1. 名谷教会
  2. 2012/05/27:聖日礼拝(旧音源)
2012-05-27 50:12

2012/05/27:聖日礼拝(旧音源)

2012/05/27 聖日礼拝(旧音源)


00:00
御着席ください。聖書朗読をいたします。
マルコによる福音書三章の二十二節から三十節まで、新約聖書の六十九ページです。
柳澤姉妹が見えておられませんので、司会者が朗読いたします。
マルコの福音書二十二節、またエルサネムから下ってきた立法学者たちも、
彼はベルゼブルに取り憑かれていると言い、アクレイどもの頭によってアクレイどもを追い出しているのだとも言った。
そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。
サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。
もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
また家が内輪もめしたら、家は立ち行きません。
サタンももし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。
確かに強い人の家に押し入って火災を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。
その後でその家を略奪できるのです。
誠にあなた方に告げます。
人はその犯すどのような罪も許していただけます。
また神を汚すことを言っても、それは皆許していただけます。
しかし、生霊を汚す者は誰でも永遠に許されず、常しえの罪に定められます。
このように言われたのは、彼がイエスは穢れた霊につかれていると言っていたからである。
以上でございます。
続きまして聖火隊によって神聖火407番を賛美していただき、その後
内田先生より聖霊に満たされてと題しまして、説教をしていただきます。
イエスヨハラミト
03:05
ニマヨニコワニ
ナワニ
スティベクサイカミ
ササゲハチミ
ハシガツマス
ヒコクタ
ホウトキミナミ
ハヨウニワレニ
ヒカミチマキヲタタシカマウ
スベテサイダニ
ササゲハチミ
ハシガツマス
ヒコクタ
フレスヨヒトミツク
ワガオモイホウ
イマヤキツクシ
ヒヨメカマ
スベテサイダニ
ササゲハチミ
ハチガツマス
ヒコクタ
フレスヨチシオニ
ワレノアライ
ビタマノワタシ
ワガオモイ
スベテサイダニ
ササゲハチミ
ハチガツマス
06:01
ヒコクタ
皆さんおはようございます
まず初めに消息の乱にも書かせていただきましたが
西名正人先生のことをここに記しておきました
先生が教団事務局の主事をされておられたときに
この教会にも俗史また礼拝を ご一緒にされたということを聞いておりますし
皆さんの中でも先生のために祈ってくださったという
そういう関わりもございましたので ここに記させていただきました
5月25日金曜日に兵庫郷区より下のような連絡がありました
当病中であられた敬愛します西名正人先生が 主の身元に召されたのです
教会のためまた教団のために多くの良い御奉仕をされ
最後まで主に忠実であられた主のお姿を覚えまた忍びます
特に御遺族の方々の上に主の豊かなお慰めがありますように
そこに記してございますように前夜式は行われません
国別式が5月28日月曜日の午後1時より 神戸中央教会にて取り行われるということです
先生のために一言お祈りをいたします
信仰の戦いを立派に戦い抜き 永遠の命を獲得しなさい
あなたはそのために召され 多くの証人の前で立派な証をしたのである
天の父なる神様
あなたは日至な正人先生を私たちの交わりの中に与えて下さいましたことを感謝いたします
先生は今主の身元に召されました
多くの祈りが積み重ねられてまいりましたけれども
先生は今主の身元に行かれたのです
このことはあなたの身胸から出たことと信じて
黙してただご自愛に信頼して先生の礼を見てに委ねます
先生はその走るべき行程を信仰もって走り抜かれ
09:02
与えられたその御使命を忠実に全うされました
今は天のふるさとあなたの身元にあることを信じて皆をあがめます
私たちもその信仰に倣うものとさせて下さい
そしてどうか御遺族の上にあなたの限りない御愛と身力と思って
豊かな慰めを与えて下さいますように
そしてさらなる神への信仰と復活の希望に生きるものとして下さいますように
私たちの救い主イエスキリストの皆によってお祈りをいたします
アーメン
今日の御言葉を先ほど読んでいただきまして
そして今日はペンテコステということであります
これは一般のカレンダーにはございません
キリスト教会の小読みにある大切な記念の日であるということですね
このペンテコステそれはギリシャ語なんですが
第五十番目とか五十日目というそういう意味の言葉であります
ですから五 順というのは十日という意味ですから
五十日目という五順節
これには二つの意味があると言われています
一つはかつてイスラエル人が守っていた
今もそうだと思いますが
イスラエル人が守っている三つの大きな祭りがあるわけですが
その一つに春の収穫感謝祭としての借り入れの祭りというのがあるわけです
それがいわゆる杉越の祭りの第二日から数えて
七週後四十九プラス一で五十日ということですね
その五十日目借り入れの祭り
これをいわばペンテコステと言って祝っているということです
その五十日目
そしてもう一つのペンテコステ
これは新しい神の国の運動いわゆる今のキリスト教会の上において
キリストの復活から五十日目に
精霊が下った日
これを記念するということを彼らは決めたわけです
復活から五十日目ペンテコステ
12:01
そのことをきょうも記念して
世界中の教会がこのことを記念してお祝いしているわけです
こういうキリストの教会がペンテコステにおいて
主を信ずる群れに精霊が下って
そして主によって召された者たちの群れが
いよいよここからいわゆるエクレーシア
これもギリシャ語ですが
教会
召された者たちの群れが本格的な新しい歩みをそこから成したという
いわばここから教会がスタートした
教会の誕生日
生まれた日として記念する日となったわけです
それを毎年このときお祝いをしているわけです
そのペンテコステの日の様子はどういうことだったんだろうか
ということは聖書を通して見ることができるわけです
そして当時のペンテコステの時の様子を
私たちも見ながら
今日の教会に精霊が臨んでくださるときに
そこに何が起こりまたそのことを通して
今日を生きる私たちの群れ教会が
教会に何を示そうとされておられるのかということを
一緒に見ていきたいと思うんですね
先ほどのマルコの三章から読んでいただきましたと同時に
使徒の働きの二章を一緒に見ていただきたいと思います
新約聖書の二百二十八ページからです
二章全部を読む時間がありませんので
また一度二章全部を目を通していただきたいのですが
主なところを読んでおきたいと思います
二章の一節から四節
五巡節の日になって皆が一つところに集まっていた
すると突然天から激しい風が吹いてくるような響きが起こり
彼らのいた家全体に響き渡った
また炎のような分かれた舌が現れて一人一人の上にとどまった
すると皆が精霊に満たされ
御霊が話させてくださる通りに他国の言葉で話し出した
十四節
そこでペテロは十一人と共に立って
声を張り上げ人々にはっきりとこう言った
次のページの三十七節三十八節
人々はこれを聞いて心を刺されペテロと他の使徒たちに
兄弟たち私たちはどうしたらよいでしょうかと言った
15:01
そこでペテロは彼らに答えた
悔い改めなさいそしてそれぞれ罪を許していただくために
イエスキリストの名によってバプテスマを受けなさい
そうすれば賜物として精霊を受けるでしょう
最後四十一節から四十七節
そこで彼の言葉を受け入れた者はバプテスマを受けた
その日三千人ほどが弟子に加えられた
そして彼らは使徒たちの教えを固く守り
交わりをしパンを裂き祈りをしていた
そして一同の心に恐れが生じ
使徒たちによって多くの不思議と印が行われた
信者となった者たちは皆一緒にいて一切のものを共有にしていた
そして資産や持ち物を売っては
それぞれの必要に応じて皆に分配していた
そして毎日心を一つにして宮に集まり
家でパンを裂き喜びと真心を持って食事を共にし
神を賛美し全ての民に好意を持たれた
主も毎日救われる人を仲間に加えてくださった
このようにして当時のペンテコステの様子が記されているわけです
精霊が望まれるときにそれが一人一人の上に
あるいは教会にあるいはその群れに
精霊が満たされるときに何が起こるのか
あるいはそのことを通して主は
今日私たちに何を示そうとされているのか
それを見ていきたいと思います
4節の言葉先ほどの2章の4節の言葉
すると皆が精霊に満たされ
御霊が話させてくださるとおりに他国の言葉で話し出した
まず精霊が満たされるときに
私が話すのではなく
御霊が話させてくださったとここにありますように
私自身ではなくそれは精霊御自身の働きとして
技がなされていくんだということが
ここに記されています
私が何か話さなければ
そういうとき私たちは常に不安と恐れがありますし
なかなか難しいうまく話せるだろうか
そういう思いがいたしますけれども
ここで聖書が記されていることは
精霊に満たされると御霊が話させてくださる
私ではない御霊御自身が語るのだ
何かをすることもそうです
いろんな奉仕をする場合もそうです
18:01
私が何かをしよう
私の頑張りと私の力で何かをしようとするときに
常にそこに恐れと不安が襲ってくるわけです
あるいはサタンのささやきを耳にして
お前はだめだ必ずうまくいかないぞ
もうやめた方がいいぞ
そういうものを常に聞いてしまう
しかし御霊が望み御霊に満たされ
そして私たちがその御霊に委ねるとき
御霊御自身が話しその技をなしてくださる
そのことを今日もう一度ここから
私たちは覚えるわけであります
そして私たちが何かに怯えて一歩出ないときも
そして祈るわけです
主をどうか私はできませんけれども
主に委ねますから
御霊御自身が私を語らしめ
そして法師をなさしめ
宣教の働きに預からせてくださるように
私ではない御霊御自身が
私の信仰によってなしてくださるように
神の技は神御自身がなさるんだ
神御自身がその技に
私たち一人一人を整え
精霊に満たしてそして用いてくださる
そのことを私たちは今日この御言葉から覚えて
このペンテコスチューのときに
彼らはそうであったように
今日の私たち
主の御霊にもこのことが言えるんだろうと
そのように思います
御霊に委ねる私ではないのだ
御霊御自身がそれをしてくださる
委ねる信仰与える
それもまた御霊の働きでしょう
第2番目に14節のことを覚えたいと思います
そこでペテロは11人とともに立って声を張り上げ
人々にはっきりこう言った
そして彼は御言葉を持って
目の前にいる多くの人たちに
これを説いて語ったわけです
ペテロは立って声を張り上げて
精霊に満たされるとき何が起こるんだろうか
ペテロそれは言うまでもない
あのイエス様の弟子の一人
ペテロは弟子となって
主よ私はあなたに従います
こういう言い方をしたのか分かりませんが
たとえ火の中水の中
どんなことがあってもあなたに従います
彼は告白しているんですね
それはもちろん彼の純粋な言葉であります
そのときそう真実に思ってそれを言ったわけですが
21:03
しかしイエス様が捉えられて
十字架にかけられると分かったときに
ペテロは逃げたわけです
そして見つかって
お前もあのイエスの弟子ではないのか
と尋ねられたときに
いや私は知らない
あのような人は知らない私は何の関わりもありませんと
彼は否んだわけです
おそらくペテロ自身も
そんなことを言う自分自身に
彼自身が一番驚いたのではないだろうか
あんなに主に従いますと言いながら
主を否んでしまう
自分の中にまだこういうものが潜んでいたんだ
そういう自分に気づいたわけです
そして彼はその後
自分の不甲斐なさに泣いたわけです
本当の自分の姿を見させる
自分自身がそれを見るように導いてくださる
それもまた御精霊の働きであったんでしょう
あの弱いペテロが
今や十一人と共に立って声を張り上げ
人々の前ではっきりと宣言し
大胆に御言葉を語った
同じペテロかと思うような
この有様であります
なぜかそれはペテロが精霊に満たされたからです
精霊に満たされるときにその人は変えられるわけです
精霊は人を変える
根こそぎ変える力を持っている
そのことをこのことから私たちはわかるわけです
私たちもかつて主にお出会いし
また主を信じて
そして救われ主に従いますと告白した一人であります
そしてもうこんな自分は嫌ですと
そう願ってそして主に委ねて
主を私を作り変えてくださいと
そう願った
しかし私の中にまだこういう自分があったのか
気づかされることもまだまだ多くあるわけです
ですから私たちはもう一度このペンテコステのこのとき
精霊に満たされて
精霊のお導きによってもう一度この私を作り変えてください
そのような祈りが必要ではないか
そして精霊に満たされたならば
あのペテロのように作り変えられる
そして大胆に主のお言葉を語り
24:02
また明かしできるものにしてくださるんだという
その信仰に生きるものとしてくださるに違いない
そう思うのです
三つ目に三十七節
ペテロの語ることを聞いた人たちは
人々はこれを聞いて心を刺され
ペテロと他の人たちに
兄弟たち私たちはどうしたら良いのでしょうか
ここに人々はこれを聞いて心を刺されたとあります
精霊が望むときに
人々はこの神の言葉を聞くという
その姿勢をとるように導いてくださる
それだけではない心を刺す
精霊は私たちの真実な姿をそこに表して
自分自身の中に反省を促し
そして本当の姿を私たちがそれを知り
そこからそれじゃどうしたらいいんだろうかという
次のステップへと導いてください
精霊に満たされるときに人々は神の言葉を聞くのだ
しかし精霊に満たされていないとき
私たちは神の言葉を否むものでありますし
その堅くなな心によって私たちは主を否んでしまう
ペテロのように私は主など知らない
私は何の関わりもありません
神の言葉など聞きたくもありません
私は私の道を行くそういうことだろうと思うんですね
しかし精霊に満たされるとき
主を私はあなたのお言葉を聞きます
あなたのお言葉に従います
もっともっと私に精霊が臨んでください
私を精霊で満たしてください
そしてもっと聖書を聞きたいです
聖書のお言葉を知りたいです
その上書きが起こってくる
その信仰を導くのがまた精霊である
信仰は聞くことから始まると言われるのはそのことです
私たちに神の言葉を聞かしめる
それが精霊の働き
そして心を刺す
時々聞いていて
そんな言葉を聞きたくない
いわば耳が痛い
耳が痛いというよりも心が痛む
そういうことがあります
私はそうは思わない
私の経験からそんなことはおかしい
そんなことを思うこともあります
しかしもう一度私たちが主のお言葉を聞くときに
27:02
このことを通して私に何を示そうとされているんだろうか
もう一度そのお言葉を持って
静まり密室において
神様今日あのような言葉を聞きました
しかしこれは今の私に何を語ろうとしているんでしょうか
あるいはこのお言葉に従えないこの自分を応えてください
このお言葉に従えるように導いてください
ご精霊がその祈りにきっと応えてくださるに違いない
精霊は神の言葉を聞かしめ
そして心を刺す
もう一つは先ほども読みましたように
最後の方でこのペンテコステのときに
人々が精霊で満たされ
教会にこの御霊が下ったときに
どんなことが起こったのかということが
ここに記されています
彼の言葉を受け入れた者たちがバプテスマを受け
その日その日だけで3000人ほどが弟子に加えられた
そして彼らは使徒たちの教えを守り
交わりをしパンを裂き祈りをしていた
これは聖三式のことも言っているのかもしれません
一度は恐れを生じ
そして多くの不思議と印が行われた
信者たちは皆物を共有にして
そして毎日心一つにして宮に集まり
そして喜びと真心と思って食事交わりをしておった
そして賛美し好意を持たれ
毎日毎日救われる人を仲間に加えてくださった
もう毎日毎日新しい人が私も信じます
私も信じますという
そういう人が絶えなかったというんです
それがペンテコステの日に起こったこと
これはかつて大昔に起こった出来事で
私たちに関係のないことだというのではない
同じ精霊は今日
今日生きる私たち教会の上にも同じ精霊が注がれている
そのことを私たちは覚えなければなりません
ですから精霊に満たされるとき
その不思議と印が行われたということ
そして行われるのだということを私たちは
ここからもう一度確かめておきたいと思います
その結果として多くの弟子が加えられた
そして死をしたい求め救いを求めてくる人たちが
大勢集まってきた
精霊というのはこのようにして
人々を集める働きをします
精霊は当然アガペをもって
30:00
人々を互いに受け入れさせるようにするわけです
精霊は人々を一致させます
そして人々を和解をさせる働き
そして教会に大きな祝福をもたらすわけであります
そして私たちが見たように
この群れは何と祝福された群れだろうか
もう羨ましくなるほどのそのような群れであります
私たちが今自分の教会
あるいは自分の属している教会
あるいは教区・教団
あるいは日本の各教会
至っては世界の教会
そういうところに目を向けていくときに
このような同じような祝福された
恵まれた教会があるだろうか
きっとあるに違いない
そう思うんですね
私たちはどうだろうか
恵まれ祝福されている群れとなっているだろうか
そんなことをこの箇所から思うわけですね
決して何か比べてそういうことではありません
このような祝福された
あるいは神様に愛されて
そして少なくともこのうちのいくつか
私たちもこういうことが起こっている
それは精霊の働きだ
そのように自信を持って言えるかどうかということであります
私たちの教会はどうか
私たちの教区の教会はどうか
教団に属する各それぞれの教会はどうか
もしこのようでないとするならば
全て同じ100%このようだとまでは言わないまでも
このように祝福されていないとするならば
それはどうしてだろうか
主に尋ねなければいけないと思います
私たちの属する教会が
日本の愛する教会が
各群れがこのようになっていませんと
言うならばそれは主に願わなければなりません
神様どうすればいいんでしょうか
私たちもこのような
かつての聖書に記されているこの群れのように
なりとうございますが
なぜでしょうか
なぜそうなっていないんでしょうか
どうすればなれるんでしょうか
そんなことを思うわけですね
教会学校に子どもたちのいない教会があります
現実です
新しい魂、救助者のいない
そういう教会がある
それも現実に多くあります
33:01
主が新しい魂を送ってくれても
それを受け入れることのできない
そういう教会があります
中には仲互いをしている教会があるとも聞きます
堅くなな教会
見たまの自由のない教会
これは決して何か不平不満文句ということではなくて
お互いが静まって
私の教会はどうだろうかと
反省してみたときに
やはりああそうだな
祈らなければならないな
そんなふうに思うわけです
兵庫教区の牧師会
今二十九の教会がありますが
各教会の現状は
これに類することが多くあります
もちろん恵まれ祝福されている教会もありますけれども
多くはこのような状態であります
そして何かこういうことをしませんかという提案をいたします
これは聖書的でまた健全なすすめなんですが
私の小さな経験では
こういうことをしませんかというと必ず
いや私たちは今までそういうことはしていませんでしたので
しませんと答えなさるんですね
その群れはいつまでたっても祝福されていません
精霊に満たされている教会
それは十の御霊が働いて
こういうことをしませんか
聖書的で健全なおすすめをしますと
私たちは今までそんなことはしていませんでした
だからやりましょう
やりましょうよしましょうよ
そう言うんですね
そしてその教会はまた新しいことにチャレンジする
それの中にもちろん十のうち二つ三つうまくいかなかったそういうこともありましょう
しかしあれもやりましょうこれもやりましょう
それもいいじゃないですか
祈ってそしてみんなが力を合わせて一致して進んでいく
そしてそこにまた新しい魂が加えられ
その教会は祝福されている
決してそれはその群れの満足ではないんです
主が何を望んで主が何を満足されるか
そのことを常に私たちは覚えていくときに
このようにして御霊に満たされるならば新しいことにもチャレンジする
そこに十の御霊が働いてくださるということ
36:03
そういうことがあるんですね
そういう働きをとどめてはいないだろうか
その結果として今の現状があるとするならば
私たちはもう一度主に願って
精霊の満たし新しい霊の注ぎを与えられる必要がある
これがペンテコステのメッセージではないだろうかそう思うんです
では神様私たちが精霊に満たされ
そしてかつてのペンテコステの日に起こったような
あのようなことになって
教会がますます主に喜ばれる
主が満足なさるその群れになっていくためにはどうすればいいんでしょうか
38節
そこでペテロは彼らに答えた
悔い改めなさい
そしてそれぞれ罪を許していただくためにイエスキリストの名によってバプテスマを受けなさい
そうすれば賜物として精霊を受けるでしょう
ここにペテロが言ったごとく
悔い改めなさいという
このことをなくして精霊の賜物をいただくことはできない
悔い改めなくして教会の祝福はない
教会の前進はない
教区教団の祝福もないでしょう
先ほどマルコの福音書を読んでいただきましたが
ここに悪霊どもがこんなことを言っていたということですね
分裂したらとか家が内輪もめをしたらとか
26節サタンももし内輪の争いが起こって分裂していたらとか
内輪もめだとか分裂だとか
これがサタンの思惑なんです
しかし精霊はそうではない
私たちは精霊をいただくときに何が起こるんだろうか
それは一致と和解とそして大きな祝福が与えられるということ
それは私たち一人一人だけではない
そのご家庭にあるいはその群れに教会にあるいは教区に教団に
日本中の教会世界中の主を信じる者たちの群れ
皆がこの祝福に預かることができる
そのことを言うわけです
このような厳しいことも聖書は言っています
精霊を汚す者は誰でも永遠に許されず
常しえの罪に定められます
こんなことがあったら大変なことです
精霊を汚す者汚す群れはと置き換えてもいいと思うんですね
39:01
私たちはそんなことを願わない
神様も願っていないわけです
ですから私たちはどうすればいいんでしょうか
ペテロが言うように悔い改めをしなさい
そこに尽きるわけです
私たちは精霊を汚すようなことをしていなかっただろうか
私たちの群れがあるいは私個人において
私たちの属する教区あるいは教団が
あるいは日本の教会が教団教派が
そのようなことはなかっただろうか
もう一度点検しそして悔い改めて
主の霊に満たしていただきたい
神様がもう一度新たに臨んでくださるようにという切なる祈りを
捧げなければいけないそのように思うわけです
導かれて一つのことが示されております
それは1993年のことでありますが
日本に一つの運動がありました
これはリバイバルの運動
リバイバルの波が押し寄せてきたことがありました
それは御精霊の働きであるならば
それは当然日本に大きな祝福をもたらすはずであったわけです
もちろん祝福されたということも間違いありませんが
同時に残念なことですが
その働きに預かっておられた方々
あるいは牧師先生方の中で
私は詳しいことは分かりませんけれども
先ほどありました
うちはモメであるとか分裂であるとか
それに類するようなものが起こったということは事実だそうです
詳しいことは知りません
当時の働きに預かっておられた人たち
中にはこちらのグループこちらのグループ
Aグループがどんな主張どんなことを思っておられて
Bのグループはまたそれと違うと思われた
そんなこともあったんでしょう
しかしそのことによって
教団あるいは教会に大きな揺れと亀裂をもたらしたことは間違いなかった
そのためにある先生方は
教団を出ていかなければならないというような事態
新学校における尊い働きから
退かなければならなかったというような
そういう残念な結果も生んでしまったということ
そういうことがあるわけですね
私の一つの僕会のポリシーというんですか
42:02
こうありたいという一つの願いは
教会の中で例えばAさんとBさんが何かでちょっとこじれた
Aさんは私に先生聞いてください
あの人はこうなんですこうなんです
そうですか分かりました祈ります
BさんはBさんで私にAさんはこうなんですこうなんです
というようなそういうようなことがあった時に
私は必ずAさんとBさんと私で
いわば三者面談で一つのテーブルを囲んで
祈りから始まってお互いの言い分を聞き
そしてまた祈って御言葉に導かれて
そして精霊により頼みつつ若いと一致を求めていく
そういうことをさせていただきたいと
いつもそう思うんですね
ただAさんとだけBさんとだけ
それは良くないと思うんですね
おそらくこのかつてのあの中でも
そういうことがあったんだろうかと思うんですね
同じ意見の相違
意見というのは異なる
県と書く場合もありますが
お互いの主張また
重きを置くものが異なることは
それは当然のことなんですが
しかしそこに精霊が働いているならば
必ずや一致とまた和解が生ずるはずです
そして三玉が大きな働きとして何をなされているのかが
そこではっきり見えたはずです
しかし私はこう思う
いや私はこうだと
お互いの主張がそこで譲り合わない
お互いを認め合わない受け入れ合わないという
それが生じた時に
内輪もめ分裂に類するような
大きな亀裂と傷をもたらすということがあるわけです
もうあれから19年
約20年になろうかとするわけですが
その後日本の教会はどうだろうか
もちろん祝福されて
今やもう成長の途中にある
祝福された教会も多くありますが
しかしその後も
日本のクリスチャン人口は1%に満たない
中には教会があるいは神徒が
牧師が教職者が力をなくして
勢いが衰えてしまう
そして神徒の数も増えない
むしろ減っていく
そして中には牧師を支えられないで
無牧の教会も出てきている
先生方はますます年を重ねて
引退教師は
45:00
いく人も出てきますけれども
新しい新学生新しい牧者が生み出されてこないということ
新学校においても
新学生の数が以前よりも減ってきているという現実があります
なぜだろうかどうしてですか神様
いろんな理由がありますけれども
それは私たちが
精霊を拒んだ結果ではないだろうか
もしそうであるとするならば
私たちはもう一度そこで
悔い改める必要があるのではないか
そのように示されているわけです
そしてその受けた傷
与えられた方も傷ついています
その傷は癒されているだろうか
このままでいいんだろうか
いや決していいはずはない
そのままでこの群れは進みゆかない
そのことがはっきりしている
もう一度私たちはこのペンテコステに
ご精霊により頼み精霊に満たされて
そして私たちがもう一度しなければならないことをまずして
そしてそこからもう一度ここから新たに歩み出していく
それが今日神様から私たちに与えられているメッセージなんだろう
そのように思うわけです
お祈りをして聖三式に入らせていただきます
そこでペテロは彼らに答えた
悔い改めなさい
そしてそれぞれ罪を許していただくために
イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい
そうすれば賜物として精霊を受けるでしょう
天の父なる神様ペンテコステの恵みを感謝いたします
精霊を注いでいただいて
今悔い改めに導いてくださったことを感謝をいたします
主をどうかお許しください
主を否みまた自己中心であった私を許してください
主の教会またキリストの体なる教会の
尊い働きをとどめるような私のわがまま
あるいは愛のない私の言動があったことをお許しください
そして20年前でしょうか
教団にあるいは教会にあるいは新学校において
起こったことを今思い起こしています
どうぞ許してください
同じ教職者また牧師の立場である者として
48:00
この私自身が見前に立たせていただけることを許してくださるならば
祈ります主をどうぞ許してください
同じ道路者あるいは主の尊い働き人を追い詰めてしまったことを
悔いて祈ります
許してください
今精霊が望んでくださって
新しい霊で満たしてくださいますように
そして和解と一致を与えて
そしてお互いを受け入れ合うものとしてくださるように
私たちにアガペを与えてください
精霊によって教会にリバイバルが起こされますように
皆が喜んで礼拝に来れますように
新しい人にも来れるような教会にしてください
どんな人も受け入れる教会にしてください
どの年代の人たちにも愛されまた親しまれる教会でありますように
幼子からまた若い人たちも
主を慕って教会に来れるように
御霊の自由に満たされて
語り合いまた交わり賛美できる教会にしてください
傷つき悩んでいる人たちがいるならば主をどうぞ
その人たちが主に預かって癒される教会でありますように
精霊を豊かに注いでください
そして最後に
ダビデが祈ったあの祈りを
私たちのあるいは教会の教団の祈りとさせてください
神よ私に清い霊をつくり
揺るがない霊を私のうちに新しくしてください
私をあなたの御前から投げ捨てず
あなたの精霊を私から取り去らないでください
あなたの救いの喜びを私に返し
喜んで使える霊が私を支えますように
救い主イエスキリストの皆によってお祈りをいたします
アーメン
50:12

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