今日は、聖霊降臨の意義について一緒にメッセージを分かち合いたいと思います。
教会学校がうまくやっているクイズ、それを私たちは一回やってみましょう。
この方はどなたですか? この方がいらっしゃらなければ、私たちは新たに生まれることはできません。
この方はどなたですか? また、この方が働かなければ、私たちは聖書の御言葉とかメッセージを聞いても悟ることはできません。
この方はどなたですか? この方が友にしてくださらなければ、私たちはキリストの後院制を見習うことはできません。
この方はどなたですか? この方は聖霊様です。
聖霊様は、私たちの信仰で一番大事なことを悟らせてくださり、
信じることができるように助けてくださるお方です。 ですから、聖霊様を助け主と言います。
何回も聞かれたことですけど、私は初めに信仰に入った時に、
イエスは宇宙人ではないかという本がありました。 その本を読んでいたので、
イエスは宇宙人かもしれないということがいつも頭にありました。 イエスは救い主、神様だと言っても、いや、宇宙人だと思われて、
信仰ができませんでした。 信仰は疑いがあったらできません。
また、信じることができれば、確信があって喜びがあるんですけど、疑いがある時には信じることができないから、それほど苦しいことはありません。
毎日苦しんでいるある日、 私はある金曜日の夜、
起動会に参加しました。 そこで賛美をしているので、賛美をする何があったんでしょうかね。
その時、頭にふっと思い出されました。 考えてみれば、第1コリント中二章3節です。
また、聖霊によらなければ誰もイエスは主であると言えないんです。 私はすでにイエスは主であると告白したものですから、
ああ、だったら、私がイエスは主であると告白したのは、聖霊様が私に来られて、私に教えてくださって、悟らせてくださったんだ。
だったら、私に聖霊様が働いたんだ。 それによって私が告白できたんだ。
そこから疑いがパッと消えて、信仰ができました。 それからもう二度も疑いがありませんでした。
聖霊様は私たちに信仰と確信を与えてくださいます。 聖霊の働きがなければ誰も信じることはできません。
皆さん、体に命がなければ死んだ人です。 同じように、聖霊様がいらっしゃらなければ、教会は死んだ者と同様です。
イエス様は聖霊の油注ぎによって働かれました。 後生涯を始めました。
また、教会も聖霊様が来られたら、教会が教会らしい働きができます。
教会に聖霊様の働きがなければ、教会はいくら頑張っても人間的なことしかできません。
聖霊様はこんなに大事な働きをされるんです。
この聖霊様がいつ来られたのか。 使徒行伝2章のペンテコスの時に来られました。
来られたその日、 使徒たちに何があったんでしょう。
また、来られたことが今私たちとどんな関係があるでしょう。 それを一緒に考えてみたいと思います。
聖霊様が来られたら何があるんですか。 人が変わります。
使徒行伝2章1節に、 五巡祭の日が来て一堂が一つになって集まっていると言います。
弟子たちはイエス様の命令に従って、いつも集まって祈っていました。
その時、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、
彼らが座っている家中が響いた。 炎のような舌が別れ別れに現れ、
一人一人の家に留まったと言います。
この驚くほどの光景は、ペンテコステの日、 聖霊様が弟子一人一人に臨んで来られたこの姿です。
ところが皆さん、聖霊様が他の日ではなく、なぜ五巡祭、
これを言語で変えればペンテコステの日に来られたんでしょうか。
五巡祭は50日目ということで、 杉越の祭りから50日目という意味です。
旧約聖書でエジプトからイスラエルが杉越の時に、
このゴイジュジの地をこの門の柱と傍らに塗って、 それによって死者がこの家に入ってこない。
そしてイスラエル家だけは、死の死者が入ってこなかったので死ななかった。
エジプトの人はみんな死んだのに、イスラエルは死ななかった。
それが大きな力になって、パラオが出て行け、早く行きなさい、 ということでシュチュエジプトが行われたんです。
だから杉越祭りの時にシュチュエジプトができたんです。
それから50日目に何があったのか。 神の山シナイ山に到着しました。
それにシナイ山に到着して神様から立法を与えてもらいました。
立法を与えてもらうことによって、 神様とイスラエル人たちが家族共同体の約束がそこから始まるんです。
それが行われた日を、ペンテコステの祭りとして祭りとして、 祭りを記念して集まったんです。
旧約聖書で神の立法を下さったということは、 この立法を守ることによって愛することを示す。
また立法を守ることによってイスラエル人たちは祝福される。 愛と祝福が立法にすべてかかっていました。
神様これを与えたのは、愛しましょう、祝福をもらいなさいということだったんですけど、 イスラエルはできなかった。立法を守ることができなかった。
現在の元にあるイスラエル人たちは、この堕落した本能があるし、 また誘惑によって、弱さによって立法を守ることができなかった。
立法は祝福のために与えてくださったのに、 むしろ立法によって罰を受けられ、呪われるようになったんです。
神様が全然願ってもない、このことが起こってしまってイスラエル人たちが苦しんだ時に、 神様がエレミーやエズケーズの預言者たちに、
これから新しい日が来る。新しい日が来る時には立法を文字として与えるんじゃなくて、 私が立法をあなたの心に刻む、心に記すと言いました。
立法を石で記録してくださるんじゃなくて、心に刻む、記す、どんな意味ですか。
これが真理の霊、聖霊様が心に懲られて、 本を読んでからわかるんじゃなくて、
聖霊様が心から教えてくださって悟らせてくださったことによって、 立法を守って神との愛ができるし、祝福ができるようにする日が来ると言います。
その日がいつですか。
そのことが成就されたのが、 始祷典2章のペンテコステの日に、
聖霊様が来られることによって、それが成就できたんです。
聖霊様はその時、強い風のように、炎のように、一人一人の上に臨まれたんです。
そして、一人一人の心に、聖霊様が神の立法を刻んでくださったんです。
この素晴らしい働きが行われた。
ですから、ペンテコステの日は、 文字による信仰生活が、聖霊による信仰生活として変わっていく大変な事件が行われている。
皆さん、文字によって信じるということは、なかなか信じることはできません。
理論に過ぎません。
しかし、聖霊が来られて、悟らせてくださって、それによって信じることができる。
これは、全然次元が違うパワーがある。
例えば、福音書の最後に、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、
エルサレムで家に閉じ込まれて、家の扉を閉めて、近くにいました。
そこで、イエス様が来られたりしたでしょう。
しかし、ペンテコステの聖霊様が来られたら、家で閉じ込まれるのではなくて、外に出るんです。
エルサレムに出て、そこからメッセージを語って、それを聞く人が悔いを改めて、
変わって、聖霊をいただくようになる。
この奇跡的な働きが、聖霊様が来られることによってできるんです。
皆さん、新約時代、私たちも、聖霊によって、
ただ、文字による聖書を読んで、それで信仰生活をするのではなくて、
大事なのは、ある日、皆さんが、ものすごい何かによって心配したり、苦しんだりする時、
皆さんが悔いを改めて、祈って、神を求めた時に、
上から強い聖霊が来られて、ある日、人がぐるっと変わる時期があります。
理論の信仰が、体験的な信仰に変わる。
それによって、主が、もうこの聖霊によって体験できた人を、神様が使うんですけど、
この驚くほどの働きが、新約時代にはたくさんいます。
その中で一人が、チャルス・ピニーでした。
チャルス・ピニーは弁護士です。
もともと彼は、法律を勉強しました。
チャルス・ピニーは、ものすごい論理的、理性的な人でした。
理性、論理で聖書を読んで、しっかりと信仰しようとしたんですけど、
なかなか信仰ができない。
神様との親しい交わりができない。
むしろ、立法によって、立法を守ることができない自分自身を見る時に、
もうどれほど息苦しい。
だからチャルス・ピニーは、自分自身は完璧な人なんだけど、
神の御言葉を学ぶことができない、
立法的に立派な人になれない自分自身に対して、
ものすごい辛さがあったでしょう。
ある日、山に登って森の中で歩きながら、
神を求めている時、
何かによって膝までひいて、そこで神様に祈るんです。
その時、
彼は体全体に精霊の炎が、
もう何か望んで、彼の心がすらーっと変わった、という体験をします。
彼の言葉によると、
彼が自分の全ての罪が許されて、
また深い平安と確信が与えられた、ということを言います。
文字的に、神様の出会うために精一杯頑張ったんだけど、できなかった。
むしろ罪人だということしか考えられなかった、自分が。
精霊体験によって神に出会ってから、
確信と喜びと、
もう言葉で言い表せない、
この神様の出会いができた時に、
彼は弁護士じゃなくて、私はこれから福音伝導者として過ごしたい。
それでアメリカ人域を回りながら、メッセージをするんです。
彼のメッセージにはパワーがありました。
精霊の力がありました。
皆さん、チャルス・ピーニの本を読んだら、
ソドムという町で、ということがあります。
その時には、人々が、教会は来るんですけど、
みんな、牧師を見る目が、殺そうとする目で見ているから、
メッセージができなく、
そして彼は山に行って、森の中に行って、祈る時に上からの精霊に満たされて、
高台に立ってメッセージをしたら、
みんな倒れてしまって、泣いてしまって、
それで、教会がひっくり返る働きが次々と行われて、
彼が生きている時に、約50万人の人々に福音を述べ伝える、
この素晴らしい働きができたと言います。
皆さん、アメリカの大覚醒を行った、このチャルス・ピーニはどうしてできたのか。
文字による理論的な信仰が、精霊によって体験的な信仰に変わった時に、
彼がこのようになったんです。
皆さん、私たちも同じでしょう。
皆さん、一人一人がみんな体験があると思います。
儀式的に文字的な信仰だけでは、神様に出会うことはできません。
あるきっかけがあって、神様の前でひざまずき、泣きながら、
神を求め、悔い改める時に、炎のような精霊が望む時、
神を体験します。そして変わります。
神様に出会ったこの体験が、一生涯、天国に入る時まで力になって、
その人の信仰を捧げてくれます。
また、神様がその精霊体験があった人には、もっともっと、
神様がよくよく使われてくださるでしょう。
ところが、炎のような精霊、強い風のような精霊は、
私たちが作り上げることはできません。
精霊様が来られるように、私たちは窓を開いて、求めることはできます。
ですから、精霊は祈りが大事です。
皆さん、今でもいいです。今日、お家に帰ってもいいです。
精霊様を切磋に求めてください。
夜でもいいし、昼でもいいし、切磋な心で来てください、来てください。
あなたがいなければ、私は全部、人生が理論であり、信仰も理論であり、
何にも確信がない、この生ぬるい信仰、もう私はうんざりです。
あなたが来なければ、私はいけません、という切磋なる心で精霊様を求めるなら、来てください。
第二のチャルスピニになれるし、第二の人たちになれるし、私たちの人生が変わる。
そこから目が開かれて、世界が神の目線で見ることができて、
それから人生がぐるっと変わって、もう本当に主に用いられる人になるんです。
まず、精霊様が来られたら、人が変わります。これが大事です。
じゃあ二番目、精霊様が来られたら、人と人、まだ色々な塞がれている壁が全部取り壊されます。
ペンテコステの日、精霊様が来られたら、何が起こったんですか?
その50歳の時に、イエルサレムでは、16カ国、
皆さん、イスラエルはイスラエル国でみんな過ごしているのではなくて、
だから、精霊さまを求められたら、お互いにあるいろいろな壁が取り壊されます。
始動経典2章では1日3000人、4章に見たら1日5000人が集まります。
当時、8000人が集まる教会があったのか、ありませんでした。
特に集まったのか、各家の信徒たちの家に分散されて集まりました。
中老家族から来た人々が、言葉も違う人々が、各家のところに集まってきて、
その人たちが意思疎通をどのようにされたのでしょう。
精霊さまがなさっている。
だから、精霊さまを求めるなら、お互いの間の問題、また文化の違い、言葉の壁、
なんとかすべて乗り越えて、一つにさせてくださり、福音を伝えるようにしてくださるんだということを信じていきましょう。
だから、私は言葉ができないから伝導できませんということは、これから精霊を求めればいいでしょう。
教会の信徒たちの間にいろいろトラブルがあります。
まあ、たくさんあるでしょう。
私もこれをたくさん感じたものです。
もともと私は人間性があまり良くない人間だから、だから人々の間に関係、自信があまりありません。
今もいろいろなことを考えるんですけど、
私はこの聖書を準備しながら、私は答えを得ました。
人々と間に、なんとか話をするのに難しい、関係改善が難しいときに、私たちはどうすればいいでしょう。
精霊を求めればいい。
精霊さま、問題を起こしました。人との関係がうまくできなくなりました。
私はどうすればいいでしょうか。
聞いてください。聞いてください。
精霊さま、あなたが助けてくださり、あなたがお互いに誤解を解決してくださり、意思疎通ができるように助けてください。助けてください。
精霊さまを切に求めるなら、精霊さまは来られてお互い話ができるようにいろいろさせてくださるでしょう。
精霊さまが答えです。
私たちの人との間にいろいろな問題、壁、全部解決してくださるお方、精霊さまです。
精霊さまが来られたら、まず人が変わります。
2番目、いろいろな壁が取り壊されます。
3番目、精霊さまが来られたら、私たちに神様の夢、神様のビジョンを与えてください。
弟子たちを見て、彼たちお酒に酔っ払ったと言ったんですけど、
ペテルは落ち着いて、その後悔を彼たちに説明してくれます。
それが中古説です。
今は朝9時ですから、この人たちはあなたが考えるように酒に酔っていることではありません。
そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われたことを、今行っていることだと言います。
私たちが悪いこと、おかしいことをやるんじゃなくて、今この状態は、
預言者ヨエルが教えてくださった、その場面が今成し遂げていることだと。
じゃあヨエルは何と言ったんですか。
17節、18節です。
神は言われる、終わりの時に私の霊を全ての人に注ぐ。
すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。
私の下辺や端ためにも、その時には私は霊を注ぐ。
すると彼らは預言すると言います。
この終わりの時ということは、イエス様が昇天なさってから、再臨なさる時までが終わりです。
ですから、新約時代が終わりの時代です。
じゃあ新約時代になれば、神様が聖霊様を全ての人に注ぐと言います。
男性だけじゃなくて女性も、大人だけじゃなくて子供も、老人も若者もみんな与えてくれます。
身分も変われ、奴隷も主人も自由人も全部与えてくださっています。
これは旧約聖書は想像もできないことでした。
聖霊を頂いた人はどうですか。
息子と娘は預言し、若者は幻を見、
年寄りは夢を見る。
じゃあここで預言、幻、夢はみんな神のビジョン、神様の御心を悟るようになるということです。
じゃあ聖霊が望めば何が起こるのか。
世の中の人々は肉の欲、目の欲、生活の奢り、それをために一生懸命頑張るんですけど、
神様の夢、ビジョンを見るなら、世の中の欲じゃなくて、神様の夢とビジョンのために働く人になるんです。
皆さん、永遠の力、価値がある、永遠の命、天国、そのために働く人、誰ができますか。
神の夢を見た人、神のビジョンが与えられた人のみできます。
これは聖霊によってできるんです。
その以外の人は、この世の中で精一杯頑張るのは、ただ、肉の欲、目の欲、生活の奢り。
この世で死んだら終わりになる、こんなことしか、いくら考えても、それ以上はできません。
ビール・ゲイツでも、世の中でいくら偉い人だとしても、彼らに目に見えることは、肉の欲、目の欲、生活の奢りしかありません。
どうすれば、永遠の価値がある天国を駐備することができるか。
聖霊様が望んだ人だけが、準備することができる。
これは素晴らしいことです。
なぜ、私たちにこの夢とビジョンが必要ですか。
この世は100年、天国地獄は永遠です。
私たちは、100年過ぎて、全部終わりではありません。
100年は、これは短い、簡単です。
私たちは、永遠に生きる存在です。
私たちは、永遠に天国に行かなければいけない存在です。
私たちは、永遠に天国に向かって行くためには、神の夢とビジョンに満たされなければなりません。
それしかありません。
この世の中が、みんな精一杯考えることは何ですか。
肉の欲、目の欲、生活の奢りしかあります。
これ以上、見る目ができません。
神様から与えられた、精霊によって与えられる、この夢とビジョンが与えられた人だけが、
永遠のことを考えることができるし、
永遠のことを準備することができるので、
この人だけが、神様から本当に祝福された人なんです。
精霊様がその夢、ビジョンを与えてくださるときに、
私たちは、永遠の天国を準備する人になります。
そのために走っていく人になります。
これが一番祝福された人。
この永遠の天国を準備することができなければ、
これこそ、かわいそうな人間ではないでしょうか。
もともと弟子たちは、彼らの海辺で漁師として生きたものでした。
一生涯、漁師たちは何をするんですか。
今日、魚一匹捕れたのか、捕れなかったのか。
魚一匹で泣いたり笑ったりする人生でした。
この魚、魚、魚、魚、それで魚を求めながら、
それで死んでしまって何にもない存在でした。
しかし、精霊が望んだとき、イエス・キリストが望んだときに、
神様が魚を捕る漁師じゃなくて、人を捕る漁師にさせようと、
生活人を市民人に変えてくださりました。
精霊様が来られたら、生活人が市民人として変わって、
彼らはもう本当に永遠に祝福される人になったんです。
私は私たちの教会の子どもたち、利生たち、お年寄りの皆さんの上に、
精霊様が強く望んで来られて、神の夢と美人を見ることができる。
皆さん、これは説明ではできません。
牧師がメッセージでできる世界ではありません。
神の夢と美人が与えられるときに、違うです。
人々の肌だけが違うんです。
見ることが違うんです。
考えることが違うんです。
それで永遠に祝福される人になるんです。
是非とも是非とも私たちの教会、子どもたち、利生たち、皆さん、皆さんが、
このような精霊によって神の夢と美人を見ることができますよ。
中級説から、上では天に不思議な技を、下では地に印を示そう。
地と火と立ち込める煙がそれだ。
主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽が暗くなり、月は地によって赤くなる。
皆さん、これはブラードムーンということです。
これは大きな意味がある。いつかまた説明しましょう。
主の名を呼び求める人はみんな救われる。
地と火と煙、この印は皆さん、シュッツエジプトの最後の瞬間、
パラオに与えられた、エジプトに与えられた十項目の災いがあるでしょう。
ある時ナイル川が地に変わりました。赤い地に変わりました。
またある日は太陽が暗くなりました。
もういろいろな天地、異変が起こりました。
そのようないろいろな印が何かと言いますと、
そのことを通してイスラエル人たちが奴隷から自由になったように、
最後の時に聖霊様が来られた。
いろいろな印があって、それを通して神様はこの世界を救われるということを教えてください。
ペンテコステのリバイバルは、第二のシュッツエジプトの事件だと言われる。
シュッツエジプトの時に、イスラエル人たちはエジプトの奴隷から救われた。
では、このペンテコステのリバイバルを通して、私たちはどこから救われるのか、
罪から救われるんです。
皆さん、聖霊様が来られたら、私たちが罪を勝ち抜くことがなく、
罪を犯さない人になります。
罪は神様と私たちの間を下手で、神の全ての祝福を妨げ、
神様を切り捨てられ、地獄に落としてしまいます。
罪はこんなに怖いものです。
私たちは罪を勝ち抜こうとはできません。
しかし、聖霊が来られたら、罪を勝ち抜くパワーが与えられます。
それによって、罪を勝ち抜き、それで私たちは神の夢とビジョンによって、
神の御業にもちられるんです。
今日、この聖霊様が、私たちの中でいろいろ働いてください。
皆さん、お祝い、お祝いも、今、聖霊によって体験、
聖霊によって力を受けた体験があるでしょう。
私は、教会出席したばかりで、もう青年だった私が、
教会出席したばかりで、その教会をよく分かっていないのに、
その時、聖霊が私に臨んで、
当時、私は大学生の時、大学院の時、
私は寒い冬、毎日、教会で徹夜しながら、祈りながら、教会で寝泊まりしました。
創典が終わったら、私は帰ってきて、また図書館に行って勉強した。
ずっとその時、私は、教会に来たばかりの若者が、
徹夜祈りをずっと毎日している教会の信徒たちがびっくりしました。
それで、神様は私に、礼拝に対する熱情、見言葉に対する熱情、
私は当時、僕先生のメッセージを一言も残して、全部メモしました。
それを覚えて、次の日の朝、またはそれを、
創典の祈りに、その見言葉が成し遂げるように祈ったり、
ずっとそれを毎日、成し遂げました。
礼拝に対する熱情、見言葉に対する熱情、または宣教に対する熱情、
私は韓国の武産で勉強した田舎の者を、
ソウルで働かせ、また東京で働かせ、
そして日本の福岡の新学校に勉強させ、
また東京に呼んで、今、神様が働いてくださる。
70歳になっても今も、神様が働かせてくださいます。
また神様が私に、日本の回復とリバイバル、
また大収穫を準備するために、祈りせています。
私には夢があります。
日本にリバイバルを来て、そのリバイバルの力で日本人が救われ、
日本が変わるということ。
日本を中心として、アジア、それから全世界に福井が延べされる、
素晴らしい働きがこれから起こるんだよ。
このリバイバルが来るように、私は新しい葡萄、
川袋の教会、新しい葡萄酒を入れて、
全世界に福井を伝える、準備をしなさいという夢が私にはあります。
だから今、何にもないんだけど私は祈っています。
もともと私は田舎の者で、劣等感の塊で、
私は何にもどこでも使うことができないものだったと思ったんですけど、
この若者、田舎の若者に夢と美じゅんを与えてくださって、
今まで東京まで連れてきて、
この夢と美じゅんを成し遂げるために、
ずっと神様を導いておられたように、
私は願うのは、私の教会の子どもたち、
また理性たち、また教会の家族の皆さんが、
この精霊の豊かな恵み、精霊の照らし、
精霊様が夢と美じゅんを与えてくださって、
神に対する熱情、恋愛に対する熱情、天国に対するこの熱情をもって、
これから主に使えることができれば、
また主に偉大な働きに用いられることができればと思います。