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2022-11-13 30:45

「主キリストイエスを知ることのすばらしさ」2022年11月13日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年11月13日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

フィリピ3:7-14 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。目標を目指してわたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

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今日は、主イエス・キリストを知るごとの 余りの素晴らしさという対応をもって
メッセージをわかっちゃいたいと思います。 マタイ中級書16節に、ある人がイエス様の前に出て、このように求みます。
先生、永遠の命を得るためにはどうすればいいんでしょうか?
罪によって神様から離れて、限界的な人生を過ごしている私たちの人間に一番大事なこと、一番願われることは
永遠の命。 言葉を変えれば救いです。
この永遠の命を与えてくださるために、神様が送ってくださった
三密大の第二位の神様がイエス・キリストです。 要はね、3章16節、神はそれをひとり子を与える
お与えになるほどに、要愛されたひとり子を信じる者が、ひとりも滅びないで、永遠の命を得るためであろうと言います。
そこでイエス様は来られて、要はね、14章6節、 私は道
私は真理、私は命である。 私を通らなければ誰も父のもとに行くことができない。
私は道を、真理を、命であるイエス様を知り、信じ、ついていくことによって、永遠の命、救いを得ることができます。
私たちは教会に出て信仰生活する目的は、このイエス様を知り、信じ、ついていくことによって、救いと永遠の命を得るためです。
これに対して、使徒パウルは私たちにたくさんのことを教えてくださるんですけど、今日はピリッポ3章を通してその部分を分かち合いたいと思います。
まずパウルはイエス様に出会いました。 信じました。最後までついていきました。
イエス様をついていきながら、妨げがたくさんあることを分かりました。
それをピリッポ3章2節から私たちに教えてくださいます。 2節です。あの犬どもを注意しなさい。
横島の働き手、他の宣書では悪い働き人たちと書いてある。気をつけなさい。
傷に過ぎない、かつれいを持つ者たちを警戒しなさい。
なぜ犬ども、人が犬だというのは、ひどすぎる言葉ではありませんか。
03:01
なぜこの言葉を使うのか。彼らが肉に頼る人だからです。 みなさんここで肉に頼るということは、人間的な条件を誇る、自慢するという意味です。
ユダヤ人たちは神様を信じながらかつれいを自慢しました。 アブラムの子孫であることを自慢しました。
神を信じるなら神様だけを誇ればいいでしょう。 なぜ神様を誇らないで他のことを誇るのでしょうか。
では私たちは神を信じながら何を誇っていますか。 私たちは今まで自分自身が教会のためにどれほど献身してきたのか誇ります。
また何年間信仰生活を熱心に続けてきたのか誇ります。 また私は有名な先生から教えてもらったよと誇ります。
また私は信仰生活しながらこんなことも体験して、こんな賜物を持って行って、このこともできますよということを誇ります。
またこの世的に私はどこの出身であり、学歴がどうであり、私のお金がどのぐらいあり、世の中で成功したことも誇ります。
皆さんこれは肉に頼ることであり、この世のことを誇るものであり、
そのことを誇る人たちをパウルは犬ども、悪い働き人たちと言いました。
なぜこんなひとい話をするのでしょうか。 なぜならこの肉を誇るこの要素たち、例えばお金、名誉、この世の成功などなど、
これはこの世の100年を楽に過ごすのには少し役に立ちます。 またそれを持っていれば少し安心はできます。
また自分が買いたいものがあればすぐすぐ手に入れることができるから便利かもしれません。
しかしこの世のことを頼るならそれが空情です。
このことを頼って誇り安心する間に神様に出会うことができない。 神様に出会うのにはむしろ邪魔になることがこれなんです。
神様が私にくださる神の国天国、天国の祝福と幸せ、超自然的な神の働き、神の栄光、また衛生不滅、
こんな驚くものは手に入れることができないからです。
では神の国はどうすれば手に入れることができますか? どんな人に神様を与えてくださいますか?
これがマタイの古書3世です。 心貧しい人々は幸いである。
06:04
神の天国はその人たちのものであろうと言います。 先週わかっちゃいましたね。心貧しい人、悲しむ人、
木に植え乾く人、この人たちは神の国、天国を得ることができます。 陸大を誇り、人間の長剣を誇りにし、私たちが何を得られますか?
しかし貧しい心で神様を求める人たちは 神様を得ることができます。
この2つを同時に得ることはできません。 この世のことも得て、神様を得ることはできません。
なぜなら神様のものとこの世のものは完全に反対だからです。
第1要年2章15節には、世も世にある者も愛してはいけません。 世を愛する人がいれば、恩父への愛はその人のうちにありません。
また他の聖書では、この世を愛するなら神様と敵になると言います。 皆さん考えてみてください。
面白いのは、私たちがこの世の中のものをたくさん持っているなら、なんとなくそこに安住してしまいます。
なかなか神様を求めることはできません。 なぜならこの世のものが私たちに安心感を与えてくれるからです。
だから自分が頑張って死を求めながら祈りながら 心を尽くして死を求めなくてもある程度豊かである程度安心する生活ができるから
天国の宝物を求めないようになるんです。 この世のものと比べられないほど
素晴らしい優れた祝福である神様のものを求めません。 だからこの世の豊かさによって天国を逃してしまうのです。
パウルが気の毒だと思ったのがこれなんです。 これがどれほど悔しかったのか、この世の中を誇り自分の身体肉を誇り安住する者たちを
パウルは犬ども悪い働き人と言われるほどです。 皆さんご理解できますか
パウルはどんな人ですか。彼は昔人間的な条件を誇ろうとするなら 誇ることがいっぱいある人でした。
彼は聖徒的なユダヤ人、生まれながら8日目に活霊を受け また彼は王族でした。初代王サウルのベニャミン部族の出身です。
また彼はバリザイ人です。 最高の学問を勉強した人です。また立法を守るのには死の落ちどころもない素晴らしい人だったんです。
彼はこの世的には完璧な人でした。 それだけでも彼は幸せに過ごすことができました。
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以前は彼はこれを誇りにして過ごしました。 しかし
そのすべてが神様が与えてくださる祝福を得るのには何も役に立たないことがわかりました。
むしろそのことを誇りにして心が豊かになれば 神様のものを得るのには邪魔になるんだということをわかりました。
サウルはイエス様に出会ってイエス様の中にいろいろなことを経験してみれば それがどれほど素晴らしかったのかこのように話をしました。
神科学では私の宗キリストイエスを知る知識の絶対な価値のゆえに
神教徒学には宗キリストイエスを知ることのあまりにも素晴らしさのゆえに
以前のものを全部排泄物として思ったと言います。
イエス様に出会ってイエス様の中にいるなら 神に出会い天国の喜びを味わい
神の栄光を見神様の知識と知恵に満たされ 癒やしと超自然的な奇跡
想像もできない素晴らしいことを体験するんですけど それがすべてイエスキリストによって私たちに与えられるからです。
私たちはこの世の中の委ねてこの世の中のことに安心してしまえば これらのものは絶対得ることはできません
じゃあ皆さんキリストを知ることイエス様を知ることがどれほど大事なのか 以前の私たちが学んだイエス様を信じる前と信じた後を比べてみればよくわかります
皆さんイエス様信じる前の未信者の状態はどうですか 罪と悪魔の奴隷です
霊的精神的体的に数多くの問題を持って生きながら苦しみます 苦しんで生きながら死ねば死ぬなら地獄に行きます
また同じ苦しみを子供たちに親譲りをします 皆さん未信者たちの子供たちは親が残した家計に流れる呪いを逃れることはできません
これが怖くて悔しいものなんです しかし信者はどうですか神の子供になります
完全に新たに生まれることになります 主の御臨罪がいつもあり祈るなら応答があります
神様のすべての恵みと祝福をいただきながら神の子供として生きます 霊と魂と身体が新たに生まれ命と癒しの約束の中で過ごし死んだら天国です
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天国に行けばこの世でなさったすべてのことによって報いもあります また同じ祝福を子供たちに親譲りをしてあげます
子供たちに与える一番素晴らしい祝福は何ですか 信仰なんです
韓国のある先生は自分のお母さんは貧しかった何もなかった しかしお母さんが私に信仰を与えてくださった
私はこの信仰によってこんなにすべてができた それは韓国の明孫教会の金様先生の昔のメッセージです
自分の家庭は貧しくて何もない しかしお母さんが一つを残してくださったんだけど信仰だった
この信仰によって 今私の韓国のおふくろの家の前にこの教会があるんですけど
大きい教会をその先生が蒼天の祈りを通して作り上げることができた 信仰です
また私たちは福音を伝えることによって神様にあなたは祝福の源だと言われるほどの 祝福の存在になる
神を信じるイエスキリストを信じることはどれほど素晴らしいことでしょう このすべてがイエスキリストの源によって与えられます
エプソ1章3節にはこう言います 私たちの主イエスキリストの父である神に褒め称えられますように
神は私たちをキリストにおいて キリストのゆえに天のあらゆる霊的な祝福を満たしてくださいました
天のあらゆる霊的な祝福を私たちにイエスキリストのゆえに
イエスキリストによって私たちに与えてください だからイエスキリストに出会うことはどれほど素晴らしいことでしょう
聖書の中で皆さん何人のお話をしましょう この人たちの変化を見てみましょう
旧約聖書で列帳記K古書にはナーマン将軍という人の名前があります アラモンの国の将軍なんです
しかし彼らは重い皮膚病 雷病に患っているところでした
彼がイスラエルに来てイエスが神様に出会いました 神様に出会ったら彼が神様が指示される通りしたら
彼の皮膚が重い皮膚病からどのように変わったのか 私びっくりして列帳記Kのこの5章14節をいつも読んでいます
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ヨルダン川で七度身を舌に 彼の体は元に戻り小さな子供の体のようになり清くなった
おじいさんの皮膚が小さな子供の皮膚に変わったということです
これがあり得ることなんでしょうか 神様に出会えばあり得ます
新約聖書でショウジェインに罪人レビがイエス様に出会ってイエス様をついていきながら 聖魔体になりました
マクダラマリア7つの悪霊に取り憑かれて非常に苦しんだ姉妹がイエス様に出会って 一番祝福される姉妹になりました
迫害者サウルがイエス様に出会って使徒パウルになり ホート息子オグスティンがイエス様に出会って聖者になり
聖書を燃やしていたサンドシングがイエス様に出会って伝道者として変わりました
皆さんこのような変化はこの世の中のものをたくさん持っていって変わったことではありません
イエス様に出会って神様の恵み 神様の愛 神様の慰め 神様の喜び 神様の命を味わいながら変わったものです
パウルがなぜ神を信じるんだと言いながら陸大に委ねるこの世のことを誇る者を いのども
悪い働き人たちと言ったのがわかりますか この世を誇りにして
そして神に出会うことができないようにする この悪い働き人たちのゆえに
ひどい人が騙されていつも世の中のことを誇る 神を信じながら世の中のことを誇る人になってしまう
それが神様に邪魔ばかりだからそれを排泄と仏道に捨てたと言います
マタリの13章44節にはイエス様が畑に隠されている宝のたとえをお話しされます
畑に働きながら宝物がそこにあることを発見しました だったら自分の所有をすべて売り払ってその畑を買ったと言います
皆さんこの世の中のものを売り払ってイエス様を買うことができますか できませんできるならそうしなければなりません
この世のもので神を買う神のものを買うことはできません だったら私たちはどうすればいいのか
私たちの心を変えればいいんです 今まで愛した世の中のこの世の中のものお金
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成功を愛したことを心を捨てて 貧しい心
悲しむ心 木に植えかかる心を持って イエス様を愛する人に神様は神の肉に天国を与えてくださいます
ですからパウロは今まで自分自身を支えてくれた人間的な条件 愛したこの世のタイトルスペックを
排泄物として捨てて 貧しい心でイエス様を得ようとした
またいつもイエス様の中に留まりイエス様に信じる信仰によって行こうとしました またイエス様の死に見習って
自分も死の姿にあやかり 復活の栄光に至ることを考えました
毎日毎日イエス様についていくから パウロにはイエス様だけが生きる理由目的になりました
そうしたら新約聖書でイエス様次に神の栄光天国を味わい それを伝える人になりました
私たちもパウロのようにいつもイエス様を一番大切にして思って イエス様がなさったことを
ついていきながらイエス様に見習う私たちになれればと思います そうすれば
新約聖書の中で一番たくさんイエス様を味わう イエス様を喜ぶ人パウロになりました
しかし 人パウロのような偉い人だけがそれを味わったことではありません
ルカの18章にはエリコ城の猛人がそれを味わいました
イエス様がエリコ地域を通りかかるところでした ある人が切ね心でイエス様を求めます
ルカの18章38節からです 旅での子イエス 私を憐れんでください
イエス様はイスラル全地域を回るんですけど その時イエス様はエリコ城に行きました
そこで自分の前で通りかかっているイエス様の話を聞きました
皆さんイエス様は天国の宝 すべての鍵を持っておられるイエス様を通りかかるのに
このイエス様を今逃したらいつまたイエス様に出会うかわからない 猛人は見ることができないんだけど
イエス様に対していろいろ聞きながら 自分なりに精霊によって悟られたことがありました
だから彼が大声で叫びます 旅での子 私を憐れんでください
そして周りの人が黙りなさい 黙りなさいと言います だったらもともと大きい声で叫びます
そうしたらイエス様が立ち止まり 猛人をそばに連れてくるように命じられました
21:02
彼がイエス様の近くに行ったらイエス様は彼に聞きました あなたは何をしてほしいのか
皆さん私たちが叫び求めた時イエス様が私のところに来なさいと言って
皆さん行った時にあなたは何を求めるかといきなり言われたら 皆さん何と答えますか
戸惑うのではありませんか 彼はイエス様が癒しの健全者だということをわかっていたから
私の目を癒してくださいと言いました そしたらイエス様は見るようになれ
あなたの信仰があなたを救ったと言われました じゃあ皆さんに聞きます
誰が私たちを救いますか 私たちはイエス様を救うんだと言います
そうですもちろんイエス様を救います しかしもっと詳しく見てみたら
イエス様を信じる私の信仰が私を救うのです イエス様を信じますと言いながらイエス様を信じる私の信仰
あなたはイエス様は何を信じるんですか 彼はイエス様が癒しの力を持っていられる方だと信じました
だからイエス様が見るようになれ あなたの信仰があなたを救ったと言います
私は一体イエス様はイエス様と祈りはするんだけど 私はイエス様は何ができるお方なのか
どんな力を持っているのか 私に対してはどんな方だと信じて祈っているのでしょうか
大事なのは知ることです 信じることです
シトパウロはもっともっと知りたい もっともっと信じたい だからイエス様はずっとついていきました
たくさんのことを分かりました たくさんのことを知りました このたくさんのものを持って
全世界の人々を助けることができました 私が信じるくらい私に神の国 神の奇跡 祝福が望むんです
大事なのはイエス様を信じることですけど 何を信じるか
ですから私たちは信じるために ローマ書中小中七節 実に信仰は聞くことにより
しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるんだって言って お話のように私たちは御言葉を通して
毎日毎日日曜の過程 朝のデボーションを通して 今日はどんなイエス様に私が手を張ったのか
私は聖書を通してイエス様はどんなことができるお方 私に何をしてくださるイエス様なのかを
毎日毎日メモしておいてチェックしておいて それでイエス様を知る知識を積んで積んで積んで積んで
24:01
私はこんなイエス様を信じますという 私なりの信仰をしっかり持っていくことは結論を申し上げます
イエス様は心豊かな人を救うために来られたことではありません 満足する人々を救うために来られたことではありません
心を貧しい人々を救うために来られたんです シトパウロはある時は心が豊かな人でした
しかし今彼は心が貧しい人になりました 彼がイエス様をどのように手当たったんでしょうか
ダマスコでイナビカリのような光の中でイエス様に出会いました 本当に不思議な経験ですね
主よどなたですかと言ったら私はあなたが迫害しているイエスだ その時から彼は何回も何回もイエス様に出会いました
ある時は第三の天まで登る天国まで登る経験をしました 私だったらそのぐらい知ることによって十分にわかったと思って自慢したかもしれません
しかしパウロは何と言いますか ピリポ3章13節14節兄弟たち私自身はすでに捉えたと思っていません
成すべきことはただ一つ後ろの者を忘れて前の者を前進を向けつつ 神はキリストイエスによって上に召して
おはたになる賞を得るために目標を目指してひたすら走るのです 切実の心でイエス様をもっともっと知りたいと思ってイエス様についていきました
驚くのはイエス様を知れば知るほど心が貧しくなるということです なぜなら私が知ることはこのぐらいだけどイエス様を見てみれば
イエス様はこんな大きいおがただということを見るから ますます貧しくなる
だからますますイエス様を求めるようになるんです イエス様は神様です知恵と知識と栄光が限りなくあるおがたです
限りなく宝をない宝を持っておられることです 牧師録4章8節には天使たちが神様の右の者の周りでイエス様を神様に使いながら
聖なるかな聖なるかな この意味は驚くほど驚く驚くびっくりびっくりってことです
毎日毎日 神様は新しいおがた
永遠に永遠に隣で使えても永遠に永遠にいつも新しいおがたです 皆さんイエス様がマルコ9章で
27:01
ある山に登ってその山で姿が一時に変わりました そこでモーセとエリアが現れましたイエス様は光の中でいました
それをペトロが見てびっくりしました 皆さんこの栄光の光に輝かれるこのイエス様の光が
少しでも私に照らされたら 私の中にある闇呪い病気すべての問題が全部消えてしまうでしょう
いつ私たちはこの栄光の光を照らすことができますか 恋愛する時なんです
メッセージを聞く時なんです賛美をする時なんです その時に大ニコニコ3章18章大ニコニコ4章6章
神の栄光の光が私たちに照らされるのです だから私たちは形式的な気識的な習慣的な面白くないこの礼拝に参加する
このことをやめて 人格的なイエス様に出会う
人格的なイエス様栄光に輝かしいイエス様に出会うために 貧しい心悲しむ心気に植えかかる心を持って
手の美愛で礼拝に参加するんです 皆さんイエス様に出会うのはある規則があってある法則があることではありません
貧しい心で十分です悲しむ心で十分です おそれを敬う心で十分です
イエス様は礼と真理によって出会うことなんです ぜひともぜひとも
一生イエスキリストを知ることのあんまりにも素晴らしさ
信仰生活40年間にあるんだけど一生イエスキリストを知ることのあんまりも素晴らしさということは
感じたことがなければ 私たち今まで信仰生活何か間違えたんじゃありませんか
イエスキリストを知ることのあんまりにも素晴らしさに 毎日毎日驚く
だからこの驚くことを隣の人に伝えなきゃいけないと思って 周りの方たちにイエスキリストを伝える
この生活をする間に大勢の人々がイエス様を信じてみんな天国に行く人になるでしょう
ぜひともぜひとも 週イエスキリストを知ることのあんまりにも素晴らしさを
毎日体験できる私たちになれればと思います お祈りいたします
主よ 今まで私たちは
どんな信仰生活をしたのでしょうか パウルは週イエスキリストを知ることのあんまりにも素晴らしさに
毎日驚いたと言うんですけど 私たちにはなぜそんなことはないのでしょうか
30:06
どうかどうか 貧しい心 悲しむ心
気に飢え渇く心 神様を恐れ敬う心で
主の御前で過ごすことができるようにしてください そしてこの世で週イエスキリストを知ることのあんまりにも素晴らしさに驚き
それを伝えながら イエス様共に永遠の天国で毎日
聖なるかな聖なるかな驚く驚く神イエス様 褒めたたえる私たちにならせてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします アーメン
30:45

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