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2022-04-24 30:15

「イエス様の昇天と再臨の間で」2022年4月24日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年4月24日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

使徒1:6-11 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

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今日は、イエス様の焦点とサイリンの間に、という対応をもって 御言葉を分かち合いたいと思います。
教会は、今、使徒信条について、いろいろ調べているところでありますけど、 私たちは、父なる神様を信じます。
子なるイエス様を信じます。 また、聖霊様を信じます、という信仰の告白をします。
ところが、神を信じますといったときに、 何をされた神様を信じるのか。
この内容が大事なんです。 それを、今、分かっちゃっているところですけど、父なる神様は、愛の神様でした。
人間を愛して、人間を幸せにしてあげたいと言われる、 父親、母親の心。それが、父なる神様の心です。
また、イエス様は、恵み豊かなイエス様。 本当に、イエス様を信じます。
賢罪という呪いの中で、悪魔の奴隷の生活をしている人間を救うために、 人間を救いたいという、父なる神様の身心を叶えてあげるため。
また、罪の中で、苦しみの中で過ごしている人間を救うために、 イエス様御自身が、犠牲になって、
十字架を背負ってくださり、私たちの罪を全部、イエス様が担ってくださった。 そして、私たちに救いをもたらしてくださった。
だから、これが恵みだということです。 イエス様には、恵みが豊かにあるんですね。
そのイエス様は、十字架を背負って死んで、 そして、三日目に復活されて、そして、昇天されました。
イエス様は、再びこの世に来られます。 再び来られる時には、裁き主として来られます。
今は、イエス様は救い主として来られたんですけど、 最後は裁き主として来られます。
だから、イエス様が昇天され、次に再臨される時まで、 今の時期がなぜ大事なのか、これを一緒に今日考えてみたいと思います。
イエス様の昇天から、イエス様の再臨の間、 この時期を最後の時期と言います。
この最後の時期が、今私たちが住んでいる、新約時代です。 新約時代は、いろいろな意味で、大事な役割を私たちが果たさなければいけない、大事な時期です。
じゃあまず、イエス様が十字架で死なれて、復活されたことによって、 3つのことが与えられました。
まず初めに、悪魔が滅亡されました。
03:01
この滅亡という言葉が変ですけど、武装解除されました。
またイエスキリストを信じる人には、救いが与えられました。
また、イエス様の十字架の功労によって、 信じる私たちに、聖霊様が来てくださったんです。
これが、イエス様の十字架と復活によってできた、 私たちに与えられた神様の恵みですね。
じゃあまず、イエス様の十字架の復活によって、悪魔が裁かれました。
第1ヨワネ3書8節を見ますと、
罪を犯す者は悪魔に直します。 悪魔は初めから罪を犯したからです。
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。
イエス様が現れて、死の力を持っている悪魔を滅ぼして、 そして十字架と復活で勝利されました。
ところが、この悪魔が最後の審判を受けるのには、
イエス様が再現なさったとき、最後に審判を受けます。
それで、その時は悪魔が地獄、底なしの淵と言います。 そこに投げ込まれるようになります。
ですから今、主役時期は、悪魔がイエス様に負けては負けたんですけど、
完全に滅ぼされたわけではありません。 ですから、主役時代の悪魔は、
最後の足掻きをしています。 この時期が主役時代です。
皆さん、旧約聖書を読んでいますと、悪魔という記事がなかなか見当たらないですね。 しかし、主役の時代には、悪魔が度々現れる聖書です。
なぜかと言いますと、最後の時は悪魔が足掻きをする。 主役時代はその時期だからです。
最後の足掻きをする悪魔は怖いですよ。 怖いです。ですから私たちは、私たちの力で悪魔との戦いをするのではなく、
イエス・キリストの力で戦わなければ、悪魔に勝つことはできません。
さあ、2番目です。イエス様の昇天と祭倫の間を、新約時代と言いますけど、
新約時代は2つの言葉で言います。 恵みの時期だ。また、聖倫の時期だと言います。
まず、この時期は、新約時期は恵みの時期です。 誰でも主の皆を呼び求める人は救われます。
イエス様が来られた理由は、忠実家と復活を担った理由は、恵みを施すためでした。
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イエス様が祭倫なさる時は裁きのために来るんですけど、今は恵みの時期です。
ですから誰でも、どんな過ちを犯したとしても、どんな罪を犯したとしても、
どんな悪いことを犯したとしても、悔い改めてイエス様が私のために忠実家を背負ったと信じるなら、救われます。
今は裁きの時ではありません。 恵みの時です。
許されない罪はありません。 人殺しをしたんですか、
下院をしたんですか、泥棒をしたんですか、
何でもいいです。 悔い改めてイエス様を信じることさえあれば、
許されます。救われます。 これが恵みだということです。
私たちは何も悪いことしかやったことはないんですけど、イエス様の厚労によって私たちはただで
許され、救われ、恵み、祝福をいただきます。 これが感謝だということです。
これが恵みの時期という意味です。 またこの時期を聖霊の時期だと言います。
イエス様が忠実家で死んでくださることによって、信じる私たちに大きな祝福を与えられたんですけど、
カラリア3章の13節と14節には2つの祝福が望んだと言います。
キリストは私たちのために呪いとなって、私たちを立法の呪いから贖い出してくださいました。
木にかけられたものはみんな呪われていると書いてあるからです。
それは忠実家にかけられて死んでくだせた理由は、
アブラハムに与えられた祝福は、キリストイエスにおいて違法人に及ぶためであり、
昔私たちは違法人でした。アブラハムのユダヤ人ではありませんでした。
しかしアブラハムの祝福が違法人である私たちにも及ぶようになった。
また私たちが約束された霊を信仰によって受けるためでしたと言います。
まず私たちはアブラハムが受けた祝福をいただくようになりました。
アブラハムを受けた祝福は、創世紀12章2節3節にあります。
神様はこう言います。
私はあなたを大いなる国民、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源になるように。
あなたを祝福する人は私が祝福し、あなたを呪う人は私が呪う。
地上の種族はすべてあなたによって祝福に入ると言いました。
これが私たちにも同じようにこの祝福が臨むということです。
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ところが中2章3節を見ますと理解ができないんですね。
あなたを呪う者は私が呪うと言います。
皆さん私たちが過ちを犯すなら、他の人が私を責める場合もあるでしょう。
非難する場合もあるでしょう。
ところが、私が過ちを犯して悪いことをしても、他の人が私を責めるのを神様が許されないと言います。
神様が許されない。
悪いことをしたら、非難されるべきなんですけど、そうしたらいけないと言います。
なぜなら、キリスト社に問題が起こったら何がためになりますか。
命の福音がためになります。
イエス・キリストの福音がためになるからです。
伝える人がいなければ誰が信じますか。
キリスト社じゃなければ誰が伝えますか。
ですから、福音を伝えるキリスト社は、ためになってはいけないと言います。
皆さん、創世紀12章から24章まで、アブラームの記事が違ったと書いてありますけど、
アブラームは、いろいろ、たくさん過ちを犯します。
ところが、アブラームは絶対に呪われることはありませんでした。
なぜなら、アブラームが問題があったら、その系統として来られるイエス・キリストが問題になるからです。
だから、アブラームが悪いことをしたとしても、アブラームを非難することは、その記事ではありません。
自分が悪いことをしたのにも関わらず、その相手がアブラームを祝福してくれます。
これが、アブラームに与えられた神様の特別な保護と言いましょうか。
今、キリスト社がダメになったら、福音がダメになります。
福音がダメになったら、福音を聞いて救われる人がいなくなります。
だったら、どうするんですか?
福音のゆえに、キリスト社は特別保護されます。
これが、アブラームに与えられた特権であります。
またもう一つは、助け主聖霊様が私たちに来て、一生におられます。
聖霊の働き、その役割は非常に大事なので、次回、皆さんとゆっくりお話をしたいと思いますけど、
今日は二つだけお話ししましょう。
一つは、聖霊様が来られた理由は、信じる人のうちにおられ、
信じる人を助け、守り、導いて、天国まで安全に連れて行く、
導いて行くために、救われた人のうちには、聖霊様がおられます。
これは、聖霊様を大切にしていかなければ。
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もう一つは、信じていない人、救われていない人を救うために、聖霊様の働きがあります。
皆さん、信じていない人を助けるためには、聖書が必要でしょ、教会が必要でしょ、弟子立ちが必要でしょ。
だから、聖書を記録すること、教会を建てること、弟子立ちを要請することを、聖霊様が積極的になさいます。
それで、信じない人々のところにいて福音を述べ伝えることができるように、助ける役割を聖霊様がなさいます。
救いを待っているこの世界、しかしこの中で働くこの世の神と言われるこの悪魔が、
絶対自分が支配しているこの人を失いたくないと思っています。
私たちが福音を伝えて、救いたいんだけど、絶対失いたくないという悪魔、この間に激しい霊的な戦いがあります。
悪魔は、この世の中のすべての人を目が見えないようにします。
第2コリーント4章4節、この世の神が信じようともしない人々の心の目を眩まし、霊的な目を眩まして、
神の御姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないように妨げをするんです。
だから人々を誘惑して、騙して、そして目を眩まして、
イエス・キリストの福音を絶対わからないようにしているものが悪魔です。
だから、今世の中の人々は神様を知りません。
神と言っても、いろいろ神々、他の神々ですけど、本当の神様を知らないようにします。
また、この世の中は100年ですけど、この後、永遠な天国と地獄があるということは、
絶対わからないようにします。
だから、この世の中の人々は、死んだ後の世界を準備することはできません。わからないから。
だから、100年がすべてです。
この100年の中で、うまく食べて、うまく生きて、そして将来に対するいろいろな保証をもらって、
幸せになることばっかり考えて、一生懸命働くんですけど、
皆さん、100年の後に何があるのか、わからない。
死んだら終わりだと言います。終わりではありません。
死んだ後がもっと大事です。永遠に生きる世界ですから。
だから、永遠に生きる世界には、天国に行かなきゃいけないんですけど、
イエス・キリストを知らなければ、天国に行けません。
だから、みんな地獄に行くでしょ。
地獄は永遠な刑罰、永遠な苦しみです。
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だから、神様は、神の見姿で作られた人間は、絶対地獄に行けないと思って、
今も待っておられるし、今も福音を伝えることを願っておられて、
福音を伝える人々は、励まし、助け、祝福を与える。
いろいろな神様の特別な徳権を与えてくださっているんですね。
皆さん、大事な時期、今、福音を述べ伝えることです。
ですから、聖典と祭輪、イエス様の聖典と祭輪の間に、
一番大事なのは、イエス様が成し遂げられた救いの御業を、
すべての人に伝えて、その人を信じるように助け、
そして、神様の子供になり、天国に行くように助ける役割が、今、一番大事なんです。
これが、救われた人々に与えられた使命です。
これを大選挙命令と言うんですね。
マッタイ28章19節。
だから、あなたたちは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。
今日、教会学校のメッセージを聞いたら、この部分を教えてくださるんですね。
どなたにメッセージを伝えるべきですか?
私の一番近いいる人、私の家族、子供、また旦那さん、妻、
一番短い人をはじめに、これからだんだん少し少し離れている人たちに福音を伝えることでしょう。
一番短い人は、私以外を伝える人がいません。
だから、一番短い人のために切々に祈って、福音を伝える、福音を見せてあげる。
これが私たちのやるべき一番大事なことではないでしょうか。
ところが、私たちの力ではできません。
大選挙、命令を成し遂げる、その方法として教えたことは、
始土行伝一書八節です。
あなた方の上に聖霊が下ると、あなたたちは力を受ける、そして私の証人になれるんだということです。
地の果てにまで福音を伝えるのですが、私の力、私の方法ではなく、
聖霊さまによって、聖霊十馬によって、聖霊さまが伝えるようにしなければなりません。
この働きは、イエスさまがよくなさいました。
ヨガネ三章三十四節、神さまがお使いになった人は、神の御言葉を話される。
神が、霊を限りなくお与えになるからです、と言います。
イエスさまは、聖霊の力で働かれました。
私たちの力ではできない理由は、武装解除されたんだけど、悪魔は甘いものではありません。
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悪魔は強いんです。だから私たちはできません。
イエスさまが伝えるとき、聖霊さまが伝えるときにできます。
だから聖霊さまが来られて、私の家におられ、たびたび上から力で与えてくださり、またリバイバルとして私たちを助けてくださいます。
この聖霊の力で、私たちはこれから働くことができるんです。
じゃあ、今人類の最後に、神さまと私たちに一番大きな課題が、何ですか?
地の果てにまで福音を述べ伝えることです。
私は使徒信条を唱えるときに、天に登って、全能の父なる神の右に射しておられます。
そこから来られて、生きている者と死んでいる者と裁かれます。
私はこの部分を唱えるときに、胸がドキドキします。
なぜなら、ここに私たちの役目があるからです。
神の大きな御業の中に、私たちの働く役割の部分があるんだということは、どれほど胸がドキドキすることでしょうか。
ところが、私たちの力ではできない。
私たちが精一杯頑張るんだとしても、落ち葉拾うレベルしかできません。
しかし、神さまは大収穫を行おうとしています。
落ち葉拾いが悪いということではありませんよ。
神さまは最後に大収穫をもって、全世界の人々を救いたいと願っています。
一人も神の御姿である人が地獄に行ってはいけないということです。
そのためには、イエス・キリストを知らせるべきですけど、それは私たちの頭ではできません。
精霊さまが悟らせてくださり、精霊さまが示してくださるなら、人々は目が開かれて、イエスさまを受けるようになるからです。
最後の時の神さまに用いられる人々になるために、きょうは3つ大事なキーワードがあります。
これだけはぜひ覚えていただきたいんですけど、
はじめは、新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるべきだと。
新しい革袋の境界に、新しい葡萄酒であるリバイバルを与えてください。
私たちの力で、私たちが何とかしてできることではない。
精霊の力でできます。
だから精霊さまが来られることを徹底に求め、精霊さまが来られるのに器作りが大事、器。
これが新しい革袋の境界です。
これが私たちの使命です。
21:00
ぜひとも新しい革袋の境界を作る、これをやっていきましょう。
これがはじめのキーワード。
2番目のキーワードが、キリストの兵士ということです。
皆さん、私たちの大将、私たちのリーダー、私たちの主はイエスさまです。
私がリーダーではありません。私が大将ではありません。
イエスさまです。私たちはイエスさまに従う兵士なんです。
これをぜひ覚えていただきたい。
私は主ではありません。主に聞いて従う、しもべの役割をうまくやることが一番大事です。
戦いは私がやるのではありません。
万王の王、万主の主であるイエスさまが悪魔と戦うんです。
そうしたら素晴らしい勝利が与えられるんです。
私たちがやれば負けます。できません。
だから主がなさるんです。私はキリストの兵士だ。
ついていく兵士だということをぜひ覚えてください。
3番目、私たちはキリストの神父だということです。
誰より信頼であるイエスさまを愛して、信頼のために自分のすべてを捧げ、惜しいと思わない神父の礼制を持たなければなりません。
イエスさまが再現なさりますけど、なぜ再現なさるか知ってますか?
ご自分の嫁さんを連れに来るんです。ご自分の神父を連れに来るんです。
だから天国に入りたいなら、イエスさまを愛するキリストの神父にならなければいけません。
ぜひ覚えてください。
私はただイエスさまを信じますというこの言葉で私たちが天国に入るわけではなく、
キリストの神父、キリストを一番愛する人を神イエスさまが天国に迎えてくださります。
だから最後の時、天国に入ることをキリストの婚礼と言います。
キリストとの婚礼式に参加する。
だから私たちはキリストの神父という言葉をよく覚えていかなければなりません。
じゃあ初めに新しい革袋。
また革袋に新しい葡萄酒を入れる。
2番目にキリストの変身、キリストの神父。
この3つのキーワードをよく覚えて、このような姿勢でイエスさまとの関係性を持っていくなら、
イエスさまが喜んで喜んで私たちを道路者として受け入れてくださり、
イエスさまが自ら戦って勝利は私たちに与えてくださると信じます。
この時落ち葉拾いじゃなくて大収穫が行われるでしょう。
24:01
じゃあこの上の3つ、新しい革袋の教会、またキリストの変身、キリストの神父、
これをうまくするために私たちの教会は、
私たちの信仰は神様との親しい交わりであり、神の御声を聞いて従うことだということを私たちが今言っているところでありますけど、
とにかくマッタイ24章14節、地の果てにまで福音が述べ伝えられたらイエスさまが来られます。
イエスさまと会いたい、イエスさまと出会いたいと思っている人は、
地の果てにまで福音を述べされるその働きのために自分が自ら福音を伝えるか、
その働きのために祈り、とりなし祈りを持って助ける、応援していく、自分が参加する役割をする、これが大事なんです。
皆さん、私たちがこの世の中で行われた全てのことは死んだら終わりです。
皆さん、私たちはこの世の中で立派な会社にいました、博士でした、いろいろな社会的な身分がありました、
それをいっぱい一生懸命やるんだって、死んでから持っていくことは何にもありません。
この世の中でやったことは全てこの世の中で置いていって私は生きます。
しかし、死んだ後持っていく唯一のことがあります。これは何ですか。
命を救ったことは天国まで持っていきます。
私が福音を伝えて、その人がイエス様を信じて救われた、永遠の命を得たということは、天国に行ってその人と一緒にいます。
天国でその人が先生、あなたのゆえに私が救われましたよ、天国に入りましたよ、ありがとうございます、ありがとうございます、これいつまでするのか、永遠にします。
だから天国でたくさん救われた人々を導いた人は、あちこちから先生ありがとう、ありがとうということをいつまでも聞くでしょう。
でも一人も救われなかった。自分に言ってくれる人が誰もいない。困るんですね。
だから天国まで持っていくのは命を救ったことだけ。
天国に行ってみなさんいつまでもいつまでも感謝とほまれといろんなことを私たちに称賛ということを与えられます。
ぜひとも命の救いは永遠にいくんだということを覚えていただきたいと思います。
じゃあ結論を申し上げます。
主とキリストのために自分のすべてをかけて生きる人は幸いな人です。神様が一番喜ばれる人です。
私は子供のとき母親を喜ばせるために勉強しました。
27:00
年の2回くらい成績表を持ってくるなら、私の母親は喜んで喜んで、やったーっておいしいものを料理いっぱいやってくれました。
だから母親を喜ばせるために子供のときには一生懸命勉強しました。
結婚してからは私の妻を喜ばせるために会社で一生懸命働きました。
給料もらいました。ボーナスもらいました。昇進もしました。妻が喜びました。
そのことが嬉しくて嬉しくて。
男たちはそうですね。妻が嬉しいなら何でもやります。
だから妻を喜ばせるために働きました。
ところが今人生の最後に、今私たちは主を喜ばせるために主が喜んでおられることを一生懸命やりたい。
その立場で今いっぱいあります。
主と福井のために全てを犠牲して主のために働くとき、私の心の中で主が
今日はうまくやった。頑張ったね。よくやった。
その声が聞きたい。聞きたい。
主を喜ばせるために私の人生の最後は主のために生きたいと思います。
地の果てにまで福井を延べしたい。
イエス様が来られてイエス様と共に永遠な天国で永遠に幸せと祝福の中に生きる。
私がそれが私の唯一の希望です。
私はこの世の中で未練ありません。
ピリッポ1章23節24節にパウロがこう言います。
私が早く天国に行きたい。
しかし私がこの世に残っているのはあなたたちのために残っているんだと。
自分の使命があるから残っているんだと言いました。
私は全く同じ気持ちであります。
皆さん私たちが使徒信条を唱える時に
いつも父なる神様に感謝します。
イエス様に感謝します。
精霊様に感謝しますと言いながら
今私たちがやるべきイエス様が再び来られること
そのことを待ち望みながら
私がやるべき役目をしっかりやるぞ。やりたい。
この熱望が湧き与えることができますように。
ぜひともぜひとも使徒信条がそのような
私たちに熱望を与えてくださるようにお祈りします。
今日分かっちゃったことなくなって
神様を喜ばせる。イエス様を喜ばせる。
私たちになりましょう。
お祈りいたします。
主よ、私たちのためにこの世に来られて
十字架と復活によって成し遂げてくださった
救いの御業を考えれば考える感謝しかありません。
その恵みに感謝する心で
30:02
私たちに与えられた使命をうまく担って
主を喜ばせる私たちにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン。
30:15

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