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2021-08-15 26:11

「愛の溢れる父の家」2021年8月15日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年8月15日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
00:05
今日の聖書は、ルカの中1節から中7節までです。
またイエスは言われた、ある人に息子が二人いた。
弟の方が父親に、お父さん、私がいただくことになっている チャイさんのわかめまけまえをくださいと言った。
それで父親はチャイさんを二つに分けてやった。
何日も経たないうちに、舌の息子は全部をお金に変えて、遠い国に旅立ち、
そこで宝刀の限りを尽くして、チャイさんを無駄遣いをしてしまった。
何もかも使い果てていたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、
彼は食べるにも困り始めた。
そこでその地方に住むある人のところに身を寄せたところ、
その人は彼を裸にやって、プタの世話をさせた。
彼はプタの食べる稲子豆で、食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人が誰もいなかった。
そこで彼は我に返って言った。
父のところにはあんなに大勢の宿居人にあり余るほどのパンがあるのに、
私はここで飢え死にしそうだ。
アーメン
今日は愛があふれる父の家のタイでメッセージを分かち合いたいと思います。
今はお盆休みの期間です。
家族とともにどこか夏休みに行きたいことではないでしょうか。
しかしコロナによってどこでも行けないそのような状態です。
怖いからですね。
また皆さん仕事も会社も在宅勤務をやっていらっしゃるのではありませんか。
感染の恐れがある中でたくさんのストレスをもらっていることではないでしょうか。
またキリスト社たちは1週間1回集まる主の日の礼拝に集まることができないから、
神聖な勤務を果たすことができないような、
そのような何とか神様に対する申し訳ない気持ちがあるのではないでしょうか。
また皆さん一人で信仰生活をしてみたらあまりよくできないでしょう。
私が信仰がある人なのかない人なのかは分からない。
一人の生活もなかなかうまくできない状態で、
やっぱり儀式ということが必要だなということを皆さん感じていらっしゃるのではないでしょうか。
03:01
これからもしばらくは自分も神様に対して、
これからもしばらくは自分ということを用いて、
礼拝を捧げなきゃいけないんですけど、本当に大変ですね。
なぜなら、何が大変かと言いますと、
なぜなら最後の時の特徴は災いです。
目白くに災いが教えていらっしゃるんですね。
風鈴の災い、ラッパの災い、蜂の災い、
20項目くらいの災いが注がれるこのところなんですけど、
コロナもこの中で一つなんでしょうか。
災いの時期がこんなに早く来るとは思わなかったんですけど、
災いの時に考えもなかった問題があります。
これは集まることができないということです。
ヘブライ賞、出書25節を見ますと、
ある人たちの習慣に倣って、
集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。
かの日が近づいていることをあなたたちが知っているからです。
ますます励まし合うべきではないでしょうか、と言います。
信仰共同体が集まることができなければ、どんな問題があるんですか。
みなさん、神様の御業は、共同体の御業です。
神様は集まる、集まるということです。
集まるから安全でしょう。
しかし、サタンの働きは個人プレイです。
バラバラにしておくんです。
全て壊してバラバラにしておいて、
弱くなっている一人一人を倒していくことが、
このサタンの働きです。
私たちは災いの時期に集まることができないから、
信仰が弱くなるしかないので、
その時、敵が攻撃しやすいでしょう。
その時、どうすればいいでしょうか。
その時、私たちがやらなきゃいけないことは、
神様の愛を知ることです。
また大事なことは、
父の家、教会です。
父の愛を覚えて、父の家から離れてはいけません。
また、私たちが父の家に集まる時に大事なのは、
福音の基本をよく理解することです。
私たちみんなが罪人でした。
イエス・キリストの恵みによって救われました。
それを知ることです。
罪人であり、イエス・キリストの恵みによって救われたということです。
それをわかったら、福音をわかったら、謙遜になります。
06:00
謙遜になる人は、一割の信仰に陥ることはありません。
今日はこのようなことを、
ルカの中古書の宝刀息子のたとえを通して、
一生に分かち合いたいと思います。
まず一つ目。
その時がよかったのに、
その時がよかったことを知らなかった時に、
生じることがあります。
ルカの中古書に宝刀息子が出てきます。
なぜ宝刀息子が出てきますか?
父の家にいる時はよかったのです。
何にも足りないことはありませんでした。
ところが彼は、その時がいい時期だということを知らなかったのです。
そんなにいいところに住みながら、不平不満しました。
早く父の家を離れたかったのです。
一人で住んでいる人たちを見て羨ましいと思いました。
彼は父の家を離れるなら幸せになりそう、
自分の人生がもっともっと良くなりそうな考えにとらわれて、
いつも家から出ることばかり考えました。
ある日、父親にこう言いました。
お父さん、お父さんが亡くなる時くださる遺産を
前もってくださればいけませんか?お願いします。
みなさん、無礼なものだな。
私はお前をそのように教えなかったよと言いたいのですが、
お父さんは許されたのです。
お父さんの愛は、遠く見て大きく愛する愛なんです。
遺産をいただいた二番目の息子は、
自分はうまくできると思いました。自信もありました。
立派な計画を持って遠くの国に行きました。
その国の人たちを友達としてたくさん付き合いをしようと思いました。
家も買って、車も買って、毎日お家でパーティーを開きながら楽しみました。
集まった人々は自分を高く評価してくれるから、
この通りやれば成功して自分もなんとかできるんじゃないかなと思いました。
しかし、世の中はそんなに甘くありませんでした。
お金がだんだんなくなって、お金がないから友達も全部消えてしまいました。
皆さん、フォートムスクの例を読みながら、今もこんな人がいるかと思うかもしれません。
もし皆さんが、はじめゼロベースで何もなかったところから、
自分が熱心に稼いで稼いで自分の財産を作ったら、
その財産の価値を、努力の価値を知るから、
そのような人がいないかもしれないけど、
金持ちの家で生まれたこの息子、父の遺産を受け入れた場合は、
09:05
その大事な財産の価値を知らないから、彼は散々使い果ててしまいました。
お金を使ったらみんなが喜ぶんですね。
そうしながら、一文なしのものになってしまいました。
その上、ちょうどその時、去年になってしまいました。
今すぐ食べるものもない彼は、
ユダヤ人たちは絶対やってはいけない、豚飼いをし始まるんです。
しかしお腹は空いているのに、豚の餌でなんとか腹を満たしたかったんですけど、
それもくれる人がいなかった。
世の中はこんなに怖いのか、やっと知るようになりました。
父の家を離れたフォート息子、結局悲惨になりました。
皆さんこれは、エデンの園の祝福の素晴らしさを知らなく、
チェンアックの知識の木の実を食べて、
エデンの園を失ってしまった人間と同じことではないでしょうか。
また、コロナ以前の私たちの教会生活、
以前は良かったですね。
午前中に礼拝を捧げて、昼食をみんな一緒に分かち合って、
午後は勉強会もして、それで日曜日は主の前でいつも過ごしましたね。
それが幸せということは知らなかったんですけど、
これからはこのような生活できますか。
たぶん、以前のような生活に戻っていくのは難しいことではないでしょうか。
その時、私たちは今、昔が良かった、良かったという私たちの姿ではないかと思います。
皆さんここで大事なのは、神様の御業は共同体の御業。
悪魔の働きは個人プレイということです。
悪魔は信徒たちをバラバラバラバラ散らしておいて、
個人が弱くなっているとき攻撃して、私たちをためにするということです。
私たちをためにするものだということを覚えていかなければなりません。
ですから、信徒たちは集まらなきゃいけません。
知らされたら力もないし、危険だし、また信仰もなくなってしまいます。
2つ目、こんな時どうすればいいのか。
信仰を守るために一番大事なのは、父なる神様を知ることです。
父なる神様の愛を知ることです。
非常に苦しみの中で、宝刀息子は父の家を考えたと言います。
彼が家から出てくるときは、早く家から出ていきたいと思っているから、
12:00
無惨に遺産を奪い取るような気持ちで、
父と兄と縁を切って出てしまったかもしれません。
だから、戻っていくことは考えることもできない。
自ら孤独になった一匹の羊のような立場です。
悲惨です。
ちょうどその時、去年になって食べることも足りない。
誰も食べ物を与えてくださらない。
お仕事をしたいんだけど、誰も自分を使ってくれないんです。
こんな時、皆さん、人々はどうしますか?
どうしやすいですか?
何の希望もない。私の人生はこれから何の希望もない。
完全な失敗だ。終わったと思って、
極端的な選択をする可能性があるのではないでしょうか。
私たちはそのことをやったら絶対いけないから、
このことを備えて、信仰教育が大事なんです。
信仰教育で何より大事なのは、
父なる神様を知ることです。
神様はどんなお方なのか、神様の愛を知るべきです。
なぜなら、神様を知るなら、神様の愛を知るなら、
父の家に戻ってくることができるからです。
以前テレビで見ました。
大学卒業した若者が、
ホームレスで過ごしているんですね。
若者がなぜホームレスで過ごしているのか、
テレビの取材の記者が聞きました。
なぜ父の家に戻りませんか。
父の家も近くにいるんですよ。同じ地方にいるんですよ。
彼がそう言いました。絶対父の元には行きたくない。
父と息子の関係がどうなってそうなんでしょうか。
その息子に対して、その父親は非常に冷たい、
情なしの父だったかもしれません。
だから、彼は絶対父の家には戻りたくない。
それで近くにいながら、ホームレスで過ごしているんです。
お仕事できればいいのに、
彼はそのような何かできない父上があるんでしょうかね。
しかし、私の天の父親、全世界で持ち主である
父なる神様は、愛の神様です。
イザヤ42章3節にこう言います。
傷ついた足を折ることなく、
暗くなった闘心を消すことなく、
生かして使ってくださるお方。
また、詩編の34章の18節。
主は打ち砕かれた心に近くにいまし、
15:01
悔いる霊を救ってくださる。
どんな人だとしても、どんな過ちを行ったとしても、
悔い改めて父の家に戻ってくるなら、
必ず許してくださり、生かしてくださり、
回復してくださる神様。
幸い、宝刀息子は父親をよく知っていました。
ですから父親の家に戻っていこう決断します。
しかし、会わす顔がないから、
息子ではない、下部として使ってくださいと言いながら戻ってきました。
戻ってくる彼を父親は見ました。
また遠く離れていったのに、
父親は息子を見つけて、哀れに思い、
走り寄って首を抱き、切符にしたと言います。
このような父親の心、皆さん経験したことありますか。
私は経験しました。
九州で仏会をしている時、
当時息子はインターナショナルスクールに通っていたんですね。
インターナショナルスクールは楽器も高いのに、
成績があまり上がらない。
だからある日、成績本をもらったかもしれません。
父親が教会から戻ってくる時間に、
息子は無知を打たれるんじゃないかと恐れて家から出てしまいました。
夜通し息子は戻ってこないんですよ。
心配になって、私はもうその日、少しも寝ることができませんでした。
次の日の朝、教会の前でうるうるしている息子がいるから、
私は黙って何も言わないで連れてきて、
暖かくして面倒を見てくれたんです。
あと息子から話を聞きました。
家から出て行ったら寒かったと言うんですね。
皆さん、夏でも寒いと言うんです。
冬だからどれほど寒かったんでしょうか。
500円があって、それで唐揚げを買って食べて、
寒いから夜通し世の中を回りながら、
あるマンションになんとかすっと入って、
廊下で座り込んでいながら、
朝、おうくろが受け取ってくれるだろうなと思って、
家の前でうるうるしていたと言うんです。
その時、私は見つかったんですね。
かわいそうな。
私たちも息子も、
一晩何も寝られない状況でした。
たぶん、その日私はどれほどつらかったのか、
二度もこんなことをしないでしょうと思ったんですけど。
たぶん、ほうとう息子の父親、同じ気持ちではないかと思います。
18:01
息子が戻ってくるまで、親は寝られないのは当たり前ではありませんか。
私は北朝鮮に拉致された横田恵美さんのご両親をテレビに出るとき、
いつもご両親のこのつらい思いが思い出されます。
そのような息子が戻ってくるから、嬉しくて嬉しくて、
何の罪も問うことではなく、喜びながら、
すべてをかゆくしてあげながら、パーティーまで開いてくださる。
これが父の心なんです。
これが天皇父親の愛なんです。
私たちが信仰生活に対して、信仰について他のことを知らなくてもいいんです。
これ一つだけ、ぜひぜひ覚えておきたいことは、
私の父、天皇父親は愛だということです。
私たちはそれを覚えて、私たちの子供たちにも、
これをぜひぜひ教えていきましょう。
悔い改めて戻ってくるなら、どんな罪を犯したとしても、
許してくださる神様、愛満ち溢れた父なる神様であるということです。
三つ目です。
ところが、父の家に戻ってくるのに、また別の壁がありました。
これが上野兄貴でした。
父親は許してくださるのに、上野兄貴は弟を許してあげないです。
また、上野兄貴は宝刀息子のような二番目の息子を受け入れてくださる父親も理解ができない。
そして怒り、嘆きをしながらこう言います。
私は父の家で苦労しても何にもしてくれないんじゃないか。
しかし、そのように父の財産を無駄遣いをして戻ってきた。
その奴は受け入れてくれて、そしてパーティーまで開いてくれる。
怒ります。不満だらけです。
皆さん、上野息子は父の心を全く知らない典型的な立法主義です。
立法主義ということは、行いによって認めてもらって報いてもらおうとするものだったんです。
父の家、主の教会には、過去も今も立法主義者たちも大勢います。
父親の心も知らない。
信徒たちの過ちを非難しながら、自分の熱心、自己気に満たされて、
自分を誇りながら過ごしているパリサイ人のような信者たちがいます。
彼らは法徒息子が戻ってきて救われて回復されていることを喜んでおられません。
父の遺産を無駄遣いをしたということで、罪に定めて非難します。
21:03
罪は許すのに、自分は許さないんです。受け入れようともしないんです。
聖書は父親が見られるのに、二人とも法徒息子だと言います。
身体が家から出てしまった法徒息子。
家にいるんだけど父親の身心を知らない。心が離れている法徒息子。
皆さん、事実、このような人たちが集まっているところが父の家、教会なんです。
私たちの教会もこのような状態かもしれない。
皆さん、こんな教会だったら、父の家に幸せと恵みがありますか?
神様の豊かさがあふれる天国になれますか?
そのような教会に、法徒息子のような人たちが戻ってきますか?
二人の息子たちの不安を解消してくださり、
また、父親と息子の間の関係性を回復してくださるために、
イエス・キリストがこの世に来られて、
十字架の上で法徒の罪によって苦しんでいる人、
また、自己起義に傲慢によって喜びを味わうことができない人たちの
全ての罪を背負って、贖いの死を担ってくださいました。
そして、イエス・キリストによって息子を息子、
また息子と父親が和解ができるようにしてくださいました。
誰でも、イエス・キリストの十字架の愛を悟って、
イエス・キリストの贖いの恵みを通して、
自分が罪人だということを悟って、
イエス・サマを受け入れる人は、神様との関係性を取り戻すことができ、
隣人との、また、兄弟との関係を取り戻すことができました。
また、イエス・キリストの犠牲によって、父の家は、
どんな父と息子が来ても、許してもらって、
慰めてもらって、新しい力を得て、
再び人生をやり直しができる、祝福の家になりました。
コロナの恐怖の中で、今、ズムで出会いをさせながら、
出会うことができない、今、私たちの状態。
皆さん、今、どんな状態ですか。
もし、皆さんが、出来のような、サタンに攻撃を受けていることではないでしょうか。
また、二番目の息子のように、
宝刀息子を悲惨になって、苦難を受けている状態ではないでしょうか。
伝道師さんと私は、皆さんのために、いつも、祈っています。
また、イエス・キリストの愛と恵みが満ちあうれる、
父の家、教会を備えているところです。
24:01
今、コロナによって集まることができない。
だから、仕方がなく、私たちがバラバラになりやすい、
敵の攻撃をやりやすい、そのような状態ですけど、
必要なれば、皆さん、いつでも、教会に来てください。
また、いつでも、私たちを呼んでください。
どこでも、行きます。
そして、いつも、父の愛、イエス・キリスト教会の恵みを通して、
毎日毎日、やり直しができる。
新たに新たに、過去の過ち、罪を全部許してもらって、
新しい力をいただいて、これからやり直しができる。
そして、勝利でき、父の祝福をたっぷりいただく、
そのような私たちになりますように、祈っています。
皆さん、今、私たち、今、このようなジュームで礼拝を捧げているんですけど、
コロナによって苦しんでいるんですけど、
絶対忘れてはいけないこと、父は愛です。
皆さんを受け入れてくださいます。
何があっても、父の愛を求めてください。
また、父の家、皆さんを受け入れる準備をしています。
愛を持って、皆さんを受け入れる準備をしています。
いつでも、いつでも、来てください。
そして、私たちは、この難しい時期を乗り越えて、勝利をもって、
神の祝福の中で生きる、私たちになりたいと思います。
お祈り出します。
神様、コロナによって、2年間、私たちみんな苦しんでいます。
また、集まることができないから、
本当に、このような時期、敵が攻撃し、私たちが弱くなる、このような状態です。
このような時期、父なる神様の愛を知って、信じて、
また、父の家をいつも愛して、勝利する、私たちにならせてください。
イエス様の皆を通して、お祈り出します。
アーメン。
26:11

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