今月は特別に、3/16(日)東京北区王子で開催された渋沢栄一翁生誕祭@北区でのトークイベントの様子をお届け🌟
【今回のゲスト】
演歌歌手水森かおりさん
【今回のトークテーマ】
水森さんが語る「しぶさわくんの唄」そして北区への想い
東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が
王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。
グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。
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サマリー
水森かおりさんが北区の出身としての想いを語り、彼女の新曲が大阪を舞台にしていることを紹介しています。また、渋沢栄一の存在を振り返り、地域の魅力を再認識する重要性について考えています。水森かおりさんが自身の出身地である帰宅と渋沢栄一とのつながりについて語り、歌を通じて帰宅の魅力を伝え、故郷への誇りを強調しています。さらに、30周年を迎えた水森さんの感慨や新たな挑戦についても触れています。水森かおりさんが渋沢くんの唄を通じて帰宅の魅力を広めるための努力を語り、演歌だけでなくジャズへの挑戦についても触れ、幅広い年代に楽しんでもらえる曲作りを目指しています。
水森かおりの新曲
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山
暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。
さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
さて、本日ラストのゲストをお迎えしております。
北区が生んだ大スター、水森かおりさんでございます。
こんにちは、水森かおりです。よろしくお願いします。
ということでございまして、外にはギャラリーも増えてまいりまして。
寒いように。
どうも本当にありがとうございます。風邪ひかないでくださいね。
ということでございます。改めまして、水森さん。
今日お越しいただきましてありがとうございます。
ありがとうございます。
ということでございまして、紅白連続21回?
22回です。
22回。去年の来れば鳥取砂丘だったですかね。
いつも楽しみに拝見をしておりまして。
ありがとうございます。
すぐにシャメを取ってお姉ちゃんに送るっていうのが、年末の習慣になっておりますけれども。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ここのところは帰宅関連のこともいろいろやってていただいて、
先日は母校なんですか?
はい。
学校の方でもいろいろ校歌を清唱していただいたりとか。
小学校で。
そうです。
そういう立場で、そういうステージで校歌を歌うって。
どういう気持ちですか?
いや、なんか嬉しかったです。
久しぶりに学校に入って、
昔こうやったなとか思い出したりして。
私が卒業してだいぶ経った時に、私の父も卒業生なんですけど、
父が描いた絵が、私が控室でお借りした部屋に飾ってあって、
久しぶりに父の絵を家で描いてるのを見てたなと思って、
それがいまだにちゃんと飾っていただけてるっていうのが感動しました。
なんかいいお話ですね。
さて、明後日の18日は、また新曲がリリースというふうにあったんですけども。
そうなんです。
今年はどこが舞台になるんですか?
今回はですね、大阪が舞台になりまして。
題名は何ですか?
大阪恋しづくって言いまして。
なるほど。万博ですしね。
全然私、万博のことは意識してなくて、
実はデビューした日、平成7年の9月25日のデビューの日を、
私大阪で迎えてるんですよ。
出身はもちろんこの北区なんですけれども、
演歌は大阪からだっていう関西からヒットさせて、
それを全国にということで、スタッフの皆さんと、
実はね、ウィークリーマンションに数ヶ月住んで、
もう水森香里は実は大阪出身だって皆さんが勘違いするくらい、
大阪に根付いてデビューさせようっていう企画だったんですけど、
それもスケジュールの問題でできなかったんで、
じゃあせめて1週間ということでホテルで生活しまして、
大阪市内とか神戸行ったり京都行ったり、それこそ関西、
くまなくキャンペーンで回って、迎えた日大阪で過ごしたので、
また原点回帰で、
じゃあ水森香里の誕生の地大阪を今回新曲の舞台にしようということで、
同じく玄哲哉先生、北区の大スターの作曲家の玄哲哉先生が、
また曲を作ってくださいました。
玄哲哉先生って言うとね、実はね、
新一万円札発行の7月3日に、
飛鳥山のお土産館に先生が散歩に来てて、
僕、新一万円札取り替えてあげたんですよ。
そうでしたか。
全然関係ない話ですけど。
今日は新一万円札っていうか、
渋沢さんの話なんでちょっとエピソード、豆知識をしましたけれども。
そうでしたか。
じゃあ今回は玄哲哉先生の作曲で、
大阪小石塾ということでね、
あさってからいろんなところで聞けると。
そうですね。あさっての発売日は、この帰宅とも関連の深い深谷で。
渋沢栄一の影響
やるな、小島さん、うまいさん、もう。
帰宅じゃなくてすみません。
取られないようにしなきゃいけないよね。
でも楽しくやっていただければと。
頑張ります。
大阪でもまたキャンペーンやられたりとかっていうことで。
今、大不安の方が手振ってますけど。
違いますか。
すごい。寒いのにありがとうございます。
大阪小石塾は、舞台っていうのはイメージされてるところあるんですか。
水森さんとして、大阪のここみたいなのは。
1番に水道筋っていう歌詞が出てきて、
2番が北新地っていう歌詞が出てきて、
3番に水かけ不動という歌詞が出てくるんですけど。
大阪って私何度も仕事でお邪魔してるんですけど、
観光で行ったことないなって考えてみたら、
いろいろ歩いたことないなと思って、
そこが新たな発見というか、
また今回大阪は1年間大事に歌わせていただきたいなと思うので、
また自分の知らなかった大阪の魅力を知ることができたらいいなというふうに思います。
実は大阪万博は、私が会長を務めております東京諸国会議所北支部でも、
みんなで行こうよというふうにしててですね。
4月に行くんですよ。
そうですか。
ですから是非、水道筋、北新地、水かけ不動、
これ聞きながら回りたい。
4月いつ。
4月の24、25。
大変ちょっと私その日前後、新歌舞伎座で劇場公演やってますから。
分かりました。
ちょっと見に来てください。
分かりました。
梅澤富雄さんとケン直子さんと水森香里のみんなで周年なんですよ。
梅澤さんが役者人生60周年、ケン直子さんが芸能生活55周年、
水森香里が30周年というおめでたい3人でやりますので、
是非。
去年もやられてたよね、梅澤さんとね。
一昨年。
一昨年か。
去年は水戸訪問で。
すごい好評だったって聞いてるんで。
そうなんです。
ちょっとリスケしながら考えたいと思いますので。
是非。
お願いします。
皆さんも是非お楽しみに。
またそれもスケジュールをくぐっていただいて、
やっていただければなというふうに思います。
お待ちしてます。
ということでございますが、
去年実は水森さん、BS番組人生歌ガールでですね、
念願の渋沢君との共演を果たしていただいて、
しかも渋沢君の歌をあそこで歌っていただいたっていうね、
我々北区民にとっては本当に涙なくして見られなかった嬉しさだったんですけれども。
私もずっとあの番組に出演させていただくときに、
プロデューサーの方に、私渋沢君の歌っていう歌を歌ってるんですよって。
来年一枚札変わりますからタイミングがいいと思うんで、
是非歌わせてくださいって。
なんなら渋沢君私お友達なんで連れて来てって。
ずっとアピールしてて。
そしたらやっとお話しいただいて。
アンバサダー仕事してますね。
地域の魅力再発見
頑張りました。
本当に素晴らしい。
渋沢君も大きな画面の中でなかなか負けずにいい番組になってたなと思って。
ものすごく激しく動いてたんですよ。
渋沢君が。
乗ってましたよ。
そうなんです。
リハーサルはもっと激しかったんですよ。
スタッフさんにちょっと動きが激しすぎますって言われて、
あれでちょっと抑えて可愛らしくやっていただいたし、
よしいくぞーさん、司会のよしさんにも渋沢君いじっていただいて。
そうですよね。
ありがとうございました。
いやいや本当にありがとうございます。
そんなこんなでね、まだ非公開みたいですけど、
街歩きのことも番組やっていただいてるみたいなことですんで。
今度BSテレート。
いいの?大丈夫?
大丈夫です。
私のデビュー30周年をお祝いしていただけるそういう番組がありまして、
23日なんですけど、
私が生まれ育った帰宅をお友達の鉄&友と一緒に散策しました。
赤と青の。
そうです。
なんでだろうって言いながら散策しまして。
地域をね。
そうです。
そちらもまた見ていただきたいと思います。
本当に帰宅アンバサダー、すごく仕事していただいて、
山田区長にもまた後でも会いますんで、よろしく言っていきたいと思います。
ぜひお伝えください。
ありがとうございます。
さて、いろんなお話をしてきたんですけれども、
ちょっと振り返ってね、
新撮発行の1年と言いますか、
いろいろ水森さんも渋沢栄一について、
問わず語りにいろいろ勉強されたと思いますけど、
どうですか?
今、渋沢栄一さんという人を水森さんとしてはどんな感じで見てます?
改めてすごい方が帰宅にいたんだっていう感じでした。
それこそ飛鳥山公園も子供の頃、
ランドセル放ってすぐ遊びに行って、自転車漕いで遊びに行ってたので、
その記念館もずっといつも見てたし、
当たり前のように特に子供なので、
すごい方なんだみたいな意識がそこまでないというか、
でもこういう人が帰宅にいたんだっていうぐらいの認識だったんですけど、
大人になってくると、実はすごい人だったんだなっていうのを改めて再認識したし、
帰宅すごいじゃんって、帰宅もやるなって思って。
でもそれ大事なんだよね。
別に帰宅もやるなじゃなくて渋沢さんもやるななんだけど、
帰宅と渋沢栄一のつながり
でもそういうふうに思える人がいるっていうのが、やっぱり僕たち元気になるんですよ。
すごく誇りに改めて思えるというか、大人になればなるほど、
ここも渋沢栄一さん関係してるんだ、ここもなんだ、ここもなんだって、
すごい勝手にすごいでしょって思える。
それはね、僕たちにとっては実は水森香里さんもそうなわけですよ。
いやいやいや。
本当に水森香里さんが生まれたとこなんだ、水森香里さんがこういうとこ愛してくれたんだって思って動いてくれてるじゃない、今。
それが僕たちもまた誇りなんですよ。
だって12月31日になると出てくるわけじゃないですか。
おい、こないだ俺ラジオで話したんだぜって。
それはね、子供もちょっとだけ尊敬の目で見るわけですよ。
いや、そういうことも含めて。
本当ですか。
いやでも多分ね、僕は渋沢栄一さんも水森香里さんも今同じようにね、そういう存在だと思いますよ。
ねえ、そうですよね。
いずれね、私もじゃあ新一番印刷。
なんかなってたじゃないですか、あのタイガドラマ館では。
そうそう、あのドラマ館でね。
でもなんかね、やっぱり誇りに思えるというか、やっぱりちっちゃい頃に、
なんかやっぱり帰宅ってちょっとどうしても地味な印象で、
渋谷とかね、港区とか新宿生まれとか言いたいなって思ってたけど。
そういう時もあったんだ。
ありました。
でもやっぱり今はこの帰宅っていうのをすごく誇りに思うし、
東京帰宅ってこんなにすごいこういうところがあるんだよって胸を張ってね、
また特に全国各地のご当地ソングを歌わせていただいている今だからこそ、
自分の原点、ふるさと帰宅っていうことをすごく意識して歌えるような気がしますね。
そうですか。
はい。
いやそれだけど、新一番印刷は僕の生きてるうちに水森香織さんの肖像になりそうもないから、
帰宅の商品圏かなんかに、今渋沢くんになってんだけど、水森香織さんもあるみたいな。
いやいや弱いです、弱い弱い弱い。
そういうのも面白いからね。
今帰宅のお話ししていただいて、渋沢さんのお話していただいて、
さっき実は水森さんの前のゲストで井上隼さん、渋沢資料館の方とお話したんですけど、
実は渋沢栄一さんも日本全国いろんなところに関わりがあるんですよ。
つまりそこの産業を起こすために出資をしたりとか、それから人材を育成したりとかということで、
渋沢栄一さんものすごく関わっておられるんで、実はそういう意味ではここも水森香織さんと共通点があって、
例えば熊本っていうと、熊本は水森さんどういうお歌ですか?
日本酒と地域の魅力
熊本は甘草五郷という歌があります。
水森さんは甘草五郷。
渋沢さんは今の熊本銀行だったかな?の前身の銀行を作られてるとか、
それからあそこに福祉施設を作って、そういうのに援助してるとか、そういう記録がちゃんとあるんです。
これスマホで調べられるんで、どっかそういうふうに行かれた時に今度ちょっと調べてみてください。
そうすると、今度そういう一覧観光協会作ってもいいね。
水森香織さんの全国の歌と渋沢さんの事例みたいなのが全部リンクしてるみたいな。
いいですね。
いいよね。
絶対ありますよ。私今45都道府県ありますから。
今の一万円札の肖像と、もしかしたら未来の一万円札の肖像の方の事例が並ぶみたいなのを。
これ面白いね。ちょっとやりたいね。
今、井上さんも拍手してくださってたんで。
本当に全部行かれてるでしょ。
今、歌ってない県はどれだけになりました?
福岡県と徳島県。
そうですか。これはちょっと福岡、徳島も期待してるでしょうね。
そうですね。だからお邪魔するとき気まずいんですよね。
そうですね。
なんかすいませんみたいな感じ。
福岡、すけさんうどん。徳島、徳島ラーメン。
そうですね。
そういうの題材にして作っていただければ。そういうことじゃないですね。
そういう中で、多分渋沢さんとのそういう関連も色々ありながら、水森さんもね、
この帰宅にもいろんなご縁をつなげていただいているのかなと思いますけれども、
我々ね、今の実は渋沢栄一の絡みじゃないけども、やっぱり飛鳥山をね、
さらにもっとフィーチャーして売り出していきたいと思って。
確かに。
実は去年ですね、ご存知でしょうか。飛鳥山に関連して日本酒作っちゃったんですよ。
あのですね、これなかなか大変です。
もともと実は帰宅って醸造試験場っていって、日本酒を作るための研究をする、
それから工房を作っていく、培養していくみたいな国立の施設のあった場所なんですね。
今も実は赤レンガで、これ重要文化財で残ってるんですけども、
だから日本酒の聖地って言われてたんですよ。
で、その日本酒の聖地であるっていうエピソードも使って、
なんとか飛鳥山を盛り上げられないかって考えた方がですね、その工房ですね。
工房は野生の工房って、そこら中に実は工房の種はあるらしいんだけど、
それを飛鳥山の森に生えてる植物とか、それから動物にも一部ついてるっていうことから採取ができない。
採取できちゃってですね、素晴らしい日本酒ができた。
すごーい!
ヒエってね、飛鳥山の飛鳥に、それから渋沢市のエイ。
で、ヒエっていう名前の日本酒でですね。
あ、素敵!
これはもう本当に美味しいんです。
水森さん、少し飲むに慣れますよね。
あのー、
たしなまれますよね。
いや、ほんのちょっと、はい。
香りもよくてね、フルーティーですしね、
すごくワインの醸造家も褒めたっていうぐらいの、素晴らしい。
今、帝国ホテルでも絶賛販売中で、そうなんですよ。
そうですか。
帰宅がですよ。港区で売ってんですよ。
すごい、最高じゃないですか。
最高なんですよ。
えー、じゃあ私もそれUOPRして。
ぜひぜひ、1本申呈しますよね。
今、大プロデューサーが申呈しますって言ってますから。
ふるさとのお酒ですってね、全国の皆さんにもPRしたいです。
ぜひぜひ、すごく美味しいんで、皆さんにお楽しみいただきたいと思いますね。
飲んでみたいです。
そうだ、梅澤さんに1本差し上げよう。
30周年の想い
じゃあ僕、万博のときに持ってきます。
よろしくお願いします。
よろしくお伝えください。
はい、わかりました。
ということでございます。
今のところのお話にもずっと出てきたんですけれども、
30周年なんですね。
デビューして、そうなんです。
5歳くらいでしたか、デビューは。
違う。
もうちょっと大きかったです。
もうちょっと大きかった。
今年その30周年を迎えられて、さっきテレ東での特別番組ってお話もありましたけども、
その他企画されていることでお話できることがあったらちょっと教えていただけますか。
そうですね。
今年は大阪恋しづくという曲で、全国各地、キャンペーンもそうですし、イベントとかコンサートも。
あと、あるんですけどまだ言えないっていう、絶妙に言えない。
そういうのもあるでしょうね。
そうなんです。でも楽しみにしていただきたいなと思います。
なるほどね。1年かけていろいろやっていくということですね。
実際やるイベントは言えないと思いますけど、水森さんのお気持ちとして、29年も30年も1年しか違わないんだけど、
でもやっぱり一つの区切りとしてね、今までやってきたことの一つの集大成もあるでしょうし、
それからさらに僕はまだ40年50年と活躍されると思うので、そこに向けてという水森さん自身の思いみたいなものをちょっとお伝えいただけたら。
そうですね。2020年のときがデビュー25周年なんですね。
なるほど。
もう一つの大きな節目でまた全国各地行って頑張ろうというふうに矢先のコロナのあったので、
5年後の30周年にまたいい形で過ごせるように、この5年間頑張ろうという思いでやってきたので、
25周年のときの悔しい思いもまた今年リスタートという気持ちでやっていけたらいいなというふうに思いますし、
変わらず30周年だからということじゃなくて、毎年毎年大事な1年だし大事な毎日なので、
その日々の積み重ねで今日も幸せだったなって思える、そんな毎日を過ごしていきたいなというふうに思います。
そういうのに関連してね、すごくベーシックな話になりますけども、
水森さんにとって歌って、たぶん子供の頃本当に楽しくて歌ってっていう時代があり、それからプロになったときの思いがあり、
そうやって今キャリアを積み重ねてきてっていうときに、歌を歌う、もちろんお仕事なんだけど、どういう思いっていうのかな。
もちろん楽しいですか歌ってて。
楽しいです。楽しいですし、でもやっぱりお仕事というかそこが自分の使命だと思っているので、
だからこその苦しさとか辛さみたいなものはあまり公に言わないですけど、自分の中であって、
でもそれをうまい具合に消化していきながらまた歌声に乗せてっていう感じですけれども、
でも歌手になっていなかったら出会えなかった方とか、また今後藤内ソングたくさん、今164曲になるんですけど、
渋沢くんの唄の意義
その後藤内ソングいただかなかったら出会えなかった人、また出会えなかった景色、行かれなかった場所っていう風に考えると、
これもまた一つの自分の使命というか、またそれを全国の皆さんにこういうところがあって、こういう素敵な景色がありますよって歌を通じて、
またたくさんの皆さんにお届けできるその喜びと使命を感じながら毎日歌わせていただいているので、そこは楽しい日々だと思います。
ジャンルとしてね、もちろんもう本当に演歌の大エースだし、演歌を支える水森香里さんなんだけど、
渋沢君の歌もちょっと違うジャンルだし、ちょっとポップス的なことも歌われてるんだけど、
僕は実はね、ジャズボーカルやってもらえないかなって。
僕自身がすごくジャズが好きなもんだから、水森さんのジャズ聞きたいなっていうのが実はあるんですけど、
普段なんかこうプライベートでカラオケとかで歌ったりとかされない。
ジャズですか?あんまり歌わないです、自分では。かっこいいなとか、こういう風に歌ってみたいなとかいうのはありますし、
BGMで聴いたりはしますけど、歌ったりはないですね。ちょっと挑戦してみたいですね。
水森香里さんとか雪宮泉さんとか江里千尋さんというのはもともとジャズからの人たちだし、
それから八代明さんなんかは晩年、真野美香さんなんかも今どっちかっていうとジャズばっかりなんだけど、
そうやって挑戦されたりして、やっぱり演歌の上手な方っていうのは、
ジャズの気持ちの面でもね、ジャズの気持ちっていうものと共通するところがあるし、
それからやっぱりテクニカルにも、やっぱり僕は歌う人で演歌の人が一番上手いんじゃないかと思うんで、
だからジャズにも応用が効くっていう気がするんでね。
なんかね、水森香里ジャズを歌うっていうCDとか出してもらいたいなっていうのが、
実は僕の人から、今日公開のところで言っちゃいましたけど、有名でね。
本当ですか?初めて聞きました。
そうですか?僕は素敵だなと思うんですよ。
うれしい。頑張ります。
ぜひね、30年、水森さんの演歌を楽しみにしている方、たくさんいらっしゃいますから、
そこはそこで追求していただいて、一方でさらに広げて、
そうすると、やっぱりインバウンドの人なんかにもね、投げかけていける部分にもなると思うしね、
音楽活動の展望
そういう部分もこの30周年を期して考えていただけると嬉しいなというふうに思います。
枝葉を広げて、頑張っていきたいなと思います。
そうですね。ということでございます。
30年ということで、数々のイベントも予定をされている、順次公開をされていくということでございますけれども、
最後にですね、帰宅アンバサダーとしてのこれからの抱負を、そんなものあるんでしょうか?わかりませんが、
ぜひですね、帰宅どんな風になっていってもらいたいなっていうようなことも含めてお話しいただけますかね。
そうですね。でもなんかこう自分自身がアンバサダーとして、いろんなお仕事をさせていただくようになったり、
また渋沢くんの歌という曲を通じて、渋沢栄一さんの素晴らしさを自分なりに勉強させていただくようになって、
やっぱ帰宅って実はすごいじゃんって思うところがたくさん出てきたので、
そこはアンバサダーとしてまた自分が生まれ育ったふるさとの場所なので、
しっかり全国の皆さんに東京帰宅をすごいよっていうふうにアピールしていけたらいいなというふうに思うのと、
また渋沢くんの歌も歌って、また幅広い年代の皆さんに聞いていただけるように活動していきたいなという思いもあります。
ありがとうございます。もう水森さんのお力も借りながら、帰宅をますます発展させていただきたいというふうに思います。
今日は渋沢さんの業績と水森さんの歌との連携とか、水森香里ジャズを歌うとか、極めて勝手なご提案もさせていただきましたけれども、
一つ一つ私どもの方で実現に向けて頑張っていきたいなと思いますので、また幅広くご活躍ください。
何でも言ってください。
ありがとうございます。助かります。
ということでございました。最後、今日のラストのゲストは水森香里さんにおいでいただいて楽しいお話を聞かせていただきました。
本日は水森さんありがとうございました。
ありがとうございました。
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