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TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠三宏さんの部屋には、 未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。 さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
パーソナリティーを務める小篠三宏です。
今、私がいる場所は、王子飛鳥山にある邸宅の談話室。
こちらに北区内外の多彩な企業家、経営者をお招きして、 グラスを傾けながらじっくり楽しくお話をする。
そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
今月のゲストはこの方です。
株式会社ルームハートの代表をさせていただいてます。 丸山慎二郎と申します。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
丸山さんが代表を務めるルームハート。 こちらはどういう会社なんですか。
うちはデザイン全般をやっている会社で、 インテリアデザイン、グラフィックデザイン、ウェブデザイン、
そういうものを使って企業のブランディングだったり、 商品のブランディングをする会社です。
今、本郷地の荒川区町屋をプロデュースするお仕事も されているということなんですが、これはどういう?
プロデュースする仕事をしているというよりは、 プロデュースしたいと思って、
より良い町を作るために何かの役に立ちたいと、 通常の業務を頑張っています。
なるほど。これはどういうふうに読むのかな。 東京ローカルプロジェクトっていうのがいいんですかね。
L.O.C.A.L。
東京ローカルに間にローカルに点を入れたというデザイン的に。
なるほど。これをしっかりと打ち立てながら、 これからやろうとされているということなんですね。
今日は様々なお話を伺っていきたいと思います。
さてですね、僕は丸山さんと、この間実は大地にできた 上府信用金庫さんの渋沢君子店という、
これの開所式の時にお会いしてということで、 渋沢君子店をデザインされたということで。
ありがとうございます。
僕はこちら側にいて、式典でいる時から、 南米のプロサッカー選手みたいな人がいるなと思って。
隣にすごい背の高い人みたいじゃない。
気になっていたんだけど。
そうしたら大前理事長から紹介されてということで。
これはぜひ今日この番組に出ていただきたいと思って お招きしたわけなんですけれども。
そんな丸山さんですので、僕も初対面に近いんで、 いろいろ子供の頃のお話から入っていきたいと思うんですけれども。
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まず幼少期、大前は荒川区でいらっしゃるんですか。
荒川区の町です。
実家が建設業の設備会社をやってまして、 そこの職人さんがいっぱいいるような会社です。
僕も本業建設会社ですから、いわゆるゼネコンというか。
ですから我々が建築をする時に配管だとか空調だとか、 そういうのをお願いする専門工事業者さんの職人集団の会社だった。
こういうことなんですね。
どうですか、そのご商売をわりと身近に見ながらの環境だったと思うんですけれども、 お父さんのお仕事について子供の頃はどういう印象を持っていらっしゃったんですか。
家に倉庫があったり、工具があったり、トラックがあるっていうのが、 僕の中では印象。
職人さんが毎日デイリーする。職人さんがかわいがってくれる。
何の仕事をしているかは子供の頃は全くわからないんですけど、 ペンキがあったり、工具があったりっていうのがあって、すごく楽しかった。
結構かっこいい仕事をしているなっていう印象を持っていました。
なるほどね。そういう中で、地難防っていうことね。
すごい遊んでばっかりいたんだ。
そうなんですか。
どういう子供だったと思いますか。
あるところから僕はどうやら勉強しなくなり、母にあんたどうせ勉強嫌いだったら、遊びの天才になりなさいと。
丸山さんの会社のホームページを見ると、お母さんに遊びの天才になりなさいって言われたっていうのが、ボンと出てるんですよね。
それもね、丸山さんと話したくなった一つの原因なんだけど。
お母さんはどういう思いで遊びの天才になりなさいって。
いやなんか後から聞くんですけど、やっぱ父と話してたのは悩みがたくさんあったらしいです。
一人の母としてみんなとちょっと変わってるとか、テストの点数が0点みたいなのが出てきても、何の苦痛も感じていない。
僕に対して。なんかこう大丈夫なのかしらというのはあったらしいです。
じゃあそれでお父さんにも相談かなんかされたんですかね。
みたいですね。
父はもうこんなに元気で楽しくやってるんだからいいじゃないかっていうことを言ってたみたいな。
なるほど。そうするとお母さんは、だけどいいわよと。お父さんもそう言ってるから遊んでてもいいわよとも言えないから。
そこでいろいろ考えたんだろうね。
で、天才になりなさい。遊びの天才になりなさいっていう言葉をね。
でもそれってずっと今に至るまで、ホームページに書くぐらいだから、丸山さんの心の中にものすごく残ってる言葉だった。
何かもう超えられない壁を作ってくれたなっていう感覚ですね。
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超えられない壁というか、逆また超えようとする壁なのかもしれないね。
これはちょっと今回のキーワードになるかもしれないね。
そしてこうまあそういう天真爛漫な小学生時代を終えて中学校に入られてということで、丸山さんの世代だと結構いじめとかが学校の中にあった世代かな。
そうですね。時代的にヤンキーと言われる時代が結構世の中に出てた時代でもあり、同時にそういう社会的、人数も多かったので、社会的にそういうふうにいじめとかっていうのもよく出てた時代でしたけど、
もともと何かなぜかそういう弱いものをいじめるとか差別をするとか、そういうことが何か好きではなくて。
そりゃそうだね。
で、そこに対しての虚勢を張るというか、戦いを挑むというか、そういう感じはありました。
じゃあその丸山さんの存在によって、丸山さんの学校っていうのは割とそういう寛容な良い学校になったって感じですか。
そうですね。多分そうだと思います。
そうですか。なるほど。
そういう非常にアクティブなね、中学生、高校生までの時代だと、そこから結構海外を歩かれたりした時期もあったっていう。
高校卒業ぐらいから海外に。で、そう思ったのもやっぱり自分ってどこまで一人でやっていけるんだっていうところがきっかけで海外は始まったと思うんですけど、
自分の知らない人がしかいないところに行こうって言ってバックパックであっちこっちを行って、初めはヨーロッパとかいろいろ回ってたんですけど、そのうちアジアとかアラブとかそっちも。
じゃあ世界中どのぐらい回られたんですか。
ちょっと数えてないんですけど50とかはいってると思います。
そうですか。じゃあそういう学生時代を経て、仕事はどうされたんですか。
一番初めて仕事をしたのは父の会社の空調会社の職人として入らさせていただきました。
ちょうどその後ジャマイカに青年海外協力隊ということで掛けになるんですけども、どうして青年海外協力隊を目指されたんでしょう。
青年海外協力隊に行くには仕事をしていて20歳ぐらいから仕事をして、仕事自身はすごく好きだったんです。
新しいことをどんどん覚えて一人で段取りして物が形が出来上がっていく。
それによって自分の指揮命令によって現場のスピードがあったり振り上げも変わる。
もう全てが楽しかったんですけど時たまやっぱり時代の背景のせいか、いわゆる建築の中でのいわゆるダメな工事みたいなのが明確にしていて。
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要するに手抜き工事みたいなのとかね。
それがやっぱり我々は一番下請けとしてやる以上お客さんはお金をくれる人だと言ってる父を許せなくなったことがあって。
父も今考えれば苦しんでたんだと思うんですけど、当初の僕はまだ物分かりも悪く。
こんなことをしてていいのかっていうところの葛藤が出てきて一回海外に出ようって言って青年海外協力隊に受けたら偶然に受かって2年間ジャマイカという国で。
でも青年海外協力隊って多少希望を選べる国があるわけでしょ。
ジャマイカとどっか選んだんですか。
僕が選んだのはジャマイカとトンガとドミニカ共和国っていうあったかい。
あったかくて南の島みたいなとこ大体選んだ。
その中でジャマイカ。
ジャマイカどういう国でした。
それこそ天真爛漫を絵に描いたような国でもうどこら中で音楽もかかってるしそこら中で踊ってるしみんなハッピーで楽しそう。
経済的に豊かな国ではないと思うんですよ。
今の統計で見てももう150位とか160位とか世界の中でも非常に統計的だけに見れば最貧国みたいなそういう国ですよね。
すごく人はいいんですよ。
文化としては日本と文化でいうと内向きか外向きかっていうともう逆なんですけど
正確で見ると世界地図の端っこと端っこにいるようなんですけどパッて振り返ったら真後ろにいたみたいな。
そんな感覚ですごく人間的にはめちゃくちゃいい人が多くて実は感覚的には合うなと僕は思いました。
遊びの天才がいくのにすばるのぴったりの国だったっていう感じがあったですね。
本当そうですね。
ジャマイカで学んだとかっていうことはあります?
いやたくさんありますけどやっぱり究極で言うと愛だと思います。
なるほど。
それもう少し詳しく愛。
これはどういうことですか。
自然に人と向かい合う姿勢とか
やっぱりちょっと例えば街でビラを配ってる人とかしつこく話をかけてきたら
あ、いらないって簡単に断れる社会に僕は育ってきた。
そうですよね。
その断り方も上手な方法がある。
でもそんな通用しないんですよ。
歩いてて喋りかけたら30分でも一緒に歩いてついてきちゃうんで。
で、どっか行ってくれって言った時に
なんであなたはそんな人に対して冷たい対応をするんだって言われるんですよ。
なるほどなるほど。
それは要するに身内だからとか知ってる人だからとか関係なくなんですね。
で、じゃあこれを買えって言ってくる目的なんですけど彼は。
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なんでそんな、いらないからだと。
じゃあなんでそれを先に言わないんだ。
私は30分一緒に歩いてる。
買えと。
30分歩いたらお金を出せと言われる。
でもこういうことが当たり前に毎日あるのは大変なんですけど
自分のちゃんとやるべきことをしてなかったなっていうのが赤として見えて
ちゃんと相手と向き合う。
その時に変形を持って見ないと。
っていうのはくっつき込まれた。
だいたい24、5歳の時に行かれたわけですよね。
そういうだから若い感性、柔らかい感性で
そういうものを受け止められたっていうことですかね。
それはじゃあある意味丸山さん自身の今の人生の何ていうんだろう
理念というかそういうものにもなってるってことですかね。
あると思います。
やっぱり日本にいるって仕事をしてたりすると
自分に都合よく解釈をしてしまって
時間を短縮するとかはやってしまうんですけど
いかんなって思う時はやっぱりそういうところに
すごく紐づいている感じがします。
なるほどね。いただいている資料に
丸山さん自身の人生の理念としては
愛、それから成長、笑顔、そして人生のビジョン
ということが書いてあるんですけれども
それのベースになっているのが実は
ジャマイカでのそういう体験ということもあるということですかね。
そうですね。その一つだと思います。
なるほど。では第2回目以降その話を
しっかりと伺っていきたいと思います。
ありがとうございました。