1. 名谷教会 podcast
  2. 2011/07/17:聖日礼拝(旧音源)
2011-07-17 43:25

2011/07/17:聖日礼拝(旧音源)

2011/07/17 聖日礼拝(旧音源)


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使徒の働き、5章の38節から42節を拝読いたします。
そこで今、あなた方に申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。
もし、その計画や行動が、人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。
しかし、もし、神から出たものならば、あなた方は、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。
もしかすれば、あなた方は、神に敵対するものになってしまいます。
彼らは軽に説得され、人たちは呼んで、彼らを鞭で打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡した上で釈放した。
そこで人たちは、皆のために恥ずかしめられに値数も落とされたことを喜びながら、受け合いから出て行った。
そして毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを述べ伝え続けた。
それでは、聖歌隊の方々に、新聖歌の388番を賛美していただいた後に、
藤田先生から、「助けは神から来る。」と題してメッセージを語っていただきます。
人も良き者を、君に捧げよ。
熱きながら踊ろう、若き力を。
色彩に鮮み、果てを笑おう。
憎され続き、悪とは離れ。
人も良き者を、君に捧げよ。
熱きながら踊ろう、若き力を。
人も良き者を、君に捧げよ。
03:03
躊躇わず君のように染まれよ。
勇ましく褪せる、イエスよ神よ。
恋として離れ、愛し疲れよ。
人も良き者を、君に捧げよ。
熱きながら踊ろう、若き力を。
人も良き者を、君に捧げよ。
君は命を、誰に構えり。
十字架の死を、拝み構わず。
甘い色笑させたまに。
人も良き者を、君に捧げよ。
熱きながら踊ろう、若き力を。
熱きながら踊ろう、若き力を。
06:13
一周の始めの日の朝、主の復活を 記念してのこの礼拝を、今日もあなた
に捧げます。
この礼拝の主であるあなたが、 私たちが捧げる礼拝を受け入れて
くださり、そして伴って最後まで お導きくださることを信じて委ねて
います。
あなたは私たちに生ける水を与え、 そして私たちが渇くことのない
ようにこの魂の渇きを覚えている ものに、どうぞあなたの命の水を
今注ぎ、そしてまた精霊の力を与 えて、それぞれにお送りくださる
ようにお願いをいたします。
世にあっては悩み苦しみまた困難 のうちにある人たちがいます。
滅びへと向かうその魂にどうぞ 命の水が行き渡りますように、福音
があまねく伝えられますように、 どうぞこの教会の働きにもあなたが
覚えてくださり力を与えてくださる ようにお願いいたします。
今日も御言葉を通してあなたの 御旨を教えてくださり、またそれぞれ
を励ましまた慰め、そして私たち に与えられているその使命を十分
果たすことができるように精霊 様をどうぞ私たちが覚えて力を
与えられますように導いてください。
今からいただきます御言葉のうちに どうぞ死をあなたが望んでくださり、
また私たちもそれをしっかり受け とめることができるように整えて
ください。
今からの一時、委ねて主キリスト の皆によってお祈りいたします。
アーメン。
暑い日が続いております。
会うたびに暑いですねと当たり 前のことを言いまして本当に暑い
ですねというそれが挨拶なので ありますけれどもそういう暑い
中でも今日もこうして皆さんが 励んでこの御堂へと来てくださった
あるいは精霊様が送ってください ました。
本当に感謝であります。
そういうことを思いますときに 牧師はだめだなと思うんです。
家が近いもんですから通うということ がないので本当は十時前ごろに
明宝寺駅ぐらいまで降りて行って そしてここに駆け上ってきてそして
皆さんと一緒にどれだけ教会礼拝 に来るのが大変かということを
身をもって知らないといけない と思うんですね。
09:03
そうして励んで来てくださった 神の国と神の儀をまず第一に求めて
こられたそういう方々に神様は 何も持たせないで帰らせるような
ことは決してなさらない。
そしてそういう大変暑い中あるいは 冬には寒い中神様を求めてきて
よかったと礼拝に出てよかった そしてたくさんの恵みとまた力
をいただいてこれからまたやって いけるというそういう礼拝であって
いただきたいとそう願うわけです。
今日も使徒行伝使徒の働きの五章 を開いていただいております。
主の弟子たちがここでは使徒と 呼ばれています人たちが宣教の
働きに出ていくわけですね。
その働きの背後にあってその働き を支えたのが精霊なのだということ
が聖書が言っていることなんですね。
ですから使徒の働き使徒行伝と 言いますがすなわちそれは精霊
の働き精霊行伝なのだと言われる ゆえんなのであります。
ですから当時この宣教が進めば 進むほど迫害が厳しさを増した
ということが書かれてあります しそしてその困難を乗り越えれば
乗り越えるほどまた宣教が進んで いくそして次々と神の御業がなさ
れて教会が生み出されていった そのことを使徒行伝は私たちに
教えているわけです。
そのように当時の教会が多くの 課題困難がありながらも生き生き
と活動している様がこの使徒行伝 に描かれているわけです。
今日日本の教会あるいは世界にある 種の教会がすべてこの当時の教会
と同じように祝福されてそして 御業がなされていることを信じ
望みそして願うわけですがもし その教会の中に記録を失っていた
りあるいは活休をなくしている そういうもし教会があるとする
ならば実際にあります。
その一つの原因は何だろうかと思 うんですがそれはやはり教会に
託されたその使命である魂の救い のために教会が一致して宣教の
働きに取り組んでいるかどうか ということですね。
もし宣教の働きに取り組んでいない とするならばあるいは取り組め
12:05
ないような状況にあるとするならば その結果として教会は気力を失い
活気を失いそして命さえもなく してしまうそのことが言えるわけ
です。
ですから私たちはもう一度この 衆議院大臣の宣教命令である全
世界に出てき全てつくられたもの に福音を述べ伝えようとこの言葉
をもう一度私たちは覚えてそして この使命に預かるものとさせて
いただきたいとそう願うわけです。
きょう開いていただいています 使徒の働きの五章のテーマはこれは
聖書全体のテーマとも一致するん ですがいわゆる神か人かということ
ですねそういうことがきょうの 五章の中でも言われているそんな
気がいたします。
イエス様御自身も神でありながら 人となってこの世に来てその救い
の御業をなしてくださった私たち もいわばこの世という人の世界
の中に生きながら神の国と神の 儀を求めるというその信仰に生きる
そのような神あるいは人そういう 中に私たちはいつもこの信仰の
導きとまた試みを受けていると 言えます。
この使徒の働き五章の中にもその ことが出てくるわけです。
まず五章の一節からこの十一節 のところなんですが読んでみます
一節からところがアナニアという 人は妻のさっぴらとともにその
持ち物を売り妻も承知の上でその 大金の一部を残しておきある部分
を持ってきて使徒たちの足下に 置いた。
そこでペテロがこう言ったアナニア どうしてあなたはサタンに心を
奪われ精霊を欺いて辞書の大金 の一部を自分のために残しておいた
のかそれはもともとあなたのもの であり売ってからもあなたの自由
になったのではないかなぜこの ようなことを企んだのかあなたは
人を欺いたのではなく神を欺いた のだアナニアはこの言葉を聞く
と倒れて息が絶えたそしてこれを 聞いた全ての人に非常な恐れが
生じた青年たちは立って彼を包み 運び出して葬った三時間ほどたって
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彼の妻はこの出来事を知らずに 入ってきたペテロは彼女にこう
言ったあなた方は辞書をこの値段 で売ったのですか私に言いなさい
彼女ははいその値段ですと言った そこでペテロは彼女に言ったどう
してあなた方は心を合わせて主の 御霊を試みたのですか見なさい
あなたの夫を葬った者たちが戸口 に来ていてあなたをも運び出します
すると彼女はたちまちペテロの 足元に倒れ息が絶えた入ってきた
青年たちは彼女が死んだのを見て 運び出し夫の傍に葬ったそして
教会全体とそのことを聞いた全ての 人たちとに非常な恐れが生じた
このところで私たちはまず第一に 四節の中にありますあなたは人
を欺いたのではなく神を欺いた のだ人を欺いたのではなく神を
欺いたのだここに人そして神ということ が出てきております この五章の最初
のところに当時の教会で起こった 一つのショッキングな出来事が記
されていますアナニアとサッピ ラという夫婦が打った辞書の
代金をいわばごまかして使徒たち のところに持ってきたその結果
として彼らは裁きを受けて生き 絶えてしまったという話であります
この辞書がどういうものであった のかということについては詳しく
書かれていません 私たちがここから わかることは彼らが打ったその
代金の一部を自分のものとして そしてこれが代金の全部ですと
偽ったことそのことはわかります しかしなぜこのようなことを彼ら
がしたのかそれは一つの理由として 三節にあなたはサタンに心を奪
われてそして精霊を欺いて辞書 の代金の一部を自分のために残
しておいたと記されています サタン は常に人の心に付け入ってそして
神様から離れようとさせる罪を 犯させようとするそういうものである
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三節はサタンに心を奪われたわけ ですが恐らく彼らは考えたに違い
ありません使徒たちといえども 人間であるその人間をだますこと
などたやすいことだうまくやれば 欺くことだってできるのだしかし
その偽りは暴かれてしまったわけ ですそれは全てを御存じの神その
方がそれを知っていた神が全知 全能であるというこれは私たち
の知るところであります しかし ここでペテロが言っていることは
少し違うわけです人をだます ことはできても神をだますことは
できないということではなくて あなたは人を欺いたのではなく
神を欺いたのだいわゆるあなた はあなたは人を欺いたつもりで
いるのでしょうが実は神を欺いた のですということですねこの辞書
は恐らく彼らの私有財産でもあ ったんでしょうが同時に神の所有
物でもあったと考えられますその 神の所有物に手を出して自分の
ものにしようとしたこれがサタン によって導かれた彼らの罪であった
わけです神の所有物あるいはこの 所有権を犯してしまった神の土地
でありながらそれを神の土地とせず 自分の土地のようにしてそれを
自分のものにしようとしたその 裁きを彼らが受けたということであります
人は誰でもこのような相待ちを いたしますがもしそれが単純に
人をだますというようなことである ならばそれもいけませんけれども
イエス様がそういうことも知って 人間の弱さを知って十字架にか
かって祈ってくださった父よ彼 らをお許しください彼らは何を
しているのかわからないのです そのイエス様の十字架の祈りを
通して許されるかもしれないしかし 精霊をけがす罪は許されない神
を侮る神を欺くことは許されない という厳しい見言葉があります
私たちはこのあなにやさっぴら の出来事を通してもう二度とこういう
ことがないように願うものであります しもうこういうことは十分です
21:04
と本当に真剣に祈るわけですね そしてサタンがつけ入ってまた
このような神様の所有物その所有権 を侵すようなことがないように
もう一度主の御前にひれ伏すもので なければならないと思います神
がおつくりになった全てのものは 神様に所有権があります神様の
ものでありますですから神のものは 神に返すべきでありますし今私たち
が与えられているのはあるいは 委ねられているのは使用権ですね
神様がお前たちが自由にこれを 用いてよろしい使ってもよろしい
そしてこれをお前たちに委ねよう と私たちは神様のものを託された
そういうものでありますねしかし 決して間違ってはいけないのは
神様のものを我が物のようにする ことがあってはならないいわゆる
私物化をしてはいけないということ この宇宙もそしてこの地球もそして
自然もみな神様がおつくりになり 神様のものである私たちのこの
体も人として神様がおつくりくだ さったその神様のものを壊すような
ことがあってはいけない感謝をし 託されたものを十分に用いさせて
いただくそしてさらにそれを豊か にして神様にお返しするもちろん
託され委ねられそのときにはそれを 謳歌しそして感謝しそれを用いて
私たちが幸いを得るわけですね しかし神様が私のものだからそれを
返しなさいと言われたときには ありがとうございましたこれこれ
をあなたにお返ししますという 神のものは神に返すべきである
そして願わくはもっと豊かにして お返しするというそれが私たち
に委ねられているまた幸いであろう かと思いますここにあなたは人を
欺いたのではなく神を欺いたの だそのことをきょうもう一度この
言葉を覚えて決して神を欺くことのない ようにそして神様のものをしっかり
と私たちは覚えてそしてそれを 用いさせていただくあのタラント
のたとえにありましたように私たち が神様から与えられているその
24:03
賜物それを土に埋めて隠してそれを 用いないとするならば神様はそれを
喜ばれない私たちに託されたその 賜物も豊かに用いさせていただき
二タラントのものを二タラント のままにせず五タラントにし五
タラントのものは十タラントに したとえ一タラントであっても
あるいはそのもっと以下であっても 与えられたそのタラントをしっかり
と用いさせていただくこれが私たち に与えられている恵みであろう
かと思います 第二番目に十二節から三十三節
のところでここでは使徒たちが 宣教の働きをする上でこのことを
よしとしない人たちがいたということ ですねこれは今日にもあろうか
と思います彼らの宣教の働きを 阻止しようあるいはそれを嫌う
者たちがいたということそのことは 例えば十七節で大祭司とその仲間
たち全部すなわち茶道会派の者は みな妬みに燃えて立ち上がり使徒
たちをとらえ隆起所に入れたあるいは 二十七節彼らを議会の中に立た
せてそして使徒たちを問いただ した責めたということですねあるいは
三十三節に至りますと彼らは怒り 狂いそして使徒たちを殺そうと
図ったそのようないわば迫害そして 彼らは責めに遭ったわけであります
そして彼らは何を言ったのかそれは 二十八節のところで大祭司たちは
あの名によって教えてはならない と厳しく命じておいたのに何ということ
だとですから彼らはイエスキリスト の名によって何も教えてはならない
そういう福音宣教の働きをしては ならないあるいはそのものを信じ
たりすることはならぬというわけ ですこれが彼らの使徒たちへの
命令です当時宗教会のリーダー たちでありましたその人たちは
使徒たちに対して教えてはならない あるいは信じてはならないと命じ
たわけでありますそれに対して 使徒たちの答えは二十九節ペテロ
をはじめ使徒たちは答えて言った 人に従うより神に従うべきです
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あるいは人の言葉に従うよりは 神の言葉に従うべきですここに
人神ということが出てくるわけ です私たちは使徒たちと同じように
信仰を持ってそして聖書を読み そして聖書の言葉を信じそして
主イエスを我が神として信じる この信仰に生きているものです
そういう中にあって人間の世界 に生きているものそういう中で
人の言葉というものを常に聞き そしてそれをも私たちの生活の中
に生かしあるいはそういうもの の中に私たちは生きているそういう
ものですねしかしその人の言葉 あるいは人そして神の言葉神どちら
に従うのかということを改めて ここでも問われるわけですペテロ
たちは人に従うより神に従うべき ですこれはイエス様が弟子たちまた
私たちに語られたそのお言葉日々 自分の十字架を覆って我に従え
そうおっしゃったわけですその 言葉を思い出してペテロを始め
人たちは私たちは神に従います そのように言ったわけです私たちは
この人間の世界に生きているもの としてそれじゃ人の言葉を全て
無視してそして全く人に聞かず 人に従わずただただ神そして神
の言葉に従うべきだというわけ ですが決して私たちが間違って
はいけないのは私たちはやはり 日常生活において何かわからない
ことがあると人に尋ねもします 人に相談もしますあるいは人の
御意見もお聞きまた人にも教えて いただかなければならないそういう
ものですねですから決して単に ただ人に従ってはいけない人の
言葉に従ってはいけないということ ではありませんしかしときとして
明らかにサタンが人の口を通して 語らせているそういう人の言葉
がありますそのまるで人の言葉 のようにして背後にあってサタン
30:06
がそれを言わしめているその人の 声その声に聞き従ってはいけない
ということですねですからこの 状況の中では大祭司が何よって
教えてはならないと言ったのは まさに大祭司を通してサタンが
言わしめているそのことを精霊 の導きでよって知っているペテル
たちは私たちは人の言葉に従う よりも神の言葉すなわち精霊に
導かれた言葉に従うのですと言 ったわけであります私たちは既に
創世紀の最初のあの場面を読んで 知っております神様が人をつく
られそして人に命じて仰せられた あの言葉あなたは園のどの木から
でも思いのまま食べてよいしかし 善悪の知識の木からはとって食べ
てはならないそれをとって食べる ときあなたは必ず死ぬこれが神様
の言葉であったわけですしかし 蛇に身を変えたサタンが言った
ことはあなた方は園のどの木から でも食べてはならないと神は本当に
言われたのですかあなた方は決して 死にませんあなた方はそれを食べる
ときあなた方の目が開けあなた 方が神のようになり善悪を知る
ようになることを神は知っている のですここに神の言葉とサタン
が蛇を通して言わせたその言葉 があるわけですアダムとエヴァ
はどちらの言葉に従ったのかサタン の言葉に従った彼らはエデンの
園を追放されたわけです私たちが 今日日々生きていますこの人間の
世界の中で多くの言葉を耳にします その中でこれは間違いなくサタン
が言わせている言葉だそういう ものが精霊によって導かれたとき
にその言葉に決して従ってはいけない そのことをきょうもこの御言葉
を通して教えられるわけです人に 従うより神に従うべきです人の
言葉に従わないで神の言葉に従い なさい私たちは人との関係も決して
33:03
壊してはいけないわけですそういう 中でサタンがその人を通して神
に背く言葉を言わせたりそして 神様から離れさせようとするその
言葉を言わせたりそして私たちの 信仰を踏みにじるようなそういう
言葉を言わせるそういうことを サタンはするわけですねですから
私たちは言っているその人を決して 敵視してはいけないその背後に
あってその人に語りかけそして 言わせているそのサタンをしっかり
と見据えてそして祈りをもって サタンよ退けその人の背後にあって
そしてその周りを覆っている黒い 影のようなそういうサタンよ退け
そして祈りそして私たちは精霊 に導かれてそしてまたその人自身
もそのサタンから守られるように 祈っていかなければなりません
そのためにも私たちは日々神様 の御言葉をいただいてそしてこの
精霊によって感謝と喜びにあふ れた日々を過ごすことですね私たち
が神様に従い神の言葉に感動し そして神様のその言葉に満たさ
れて生きていくときもうサタン は近づくこともできないそして
修越を信じて祈るときサタンは 過ごすことを去っていくわけです
そのことをきょうもう一度この 御言葉を通して私たちはしっかり
と覚えたいと思いますペテロ をはじめ使徒たちは応えていった
人に従うより神に従うべきです もう一つのことは三十八節と三十九
節のところにそこで今あなた方 に申したいのですあの人たちから
手を引き放っておきなさいもし その計画や行動が人から出たもの
ならば自滅してしまうでしょう しかしもし神から出たものならば
あなた方には彼らを滅ぼすことは できないでしょうもしかすれば
あなた方は神に敵対するものになって しまいますここに人から出たもの
ならば自滅してしまうしかし神 から出たものならばあなた方には
彼らを滅ぼすことはできない人 から出たもの神から出たものここに
書かれてあります 彼らが宣教の 働きをしていたときに三十三節
36:06
でそれを聞いた人たちが敵対する 人たちが使徒たちを殺そうと図
ったそういうもう少しのところ で彼らは殺されそうになったとき
に三十四節で立法学者パリサイ 人でありますガマリエルという
人が使徒たちを釈放しなさいこの ガマリエルはどちらかというと
大祭司の同じグループの中にいる ものたちですそのガマリエルが
立ってこの使徒たちを捉えてそして 例えば殺すというようなことが
もしあったならばこれは大変な ことになるそのように彼は提案
したんですだから彼らを捉える ことはしないでもう釈放をしなさい
そうでないとこれは大変なこと になるむしろあなた方大祭司たち
あなた方が自滅してしまうでしょう なぜかそれは彼らの今している
ことは神から出たことだからと このガマリエルは言うんですこれは
本当に不思議ないわば神様の助け であったろうと思うんですねもう
少しのところで使徒たちが殺され そうになったときに不思議なように
このガマリエルという人が立て られたもちろんガマリエル自身
が何を思ったのかそういうこと を感じてそれを勇気を持って提言
したわけですがここには背後に 神様の御手が及んでいたということ
これは間違いないでしょう そして この計画や行動を彼らがしている
ことが自分たちのただ考えや計画 そういうものであるならばペテル
たちが自分が人としてそういうこと を考えてみんなで計画してやっている
とするならばその計画はむなしい ものに終わってしまうでしょう
しかしそれは神から出たものである 神から出たものはあなたたちは
どうすることもできないんだということ このガマリエルは言ったわけです
サタンが人の口を通して神に敵対 する言葉を語らせると同じように
精霊はこのガマリエルという人物 を用いてこのように語らせなさった
わけです人から出たものならば それはむなしく終わるでしょう
しかしもし神から出たものならば それは成就するのだそれをとどめ
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たりあるいはそれを阻止したり することはかえってあなた方が
その裁きを受けるでしょうここに 神から出たものという言葉がある
わけです私たちが聖書を読む中で この神から出たものの中で最も
素晴らしいものそれは何だろう かといろいろ考えましたときに
第一コリントの十三章の十三節 でこういうわけでいつまでも残る
ものは信仰と希望と愛ですその 中で一番優れているのは愛です
というわけです その愛これは 神の愛アガペですがそのアガペ
こそが神から出たものであるという のがこの聖書の言っていること
なんですヨハネの第一の手紙の 四章の中にはっきりとそのことが
表されていますヨハネ第一の手紙 の四章の四節の中で子どもたち
をあなた方は神から出たものです そして彼らに勝ったのですそして
六節私たちは神から出たものです そして神を知っている者は私たちの
言うことに耳を傾け神から出て いない者は私たちの言うことに
耳を貸しません私たちはこれで 真理の霊と偽りの霊とを見分け
ます愛する者たち私たちは互い に愛し合いましょう愛は神から
出ているのです愛のある者は皆 神から生まれ神を知っています
神の愛アガペそれは神から出ている のです私たちはこの神の愛アガペ
をもって世に出ていきそして福音 の宣教の働きにも預かりそして
このアガペこそが私たちを幸い へと導きそして人と人との関係
も修復しそしてこのアガペをもって 私たちはこれからもこの信仰に
導かれて宣教の働きに預かるわけ ですどうぞこの神の愛が皆さんの
家に宿りそして皆さんの行くその ところでそれが十分に提供されて
そしてこの神の愛に接する人たち がまた救われてそしてこの当時
の教会のように次々と救われそして 教会の仲間に加わったそういう
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神様の御業があらわされることを 願ってお祈りしたいと思います
お祈りします 愛は神から出たものであります
天の神様今日も御言葉を通して あなたの御心を教えていただき
ありがとうございます人を欺いたので はなく神を欺いたのですと私たち
が決して神を欺くことのないように また人に従うよりは神に従うべき
ですと私たちは常に神のお言葉 をいただいてその神にただ忠実
に使えこれに従うものとさせてください そして私たちが神から出た者として
今日も祝福を与えてくださって いますようにまたこのいただいて
います愛が神から出た者そして この愛を携えてそれぞれにお使わし
くださいますようにそしてこの 福音があまれく世の人々に述べ
伝えられてまいりますように教会 に祝福がありますようにイエス
様の尊い皆によってお祈りをいたします アーメン
43:25

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