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2024-12-15 33:14

「待降節の福音、聖霊様を送って下さる為に」2024年12月15日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2024年12月15日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。
ヘブライ9:13,14なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、14. まして、永遠の霊によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。

メッセージ題 : 待降節の福音(聖霊様を送って下さる為にイエス様が来られた、ヨハネ1:29)
*クリスマスの一週間前です。普段クリスマスというなら馬小屋の飼い葉桶、処女誕生、羊飼い、東方からの博士・・・なのに、なぜ聖霊様なのか?←イエス様は私たちを救う為に、また聖霊様を送って下さる為に来られました。 どんな話なのか?今日は・・・イエス様と聖霊様に関して・・・

1.初めに創られた人間と聖霊様の関係!

*初めに人間を創られるとき、創世記2:7土の塵で形作り、その鼻に命の息を?ここで命の息とはヘブライ語ルーハ!幅広い意味が、そして人は生きるものになった?この命の息が=聖霊様
*この聖霊様は第3位の神様、その役割?Ⅰコリント2:10-11,イザヤ11:2それはイエス様に!
#その聖霊様が人間から離れられた?いつ?なぜ?創世記6:3人間が堕落したとき!創3章は?
*その後、人間は聖霊がいない状態。エペソ2:1₋3 過ちと罪によって死んだ意味?神の怒り!
そうしながらも人間にある宗教性・・・なんでも拝むように!旧約時代のすべての人、新約時代も

2.どうすれば、人間に再び聖霊様が来られるようになれるでしょう?

*聖霊様が来られる条件?聖霊様は聖い霊、聖さが大事!即ち、罪の問題が解決できなければ。地上の様々な宗教ら?各々罪を解決する方法が・・人間の修練、善行、努力によって聖くなろうと
‐しかしすべての律法を守りながらも一つ、犯すなら罪人になるので、いつもすべてを?は不可能
#罪の問題を解決する神様の方法?自らの力ではできないので、神様からの恵みを受け入れるなら。創世記3:15女の子孫、ヘブライ9:22,旧約時代は毎年罪がない獣の血で、それは女の子孫として来られるイエス様の象徴。時が満ちると、イエス様が処女からお生まれになって(男性の種ではなく聖霊によって身ごもって)全人類の為に十字架で血を流し死ぬことで贖いの御業。ヘブライ9:13,14 これからは自分の努力ではなく、神様からの恵みを受け入れ、悔い改めるなら
*ここで、イエス様は罪がないお方であることを、どのように信じることができる? ヨハネ9:41
#悔い改めることによって十字架の恵みが働かれ贖罪の御業が・・・そこに使徒2:38,ヨハネ3:5。イエス様を信じる前の人間の心は悪魔が、Ⅱコリント4:4.しかし信じてからはその心に聖霊様が
#これから見てますと、神様が私たちに与えて下さった一番のプレゼントは?「救い主+助け主」

3.これから救われた私たちに一番大事なことは、内におられる聖霊様の為に、「聖さを維持すること!」

*Ⅰコリント6:18,19,Ⅱコリント7:1私たちの体は聖霊様が宿ってくださる神殿であることを認識
*しかし自由意思を持っている人間?自分勝手に過ごしたいと! 聖霊の働きと自由意思の衝突。救われたにも関わらす、犯すようになる罪、どうする?ヨハネ13:10悔い改めを通して聖さを保つ
#これからキリスト者に一番大事なのは?聖さと聖霊様に従うこと。絶対、聖霊様を悩ませ、悲しませ、妨げをしてはなりません。 ダビデのように、使徒13:22 聖霊様が喜んで働けるように!
@創3章の事件から離れられた聖霊様が、私たちの内に来られることで!救い、御業に用いる、天国に

00:00
今日は、待降節の福音ということで、聖霊様を送って下さるために、イエス様が来られたという対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
クリスマスの1週間前です。普段、クリスマスというなら、
馬小屋、貝羽桶、
また、少女から、緑の、緑子が生まれた。
また、羊飼い、また、東方から来た博士。このような、いろいろな話を聞くようになりますけど、
私は今日、いきなり、聖霊様について、皆さんに申し上げたいと思います。
なぜなら、イエス様は、私たちを罪から救うためだけではなく、聖霊様を送って下さるために来られた。
ここに大きな意味があるので、これを一緒に分かち合いたいと思います。
じゃあ、初めに作られた人間と、聖霊様との関係。
神様が、天地万物を作られた時に、人間を作られたその記事が、
創世紀2章7節にあります。
主なる神は、土の塵で人を形作り、その花に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きるものとなった、と言います。
神様が、人間を土の塵で作られて、その形を作って、その花に命の息を吹き入れられた。
そうしたら、人間が生きるものになったんです。
皆さん、これ、どこか見たことありませんか?
火の木を作って、そこに天使がタッとタッチしたら、火の木が生きるものになった。
たぶん、この聖書から発想ができて、そのような火の木を作ったんじゃないかと思います。
じゃあ、ここで、土で作って、そこで命の息をフッと入れられた。
そうしたら、人間が生きるものになった。
他の聖書では、生きる霊になった、という言葉もありますけど。
じゃあ、ここで皆さん、命の息、これは本当に意味深いものです。
今度、クリスマスのコンサートに、結成祭に行ってきましたね。
彼らの名前がルーハーということです。
ヘブライ語でルーハーということは、命の息。
ここ、土に命の息をフッと生きられたという、その名前を彼らが持っています。
それは、命という言葉でも使えるし、霊というものでも使えます。
03:01
命の霊、ということで考えていいでしょう。
これは事実、今私たちの聖書を読みとか見てみますと、
その時、聖霊様を神様が入れてくださったんです。
この聖霊様が神の霊として、三味一体の第三位の神様です。
この聖霊様が神様の印であり、また神の民という印でもあります。
この聖霊様はどんな役割をされるのか、
第1コリント2章、10節、11節を見ますと、
私たちには神が霊によってそのことを明らかに示され、神様がすべてを霊によって示されます。
この霊は一切のこと、神の深みさえも極めます。
人の内にある霊以外に、一体誰が人のことを知ることができるでしょう。
同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
聖霊様は神様のすべてを知っています。神の霊。
三味一体の神様の役割と働きの素晴らしさ、
聖霊様は神様のすべての身分を知っています。
聖霊様を通らなければ、私たちは神様を知ることも、神の身旨を知ることもできません。
聖霊の働きは素晴らしいです。
また、イジャヤ、11章2節を見ますと、
イエス様に対してイジャヤを予言することですけど、
イエス様の上に主の霊が留まる。
すなわち、主の霊ということは、知恵と識別の霊、
知ると勇気の霊、主を知り、恐れ、敬う霊。
ですからイエス様の上にはいつも、神を恐れ、敬う霊によって、
神様に対するイエス様の心が、すでにこの聖霊によって充満でした。
イエス様は聖霊によってすべての働きを行われたように、
私たちも聖霊様によってすべての働きをしなければいけません。
ですから、神様が人間を土で作って、その花に、
命を勢い入れられて、その時命だけじゃなくて、
聖霊様も私たちの中におられた。
ところが、聖霊様がおられるのに条件があります。
それは、器用さです。
聖霊は器用い霊だから、器用さがなければ、聖霊様は離れてしまいます。
結局その聖霊様は、人間に来られた聖霊様は、人間から離れるようになるんですけど、
06:02
いつ、なぜ離れたのか。
ノアの時代、人間の堕落によって、聖霊様が離れる時、
創世紀6章3節はこう言います。
主は言われた、私の霊は人の中に永久に留まるべきではない。
人は肉に過ぎないから。
肉に過ぎないということは、人は動物のようになった。
人は獣のようになったから、人間の中に留まるべきではないと、
その時、聖霊様は人間から離れてしまいます。
皆さん、創世紀3章で人間が罪を犯したでしょう。
その中で、聖霊様がおられたんです。
エデンのソノが亡くなってしまったんですけど、聖霊様がおられました。
ところが、創世紀6章で、ノアの時代、どれほど人間が堕落したのか、
その人間の中に清い霊が留まることはできないから、
その人間から離れてしまった。
その後の人間は、聖霊様がいない人間。
聖霊様が共におられることではない人間。
聖霊様がおられない人間は、独長があります。
これがエペソ2章1節から3節で、3つで教えてください。
さて、あなた方は以前は、自分の過ちと罪によって死んでいた。
聖霊様がいない人の独長は、死んでいる。
生きているんじゃありませんか。
神様が見る時に死んでいる。
霊的に死んでいる。
2番目、死んでいる人たちのうちに働く霊があります。
これは悪魔です。悪霊です。
悪霊に従って、自分の心に発するまま行動するようになる。
これが、悪霊が支持して、世の中のいろいろな習わし、
世の中の様々な所に、どこに行っても、頭を拝む、拝む、拝む。
これは全部、悪魔がやることです。
人間が、そのようなことを従ってやっています。
また3番目、これを見ていますと、他の人と同じように、
生まれながら、神の怒りを受けるべき存在。
悪霊に支持通りやっていることが、
神様に、どれほど、神様に逆らうものなのか、
この人には、神の怒りが望むばかり。
だから、人間は、みんな恐れ。恐れがいっぱいあります。
あっ、どうしよう。私がこうしたら、どうするの。どうするの。
これは、人間が、なぜこうなったのか。
神から離れた、霊が死んだ人の特徴。
悪霊が支配しているから、臆病の霊。
その中で、恐れがいっぱいあって、心配、悩み、苦しみ。
それが全部、人間は、そこから逃れることはないです。
09:05
このような人間が、神様が作られた、霊的な存在として作ったから、
宗教神は生きています。
だから、どこにでも、助けてください。
どこにでも、守ってください。
どこにでも、拝みます。
以前、私の母は、初めに仏教に熱心でした。
もう、あちこち、いろいろなお寺に行って、いろいろなことをやりました。
その次に、見てみたら、天理教に行っていました。
その時、私は、手で天理教をやっていることを、よく、いろいろ分かります。
その次に、私は、イエス様を信じたら、家に迫害があった時、
母は、全ての宗教をやめて、私は、宗教をやらないと言いました。
その次に、母は、カソリックに行きました。
なぜなら、父は、もう、先祖に対する儀式をやらなければ、もう大変になるから、
カソリックは、全部許すところですね。
だから、カソリックに行って、それで、ちょっと、信仰生活をしました。
ですから、すべての人は、宗教心があるから、
何か拝まなければ、不安、何か拝まなければと思って、
どこでも、どこでも、やります。
旧約聖書の時代、人の中に聖霊様がおられなかった時にも、聖霊は働きました。
ある特別な時、特別な目的を持って、ある人に、しばらく入っている時がありました。
その時、聖霊様が来られたら、サムソンのように、
この顎の骨だけで、何百人のペリスティアの人を、打ち殺したということ。
ものすごい大きな力で働きました。
ところが、それは、しばらくでした。
ダビデが、神様から、サムエルから、油注がれて、王になったんですね。
その時、ダビデは、神様がいつもともにおられるから、
どこに戦争に出ても、勝ちました。
素晴らしかったですね。
そのダビデが、罪を犯しました。
その時、ダビデが、神様に祈ったことが、支援の51編にあるんですけど、
私から、主の霊を除かないでください。
ダビデは、主の霊の力、主の霊の働きをよく知っているから、
主の霊がいらっしゃらなければ、私は何にもないということをわかって、
自分が罪を犯した後に、私から主の霊を取り除けないでください。
このように、旧約聖書のすべての人は、
聖霊がいらっしゃらない人間として存在しました。
今も、世の中のほぼほとんどの人が、
12:01
聖霊様が自分の家におられない存在として生きています。
その人は、神様が見られるのに、
霊的に死んでいる状態でいるということです。
ですから、皆さん、霊的に見れば、
神様が、聖霊がおられる人には、
ああ、この人は生きている人だ。
同じ人間なのに、ある人は、
聖霊様がおられなければ、
ああ、この人は霊的に死んでいると言われています。
死んでいるから地獄に行く。
生きているから天国に行く。
聖霊様がおられるのか、おられないのか、
これは大きな大きな意味があります。
では、どうすれば、
私たちの家に、聖霊様が再び来られることができるでしょう。
聖霊様は清い霊です。
清いところにおられます。
ですから、私たちに一番問題は罪なんです。
罪の問題が解決できなければ、
聖霊様が私たちの家に来られることはできません。
だから、罪の問題どうしようかということ、
それが全ての宗教の始まりです。
全ての宗教には、
罪の問題を解決する自分なりの方法を持っています。
大抵、人間の善行、修練、
また、いろいろな自分なりの方法で、
罪を取り除くことができるから、
私たちは神様から救われるんだという、
それを全部持っています。
しかし、行いによって救われるということは、
なかなか難しいんです。
人間の努力、行い。
例えば、立法を全て守らなければいけません。
立法を一心に守ったのに、
最後の時、立法を一つ犯してしまえば、
その人は罪です。罪人です。
だったら、今まで全部守ってきた立法、
それ意味がなくなります。
ですから、自分の努力で立法を守ることで、
なんとか救われたい、
また、清くなりたいと思うのは、
全部、これはできないということです。
では、ここで、
神様が与えてくださった罪を取り除く方法があります。
これは、人間が千薬、知識の木の実を食べた時、
神様が、創世紀3章15章で、
女の子孫を送ってくださる約束をします。
女の子孫。
当時は、女の子孫という意味は、よく分かりませんでした。
その後、神様が立法を与えてくださったんですけど、
ヘブライション9章22節に、こう言います。
こうして、ほとんどすべてのものが立法に従って、
地で清められており、
地の流すことなしには、罪の許すことはあり得ない。
15:05
罪は、地によって清められる。
地は何を意味するのか、これは命を意味します。
結局、罪によってあなたが死ぬということを意味します。
ですから、旧約聖書では、どのように救われたのか、
イスラル民は、毎年神殿に行きます。
その時、神殿で買うか、また連れて行くか、
動物、清い、罪がない動物の地で、
自分自身が清められ、
それで、食材をしてもらいました。
それは、効力が1年、また来年度、また行って、
またこのような生贄を捧げなければいけなかった。
毎年毎年行うことで、
どれほどの動物が犠牲になったでしょう。
この動物は誰なのか。
この地に、神の子一人として来るイエス・キリストの象徴でした。
神の子一人として来られるイエス・キリストの象徴として、
数多く、羊、動物たちが死んでいたのです。
イエス様がこの世に来られた時に、
先霊者ヨハネが、この世の罪を背負っていく、
神の子一人として、イエス様を沈黙しました。
そのように、イエス様は、この働きをするために、
この世に来られたその日を、私たちはクリスマスとして守るのです。
しかしここで、なぜ女の子孫なのか。
イエス様を、原罪を持っている男の子孫として来られたら、
イエス様は罪人になります。
なぜなら、原罪を持っている男の種で生まれたら、
その原罪の種がそのまま流れて、
男の種だから、自動的に罪人になるのです。
しかし、イエス様は、男性の種ではなく、
先霊様によって身こもることになったので、
男性の種ではなく、女性の子孫として来られたのです。
それで、罪がない人間としてお生まれになったのです。
罪がないイエス様だから、イエス様の死は意味があり、
私たちがこのイエス様の贖いの死のおかげで、
すべての罪を許される、
この人類の救いの御業が成し遂げられたのです。
私は信仰生活しながら、
イエス様は罪がないということを理解できませんでした。
長い間。
それで、罪がないということをどう納得できるか。
ヨハネ9章41節にイエス様はこう言います。
18:03
見えないと言ったら、罪がないんだけど、
見えると言ったら、あなたは罪はそのままあるんだと。
見えるということ。
見えるから罪はある。
見えないと言ったら、罪がないはずなんだけど、
見えるから罪があると言ったら、
皆さん、何か悪い変なことを見て、
意外な思いをしたとしたら、
すでに私は罪を犯していることになります。
イエス様は会員の刑場で捕まえた女。
この女性を見て、イエス様は何の考えもなかったのか。
いろいろなことを考えて、
本当にイエス様は罪がなかったのか、理解ができませんでした。
それから、ある時、ふっと思い出されることがありました。
私は幼い時、今はサクちゃんみたいな、サクちゃんより少し大きい。
その時に、私の父方のおばあたちが、
私をすごく可愛がってくれて、
お風呂に行く時、私を連れて行くんです。
お風呂に行って連れて行くんだけど、
私は何にも覚えていません。
何にも見ていません。
私が幼い時に、
目に何にも見えなかった時期があったことを考えたら、
現在を持っている私が見えなかった時期があるとしたら、
イエス様は現在さえなかったかと思います。
イエス様はどんな目で、世の中の人々が見られたのか、理解できました。
それから、私はイエス様は罪がないお方ということを理解できました。
イエス様は罪がない人間として、
十字架で、全人類の罪を、
ご自分の地によってあがなわれました。
ですから、イエス様の地は、私たちの救いのために適当です。
ヘブライション9章13節14節、今日読んでくださった聖書です。
旧約時代、もし親戚と大牛の地で汚れた者たちにふりかけられて、
彼らが聖なる者とし、その体を清められたとするなら、
まして永遠の霊によって、ご自分の傷のない者として、
神に捧げられたキリストの地は、私たちの良心を死んだ業から清めて、
生ける神を礼愛するようにさせないでしょうか、と言います。
イエス様が許された罪の許しのこの身業を信じることによって、
イエス様の功労に委ねて、自分の罪を悔い改めるなら、
十字架の力が、地の力が、その人の罪を清めてください。
その清めに清くなったその心に、精霊様が来られるんですけど、
21:01
その精霊様が救いの印です。
このように精霊様がその心に来られたという意味は、
創世紀2章7節、人間を土で作って、その花に命の息を吹き入れられた、
そして生きる者になったように、私たちも罪を清められて新しく生まれた人に、
精霊様が入ることによって、私たちが神様に対して生きる者になったということです。
これが救いです。
信じる前は私たちの心に悪霊、悪魔がいました。
しかし信じた後、私たちの心には精霊様がおられるんです。
この精霊が救いの印です。
この精霊様が助け主として、神の子供たちが神の御胸通りこの世で生きるように、
また天国に入る時まで私たちを助けてください。
精霊様の助けなしに天国に入る人は誰もいません。
精霊様が私たちのうちで悟らせて、教えて、導いて、
また私たちを保護されて、清くして天国まで導いて、
また精霊中盤、精霊の賜物、精霊の実り、精霊の油注ぎを与えてくださって、
使命を担うようにさせて、
私たちが祈る時に、いつも精霊様の働きによって私たちを助けてください。
これから見てますと、神様が私たちにくださった一番大きなプレゼント、
これは今日教会学校でイエス様と言って、素晴らしい。
私はここにもう一つ加えて、イエス様プラス精霊様。
皆さん、世の中の全てのものは、救いと助けによって全部解決できます。
救いと助け。
それによって私たちが天国まで安全に行けるように、
神様から与えられた使命を全て全うできるように、
清い生活も救いと助けによって清い生活ができます。
だから救いと助け。
イエス様、精霊様。
それを私たちは完全に天国に入るまで、私たちを助けてくださるお方です。
ですからイエス様も大切 一気に聖霊様も大切に思っていかなければなりません
ではこれから大事なのは 救われた私たちにこれから大事なのは
私の家におられる聖霊様が いつまでも私たちの家に留まるように
いつまでも私たちの家に そこで私たちを助けることができるように
24:02
私が清い生活をすることです
第一国連等6章18節19節
私たちの体は聖霊様がおられる神殿 体が神殿です
ですから私たちの神殿である体を 清くすることが一番大事です
ここで一番問題は6章18節に 乱な行いという言葉があります
乱な行いは体に対して罪を犯すということです
ですから私たちはそれを 気をつけなきゃいけないよということです
ですから私たちは聖霊様が いつも私の家に留まることができるように
信仰も成長しなきゃいけないし 清い体清い心清い心を守らないと
皆さん心が清いと言っています 信仰は心からです
みんな同じような祈りをするんですけど ある人の祈りは成し遂げられパワーがあります
ある人の同じ祈りをするんですけど ある人の祈りはなかなか聞こえられない
なぜでしょう 信じるんです信じる
私はこれを祈りながら神様はこれを 成し遂げてくださることを信じながら祈ります
これ信仰の祈りはパワーがあります
しかし皆さん心配の祈りもあります 不信仰の祈りもあります
恨みも祈りもあります 神様なぜこんなことをやったんですか嫌です
この祈りはもう何年間やっても何のある何にもありません
信仰の祈り 信じましょう
認めましょう 信じて祈ることが大事です
私の家に精霊様がおられるためには 私が信仰の人にならなきゃいけないし
清い人 その心を守らなければなりません
しかし自由意志を持っている人間は 自分勝手に過ごしたい そうでしょう
精霊様は私たちの自由意志をもう犯すことはありません
私たちが純粋な心 自分の心から協力します
従います こうする時に精霊様がやっと働いてくだされば終わった
私たちは力強く協力しなければ精霊様はなかなか
強制的に働くことがないお方ですから 私たちが気をつけなければいけません
しかし弱い人間
何か自分は知らず知らず知らずに 罪を犯してしまいます
その罪はどうしたらいいんでしょう
その罪は私たちが悔い改めを通して清くなります
ですから大地ヨハネ一書九節
自分の罪を公に言い表すなら
神は真実で正しい方ですから
罪を許しあらゆる不義から私たちを清めてくださろう
27:05
悔い改めが非常に大事です
精霊様は悪魔が支配しているこの世の中から
救われた子供たちがこれから進行成長もできるし
狭い門細い道清い生活礼儀的な戦い
それがうまくできるように私たちを
すべてをもって助けてください
そして私たちが天国にたどり着く時まで
精霊様は私たちのそばでいつも助けてください
その助けを豊かにいただくためには
私たちはこれから一番大事なのは
絶対精霊様を悲しませてはいけません
心配させてはいけません
妨げではいけません
精霊様はいつ悲しませますか
悪魔の誘惑に陥って罪を犯す時
精霊様は嘆きをします
私のうちから嘆きをされます
また見言葉を聞いて逆らう
拒否する
その時精霊様はどうしようかと思って
私たちの中で嘆きます
そのようにこれは繰り返し繰り返しされたら
精霊様は私から離れるかもしれません
だから精霊様が私から離れることがないように
精霊様が離れたら
私の救いはどうなるんでしょう
精霊様がいない私は
神様が見るのには死んだものになるから
神の前で生きているものとして
いかなきゃいけない私たちはではありませんか
だから悔い改めをすぐすぐ悔い改め
何かわからないけど
知らず知らず犯した何か悪い習慣
罪は悪い習慣とか
いろいろな癖とか
また皆さんの生活いろいろなことを決めておいた
いろいろなことに問題があったら
そこから罪が入ってくる
隙を狙う悪魔ですから
そういうようなことがたくさんあります
精霊様がこの私たちを守ってくださるとしても
罪を犯して悪魔に従っていくなら
どう助ければいいでしょう
だからそこで問題があり
そこでイスカリユダのような存在
またバラム預言者のような存在が
現れるのではないかと思います
精霊様が悟らせてくださるとき
すぐすぐ従う
すぐすぐ悔い改め
それを一番うまくやった人が誰だと思いますか
それがダビデだったんです
シド行伝13章22
私はエッサイの子である私の心にかなうもの
ダビデを見出した
彼は私を思うことすべて行う
すべて行うように私が彼を
精一杯頑張って助ける
だから精霊に満たされて油注がれて
30:03
そしてダビデはもうイスラエルを
統一イスラエルを成し遂げるほど
神様からよくよく持ち入られた
私たちがダビデのように
精霊様にいつも忠順であって
自分の心を清く守ろうとさえできれば
皆さんダビデように
私たちも精霊様がいつも良いこと
祝福されるべきこと
豊かなこと
幸せなこと
いつもいつもたくさん与えてくださる
お方が精霊様です
精霊様をこれから大切にしていきましょう
じゃあ初めに土で人間を作って
その人間に命の息をふっと入れられたときに
精霊様が来られて生きるものになったとするなら
救われた私たちキリスト者に
精霊様が来られて
霊的に死んでいるものが
霊的に生かされるものになって
神様が見るのに
おーあなたは生きてる
あなたは生きてると言われるものになりました
そして神の子供になり
天国の市民権をもらうようになりました
これから大事なのは
神様はこの世で私たちに
任せてくださった使命ビジョン
それを成し遂げることができるように
精霊様を助けてください
また天国まで安全に行けるように
精霊様が全てを助けてください
この素晴らしい精霊様を
与えてくださるために
イエス・キリストがこの世に来られて
私たちを清くするために
十字架で私たちの全ての罪を
取り除いてくださったのです
このイエス様の働き素晴らしい
またこの後に私たちに来られた
精霊様の働き素晴らしい
イエス様の救いと
精霊様の助けが
私たちを天国まで導く
素晴らしい御業を行います
このイエス様精霊様感謝します
メリークリスマス
お祈り出します
初めに人間に
命の息を吹き入ってくださり
そして生きるものにさせてくださり
神様と親しい交わりを
持たせてくださったのですが
罪を犯してそれを失ったことを
悔しく悔しく思います
イエス様が来られて十字架の父親によって
私たちを再び清めてくださり
精霊様を送ってくださったことを感謝します
これからはイエス様が
どんな犠牲を支払って
精霊様を送ってくださったのか
それを大事に思い
これから精霊様に
うまく従うことができればと思います
33:00
神様私たちに
敏感の霊力の敏感さを与えてください
うまく従うことができるようにさせてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン
33:14

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