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2022-01-09 28:07

「わたしにつながっていなさい」2022年1月9日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年1月9日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

ヨハネ15:1-6 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

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今日は私につながっていなさいという対応をもってメッセージを分かち合いたいと思います。
今日のメッセージは新年の第二週目のメッセージです。 皆さん私たちの教会の名前がぶどうの木教会ということをご存知でしょう。
なぜ教会の名前をぶどうの木教会としたのか。 これが今日読んでくださったこの聖書の箇所から由来して名前が付けられました。
このぶどうの木の生活は 私たちの信仰生活をどうすればいいのかという
信仰生活の方法論が書いてあるだけではなく 最後の時のリバイバル、大収穫のために神様に用いられるためにどんな教会になればいいのかという
大事な秘訣が書かれてあります。 また私たちの教会は
ぶどうの木の生活をやっていきたいと思いますという 私たちの教会のアイデンティティをこのぶどうの木の教会という名前を通して
私たちは表しているところであります。 今日の聖書でイエス様は私はぶどうの木だと言います。
あなたたちはその枝だと言います。 そして神様はぶどう園を運営、経営する
道夫だと言います。 じゃあここでぶどうの木と枝、この関係がイエス様と私たちの関係であると確かに言われています。
この話をする方がいるでしょう。 枝はすでに木につながっているんじゃないですか。
そうです。 普通だったら枝は木につながっているのは当たり前です。
ところが 私たち人間は枝は枝なんですけど
自由意志を持っている枝です。 ですから私たちの自由意志によって
つながることもできるし、つながらないことも私たちの自由意志で 決められます。
ですから聖書は当たり前なんですけど つながっていなさいと命令をしているところであります。
聖書は枝である私たちに熱心にやりなさい 実をたくさん結びなさいと要求していません。
当たり前のことですけど、ただつながっていなさいと言われるだけなんです。
そうすれば実は 木が結ばせてくださるんです。
これから見てますと私たちの信仰生活で一番大事なのは 木であるイエス様につながっていることなんです。
今日は私たちの教会のアイデンティーである 葡萄の木の生活について
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つながっていることは何の意味なのか では私たちはつながっているのか
またどうすればつながっていることができるのか それを一緒に考えていきたいと思います。
願わくは今年は私たちみんなイエス様につながっていて たくさんの実を結ぶことができる
2022年になれればと思います。 まず初めに聖書はイエス様は木
私たちは枝 神様は農夫だと言われます。
要はね中古書一節 私は真琴の葡萄の木 私の父は農夫であろうと言う
イエス様は真琴の葡萄の木です。 イエス様の中にはコロサイの2章2節3節を読みますと
神の秘められた計画であるキリストを キリストを悟るようにと言いながら
知恵と知識の宝は全てキリストの内に隠れています。
皆さん隠れているこの宝 知りたくありませんか
イエス様の中には完全な知識 完全な知恵
また私たちの人生のために全て良いもので満たされています。
ところがここでなぜ真琴の葡萄の木というのでしょうか ここは偽りの葡萄の木があるということでしょう
イザヤ古書4節を読みますと 葡萄園の運営者である農夫である神様はこう言われます
私が葡萄畑のために なすべきことで何かしなかったことがまたあるというのか
私は良い葡萄を実るのを待ってたのになぜ酸っぱい葡萄を実ったのかと言います
ここで見てますと葡萄の木から 良い葡萄も実ることができるし
酸っぱい葡萄も実ることができると言います だから良い葡萄もあるし良くない葡萄もあるということを教えてください
マタイの7章中7節からはこう言います すべて良い木は良い実を結び
悪い木は悪い実を結ぶ 良い木が悪い実を結ぶことではなく
また悪い木が良い実を結ぶこともできないと言います これから見てますと
誠に良い信仰があるし 間違えた偽りの信仰があるということがわかります
マタイの3章の推訓で内容から見てますと 行いが伴う岩の上に建てた家のような信仰がある反面
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行いが伴わない砂の上に建てた家のような信仰もあると言われている
狭い門から入る信仰もあるし 広い道に歩む信仰もあると言います
十字架を背負う信仰もあるし 十字架がない信仰もあると言います
イエス様が担われた信仰もある反面 自己中心的に自分の便宜の上に楽にやっている信仰もあると言います
自由意志を持っている枝 私たちがどんな木につながっているのか どのような信仰を生活するのかは自由ですけど
ここに命が実るのか 滅亡が実るのかが書かれてあります
ですからイエス様は主の祈りで 誘惑に陥らないように 悪に陥らないように祈りなさいと言います
そして私たちに マゴットのブドウの木であるイエス様につながっていなさいと命じられています
また神様はブドウ院の農夫です 農夫は一年中熱心にブドウ院を耕すんですけど
農夫は願っているのは良い実りです イエス様のブドウの木ではブドウを実るんですけど
イエス様が木であるから実りはイエス様です イエス様の実りは内的にはイエス様の良い肯品性に習うこと
快適には驚くほどの刺激で実を結ぶようになることです またブドウの意味は喜びです
ブドウの木から得られるこのブドウからは喜びがあふれる実りができます
ですから農夫が熱心に行う働きは 枝打ちまた清くするこの2つを熱心にやると言います
なぜならブドウの木では小枝が多いです また虫がたくさんつくと言います
小枝はブドウの木の栄養分を奪っていきます また虫は
木を病むようにまた死ぬようにします ですから農夫はいつも清くブドウの木を管理してくれます
今日の聖書3節を見ますと私たちの木 枝この枝をどのように清くするのか
私の話した言葉によって清くすると言います 皆さん言葉によって神の御言葉によってどのように清くなりますか
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初めは御言葉を悟って悔い改めることによって清くなります また御言葉は私たちにビーズンを与えてくれます
ビーズンを与えてくださって私たちを引き立ててあげてください あなたは神の子供だ世の中の人と違うよ
あなたは祝福の源だ あなたは世の光だ世の塩だ自分の生き方をしっかりしなさい
聖書はいつも私たちにこの生き方を教えてくださる そしたら私たちはこのビーズンを持ってこんなことを切り捨てよう
こんな生活は悪いダメよ 全て切り捨ててこの小枝を全部切り捨てていきます
虫との戦って虫を勝ち抜いていきます そして私たちが清く清く神様の前で成長していくように
御言葉が私たちを引き立ててあげてください
このような神様とイエス様の愛と関心と励ましの中で 枝がやるべきことはたくさんの実を結ぶことです
たくさんの実を結んだら8節を見ますとイエス様の誠の弟子であり 神様は栄光を受けられると言います
葡萄の枝がどれほどの実を結ぶか 皆さん絵を見たことありますか
細い葡萄の枝ですけど そこから数多くの実を
葡萄のこの実を結んでいること これが写真でいろいろ見ているんでしょ
葡萄の木は 木材としては使うことができません
葡萄の木から私たちが願うことはただ実だけです この実によって人を喜ばせます
皆さんは果物の中で何が一番好きですか 私は葡萄が一番好きです
葡萄本当にですから私たちは口先だけではなく 実として神様を喜ばせてあげる
この2022年になれればと思います そのためにイエス様がお話しすることは
私につながっていなさいということです 枝が良い実を結ぶためにできることは
木につながっていることです 枝は自ら実を結ぶことはできません
しかし実は枝に結ばれます ですから神様はこの枝である私たちに関心があります
しかし枝である私たちにたくさんの実を結びなさいと許容しません
12:01
枝が努力するんだって実を結ぶことができないことをわかっていらっしゃるからです
しかし枝ができるのは木につながっていることです
どのくらい私たちがたくさんの実を結びたいですか それが枝が決めるんじゃなくて木が決めます
私たちがしっかりつながっているなら木が私たちに実を与えてくださるんです 先ほど申し上げましたけど私たちは枝ですけど
自由意志を持っている枝ですから 木につながるかつながらないかは私たちが決めることです
ですから修行書4節に私たちがつながっているなら イエス様も私たちにつながっていってくださる
皆さんイエス様と私がつながっていきたいと思っているなら私がつながっていればいいです またたくさんの実を結ぶことができます
つながっていなければ 実を結ぶことができませんそれだけではなく枯れてしまい
そしたら人々が燃やしてこれを捨ててしまいます ですから私たちは何があっても
木であるイエス様につながっていることこれが一番大事です ではつながっているということは実際どうすることですか
これは木に自粛的に留まって木と関係性をしっかり持っていくことです
良い事例があるんですけどラオテキア教会にイエス様が言われた見言葉です 牧師録3章20節を見ますと
実を私は戸口に立って叩いている 誰が私の声を聞いて戸を開けて開けるものがあれば
私もその中に入ってその人と共に食事をし また
彼もまた私と共に食事をするであろう つながっているということは
私の心を扉を開いてイエスキリストを受け入れ そして共に生活することです
共に飲んだり食べたり 私たちは前回主の晩餐式を行ったんでしょう
主の晩餐式を考えたらどうでしょうか 私たちはイエス様を愛してイエス様をおそれを敬う心で
ずっとイエス様を拝むことが大事であり またイエス様の血イエス様の体を飲み食いをしながら
イエス様の力イエス様の恵みによって生きる そうするなら実りはイエス様が結ばせてください
皆さん大事なのは今日は今日のイエス様の恵みで生きます 明日は明日のイエス様の恵みで生きます
15:08
私たちはイエス様の恵みに委ねて生きます この恵みが身を結ばせてください
神の恵みがいらない私がやる これがつながっていない人たちがやることです
自分の人生の持ち主人は私だ イエス様を受けたくないイエス様の話なんか聞きたくない
そうしながらイエス様の心の外に追い出されている イエス様はずっと自分の関係性を持たないんです
イエス様の統治を拒否し自分が主人になって生きる生活がつながっていない生活です
考えてみてください 木に枝がつながっていないで枝が独自にできることは何があるのでしょうか
枯れてしまうでしょう 緑もないでしょう 自分は自由だと思っているかもしれないけど
木から栄養分木からすべての力を受け入れていない枝の姿
これは農夫は許されません この者たちは全部燃やしてさばいてしまいます
ですから私たちがイエス様を受け入れてイエス様の中にとどまるために また持続的にとどまるために枝ができることを聖書は2つ教えてください
一つは見言葉です 七節を見ますとあなた方が私につながっており
私の言葉があなたたちの家にいつもあるならば いつもつながっているなら
いつも何によってつながっているのか 見言葉によってつながるんです
皆さんイエス様は今生きておられます イエス様見えますか
見えません しかしイエス様とどのようにつながるのか
イエス様が教えてくださった見言葉によってつながるんです 私たちが日曜日にメッセージを聞き
毎日朝のデボーションをやり また聖書の音をいつも近くにしいつも読んでいる
暗唱しながら書簡を書きながら このようにすることが
見言葉と近くにするイエス様と近くにする生活です
詩編の一章の二編でいかに幸いな人なのか 主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人
私はこのメッセージを準備しながら少し反省することがありました 昼も夜も口ずさむ人ということなんですけど
18:02
夜寝る前に youtube を見たり
ここにハマってしまえば 夜
聖書を読むことがなかなかできないでしょう ああダメだなダメだなと思いながら何とか見てみたいことがいろいろあって
今韓国は選挙があるんだ 大統領選挙の前に動きがどうなっているのかいろいろ見るために
ああ今大変だなと思いながら反省しています 皆さん
昼も夜も口ずさむ人 見言葉を口ずさむ人
これが私たちがいつも聖書とともにイエス様とともに生きる秘訣なんです このように見言葉の中にとどまる人にくださる約束が七節にあります
望むものは何でも願いなさいそうすれば叶えてあげる
望むものは何でも願いなさいそうすれば叶えてあげる 皆さんこれは素晴らしいんじゃありませんか
見言葉の中で私たちが願うすべてが叶えられる 成し遂げられる
本当に素晴らしい約束ではありませんか また持続的にイエス様の家にとどまるためには愛の中でとどまることです
9節見てますと父が私を愛されたように私もあなた方を愛してきた 私の愛にとどまりなさい
イエス様の愛にとどまるためには何をすればいいのか
イエス様が私に今まで何をしてくださったのか イエス様の愛をずっと思い出すことが大変
夫婦も同じですよ夫婦の中で愛を続けて持っていくためには昔恋愛の時から 夫婦の愛でどのぐらい何があったのかを思い出す
それでいつも感謝していくことが大事でしょう イエス様と弟子たちのラブストリー
私たちもイエス様とのラブストリーがあるんじゃありませんか 私をどのような状態で私を招いてくださったのか
いつも共にやってくださるし 細かく教えてくださるし導いてくださるし
また必要なことは全て満たしてくださる その愛の交わりの中で弟子たちが成長して人となりました
このイエス様の愛の関係が彼たちの一番の確信であり 信仰の原動力になりました
ですから第一ヨハネ1章の3節4節に 私たちは見たことまた聞いたことをあなたたちに伝えるよ
そのイエス様 私たちの交わりは御父と御子イエスキリストの交わりだよ
21:00
イエス様との愛の交わりの中で確信があり喜びがあるんですよ と言いながら彼たちはイエス様を述べ伝えたんです
ところが御子供の中に留まることと愛の中に留まることには関連性があります
皆さん愛するなら愛する人が言うすべてを私がその通り生きるようになっています
一番いいのは夫婦の関係ですね 愛がいいところでは旦那さんが言うことを奥さんが全部やります
愛するから全部やってあげます これ愛ということはその人が言われたことを私がその通りやってあげる
これが愛の印ではありませんか この人が言った通り私は全くやってない
むしろ逆にやるということは愛してないということの印でしょう 私たちが神様を愛することこれはどれほど大事なのか
新明紀30章20節を見ますと 神の御言葉に留まり御言葉に従うことが命と祝福だと言います
皆さん御言葉に従うことが命と祝福なんですけど御言葉に従うことはみんな嫌がります しかし
イエス様愛する人神様愛する人は 神の御言葉は私たちに従うのは本当にやりやすいことです
当たり前のことだと思います 結局イエス様愛する人が命と祝福が満ちあうれる人生になるんです
今年私たちはイエス様の御言葉の中で イエス様の愛の中でとどまりましょう
そうするとき神様からの祝福と実りが満ちあうれる 私たちの人生になるでしょう
3番目です 今まで私たちは教会で十字架の福音を通して信仰を学びました
そこで私たちの信仰は神様との親しい交わりの中で PLOの生活だ
祈って聞いて従う生活だといつも学びました ここでイエス様とつながっているこれが神様との親しい愛の交わりです
見事もの中で愛の中でとどまることです 信仰生活でこれよりもっと大事なことはありません
これは今まで調べてみたんですけど続けて強調していきたいと思います したし愛の交わりの中にいるなら神様は私たちに語りかけてください
何を語りかけてくださいますか 命と祝福の人生を生きる道と方法です
24:02
そうするなら私たちは聞いて従えばいいです 聞いて従うなら神様は私たちにたくさんの実り良い実りを与えてくださるでしょう
今年はこの親しい交わりと PLOの生活についてこれが理論ではなく実際になるように
何があってもこの場面で神様と親しみの中にいることは何なの この中で神様が何と言われるのかそれを私たちはしっかり聞いて行いたいと思います
そうするなら命と祝福が満ちあうれる今年になると信じます このように私たちがイエス様と親しい愛の交わりの中で
イエス様の御言葉に従うことがイエス様につながっていることであり イエス様を愛することであり信仰の本質で行うことであります
ここに豊かな実り神のご臨在 命と祝福があります
結論を申し上げます 私たちは過去自己中心的に自分勝手に過ごして
酸っぱい葡萄 また
自分勝手に過ごして木から離れて枯れた枝のようなものでした
結局実りもないまま裁かれるものでした しかし今はイエス様の忠実家の功労によって
真っ事の葡萄の木であるイエス様に継ぎ木されているもの そしてつながっているものとなりました
つながっているということはどれほど大事なのか もう一度確かめて御言葉の中で愛の中で
親しみとPLOの生活を今年はぜひ実践していきましょう そしてたくさんの実りを結ぶ私たちになりたいと思います
イエス様に見習ったイエス様の実りは何ですか 内的にはイエス様に習った
好品性を持つことになります 乳和な人愛が満ちあわれる人になります
快適にはイエス様のような驚くほどの奇跡の働きができます これが神様が葡萄の木の生活をする私たちにくださるイエス様の実りなんです
ぜひとも 私たちはこのようになりたい
また葡萄の木の意味が喜びですから 私自身の信仰生活が喜びになるようにぜひやっていきましょう
私はこれをメッセージを準備しながら 私自身よりもっともっと今切なのは
27:00
私の息子娘 私たちの2世たち
また教会学の子どもたちも ぜひともぜひとも
葡萄の木の生活ができて 神様がくださる命と祝福の実りが豊かに実る人生
過ごす子どもにさせてあげたいという願いがいっぱいありました ぜひともぜひとも私たちの教会の皆さんが葡萄の木の生活ができますように
2022年度特に実りが豊かにありますように 祈る心でいっぱいです
お祈り出します 新年の初め私たちは私たちのアイデンティティである
葡萄の木の生活を再び考えてみました 今年はイエス様とつながり
たくさんの実を結ぶ私たちまた教会になるように恵みを与えてください イエス様の皆を通してお祈り致します
アーメン アーメン
28:07

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