今日は、信仰の基本ということで、 サタンの声を分別して、退けることという対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
最近、私たちは続けて、信仰の基本ということで分かち合っています。 信仰の一番基本は、神の微声を聞いて従うことです。
そこに、全ての祝福があります。 人々は、神の微声を聞くと言ったら、怪しいと言います。
ところが、実際、私たちは、いろいろな声を聞いています。 私たちが聞く声、主に3つがあると言っているでしょう。
はじめは、神様からの声、また、サタンからの声、 自分の声、また、いろいろな人の声、いろいろあります。
大事なのは、誰の声を聞いて従っているのかということです。
私たちの親しい友達の話を聞いて従うことは、たくさんあるでしょう。
目に見えない神様、また、サタンという存在も 認めない人がたくさんいるから、
目に見えない霊的な存在の声を聞くということも、 怪しいと思っているのですが、
事実は、自分自身は、自分の声を聞く、 また、人の声を聞く、いろいろな声を聞きながら、
今、生活していると思います。
ところが、どなたの声を聞いて従うのか、 それは非常に大事です。
ローマ書6章16節。
知らないのですか、あなた方は、 誰かの奴隷として従えば、
その従っている人の奴隷となる。
つまり、あなた方は、罪に従う奴隷になって死にだろうか、
神に忠順に仕える奴隷になって死にだろうか、 どちらからです。
天国か地獄かが、どこに従う、誰に従うのか。
人類がダメになった理由、 それが聖書に現れているのですが、
人類の先祖であるアダムとエバが、 神様の見声を聞かないで、
人の話を聞いて、また、サタンの話を聞いて、 ダメになったという事実を、
創世記1章、2章、3章は、教えてくださる。
神様がアダムを罰される時に、 創世記3章、17節ですが、
お前は女の声を従って、 私があなたに食べるなという、
私が言ったことを、女の話を聞いて、 私のことを知りどけた。
神様の見声より、 人の声を聞いたから、あなたは呪われる。
エバは神の見声を聞くより、 蛇として現れたサタンの声を聞いた。
だから人類がこんなに悲惨になりました。
私たちは、自分が何によって動いているし、 何によって従っているのか、
その声の出どころ、どこから出た声なのかを、 分別すること、これが非常に大事です。
子供たち、また信仰が幼い人たちは、 分別ができません。
ですから騙されます。
子供であれ、誰であれ、 騙されたらどうなるのか、
ヨワネチュシヨチュセツ。
盗人が来るのは、盗んだり、ほぐったり、 滅ぼしたりするほかならない。
皆さん、悪魔は子供だということで、 子供だから私はあなたを攻撃しないと言うんですか。
子供でも攻撃します。
人、大人じゃなくて子供でもダメにします。
だから子供の時から親が徹底的に教えるべきことは、 どなたを声を聞いて従うのか。
だからお母さんの話を聞け、親の話を聞け、 これが一番安全だと親は思っているからですね。
じゃあ今日もし、私の人生、なぜこんなに苦しいか。
なぜ私がやることを何にもできない。
やることすべてがこんなにダメになるのか。
だったら今日答えを必ず得ていただきたい。
神の御声を聞かないで、 人の声、サタンの声を聞いているからかもしれません。
これがついついアダムとエヴァが経験したこと、 人類のほとんどの人が経験したこと、
自分もこの世に同じことをやっているからです。
じゃあ今日のメッセージを通して、 答えをいただくことができればと思います。
今日は3つの声の中で、 サタンの声について分かち合いたいと思います。
アダムとエヴァがダメになったこと、 またイスカリティユーダがダメになった理由は、
このサタンの声を聞いたからです。
この悪いサタンの声を、私たちはどう分別するべきか。
また作るようにして、どのように対処するべきか。 それをぜひ一緒に考えていきましょう。
じゃあサタンの声には独長があります。
はじめは、サタンの声は罪を犯すように、 私たちを誘惑します。
創世紀3章で蛇として現れたサタン。 これから蛇がなぜサタンなのかという人がいます。
自由主義進学者たちは、こんな大抵語を言いますけど、 牧師録12章9節には、この蛇がサタンだってことを確かに言っています。
じゃあサタンがどのように誘惑しますか。
神様が食べるな、すべては食べなさいと言います。
食べるなと言う、食べたら必ず死んでしまうと言われた、 この一つを食べるように誘惑します。
創世紀3章4節5節。 蛇は女に言った、決して死ぬことはない。
それを食べると目が開け、 神のように善悪の知る者となることを神はご存知だ。
だから、それは食べても死なない、死なないよ。 その誘惑の言葉がどれほど魅力的なのか。
結局アダムとエバは、神様が禁じられた、 その善悪の知識の木の実を食べてしまいます。
それが罪だってことです。 それによって人類はダメになりました。
サタンの声は、私たちを罪に導きます。
2番目、サタンの声は、私たちに近道があるよ。 優しい子と道に行けといつも言います。
悪魔は十字架がない復活、 十字架がない栄光を私たちに話します。
そのことを誰に言ったのか、イエス様に言ったんです。 マタイ4章1節から11節。
マタイ4章3節こう言います。 神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。
この言葉はどんな意味ですか。 食べるためになら、どんなことでもやれ。
お金になるなら何でもやれ。 事実は今、お金になるなら何でもやります。
麻薬、売春、人心売買、
世の中の人々はお金さえできれば何でもやります。 今悪魔の声が全世界を支配しているように。
また4章6節、神の子であるなら、 この神殿の頂から飛び降りたらどうだ。
人々にあなたがどれほど素晴らしいか見せてあげなさい。
今、世界はアイドル世界です。 皆さん、今の時代、ノア時代と同じでしょ。
ノアの時代に何があったんですか。 ネフィリムという存在がありました。
ネフィリム、空城、アイドル。
今、YouTubeを見たら、今の姉妹達はもう踊り、
なんとか、恥もわからない。
本当に、
今、世界がどのように理解すればわからないほど、
今、自分が有名になることができれば、
もう皆さん、YouTubeのこの、なんていうの、
見たというこのことが、 クリックの数が多ければ金儲けになるから、
何でもやります。 世界が、まあ、本当に終わりだねと。
また、日本史の9節。
もし、卑怯して私を拝むなら、 全世界の栄光と富をあなたにあげる。
全世界の富と栄誉をあなたにあげるから、 私に卑怯して、私を拝め。
だから、今、全世界の人々は、 サタンを拝む。
皆さん、このような誘惑の話を聞いたら、 みんなついて行きますよ。
なぜ? お金がみんな欲しいから、
権力が欲しいから、名誉が欲しいから、 みんなついて行きます。
それで、広い道、 狭い道、誰も行きません。
広い道にみんな行って、 そこで何かを求めようと。
それによって、みんなが悪魔の奴隷、 サタンの奴隷になりました。
また、サタンは偽りの父と言います。
私たちを偽りに導きます。
サタンが一番嫌われるのは、真理です。 神の見事が真理です。
真理が伝えられることを大嫌いです。
だから、真理が伝えることを妨げるか、迫害か、
また、真理を少し変えて妥協し、 売却して、それをやります。
サタンは真理を大嫌いとします。
また、サタンは臆病の霊と言います。
臆病の霊は、私たちの心に恐れを入れます。 不安感を入れます。
だから不安だから、どうしよう、どうしようと言いながら、 焦って何かをやって、過ちを犯します。
また、それを強制的に臆病を入れます。
だから人々は焦りながら、何とか勝手にしながら、 いろいろ問題を起こしたり、過ちを犯します。
特に臆病である悪魔は、精神的に弱い人、 今、世の中は、鬱の時代だと言うんです。
鬱的な要素を持っていない人は、ほとんどいません。 寝ない状況で、今、みんなやっているでしょう。
悪魔は、特に精神的に弱い人を、ものすごい苦しみます。
かわいそう、かわいそう。私はイエス・キリトの力によって、 この精神的に弱い人々を助けなきゃいけない。
ファンギューチュル巨大、今度のアカシで、私は感銘を受けたの。 自分はそのような人の力になりたいと言っているから。
いやー、素晴らしい。今の時代、本当に必要な人だと。
皆さん、悪魔は、私たちが過ちを犯すなら、私たちは罪を定めます。
神様がなさることと、悪魔の働きは違います。
ダビデが、下位の罪、殺人の罪を犯しました。 しかし、ナタンを通して、ダビデを責めますね。
しかし、ダビデをどうしますか? この責められることを聞いて、自殺しました? いいえ。
なぜ、自殺していないのか? 神の御子や主的には、愛があります。
愛の心を持って指摘するから、悔い改めながら、神に立ち返ってもらいます。
しかし、サタンが叱る時には、冷たいです。
ああ、私は生きる道がないんだな、と。 絶望感に陥って、孤独の中で、私の人生は終わりだと思うから、
そこで命を断ち切ってしまう人が現れます。
神の働きと、サタンの働きは違いますよ。 私たちは、神様が本当にありがたいです。
ここまでは、みんなご存知のことでしょう。 ここから、私が皆さんにお願いしたいこと、特に共通したいことがあります。
皆さん、今日読んでくださった第2コリーント13章4節、 このような聖書があると思いましたか。
キリストは弱さのゆえに中直につけられた。 だからそこに神の力が現れた。
だから私たちもキリストに結ばれているものとして、 私たちも自分の弱さを誇りなさい。
そうすれば神の力が現れて、 キリストが私たちといつも共にいるであろうと言います。
キリストが弱さのゆえに中直にかけられたんですか。 キリストがそんなに弱かったんですか。
中直を背負う前に、結成真似園でイエス様は逮捕されるとき、 ペテロはもう剣を持って大祭司の家来たちと戦ったんですね。
そのときイエス様は何と言うんですか。 この剣を持っている人は剣で滅ぼされる。
剣をやめなさいと言いながら、私は神様に祈るなら、 神様が私に十二軍団以上の天使を送ってくれないかと、
ないと思うんですかと言います。 イエス様が祈るなら十二軍団の天使たちが今も現れるような状況です。
いくらでも天の軍勢を使う、仕切るパワーをイエス様は持っていったんです。
皆さん、天使二人がソドムとゴドムに行きました。 天使二人によってソドムとゴムラが滅ぼされたんです。
そのようなパワーを持っている天使、十二軍団を呼び出すことができるようなイエス様が、
自分の弱さのゆえに中直かけ死んでくださいました。 なぜ。
それを通して、神の御胸である人類救いの御業を成し得るだろう。
それらの弱さを持って働かれるから、神様がイエス様は弱さの中から、死の中から蘇られちゃったということです。
イエス様は自ら弱さ、弱い道、弱い人の道を歩んでいかれたんです。
皆さん、私たちも同じです。 自分は自ら謙遜で弱い人の道を歩んでいくなら、
神の力、十字架の力が現れて十字架が働きます。 しかし私たちはどうですか。
自分の偉さ、強さ、 自分の何か、少しの何かあったらそれを誇りたくてたまらない。
人たちを見てください。 第1コリート1章26節から。
兄弟たち、あなた方が召された時のことを思い起こしてください。
人間的に見て知恵ある者も多かったわけでもなく、能力ある者や人柄が、家柄が良い者も多かったわけでもありません。
世の無に等しい者、自分の癒やしい者や見下ろされる者と、私たちは存在しました。
人たちは自分の弱さを誇りました。 なぜでしょう。
自分の弱さを誇る時、十字架の力が現れる。 キリストの力が現れるからです。
ですからシト・パウルは第2コリート11章3節。 誇る必要があるなら、私の弱さを誇ろう。
しかし私自身については、弱さ以外には誇ることはありません。
人たちは徹底的に自分の弱さを誇りました。 だから十字架の力がいつも人たちと共にいました。
ところが私たちは自分の強さを誇ろうとします。 この要的に自分は偉い素晴らしい存在として、それを何か表そうとする。
ですから十字架の力が徹底的に消えてしまうんです。 皆さん、希望に銘じていきましょう。
自分の弱さを誇る時、キリストの力が留まる。 十字架の力が留まる。
自分は弱いということは、自分の力としては神様が願われることを何にもできないんだということを、切にこれを悟ることです。
神様がヴォーセを使ってくださらなかった理由、 またヴォーセを使ってくださった理由、全部ここにあります。
エジプトでヴォーセは王女の子供として宮廷で育ちました。
そこで帝王学、王になる学問を学びました。 その時ヴォーセは自ら自分が強いと思って、自分の同族イスラエルを救おうと思いました。
しかしどうなりました? 人殺しになって、それで逃亡生活をし続けました。
しかしあれので過ごしながら、83歳になって、自分は何にもできないと思っているその時、神様が使おうと思います。
その時ヴォーセは、これは立て前じゃないんですよ。 本当の心で、「主よ、私は口が鈍い人です。
私はできません。 できる人を使わせてください。
私は本当に、私じゃない。私はできません。」 その時神様が彼を使ってくださいました。
彼は本当に何にもできなかったから、全てに対して神様は、これをどうすればいいですか、これをどうすればいいですか、聞きました。
神様はこうしなさいと言っていることを聞いて、その通りしました。 なぜ?自分は何にもできないから。
だから本当の真心で、自分は何にもできないことを分かって、神様を聞いて従ったのです。
それによってシュチュエジプト、カナーの生活、カナーに入る全てのことが成し遂げられました。
皆さん、キリスト者たちはこの世で、この世で、完全にためになっても、
蘇ることができます。 代わりに覚えるべきことがあります。
この世の中を委ねる、自分の強さを誇る心を捨てる、この世を愛する、この世の中を委ねることを全て下ろさなければいけません。
それで神様だけを委ねるなら可能性があります。 失敗したということで、何とか全てできるわけではありません。
自分は何を委ねているのか、何を誇りと思っているのか、何を求めているのか、よく見てみてください。
それが全部無駄だ、これは排泄物のようなものだと、それを徹底的に認識したときに、神様の力が現れ、十字架の力が現れる。
サラデス教会、ヴィラデルビア教会、 イエス様は何と言うんですか。
目記録3章1節。 私はあなたの行いを知っている。あなたが生きていると、
世の中の人々はあなたは生きている人だ、生きている教会だと言っているんだけど、私が見るときにはあなたは死んでいる。
なぜでしょう。 世の中の人々が見たらその教会が素晴らしい規模を持っているから、
これは生きていると思いました。 しかし、世の中のことを誇り、世の中のことを誇りと思っている、自分自身を誇りと思っているから、
サタンが働いて、奪われ、滅亡され、徹底的に死んでいました。 だから死んでいると言いました、霊的に。
ラオテギア教会の信徒たちを加えました。 私は金持ちだ、道で歩いている、何一つ必要なものはない、と言うが、
自分自身がみじめなもの、哀れむもの、貧しいもの、目の見えないもの、裸のものであることを知らないのか。
足りないことは全くない。私たちは全てを持っている。素晴らしい。 しかし、エースさんを見るときにはあなたはすでに死んでいる。
いつも自分を誇る、世の中の誇る、世の中のことをいつも求めているから、
十字架の力は徹底的に消えていて、 サタンに完全に支配されて、
盗んだり、ほふれたり、滅ぼされたりしていました。 サタンの働きは私たちの心を
傲慢になるように促すことです。 私たちが一番騙されやすいこと、
頑張れ、あなたができるよ、という積極的な考えはいいかもしれませんけど、 自分は強くなりたい誘惑、
自分を誇る、世のことを誇る、 自分の何かを偉そうに立たせようとすること、
これが十字架の力が消滅される道なんで、私たちは騙されて、それを楽しみとする人もいます。
私のことを誇ることがなければ、もう行く気がないという人もいるかもしれません。
みなさん、これが全部、十字架の力が消え去られる道だということを、 全部覚えていただきたいと思います。
じゃあ、陸を誇り、世の中の強さを誇る、 サタンの声を聞いてはいけません。
それを聞いて従えば、結局、サタンの目的だけが成し遂げられ、 教会はためになります。
私たちは、神の声を聞いて、神様の導きに従わなければなりません。 そうするなら、神様の計画が成し遂げられます。
教会は、神の計画を成し遂げるべきですか、 サタンの計画を成し遂げるべきですか。
じゃあ、ここに霊的な戦いがあり、霊的な分別力があります。
ですから、私たちがやるべきこと、 徹底的に、霊的な分別力を持ちましょう。
見事ば、聖霊によって。 また、私たちがこれを分かち合う理由。
知らなければ、分別力はないから。 世の中のことを誇り、自分はこんな人だと誇る、みんな羨ましい。
これは、イエス様が見るなら、これが死ぬ道なんで。 十字架の力がなくなる道、教会がためになる道なんで。
みんながそれを欲しがっています。 昔、私は学歴が欲しくて、ある人がもう有名な大学出身だと言ったら、もう羨ましくて。
私も徹底的に騙されている人間でした。 愚かな人間でした。
これからは絶対、世の中のことを誇る人を、 羨ましく思うことをやめましょう。
やめましょう。 それが十字架の力がなくなる道だからですね。
2番目。 これが悪魔の声だとしたら、すぐイエス・キリストの身だによって、「出てけ!」
知り避ける。 しかし、これできません。
なぜ、できないのか。 悪魔は一番近い人を通して、
アダムにはエヴァを通して。 妻に、「出てけ!」
できますか? 妻は蛇を通して働きます。一番親しい蛇。
蛇に、「出てけ!」 できないんですね。 しかし、イエス様は弟子たちを通して働きました。
その時、イエス様はどうしたんですか? 愛するペテロに、
「サタン、引き下がれ。あなたは私を邪魔する者。 神のことを思わず、人間のことを思って行く。」と言われました。
私たちもこうしなきゃいけません。 しかし、私たち、これは弱いんです。
親しい人なら、この人が何を言っても、その面前で、「やめなさい!出てけ!」と知り避けることはできません。
親しいから。 だから、「まあまあね。」と聞いてあげながら、共にためになります。
アダムの話、エヴァの話を聞きながら、アダムもためになりました。 蛇の話を聞きながら、母もためになりました。
私たちも世の中の人々の話を聞くときに、この分別力を持たなければいけません。
特に、今日、皆さん、自分を誇ったり、世の中のことを誇ったり、 世の中の偉いこと、強いことを誇る、そのことを好きな人がいるんですよ。
そのような人には、近づかないでください。 友達になってはいけません。
エヴァが、蛇と友達をやりながら、ためになった。
エヴァのゆえに、アダムがためになる。 結局、一緒にいるなら、一緒にためになる。それしかないんですよ。
だから、私たちが友達を決めるときに、大事なことはこれなんです。 皆さん、今は業界の子供たち、学校で友達にしている。
世の中に偉い人、誇る人、自分の強さを誇る人、 その人と友達になっては、青春的に何の今? 世の中はそうするんです。
しかし、神の世界には、そんなことをやってはいけません。 私たちは、自分の弱さを認め、いつも悔いを改める人。
キリストを誇りとして思い、キリストを愛する人。 その人と、お友達にならなきゃいけません。
だったら、自分を誇る人、どうすればいいんですか? 友達をやらなくて、もう追い出せばいいんですか? いいえ。
教えるべき。教える。 あなた、今、大間違いしている。
また、その人のために、取りなしの量を知ってあげることが大事です。 今、悪魔サタンは、今も吠えたける獅子のように、誰かを食い尽くそうとして探し回っているんですけど、
サタンの声に敏感な人、サタンの声に騙されやすい人、 その人を利用します。
それで、周りの一人一人をサタンの奴隷になるように、 サタンも伝導しますよ。
イエス様だけ、伝導するんじゃありませんよ。 サタンの伝導力は、どれほどパワーがあるか知っていますか?
ますます広がっていきます。 ぜひとも、私たちの共同体は、サタンの声に騙されないで。
キリストをたけを愛し、キリストをたけを誇りとし、 自分自身の弱さを誇りとする。
謙遜になる。 それによって、忠実家の力が、私たちの教会に強く現れる。 なぜ、教会に力がないんですか?