今日は、私たちの信仰の基本の基本という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、結成マナー会がありました。 国先生たちの集まりに行けば、いつもたくさんのことを学び、たくさんのことを考えるようにしてください。
8月は夏ということで、1ヶ月休みを取った後、9月、先週集まりました。
そこで集まって分かち合った内容を考えて、今日のメッセージを準備しました。 先週の集まりの、
説教のメッセージは、リーダーである飯塚先生がなさったんですけど、 先生はサウンド・オブ・フリードムという映画を私たちに紹介してくださったんです。
その映画の内容が、 児童たち、子供たちを誘拐して人身売買する、
そのような社会問題を取り扱ったんですけど、 もっと大きな問題は、そのような現実問題が深刻なのに、
それを隠そうとする勢力があるんだということ。 そのようないろいろな戦いを取り扱う映画だと言うんです。
みなさん、 子供たちを
誘拐して人身売買する。 それでどうするんでしょう?
そのような社会問題、 これは私たちキリスト者人には見逃すにはいけない大事なテーマであります。
私たちは社会問題に対して責任があります。 キリスト者は。なぜなら神様が創世紀1章28節、
埋めよ増えよ、地に満ちて地を従わせよ、 そしてすべてのものを支配せよと言われたからです。
キリスト者は社会問題、この世界で行われるすべてに対して責任がある。 それを私たちは考えなければいけません。
ですから、教会・協議会が声を出し始めたと言うんですけど。 教会・協議会が声を出すんだって、今の社会の問題が解決できるんでしょうか。
じゃあどうすればいいんでしょう? 人身売買の問題をメッセージされた後、
飯塚先生は私たちに、先生の中で何人か祈ってくださいと言ったんですけど。
まあ、あえて
祈りができなくなりましたね。
和地先生が勇気を出して祈ってくださったんですけど。
そのような話を聞いたら、私たちは
声を出すことはできません。
なぜなら、正直に自分の教会の問題も山ほどあるのに、
社会の問題まで取りようとするなら、 その気にならなかったでしょう。
本当に今の私たちの教会がやっていかなきゃいけないことはたくさんあります。
ところが、今私たち日本の教会の現実、 日本の教会は規模が小さいです。
普通20人30人の教会がほとんどではないでしょうか。
50人集まりは大きい教会です。 100人、300人、500人だったら超大型教会でしょう。
韓国なら何万人くらいの教会はたくさんあります。 何十万人の教会もあるそうですけど、
日本の教会は絶対的な資源が足りないです。
ところが、このような資源が足りない教会が、 どうして社会の問題を全部取り入れて、それを担っていくでしょう。
この問題、あと問題、いろいろ参加してしまえば、
結局一つもうまくできないまま、忙しいは非常に忙しいけど、
何にも役に立たないものになるんじゃないかと思います。
もちろん、信徒たちにこのような話を申し上げて、 祈ってもらおう、みんなが一緒に祈ることは非常に大事だと思います。
私たちの教会は、この人心売買の問題、 社会問題をどのように考えていかなきゃいけないのか、
1週間悩みながら、今日のメッセージを準備するようになりました。
言い訳のように思われるかもしれませんけど、 私が申し上げたいことは、
各教会に与えられた神様の使命があること、 それをまず考えていきましょう。
ホームレスの働き、脱北者の働き、人権問題、
また、人心売買問題、同性愛の問題、 社会的な各社の解消、
教会がない地域に教会を建てる働き、 いろいろなテーマが、課題があります。
また、私たちみんな共通的に伝道、 また弟子をすること、働きをしなきゃいけません。
やることはたくさんあるんですけど、 私たちはこれ全部はできません。
だったら何を優先的に行わなきゃいけないのか、 ということですね。
もしある人たちが、 私の教会はなぜホームレスの働きをしませんか、
という人がいるかもしれません。 私たちの教会はそんなことに関心をしないで、
毎週何をしているのですか、 情けないと言われるかもしれません。
正直に言い訳ではなく、 そのような働くことのために祈ることはみんなやらなきゃいけないんですけど、
各教会の招き、各教会に与えられた使命が、
各々異なるということを理解していただきたいと思います。 大事なのは、自分に与えられた使命はしっかり担わなければいけない。
そのためには、選択と集中という言葉を、 私たちが考えなければいけないということです。
初めから申しますけど、私たちの教会、使命は、 リバイバル、リバイバルを受け入れる器を準備することです。
回復とリバイバル、そして大収穫を備えることです。
私は今まで申し上げました、社会の問題を解決するためにも、 リバイバルが来なければいけないと思います。
皆さん、イギリス、 ヨアン・レスリーによって、イギリスのリバイバルがありました。 イギリスのリバイバルによって、当時の社会が変わりました。
ジョナダン・エドワード、チャルス・ピニー、 そのような人たちによって、
アメリカのリバイバルがありました。 それによってアメリカが近代の国として変わっていきます。
日本にリバイバルが来るなら、日本の社会の問題、 信仰の様々な問題が解決できると、私たちは信じています。
ですから、私は今度の結成招きを終えて帰りながら、 また1週間悩みながら、
私たちはどのように働きなければいけないのか、 教会の招き、教会の使命に対して、もっと確かにしなければいけないと思いました。
皆さん、私たちは神様が与えられた使命があるし、 神様の招きがあります。
この招きに従って働くことは大事です。 創世記・アブラム・イサク・ヤコブ、
神様は彼らを招きました。 彼らはカナンを絶対離れない。
何があってもカナンを離れない。神様が行きなさいと言われるまでは、 カナンの地を離れませんでした。
なぜなら、カナンの地が自分たちが示された地、 約束の地、使命の地だからです。
だからそれを離れなかった。これを見る時に、 神の招きを守ること、これが大事です。
同じように、私たちは私たちの教会が招かれた、 この回復とリバイバルの使命、それが大事です。
そのために、マルコのアップルームで、 当時の諸大学の神徒たちが集まったように、
私たちがここで集まっているのです。
リバイバルを準備するとする時に、 一番気にしなきゃいけない聖書があります。
これがマルコ2章22節です。 新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるものだ。
新しい葡萄酒ということはリバイバルを意味します。 このリバイバル、新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるものだ。
リバイバルを求めるなら、 まず新しい革袋を準備しなさい。
イエス様の後生涯は、新しい革袋を準備する働きでした。
イエス様は古い革袋、 既存のバリサイビとサトカイ派のような信仰の上に、
リバイバルを入れることはできないと思いました。 イエス様とイエス様のジュニ弟子のような新しい革袋を作って、
そこにリバイバルを与えようと思いました。 この古い革袋と新しい革袋は何が違うんですか?
結論的に申しますと、リバイバルが来た時、古い革袋の人たちは、みんな気が狂ったと言いました。
お酒に酔ったと言いました。 しかし弟子たちは、政令によく従って、
イエルサレム、サマリア、アンディオキア、 ショーアジア、ヨーロッパまで福音を伝えることができました。
どのようにそれができたのか? イエス様が新しい革袋でした。
そのイエス様が、政令によって働くことをずっと見たんです。 政令に導かれ、政令に従って働くことを見て、
弟子たちもついてきたんです。 そのように、政令を受け入れ、政令によく従う器が新しい革袋です。
そのような新しい革袋になるために、5つの柱があるということを、十字架の福音で学びました。
今日はこれを簡単に申し上げましょう。 まず十字架の福音です。
2番目、賛美と敬拝の礼拝です。 また、見言葉と政令の調和、愛の交わり、また養育ということです。
これは皆さんご存知の内容なので、今日は簡単に申し上げましょう。 まず十字架の福音です。
私たちの教会は十字架の福音、十字架の福音をたくさん言います。 簡単に申しますと、十字架の福音は正しい信仰を求めることで
理解していただければと思います。 私たちは大抵、熱心にやればうまくやることだと思うかもしれません。
しかし、熱心にやることが大事ではなく、正しくやらなきゃいけません。
信仰には、自己中心的な信仰があり、神中心的な信仰があります。 自己中心的に自分の欲を満たそうという信仰生活には、
聖霊様が働きません。 イエス様は、ヨアネ8章44節で、自分の熱心によって立法的に信仰生活するパリサイ人たちに、
あなたの父は悪魔だと言いました。 あなたの父は悪魔だと言うから、
パリサイ人はどれほど怒ったんでしょう。 自分の欲を満たそうとする信仰生活は、聖霊の働きができないということです。
神中心的な信仰が、聖霊の働きができます。 また、私たちの信仰には、本質と儀式があります。
二つとも大事です。 しかし、本質がない儀式だけの信仰は、中身がない信仰です。
ですから、神を知り、神を愛する心で 全てを行う信仰生活、これが大事です。
結局、十字架の福音、正しい信仰になるとき、 聖霊様が働く新しい川袋になれます。
2番目、賛美と敬拝の礼拝です。 聖書は、神様はイスラエルの賛美の中におられると言います。
イスラエルの賛美の中におられる主よ、 という聖書が出てきます。
それだって、聖歌隊、オーケストラのような立派な 開明的な姿の賛美ではありません。
心を込めて、神を愛し、神を喜ぶ人々の間に 神様がおられると言います。
例えば、シド行伝16章25節に、 パウルとシラスがピリポで福音を伝えながら、
鞭を打たれ、牢に閉じ込まれました。 福音を伝えながら、鞭を打たれ、牢に入れられる。
大変でしょう。 しかし彼らは夜中で、
その牢の中で賛美をします。 そこに何か楽器があったのでしょうか。
何もなかった。 しかし、二人は心から神様に賛美をします。
そしたら、この牢の中の土台が緩く起きます。 この縛られていたデジョーが溶かされます。
そして解放されるんですね。 その時、ピリポの牢の監囚が救われるんですね。
また、ピリポ地域の教会が建てられます。 どこでも私たちが神様を喜びながら、
賛美の礼拝を捧げるなら、そこに聖霊様が来られます。 ですから、賛美が大事、賛美が大事というのです。
だから、それだって立派な音楽声とか言うことを求めることではありません。 心から神を喜び、感謝するところに聖霊様が来られます。
また、見言葉と聖霊の調和です。 最近、もっともっと私はこれを感じるんですけど、
神様からいただいたメッセージを伝えるなら、聖霊様が働く。 しかし、自分の話をするなら何もない。
特に、行為とかそのことを取り扱ったら お互いに難しくなることを感じます。
メッセージだけではありません。 人々に上限する時も、自分の考えを言ってあげる。
これは何にも良いことはありません。 神様に聞いてみて、神様が何とくださるメッセージをお互いに分かち合うなら、
そこで神の働きがあり、大きな効果があることを感じます。 ですから、教会のすべての働きは、神様から与えられる、
そのようなことを分かち合うなら、 聖霊が働かれ、その教会に本当に素晴らしい働きがたくさんできる、ということを感じます。
また、愛の交わりです。 皆さん、愛する人がいたら、その愛する人に何とかしてあげたいでしょう。
同じように、誠の愛は必ず奉仕、 使えることによって現れます。
イエス様が弟子たちに、一番先になりたいものは、すべての人の後になり、 すべての人に使えるものになりなさい。
神様は、この使える人、使えることを非常に喜ばれます。 ですから、神を愛して、神に使え。
隣人を愛して、隣人を使える。 この愛によって使える時、聖霊様が働き、そこに本当に大きな見業が行われます。
ここに特に、関係伝道という伝道ができます。 私たちが目指している、この伝道のやり方です。
最後に、養育ということがあります。 新しい顔袋のマインドを持って、見事ばと聖霊の調和によって働く弟子たちを育てていこうです。
聖書だけ分かって、頭が大きくなったパリサイ人を育ててはいけません。 里会派のような宗教人を、
育ててはいけません。 新しい顔袋のマインド、
聖霊を良くして従う、 イエス様に見習う弟子たちを育てていく。
この5つは、これから私たちが毎週毎週 分かち合っていきたいと思います。
このような新しい顔袋の教会のために、 ぜひならなきゃいけない、信仰の基本の基本がある。
これはこれから申し上げたいんですけど、 その初めが、神の見事ばを聞いて従うことです。
これは当たり前のことではないでしょうか。 当たり前でしょう。
ところが、私たちが一番うまくできていないことが、これでもあります。
これができなければ、私が今まで申し上げたことは何の意味もない。
なぜなら、続けて問題が生じ、 その問題が繰り返し繰り返されるからです。
皆さん、創世紀の天地創造。 神様は驚くほどの計画を持って天地を作られました。
創世紀一章一節、初めに神は天地を創造された。 そして人間を愛の対象として作られました。
自由意志を持っている人間と愛をする、恋をする、 この本当の夢を持って神様は人間を創られたんです。
それで人間にこう言います。 今日読んでくださった聖書です。
園のすべての木から取って食べなさい。 ただし、禅薬の知識の木からは決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。
しかしその園で蛇がいました。 蛇として現れた悪魔がこう言います。
決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、 神のように禅薬の死ぬものとなることを主はご存知なのだ。
じゃあ皆さん、誰の話を聞きたいですか。 神様は食べると必ず死んでしまうと言います。
しかし蛇は絶対死なないと言います。
誰の話を聞いて死なうのか。 これが大事です。
女は蛇の話を聞いて、 禅薬の知識の木の実を食べ、
男性は女性の話を聞いて、 禅薬の知識の木の実を食べてしまいました。
結局、神様の御言葉に従ったのではなく、 悪魔の話に従ってしまいました。
これが人間が犯した不従順の罪です。 また世の管理者である人間が悪魔に従うから、
悪魔が世の管理者になって、世の神になって、 人間は悪魔の奴隷になってしまいました。
愛する人間に裏切られた神様。 愛する人間を愛を得ることができなかった神の痛み。
それから神様の計画は、本来の創造計画の実行ではなく、 堕落した人間の救いに全力を尽くします。
ですから聖書は、神様の創造計画を実現する本ではなく、 人間の救いのための本になってしまいました。
そのために、創世紀3章15節、 女の子孫としてイエス様がこの世に来られるんですけど、
要はね、3章16節はこう言います。 神はその一人子を与えたほどに要愛された。
一人を信じる者は一人も滅びないで、 永遠の命を得るためであろうという。
では、天地を創られた神様の創造の計画はいつ実行されますか?
これはもう聖書に書かれてないが、推測ですけど、 あと、
目白22章、新しい天と新しい地の中で、 救われた群れを通してそれが実現できるでしょう。
その救われたキリストの神父、 その人たちはキリストを愛して、キリストに忠順するだけではなく、
キリストのお話だったら、 献身する心で満たされています。
その人たちによって、 初めの神様の創造計画が実現されると信じます。
では、皆さん、この世の中が何ができなかったから、 こんな難しい世界になってしまったんでしょう。
これはただ一つです。 見事に忠順することはできなかったからです。
食べてはいけない。食べると必ず死んでしまう。 こんなに警告、力強く警告されたのにも関わらず、
人間は蛇の話を聞いて、 蛇の話どおり食べてしまいました。不忠順しました。
神様の御言葉を守らない。 守る人は神を愛する人なんだよ。
神を愛する愛、御言葉の忠順ができなくて、 この世の中は悪魔の世界、人間は苦しみに陥ってしまいました。
このまま、祝福、祝福、リバイバル、リバイバル、 いくら祈るんだって、
悪魔の奴隷になっているこの人たちを連れて、 神様の創造計画が実現できるでしょうか。
特に神様は人を通して働くのに、 どんな働きを目指すことができるんでしょう。
ですから神様は、神を愛し御言葉に従う人を願っておられます。
どんな人が神に従うことができるのか。 神言の一章を習わせてみますと、
神を恐れ敬う人たちができるという。 また、その人に神様の全てを見せてくださると、
支援の25章の14節に言っています。 神の御言葉に従うことが一番大事です。
そうするとき、神様が王になり、主になり、 人間は神の民になるんですけど、
そうするとき、神の国が成し遂げられます。 この基本の基本ができなければ、
どのようにリバイバルが来て、 どのように社会の全ての問題が解決できますか。
もちろん、神の御言葉を全部守ることができるのか。 できません。
ですから、イエス様の十字架の許しが 私たちにあるのではないでしょうか。
今夜改めて、もう一度神様に従いなさいという、 イエス様の切磋納の願いがあるでしょう。
申し上げたいということは、一つは、 神の御言葉を聞いて従うことが祝福だということです。
いつも引用する新明記30章15節と16節。 見よ私は今日、命と幸い、死と災いをあなたたちの前に置く。
私が今日命じるとおり、あなたの神主を愛し、 その道に従って歩み、その戒めを守るならば、
あなたは命を得かつ増える。 あなたの神主は、あなたが生えていた得る土地に、 あなたを祝福されると言います。
今、地方の中で日曜の家庭はほとんど、 今、新明記読んでいらっしゃるでしょう。
新明記読んでみてください。 ほとんどが、私の言葉に聞き従いなさい。 そうすれば、祝福を与えてあげる。
イエス様もマルコ3章33節。 誰が私の家族なのか。
神の御言葉に聞いて従う者が、 私の家族ではないかと言います。
皆さん、世の中の人々は、自分の力で生きます。 しかし私たちは、神の力で生きます。
キリスト者は、神の御言葉を聞いて従うなら、 働きは神様がなさい。
私たちは従えばいいです。 例えば、神様の10回。
今日、教会学校で10回の学びをしてくださって、 本当にありがとうございます。
10回の初めの部分。 神を愛しなさい。空上を拝んではならない。
それを今、教会学校の子供たちに、 今日の色々な教材を持って教えたんですけど、
当時、ユダヤ人たちは、その教育をずっと学んだでしょう。 ダニエルの3人のお友達が、
ノブガーネチャール王が、 大きな銀の像を作って、ここに拝みなさい。
拝みなければ死ぬ。 その時、3人のお友達が何を言ったんですか。
私たちは、そこに拝むことはいけません。 ユダヤ人たちは、しっかりした教育を受けているから、
私たちは、そこには絶対に拝みません。 死ぬとしても、拝みません。
だから、ノブガーネチャール王は、 全国の管理たちが、全部集まっているところだから、
この人たちを牢に入れなさい。 陽光牢に、3人のお友達を投げ入れてしまいます。
そこで、3人のお友達が、 そこで燃やされて、死んでしまったんですか。
いいえ、神様がどこに働かれて、 その炎の陽光牢から、その友達を救ってくださいました。
それによって、バビロンの全ての民は、 神を知るようになり、神を尊重するようになりました。
そうです。私たちが従うなら、 神様は奇跡的に働かれます。
神の御言葉に従う者が、神を愛する者であり、 神の民であり、
彼らの中で、喜怒平和と喜びが満ちあおれる、 神の国が成し遂げられます。
では、聖書も神の御言葉がたくさんあるんですけど、 何から従えばいいでしょうか。
じゃあ、まず私たちが従うべき御言葉は、 主の日、また金曜日に伝えられるメッセージです。
サーメルゲの7章4節から5節に、 神様がダビデに伝えなさいということで、
ナダンス予言者に御言葉を与えます。 だったらナダンス予言者が、
ダビデに、その神様の御声ですと言って、 伝えてあげます。
同じように、神様が神徒たちに伝えなさいということで、 牧師にメッセージをくれます。
そのメッセージが、 主の日と金曜日の私が準備しているメッセージです。
皆さん、何よりそれを優先的に守ってください。
2番目、神様が書いてくださったこの聖書、 聖書の御言葉、その中で特に今しめの部分、
それを私たちが守っていきましょう。
3番目、本人が聖書を読みながら、 パッと悟られたその御言葉があります。
これは霊魔です。 生きている、今生きている御言葉です。
それを従うこと、そこには必ず奇跡が起こります。
ですからこの3つ、主の日、金曜日に与えられるメッセージ、
また神様が聖書で教えてくださった今しめのメッセージ、 また神様が悟らせてくださった霊魔のメッセージ、
それを主に私たちが従順していくなら、今の時代、私たちが伝える神様の御言葉が 私たちが従うことになるのではないかと思います。
皆さん、先週、毎週私たちが伝えるこのメッセージ、
これはただのメッセージではなかったことは先週分かりました。 神様は全部見ておられる。
先週皆さん分かち合いましたことが、 聖霊の9つの実、実り、それを実現する生活をしましょうと言ったんですね。
その話をしてから次の日、月曜日。 月曜日は夜くらい。
息子と私が薬局に行って、 私が店員さんに何か薬をお願いしますと言った。
その店員さんがよく理解できないような表情をしているんですね。
その時、私が何を考えたのか、声を張り上げて、 私がこの薬ですよと言ってしまいました。
息子が声を大きく説明して、何とかこの話が通じたんですけど、
その瞬間、 聖霊の9つの実、実り、実は、
それを持って私が店員さんにお話をしたら、 もっとよかったんじゃないかと思いました。
なぜなら、これから私はその店員さんに、 私がイエス様を福音とか何とか喋ったら、
その人は全体私の話を聞いてくれないでしょう。 そのことを考えたら、悔しく思えられますね。
神様はこう言われるような、 あなたがメッセージしなかったのに、あなたが守れないんだ、
というような、情けない自分自身、後悔しました。
その時、私は分かりました。神様が今、私を見ておられる。 私の話を聞いておられるんだな。
そうです。神様、今、メッセージ、 このメッセージを、神様が聞いておられるんだってことです。
さあ、皆さん、私たちの信仰の基本の基本が、 神の御声を聞いて従う。
これが一番大事です。 マタイ7章24節から27節。
私のこれらの言葉を聞いて行う者は、みんな、 岩の上に自分の家を建てた賢い人と似ている。
私のこれらの言葉を聞くだけで行うない者は、 砂の上に家を建てる愚かな者と似ている。
皆さん、ここで、
すでに私たちの人生はもう決められてしまうのです。 主の御声に聞き従うのか、主の御声を聞くだけで従わないのか、
ここで私たちの人生を見えてしまう。
神の国、またはリバイバルはどこで、どのように来るのか。 信仰の基本である、
神様の御言葉を聞いて従うところに、
神の国が成し遂げられ、リバイバルが来るんだ、 ということを今日申し上げたいのです。
このようにリバイバルが来るなら、 ヨアン・ウェスレンによってイギリスが変わり、
ジョナダン・エドワード、チャーシュ・ピニーによって アメリカが変わるように、
私たちが今悩んでいるほとんどの問題が、 リバイバルによって解決できるでしょう。