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2022-01-23 24:38

「霊的な戦いに勝つ生活」2022年1月23日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年1月23日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

Ⅰテサロニケ5:16-18 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリストイエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

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今日は霊的な戦いに勝ち抜く生活という物体を持って メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、霊的な戦いについて分かち合いました。 霊的な戦いと言うから悪魔と戦うことだと思ったとに、
それではなかったですね。 選択と関係がある戦いでした。
誰に従うのか、従いを受ける者の奴隷になること。 私のうちの欲求に従うなら、サタンが働きます。
神の御言葉、真理に従うなら、神様が働く。 私たちとしては、自由意志を持っている私たちとしては、選択の戦いだったんです。
私たちは健在ということを持っているから、 私のうちにある欲求に従うことは、サタンに従うこと。
御言葉に従うことは、神様、精霊様に従うことです。 ですから霊的な戦いは、目の前の悪魔に出て行けということではなく、
私たちの選択の戦いだということが分かる。 これが大事なんです。
ローマ書8章5節6節には、 陸に従って歩む者は、陸の陸に直することを考え、
霊に従って歩む者は、霊に直することを考えます。 陸の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
信仰生活をしたとしても、死になる場合もあるし、 命と平和にある場合もあります。
これはどんな考えをするのか、 何を選択するのかの戦いであり、
それがそのまま私の生活に現れます。 陸の思いに従うなら、サタンが働いて死が来ます。
自分の考えを下ろして、美言葉と精霊の導きに従うなら、 命と平和があります。
なぜなら、そこに神様が働くからですね。 皆さん考えてみてください。
毎日毎日いろいろなことが私たちの身の回りで行います。 そこに対して私はどんな考えをするのか、
どんな選択をするのか、そこに神様が働くのか、 悪魔が働くのかと関わりがあり、
その結果として私は死を経験するのか、 命と平和を経験するのか、それが関わってあるということです。
ですから、真言の4章23節、 何を守るよりも自分の心を守れ、
そこに命の源があると聖書は教えてくださいます。
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さて、人たちはイエス様から学んだ通り、 葡萄の木の生活をしました。
そしたら世の中から迫害がありました。 イエス様がヨワネ15章20節にこう言われます。
私を迫害したから、あなたたちも迫害するであろう。 そうです。
イエス様を迫害して十字架で殺したこの人たちが、 人たちを殆ど殉教されました。
しかし、人たちの福音宣教によって、 今、全世界までイエスキリストの福音が述べ伝えられているんですけど、
彼らはどのように迫害を勝ち抜き、 福音を伝えることができたのか。
まず人たちは、徹底的な考えを守りました。
彼らがいつも使った言葉、この世は仮住まい、 旅人の人生だ。
私はいつも戻って行くべき天のふるさとがあるんだ。 私はふるさとに行きたい。
そして、徹底的に神中心的な生活。 彼らはいつも言いました、この世は100年短いよ。
しかし、天国地獄は永遠だ。 だから、教会中心の生活をし、天国にふさわしい考えをし、
イエスキリストを心に受け入れて、 イエスキリストによってしっかり物質して生きたから、
悪魔の攻撃があっても勝ち抜くことができました。 また彼らは霊的な戦いに勝ち抜く生活をしていました。
皆さん、霊的な戦いは一回で終わりではありません。 今日勝ったとしても、明日負けるなら全て奪われてしまいます。
ですから、毎日毎日勝つ生活が大事なんです。
その毎日毎日勝つ生活、これが何なのか、 これを今日一緒に分かち合いたいと思います。
霊的な戦いに勝つ生活のために、 シト・パウルが教えてくださる三つの勝利の生活の秘訣。
これが今日読んでくださった第一手その二経、 古書16節から18節にあります。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。
まずはじめに、いつも喜んでいなさい。 これは神徒としての当たり前です。
どんな状況でも、神徒が悲しんだり泣いたりばかりするなら、
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周りの人がこの人はキリスト社なのかと言うんじゃありませんか。
じゃあ詩編の30章5節。 誠に美怒りは束の間、
命は恩長の家にある。 夕暮れには涙があるけど、
朝明けには喜びに叫ぶ。 神様の恵みはいつもあるので、
一時期的に私たちが悲しみ、涙があったとしても、 次の日の朝は喜びで叫ぶように、
神の恵みはいつも私たちを豊かに助けてくださるということです。 それでもこの世の中では、
いつも喜ぶことばかりではないんですけど、 いつも喜びなさい。
喜んでいなさい。 できますか。
皆さん、キリスト社であるなら、いつも覚えておくべきことがあります。 これが救いの恵みです。
以前の私はどんな人間だったのか。 しかしどのようにイエス・キリストに出会ったのか。
今私はどんな存在になったのか。 地獄に行くべきものが天国に行くようになった。
これだけでも私たち、もうこれだけでも喜ぶべきでしょう。 神の敵であるものが、神の子供になった。
悪魔の奴隷だった私たちが、悪魔に勝ち抜く、 牽制、力をいただいた。
また、祈るなら神様が答えてくださるんだ。 また将来に対する、これからすべてに対する、神様の約束の言葉が私たちにはあります。
この約束の言葉を握ってやれば、私たちはいつもこの約束をいただくものになります。
なんという幸せでしょう。 ですから旧約聖書で神様は、
杉越の祭りをしっかり守りなさいと言われました。 じゃあ皆さん杉越の祭りって何でしょう。
エジプトの奴隷だったイスラエル人たちが、神の恵みによって、 エジプトを屈服させて、シチュエジプトしたことです。
これが言葉を変えれば、救いの恵み。 これが杉越の祭りでいつも記念したんです。
皆さん、信仰の根本は、救いの恵みです。 この救いの恵みに対する感激、感謝がなければ、信仰はできません。
私たちが毎日信仰生活し、毎日神の子供と言うんですけど、自分がどのように救われたのか、
イエス・キリストが私のために何をしてくださったのか、 これを覚えておられますか。
この救いの恵みに対する感謝、感激がなければ、信仰ではありません。
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この救いの恵みに感謝があればあるほど、神様の前で大きく用いられます。
この救いの恵みの感謝、感激があるなら、この世の中で苦しんでも主のために生きるようになり、
白外の中でも喜びながら主のために生きるようになる、 原動力が救いの喜びなんです。
私たちが救いを喜びとして感謝するなら、誰が働きますか。 神様が来ます。神様が働きます。
しかし、救われているのに、キリストなのに、 いつも不安、心配、悩み、悲しんでいるなら、
キリスト社なのに悪魔が働きます。 ですから、キリスト社である私たちは、積極的に喜び、感謝をしなければなりません。
シト・パウルはローの中で、ピリッポ書で、喜びなさいと言いました。
彼は後ほど殉教されるべきなのに、どうして喜ぶことができますか。
救いの恵みを考えるなら、今しばらく難しくても、後ほど天国に入って、 天国で祝福を受けて過ごすことを考えるから、喜ぶしかないです。
パウルはすでに天国を見ていたのです。 短い時間ですけど、第2コリント中二章4節。
天国に行って、人が口で言い表しえない、素晴らしい素晴らしいことを見た、素晴らしいことを聞いた。
彼は天国に対して、何か素晴らしいという恵みを見ていたのです。 私たちもどんな状況の中でも、この救いの恵みを覚えなければなりません。
救いの恵みを考えると、いつも喜ぶことができます。 これで感謝して喜ぶとき、神様が働くようになります。
だったら霊的な戦いに勝つようになります。 ローマのエンケイ競技場で、獅子の餌食になって死んでいきながら、
起立者たちは喜びました。賛美をしました。 その理由は、今のちょうど私は天国です。
素晴らしい恵みを、祝福を、もう永遠に味わうことができる。 それを考えるなら、獅子の餌食、何にもないのです。
しばらく、これはあっという間です。 私たちが味わうべきこの恵みに、いつも考えていきましょう。
ぜひとも、難しいことがあって苦しいことがあっても、 この救いの恵みを考えて喜びましょう。
喜ぶなら、神様が来ます。神が働きます。 難しいと思って泣き続けるなら、悪魔が来ます。
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だったらどうなるでしょう。 神様が来られて働くなら、今どんな苦しみ、迫害、十分に勝ち抜き、
私たちは勝利の人生ができます。 じゃあ、いつも喜びなさい。わかりますか?
アメン。 2番目、絶えず祈りなさいと言います。
なぜ絶えず祈るのか。 敵である悪魔が絶えず攻撃するからです。
祈りは神様との交わり。 枝が木につながる方法です。
枝が木にどうつながりますか? 祈りでつながります。
祈りはキリスト社だけの大きな特権です。 今までは求めなかったけど、求めなさい。
あなたの喜びが満たされるよ。 弟子たちはイエス様と共にいるときは、祈りが必要ではありませんでした。
しかし十字架の前でイエス様は、これから祈りなさいと言いました。
祈りは私を委ねることではなく、神様に委ねるという印です。
信仰の先祖たちはいつも祈りました。 ダーネールは1日3回、
1日3回祈ろうとしてもなかなかできないこともあるでしょう。 イエス様はいつもこの世の中で、
イエス様はこの世では完全な人間だったから、いつも祈りました。 人たちもどこに行っても祈りの場所を決めておいて、そこで祈りました。
祈りは神様はこの世に対して働くことができるチャンスを与えることです。
神様はこの世で叫ぶ祈りを聞いて、天から働かれると言います。
誰か祈る人がいなければ、神様さえもどうすることもできないという話もあります。
なぜなら、この世の全ては人間に任せられたからです。 祈るなら、全知全能の神様が判断されて、3つで答えられます。
オーケー、イエス、オーケー。 2番目、ノー、ダメよ。
3番目、ウェイト、待ちなさい。 なぜ私たちが祈ることは、ノー、ダメよ。
また、ウェイト、待ちなさいという祈りをしますか。
ですから一番大事な祈りは、主の身胸を聞く祈りです。 主よ、これはどうすればいいですか。
このことはなぜ起こりますか。 主よ、これを私はどう理解すればいいでしょうか。
神様の身胸を聞く祈り、そう聞いたら、私たちがその身胸通り祈ったら、いつもオーケー、いつもイエスです。
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ですからイエスの祈りをするために、神の身胸を聞く、大事です。
ルカの18章1節には、イエスは気を落とさずに絶えず祈らなければいけないということですね。
気を落として、落胆して絶望するなら、誰が来ますか。これは悪魔が来ます。
希望を持って祈り続けるなら、神様が来られます。 神様が来られるなら、何が問題になるでしょうか。
ですから、心配、落胆、悩みよりは祈りをしていきましょう。
第一ペトラ3章12節、主の目は正しいものに注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
祈る人のところに、神の目、神の耳が傾けられます。 その意味は、祈る人に神様が近くに来てくださるということです。
そうです。神様が私のところに近くに来てくださる方法は、祈ることです。
祈ることによって主が来られるなら、この後は主に任せればいいでしょう。
ですから、いつも祈りなさいと言います。
3番目、どんなことでも感謝しなさい。
感謝は素晴らしいです。すべてのことの決定番が感謝です。
みなさん、いつも喜ぶことはなかなかできないでしょう。
絶えず祈ること、それも忘れてなかなか祈れないこともあったとしても、感謝だけでもうまくできれば状況は変わります。
なぜなら、恨んだり不平したりするなら、悪魔が来ます。
昔、私は女性たちの神経質と言いましょうかね。
なんとかなんとか、これは難しいですね。
恨んだり不平したり悩んだり心配したり、そうしたら聞く人も辛くなります。
そしてそこに悪魔が来ます。
しかし感謝をするなら、神様が来ます。
神様が来られるなら、ローマ書8章28節、神を愛する者たち、つまり後継格に従って召される者たちには、
万事が益となるように共に働くということを私たちは知っています。
神様が来られて働くなら、すべてが善に変わります、益に変わります。
感謝は素晴らしいです。どんな不幸なことがあったとしても感謝してください。
これが災いが転じて祝福になる秘訣が感謝です。
感謝するなら神様が働くからです。
だから今、私にあまり気持ち悪い、何か良くないことが起こったとしても、無条件感謝する。
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無条件感謝する。
皆さん感謝、感謝するなら神様が来ます。
恨むなら悪魔が来ます。
ですからどんなことでも感謝しなさいと言われるのです。
じゃあ感謝の表現はどうするんですか。
賛美で主にするでしょう。
ピリポで福音を伝えながら、鞭を打たれ牢に閉じ込まれたパウルとシラス。
その時、私たちだったらどうしますか。
私が福音を伝えるのになぜ神様を助けてくれなかったんですか。
福音を伝えながら鞭を打たれて私は今牢に閉じ込められたんですよ。
恨む場面なのにパウルとシラスは感謝します。
賛美をします。
そうしたらそこに神様が来られたんです。
牢の地面が揺れ動き牢の扉が開かれ、すべての人を縛っていた鎖が解かれてしまいました。
解放されたんです。
どんな状況でも感謝するなら神様が働かれます。
ですから周りの人も喜ばれ、監守の家が救われる働きができました。
もしその場でパウルとシラスが涙を流しながら神様寂しいですよ、なぜ助けてくれなかったんですかと言ったら
そこに神様は来られなかったと思います。
また悪魔が働いたと思います。
だったら牢の中がどれほど暗くなって難しくなったでしょうか。
何にも行わないで、むしろ苦労ばかりしていたでしょう。
皆さん、キリスト社がいるなら、キリスト社がいるところで神様が来なければ、神の働きが現れなければ、どうして世の中の人々を救うことができますか。
ですから私たちはどんな状況でもどんな場面でも感謝する訓練をしましょう。
私たちが積極的に伝道ができなくても感謝で、私たちが行くところどころ神様が来られて働くことができるチャンスを与えることはできるでしょう。
この世は百年、天国地獄は永遠です。
この世では喜びながら祈りながら感謝をうまくするなら、それはいつどこでも神を選ぶことであり、神様が来られるようにすることです。
神様が来られるなら礼的な勝利があります。
私は各家庭の夫婦が助けて、旦那さんが不平をするなら、奥さんがいや違いますよ、祈りましょうよ、感謝しましょうよ、
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夫婦の中で一人でも気をつけて、喜びながら祈りながら感謝の生活ができるなら、いつでもどこでもどんな家庭でも勝利が与えられると信じます。
シト・パウロはこれを実践して葡萄の木の生活をしながら、福音を伝えながら受ける数多くの迫害、礼的な攻撃に勝ち抜く生活ができ、
小アジアの大勢の人々を救い、またパウロ自身はイエス様のような人生ができました。
その秘訣がいつも喜び、絶えず祈り、どんなことでも感謝する生活でした。
最後に私たちは何によって生きますか?主の恵みによって生きます。主の恵みが注げられる秘訣は神様との親しみ、神様を愛すること、
また今日一緒に考えた、いつも喜んで、絶えず祈り、どんなことでも感謝することです。
もともと人生は私たちの力で過ごすようにデザインされておりません。枝は木につながっていったら、木が与える恵みによって生きるように、
私たちも神様の恵みによって生きるように創造計画の中でデザインされていました。
しかし罪を犯して神から離れ、枝が自分の力で生きようとするから、こんなに難しい人生になってしまったんです。
しかし私たちはいつも喜んで、絶えず祈って、どんなことでも感謝することを通して、
私たちが木につながっているなら、木がくださる恵みによって私たちは生きるようになります。
このような人生は神様がいつもともにやって下さいます。神の恵みによって豊かな身を結ぶ私たちになりましょう。
まず親がこのように過ごすなら、子供たちが幸せになります。家庭が幸せになります。
その家庭が集まった教会が幸せになり、この教会を通して社会の隅々まで神様と恵みと祝福を伝えられるでしょう。
今年私たちはこの3つをよく行って、礼的な戦いに勝つ、勝利の人生、勝利の生活をしましょう。お祈り出します。
主よ、今日本はオミクロンによって、オミクロン、コロナの感染で、東京だけでも1日1万人が感染されています。
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私たちが気をつけるんだって、私たちの自身の健康を守ることは難しくなっている状況です。
どうすればいいんでしょうか。主が来てくださって、私たちを守ってください。
とにかく私たちはいつも喜んで、絶えず祈って、どんなことでも感謝することによって、神様が来られて、恵みを通して、守ってくださる人生を過ごすようにしてください。
イエス・キリストの皆を通してお祈り出します。アーメン、アーメン。
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