ですからこの世の神ということは天地を作られた創造主神様ではなく
悪魔がこの世の神になっていることを聖書は認めています。
なぜなら神様は人間に全てを与えてくださったからです。
ですからこの後の世界が大きな大きな変化が起こりました。
皆さん日本ではもう同じ市民党の中で政権が変わったからあまり変化がないんですけど
韓国はもう国が大統領が変わったら国が大きく変わります。政策が大きく変わる。
もうなんと言いましょうか主人ではないんですけど
支配じゃないですね大統領の使徒その部分が変わったから
大きく変わったんですけど 全世界も同じでした。
主人が神様ではなく悪魔になったから祝福と幸せのエデンがなくなりました。
また罪には罰が伴うんですけど 創世記3章16節から19節まで書かれている。
豊かさが貧困になり 幸せが不幸になり
秩序が混沌になり それで最後に死が宣告されました。
地で土で作られたお前は土に帰れ これは土に帰る死んでしまうということです。
このような罪の罰悪魔が支配するこの世界 どうしたらいいでしょう
神様は何の対策もないですか いいえ神様がそのようなことを全部わかっておられ
すでに対策を備えておられました 創世記3章15節に加えます
お前と女お前の子孫と女の子孫の間に私は敵を置く
彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかどを砕く
これの意味を後々になって何千年後これを悟るようになりますけれど
これがイエス様が十字架イエス様を送ってくださる女の子孫と送ってくださり
サタンがイエス様のかかどを砕く またイエス様は彼の頭を十字架で砕くことをここで全部意味する
すごい聖書が創世記3章15節
要するに神様の救いの計画は 人間の罪を許すために
罪がない人間を送ってくださって 代わりに血を流してくださる計画です
この血を流すということはどんな意味ですか これは後に与えられたレビキ17章11節で
罪がない人が代わりに死んでくれてそれでこの血によって
この罪が許される レビキ17章11節はこういう意味です
人間の命は血にある この血を流すということは命を失うことですから
この血を流すことによって このような人は死にますけどこの血を流すことの
誰かがそれを恩恵をいただいて罪を許されてもらおう そして救われるという意味です
昔レビキを書かれる時にはいろいろな礼拝の儀式がありましたけど
これが後になって十字架を通して確かにわかったことです
ここで女の子孫ということはイエスキリスト 女の子孫として生まれるイエスキリストを念頭において言われたことです
神様は罪は大嫌いです 神様が一番嫌われることは罪です
サンタも嫌われるでしょう しかし人間が罪を犯した時
罪は神様が嫌われるんですけど 人間は愛されるので
これは人間を愛して人間を殺すわけにはいかない だから神様はその難しい部分を
女の子孫としてミクオイイエスキリストを送ってくださり このミクオイイエスキリストの血を流すことによって
私たちがこの贖いの救い 誰かが代わりに血を流してくださった
その恩恵で私の罪が許され命が救われる この神様の救いの法則を通して
神様は私たちを救う計画を持っておられた 時が来るまでは旧約聖書でその事例を見せてくださった
これは何かと言いますと毎年毎年 数多く罪がない動物を
殺すことによって血を流してまたそれを燃やして その灰を持ってこの罪人に降りかける
それを降りかけられてそれで大祭祀が あなたの罪がこの動物に引き渡された
この動物の血 動物が殺され燃やされて この血と灰をも降りかけることによって
あなたの罪が許されたと宣言をする これを毎年毎年行いました
動物の血の力は効果があまり長く用いられなかったから 毎年毎年
神殿に動物を持って行ってそれで動物を殺すことによって 私が死ぬことを動物が代わりに死んでくれて
私の罪が許されたということです ですから毎年毎年イスラエル人たちはみんな神殿に行かなきゃいけなかったし
この食材の生贄を捧げるこの儀式がいつも 神殿では行われたんですね
前 今田さんがメッセージをするときに 今田さんがこのようなことを教えてくれました
動物が殺されて血を流すのではありませんか 血を流すときに
この人々みんな動物を殺すから この血がエルサレム神殿と同じであるキドロンという川に血が流されたんですけど
それが川のように流されたというメッセージを聞いて すごいこと言うんだそうかなと私は思ったんですね
私は今教会の先生たちがメッセージされることを全部覚えています 全部じゃないんですけど大事なことを覚えています
それが私にすごく役に立ちます 子どもたちにも教えがあるんですけど私にも大きな教えがあります
この血流される血臭いところで これは私の罪のゆえにこれで動物が死んでこんなことがあるんだと
みんなが思ったんでしょうか ただ儀式で行ったんでしょうか
このすべてが解決する方法が
与えられたんです これは何によってですか
血によってですけど動物の血ではなく 私たちは永遠に効力を持っている神様であるイエスキリストの血によって
私たちはこれから 世の中ですべての災い すべての不幸から私たちは乗り越える
勝ち抜く それをすべて告白する方法が 私たちにはすでに与えられていますということを
皆さんに申し上げたいです
これを聖書の中で例えとして教えてくださったところが シチエジプト中2章のところです
イスラエル人たちがエジプトで奴隷として 430年間苦しみを受けました
時になってモーセを使わし イスラエル人たちがエジプトの奴隷の状態から救い出すときに
神様がモーセを使わせて パラオにこう言います
私の民を送りなさい 私の民を通しなさい
私の民がこれからアラノニーのところに行って 神様に礼拝するためだ
そうしたらパラオがそのまま奴隷として使っているのに パラオはそのまま通してくれますか
くれないんです だから神様がパラオの罪 エジプトの罪を罰するためにモーセを通して
中項目の災いを下すんです その10番目のこの災いが何ですか
これが長子を殺す災いでした あなたの長子を失う前に私に
従いなさいと言ったんだけど 最後まで彼は従わなかった
パラオは だから中項目の災い 最後のところ 長子が死ぬ
長子だけではありません 初めに生まれたすべてのものが死ぬ
動物のウイゴまで全部死ぬ パラオの息子から動物のウイゴまで全部死ぬ
この災いを神様がエジプトに下すとき みんな死んでしまいました
しかしそこで住んでいるイスラエル人たちの子供には誰も問題なかった
なぜでしょう その時神様があらかじめ教えてください
子一児の地を殺し この地をあなたの玄関に塗りなさい
死の死者が人を殺すためにあなたの家に訪ねるとき
この地を見ればこれをパスする パスオーバー
あなたの地を過ごしをするから
地を塗ったイスラエル人たちは誰も死にませんでした
ここで神様が何を示してくださるのか 地の力
旧約聖書で動物を生贄として捧げた地の力も力があって
毎年毎年この人たちの罪を許してくださり 罪にきっかけになってあった泥い病気
全てのこれを癒してくださる力があったとするなら
今の時代はイエス・キリストの十字架の地によって
与えられるこの地の力 それを私たちが体に塗るなら
私たちの頭に塗るなら 家庭に塗るなら 子供たちに塗るなら
世の中の災い 病気 罪 サタンの仕業 誘惑が
私たちを襲うことができないし それによって被害を与えることができないということを
神様が教えてくださることでした
神様が一番大切に思われるイエス・キリスト
イエス・キリストの十字架の地紙を これがどれほどのパワーがあり
この地紙を流してくださるイエス様を どれほど神様が愛しておられたのか
皆さん 神様の前に罪人が出るのは 神の前で罪を持っている人は死んでしまいます
そのままでパーンと死んでしまいます 私は誰も神の前に出ることはできません
しかし神様に永遠の命もあり祝福もあり 全知全能のパワーもあり
知恵知識全ての宝が神様にあるのに 神の前に出ることができなければ
それをいただくことができない だからどう生きるんですか
だから私たちは神の前に出なきゃいけないんだけど 罪人は死ぬ
だから私たちはどうすればいいのか イエス・キリスト十字架の地紙を塗って
注いでそれから主の前に出ることです
恋愛をするために 皆さんは何を思って出たんですか
もしかして1週間 頑張ったから 主のために頑張ったから
私を喜んでくれるんじゃないか これは立法主義なんです
自分の良い行いに委ねて主の前に立とうとする
皆さん 自分の良い行いによって主は満足できますか
神様は許されません だから立法主義によって主の前に出るという人は
罪人と同じようにもう殺されるべきではないかと思います
恋愛のために一番大事なのは 私は何にもやったことがない
主の前に恥ずかしいんだけど罪だらけなんだけど
イエス・キリスト十字架の地紙を塗って これは皆さん イメージ方法というのがすごい大事ですよ
イエス・キリスト十字架の地紙を体に塗ります 頭に注ぎます
イエス・キリスト十字架の地紙を塗って 私はまたイエス・キリストの衣を着て
礼拝の前に出るんです だから主は喜んで受け入れてください
皆さん 祈るときはどうしますか 最後にイエス・キリストのみなによって祈りますと同じように
祈るときにイエス・キリストの十字架の地紙を塗る それによって主の前に出ることが大事です
全てに対して私たちはイエス・キリスト十字架の地紙を委ねて
それを塗って それをおかげで主の前に出ることが大事なんです
イエス・キリスト十字架の地紙は罪を解決してください 罪の罰を解決してください
呪いを綺麗にしてください 病気を綺麗にしてください 私はこのような想像もしました
先週サクちゃんが何とか痛いと言って イエス・サムの血をシャッと塗ればシャッとなくなる
そうですそうです 皆さんの何かあるんですか イエス・サムの血をシャッと塗ればそのところが清くなります
癒されます これをイメージ方法を考えながら信じながらそれを毎日毎日やってください
実際そうなっちゃうから だから
悪魔の仕業をイエス・キリスト悪魔が攻撃しようとしたら血が塗っている家は入れない
同じように私の体に血を塗っているなら 悪魔が私を誘惑したい攻撃したい悪いことをやりたいと思ってもできない
イエス・キリストの中心から血しよう血しよう だから私たちはイエス・キリストの中心から血しようのおかげで救われ
今も毎日罪を犯しているんですけど イエス・キリストの中心から血しようによって私の罪を清くし
それをもって私の周りにおられる家族 また教会の家族 また私たちが転倒するべき大勢の方々のために
祈りながら私たちはこのようなイエス・キリストの中心から血しようの力を その方たちに伝えてあげることが大事なんです
礼拝の時にも自分の力を委ねてはいけません 祈る時にも自分の何かうまくやったことを考えてはいけません
ただただ考えるべきことはイエス・キリストの中心から血しようです
ですから今私たちは中心から福音を通して一割の信仰を学びましたけど 立法主義で私がうまくやりましたと主の前に出たら死んでしまいます
神法主義 五略信仰 一割の信仰を持って主の前に出たら 受け入れられないだけじゃなくて主によって殺されるべきこれは悪いことなんです
神様私たちを愛して生かしてくださるためにイエス・キリストを犠牲しながら その血を流してくださって私たちを許してくださり全てを受け入れてくださるものですから
これからも私たちが切磋にやるべきこと 私たちがやっていかなきゃいけないことはイエス・キリスト中心から血しように委ねて
全ての信仰を生活するだけではなく 人々を助ける時も
杉越の祭りのことを思い出しながら これをイエス・キリスト中心から血しようの力を延べさせるべきです
私の息子は私がいないときに たびたび手話するのかわからないけど
杉越の祭りのときの
シチュエジプトのときのイエス・サムコイ コイチジノチ
これよく勉強できてるんですよ 会社に行く前に
玄関の前でちゃんと立って祈ってくれ それで私がイエス・サムの血
イエス・サムの血によって塗ります イエス・サムの血を注ぎます イエス・キリスト中心から血しよう血しよう
それで祈って送ります 私の願わくは何かと言いますと
世の中の災い問題事故 トラブル さまざまなことが世の中にはいっぱいあります
狼の中で小さな赤ちゃん羊を送るような気持ちで
皆さんの子供たち朝学校に行くでしょう 会社に行くでしょう 社会に出ていくでしょう
そのときに私たちに一番大事なことは何ですか イエス・サムの血によって塗ることです