1. 名谷教会
  2. 2013/07/21:聖日礼拝(旧音源)
2013-07-21 53:52

2013/07/21:聖日礼拝(旧音源)

2013/07/21 聖日礼拝(旧音源)




00:01
アーメン、感謝します。
はい、それでは今日も御言葉をいただく前に、隣の方々と挨拶しながら、挨拶しながらお祝いしたいと思います。
はい、よろしくお願いいたします。
よくいらっしゃいました。
感謝します。
はい、感謝します。
素晴らしい賛美でした。聖方の皆さん、ありがとうございます。
一言お祈りします。
はい、するうちの神様、今日も旧の日よ、神様が私たちの命を生かして下さい。
また、本当に恵みを使う心の人が助けて下さって、この主の境界に主が私たちを引き寄せて下さいました。
どうか、恋愛の最初から最後まで、本当にあなたの恵みに満たされる恋愛でありますように。
祈りの中、聖聴を読む中、またメッセージを聞く中、賛美を捧げる中で、本当に神の愛に、恵みに、豊かに、深く触れ合う時として下さいますように。
今からも、諸法尊、あなたが一人一人に、本当に必要なメッセージを、御言葉を、今日でなければ聞くことができない、あなたの命の御言葉を、
ご自身がお抱えくださいますように、お願いをいたします。
私を励まして、勇気づけて、また本当に、あなたからの平安を豊かに注いで下さいますように、お願いをいたします。
今日は、十字架の恵みを共に教えていただきたいと願っております。
お年よ、あなたの十字架の恵みがどれほど素晴らしいものなのか、お年よ、深く深く感じさせ、また衰らせ、そして教えて下さいますように、お願いをいたします。
見て、にざねて、感謝して、家様の皆によってお祈りいたします。
アーメン
今日は、私が信じるのは、その六です。六回目になりましたね。
十字架で死なれたイエスを信ず、というところです。
今日は、大きく三つの十字架の意味合いを共に、今日の御言葉から、また他の回答から教えていただきたい。
三つですけど、その一つ目は、十字架は呪いである。
二つ目、十字架はあがないである。
三つ目、十字架は和解である。
三つを分けて、十字架の恵みを共にしたいと思います。
第一、十字架は呪いである、というところですか。
03:05
日本でも韓国でも、街を歩いて行ったら、十字架のネクレスをかけている女性の方に見かけるところがあるんですけれども、
実はこの十字架は、もともと呪いのシンボルなんです。
十字架は断頭台のような死刑のものなんですね。
ですから、ある意味で十字架の意味を知らないまま、十字架のクロスのネクレスをかけている人は、ここに呪い、死刑と、実は書いてないんですけれども、
そのものをこの首に、あるいは耳につけている、そういう意味なんですよね。
ペースのところから見てみますと、最初の人間はアダムとエバが出てくるんですね。
そのアダムは、単なる一人の人間じゃなくて、彼は全ての人類の代表なんです。代表の人間でした。
ですから、アダムが神様が食べてはいけないその実を食べて、罪を犯したということは、
彼が全ての人々の代表として、神様の御言葉に逆らったということになります。
ですから、人類の代表のアダムが罪を犯したから、結果的に全ての人類が罪を犯したことになります。
これを聖書に出てくる代表性の原理と言うんですね。
日本のサッカーの国家代表選手がアメリカに降りて出ました。代表として試合をしています。
それで、日本が勝ちました。そしたら、日本に出てくると、勝ちましたと大騒ぎになるんですよね。喜ぶんですよね。
でも実はでは、自分たちがサッカーをした訳であります。国家代表選手が試合をして勝った。それは日本が勝ったと同じなんですね。
でも、負けたとしましょう。そしたら、負けたのは代表選手たちですけれども、日本が負けたことになるんですよね。
代表の原理なんです。アダムは神様が人間の代表として作られる。
06:03
その彼が罪を犯したことは、後に生まれてくる全ての人々が罪を犯したものになるということなんです。
それをローマミトルの手紙第5章12節は、私たちにこのように分かりやすく教えてくれるんですね。そのところを見てみましょう。
スクリーンにも出ますので、また聖書を開かれる方は開いていただいて、一緒に読みたいと思います。
では、5・1・2・3・はい。
そういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、人類が罪を犯したからです。
分かりやすいんですよね。一人の人によって、アダムを指します。アダムによって罪のなかった世界に罪が入ってきました。
そしてその罪によって死が入ってきました。こうして死は全人類に広がってしまったわけなんですね。
これはまるで2年前ですね。東北地方に巨大な津波が落ちさせてきたんですが、皆さんの中でそこに行かれた方いらっしゃいますか。
もういらっしゃらなくても結構ですけれども、私今年まで3回行かせてもらいました。
宮城県も福島県も結構多くのところニュースで出たその場に行ってみたんですけれども、
昔は2年前は確かにそこに町があったわけですね。学校もありました。商店街もありました。車もぼーっていた町です。
1戸建てあるいは学校もあるいは2階、3階建ての建物もあった町だったんですね。そこに津波が押し寄せてきて、もちろん警部がありましたけれども、
その警部もまるでお墓のように押し寄せてきて、その町を津波は全滅してしまったわけですね。残っているものは何もない。
そのコンクリート建物の跡、そして今ジャストが透けているだけなんですね。何にも残っていない。
その津波によって、前は子どもたちの笑い声が、人々の話し声が、あるいは賑やかだった町が、
09:07
その津波によってそれが全滅してしまって、何も残っていなかった。
まるで罪はこのように平和だった私たちの世界に、罪が津波のように押し寄せてきてしまって、そして自然世界も私たちも全滅してしまった。
神様が作られて良しとされたこの自然世界も、いや人間も、あるいは神様との関係も全てのものが破壊されてしまっただけなんですね。
それが罪の結果。その結果、私たち人間はまるで津波によって全滅されてしまったように、
その罪によって生きてはいますが、体は生きていますが、この魂は、霊は全く不愛したということになります。
全滅状態なんですね。
神学者の中でカルバンという神学者がいますが、彼は私たちの状態を全滅いただく、あるいは全滅不敗、全く不敗という、
自分で自分を救える可能性は0.1%もない、もう全くゼロなんです。自分が自分を救うことができないんです。
それが、罪の恐ろしさ。救われる前に私たちの状態がそうでした。
ですから皆さん、ある意味で私たちは救われたものですけれども、自分がどれほど酷い罪人なのか、自分には自分を救うことができない。どうしようもない。
それを悟った人、あるいは静かされた人だけが、死を求めるようになるはせない。
12:00
自分がどれほど深刻な罪人なのか、その状態、自分の状態に目が開かれた人が、自分を救うことができない、その可能性が0.001%もないことを認めた人が、
死の見舞いに来て、お手挙げをして、降参して、死を私は救うことができるのです。自分には自分をどうしようもできない。救うことも、変えることもできません。
そして降参した人が、実は救われるものなんです。
ある一人の赤字を書きたいと思います。一人の新学生です。韓国語での新学生ですが、
彼は、釜山にある有名な大学の哲学科を卒業して、80年代ごろ、韓国に学生運動とか左翼の運動に没頭していた、マルクス思想にも没頭していたものでした。
いつも学生運動でデモンストレーションする。一番先鋒に立って、学生たちを引っ張る激しい運動家です。
彼の思想は、神はいない。神様がいるとしたら、そういう話をする人は、精神力が弱々しい。人たちが頼るところがないから、神に頼るんだと思い込んでいた。
神というものは空想だという考え方を持っていた人です。
彼は学校を卒業して、炭酸物の卸し屋さんをし始めて、大きな大きなお店を持っていました。魚屋さんもしていました。お金も結構儲けていたんですね。
さらにさらに一業一業、堂々と歩んでいた。そんな人生を送ってきたわけです。
周りに幸いにキリシタンがいて、イエス様を信じてみませんかとされても、そんな神様っていないと。傲慢な人です。それ、彼の話ですよ。
本当に嘘のように、一晩でそのお店が潰れてしまった。倒産になってしまった。
自分はこれを倒産を防ぐことができる。自分にはこれを立ち上がらせる。起こすことができると自分の能力を信じていたんですね。
15:13
でも、自分がそれを防ごうとすればするほど、ぼんぼんぼんぼん、もうダメになってしまって、全くゼロになってしまって、起こすことができない。もうどん底まで落ちてしまったんですね。
そこでやっと彼は神様に降参しました。自分にはできない。傲慢が劣らされた。今までは自分にできる神様はいらない。いや、もういないと思い込んでいた彼が。
悲しいことですけれども、その美人が倒産してしまって、反面それが幸いなことでしたね。神様に帰ってきた。もう散々砕かれたわけなんですね。自分にはなんともできない。
それで今まであった自分の人生にも霊に染み込んでいた、例えばマルクス主義とか左翼の思いとか、そういった世のものを染まったものを抜くために彼は約1年間、
韓国には祈祷院がありますけれども、ある祈祷院に行って、何もせず祈祷院で1年間夫婦が奉仕をしながら、今まで自分の人生に染み込んでいた世のものを抜く時間を持って、
その中で神様に示されて、日本語も全くできないのに日本を占拠して、こういう示が与えられて日本に渡ってきて、今死んだ子ですね。3年生でそろそろ不死球の人ですけれども、彼の話はこうでした。
自分が本当に頑固で頑固な人だったから、神様は私のビジネスを倒産するしかほうがなかった。もしそれがなかったら、自分は今にもクリスタルにできていなかったでしょう。
自分はそのビジネスを全部もゼロになって、倒産してしまったんだけれども、神様にものになって、こういう検診をすることができて、死なわれると明かした人なんですね。
皆さん、十字架の恵みは私たちが無力なものであること、本当に人に罪人であること、自分には自分をどうすることもできないことを悟った人に十字架の恵みが本当の意味でわかってくるんです。
18:15
十字架の恵みをもう一度言いましょう。ガラケア三章十三節です。それでは御一緒にお読みしましょう。
三、キリストは私たちのために呪われたものとなって、私たちを立法の呪いから抗いだして下さいました。なぜなら、死にかけられるものは全ての呪われたものであると書いてあるからです。
皆さん、このように私たちは十字架のイエス様にお会いする前には、みんな呪われたものでした。闇の子らでした。何の希望も持っていなかったものでした。
いや、自分が十字架でかかって死ぬべきものでした。死んだ人は自分のために何にもすることができないんですね。死んだ人は自分を救うこと、自分の体を触ることすらできないんです。何にもできないんです。
私はそんな呪われたものでした。自分を救うことができなかったわけなんですね。まるでドミノを倒したんですか。それをやったことあります、皆さん。
例えば、ドミノを立てて一番前にあるものを倒したら、全てのものが倒してしまうのですね。それはまるでアダムの現在と言います。アダムが倒されて、全ての人類が倒された。
そのドミノは、自分が自分を倒すこと、立てることができないんですよね。人が立てないと、立てることができない。私たちはそんな呪われたものでした。そのため、全てのものがまるで津波のせいで全滅されたように、私たちは全滅状態でした。
神様との関係が破壊されてしまったんですね。また、人間との関係も破壊されてしまった。また、自然世界の関係も破壊されてしまった。また、自分との関係も破壊されてしまったんですね。
21:12
人は自分の命を断ってしまうこともあるんですけど、全ての関係が破壊されて、もうゼロになってしまう。ですから、神様が備えてくださった十字架の恵みが必要なんです。
2番目、十字架は儚いです。儚いは救いと考えてもいいと思いますが、このように私たちはアダムの罪、他にも私たち自分自身が犯した罪のゆえに、罪の奴隷の状態でした。
この罪というものは不思議なもので、例えばギャンブラーを捕獲する人は、最初は自分がそれを好奇心でやるんですよね。
自分がやるんですけれども、だんだんやっていけばいくほど、あとはまるで自分がそのギャンブラーに飲み込みされたような状態になって、後ではその悪いことに自分が支配されてしまう。そして、罪の奴隷になってしまうんですよね。
お酒もそうなんですね。アルコール中毒者を見たら、自分は飲むわけなんですよ。飲むんですよね。自分が自分の意思で飲むわけですけれども、後ではこれを自分が拒むことができなくなってしまうんですね。
飲まなければならない、そういう状態になって、自分がお酒を飲むのではなく、お酒が自分を飲み込んでしまう状態になってしまう。それが罪の勢い。
その時は、イエス様に出会う前にはみんな罪の奴隷でした。今は日本にもほとんどの国には奴隷制度はなくなっていないんですが、この清朝の時代には奴隷制度があります。
奴隷を、奴隷市場があるわけなんですね。市場に行って、まるで果物あるいはうさぎを、犬を飼うように奴隷が立っていたりするんですよね。
皆さん、ベンハーとか映画を見られたでしょう。で、見るんですよ。この刃も見たり、体も触ってみて、丈夫なのか、よく働いてくれるか見て、健康な奴隷を、そのお金を払って、まるで牛とか豚を飼うように飼うんですよね。
24:19
そしたら、お金を払って、その奴隷を飼ったら、今度はこの奴隷の所有が変わる、その持ち主に変わるわけですね。
とても親切でいい人に変われたら、仕事もそんなに働かせない、いい環境で、奴隷だけども割といい条件で過ごすことができるかもしれません。
でも本当に悪質な悪いオーナーに変われたら、もう1日20時間働かせられる、食べ物もちゃんと食べることができなくなる、そういう奴隷もあったわけです。
このようにお金を支払って奴隷を飼い取る、それが聖書で言われるあがなう、あがないという意味です。
私たちは罪の奴隷でした。
家様の十字架の恵みにいただく前には、ひょよいかが罪、サタンでした。
それを家様の死、十字架で亡くなられたわけですから、家様の命という代価を支払って、私たちをサタンから飼い取られた、それがあがなうという意味です。
だから、今度はサタンの者からイエス・キリストの者へ、神様の者へ、主権が変わりました。
持ちの日が主人が変わりました。それが救い、あがないです。
聖書を一冊見てみましょう。
9月の聖書に補正案と書かれています。13と14節です。
では、ご一等に読みます。補正案13の14節です。
そこにあがなう、あるいは飼い取る、補修を支払うという意味がよく書かれています。
私は黄泉の力から彼らを解き放ち、彼らを死からあがなう。
死よ、お前の棘はどこにあるのか。
黄泉よ、お前の針はどこにあるのか。
哀れみは私の目から隠されている。
皆さん、私たちが救われる前には、死の支配を受けていました。
27:07
サタルの支配下にいました。
死が私たちを覆っていました。
その死の棘に私たちが刺されて苦しんでいました。
そこから、主はあがなってくださって、飼い取ってくださいました。
その支払いの代価が何十万円とか何万円じゃなくて、
イエス・キリストの命なんです。
だから皆さん、私たちの救いの価値はいくらぐらいでしょうか。
イエス様の命くらいです。
安いものではありません。安価なものではありません。
例えば皆さん、僕がこのコップを100円で買ったとします。
そしたら、このコップの価値は105円です。
その以上も以下もないんですね。
私たちの救いは価値がある。
皆さん、みんな私たちにこの値段の歌がかけられています。
イエス・キリストの命。
それが私たちの救いの代価なんです。
この世の中で、イエス・キリストの命より高価で高いものはないんですよね。
だから、政府は私たちにこのように、私たちの存在がどれほど価値あるものなのか、このように語ってくれました。
イザヤ書43章4節を見てみましょう。
よく皆さんご存じのパートなんですけれども、
この御言葉を自分自身に当てはめて、信頼して、安心して、確信していただきたいと願っております。
一緒に読みましょう。
私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛せる。
だから、私は人をあなたの代わりにし、国民をあなたの命の代わりにするのだ。アーメン。
ですから、イエス・キリストの目に、皆さんは高価で尊い存在です。
誰一人も神様にイエス・キリストにいらない、無価値な人生、みじめな人生は一人もいません。
みんなが本当に高価で高価で尊い存在なんです。
30:00
健康な人であろうが、病弱な人であろうが、能力のある人であろうが、あんまりない人であろうが、
金持ちであろうが、貧乏な人であろうが、イケメンであろうが、それだけなかろうが。
神様にはみんな高価で尊い存在なんです。
なぜでしょうか。神であれれば、イエス・キリスト様が死んでくださったほどに活躍した私だからなんです。
皆さん、例えばこのカップを100万円で買ってくださいと言ったら、買わないんですよね、皆さん。そんなに価値がないからですよね。
しかし、神様は私たちを見こなるイエス・キリストの価値を捨て洗ってももったいないと思わないほどの価値あるものだったから、
イエス・キリストの命を捨て洗って買ってくださったんですよ。その悪の手から。それほど価値があるものなんですね、皆さん。
ですから皆さん、まず自分自身を愛しましょう。自分自身を大事にして大切にしましょう。
能力とか賜物とか足りなくていいんです。神様の目にはみんな高価で尊いなんです。
主が私たちを愛しておられるように、皆さんも自分自身を愛してください、大切にしてください。
そして、その侮られたものとして、救われたものとして、価値ある人生を歩んでいきたいんです。
その恵みを豊かに体験して歩んでいきたい。イエス・キリストの十字架の地費用によって与えられたものですから、
その素晴らしい恵みを神が与えてくださるはずがないんですよね。
だから日々の生活ですね、信仰生活の中で、恵みを豊かに体験して歩んでいきたい。
奴隷じゃないんですね、私たちは。
主によって自由のものにされました。主の闇から、主が解き放ってくださったんですね。
ですから人生の次元が全く変えられたんですね。新しい恵みの日々を歩んでいきたいと、そう願っております。
33:01
最後、3番目です。十字架は和解の福音です。
ではその聖書を見てみましょう。エペソーション第2章、14節から16節までです。
ではご一緒に読みましょう。
3、キリストこと私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し、
お自分の肉において赤衣を履きされた方です。赤衣とは様々な規定から成り立っている戒めの立法なのです。
このことは、二つのものをご自身において新しい一人の人に作り上げて平和を実現するためであり、
また両者を一つの体として十字架によって神と和解させるためなのです。
敵は十字架によって葬り去られました。アーメン。
このパターンは、私たちにキリストの十字架がどういう意味を持っているか、十分に説明してくれるんですね。
簡単に説明しますと、
罪のゆえに朝先は神様と最初は一つだったものが分かれてきました。
隔ての壁があって断絶されたものです。
断絶されているだけではなく、
敵際関係においても全く別のものになって何の関係もなかったものだったんですね。
この隔ての壁をイエス・キリストの十字架によって二つであったものを一つにしてくださった。
敵であったものを和解させてくださって、神と神のことをしてくださった。
親と子供にしてくださった。
敵であったものを友としてくださった。
不和の世界が平和の世界に、
敵対関係が和解の世界に、
二つが和解させてくださった。
それが十字架の恵みなんです。
ですから、この十字架の恵みによって神様との関係が回復されました。
人との関係が回復されました。
また、自然世界との関係も回復され、
また自分自身との関係も回復されたわけなんですね。
36:05
この和解という意味は回復、英語で言いますとヒーリングになりましたね。
回復されるんです。
潰れてしまった神様との関係が回復される。
神様をお父さんと呼ぶことができる。
そして常に恵みをいただいている。
また潰れてしまった人間関係、親子関係、友達関係、
あるいは自分自身との関係が、そのイメージが回復されたんです。
だから本当に十字架のキリストにお出会いさえすれば、
その人の人生が変わることは当然のことなんです。
この回復の力が十字架の力。
そうか、日々この十字架の力、十字架の恵みを豊かに体験していたり、
信仰生活はただですね、信じる前と信じた後、何が変わったかと聞いたら、
月曜日から土曜日までは何にも変わっていない。
日曜日だけ前は落ちてゴロゴロ落ちていたりとか、
送って教会に行って賛美したり、
一週間ぶりに人と出会って喋って、そしていい話を聞いた、よかった、返せ。
それは十字架の恵みを安価にしてしまう、愚かさになってしまう。
そんな安いもののために神なるイエス様が十字架で死なれた目的はそこにあるわけではありません。
血管が変えられ、人生観が変えられ、歩みが変えられるために死は死んでくださるんですね。
例えば皆さん、皆さんを救うために皆さんがですね、海に溺れて死にそうでした、死にかけていました。
誰かが皆さんの命を救ってですね、その人が母に死んだとしましょう。
その人が皆さんのお父さんとしましょう。
お父さんが日頃皆さんにこうしてほしい、こうしてほしいとよく言っていたことがあったとしましょう。
自分の代わりにお父さんが水に、海に溺れて死んだとしましょう。
そしたら皆さんはその後の人生どういうふうに送るでしょうか。
39:01
お父さんが日頃こうしてほしいということを、
それをですね、自分の命のためにお父さんが死んでしまったわけだから、それを守ろうとするんですよね。
それすら死ない人は、それはもう人間じゃないんですよね、ある意味で。
それが救いなんです。
キリストが私のために死んでくださった。
神を愛しなさい。人間を愛しなさい。そして御言葉を守りなさい。
その遺言を残して死んだわけなんですね。
もちろんイエス様はよみがえなかったわけですけれども。
するならば私たちはその御言葉を信じて守るべきじゃないでしょう。
この恵みを、この力を知り、体験していきたいとそう願っております。
メッセージを終わりたいと思います。
最後に一か所だけ見てみましょう。
ヘブロギターの手紙、第2章、14から15冊です。
一緒に読みたいと思います。
そこで私は皆と肉としているので、これらのものをお持ちになりました。
これはその死によって悪魔という死の力を持つ者を滅ぼし、
一生返しの恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためです。
アーメン。これが救いの恵みです。
私たちは悪魔の者です。
一生返しの恐怖につながれていたんです。
気づいているようが気づいていないような奴隷でした。
しかし奴隷だった私たちを十字架の恵みによって解放してくださる。
自由が与えられ、和解が与えられ、平安が与えられ、希望が与えられ、
そして今から天国の恵みを今から味わいながら、また将来のことに希望がある。
それが十字架の恵みによって私たちに解放してくださる。
どうかこの一週間の旅路を、十字架の恵みをもう一度義務にしていただきたい。
それを伝えること。
お祈りくださると十字架の恵みで感謝する日を送りたいと願っております。
お祈りいたします。
どうかこのうちに今日の御言葉を覚えてですね、まずお祈りしたいと思います。
まず今日二つのことを祈りたいと思いますが、
まずは今日の御言葉を覚えて、本当に十字架の恵みをまず感謝しましょう。
42:04
こんなものが作られたんですね。こんなもののために神なるニュース様が作ってくださるんですよ。
その十字架の恵みを、本当に何の価値もなかった。
私のために神なるキリストが作ってくださったんですね。
それを自分自身が愛してくださった神様に感謝いたします。
そしてこの十字架の恵みを豊かに拝見していくことができるようにして助けてくださいとですね、
祈ってまたこの十字架の恵みを知らない人々に伝えることができるように、
まず今日の御言葉を覚えて応答の祈りをしていきたいと思います。
その後はもう一度ですね、九重の鐘に祈りたいと思いますので、
まずは今日のメッセージを覚えて御一緒にお祈りいたしました。
ハレルヤ神様、あなたにも見送ってください。
神様どうぞ、一人一人あなたが覚えて下さい。
十字架で死んだ者でした。何の価値も何の能力も、本当に何にもなかったものでした。
神なるキリストが代わりに死んで下さって、
高価で尊いものとして下さいました。
謝って下さいました。
悪魔の者で苦しんで苦しんで死んだ者たちよ、
しかも呪われた者たちよ、
主が救って下さいまして、
神のことして下さり、和解して下さり、
その一丁前、死の恐怖で恐れていた者たちよ、
主が希望を与え、平安を与え、喜びを与え、
天国の希望をもあたたちに差し切った者たちよ、本当に覚え感謝いたします。
どうか主我ら一人一人よ、あなたが覚えて、
主の恵みの本当にあすからのものとして、
主をどうぞ我ら一人一人よ、
あなたから豊かに慈しくして下さいますように、
お願いをいたします。
どうぞ主、我ら一人一人よ、憐れんで下さい。
どうぞ十字架の恵みをいつも覚えて感謝する私たちでありますように、
主をどうぞ豊かに慈しくして下さいます。
良い言葉を感謝します。
イエス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン
一つですね、今日の四方牧誌に、日本福音同盟からの
教団から贈られたことですけど、皆さんお持ちですか、今?
ちょっと出していただいてですね、
目立たないところですが、
教団からも是非お祈り下さいという、
今日の礼拝にですね、
それぞれ教団の教会にお祈り下さいということで、
緊急でですね、メールで送られたわけです。
45:03
選挙に関わることですけれども、
皆さんよくご存じかと思いますが、
詳しいことはですね、それぞれ読んでいただきたいと願っておりますけれども、
今、韓国人として話すのはちょっと言いにくいところもありますけれども、
今、与党が進めようとしている、
この憲法の改正のことに関わってですね、
本当に日本が今、
一体どこに向かっているのかも、
明らかなことだと思うんですね。
本当に、国の政治家のために、私たちは祈らなければならない。
この日本が見事、かつての罪を犯すことがないように、
そして、改正しようとしている項目を一つ一つ見たら、
信仰の自由が奪われてしまう。
信仰だけでなく、言の集会、すべてのものが、
公の秩序という名目で、すべてのものが、
弾圧することができるようになる。
本当に危険性が高い憲法に対してされる恐れが非常に高い。
そのところですね、最後のところだけ読ませていただきます。
この深刻な危機に際して、
日本政府が日本国憲法改正を断念することができるように来る。
今日ですね、選挙の結果、
現政権が議席を大きく減らすことができるように、
緊急の人行政を、日本福音同盟加盟への諸紹介、
信徒の皆様にお願い致します。
日本の教会がこの罪に際して、
心を一つ見て祈ることができますように、
心より信じ合ってお願い申し上げます、というところです。
今ですね、しばらく皆さんが選挙されたと思いますが、
この国が二度と神の御所に逆らうことがないように、
正義を歩めるように、そして神を抑えることができるように、
そして天皇陛下を神として偶像、支配する、
そういった罪を犯すことがないように、
48:00
そして信徒が守られるように、
これはとても深刻な危機なんです。
皆さんぜひ覚えて、今しばらくこの国のために、
政治家のために、また神の公義が、正義が、
この国に変わらぬように、煽れるように、
特に国のために、今しばらく心を合わせて、
お祈りしたいと思います。
その後、私はお祈りいたします。お祈りいたしますよ。
神様、あなたの恵みをこれから感謝いたします。
どうぞ、この国のためにお祈りいたします。
どうぞ、神様、本当に日本の国、
どうぞ神様、あなたが憐れんで下さいまして、
どうぞ、この、
皆さんにお祈りいただきたいところです。
どうぞ神様、本当に神様、あなたが憐れんで下さいまして、
この日本が、この国がどうぞ、二度と本当に、
この国としての犯罪を、本当に犯すことがないように、
そしてこの国が、本当に、
公義の道を歩んでいけるように、
信仰を弾圧したり、そして本当に、
天皇、神として拝む、そのような、
本当に腐敗の罪を犯すことがないように、
どうぞ神様、日本のクリスチャンが目を覚まして、
どうぞ祈ることができますように、
この国のために、政治のために、
この未来のために、祈ることができますように、
本当に神様、この国が憐れんで下さい。
一言お祈りします。
愛されしの神様、私たちはキリストの十字架にお会いする前には、
真なものでした。呪われたものでした。
全く腐敗したものでした。
復位によって、ただそれを、自分自身の業態を静かにしていらっしゃいました。
そして十字架を求め、神の愛を求めさせてくださいました。
それゆえ、私たちが神なるキリストの十字架で、
私が積むべきその日の代価を支払ってくださいました。
そのキリストの十字架を積む者は誰でも救われると、命の道を開いてくださいました。
それを私たちが信じることができたこと、それは奇跡の奇跡です。
恵みの恵みです。
感謝いたします。
どかしを救われた者として、あざなわれた者として、
51:00
しかし私たちを高価で尊い者として、見てくださるわけですから、
この高価で尊い者の歩みを、上手に歩ませてください。
日々十字架の恵みを覚えて、感謝して歩ませてください。
私は今、国のためにお祈りをしました。
日本の国が、政治家たちが、かつての犯罪を二度と犯したことがないように、
かつてこの秋雨に、二千万人以上の命を奪ってしまった国として、
国を改めて、本当に国様たちが国を守ろうとして、
祈って祈って、必死に祈っているところで、
どかしをこの政治家が、時代を遡ろうとしている、この危険な状態です。
このところ、私たちクイズランが目を覚まして、この国のために祈らせてください。
切な心をもって、祈ろうとできますように、
所動所、日々この国のため、政治家のために、私たちがもっともっと真剣に祈るものと表しめてください。
そして信仰や、そういった本当に信仰の自由が奪われて、
また弾圧されがちの恐れがあるこの憲法改正に際して、
私たちがこの国のためにもっと真剣に祈ろうとできますように。
そしてクリスチャンが本当にこの国のため、神の義が、神の正義が川のようにあふれ流れるように、
そうですよ。一人一人のクリスチャンが立ち上がって、祈って祈っていくことできますように。
どうぞこの国を憐れんでください。
少ないクリスチャンの人口ですが、しかし一人一人にはキリスの十字架の力があるわけですから、
十字架の力を背負って、この世の中で大胆にキリスの復祈を、キリスの十字架の恵みを土部へ伝えるものとなさせてください。
どうぞこの国を憐れんでください。この先の道をどうぞあなたが守ってくださいますように。
すべての知見は神にあることを、すべての人に一応どうぞあなたが悟らせてください。
二言は感謝します。
イエス様の御名によってお祈りをいたします。
53:52

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