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今日は、十字架の福音と復活の福音という題で メッセージを分かっちゃいたいと思います。
改めて皆さんイースターおめでとうございます。 その間放送で出会いを捧げましたけど、本当に寂しかったです。
でもこのように集まって出会いを捧げることができて、本当に嬉しく思います。 十字架の福音、復活の福音、これは何でしょう。
イエス・キリスト教の一番大事な出来事は 十字架と復活です。
十字架は大事ですけど、十字架だけではできません。 復活が必要です。
なぜなら皆さん、私たちの罪のあがなうために 十字架を背負ったと言うんですけど、
そのあがないが本当に行われたのかどうか、どうして分かりますか。 これは復活で証明できます。
イエス様が十字架で、死の地からサタンを滅ぼしたと言うんですけど、 本当にサタンを滅ぼしたのかどうか、どうして分かりますか。
それを復活で分かります。 復活がなければキリスト教のすべては成り立たないんです。
復活が大事なんです。 もともと聖書に
安息日を聖別し守りなさいと言われました。 ところが皆さん、安息日はいつですか。
安息日は土曜日なんです。 土曜日なのになぜ私たちプロテスタントだけは日曜日の朝
礼拝を捧げますか。 これはイエスキリストが日曜日の朝復活なさったからです。
復活を記念するために私たちは復活の日の朝礼拝を捧げます。 それほど復活が大事なんです。
このように大事なイエスキリストの復活に対して私たちはイエスキリストの礼拝をしながらお祝いしながらパーティーを開きながら
簡単にそれを済ませてきたような反省論があります。 ですから私たちは今度4月は復活がなぜ大事なのか
それに対して私たちが何回も分けて申し上げることによって 深い理解を求めていきたいと思います。
復活章ということが聖書の中でどこですか。 これは第一コリッドの中古章です。
第一コリッドの中古章を今度何回に分けて皆さんと一緒に分かち合って復活の大事さを自分のものにしたい
と思います。ではまず1番です。 まず使徒パウルが
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なぜ五輪島教会にイエスキリストの復活を述べ伝えなければいけなかったのか そのことからまず考えていきましょう
五輪島教会の開拓記事記録は 使徒行伝18章の初めの部分に書かれてあります。
五輪島地域にパウルがいた時 神様がパウルにこう言われました。使徒行伝18章9節から11節です。
ある世の事 主は幻の中でパウルにこう言われた
恐れるな 語り続けよ
黙っているな 私はあなたと共にいる
だからあなたを襲って危害を加えるものはない この町には私の民が大勢いるからだ
ですからパウルは五輪島で1年6ヶ月間留まって 人々に神様の御言葉を述べ伝えた
それによってできた教会が五輪島教会なんです 神様が初めは私があなたと共にいる
あなたに危害を加える人がいない 語り続けよ
パウルは神様の五輪寺院の中で力強くメッセージを語りました それによって大勢の方々が信仰に入りましたので
その時の信仰は熱かったんです 素晴らしかったんです
しかしパウルが五輪島を離れて他の地域に殿堂に行ったところで 五輪島教会の信仰がだんだん変わってしまったんです
2節を見ますと あなた方が信じたこのこと時代が無駄になってはいけないからと言うんです
どんな意味ですか 五輪島教会の信徒たちの信仰が無駄になっているということです
皆さん私たちの信仰も無駄になることもありますよ 無駄になるということは信仰ということは名ばかりで
その信仰が自分の生活に全く影響を及ぼさない状態 それを信仰が無駄だという言葉を聖書は使っています
彼らたちの信仰が無駄になったこの結果はどうなったんですか 五輪島教会には様々な問題がありました
私はアボロ派 私はパウル派 私はケパノ派 ペトロ派と言いながら教会が分裂していました
教会が分裂している状態を見たら 信仰が無駄になっていることだと考えていいでしょう
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また 信徒同士の間で乱れのことがありました 因果の問題
また信徒同士にトラブルがあって それを教会の中で解決するリーダーがいなかったので
世の中の裁判所に訴えることもありました 恥ずかしいとパウルが言ったんですね
また 空城に備えたものを食べていいか悪いか 教理論争もありました
女性たちが礼拝に捧げるとき何か頭に被すべきかないか 女性の服装に対しても議論がありました
また 結婚と家庭の中で様々な問題があって そのことも解決しなければいけなかった
また 精霊の賜物を豊かに与えられたんですけど それによって教会がもともと分裂になっている
賜物乱用によって問題がありました それから見ますと 個人と教会は 教会はあるんですけど
教会の役目は全く役割をすることができない状態になっていました
そのような問題をパウルは自分が開拓したこの教会ですから 自分が生んだ子供のようなものですから解決したい
だから書かれた第一コリント13章は何ですか 愛の章なんです
愛をもってお互いに愛し合いなさいと書かれたのは 愛の章13章ですけど それにも足りなかったんです
だったらどうすればいいのか それで書かれた聖書が第一コリント15章の復活に対してなんです
この世の中の人々は100年しか生けない この世の中が全てだから だから世の中のことによって争ったり戦ったりする
しかし私たちの信徒たちは復活して永遠に生きる存在だから この世の中にあんまりこだわらないで
永遠なことを見ながら今の問題を乗り越えなさいということで パウルは復活のことを信仰を強調しました
そのために今日もう一度私があなたたちに福音を知らせますと言いながら 述べ伝えたことが今日のメッセージの内容ですけど
じゃあこの福音 もう一度あなたたちに述べ伝えますと言いながら伝えた この福音は何ですか
これがイエスキリストの十字架の福音と イエスキリストの復活の福音なのです
今日私たちもこのメッセージを通して十字架の福音をしっかり覚えましょう また復活の福音の大事さもしっかり覚えましょう
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では十字架の福音とは何でしょうか みなさんこれは伝道のためにもぜひ覚えていただきたい
十字架の福音を考えるときに皆さん 世の中のこの人間の根本的な問題は何ですか
経済ですか お金がないから人間は問題ですか まだ政治ですか 今韓国大変ですけどね
まだコロナのような環境の問題ですか いいえ
聖書が言っているのは罪の問題だ 命の源である神様から離れて
神様との間でトラブルがあってその関係の中で問題があるから 神様から何にも頂くことができない状態だから私たちにすべての問題が来たと言う
人間は神様に創世紀3章から不従順しました反発しました 世の中の人々は神様と言って嫌がります
神様がいない世界の中で 自分勝手に過ごしたい
このような考えを持って世の中の人々は自分勝手に過ごしながら 秩序を破りお互いの関係を破り倫理道徳を破り様々な罪を犯しています
皆さん 罪によって人間はどうなりました
罪を犯す人は心の平和がなくなります 罪意識があります不安があります思い患いによって悩みます
罪は霊的なうんちです うんち
だから臭い匂いが出ます さまざまな病気がきます
そこで働きます だから呪いがあるんです
人々は汚くなり 人格が破壊されて
無慈悲になり暴力を振る舞い腐敗されてしまいます だからその心を持ってお互いにぶつかりながら
葛藤しながら戦いながら一生涯そのように暮らします 結局どうなりますかローマ書6章23節
罪の支払う報酬は死です 結局罪によって死にます
しかし死で終わりでではなく その次は裁きがあります
裁きによって永遠な刑罰である地獄に陥ってしまうんです 結局人間の罪によって神様から離れて
神様の命と恵みを全く受けられなくなって 苦しめながら死んで地獄に行ってしまう
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これが罪の怖さなんです 皆さんこの罪の問題をどうすれば解決できますか
どうすればできますか 世の人々は罪を本当に軽んじるんです
優しく罪を犯します しかし罪を支払う報酬は死です
苦しみと呪いと死と地獄なんですけど 世の中で何をよってこの罪の問題を解決することができますか
その深刻さを知らないからまた罪を犯しまた罪を犯すんです だからますますこの怖さ
この深刻な中で苦しんでいる私たちではないでしょうか ところが聖書はこう言われます
ヘムライ書9章22世 こうしてほとんどすべてのものが立法に従って地で清められており
地の流すことがなしには罪の許しがありません みなさん地を流すということは人が死ぬということです
私の罪によって私が死ぬならどうなりますか 私が死ぬならすべてが意味がなくなるでしょう
だから死んではいけません 罪の解決ができなくみんな苦しんで苦しんで死んでまた地獄に行く
この状態ですけど人間は解決することができないから 神様が私たちは憐れんでくださって私たちを救うために
イエスキリストを送ってくださったんです 聖書はイエスキリストが来られたことは神の世の中の罪を背負っていく神の小羊だと言いました
旧約聖書ではイスラル民が自分の罪を許してもらって神様に出会うために羊を連れて行って 羊を殺してこの地を巻きながら神様に
礼拝として出たんです そしてこの地を巻きながら自分の罪を許してもらって神様に出会うことができたように
イエスキリストが十字架で地を流して死んでくださったこのことによって 私たちは神様との出会いができた
神様が地を流してくださった人間になって地を流してくださった このイエス様の地上には全人類の罪を贖う
強力な力があるんです
ところが私たちはどうしてこの強力な十字架の地上の影響 その暴力を私たちに受けて罪を許してもらいますか
まずイエスキリストを信じること 自分の罪を認めること
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悔い改めることで地の流しがなければ罪の許しがないという この立法が成し遂げられながら
私たちの罪が許されるんです
皆さん罪を許してもらった経験があるんですか 天国は非常に近くいるんですけど
罪によって天国を味わうことができない 罪の問題が解決できたら天国を皆さん味わうことができるんです
私も この経験がありました
悔い改めを通して心が開かれて あなたの罪をあなたの罪が許されたというこの見事へと共に
心に喜びと平和が与えられて 目から涙がボロボロボロとして3日間泣き続けました
その時私はこれが天国の喜びかなぁと私は思いました
皆さんこのようなこの経験があるんですか このような経験がなければ信仰の本当の味がわからない状態です
罪を許して救われる道はイエスキリストの父王によって清くなることをこのしかないんです
ですから聖書は1行で4章中2節他の誰によっても罪を救いは得られません
私たちを救われるべき名は天下のこの名イエスキリスト以外は 人間には与えられていませんと言います
問題は毎日悔い改めるなさる方は その方は小さな罪小さな過ちにもすぐ心が打たれるんです
すぐ苦しくなります だから死ぬ前にひざまずいて私の罪を許しくださいって言って神様との和解が成し遂げられ
神様が与えられる平和と喜びと祝福の中に生きることができるんです しかし皆さん
第一手もて4章2節には 両親に薬金を押されたような人がいるということです
心に薬金を押されている状態だから無感覚です 罪を犯しても過ちを犯しても何も感じることができないから
このような人たちには十字架の福音が意味がなくなると思います もし私たちの周りにこのような人が見えるようになったら皆さんどうしたらいいんでしょう
その魂を憐れんで思って 主よその人を救ってくださいとぜひ取りなし祈りをしていただければと思います
そうするなら神様から憐れみを受けてその人が悔い改めるチャンスが与えられるかもしれません ぜひともお願いします
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また私たちはいつも罪に敏感になって 罪と過ちをいつも悔い改めることによって
十字架の恵みで生きる私たちになりますように 皆さんこれが十字架の福音ということです
2番目 復活の福音とは何ですか
イエス・キリストが人類を支配している罪・死・サタン 罪と死とサタンの勢力を滅ぼすために十字架を背負ってくださいました
ヘブナイション4章2章14節には 死を司る者つまり悪魔をご自分の死によって滅ぼしたと言います
しかし皆さん 死の力であるこのサタンを滅ぼしたこと
サタンに勝ったということをどのように証明ができますか 復活で証明することができる
皆さん 死の力は罪を犯した人に働きます 罪を犯した人には死の力 サタンの力が働くんですよ
イエス様が罪がないと言って 罪がないということをどのように証明することができますか
その証明は簡単です 罪の中にいるんじゃなくて罪から蘇れればいいんです
復活がその証拠なんです したがって人類を救う十字架の復印を証明するために大事なのは復活なんです
悪魔と死亡がどうすることもできない命の働き 復活です
他の宗教がキリスト教を真似しようといろいろ頑張るんですけど 真似できない一つがあります それは何でしょう
命なんです 命は真似ができません 儀式形式は真似することができるんだけど
命の力はその人を生かさなきゃいけないから 生かすことができなければそれはもう偽りでしょ
だから偽りじゃなく命があるよということを見せてくださることは復活なんです
このような復活信仰を持っている人は恐れがありません 世の中で一番怖いのは何でしょう
これは恐れなんです 恐れ 臆病の霊に取り憑かれている人なんです
臆病の霊に取り憑かれたら皆さんが持っている才能 皆さんが持っている素晴らしいことを少しでも発揮することはできません
怯えて何にもできなくなります 聖書で一番強調しているのは恐れるなこと
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なぜでしょう 牧師録の21章8節には地獄に行く優先順位ナンバーワン 誰ですか
恐れる人です 臆病の人です なぜ臆病の人が地獄に行くのか
悪魔は臆病の霊なので 臆病の霊に捕らわれている人だからです
ですから第1弱音4章18節には恐れには罰が伴うんだということです しかしどんな人が恐れを勝ち抜くことができますか
神の霊が来て復活の信仰が与えられた人は恐れがありません
第2手元1章7節には神は臆病の霊ではなく 力と愛と死霊分別の霊を私たちに与えてくださった
聖霊様は力と愛と死霊分別の霊なんです ですから聖霊様は私たちに死んでも生きる
生きている者は決して死ぬことはない 復活の力を与えてくださるんです
このような信仰が来ている人々は 死ということを怖がることはありません
死んだら天国なんですけど むしろ喜びでしょう
早く天国へ行きたくありませんか そうです
死を恐れる人は自分の霊がなんとなく地獄に行くんだ ということを感じることではないでしょうか
特に子どもたちのため家族のために心配して不安になって いろいろ工夫する方たちに主はこう言われます
第1ペトロ5章7節 思い患いは何もかも神にお任せしなさい
神はあなた方のことを心にかけてくださるからです 心配は全て任せなさい
神様があなたたちをケアしてくださるんじゃないかと言います 私たちが心配するなら神様が働くことはできません
私たちが主に任せて祈るなら神様が働いてくださるんです そうするなら復活の力を持っておられる神様が豊かに働いて
私たちが悩んで不安になって心配していることより 遥かに良い状態を作ってくださいます
皆さん復活の力は死んでも生きるということです 失敗しても構いません失敗を通してもっと遥かに良い成功を作ってくださるからです
このような復活の信仰があれば私たちが大胆になります ですからキリストの復活を見て信じて私も復活するんだということを確信した人は
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世の中で恐れることは全くないんです 死ぬことも恐れがありません失敗することも恐れありません病気でも恐れありません
主が病気を通してもっと良いことを与えてくださり 私たちの失敗を通してもっと輝かしい勝利を与えてくださることは信じられるからです
これが復活の信仰なんです 第1コリド中小古書3節にはパウロが今日こう言いました
イエス様の復活と十字架と復活は聖書に書いてある通り また聖書に書いてある通り十字架と復活が行われたと言います
この意味は十字架と復活は突発的にいきなりできたことではありません 聖書の初めから約束して聖書全体を通してそのことを詳しく私たち教えてくださって
最後にイエスキリストを通してそれを成し遂げてくださったことです これは確かでありこれは信頼してもいいよということです
十字架によって私たちの罪呪いサタンの力が滅ぼされ 復活によって死んでも生きる失敗しても生きる
病気になってももっと良くなるという神様のすべての力が十字架と復活を通して初めから今まで述べ伝えられており
イエスキリストによってこれは確かめに実現できたんです 3番目ではこんなに大事な復活も
復活が本当なのかどうしてわかるという疑う人がいます ですからパウロが続けて話をします
復活が確かだということは復活の証人がいる また復活の証人彼らたちの変わった生活と死役の態度を見ろと言います
そうしながら復活の証人たちの名前をずっと挙げてくださるんですけど誰ですか じゃあはじめに5節にケファーペテロです
ペテロは自分の命のために過去イエス様を3度も否定した卑怯な人でした しかし復活したイエス様に出会って精霊に満たされて
怯えた卑怯な人がイエルサレムの街に出てイエスキリストに対して大胆に述べされることができました
彼が恐れることはありませんでした また12弟子たちに現れ500人の人たちに現れ
また疑い深いトマスに現れました 復活なさったイエス様に出会った人たちはほとんど復活を述べせないながら
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殉教しました なぜ死んでも永遠な天国を会えるよう恐れがなかったんです
またイエス様の弟ヤコブ イエス様が生きている時には信じませんでした
イエス様にいつも皮肉ばっかりやりました しかしイエス様復活なさってイエス様に出会ってからは完全に変わって
初代業界の指導者としての働きをされました またパオロです一番ドラマティックに変わった人です
復活なさったイエス様に出会って目から鱗が落ちた後は迫害した彼が イエス様を一番熱心に述べ伝える最高の人になって立派に殉教しました
みんななぜこのようにしたんでしょう イエス復活の栄光と希望と革新によって大胆に証人として立派に過ごしたんです
皆さん証人は見た人です 経験した人です 彼らたちはこの驚くほどの事実を全世界の人々がぜひ知って信じて救われることを願って
命を捧げながら福音を述べ伝えることができたんです 結論を申し上げます
復活を信じない人と信じる人は生き方が違います 復活を信じない人はこの人たちの希望はこの世だけなんです
この世だけ この世の中で不安になって怯えながら苦しみながらそして死んで地獄に行きます
彼らたちは多分このことを知っているんじゃないかと思うほど 死にたくない死にたくないと言います
そしてこの世の中で何かを集めておいてそれをもって安心感を得ようと頑張ります しかし死なない人は誰もいません
いくらたくさん集めてもそれを一つも持ってどこか行くこともできないんです しかし復活を信じる人は
100年この世より天国にもっと関心があります そして首都福音のために熱心に頑張ります
その人たちの口から出る言葉いつも早く天国に行きたい 言葉を変えれば早く死にたいと言います
なぜでしょう 永遠な天国で驚くほどの祝福の望みがあるからです
最後に皆さん 私たちがどうすればこのような復活を知ることができ
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確信することができるのでしょう これは十字架と関係があります
私たちがどれほど徹底的に自分の罪を悔い改め イエスキリスト十字架を崇めて生きるのか
神様が見えない 天国が見えない 神の栄光が照らされない これは全て罪の問題ですから
罪を徹底的に悔い改める十字架の生活をする人は 復活も見えてくるし神の栄光も見えてくるし天国も見えてくるし
永遠に生きる確信があるから力強く過ごすことができるんです そのような人たちに
精霊様が働いて復活の栄光を知らせてくださり その確信によって過ごすことができるようにしてくださるんです
十字架と復活の信仰 その信仰によって死を恐れなく首都福井のために立派に過ごしながら
永遠な天国 驚くほどの栄光の祝福を味わう私たちになりましょう
来週続けてこの復活の話を皆さんと一緒に分かち合いたいと思います 改めてハッピーイースター おめでとうございます
お祈り出します 神様私たちのような罪人を生かすために
イエスキリストをこの世に送ってくださり 十字架の苦しみを受けられ死んでくださり復活をなさって
この天国の希望と また驚くほどの祝福の希望を与えてくださったイエス様感謝します
この素晴らしい十字架の復印 復活の復印を日本の全国民が知って全てが救われ天国に行かれるようにしてください
まず私たちの教会の上に主の豊かな復活の栄光を豊かに与えてくださって 私たちが力を受けてその力によって主を崇め褒め讃える
毎日毎日になりますように主を力を与えてください イエス様の皆を通してお祈り致します
アーメンアーメン