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2022-05-08 31:56

「エッファタの家庭になりますように」2022年5月8日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年5月8日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

マルコ-35 人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。

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今日はエッパーターの家庭になりますようにという対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
5月は家庭の月です。 5月の初めの週、私たちは子どもの日と母の日を過ごしました。
皆様、子どもたちにどんなお土産をしましたか。 母親に金衣装とか
捧げましたか。 私たちの家庭にはいろいろ切実な問題があります。
親の立場になってみた方たちは、親の関心、また親の祈りのほとんどの祈りが いつも子どもたちのためです。
親バカという言葉もあるんですね。 子どもがうまくできることより、親にはもっと大きな願いはありません。
親の幸せは子どもにあります。 私、最近2年間
コロナのような地球的な災いがありました。 聖書が言われるこの最後の時が来たなぁと思いながら
まず何を考えたんですか。 これから私たちの子どもどうなるんだろう。
私たちの家庭はどうなるんだろうと言われたんじゃありませんか。 いつも何があったら
私たちの家庭、私たちの子どもどうなるんだろうと 親はいつもそのことが初めに浮かぶようになっています。
このような時、家庭の安全と幸せ、 ただの幸せではありません。安全にならなきゃいけない。
また私たちは神の民としての役目があります。 これをどうすればいいのか。
今日は終わりの時期を過ごしている 私たちの家庭の切実な問題を、特に子どもたちの問題をために
親は何をすればいいのか、それを一緒に考えていきたいと思います。 終わりの時に来るすべての問題は、事実、礼儀的な問題です。
いわゆる実証通説で言いますと、盗人が来るのは盗んだり、ほふったり、滅ぼしたりするために他ならない。
盗人ということは悪魔、悪霊、このようなものたちです。
また終わりの時を第一テサロニケ古書三説にはこう言います。 人々が無事だ、安全だと言っているその矢先に
突然破滅が襲うのです。 ちょうど妊婦に海の苦しみがやってくると同じように
終わりの時が来るんだ。 決してそこから逃れることはできませんと言います。
終わりの時が突然来る。 安全だ安心だというその矢先に突然来ると言います。
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いつ迫ってくるかわからない。 終わりと災い。
これを担っていくためには私たちはこれからどうすればいいんでしょう。 特に親は、私たちの家庭は、私たちの子供をどうすればいいでしょう。
特に私たち二世たちは今世の中で精一杯頑張っています。
その子供たちの、二世たちの考えは、この世の中で生き残る、
成功する、出世することしかないかもしれません。 イエス様も自分の頭にどのくらい考えているかわからないほどの
子供たちを今精一杯頑張っているところであります。 親の悩みはそこにあります。私たち子供はイエス様をよく信じてくれれば、信仰を持ってくれれば
いいのに。 しかし子供たちは立場は全く違うんです。
5月、家庭の月に向かい、子供たちどうしたらいいんでしょう。
考えていきたいと思います。 どの家庭にも
子供の問題がない家庭はありません。 ところが子供の問題はすべて
親から来ています。 その解決は親にあります。
だから親が大事です。 聖書は一人の人の大事さをこのように言っています。
ローマ書5章18節。 そこで一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように
一人の正しい行為によってすべての人が寄託され命を得ることができます。
すべてのことは一人によって、またその解決も一人によってと言います。
先祖の先祖と言いますが、その上の世代の人の信仰、生活が
子供と子孫たちに影響を及びます。 人類の先祖と言われるアダム。
アダム一人によって人類に呪いが乗せられました。 呪いが何ですか。
厳罪ということです。みんな厳罪を持って、厳罪の弱さによって生きています。
カインという人を一人によって、カインの子孫は全部神から離れてしまいました。
神から離れてしまったら、カインの子孫たちは今どこにいるんでしょう。
アブラム一人によってすべての人たちが祝福に預かるようになりましたけど、
イサクの祝福、ヤクプの祝福ある反面、イスマエルの呪いもあります。
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アブラムが信仰によって生きた時には祝福があったんですけど、不信仰によって生きた時には呪いがありました。
だから、先祖は親の信仰、親の生活が子供にそのまま
問題を繋がっていることを教えてください。
親が大事です。 それだけではありません。
親の信仰によって子供は生かされます。 マルコ公書にはカイドウ町ヤイロの娘が死にかかっていました。
死んでしまいました。 しかし父親の信仰によって生き返りました。
マルコ公書では悪霊に取り憑かれたものも言えない子供がいました。
その父親の信仰によって救われました。 ルカの七章中二説からはナインという町でヤモメの一人子が死にました。
ヤモメという立場は夫が亡くなったということです。 一人大事な息子がいたんですけど、息子も死んでしまう。
夫も死んでしまう。息子も死んでしまったヤモメ。 そのヤモメの泣き声を聞いて
イエス様が死んでしまったこの一人子を生き返らせてください。 旧約聖書もたくさんあります。エリア、エリシャの時代にも
ある姉妹が一人子息子が死んでしまったんですけど 母親の切磋なる願いによって神の人エリシャがその一人子を生き返らせてくれます。
聖書どこを見ても問題を抱えている子供たちは 親の信仰によって救われました。癒されました。
生き返らせました。 親が大事です。
一人によって、一人によってといった時に そこにいつも親がいます。
親によって問題が来るし、親によって救われます。 親が大事。私が気の毒だと思っているのはヨワネ3書16節
神はその一人子をお与えになったほどに要愛された 一人子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためであると言います。
神様はこの世の中を愛して一人子まで犠牲してくださり このイエスキリストを信じてイエスキリストの恵みによって
全ての人類が救われるように恵みが来ているのにも関わらず 聖書も知らない信仰も知らない
人生の道を真理を命であるイエス様を知らない それで生きるこれはどれほど気の毒なことでしょう
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私たちの力で病気できますか 悪霊を追い出すことできますか
呪いを取り除くことができますか 人生の様々な問題解決できますか
恵みを施すために待っておられるイエス様がおられるのに なぜイエス様の元に来ないんだろうということが
私たちが叫びたい 私は私と妻は息子のことで長い間苦労しました
私は苦労していながら考えました 信じると言いながら問題の前では信仰が全くない私たち
それがもう本当に問題の前で私たちの信仰は全くないことを分かりました
またイエス様は私たちを救ってくださり癒してくださるということを いつも言葉では語っているんですけど
イエス様の恵みイエス様の力によって子どもをどのように生かすのか
癒しの方法を キリスト社たちは全く分かっていない
それを 長い間苦労しながら
それを分かりました 今はやっと少し平和を持っているところなんですけど
皆さん 子どもたちに問題があるなら
親は死にそうになります 死ぬほどになります
私は子どもの問題を抱えながら 世の中の出世成功
すべて卸しました 子どもが健康に生きていてくれれば
それで満足 子どもが健康に生きてくれるだけで
私は幸せになります 本当そうです
イエス様を信じることそれ以外 何にも願うことはありません
欲を全部下ろしました 子どもに対する欲
親は子どもに期待するんですね 虚しいことです
子どもが本当に病気にかかっていろいろな問題にかかってみれば 成功出世
これは何にもないことを分かります 生きていってくれれば
イエス様だけよく信じてくれれば これでいいや
これ以上は何にもいらない 私はそれができた時にやっと平安が来ました
それから見てますと 今世の中で子どもの問題で抱えていらっしゃる方が どれほど大勢いらっしゃるのか
私はぜひともこの放送を聞かれる方は 教会に来てください
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その子どもを抱えて一緒に祈りましょうという
私たち教会は祈りを通していくらでも助けてあげたいという気持ちがいっぱいあります
マルコ7章では2つの事例を私たちに教えてください
マルコ7章24節から30節に イエス様がティルス地方に行かれた時
汚れた霊に取り憑かれた幼い娘を持つ女が すぐにイエスのことを聞きつけて その足元に振り押して
娘から悪霊を追い出してくれるように頼んだ
皆さん 悪霊に取り憑かれたと言うから 私たちと関係ないと思われるかもしれないけど違います
今は宇宙の時代 今は精神病の時代です
学校で子どもたちがお友達からいじめられているなら 優しくそのようになります
家庭の中で夫婦は不倫などに傷つけられてしまえば 優しくそうなってしまいます
皆さん 精神病は私たちのすぐ隣にあります
誰でも優しく引っかかることができる病気です
特に精神病には悪霊がたくさん働きます だからますます難しくなります
どうすればいいんでしょう その女性は異邦人でした
その母親である女性がイエス様のところに来ました
彼女も世の中のすべてのことをやってみたでしょう 病院も行ってみたり薬も食べてみたり
いろいろ占い師に訪ねてみたでしょう できませんでした
その果実 問題はますます深刻になっていて どうしようかという時に
噂でイエス様のお話を聞いてイエス様に来ました
異邦人の女がイエス様の前に来るということは とりあえず難しいことでしょう
ところがイエス様に訪ねた時 イエス様は何と言われるのか
まず子供たちに十分食べさせなければならない
子供たちのパンを取って子犬にやってあげるのは良くないと言われます
なんと侮辱的な言葉でしょう
なぜそうされたんでしょうか
当時ユダヤ人たちは異邦人を動物扱いをしました 獣のように考えました
しかしイエス様の小人はこの異邦人の女が信仰があるのか それをテストされたんです
驚くのはその異邦人の女の信仰です
15:03
あなたしか道がありません 主よ
食卓の下の子犬も子供のパン屑を食べていきます
だから私が犬でもいいんです あなたが命ですからあなたしかいないから
あなたからパン屑でも食べていきたいです
その告白をするんです そのお話を聞いてイエス様が褒められます
29節です それほど言うならよろしい
家に帰りなさい 悪霊が出てしまったと言います
皆さん 信仰の告白をイエス様は聞かれて
それほど言うならよろしい 悪霊が出てしまったという宣言とともに
お家にいる娘さんから悪霊が出てしまいました
信仰の言葉の素晴らしさ イエス様は信仰を喜ばれます
私たちがいつも信仰の言葉を語る理由はそこにあるんです
私たちの信仰の言葉にイエス様が喜んで反応される時に悪霊が出てしまった
病気が癒された 大事なのはこのような信仰を持っているのか
家庭に様々な問題があります その時親は
一番初めにやるのはどうしようと言ってしまいます
その言葉を変えればどうでしょう 信仰の言葉に変えてみませんか
イエス様を信じている私たちですから 病気が悪霊がどうしようともできない
イエス様私は愛しておられ イエス様私は助けてくださるんだ 心配するな
イエス様来てください イエス様の力ある見事場によって悪霊を追い出してください
信仰の話をすればどれほどいいでしょう
私は今私たちは礼拝を捧げているところなんですけど
今も信仰の心を持って
信仰告白を立派にするなら今も癒しが伴うと私は信じます
信仰は素晴らしいことです イエス様は信仰のお話を喜んでおられます
ですから私たちは不信仰の話をやめましょう 心配悩みやめましょう
これから信仰の話だけをやるようにしましょう
信仰の父が信仰の母が子供を生かします アメン
2番目の事例はマルコ7章31節から37節です
イエス様はティルスの地方からカリラインに戻ってこられた時
18:03
人々は耳が聞こえず舌が回らない人を連れてきて
その上に手を置いて祈ってくれることを願った
ここで この人の年が何歳か書いてありません
多分耳が聞こえない
舌が回らない人だから 知的レベルはすごく低かった
子供のようなレベルだったのではないかと思います
その人を哀れんで周りの人たちが連れてイエス様のところに来ました
その人の親の立場を考えてみてください
他の子供たちはみんな幸せそうに見えるんだけど
私の子供はなぜなんだろうと
私が子供にいろいろ問題がある時 一番初めに考えたことは比較意識でした
他の家の子供はこんなに立派なのに
なぜ私の子供はと言ったら
悲観的で本当に悲しくて悲しくてたまらなかった
考えが大事なんだけど 考えにすでに負けてしまったと言いましょうか
信仰の考えが大事です
イエス様はその方を哀れに思って
33節34節にその両耳にこの指を差し入れ
そこから唾をつけてその下に触れられた
そして天を仰いで深く息をつき
その井戸に向かってエパタと言いました
それを開けという意味なんです
ここで韓国の訳と日本語の訳は少し違うんですけど
ここに深く息をつけということを書いてありますけど
韓国の聖書はため息をしたと言いましょうか
嘆きをしたと
先ほどイオウジンの女は信仰があったんじゃありませんか
イエス様を癒してくださることを信じたんじゃありませんか
信仰の話を知ったんじゃありませんか
しかしユダヤ人が イオウジンじゃなくユダヤ人が
信仰の耳もない 信仰の言葉もできない
それをイエス様は嘆きをもってそれを見ておられた
私たちは信仰の話ができない 聞く耳がない
見る目がないと言うならイエス様は嘆きをされるんです
イエス様はその人を見てエパターと言いました
エパターは開けと言います
そしたらその人の耳が開かれ
口が今鈍くなっているこの口が開かれて
信仰の言葉を話すことができた
21:01
皆さん今私たちに大事なのはこれなんです
今私たちは何か霊力に縛られています
鈍くなっています 閉じ込まれています
だから何か開かれなければ見えない 聞こえない
それで動けない このような状態で今私たちは閉じ込まれています
イエス様からのこのエパター 開けという声が必要なんです
切実に思っていることは霊的なエパターです
今私たちの子供たち見てください
子供たちもいろいろやってます しかし霊的な耳霊的な目霊的な口は閉じ込まれています
今終わりの時です 終わりの時ということは人類の終わりもあるし個人の終わりもある
人類の終わりの時が近づいています
しかし個人の終わりはどのぐらい長くいけるか誰もわかりません
明日私いなくなるかもしれません だから個人の終わりはすごく近づいているし人類の終わりも近づいているところです
人生は非常に短いんですけど 私たちみんなよく見たら
耳が閉じ込まれているし目が見えないし 口が今回らない状態であるのではないでしょうか
そうしながら霊的な分別力がないから この世の中が全てのように生きています
しかし終わりの時の滅亡は突然来るんだと言います この世は100年天国地獄は永遠ですけど
この世の中100年の間に 天国か地獄かを決める大事な準備をしなきゃいけないんです
今私たち理性たち子どもたち 私たち親は
週の日の礼拝にも参加しメッセージも聞き 金曜日の取り直し祈り会にも参加してメッセージも聞いてそして祈っているところなんです
子どもたち特に理性たちは その方たちの関心はどこにあるのでしょう
大ニコリンと4章4節 この世の神が信じようともしない人々の心の目を眩し
神の御姿であるキリストの栄光に関する 福音の光が見えないように妨げをしている
悪魔は世の中のことをもって 目の欲肉の欲この世の奢りこれをもって私たちに目が見えないように妨げをするんだ
だから見えることは世の中のことばかりだから世の中に夢中になっています 私たち子どもたちが神を知り信仰があるなら
24:09
神様は聖書の中でヨセプのようにタビデのように タニエルのようにいくらでも祝福されるはずなんですけど
見えないからどうしたらいいんでしょう ですからまず
親が 親が
イエス様の心が注がれます そしてエパターという信仰の力を持つことができます
そして私たちの子どもたち理性たちをよくよく助けて 子どもたちも開かれるエパターの人生祝福をいただくことができます
ここで一つ皆さんにもう一つお願い聞きたいことがあります イエス様の祈りの力と私たちの祈りの力の
この違いです 皆さん祈りに一番大事なのは罪の問題です
イザヤス59章1節2節は 主の手が短くて救えないというのか
主の耳が鈍くて聞こえないというのか むしろお前たちの悪がまたお前たちの罪が神とお前たちの間を減ったれ
神の御化を隠させお前たちに耳を傾けることを妨げてあるんだ
罪が神様と私たちの間を妨げをする だから私たちがいくら祈るんだとしても神には聞こえないようにすることがこの罪なんです
皆さん罪をもって祈るなら神様は聞くことができないと言うんです
ところがイエス様は賢罪がないお方罪がないお方です また精霊の油注ぎが豊かです
神様と親しい交わりがいつもあったので神の身群をよく知っています だからイエス様の祈りは
神様と通じたんです 答えがいつもあったんです
反面私たちは随時罪を犯します 神様との関係性もいつも妨げがいっぱい詰まっています
精霊10万人もなりません 神の身群もわからないんです
あえて私たちの祈りは神様に通じるんでしょうか 私たち祈るんだってそれが神に達することができるんでしょうか
ですから 聖書でイエス様がこう言われたとして私たちも同じようにするんだって同じ効力があるのでしょうか
ではどうすればいいんでしょう だから私たちが祈る時にはまず徹底的な悔い改めが必要です
悔い改めて祈ること また他の人を許さないことがあるなら
27:04
許して祈ることが大事です また私たち祈りは神様の見越え神様の身分を聞く
この祈りが大事です そして私たちは
絶えず 持続できない祈ることは大事です
最近の私が深く深く 考えること
牧師になってもう一回今何十年目ですかね 今になってやっとやっと
ああそうだと思っているのは 祈りは積み上げなければいけないということです
子供がどんな状態であり子供がうまくできるかうまくできないか関係なく
イエス様の皆によって持続的な祈りによって祈りが積み上げられるようにすることです
祈りの器が満たされるなら それからは満たされている積み上げられている祈りの力が
問題を一つ一つ解決していくでしょう それはまるでがんの患者さんが放射線治療することと同じです
一気にたくさん照らすことができないから 毎日毎日毎週毎週少しずつ放射線を照らします
放射線を照らされた方はそれが蓄積されて蓄積されてその力がいつも溜まっていて
その放射線の量蓄積されたものが病魔といつも戦うんです そしてその人を癒すことができます
イエス様の皆によって積み上げているこの祈りの力が 私たちも知らないうちに
子どもたちの問題を一つ一つ解決していきます そして子どもを生かしてくださいます
またその力が 将来の子どもたちのところにも働いて
その力が子どもたちの将来も救い出し 良い道に導いてくださいます
ですから一回祈ってうまくできなかったとか 子どもが祈っても子どもがますますもっともっともっと悪くなるとか
いうこと関係なくそこに落胆されることではなく 持続的な祈りが大事です
そして子どもたちのために祈りを積み上げていくこと それが大事なんです
それが今の問題から救われるだけではなく その一生涯続けて続けて子どもたちに働いて
幸せと安定の道に導き そして神に栄光を与える生活ができるように
祈りの力が働かれるでしょう
30:03
ですから祈りは積み上げなければならないということです 祈りを積み上げる
積み上げる私たちになりましょう 最後に
親と子どもは非常に関連性が深い 子どもの問題はほぼほとんど
親から来ました また子どもの問題を解決するのは親の信仰によってできます
子どもの親によって問題の中にいる私たちの子どもたち 親の信仰によって生かし救われ
祝福の道に行くように 各家庭にパタッ
開け 祝福の道が開かれるように助けていきましょう
このためにいつも祈っていく子どものために祈りを積み上げていく 親になりますように
私はいつも皆さんの家庭がエパッタの家庭になることを 教会は続けて祈っていきたいと思います
お祈り出します 主よ5月の家庭の月を迎え
私たちの子どもたちを考えながら 礼儀的な耳目口が開かれることを祝福し
今家庭の中に閉じ込まれていて縛られているすべてが解かれるように開かれるように
イエス様の皆によってエパッタの家庭になることを祝福します 私たち人生のもとであるすべての家庭が
イエス様の愛と恵みが満ちあふれる 幸せな家庭になることをイエス様の皆によって祝福いたします
アーメン アーメン
31:56

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