渋沢栄一の肖像の影響
飛鳥山の窓からTOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山
暖炉のある小篠光洋さんの部屋には
未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。
さあ、今夜はどんな話が飛び出すのでしょうか。
さて、続いてのゲストをお迎えしております。
渋沢市の生誕祭といえばこの方を欠かすことはできないという方でございまして
渋沢史料館顧問の井上潤さんをお迎えしております。
ようこそいらっしゃいました。
二度目の登場ということで大変光栄に存じてます。井上です。よろしくお願いいたします。
そしてこの7月3日以降の1年間も
井上さんにとっては非常に忙しい1年だったと思います。
どうでしたこの1年。
5年前から本当にいろいろ声をかけていただいて
またそれをちゃんと受け止めて
世にお答えしていくということで
放送してきた中にあって
この1年ちょっと落ち着いたようなところがあるかもしれません。
ただやっぱり皆さん次に向かって
これをどう生かしていこうかっていう考えがやっぱり必死と伝わってくる。
改めて渋沢栄一が思っていたことを成し遂げてきたことを
それをお伝えすることによって
じゃあ次こういうようなことでっていうのは
ちょっとご提案を見えたようなことで
あちこち放送してきてるかなっていうようなところがありますよね。
やっぱり1万円札の肖像になったっていうのはものすごく大きくて。
大きいですよね。
だって全国つつ裏裏に
見られる時と見られない時あるかもしれないけど
行き渡ってるわけで。
だから私も子供たちにどこ行って喋る時に
渋沢栄一を知ってる人って言って
これねやっぱり5年前っていうのはね
本当に何人かだった。
これもう間違いなく全員が今手挙げてくれるっていうね。
地域振興とコミュニケーション
よく渋沢栄一について
簡単に言えばどういう人ですか?
一言で言えばどういう人ですか?ってよく聞かれるのに
一言で語れる人じゃなかったんで
いやお札の肖像の人でしょっていう風に
これで伝わるようになったってことは
一番大きなあれだったですよね。
福沢諭吉が肖像になってから
何年ぐらい経ってからでしょうね。
こうやっぱり諭吉がとか。
その前の世代だと聖徳太子がとかってね
言われましたけど
何年かしたらやっぱり渋沢さんがあってね
言われる風になっていくのかもしれないですよね。
もうファーストネームで栄一くんが
まさに栄一くんがなんていう風に言われるようになるかもしれないですね。
そうですね。
そういう状況の中で実際に
結構地方でも公演されてて
先週ぐらいでも浜松行かれたり
四日市行かれたり
実は昨日四日市でイベントがあったんです。
地元の伊東電子地が没後100年
伊東電子地って何した人ですか。
三重宝石って今の東洋房の前身を立ち上げた人。
それを強くバックアップして
導いたのが渋沢栄一で
渋沢栄一との関係
それから元々の村役場がリニューアルされて
今は資料館になったんですよ。
それのリニューアル1周年の記念の式典が
昨日行われましてね。
ただ単にやっぱりその渋沢栄一を伝えるだけじゃなくてですね
地元の四日市の市長と
それから何といっても
最近は有名になってしまいました深谷の市長がですね
政策についていろいろ話し合う。
小島市長そんなとこまで言ってんの。
言ってます。
すごいね。
でも最初どうなるかなっていうに
ちょっと危ういような思いもあったんですけども
すごくしっかりした皆さんお考えを
渋沢栄一の考えになぞらえて
いろいろお話しされるっていうのが
一般の市民多くの方がご参加いただいてましたけどね
本当にうまく浸透させてるなっていう気がしましたよね。
伊藤伝志地そして三重宝石っていう
地域で言えば結構知られてる
偉人の方であり業績であるんですけども
結構日本全国渋沢栄一さんが
それぞれに特に産業関連
ものすごく関わられてる数がありますよね。
実は1年前
日本経済新聞社の日経グローカルっていう雑誌があって
これは地域総勢だとか
地域振興をテーマにした雑誌なんですけど
そこでやっぱり渋沢栄一が全国にどういう足跡を
地域振興のために残したかっていうので
連載をしてたことがあって
実は四日市前へ行く前の日にも
また改めて取材を受けて
原供ということでお話しさせていただいたんですけども
やっぱりその土地土地に根差している要素を
しっかりつかみ取って
ここはこれでいこうっていうのを
ちゃんとわきまえた上で
その地域振興策を渋沢栄一なりに
こう投げかけて
そのために自分が必ず足を運んで
作り上げなきゃいけないっていうんじゃなくて
地元でそれなりの人を見出して
そのキーパーソンをちゃんと育てていく
新しい展開とイベント
そういうところで
何かあった時には自分が出向きますよ
そういうネットワークを
本当に全国各地に張り巡らしていた
だからこそ各省各所に
渋沢栄一の実績がやっぱり
今になっても受け継がれているし
それが地元の
先ほどの四日市にしてもそうですし
語り継がれている
それは単に実績だけじゃなくて
その精神がやっぱり今
この1万円札のニュース以降
呼び戻されるって言いますか
温めて噛み締めている地元の人たちっていうのは
私も各地足を運ばせていただいて
感じるところですよね
実は今井上さんがおっしゃったことっていうのを
我々が旅しても味わえる
それはなぜかっていうと
井上さんのこれは本当にライフワークとして
大業績なんだけども
渋沢栄一さんの電気資料等を整理整頓して
つまりどこどこの場所に
渋沢栄一さんが行っているかどうかっていうのを
全部調べられるようになって
どういう資料でしたっけ
渋沢栄一電気資料という資料集を
全部デジタル化して
どこどこっていうワード検索をすれば
そこへの関係した資料が
すっと一瞬にして導き出せるという
例えば熊本に旅行します
熊本 渋沢栄一って入れると
電気資料のところに飛んで
さらに明治何年に来ているとか
そういうのがちゃんと出てきて
どこを訪ねてとかね
我々渋沢栄一さんという人を
北区で地元で非常に身近に感じて
どこか行ったときにまたっていうと
そうすると今度そこで触れ合っている地域の
旅人たちもまた身近に感じられるっていうね
楽しいですよ
楽しんでもらえていると思っています
結構いますよね
やっぱり夏休みだとか
長い休みになったときに
小学生から電話をもらうことがあるんですよ
私の本も読んだっていうことで
私はやっぱり渋沢栄一さんのことを
もっと知ってみたいんで
お話聞かせてくださいって状況するんで
その時にお会いしてくださいっていうような
嬉しいお電話をいただいたりして
それはもう断ることは絶対しないで
必ずお会いして
どんな視点で渋沢栄一を見ているのか
こちらもいい
キャッチできるっていうところでは
対話をそこで熱心にさせていただいているんですよね
意外なところ
お札で初めて知ったっていうこと
でも興味関心のあるところっていうのは
こんなところにも
地元の人もそれほど知らなかったようなことにまで目を向けて
私はここの部分に目を向けて
地元がもっと元気になればいいなと思うんです
っていう小学生から聞かされると
渋沢栄一のお札効果っていうのは
こんなところにもうまく反映されてるんだな
というのを実感しますよね
本当に帰宅内の小学校中学生とお話しててもね
前にもこの番組でお話ししましたけども
私がちょっと声を出して
後からずっと小学生が訪ねてきて
何を聞くのかなと思って身構えてたら
渋沢栄一に僕なりたいんですけど
どうしたらいいんでしょうかって聞かれてね
もう本当に
頑張ってねっていう感じだったんだけども
でもやっぱりそういう子たちが育ってね
また次の日本作っていくっていうね
そういういい循環になっていただきたいなというふうに思いますね
さてですね
今回先ほど山田区長ともいろいろ話したんですけども
2019年以来のいろんなイベントを通じて
それが波及して
民間でもいろんな動きが出てるんですが
今ですね渋沢栄一を検証する
能ですね
能狂言の能ですね
これを作ってるっていう動きがある
これ題名は声援
声援文庫の声援なんですけれども
これについてちょっと井上さんお話いただけますか
実は越野さんも一緒に関わってらっしゃるんですけども
この北区で飛鳥山公園で
秋に滝技能やってるじゃないですか
実行委員をされている方から
渋沢栄一をテーマにした能の創作
もう2年前かな
このお札のニュースになって
渋沢栄一をやはり題材とした
能っていうのはその時々において
そのニュースに応じての新作能っていうのがよく作られていると
これを機にやっぱり渋沢栄一をテーマにした能をちょっと作ってみたいので
いろいろ知識というか
渋沢栄一についてのことについて
教えてもらいたいっていうところで声をかけていただいたのと
それを実行に向けて協力をお願いたいということで
じゃあ実現するのかなというふうには思ってましたけども
ようやく形になってきて
狙い目も結構渋沢栄一の若い頃
これから世の中に出て近代の日本を作り上げていく
その前段階のところにちょっとスポットを当てながら
そこに実は渋沢栄一のいわゆる論語とソロ版の精神だとか
その後にいろいろ社会にいろいろ貢献した
実績につながる思いが
孔子の霊が降りてくるというような創作の中で
いろいろ影響を受けた渋沢栄一がそれを作り上げていったというのを
うまく形になっている
本当にコンパクトにまとめられた
いいお話かなというふうには思ってますけどね
伝統的な文化の価値
先日脚本の第1行、2行ぐらいが公開されていましたけど
予想以上に面白いね
脳って眠くなるじゃないですか
これ絶対寝ないね
本当に脳という身体表現
演劇というものを使って
実にまた斬新な切り口で渋沢を表現できている
孔子というものを下ろしてきてというのも脳らしい感覚なんだけども
これはちょっと期待できますね
私また新たな層が渋沢栄一に目を向けてくれるようになると思ってます
狂言と抱き合わせのような形になってますので
笑いもそこにはあるしね
渋沢栄一は新しいものを作っていっただけじゃなくて
伝統的な文化というものを非常に大切にした人でもあるし
伝統芸能をもって自らを語ってもらえる
またはそれを伝えてもらえるというところでは
本人も喜んでいるんじゃないのかなと思います
今回の声援というものの脚を見た時に
これってやっぱり演劇表現
本当にやっぱり今普通に見るストレートプレイとか
いろんなやり方がありますけど
その一つなんだなっていうのをものすごく感じられて
そうするとだからもっともっと
そういう我々に身近な存在のものを
能というもので表現していっても
広がりが出るんじゃないかという気がしましたね
伝統的なという言葉を聞いてしまうと
ちょっと固いイメージで捉えてしまうところがあるんですけども
伝統的な手法を使いながら
その時代を読み取って
強いメッセージが発せられるという
今回いい内容になっているなというふうに思います
本当さわさりながら
そういう伝統文化とか日本ならではみたいなものを
持続的な成長と社会の重要性
大好きなのがインバウンドの人たちなんで
だからやっぱりむしろ入り口は
そういうものにして
渋沢栄一を知ってもらうという動きにしていくと
その海外の人
インバウンドでこちらに来てくれている人なんかに
この帰宅を知ってもらう
扱いも知ってもらうということに
つなげることができるのかなと思って
ありますよね
今年の秋に銀座の関税の農学放送
それからあすからの滝井農で
披露されるということで
今計画を進めているということですが
楽しみにしたいなというふうに思います
さてですね
渋沢栄一さんはやっぱり
持続的成長というものを
主眼にされたんじゃないかなというふうに
思うんですけれども
井上さんの見る具体的に
渋沢さんがどういうことをすることが
持続的な成長につながる地域であったり
それは地球であったり
わかりませんけれども
その辺の事例みたいなのを教えていただけますか
事業を立ち上げるにしてもそうですし
永続性をまず重視する
必ずこれは将来に向けて
どういうふうにしていくのかという
長期的な展望を必ず持たせるということ
そしてそのために確実性を求める
資金の面でもそうですし
人的な面でも
これを担っていける人が
循環させて
次から次へと成長させていかないことには
この事業自体は永続できないんだ
そういう仕組み全体を地域なり
またこの国全体
世の中全体に根付かせようとした人
だからこそうまく永続できていくんだと
決してその古いものだからということで
切るんではなくて
そこの重要性はちゃんと受け継がせつつ
その時代をちゃんと読みなさい
その時代にのっとって
うまく形を変えて
そのバリエーションを持たせながら
世の中に適応するような形で
持っていかないことには
事業自体は永続するものじゃなくて
成長するものではないですよ
決してその個人
担当する人間独自の考えではなくて
やっぱりアンテナを張り巡らせて
いろんな情報を察知した上で
それに適応させなきゃいけない
というのが
一番の中心的な思いとしてありましたよね
なるほど
よく資本主義を習う時に
資本主義のベースというのは
人物金ってじゃないですか
それに対しては
渋沢という人はどういう考え方を持っていた
まさにそれが重要なポイントであって
お金のことについて
よく叩かれるようなところもあったのは事実
本人自身は
そんなにお金を設けることは
得意じゃないんじゃないかという
当時のメディアからも叩かれていたような
ところがあるんですけども
でも潤沢にこれを永続させていくためのものについては
確実性を持ってそれを売ることを
積極的に求めているし
決して利益を売ることを否定しているわけじゃないんだ
ということを
みんなにも伝えていたところがあるし
どうしても資本とかっていうことになると
金融面だけしか
目が向けられないところがあるけども
渋沢栄一が一番重要だったのは
人だったんですね
ただ担い手となる人を雇い
また育てるということだけじゃなくて
その人たちが気持ちを永続させていくための環境づくり
職場をきれいにするというだけじゃなくて
自分がここで長年勤めることによって
どういうようなステップアップが
はかれていくのかというようなこと
もちろん給与の体系なども
ちゃんと明示されるような形をつくったからこそ
事業を担う人たちの意欲も高まりて
それが永続できるようにつながっていくんだ
そういうような思いは強くあったところはあります
まさに人もの金というところは
渋沢栄一が一番重要視しているところだと思います
今の井上さんの解説を伺うと
本当に会社の大きい小さいじゃなくて
今の企業がもう一度しっかりと利用を立たせて
やらなきゃいけない
私たち経営者がそういうふうに考えて
会社を持続していく必要があるというポイントですよね
まさにそうだと思います
それと同時に今の話を伺っていくと
やっぱり日本の戦後の成長というのは
多分に渋沢さんのお弟子さんというか
次の世代の人たちが
まさに渋沢さんの精神というものを引き継いで
短期的な利益ということだけじゃなく
長期的な持続性も考えながらやっていったというのが
結果的に短期的な行動成長につながりという
そういうものを感じますね
渋沢栄一も懸念していたところはあるんですけども
どうしても短期的に成長が見られるときには
人間のやらかすことを必ず間違いはある
オーバーランス
そこはもう本当に強く今締めるところで
そこにロンゴを引っ張り出してきて
渋沢栄一は強く今締めてきたようなところがある
それこそがそこを守ってこそ
初めて今越野さんがおっしゃった
持続可能な成長に結びつけられるんだということを
やっぱり主張してたんですよね
やっぱり勝ち負けで
今ちょっと2つに分けて
勝ちか負けか白か黒かみたいな感じなんだけど
白か黒かだと必ずそこに敗される人も出てくるし
そういう意味では
もちろんそういうところでどうしても負けてしまうとか
じゃあそれをどうやって救っていくのかという視点がなかったら
社会全体としての持続性は出ていかないですよね
本当にやっぱりそういうことっていうのは
渋沢さん全部見通しておられたという感じがしますね
どうですか
もうだいぶ時間も迫ってきたんですけど
この地元帰宅がまさにその精神の中でやっていこうという中で
井上さんの味方として
こんな風に進めていったらいいんじゃないかというのがあれば
この渋沢栄一のカウントダウンプロジェクト等にも
関わらせてもらいましたけども
渋沢栄一と行政・民間の関係
行政と民間の関係性が非常にうまくいったかなというところがあって
行政指導の下でどんどん引っ張り上げていく
進めていく
そういう姿勢も大切かもしれないですけども
民間が長く培ってきたようなもので
渋沢栄一に託された思いをうまく吸い上げて
それを形にするのをちゃんと手を差し伸べてきた
この関係性はこれからも大切にしてもらいたいかなという気がしてますね
そうですね
先ほどの山田区長との懇談でもお話出てましたけど
2019年以来足掛け6年にわたる取り組みというものが
しっかりとレガシーとして
次の世代に引き継がれていくというのが必要じゃないかなと
おっしゃるとおりですよね
最後に資料館で大変面白い展示がスタートしているので
その辺を少し詳しくお話しいただけますか
先ほどインバウンドの話がちょっと出ましたけども
明治の時代になって
やはり日本に多くの諸外国の人たちを招き入れる
そういう装置もなければシステムもないというような中にあって
そういう人たちを安心して日本に迎え入れて
また楽しんでもらえるような環境づくりを整えなければいけないということで
貴品会という
どういう時間ですか
貴はよく貴品というとたっ飛ぶ貧客の貧で貴品と書きますけど
貧客を喜ばせる
なるほど
喜ぶ貧の会なんです
いかにも渋沢さんらしい名言ですね
そうすることによって日本にも外貨を落としてくれて
日本も豊かに導ける一つの要因にもなるし
日本という国を国際社会の中にいかに訴えかけていくのか
どのように位置づけを伝えていくのかという意味においては重要なものである
宿泊する施設をちゃんと整えさせる
またおいでいただいた方々に安心してまた楽しんでもらえるような通訳だとか
それからガイドブックもちろん諸外国語の対応でのガイドブックをちゃんと用意して
迎え入れる体制を整えるというようなところでスタートさせて
明治のいつ頃なんですか
1880年代に入ってから
1880年代
貴賓会の設立が明治26年
すごいですね
でもそういう時代が来るんだということをキャッチして
まだまだそういう雰囲気がない中で
これから国際社会に乗り出していかなきゃいけないという思いもあったからこそ
そういう需要にも手をつけていった
貴賓会と展示会の重要性
朝鮮戦争の前でしょ
前です
まだ要するに工業にしても何にしても
まだそこまでしっかりとできていない中でもそういうことを考えていた
そうですまさにそうなんですよね
ですから今あります
帝国ホテルなんかっても割と連動しているところがある
日本交通公社JTBなんかにも
そうなんですよね
後に日本交通公社というふうに名前が変わって
今のJTBさんとは直接のつながりはないんですよというふうにはよく言われるんですけども
でもその意思になるものを伝えてこられたことについては
同じようなものだったと思いますけどもね
まさにその貴賓の心というのは
私たち帰宅もこれからお客様を迎えしてということも大切になってくると思いますので
大事にしたいと思いますよね
そうですね今年は万博もありますからね
もう始まってるんですよね展示
展示はやってます
5月ぐらいまででした
そうですね
井上さんこれからどんな活動をされていくんですか
相変わらず全国案件だと思いますが
おかげさまでいろんなところから声がかかってはいるんですけども
それと同時に現地において
これまで目にしてこなかったような資料だとか情報がやっぱり寄ってきてます
2027年が渋沢栄一が民間外交の一つの事業としてやった
友情人形青い目の人形
もう出ないだろうと思ってた人形もまた一体見つかって
私どもにいただいたり
ますます渋沢栄一のことが深まっていくと研究が深まるということですね
それで真の姿にもう一度立ち返りたいかなという風に思っております
井上さんこれからも忙しいと思います
どうぞご健康に気をつけて頑張っていただきたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
さて続いては帰宅公式アンバサダーの水森香織さんをお迎えして
第3弾やりたいと思います
井上さんありがとうございました
ありがとうございました