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今日は、「ただ神様の恵みによって」という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
皆さん、新年の第2週目です。 新年は皆さん、何が一番必要だと思いますか?
私は今日メッセージを通して、神様の恵みだということを申し上げたいと思います。 神様の恵みがどれほど大事なのか。
今日読んでくださった、使徒行伝中1章で アンディオキア教会で、アンディオキア教会は相当上の小アジアのところの
異邦人の地域です。 そこに
驚くほどの福音の御業が行われているという報告を イエルサレム教会が聞きます。
異邦人の世界で福音が延べ伝えられて 教会が建てられる?
ありえないと思って イエルサレム教会がびっくりして、そこに一人の人を派遣します。
その方がバルナバーという人です。 バルナバーはアンディオキア教会にいて
この教会が本当に神様が行われたのか 人々がただ集まっただけなのか
それを見るためにそこに行ってずっと観察しました。 それで驚くほどのことを発見しました。
そこに神様の恵みが働いていることがわかりました。
バルナバーは神様の恵みが働いていることを見て喜んだと言います。
なぜでしょう? 神様の恵みがその上に臨んでおけば
なんでもできます。 しかし神様の恵みがそこに臨んでいなければ
人間がいくら頑張ってもできません。
神様の恵みが働くからです。 だからバルナバーは神様の恵みが働いておられるありさまを見て
喜んで神の恵みから離れてはいけないよう しっかりくちいていけなさいとお勧めしたという話を今日聖書が教えてくださいます。
第一ペトロ古書十節には 神様はあらゆる恵みの源であろうと言います。
あらゆる恵みは神様から出てくるということです。
神様は私たちの人生に必要なすべての恵みを持っておられます。
また神様はその恵みを私たちにいくらでも与えようとされます。
どうすればその恵みを神様からいただいて私たちが豊かな人生 立派な信仰を持ってこの世の中で素晴らしい人生を過ごすことができますか?
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これを今日一緒に考えていきたいとおもいます。
私は毎朝祈ります。息子のためにも祈る時にいつも祈ります。
神様私は何にもできません。神様の恵みがなければ何にもできません。
神様の恵みがなければ私たちは死にます。助けてください。恵みを与えてください。
いつも祈ります。
今年私たちの教会と教会に直されている各家庭の上 神様の恵みが豊かに臨むことを祈りながら今日のメッセージを分かち合いたいと思います。
もともと全世界とすべての万物は 創造主神様の恵みによって生きるように
神様はそのように全世界を設計されたんです。デザインされたんです。
それは創世紀を見てばよくわかります。創世紀1章2章 神様が創造された美しくて豊かな世界
皆さん 人間が何かやりましたか?
全世界の秘書物が何か頑張ったんですか? 頑張ってはありません。何もしてませんでした。
神の恵みによって ただで与えられた豊かさを全世界と人々は味わったんです。
神様はご自分と愛の関係性、ご自分が本当に大切にする私たちには すべてをただで与えてくださいます。
神様は私たちを愛しているからです。 だからもう神様のものの中で私にくださらなかったことは何もなかったんです。
すべては恵みとして与えられてもらいました。 ところが創世紀3章 罪を犯してからは恵みの世界が呪いの世界に変わりました。
神様との親しい関係性がダメになるから すべての恵みが消えてしまいました。
創世紀3章 人間とこの世の中は
恵みが消えていくから 欠乏
苦しみだけが残りました。 創世紀3章以来現在のもとにある人間という人生という言葉をよく使いますけど
現在のもとにある人生という意味は 悪魔の支配下の中で罪の呪いの中で弱さと闇に包まれて
欠乏と足りなさの中で生きる人生を示します。
本当に辛い人生 神様から離れて恵みがないから
辛い人生しかなかった。 しかし神様は罪を犯した人間を哀れに思ってくださって
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恵みを回復できる道を教えてくださいました。
それが創世紀3章15節に女の子孫 メシアを通してです。
しかし女の子孫としてイエス様 メシアが来られる前も
罪を犯した人間が少しでも恵みをいただくような道を開いてくださいました。
それが羊の血潮によって捧げる礼拝によってでした。
これは食材の礼拝です。 それを行うことによって少しの恵みでも
私たちがいただくことができるようになっていました。 しかしだんだんだんだん礼拝が形式か儀式か習慣になってしまって
その神様の恵みさえもなくなりました。 効力がなくなってしまいました。
だから世の中には恵みをいただく一番大事な方法が神様に対する礼拝なんで
この礼拝さえも一割の礼拝 自己中心的な礼拝
ただ儀式習慣的な礼拝に過ぎなかったから 神の恵みをいただく方法がなくなりました。
だから世の中には苦しみと悩みと欠乏と病気ばっかり それで苦しんで生きながら地獄に行く人生
神様は哀れに思ってくださって約束された女の子孫イエスキリストを送ってくださいました。
イエスキリストは神の恵みを再び回復してくださるために来られました。
イエス様が来られたことに対して ヨハネの1章14節と16節にはこう書いてあります。
言葉は肉になって私たちの間に宿られた 私たちはその栄光を見た
それは父の一人子としての栄光であって 恵みと真理とに満ちていった
16節には私たちはみんなその方の満ちあふれる豊かさの中から 恵みの上へさらに恵みを受けたと言います。
イエス様は私たちが恵みをいただくことができたのは 神様との関係性の中で神の関係性をダメにしてくる罪
不従順 サタンを十字架によって滅ぼし 誰でもイエス様の父親の功労に委ねて
神の恵みをいただく道を与えてくださいました だから聖書は誰でも主の皆を呼び求める人は神様の恵みが与えられると聖書は言っています
イエス様が回復してくださる神の恵みは私たちの人生 私たちの信仰生活に必要なすべてを与えてくださいます
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私たちが救われて天国に行くのは何によってですか 自分の努力ですか イエ 神様の恵みです
エペソ28節 事実はあなた方は恵みによって信仰によって救われた このことは自らの力によるのではなく神の賜物だ
神様のプレゼントだ 恵みだと言います 私たちの信仰が成長していくことは非常に大事です
信仰が成長しなければ神様の豊かさを見ることもできない 味わうこともできない
どうすればそれができるのか 第一コリト3書7節のよう 大切なのは植えるものでもなく水を注ぐものでもなく
成長させてくださる神様によることだ 成長させてくださる神の恵みがあるとき私たちの信仰がますます伸びる
ただ自分の動力で信仰が伸びることではありませんなぜなら 信仰は学ぶことによってできるのではなく照らされることによってできるから
弟子は学ぶことによってできることではありません 照らされることからだから見事ばと精霊が大事です
それが与えられるのが神の恵みです また大きな見業を行うことそれも神の恵みです
第一コリント中古書中節にパウロがこう言います 私は他のすべての人よりずっと多く働きました
しかし働いたのは実は私ではありません 私と共にある神の恵みでした
自分がやったけど神の恵みが力をくださって私はできましたってことです 神の恵みがなければできません
サタンから勝利 保護され 命が与えられることも神の恵みです
4編の85編の1節にバベロンの捕虜の地域からイスラル人たちがイエロサルムに戻りました
それが何によってできたのか それは神の恵みだったと言います
神の栄光を見ること どうすれば
目に見えない神様の栄光を見ることができますか どうすれば天国を見ることができますか
それは神様の恵みです 見せてくださらなければ私たちは見ることはできません
先週金曜日 私たちの教会のビジョン
教養されたビジョンはビジョンではありません 牧師が皆さんに私が皆さんに
これが教会のビジョンです 信じましょう信じましょう信じてください それだって皆さんのビジョンになることではありません
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ビジョンは教養されてはできません 私が神様からいただいたビジョンを皆さんと分かっちゃう時に
精霊が皆さんに照らしてくださって なるほどそれが私のものだと思って一緒に参加するんです
それによって教会のビジョンができるんです 照らされなければなりません 照らされるのは恵みです
驚くのは神様の賜物 精霊の賜物ということがあります
第1コリント12章7節から10節まで 9つの賜物がちょっと書いてありますけど
それは神の手 神の目 神の口 それが働くことです
神の手がどれほど力があるんですか 神の目はどれほどしっかり見るんですか
神の口から出るこの御言葉はどれほどパワーがありますか 生きており力を発揮し
どんな諸刃の剣よりも鋭く それが与えられるのが神の恵みですけど 精霊の賜物ですけど
精霊の賜物も神の恵みによって与えられると言います
ですから神様の恵みが私たちに豊かに与えられるということは
救いも成長も私益も サタンからの勝利も 神の栄光を見ることも
精霊の賜物も豊かに与えられることを意味します
これが豊かに与えられるときに私たちが神様が喜ぶ 神の御業によくよく用いられることができます
この恵みが誰にあったのか ヨセプにあったんです ダミデにあったんです モーセにあったんです
ダニエルにあったんです それによって
ペトロもパウルも神の御業に用いられることができました
私たちが切に求めるべきことが神の恵みです 神の恵みがあった人となかった人は全然違います
ですからヘブライ賞4章16節に だから憐れみを受け恵みに預かって
慈悲にかなった助けをいただくために 大胆に恵みの者に近づこうではありませんか
この恵みをくださるためにイエス様が 十字架で死んでくださったんです
いつも申し上げるんですけど 私は大学生の時代イエス様を信じたんですけど
イエス様を信じることによって 家から追い出されてしまいました
じゃあ皆さん福音のために憧れを受ける人 その人には神様が特別な恵みを与えてくださって守ってくださいます
その時私は教会に初めに出た初心者だったんですけど 教会に行って徹夜祈りをいつもしました
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だから教会の人が私に この青年は祈りの人だって言いました
私は心から祈りがうまくできる人だなと思いました
ところが牧師になって九州で日本の教会に仏会したんですけど 教会にいろいろ難しいことがありました
私としてはどうすることもできないこともたくさんありました だから私は思いました
昔のように私も毎日徹夜祈りをしよう そうしようと思いました
それで夜教会堂に入ろうとしたら真っ黒な教会が どれほど怖かったのかもう逃げてしまいました
なぜ初心者の時はできたのに牧師の時はできなかったんでしょうか
初心者の時には神様の恵みがちゃんと望んでいました 牧師になったのに恵みが消えてしまったかもしれません
だから私は悔いを改めなきゃいけなかった どこから恵みが消えてしまったのか
それを神様の前にひざまずいて もう一度恵みを与えてください 悔いを改めるべきだった
それを取り戻すのに大変な時間がかかりました 皆さん
恵みが望んでいれば初心者も立派な働きができます しかし恵みが消えていけば牧師だと言っても何にもできません
ですから私たちは毎日 私に恵みが来ているのか
神様の恵みが消えてしまったのではないか 自分自身をチェックしてみなければなりません
これから私たちに大事なのは恵みの上 さらに恵みをいただくことです
イエス様は私たちに豊かな恵みを与えてくださると言いました シトヨワネはこう言いました
私たちはみんなこの方の満ちあふれる豊かさの中から 恵みの上にさらに恵みを受けたと言います
神様は私たちに小さな恵みをくださるのではありません 恵みの上さらに恵みを与えてください
シトヨワネはそれをいただいたと言います しかし皆さん私たちはどうでしょうか
私たちはこの恵みの上さらに恵みをいただいていますか 神様の恵みによって皆さん心が充満になっていますか
私たちはなかなかそれを維持することは難しいんです なぜ維持することが難しいのか簡単に考えていきましょう
恵みをこぼしてしまうからです その理由はまず高満です
恵みをいただいて自分が何か良くできれば 私は他の神徒とは違うんだ
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なんとなく心から偉そうになってしまいます 偉そうになる瞬間から恵みは消えてしまいます
ヤクブイ4章6節 もっと豊かな恵みをくださる それでこう書いてある
神は高満なものを敵とし 謙遜なものには恵みを与えてください
皆さん 高満は悪魔です
高満は悪魔から来たものです だから高満になったという瞬間自分は悪魔になっている
だから恵みが消えてしまいます 気をつけなければなりません
教会の神徒たちは謙遜 これが一番大事です
2番目 罪を犯したら恵みが消えていきます
大聴音3章8節 罪を犯す者は悪魔に直します 悪魔は初めから罪を犯しているからです
悪魔は働きを滅ぼすためにこそ神の子が現れたのです 罪を犯す者は悪魔に直する
怖いですね 罪はこんなに怖いものです しかし神様は一回罪を犯したって
恵みを取り戻される方ではありません
神様は我慢して忍耐しておられます しかし
1回2回3回 習慣的な罪になってしまえば恵みを取り戻してしまいます
だから私たちは罪を犯したとしたら敏感に考えて悔い改めること これが大事です
また3番目に 精霊を悲しませる 精霊を無視する 精霊を暴毒するなら
恵みが消えてしまいます 丸子3章28節
人の子らの犯した罪やどんな暴毒の言葉もすべて 許されます
しかし 精霊を暴毒する者は永遠に許されず
永遠に罪を責めを負うと言います 皆さん 精霊を暴毒するのは悪魔です
悪魔に属している者が精霊を暴毒します 私たちはそんなことないでしょう
だから私たちは精霊を悲しませた 精霊様を無視したということを考えられたら
すぐすぐ悔いを改めて 神様の恵みが自分から消えることがないようにしていくこと
これが非常に大事です ですから
恵みを持続していく 保っていく また恵みの上にさらに恵みをいただくために
私は考えなきゃいけないことは 恵みには目的があることを考えなければならない
今 恵みが豊かに望んでいますか この恵みが望んだ目的があります
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それを分かってから それを忠実に行うこと
そうするとき 恵みの上にさらに恵み その上にまたさらに恵みが与えられ
恵みによって全てを成し遂げることができるんです
第二五輪と九章八節
良い業をさせるために 神の恵みが私たちに与えています と書いてあります
だから私たちは教会のミジョン 私たちの使命が何なのか
それを分かって それを持って 自分の全てを尽くして忠実に行うなら
皆さんの恵みの上 恵みがさらに与えられる 素晴らしい人生になると思います
皆さん モーセとダビデ モーセとダビデは主の御業に大きく用いられただけではありません
神様の恵みの栄光をいつも見て 栄光の中で生活しました
モーセとダビデが経験した その素晴らしい神様の栄光
私たちは本当にそれを感じることができないほど 素晴らしかったんです
ところがサウル王という人がいました 神の恵みによって王になりました 油を注がれました
その時は謙遜でした しかし王様になってからはこの王位を自分が奪われたくない
守りたい いつも王として過ごしたいと思ったのでしょうか ダビデが現れたらダビデを殺そうとします
神の恵みによって王になったのに それからこの王位を自分が自分のものにならせたいと思って
そして傲慢になってダビデを殺そうとする だからその時からサウル王は民になっていくんです
皆さん神様の恵みは当たり前のものではありません 私にあったとしてもいつ恵みが消えてしまうか分かりません
だから恵みを守るため 自粛するために私たちは頑張らなきゃいけないんですが そのためにやるべきことは謙遜です
おそれを敬う心を持っていることです ダビデとサウルをいつも比較するんですけど
サウル王がなぜダメになったのか 傲慢になるから恵みが消えたんです
恵みが消えたら神の御声が聞こえなくなった イスラエルの王様なのに神の御声を聞くことができない
だから彼がレイバイシに訪ねてきます だから彼が滅ぼされたんです
大事なのは自分が偉そうに思っている人は 恵みが消えてきます
謙遜を維持する これが非常に大事です
新約聖書で名前が変わった人がいます それがサウルです
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サウルがパウルになりました サウルという意味は偉い人
パウルという意味は謙遜な人 低い人という意味です
サウルがサウルという名前を持っているときに イエス様を迫害しました
しかしパウルという名前に変わってからは 神様に用いられる人になりました
世の中でどなたが一番賢い人なのか 謙遜になるほど賢い
恵みの上恵みを持続することができる人が賢い人です これから見るときに世の中に2つの種類の人がいることがわかります
一つは自分の熱心と自分の努力で 何か全てを成し遂げようとする人です
世の中にはその人たちが称賛されます かっこいいでしょう
自分の努力で全てを成し遂げ これもでき これもでき これもでき ニコデモのような人です
このような人はこの世の中で人気があります もう一つの部類は自分の足りなさをわかって
種の助けを切に求め 神の恵みによって自分の人生を最善を尽くす人です
このような人たちは世の中の人々から魅力はありません この弱い男が弱いですね
かっこよくない 軽んじます しかし皆さんどなたが偉い人ですか
自分の努力で全てができる人が偉いですか
謙遜に種の助けを求める人が偉いですか 自分の努力でできることは何ですか
自分の努力で罪を犯さないようになりますか 自分の努力で天国に行きますか
自分の努力で身を結ぶことができますか 自分の力でできないということをわかって
神様に謙遜に委ねる人 その人に神様が恵みを与えてくださり
その人を神様が用いられるんです ですから
パオロは自ら悟ってサウロという名前を パオロという名前に変えたと思います
3番目大事なのはお祈りです 皆さん明日何が起こるか私たちはわかりません
明日私が生きているかわかりません 今日生きていることで感謝し明日は主に任せるべきでしょう
2022年21年22年コロナのコロナ禍の時期でした 今は災いの時期だと思います
この時期にどうすれば一番賢い人でしょうか それは謙遜に神の恵みをいただいて
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その恵みの上 恵みをいつも保ちながら主に使える人だと思います
気の毒に思っているのは 最近私たちの子供たちです
皆さんはそうじゃないですか 私は息子と話をするときに
心が怖いほど勝手にしゃべることでびっくりする時があります
まるで神様を隣の家のおじいちゃんのように考える
礼儀もありません 勝手にしゃべります
ある時怖いほど 神様はどう見ているのかと思うんです
そのような二世たちのために 私たちができるのは何か
鳥なしの祈りです 私は年をとっている親たちは
子供のために鳥なしの祈りをする使命を持っていると私は思っています
アグスティンの告白集であるコンフェストという本があります そこにこのような記事があります
アグスティンが熱病にかかりました
それで熱病にかかっている息子のために 教会から神父さんが一緒に来て
神父さんが祈ってもらって 教会の人々が祈ってもらって
アグスティンの熱病が治りました
だったらどうするべきですか 教会に行って感謝するべきでしょう
その時アグスティンは教会に行かないで マネ行に行きます
教会から恵みをいただいたのに間際に行ってみる
そうする時に母さんであるモニカという人が 祈りの部屋に入ります
アグスティンは知っています またお母さんが祈るだろうと思います
お母さんが切に祈ります いつも神に逆らって いつも神様と反対の方向に行く息子
いつもお母さんは絶え間なく祈り続けます
ある日人生の苦しみの日 アグスティンが倒れているところで
町の子どもたちが歌声が聞こえます 起きて録って読みなさい
それで起きて机の上にある聖書があったから それをちょっと開いているところを見たら
ちょうどローマ書13章11節からの御言葉があります
夜が深まり昼が近づいた 闇の技を脱ぎ捨てて光の武具を身につけなさい
その御言葉を読む瞬間何か刃まで打たれるような 霊的な目覚ます驚くほどのことがありました
それで次に彼は悔い改めながら 聖アグスティンという人になりますけど
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なぜ彼が迷ったのか 自分の力で人生の秘密
人生って何なのかそれを探ろうとして彼は頑張ったんです 人生の意味をわからない
人生生きる理由は何なのかわからない だから彼が迷って自分の努力で
これを学んだりこれも学んだりこの宗教にも入ったりこの宗教にも入ったり
精一杯自分なりに頑張ったんです しかし
母お母さんの虜の祈りによって神様の恵みが与えられた瞬間
聖書から御言葉が自分の霊をパクッと目覚ましてください
皆さんこの恵みが望むように母モニカはこんなに長く長く祈られたんです
皆さんそうです 恵みは祈りによって与えられることがわかります
アメリカのケンサスシティにこれはマイクルビークルという先生がいました その先生神様から
何か示されたことがありました あなたは最後の時のダビデの幕や祈りを取り戻しなさい
私がどうしてそれができますか マイクルビークル先生は3年間神様それができるように恵みを与えてくださいと
ちょーっと祈ったんです ある日見ていますと
ご自分の元に アメリカの若い人々がたくさん集まって
その人たちが賛美して祈り始めたんです それで集まった人たちを
2時間12組24時間 それで賛美をしながら祈りながら神様の予言の言葉が与えられる
素晴らしい祈りのベア 祈りのベアがアメリカのケンサスシティから始まったんです
それがアメリカ全域に広まってそれが全世界に広まって 日本でもあります韓国でもあります
今全世界どっちでもダビデの幕やの祈りが24時間 神様に捧げられるようになりました
マイケルビッグ先生が自分の力で精一杯頑張るんだってそれができますか 神の恵みを求めて神様の恵みによって人々が集まったんです
その人たちが自分が 持ってきたものを用いて自分が賛美をし自分たちが祈り
そして神様の予言の言葉をいただいてますます世界のために祈り続けた それによって世界全体的に
ダビデの幕やの働きが 全世界どこでも行うようにしてその祈りによって
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地の果てにまでますます宣教の御業が行われているんです 神様からの恵み何か使命がされてあったら皆さんどうするべきですか
祈るべきです神の恵みが与えられるように祈るべきです この恵みが神様から与えられたすべてを成し遂げてくださるんです
2023年度今年 ぜひとも神の恵みによって生きる私たちになりましょう
皆さん2023年度は何をやりたいですか 大きな計画を持ってますか大きなビジョンがありますか
もちろん教会のビジョンもあるんですけどご本人の夢もあるでしょう じゃあこれは神様から来たのかをまずチェックするべき
そして神様から来た夢だとするなら 自分の力ではできません
神様の恵みがそれを成し遂げてくださるんです そのために私たちは謙遜に謙遜に謙遜に
死を求めましょうそして神の喜ばれる働きを私たちがやっていきましょう そうするなら神様が私たちに豊かに恵みを与えてくださるとき
私の力ではなく主の恵みが神様が言われたすべてを成し遂げてくださるでしょう 特に私たちの2世たち子供たち
この子供たちが神様のビジョン 恵みによって神様によくよく用いられる
世の中で一番祝福された子供になるように 親は祈らなきゃいけない
私たちは祈らなきゃいけない ぜひとも祈る親になりましょう
そして2023年度主の恵みをいただき 恵みの上さらに恵みをいただいて
主によくよく用いられる立派な教会と家庭になりましょう お祈りいたします
神様はあらゆる恵みの源である神様だと言います
私たちの人生に必要なすべての恵みを持っておられます 神様の恵みによって私たちは生きます
神様の恵みによってすべてができます どうかどうか神様
私たちの教会また各家庭個人個人の上 また2世たち子供たちの上
主の恵みが豊かに臨んで2023年度主によくよく用いられ 一番祝福され神様から賞賛される私たちにならせてください
イエス様の源を通してお祈りいたします アーメン アーメン