそれを成し遂げるために 神様の邪を捨てて
赤ちゃんの姿で謙遜にこの世に来られたメシアイエス様 その方は謙遜な人だけが出会います
謙遜な人だけが受け入れることができます 最後にこの恵みをくださるためにイエス様が来られたのに
私たちはこの恵みを受け入れ恵みの中で過ごしていますか イエス様を信じるんだと言いながら相変わらず行いに委ねて
焦り また腹を立ち不安心配
また罪のゆえに苦しみながら 死と呪いの法則で過ごしているのではありませんか
これから見てますと皆さん何が古い革袋ですか 行いの法則
罪と死の法則によって生きる人がこれが古い革袋なんです 何が新しい革袋ですか
イエスキリストを受け入れイエスキリストの恵みと命の法則で生きる人が新しい革袋なんです
信じるんだと言いながら相変わらず罪と死の法則の下でいるなら 信じる人ではありません
今度の大航節アドベントの時期を通して 私たちは確かな新しい革袋になりましょう
そして恵みをくださったイエス様に感謝する心で
来週はイエスキリストを喜んで受け入れるクリスマス
賛美して感謝してクリスマス礼拝を捧げていきたいと思います
お祈り出します 死を
暗闇と死の影に差していた そして罪によって地獄に行くしかなかった私たちを救うために
謙遜にこの世に来られたイエス様感謝します
しかし私たちは過去の
過去のつながりがまだ断ち切れていないので
おこないに委ねて生きる自分自身
不安悩み焦り腹を立つ このような私たちの姿があることを認めて悔い改めます
30:03
これからは恵みを通していつも感謝する
うまくできなくてももっとできることをわかって感謝する私たちになりたいと思います
死を私たちのみんなにもっともっと豊かな恵みを与えてください
イエス様の皆を通してお祈り出します アーメン
30:26

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