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2021-12-19 34:45

「神の約束を成就する為に来られたイエス様」2021年12月19日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年12月19日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

聖書の箇所/マタイ-23 イエスキリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

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今日は神様の約束を成就するために来られたイエス様の対応をもって メッセージを分かっちゃいたいと思います。
今日は太鼓節の最後にクリスマスイブ礼拝です。 太鼓節はメッシャーが来られるのを待ち望む時期なんですけど
メッシャーはすでに来られました。 ですから今のクリスマス礼拝の意味は
来られたイエス様に対する感謝 また再び来られるイエス様を待ち望みながら
主の道を備えるために私たちは何をするべきか それを一緒に考えて神様に自分の心を捧げる
そのような意味で礼拝を捧げることができればと思います。 今日はマタイの福音書1章1節から25節の美言をもって
神様の約束を成就するために来られたイエス様 また再び成就するために来られるイエス様についてお話を分かっちゃいたいと思います。
皆さんイエス様がなぜこの世に来られるようになったんですか その理由は神様の一言の由です。
これは創世紀3章15節の由です。 創世紀3章、人間が罪を犯しました。その時に神様がサタンに向かってヘビに向かってこう言います。
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に私は敵を置く。 彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。
神様が罪を犯させたこの悪魔に対して 女の子孫を置くってお前は頭を砕くだろうと言われる。
じゃあこの女の子孫という神様の予言、神様のこの約束を成就するために来られました。
創世紀3章15節は聖書の中で一番大事な聖書ではないかと思います。
なぜなら3章15節によってイスラエル民族ができて、それでイエス・キリストが来られる全ての理由はそこにあるからです。
イエス様が女の子孫と来られた理由は皆さんご存知でしょう。 男の子孫として生まれるならアダムからの原罪が流れます。
そうするならメシアとして来てもアダムの原罪を、罪を逃れることはできません。
罪ある者は神様に生贄として捧げることはできません。 清い神の霊による、そして女の体を借りて生まれる、
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女の子孫だから罪がない人間として全人類のために食材の生贄として捧げることができるんです。
ですからイエス様は来られて、十字架にかかり地を流すことによって、地の流しがなければ罪の許しがないという立法の御言葉を成し遂げ、
人類の罪を許され、また復活することによって新しい命を与えるだけではなく、悪魔を滅ぼして全人類を救う御業を成し遂げられました。
ここで大事なのは、罪を犯した人間は自分が自分を救うことができないということです。
いくら熱心にやっても、罪人は自分自身を救うことはできません。
ですから神様が示してくださった救いの道を信仰によって受け入れ、悔いを改めるなら、救いをいただくことができることが神様の計画でした。
これが、創世紀3章中古説を言われる時に持っておられた神の救いの計画でした。
この救いの計画を成し遂げるために、メシアが来られるべきなんですけど、旧約聖書4,000年間ずっとメシアは来られる、来られる、来られる、来られる。
神様の下部立ちを通して、神様は約束したことを確かめる働きをずっとされました。
今日読んでくださったマタイの1章23節は、イザヤ7章14節の引用することですけど、
それゆえ、私の主が御自ら、あなたたちの印を与える。美を、乙女が美を持って、男の子を産む、その子をインマヌエルと呼ぶ、と言います。
この神様の約束を成し遂げるために、神様はメシアを送るための一つの民族を作ります。
その民族はイスラエルという民族です。じゃあまずはじめです。一番です。マタイ1章1節には、イエス様は誰の子孫だと言いますか。
マタイ1章1節、アブラムの子、ダビデの子、イエスキリストのゲイズ。
なぜアブラムの子孫、ダビデの子孫と言いますか。
アブラムとダビデには、神様が与えてくださった約束がありました。
アブラムには、創世紀22章18節、地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。
あなたが私の声に聞きしたかったからである、と言います。ここのあなたの子孫ということは、キリスト、メシアを意味します。
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また、ダビデにも約束を下さいました。サムエル経の7章13節、この者が私の名のために家を建て、私は彼の王国の王座を常しえに固くせえる、と言います。
アブラムとダビデに与えてくださったこの約束は、神様の人類救い計画と関連して、
必ず成し遂げるべき、素晴らしい神様の計画で、これがメシアの予言だったんです。これは非常に大事なんです。
アブラムとダビデに、なぜこのような神様の約束を下さったのか。皆さん、詩編の25章の14節、ご存知ですか。
神様の親しみは、神を恐れ敬うものにある。神様はその人に、神の奥義、神の契約、身旨を教えてくださる。
誰でも神の身旨を教えてくださりません。神の身の旨は誰に教えてくださるのか。神様と一番親しい人に、神様と一番愛の中に深い人に教えてくださるんです。
アブラムには何があったんですか。神様はアブラムに訓練を終わる時に、イサクをモリアさんで生贄として捧げなさいと言いました。
アブラムは神様をイサクよりもっと愛したので、イサクをモリアさんに連れて行って殺そうとして捧げようとするんです。
その時、あなたの心をわかった。あなたの信仰をわかった。あなたが私を愛することをわかったと言いながら、この身旨を教えてくださったんです。
またダビデに対しては、ダビデが大宮宮廷を建てて、それから宮廷から神様の契約の箱を置かれているダビデの幕やテントを見て、彼はこう言います。
私はこんなに立派な宮廷で過ごしているのに、神様はそのテントの中におられる。それが話になれるか。
私は神様のために神の神殿を作りたい。私がそれができるようにさせてくださいと神様に祈ります。
その時、あなたじゃなくてあなたの子供、息子から私がこれをやってもらおうとしながら、あなたに対して私に対するこんなあなたのこの愛、あなたに対するこの燃える心を私は感謝として受け取ると言いながら、神様が弁謝の約束、これを教えてくださったんです。
神様は私たちのこの愛と神様に対する献身、それを神様が喜んで受け取るときに、神様の一番奥にある神の秘められた計画を示してくださるんです。
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これが約束としてイスラエルの民に与えられたので、イスラエルの民族はアブラムとダビデの愛に与えられたこの約束のゆえに、今まで祝福されているんです。
皆さん、私たちこの親がやるべきことはこれなんです。私の子供のために、皆さんが神様との親しい関係の中で、皆さんの家族のすべてに対する神様のこの約束をぜひともぜひともいただく私たちになりましょう。
その先祖によって子孫たちが祝福されるんです。
ところが、アブラムとダビデの子孫は最後、結局どうなりましたか。最後に結局滅亡しました。
なぜ滅亡されたんですか。それが歴代家の36章の15節から17節に書いてある。
先祖の神、主は彼たちを憐れんで繰り返し繰り返し神様の御使いを彼たちに使わされたんですけど、彼らは神の御使いをあざ笑い、その御言葉を下げ積み、そして預言者を愚弄した。
そのゆえ、ついにその民に向かって神の怒りが燃え上がり、もはや手の施しの用がなくなった。
神はカルデア人の王たちに彼らに向かって攻め上がるようにさせ、主は彼たちの手にイスラエルを任せられた。
イスラエルは一折の信仰、十字架の国で学んだでしょう。
実行中止できない一折の信仰ばっかりばっかりやっているので神様の預言者を使わされたんですけど、彼たちはその人を次々と殺してしまった。
神の御言葉を聞こうとしない、自分勝手な信仰生活をするときに神様は彼らをカルデア人、バベロンの手に渡されたと言います。
彼たちは結局、炎になって散れて行かれたんですけど、彼たちは滅亡されたので、イスラエルは何の力もありませんでした。
彼たちは再び戻って、イスラエルに戻ってきて、神の国を再建するのは想像もできなかったんです。
では、神様がアブラムとダビデに与えてくださった約束はどうなりますか?
神様の約束は、イスラエルがバベロンに滅ぼされて、人間的な希望が全くなくなったとしても、神の約束は実現されます。
誰が成し遂げますか?神様が。
なぜ成し遂げますか?
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神様の名前、皆の栄光のために、私が約束したものは、私が実現するということ。
神様自らが成し遂げられるんです。
皆さん、私たちは何があるから神の約束が成し遂げられるのではなくて、神様の皆のために、神様自らが成し遂げてくださること、これが私たちの最後の希望なんです。
マタイの一章には、神の希望が、神の熱心が、よくよく書かれてあります。
アブラムは遺策を設け、設け、設け、設け、生んで、生んで、生んで、信仰の民として、イスラエル民たちが、イスラエル民がやったことは、神様の約束とビジョンを継承したことなんです。
皆さん、信仰の一番大事なのは継承なんです。
今、天道さんと私が今考えていることは、私たちの教会はこれで、私たちの代で教会が終わってはいけない。
この教会は継承しなければいけない。継承しない信仰は信仰ではない。
イスラエルが祝福されるのは、神様からいただいたこのビジョンと神の約束を、自分はアブラムは遺策に、遺策はヤクブに、ヤクブはヨセブに、そしてその信仰を継承。
それが、神様が一番喜ばれるこの信仰なんです。
マタイの一章をずっと見ていますと、異邦人の女たちの名前もあるし、先祖たちが今、私たちもやってない罪をたくさん犯したことが、いちいち全部記録されています。
なぜこれが大事なんでしょう。
その意味は、人間的にイスラエル人たちが何か良いことがあったからじゃなくて、神様の熱心、神様の約束を成し遂げようとする、神様の熱心によって、そんな働きができるし、
また、神様の御心を悟った信仰の人たちのこの働きによって、メシアが来るようになったということを、私たちに教えてくださることなんです。
2番目です。
その中で注目するべき人が最後に書かれてあります。
これがマタイ一章中8節からですけど、マリアとヨセプなんです。
ルカの福音書ではマリアを強調して、マタイの福音書にはヨセプのことを強調して記録されていることが、本当に印象的です。
マタイ一章中8節、イエス・キリストの誕生の主体は次のようであった。
母、マリアはヨセプと婚約していたが、二人は一緒になる前に、精霊によって見こもっていることが明らかになったという。
見こもるようになったというこの記録は、ルカの福音書によりますと、神様から使わされた神の御使いカブリエルが、カリラへのナザレに住んでいるマリアに尋ねていきます。
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この時マリアは、神様が成し遂げようとする神の計画を聞きます。
その時マリアは、自分自身を神様に捧げることを決断します。
ルカの1章30節からです。
すると天主は言った、マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは御子をもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その時マリアはこう言います。私は主の端ためです。御言葉通りこの身になりますように。
それで天主は神の御言葉を伝えて、マリアの決断を聞いて、そして彼は去っていったと言います。
皆さん、私はまだ女性じゃないからよく分かりませんけど、結婚を約束したこの神父の心はどうなったんでしょう。
結婚する前に子供を産んでしまった。どうなりますか。
とにかくマリアは生霊によって見込まれるようになります。
結婚を約束したマリアが子供を産んだ時、ヨセフはどれほどびっくりしたんでしょうか。
また裏切られたという気持ちをもうそのような感じるでしょう。
その時天主がヨセフに尋ねてきます。これが今日のまた一章中級説からの記事です。
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表座にすることを望まず。
私はこのヨセフの人格を学びたいということですね。
密かに縁を切ろうと決心した。このように考えていると主の天主が夢に現れていった。
旅での子ヨセフ、旅での子孫ヨセフ、これが大事ですね。
恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアはタイの子は聖霊によって宿っているのだ。
マリアは男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。
本当に感謝したいのは、神様のために決断するなら、天主が助けてくださる。
神様に対する決断するなら、私は殺されるんじゃないかと思う。絶対そうではありません。
決断していく人は必ず神様が助けてくださる。
また大事なのは、ヨセフとマリアは神の見こえを聞いた人だということです。
私が十字架の福井の学びをした後、いろいろ見てみますと、信者の中、今はキリスト者たちが大勢いるのですが、
ある人は神の見こえを聞いている人がいます。
ある人は、神の見こえを聞くことと全く関係なく、自分の考え通りに信仰生活をする人がいます。
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自分の考え通りに信仰生活をする人は、神様からは持ち入れられません。
神の見こえを聞くことを必ず学ばなければなりません。
来年度は、私はこれをもっと実践的にやっていきたいと思っているところでありますが、
ヨセフとマリアは神の見こえを聞く人であり、聞いたらそれを信じて従う人だということが大事です。
天使がこの全ての目的を話します。
マルタイ1章22節23節。
この全てのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことを実現するためである。
美を乙女が見こもって男の子を産む、その名をインマヌエルと呼ばれる。
その名は、神を憐れると共に居られるということです。
神様が私たちと共に居られたいという、その神様の夢、神様の約束を実現するために、イエス・キリストが来られるのですが、
ここで大事な言葉がインマヌエル。
インマヌエルはゴリンジャイということで考えていいでしょう。
神様の切なる、神の希望、願いは、私たちと親しくなって共に居ることなんです。
そのことのためにイエス様は、神様と私たちの間に塞がれている壁があるんです。
これが壁は何ですか。罪の壁、不従順の壁、サタンの壁を全部取り壊してくださる。
十字架と福音を通して、全部取り壊してくださり、私たちに救いの道を開かれました。
そして言われます。誰でも信じるなら救われる。誰でも信じるなら救われる。
3番目です。では、今私たちに大事なことは何ですか。また、私たちにはどんな約束が与えていますか。
今この世の中で一番大事な神の働きは、イエス・キリストが成し遂げておいた救いの道を、
地の果てにまで全世界に伝えて、全世界の人々が救われることです。
この働きのために、神様はリバイバルを送ってくださり、大収穫を行ってくださり、
そしてそれが終わったら、イエス・キリストの再臨があります。
今世の中で一番大事な道のキーワードは、リバイバルと大収穫と再臨というキーワードがあります。
これに対して、神様は私たちに約束を与えてくださいますけど、
それを何項目を見ていきましょう。
使徒経典1章11節
イエス様が昇天される場面を見ていた弟子たちに、天使がこう言います。
彼らへの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。
21:03
あなたたちから離れて、天に挙げられたイエスは、
天に行かれたのを、あなたたちが見たのと同じありさまで、またおいでになると言います。
昇天なさったこの同じありさまで、イエス様が再臨なさるんだということを、天使が私たちに伝えてくださいました。
またイエス様ご自身も、マタイ24章14節で、そして未国の国福音はあらゆる国への証として全世界に述べ伝えられる。
それから終わりが来ると言います。
全世界に述べてあげたら、終わりが来るということは、イエス様が再臨なさるということです。
皆さん、私たちの信仰生活は、ただ教会に通って、神の恵みによって、うまく食べて、うまく生きて、健康になって、幸せになる。
これは信仰と全く関係がありません。
私たちの信仰の目的は何ですか。
リバイバルと大収穫とイエス様の再臨、この3つのキーワードが、これから私たちの信仰生活で一番大事なんです。
皆さんの働き、皆さんのすべてが、この3つのキーワードと関係がぜひあるように、私は祈っています。
ただ私の幸せ、これは神社でも仏教でも他のどこにでも、もうお願いします、お願いします、健康にさせてください、幸せをください。
ゴリアック信仰ではありません。
私たちは神様の使命があるからこの世に来て、使命が終わったら私は天国に行って、幸せになることが一番大事なんです。
この世の中には使命があるから、私たちは来ているのではありませんか。
また最後の日に対して、人たちは神様との交わりなくて、もっと詳しく詳しく見ていたので、それを記録しています。
パウルの第1テサレネケ、第2テサレネケ、こう書いてあります。
すなわち合図の声がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から下ってこられます。
するとキリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それからあなたたち生き残っている者が空中に主と会うために彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられる。
このようにしてあなたたちはいつまでも主と共にいるからであろう。
信者たちに対して、最後の時何があるかをパウルは見ていたのです。
それを聖書に記録していたのです。
じゃあ未信者たちには何があるのですか。
第2テサレネケ1章7節からこう書いてあります。
主イエスが力強い天使たちを率いて天からこられる。主イエスは燃えさかる火の中をこられます。
24:05
そして神を認めない者や私たちの主イエスの福音に聞き従わない者に罰をお渡りになります。
そして中節には火の日主がこられる時、主はご自分の聖なる者たちの間にあがめられ、また全て信じる者たちの間で褒められるようになるといいます。
終わりの時に具体的に見たことが聖書にたくさん書いてありますけど、神様がこの全ての予言、約束を自ら行われるようになるでしょう。
ですからイエス様のサイリーンを待ち望んで期待している真実な信徒たちは、死の果てにまで福音を述べされるために、神のリバイバル、大収穫を今準備しているところであります。
今日本でこのような働きはどうなっているんですか。
私は日本で来て、仏会で20年以上ですから、日本の教会、私は評価したくはありませんけど、影響力は全くないんです。
日本の教会は死んでいる状態かなと思っているんですけど、教会とキリスト社会の存在は弱い、影響力は全くない、その状態です。
しかし私は希望を持っています。神の約束は私たちの状態と全く関係がありません。
私たちの物足りなさにもかかわらず、神様はリバイバルを送ってくださり、最後の時の約束を必ず成し遂げてくださると信じます。
イエス様が初めに来られる時に用いられたヨセプトマリアを考えてみてください。
ナザレという、イスラエルの中でイエルサレムではないんですよ。
ちゅっと上へ、イホノカリラヤと言われるほど、イスラエルと言わない、イホノカリラヤのナザレ出身の、この大工さん、大工という当時はあまり身分高くない状態ですね。
また田舎の少女であるマリアとヨセプに対して、その二人を通して何千年間イスラエルに預言され続けてきた、この働きが実現されたんです。
皆さん考えてみてください。神の素晴らしい計画は、イエルサレムの一番大きな教会の牧師、一番大きな教会のリーダーたちを通して成し遂げられると私たちは考えますね。
神の観点と人間の観点は正反対です。私たちは立派な業界の牧師が偉いと思うんですけど、神様はこの世の中で誰が一番偉いのか、信仰と器用さを見ています。
清い人、また信じる人、神の見こえを聞こうとする人が一番偉いんです。それを探して探してみれば、イスラエルの中で一番田舎のなざれというところの一番身分が低いヨセプとマリアだったということです。
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だから神様はその人たちを通して何千年間イスラエルたちが待ち望んできたメーシャーを送ってくださったんです。
これは神様の選択とまた彼たちの信仰、それがうまくかみ合わされてその働きができたでしょう。
しかし大事なのは、その人たちが神の見業を聞いたとき、自分の一度しかない人生を捧げるんです。これが大事なんです。
皆さん私の人生、私が死んでしまえば、私の世の中は何の意味もないでしょう。自分の人生が一番大事だとみんな思っています。
しかし神の計画を聞いたとき、自分の人生を神様に捧げる、そのような信仰の人を神様が願っています。
しかしそれは過去の話です。これから大事なのはイエス様の再臨です。
イエス様の再臨に用いられるとしもべたちも神様の恵みによって選ばれるでしょう。
しかし私はもっと大事なのは、神様の計画をその人たちに示してくださったとき、見せてくださったとき、
彼たちが自分の一度しかない人生をその計画に、神のこの計画に自分の人生を賭けるかということです。
そして信仰を持って自分の代価を支払いながら、その神の計画に自分がやることすべてをやり尽くすことができるかということです。
神の最後の時の再臨は、リバイバルとまた大収穫と再臨は、最後の時そのような決断を持っている人々を通して成し遂げられるでしょう。
皆さん私たちの教会をご覧ください。私たちの存在感は、日本の1億30万人の中で私たちの存在感は何ですか。
日本優れた方たちが大勢いらっしゃるんですけど、その方たちに比べて私たちはもう本当に、私たちの存在は本当に何の意味もないような状態です。
しかし私たちに示してくださった、ろうそくの幻、植材の幻のビジョンに私たちの人生のすべてを懸けて、
私は種の端溜めです。神様のお言葉通り、この身になりますように私を使ってください。このような決断を持って進んでいくなら、
神様は私たちを通してリバイバルを与えてくださり、大収穫もまたイエス様の再臨の働きもできるようにしてくださるでしょう。
30:03
最後に私はこの言葉も皆さんに申し上げたいと思います。
皆さん、今日私が皆さんに申し上げたこの話、非常に出鱈目な話のように聞こえるではありませんか。
考えてみました、皆さん。
ナザレの少女マリア。
マリアに天使が来て、あなたはこれから見こもるようになるんだと。その人の名前をイエスと名付けなさい。この人が事実名車なんだと言った時、
マリアが何と言ったか知ってますか。どうして私みたいな身分が低い私がこのような働きができますかと言います。
身分が低い私みたいな人間にどうしてイスラエルの今まで何千年間の希望が私みたいな人間をどうして成し遂げられますかと言います。
またナザレの大工さんヨセフに神様が、主の天使が現れて、あなたと結婚するマリアが精霊を通して子供を産むようになる。
その子をイエスと名付けなさい。その子が名車なんだと言った時、自分自身を通してイスラエルの救う名車が生まれることを、
彼たちはこれはデタラメな話だなと思ったんじゃありませんか。しかし彼たちはこのデタラメな話に自分の人生を賭けたんです。
これが信仰なんです。そして自分たちがやるべきことは全部になっていきました。
代価を支配支払いながら、その人々の非難、その人々の嘲笑い、全部担いながら、イエス・キリストを生むようになったんです。
私たちが考えます。日本で教育礼拝堂もない、20人しかできない私たちの小さな小さな教会、私たち。
回復とリバイバル、大収穫、主の祭りも備える、お前たちがそんなことができるはずがないんじゃないかと、みんな思います。
しかしデタラメのように聞こえるこの話に、私は人生を賭けます。
私たちに人生を賭けましょう。そうするなら神様は小さな群れである私たちをどうして、
神の大きな最後の時の神様の素晴らしい神の計画を成し遂げてくださるでしょう。
私はメリークリスマス、メリークリスマスと言う前に、私は今度のクリスマスはこのような希望、
このような夢を持って、私たちはこのクリスマスを過ごしていければと思います。
神様は私たちの小さな群れを通して、神様の大きな見業を成し遂げてくださるはずの神の約束を私たちは抱いている。
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この約束を大切にしながら、これから私は、私が死ぬまでどのくらい時間があるかわかりませんけど、
私の人生を主に捧げますという、それの覚悟で行っていきましょう。
なら、今私たちの存在、日本の偉い人たち、優れた方たちに比べて何もないんですけど、
神様の前には一番価値がある私たちになれるんじゃないかと思います。
お祈り致します。
主よ、死の陰に座っている人たちに光が照らされたように、
2021年度はコロナによって、まだ世の中の問題によって抑えられている私たちに、
イエス・キリストの福音、イエス・キリストの光が照らされてありがとうございます。
どうかどうか、でたらめに聞こえる、本当に私たちの身分が低い私たちが何ができるかと思うんですけど、
主を信じたいです、信じます。
回復とリバイバル、大祝福、主の再臨のビジョンを、そのビジョンに私たちができることを、
すべてができるように私たちの教会を祝福してください。
私たちの家族一人一人に豊かな恵みを与えてください。
イエス・キリスト様、来られたことを本当にありがとうございます。
再臨なさるイエス・キリスト様を待ち望みます。
イエス・キリスト様の皆を通してお祈り致します。
アーメン、アーメン。
34:45

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