1. 名谷教会 podcast
  2. 2022/07/03:勇気を失うことなく
2022-07-03 41:10

2022/07/03:勇気を失うことなく

2022/07/03 聖日礼拝

斎藤亘師

コリント人への手紙第2 4:1-10


00:01
おはようございます。
今朝は名谷教会が創立して、29周年を迎えるという大切な日曜日であり、また礼拝をしてともに迎えております。
29周年と一口に言いますけれども、本当に皆さん方にとっても忘れられないのは阪神淡路のあの思いもしないような、一体どこが新年地なんだろうか。
私は被災された教会を5日尋問に参りまして、政府教会に参りましたら、少数婦人が、ここが新年地なのよとずいぶん理解されておりました。
その前に足屋に行ったら、足屋のほとんどの旧、高級住宅が、昔の家が崩れて、そして焼き地となったそこに何箇所かに花が連れておられた、そこに亡くなったんでしょう。
そういう思いを皆さん方もそれぞれの経験の中でなされたと思います。
やがて新年地が足のそこから始まって、そしてベルト状にこの阪神館が、その頃に私はこの教団の委員の一人として、総務県庁がそれを担当しておりました。
ちょっと記憶が少し、藤原先生に高取駅まで、そして三浦の教会を訪問したことを思い出します。まだ街道が建つ前であったと思うんですけどね。
そうでしたかね。建てましたかね。確か人事のことでお伺いしたと思うんですけどね。
ただ三浦あたりを通過するときは、いのかを通っているような、もうあたりはみんな真っ暗ですから、これが神戸、これが三浦っていうような村の森で参りました。
そして高取駅で迎えてもらって、それで三浦に上がったときから、なんかいっぺんにこういうマンションが明るく見えたんですね。
03:06
ここは何もなかったんだろうかとさえ思いましたけれども、守られている教会も、また大石教会のように玄関だけは残っているけれども、
あとはもう崩れてしまったという教会もあれば、そういう教会が私たちの教の中にも、今後教訓の中にもいくつかあったことを思い出します。
一口に29年と言いますけどね、本当にそういういろんなことがあり、
また一体この震災の後、どういうふうに村として教会として向かうべきなんだろうか。
私は今朝、この古震灯台の手紙の4章を開いておりますが、この4章の冒頭に、高取は、こういうわけで私たちは哀れみを受けてこの務めに任じられているので楽観することがありません。
これが2017年版の震災訳で、その前の訳では勇気を失うことなくという、そういう言葉がそこに用いられております。
共同訳や交互訳はみんな楽観という言葉がそこで使われておりますけれども、
ああいう現状を見ますと、本当にどうしたらいいだろうかというようなそういう思いに追い詰められてしまうということは、確かにこれは私たちが世に生きるにあたって現実です。
ウクライナのニュースは毎日その悲惨な様子が報道されております。
昨日までは一緒におったその若子が、私じゃなくて子供に爆弾の破片が飛んで、昨日まではそこにおったんですよという、そういう大勢の人たちの証言がありますが、
でも容赦なくロシアのミサイルが飛んできて、そしてあの街を今もそれが続いていく。
ですから、そう被災された人たちは一応におっしゃるのは、一体これからどうしていったらいいんでしょうか。
せっかく苦労して家を建てて、これからという時に何もかもを私たちは失って、そしてこの地を去らんとならぬ。
06:08
もうそういうニュースばかりで、当事者にとってはもうそれがそうなんでしょうけども、
報道を見る私たちもですね、何かそこに一様な光でもいいから見出せないもんだろうかという、そんな期待を持つんですけども、
そういう期待を打ち破るように、今日もミサイルが飛んできた。そして街々を破壊。
どこまで破壊したらプーチングはやめるんだろうかと思うようなところまで行ってしまう。
そういう現実を見ます。
落胆しないでください、という諸の言葉はなかなか用いることができない、そういう現状であろうかと思います。
ただ私たちはそういう現状になって、しかし、じゃあそういう現状になければ私たちはいつもですね、元気はずらく、
そしてやれるのかと言ったら、そうではないんです。
落胆することが度々あるから、あるいはそういうことに直面するから、
パウロはここで落胆することがありません、というご自分の証を込めてここで彼が言うのです。
私はパウロの短いこの文章の中に、パウロ自身のこの福音の務めに対する生き方というものをそこに明かししている。
同時に私たちに進めていると思えるんですね。
教会の歴史は、今は現実に膨らんだという、そういうことを申し上げましたけれども、
教会の歴史も、そして私たちのこの日本においてのカトリックまたはプロテスタントの教会の歴史も、
そういう中でいくたびに襲われて、そして希望の一かけらも持つことができないようなところにまで追い込まれてしまった。
しかし、そういう中でもプロテスタントカトリック教会の命は少し違った形になったか分かりませんけれども、
しかし、このキリストに対するその信仰というものが受け継がれて今日まで来ている。
09:00
私たちのこのプロテスタントにしても、この150年というこのペログが裏側に来て、
そしてそれからアメリカがどの数字をそれができて、選挙主たちが日本に来て、そして伝道することができるようになったという、
それからちょうどこの150年、私は信仰に入って間もない時だったと思うんですけれども、
当時はもちろんテレビがありません、ラジオだけです。
そのラジオ放送の中で仏教学者であり、いろんな方面で活躍されていた亀井克一郎という方がおられ、
その方とキリスト教会を代表して北森和夫というこの方の対談がそのラジオから流れておりまして、
プロテスタントも日本に渡ってきて、そして100周年のいろんな行事がそこに行われていた。
けれども日本の教会は、クリスチャンは今なり少ないんだということを北森先生がおっしゃっておられた。
それに対して亀井先生は、いや考えてみると確かに人数的には少ないかわからないけれども、
カトリックが伝えられてからでも数えてみると、今日まで日本においてこの福音が待たれて、
そして教会がずっと継続して今日まである。
立場は違うけれども私はそういう教会の様子を見てすくすく思うことはね、
クリスチャンは毎週必ず教会に出会いに出向いていかれる。
お寺さんの場合には何か特別な切れないと亀井先生はおっしゃるのは、
おそらく厳しい迫害の中に教会が今日まで続いてきたということは、
その代々のクリスチャンたちがね、日曜日の礼拝を大切にして、そして生きてきた。
あるいは自分の信仰を守ってきた。
私はこれが日本の教会の姿だと思う。
仏教にないたくましさが私が感じるんです。
北村先生も、そうですかね、と言って座談会ですから、お二人の対談ですから、
そういうやりとりをラジオで聞いたことは、言わなり忘れることはできないんですね。
12:01
むしろクリスチャンではない仏教学者の亀井家庭一郎という方の方が、
教会のあるべき姿というのを見抜いていらっしゃった。
そういう印象を持ちました。
福音は伝えられるその場所において、
良きみを結び、そしてまたそれは継続する力となって、
時代を時代をこうして教会が生きてきた。
先月はペントコステ礼拝を共に守りましたね。
守りましたけれどもね、本当に教会が誕生していた。
白外のない時代というのはどこにもないんですね。
けれどもしかしそういう中でも教会が教会として、
聖霊の助けの中において教会が確立し、
イエス様がおっしゃった、命じられたように、
全世界にこのイエス・クリスチャンの福音が伝えられてきている。
日本においての数的な、人数的なそれは少ないか分かりませんけれども、
しかし本当に今日まで教会が教会として来れたということは、
私は一つにはこのパーロがね、自分の証を込めて、
こういうわけで私たちは憐れみを受けてこの務めに就いているので、
楽談することがありません。
この務めというのは、
彼はイエス・キリストの福音を誰にでもどこででも伝えるという、
そういう姿勢です。
私たちは伝道するというそれは、
そのようにこれは誰からに言われたのではなくて、
またによる福音書の最後の言葉にも見られるように、
私たちがイエス様の弟子として、この福音を全ての人に伝える、
これがイエス様の命令。
そしてイエス様はそれを保証するかのようにね、
ご自分が命じなさった事柄を必ずそれが成るんだということを保証するかのように、
あのペンペコステというこの素晴らしい生霊降臨の約束を、
わずか120人ばかりの弟子たちにその約束を成就されて、
教会は新たにスタートして、
今日に日に立っているわけです。
この街道ができて29周年というのは、
この街道が立つということで、
15:02
聖母教会は本当に時間をかけて、財を育てて、
そして場所を探し求めて、
そして何よりも本当に祈りにすまれて、
そしてこのところが選ばれて、そして街道が立ち、
そして今にに立っているわけです。
それぞれの時代に、その時代のクリシアンたちが、
宮泰という一角に尚この福音が伝えられるために、
私たちはどうしたらいいだろうか。
教祖先生のビジョンも中心的にはあったでしょうが、
やはりこのうちに福音を伝えましょう、
教会が立つように私たちは捧げましょう、祈っていきましょう、
という祈りの適切なコリコの街道が現実にあるわけですね。
パオロはそういう自分のうちにあるこの使命についているので、
落胆することがない、そう言い切れる一つの根拠は、
これはパオロ自身がその恵みに預かってきた事柄です。
パオロという人はご承知のように、これまでにないほどの迫害者として、
若い時代、サウルという名の下で、
彼は教会という教会を、あるいはクリシアンというクリシアンを迫害し続けていた。
そういう中でも、彼はその途中迫害する中で、
彼は一人の人の目撃者になったのです。
おそらくここで言っているところの四節を見ますと、
彼の場合はこの世の神が信じない者たちの思いを砕くし、
神の形であるキリストの栄光に関わる福音の光を輝かせないように、
信じているという神のようなものをそういうふうに抑えつめる。
パオロはそういう戦法に立ったわけですよ。
しかし抑えることのできない事柄を彼は目撃した。
それが実はこの使徒の働きの七章、
18:06
教会の今でいう役員のようにして選ばれた中の一人の知っていたのは、
彼は誰に対しても自分が受けたこの素晴らしいキリストの救いを述べ伝えていく。
そのために当時の大祭司をはじめとして、
このキリストの存在を否定する、
そういった人々の手にかかって彼はそこで準拠する。
サウルの名前が初めてそこに出てくるわけですよね。
サウルタウルという青年の方々に迫害者たちは自分の子供を置いて、
そうしてステファノに厳しい石打ちの敬語を受けていった。
それを目撃し、
そして彼の心の中に準拠していくステファノのそれは焼き付いてしまう。
迫害者ですから、もうそれだと言って、
そして彼は今度は改めて大祭司からの委託状をもらって、
そして教会をクリスチャンを迫害するためにこれから出向いていくわけですよ。
彼の心は、その時は勝利者のようにステファノを死に追いやったということでの満足感があったんでしょうけれども、
しかし彼の後々の経験から言うならば、
自分はどれだけ立法を愛し、立法に近づき、立法のために使えてきたか、
その一点一角もこれを破ることをしないで、
そうして彼は自分が立法そのもののように、
そういう学びをガブリエルにもとでもってしたわけですから、
彼はこのユデア教会においての指導者となるべく将来を職務されとったようなその一人です。
それだけに彼の中には、教会という教会を迫害し、クリスチャンというクリスチャンを追い出し、
死にかかせる、そういう勢いを持って彼はザマスコに向かうという展開がそこに開かれていくわけですね。
しかし彼の心の中には、そういう中でどれだけの確信があり、勇気があり、信頼があったのか。
21:05
彼はそこに向かうのに消し難いものが自分の心の中にあった。
それは殉教していくあのステパノの輝きなんですね。
立法に使いながら立法の素晴らしさをみんなに教えるという立場にある自分は、そんなものどこにもない。
その告白の一つが、ローマ美教の手紙の7章だと思うんですよ。
私は立法に従って善を行おうとしてこれまでどれだけやってきたか。
けれどもそれはできなかった。
それは私のうちにある罪が立法を守らせないだけではない。
本当に自分がどんなに惨めな人間か。
そして彼は落ち着いたところは、私は生きながらにして死んだようなものだと。
しかし神はその自分に新たな命を与えてくださったというのが、ローマ美教の手紙の7章の最後に続くわけです。
彼が得た命はステパノからの光です。
死に向かうところのあの自分とそのぐらいでしょう。
しかしながら彼はその死にある自分を死に向かい始めるそういう人々のために、
許しの祈りをそこで捧げている。その祈り。
また本当にイエス・キリストがそこにおらずかのように仰ぎ見るステパノのあの時の輝き。
それは自分のうちには全くない。
立法に使い立法を起こりとし、立法をこれから伝えていくという。
しかし自分の中には申し上げたように、一つの罪さえもこれを犯すことがないようにと一生懸命歩けばしかし、
努力も虚しくまた新たに立法を破ってしまう。
罪を犯してしまう。生きながらにして死んだようなものがある。
そのパウロがステパノの一見から彼は同じ輝きをそこで持って経験する。
24:01
それがこの一行伝の発祥、休祥でしょうか。
そのあたりに入ってまいりますと、白外車サウロがダマスコに向かう時のその光景がそこにあるわけですね。
向かおうとしていたその矢先に一生の光が自分を照らし、彼は非力を失いそこに打ちのめされてしまった。
ステパノに見たこの輝き。
そしてまたダマスコに向かう白外車サウロがそこで受けたそのキリストの輝き。
お前は教会を白外しようと向かうだろうが、私は白外するんだということをパウロはそこで持って来た。
打ちのめされてしまった。
打ちのめされてしまった。
しかしパウロは非力を失いましたけれども失う直前に見たジエスキリストの復活の輝きというものは、彼はここで持っているわけです。
彼はその時の経験をこの経験に基づいて、同じようにこの22章の6節、それから28章の18節、ここで彼は自分のこの時の経験を明かししているわけです。
私はその栄光の輝きの目撃者。
パウロはそこで聞いた。
宿からの御名、彼は全く方向は、それこそ180度。
もう忘れているんですけれども、新学校に入って1、2年は伝道館で報酬があるわけですよね。
勢いよくね、私は360度変えられたんですって言ったら、後で元に戻ったら違うなって言われたことがありますけどね。
ちょっと数字的に弱かった人間がね。
180度に360度、元に戻っちゃダメなんだって、先輩に言われたことを今は忘れられないんですけども。
しかし、本当に180度の変化がパウロのうちに起きたわけです。
そしてそれは、ステパノを通してのあの輝きは、イエス様は自分にも向けられて、
27:02
そしてそこから、彼はサウルという名を誇実いただいて、
町外にかやじゅんきをするまで、このイエス様のお与えくださったこのお飯をかやまっとしていくわけです。
パウロは、そういう大きな大きな経験をしております。
その経験を通して、私は改めて思うことは、確かにパウロの特殊な経験と言ったらいいと思うんですけども、
振り返ってみて、自分もそういう噂があったなと思うのは、
いやこれは、私は、小島伊介先生にお尋ねしたんです。
で、それは、先生、私はクリスチャンになったって言ってね、
これって証がないんですって言ったんです。
えーと言いながら、それでも小島先生に、
いや私もね、母親がクリスチャンで、そういうクリスチャン家庭に育ってきたもんだから、
イエス様信じたからとして、僕はどう変わったっていう、実は私もあまりないよってね、
なんか同情するように私にそういうことをおっしゃって。
みんなね、私は三人の母親に愛されて、どの子のと聞かせますよ、聞いてて。
で、三人の母親にどういうことなんだろうかなと聞いたら、
まあそれは家庭的には非常に不幸な経験をおかれはりして、
そういう中から、他にも何人かですね、二代が劇的なそういう経験をなさっている、
もうそういうものを聞いたりするもんですからね。
私もやっぱりそういう経験がないぞって。
それで小島先生に言ったことは、先生、電灯館の地下にスクワーっていうのがありますよね。
若いからあれどこで遊んで、それでそこからスクワレたらどうなるんでしょうよって。
馬鹿なこと言うなって、もう一瞬に腐れてしまいましたけれども、
何もそういう劇的な経験があるなしじゃなくて、大切なことは、
どういう経験よりも、自分が本当にイエス様を愛してね、
イエス様に従っていくんだっていう、それが一番なんだ、私もそれぞれ。
そして仕上がっていく中でも、神様はいろんなお取りやすさをなさって、
たくさんの恵みを与えなさい、それは発揮していったらいいんだ。
何かことがあったら、いつも小島先生を訪ねていって、
そしてあれやこれはお尋ねしたりする中で、忘れられない、そういう一つなんですけど。
パウロは決してこういう経験をしたからといって、
30:03
いつもその経験を伝えているのかっていうのはそうじゃないんですよ。
経験があまり経験ですよね。
そっちの方に人の気持ちも行ってしまう。
自分も何かそういう風に行ってしまって。
そこで肝心のイエス様のことが伝えられない。
これが証ということを持つね、一つの危険性と言いましょうか。
ですから、どういう経験もさることながら、
本当に自分が今イエス様を信じているんだっていう、
それを単純に、それをお伝えしていく。
それが伝道であり、証。
いつだったか皆さんにもお話ししたことがあると思うんですね。
それは大阪で教会政庁のそういう講演会があって、私も行ったんですね。
そこにアメリカのフランシン学校の方から、
教会政庁の一つの権威を持っていらっしゃる、その講師がおいでになってね。
開講一問をおっしゃったのはもう忘れられないんですが、
皆さんここに100人くらいいらっしゃるんですけど、
どういうきっかけで教会に行くようになったのか質問します。
教会でコンサートがあるから教会に行った人何人かおりますか?
パラパラとおりまして。
キリスト教関係の映画を見て、それがきっかけになって教会に行った人おりますか?
また何人かおりまして。
また何人かおりまして。
そんな絶えもないやりとりが。
そして最後にもう一つお聞きします。
あなたの言えそうなことを信じるために、
誰かがあなたにこの道を教えてくれたんですか?
家族ですか?
友達ですか?
同僚ですか?
いくつか挙げておりましてね。
それでそういう経験のありなさる教会に行くきっかけは、
誰かによって教会に行くようになったという方。
手を挙げてくださいと言ったら、ほとんどの人が手を挙げました。
私は改めてね、確かに善良することは大切ですよ。
けれども自分の存在という事柄を通して、
誰かが教会に行くようになった。
あるいは家族を信じるきっかけがそこに持っている。
本当に自分がやっている役割というのは小さいんですけれども、
それでその人がね、
あるいは全然自分はそういうつもりじゃない、
知り合いでもなんでもない、
けれどもその証を聞いた人がやがて教会に行くようになった。
33:02
一人の人が妹がね、
聖書通信講座、
自分の名前で出すとややこしい話。
そのお姉さんの名前でもって出した。
それが何も知らないお姉さんの所へ届いたんです。
このお姉さんがね、なんでこんなに教会に来たんだろうかと。
それがきっかけで教会に来たんですよ。
あの西武教会の伝道師として奉仕なさった奥沢先生という方が目を覚えました。
彼は彼でね、
ダブルエース教の働きのそういう高文部を持ってたらずと早くなって、
そこでもらった一人がですね、
すげぇ落としたんで、
あ、じゃあ、僕に頂戴を言ってみたら、
なんかこう、高校生の集まりがあるんだ、
という、それを知ってね、
そして、まだに忘れられませんけど、
汚い、下手な血のね、はがきがしたんですよ。
教会に行ったことないんだけども、
教会に行ってもそこへ行って、
教会に行ってもそこへ行ってもいいだろうか、というね。
だからすぐ私は折り返し返事して、
ぜひ、教会じゃないけどね、
また良い教会紹介するから来たらいいよ、
と言ってお誘いのそう言われた。
友達からもらった一枚のパンフレット。
そのもらった人は何も、
それでもって自分が行くわけじゃない。
捨てようと思ってたら、
何のことない。
その一枚が、
一枚が彼が選挙した時に、
彼の心が散らかり、
そして教会に行くようになった、
という、そういうことですよね。
だから、どこでどういうことがあるのか分からない。
ただ、自分の信仰がね、
いつもイエス様の方に向いてたらいいんじゃないか。
80年ビルグラム大会というのが、
大阪の二世九条というところであった時にですね、
ビルグラム先生は毎回おっしゃってた。
まずクリスチャンの皆さん方が、
教会に休まずに行きましょう。
それを見る周りの人が、
驚きを持って、
やがてその人たちも教会に行くようになるでしょう。
明日はここでまた、
苦戦があります。
そういう友達を連れて、
ここに来てください。
毎回ビルグラム先生が、
そういう風な説明をしたことを思い出します。
教会に行くその姿でもってね、
人は、なんでこんな暑いのに、
こんな忙しいのに、
もっと他に楽しいことがあるのに、
教会、教会。
しかしそれがね、
その人自身を、
やがて捉えていくんですね。
だから、証って言って、
言葉でもって証っていくことも大切です。
けど自分の生きる姿勢が、
そのまま人々を捉えていく。
そう。
だから、
九州教の歴史の中には、
そういうページがありますよ。
どうぞ、
36:00
そのことを私たち覚えていきたい。
そして、
さらに最後に申し上げたいことは、
パウルはこの四章の、
先ほど読んでいただいた、
この歌詞を読みます。
はい、
四章の、
七節というところに、
私たちはこの宝を、
土の土の中に入れています。
それはこの明かりきれない神の力が、
力が、
神のものである、
私たちから得たものでないことが、
明らかになるためです。
土の器、
彼は、
そういう表現でもって、
あの素晴らしいパウルは、
自分自身をどう見つめたか、
弱さも何もかも、
自分の内は、
もちろん、
自分自身が、
何もかも、
自分の内は、
もうちょっとしたことで、
結末についてしまうような、
決断を鈍らしてしまうような、
そういうもの。
私は、
パウルの手紙を読んで、
パウルほど正直に自分を見つめ、
自分の弱さというものを、
正直に告白している人は、
いないんじゃなかろうか、
と思うぐらい、
彼は徹底した、
自分に対するところ、
自分の弱さという事柄を、
正直にそれを、
そこに告白している。
ですから、
この古仁と大仁の手紙の
十二章を読んでいきますと、
有名なパウル自身の証が、
そこに載っています。
最後にそれを読んで終わりたいと思います。
十二章の、
九節ですね。
その前に、
パウルは、
この輝きの目撃者としての、
そういうものを持っていました。
この七節、
その啓示の素晴らしさのため、
傲慢にならないように、
私は肉体に一つの
止めを与えられました。
それは、
私が傲慢にならないように、
私を掴めの、
サタンの使いです。
ここでサタンを利用されている
一つの方がありましたね。
そして彼は、
その中で、
サタンの使いについて、
私からさせてくださるようにと、
39:00
私は三部首に
願いました。
しかし、
私の恵みは、
あなたに十分である。
私の力は、
弱さのうちに、
完全に現れる
からである。
有名な七節家の皆様、
よくご存知のお言葉です。
何でこの弱さが、
それが私にはあるんだろうか、
と悩んだ
カオルでしょう。
三度祈ったと書いてありますけどね。
三度祈って、
もう四回目はもう祈らなかった
というわけではない。
いつも何度かこの尊みが覗かれたならば、
終了私は、
もっと死ぬために、
あなたのために働きたいですよ、
と言って迫ったでしょう。
それに対しての答えは何もなかったわけです。
全く違う答えが返ってきた。
もう、
あなたに対する恵み、
何もなかったわけではない。
そういうことでしょう。
私の恵みは、
十分である。
だから、
私の力を、
弱さのうちに、
完全に現れる、
このことのために、
カオルはその弱さを、
今度は誇りとした。
彼はこの光を、
テレビの教会にも書いている、
一文の中にそれを書いていますよね。
私は弱いけれど、
何でもできる、
何とまた大胆な、
ただし、
イエス・キリストにあっての、
その時私は、
何でもできるように変えられた、
だから弱さは、
弱さに終わらずに、
弱さは恵みを持って、
力に変えられているんだな、
というカオルの赤白のところに、
カオルの強さが、
そこにある。
弱さこそ、
強さだったんですね。
お祈りいたします。
41:10

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