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今日は 私たちの信仰生活は礼儀的な戦いでありますということを対応もってメッセージを分かち合いたいと思います。
私たちは新年 初めに大事な大事なメッセージを語ろうと今しているところなんですけど
先週は私たちの教会のアイデンティティ
ぶどうの木の生活についてメッセージを分かち合いました。 ところがぶどうの木の生活をするなら
必ずついてくるもの 尋ねてくるものがあるんですけど
これが今日分かち合いたいという礼儀的な戦いということです。 今日の聖書の文脈を少し考えていきましょう。
中古書の1節から何が書いてあるかと言いますと 私はぶどうの木あなたたちはその枝である
枝がぶどうの木につながっているなら身を結ぶ つながっていないなら身を結ぶことができない
という話をずっと知っているんですけど この次にいきなり18、19節に
世があなたたちを憎むならという言葉が出てきます どんな意味ですか
ぶどうの木の生活をするなら この世がこの世ってことはサタンですね
サタンがあなたたちを憎むんだということです だからぶどうの木の生活には礼儀的な戦いがあるということです
今まで私たちにあった 理解ができなかった個人的に家庭的に教会的に様々な問題
これが今日のメッセージで少し理解ができればと思い また今年もこのような可能性がありますので
礼儀的にしっかり武装してこのような問題と戦って勝利を収める私たちになりたいと思います
礼儀的な戦いは相手がいるでしょう 相手ということはサタンです
このサタン相手であるサタンがどのように働くのか また私たちはこのサタンに向かってどのように勝利するのか
これを今日礼儀的な戦いの中で学んでいきたいと思います 皆さんサタンは誰を攻撃しますか
ブドウの木の生活をする人を攻撃する サタンは聖書の中では空中の勢力を持つもの
この世の神という言葉を使います このサタンは
自分をうまくついてきてくれる人たちには 恐れを入れて支配します自分にうまくついてくる人
03:11
サタンは臆病の例ですから サタンは自分をうまくついてくる人たちには
恐れを入れて支配します だから皆さん怖い怖いと言いながら
ついていかなければいけないような人たちがたくさんいます しかし自分についてこない人
信仰がいい人とか信仰がいい教会は サタンは敵として思って
集中的に攻撃をします サタンの手法は何かと言いますと
サタンは偽りの父と言います 好きを狙って
偽り 騙すことによって私たちと戦いを挑みます
ですから霊的な戦いは真理と偽りの戦いと言います マタイの24章で見ますと
最後の時の信仰生活についてお話しするんですけど 惑わさないように気をつけなさい
目を覚まして祈りなさいと言います なぜなのか
ヨハネチュッショチュッ説で見ますと 盗人が来るのは盗んだり彷彿ったり
滅ばしたりするほかならない 盗んだり彷彿ったり滅ぼしたりします
霊的な戦いに負けるなら 全部奪われます
ですから私たちは霊的な戦いに必ず勝たなければいけない
今日のメッセージは非常に大事なメッセージなので ぜひ覚えていただきたいと思います
まず初めに 私たちは霊的なことについてぜひ知らなければなりません
知らなければ騙されます ですから私たちはぜひ知っていかなければなりません
人間は霊と魂と体を持っています
それを持って考え
言葉 行動で何かをします
考えを通して言葉を通して行動を通して何をするのかが大事です
わかりやすく皆さんこのように考えていただきたいと思います
私の隣に神様もおられます
私の隣にサタンもいます 私が何を考えるか
何を語るか どんな行動をするかによって
神様も働くことができるし サタンも働くことができるんです
本当に霊的にニュートラル情はありません
06:03
これは信者であり未信者でありみんな同じ条件です
ここに大事な霊的な法則があるんですけど
ローマ書6章中6節です
知らないのですか あなた方は誰かに奴隷として従えばその従っている人の奴隷になる
私たちが誰に従うのか 従う者の奴隷になる
これは旧約聖書の忘世の神明記でも同じです
見よ私は今日 命と幸い死と災いをあなたの前に置いた
だからあなたは何を選択するのかどこについているのかこれが大事だということです
じゃあ皆さんエヴァ創世記3章でエヴァは 神様は善悪の知識の木の実は絶対食べてはいけないよって言いました
サタンは食べていいよ食べるならあなたは神様みたいになるよ
エヴァは誰に従いましたか 皆さん今も私の隣で神様とサタンがいて私にいろいろ声をかけます
ある人は敏感ですそれをよく聞きます 信仰が良い人は神様の見声をよく聞きます
信仰が悪い人また世の中の人々は悪魔の声をよく聞きます 不思議ですね
サウルはタビデを妬んだりまた憎しんだり いつも殺そうとしました
妬み憎しみ殺す心 その心には誰が働きますか
イスカリエとユダはイエス様をついていきながら イエス様の教えをいただきながらイエス様を行われる奇跡も見ながら
お金をもっと愛しました 結局イスカリエとユダは誰に捕らえられましたか
私が考えと言葉と行動によって 信仰を行うなら神様が働きます
私は考えと言葉と行動によって不信仰を働くなら サタンが働きます
私がサタンを選択したということです 愛と許しと感謝をするなら神様が働きます
憎しみと恨みと呪いをするなら悪魔が働きます 神を賛美するなら神様がそこに来ます
イスラリの賛美の中におられる神様 神様に恨み不平
神様呪う人もいます そこには悪魔が働くでしょう
ところが神様は誘惑しません 強制的になさいません
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悪魔は積極的に誘惑します 悪魔は火の矢を射ります
そして私たちに何かを攻撃を直接語ります ところが私はそんなことを知らなかったんですよ
私はまだ幼いから私はそんなことはわからないから
皆さん悪魔サタンは 幼い人だって働かないんですか
以前私たち悪霊を追い出す働きそれを学ぶときに 霊力の問題がたくさんある人とほとんど
幼い時に悪魔にやられて 続けて苦しみがあり
もういろいろ問題があり失敗があり 悪魔が働くなら皆さん必ず失敗しますよ
いくら頑張って良い方を選ぼうとしても 悪魔の働きは全部間違えるように
失敗のところに導かれます
弱音中傷中切 盗人が来るのは 悪魔が来るのは盗んだりほほったり滅ぼしたりするためにほかならない
エーバーはエデンの園を失いました サウルは家がダメになりました 息子も戦争で死にました
イスカリとユダは自殺しました サタンに騙された人は全部
悲惨な状態になりました 皆さんこれは今も
同じです 世の中に過ごしている人たちの中で
すべての不幸の裏にはサタンが存在します
サタンはある人を大好きな人がいます サタンはある場所を大好きな場所があり
ある雰囲気を大好きな雰囲気があります いつも戦ったり憎しんだり悲しんだり
怒ったり不平不満をするところには サタンにやられやすい
歓楽街 これは悪霊がうじゃうじゃしています
各家庭に愛と賛美と感謝が満ちあわれるなら そこには神の霊が必要なんです
しかし夫婦が喧嘩して不安になって 子供を殴ったり泣いたりそうするなら
悪霊が 悪しき霊が働いて子供たちに霊力の打撃を与えます
教会でも祈り賛美見言葉が豊かであるなら そこには
精霊の豊かな働きがあるんですけど 教会も分裂したり戦ったりいろいろ裏話をするなら
サタンがその教会を支配します 皆さん1回2回そのことをやるんだってサタンは取られることはないんですけど
12:05
繰り返しまた 程度がひどいならサタンにやられます
私の家庭は みんな空城を拝むじゃないですか
空城を拝んでもある程度だったらそんなにひどくやりません 私たちは空城を
本当に真剣に戦場代々熱心に拝みました
だから悪霊に私たちの家門はやられたと思います
その故人この家その教会
すべて奪われすべて殺されすべて滅亡されるようになります
ですから各家庭 一番大事なのは夫婦でしょう
夫婦がその家庭をどのように作っていくのか そこにその家庭の幸せまた子どもたちの将来がかかっています
同じです教会も同じです 教会はどのような不意義を作っていくのか
この教会に神様が働くのか悪霊が働くのか決められます 皆さん教会は牧師伝道師の責任じゃありません
私たちみんなの責任です これをよくよく考えていただきたい
ダビデの幕屋では賛美と感謝と恋愛が満ちあわれるからそこには精霊が豊かに働きました
だから私たちは精霊さんは神様が豊かに働く場所を作っていかなければなりません
創世記3章でサタンが考えから言葉から疑い否定的な考えを入れたら その話にエヴァは騙されてしまいました
創世記2章で神様から素晴らしい祝福をいただいたのに それがあっという間に失落園
すべて消えてしまい恨みと不安と喧嘩 もうお互いに憎しみが満ちあわれる
この世になってしまいました 皆さん霊的な戦いよく知らなければなりません
幸せすべて奪われてしまいます もっと具体的に考えていきましょう
サタンは後人を倒します 真理を知らない人
罪を軽く考える人 罪を軽く考える人が多いです
家計に流れる呪いが多い人 実行中心的な貪り
野望 欲望が他の人と比べてもっともっとある人がいます
その人たちは非常に危険です 皆さん私は
負けず嫌い 負けたくない
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欲が大きいです 家の中で偶如崇拝が強いです
もし私が牧師にならなかったらどんな人間になったのか
たぶん むさぼりで満ち溢れた
欲ばかりの人間 非常に危ない人間になってしまったんじゃないかと思います
悪魔は罪を通して働きます 真理を知らないで惑わされる人たちを通して働きます
まだ欲をコントロールできない人たちに支配します
第一ペトロ三章八節 罪を犯す者は悪魔に直します 悪魔は初めから罪を犯したからです
第一ペトロ五章七節八節 思いはゼロよは何もかも神にお任せしなさい
神様があなた方のことを心にかけてくださるからです
身を慎んで目を覚ましていなさい あなた方の敵である悪魔が吠えてあげる
獅子のように誰かを食い尽くそうと今も探し回っています
私たちがこの罪 惑わされること このサタンのことに気をつけなければ
サタンに攻撃を受けてやられたら 私たちは罪の奴隷になります
罪の奴隷ってことは 罪を犯すことを私が犯すんじゃなくて
もう犯すしかない人間になって 罪が習慣的に犯しやすい人になります
皆さん罪というものは私たちのすべて良いものを奪っていくものです
だから幸せな人生にはなれません
不幸な人生になるしかないものが 罪をやりやすい罪を犯しやすい人になること
これが罪の奴隷特徴でしょう また罪を犯すほど霊的な知覚がなくなります
霊的な分別力がなくなります 罪なのに罪を犯しなのに罪を犯しているということはわからないんです
両親に夜勤をされているような状態になります もっとひどい状態になったら
自分が犯した罪を弁明します 擁護します そして神を敵対する場に出ていきます
ローマ書1章32節最後にこの言葉があります 自分でそれを行うだけではなく他人の同じ行為を
全員している 自分だけ罪を犯すじゃなくて他の人が罪を犯すならよくやったよくやった
そして罪を犯すことを雰囲気を作っていく これは神様に徹底的に敵対するものでしょう
その中で幸せがあるかないんです このような人たちはイエス様に出会えなければ罪の結果はこの世で幸せ全部奪われ
18:10
殺されそして滅亡されて地獄に落ちてしまう ですから私たちは必ず勝たなければいけます
私たちの力ではできないからイエスキリストの名によって見事ばと精霊によって勝たなければなりません
罪の中にいる人が罪から解放され神の子供になるのには
パウルのように目からウルコが落ちるような 自分は全く見えない状態から見える状態になる
本当に変革が必要なんです その時に彼の人生が変わるようになるでしょう
またサタンは教会を攻撃します サタンが一番嫌われるものは信仰がいい人です
また命がある教会を嫌われます ですから攻撃します
ブドウの木の生活をするのになぜ攻撃しますか その人には命があるからです命を奪いたいんです
悪魔は教会をどのように攻撃するのか これ今十字架の福音で学んでるでしょ
一割の信仰の体系を通して 教会を攻撃します
自己を中心的な一割の信仰 この信仰は信仰生活するんだとしても
イエス様に出会うことはできません 神の命を持つことはできません
儀式ばっかりやります 教会に来て神様に対して自分のやる儀式をうまくやった
信仰生活をうまくやってるんだという 本質じゃなくて儀式ばっかりやってます
また教会に来ても狭い門から 細い道に行くんじゃなくて広い道に行く
また砂の上に家を建てるような 家を建てるのにあまり考え方がないでしょう
適当にやっているこのような信仰 まだ無儀じゃなくて独無儀を身を結ぶような
これが自己中心的な立法主義 陳本主義 五略信仰です
これは全部一割です これは無駄です
なぜ無駄な信仰生活をするかということです 今年私はぜひとも無駄な信仰生活をやめましょう
命とご臨在と神の恵みが満ちあわれる 信仰生活をやりましょうということ
これが私たちの教会が新年の初めから 目指していることです
自分の目的のため自分の方法で自分の資源で 信仰生活するような教会は命がないんです
21:01
その信仰生活は悪魔が サタンが応援してくれるかもしれません
しかし神中心的に神のご臨在と命がある教会は攻撃します そして分裂させます
そしてこの教会がダメになるようにします なぜならそのような教会は血の果てにまで福音をつくられて
イエス様が来られるならサタンの時が終わりになるからです サタンがどれほど緊張するでしょうか
そのような教会現れてはいけない 命ある教会はダメだダメだ 攻撃しなさい潰しなさい
徹底的に攻撃します ですから回復とリバイバルを求める新しい川袋教会は
私たちいつも言うでしょう この働きは偉大な働きです
偉大な働きには大きな霊力な戦いがあります この霊力な戦いには
代価の支払う覚悟をしなければなりません じゃあでは3番目ですどのように礼儀的な戦いで勝ちますか
第一要は3書8節には罪を犯す者は悪魔に直します 悪魔は初めから罪を犯しているからです
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ 神の子イエスキリストが来られた
要は8書8節には盗人が来るのは 奪ったり殺したり滅亡することのために来る
私が来たのはイエスキリストが来たのは羊が命を受けるため また豊かに受けるために来た
霊力な戦いは誰によって勝つのかイエスキリストです イエスキリストの御言葉
イエスキリストの霊である聖霊様を通して勝ちます イエス様はこの霊力の戦いのために十字架で死んでくださり
また復活を通して私たちは贖ってくださったんですけど 悪魔の問題罪の問題罪の罰である呪いの問題
これはイエスキリストの十字架の地死を以外は解決する方法はありません 立法でほとんどのすべてのものが立法に従って地で清められ
地の流すことがなければ罪の許しがないと言う 皆さん罪は地で解決します
地ってことは命です だから罪は命で解決します
罪のために誰かが死ななければいけない 旧約時代には罪がない動物がたくさん死んでいきました
新約に入ってイエスキリスト罪がないイエスキリストが 十字架で地を流すことによって私たちの罪を許してくださり
悪魔を滅ぼしてくださり 私たちは神の子供として天国に導かれます
24:05
ですから皆さんイエス様がいない人生 信じていない方々
その方たちはサタン罪罪の罰呪い 地獄を避ける道がありません
私はイエスキリストの福音をして どれほど嬉しかったのか
イエス様を知らない世の中の人々は宗教を拝んだり哲学 自分の熱心でなんとか幸せを求めるんだけどできません
皆さん呪いは努力で解決できないものです 闇の中にいる人は太陽の光が照らされなければ闇から脱出する方法はありません
ご存知ですけど私が進学校の時に 呪いの中にいる人たちをたくさん出会ったと言いましょうか
その中でイエスキリスト私は答えを持っているんだ 人生の答え
罪から地獄からサタンから呪いから 私たちが解放できる救われる答えを持っているんだってことは
私が福音を伝えれば伝えるほど確信が来ました ですから人を見たらイエス様信じなくてどうしようという
涙が出たんです イエス様信じないですかどうするつもりですか
イエス様信じなければ大変ですよ サタンに勝ちますか罪どうするんですか
罪の呪いはどうするんですか あと地獄どうするんですか
あなたは100年はこの世の100年 次は永遠な地獄があるんで
永遠な天国に行くのか永遠な地獄に行くのか 世の中でうまく食べたりうまく生きたりこれは何にもないんです
永遠な地獄に行ってしまえばあなたの人生どうなるんでしょう あなただけですか
あなたの子供たち子孫子子孫全部そこに行くんで あなた一人イエス様を受け入れて
イエス様を通して神の子供になり天国を所有するものになることはどれほど大事ですか 涙が出たほどです
福音の情熱と言いましょうか 可哀想で可哀想でたまらない
イエスキリストによって勝ちます イエスキリストによって全てを乗り越えることができます
霊的な戦いはイエスキリストの皆によって勝ちです ぜひ覚えてください
また私たちができるものは鳥無し祈りです 皆さん誰が悪魔に毎日倒れるか
霊的な力がない人はいつも倒れます イエス様がペトロにこう言います心が燃えても体は弱い
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ペトロは心を燃えて体が弱いなのに人々の前では偉そうにホラーを吹く このような人なんですよ
みんなが死を捨てても私は絶対私は死んでも死を捨てません ホラーを吹く人だったんです
一割でしょ傲慢でしょ 皆さん一割と傲慢をするなら誰が働きますか
悪魔が働くんじゃありませんか だから傲慢する偽りをするペトロを
悪魔が彼が私の属性に従っていくから ペトロを私にくださいと言ったんです
その時イエス様がペトロのために鳥無し祈りをするんです だからペトロがサタンに奪われることを保護して守ってくれたんですよ
これがルクワの21章31節32節です
シモンシモンサタンはあなた方を小麦のようにふるいかけるために請求した しかし私はあなた方のために信仰がなくならないように祈った
イエス様の鳥無し祈りのゆえに ペトロは守られたんです
皆さんこれがどれほど大事なのか 私たちも今サタンの攻撃にあっている人たちが大勢いるんです
サタンに奪われたらどうするんですか だからその人たちのために私たちができるのは鳥無し祈りです
主よ彼を守ってくださいイエスキリスト父主を祈ります 彼を保護してください守ってください
あなたの皆によってサタンを滅ぼします 彼を守ってくださいという私たちの切なる鳥無し祈りが
私たちを愛する方たちを守ります 鳥無し祈りが大事ですよ皆さん
だから私は金曜日の鳥無し祈祷会で集まる方たちに感謝します また各家で鳥無し祈りをされる方は本当に感謝しています
鳥無し祈りを通して礼儀的な戦いに勝つし 礼儀的な戦いに直面している兄弟姉妹たちを助けることができるんです
今私たちは個人的に教会的に礼儀的な戦いの第一線に立っている状態です
全てを礼儀的な戦いの観点から見て 鳥無し祈りを通して
私たちは愛する方々共同体を守っていきましょう じゃあ皆さん
私たちの教会の中で礼儀的な戦いが一番激しい家庭はどこだと思いますか 牧師の家庭と伝道師さんの家庭です
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ぜひとも皆さん祈りで毎日覚えていただき 神様の十字架の秩序によってリーダーが倒れるなら教会どこに行きますか
大変でしょ だから教会は安全な避難所ですから
私たちの教会が問題がならないように サタンに攻撃をやられないように皆さんの祈りで守る
最後にもう一つ サタンは誰を通して働くのか
呼吸一章7節を見ますと サタンが神の前に立って
呼吸を訴えるんです サタンが神の前に立って呼吸を訴える
これがあり得るんですか 神は光でサタンは闇なのに闇が光の前に立つことができるのか
だからリクジョイの先生はこの部分を解釈するときに サタンが立ったというよりはサタンの家来たち
人間の中で信者の中でサタンの家来の役割をする人たちが 神の前に立って呼吸を訴えるということで理解した方がいいんじゃないかということを教えてくれます
皆さんイエス様を一番攻撃した人はどなたですか イエス様が誰によって一番辛かったんですか
宗教主導者なんですよ 未信者ではありません 宗教主導者信者たちによってイエス様を十字架にかけられ亡くなられたんです
私たちを一番苦しめる人は 世の中の未信者ではありません
信者たちが私たちを一番苦しめるんですよ リクジョイの先生のファイナルケストという本で悪魔が最後の時
教会を攻撃するんですけど馬に乗って弓を射るということです 馬が何かを見たら信者たちです
弓で射るということは信者たちが語る無意味で無闇に語る言葉 口から出る言葉によって教会が潰されていくということです
どんな意味かわかるでしょう 皆さんぜひとも私たちの教会がしっかり守られるためには言葉を注意しなければいけません
特に他の教会が私たちをどう見るかどんな噂があるのか こんなことを無視してください
これを教会に持ち運んでこないようにしてください これが全部教会を潰す働きになります
私は今教会は安全に守られています 前はひどかったですね
本当にそれが難しかったんですよ それで信徒たちの心がだんだんくじけていき
また教会全体も打撃を受けたことはありますけど ぜひとも
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私たちは信仰の話 恵みの話 祝福の話
お互いに愛を持って立たせる話をよくやっていくなら 教会は安全に守られると思います
私たちは個人的にイエス様と親しい魔女の中で 自分の信仰をしっかり守っていきましょう
自分の信仰を守っていく方法があります 感謝と悔い改めと他の人を許すこと
これをぜひやってください 感謝と悔い改めと他の人を許すこと
これが礼的な健康を守る秘訣なんです また教会的には
命がある神中心的な信仰をしっかりやって 他の何か周りから影響を受けることがないように
お互いに言葉を気をつけて またいろいろなトラブル いろいろな問題 いろいろな苦しみの中にいる方たちを
とりなし祈りで守って助けてしっかり導いていく このような働きが教会しっかりするなら
教会は健康になります 個人が健康になって教会が健康になるとき
私たちは 木であるイエス様にしっかりつながっていることができます
神中心的な信仰になってイエス様の木にうまくつながっている 私たちになりましょう
そうするなら木であるイエス様が 農夫である神様が
ブドウの枝を
病虫害から守ってくれるように 私たちを霊的な戦いから守ってくれるでしょう
皆さん霊的な戦いは絶対勝たなければなります 負けたらすべて奪われてしまいます
特に考えを清くやりましょう 言葉を清くやりましょう
行動を清くやっていきましょう そして2022年は勝利の一年になります
個人的に教会的に私たちは勝利する 勝利を収める私たちになりましょう
お祈りいたします 主よ今日は霊的な戦いについて
お話を分かち合いました 信仰生活は霊的な戦いです
特にブドウの木の生活 命とゴリンジャーがある教会はもっと攻撃されるんだと
今日学びました 私たちはイエス様によってまたイエスキリストなによる
取り直し祈りによって私たちをしっかり守っていく そして教会の中のすべての方々を守っていく
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教会にならせてください 私たちにもっともっと神の恵みを与えてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします アーメンアーメン