1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
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2024-06-13 16:16

#7-2 ゲスト:丸山慎二郎さん 空調整備会社営業×ラジオ番組のディレクターで創業⁉️ /ユニフォームデザイン最優秀賞獲得「旅するSUBWAY」

【今月のゲスト】

丸山慎二郎さん


【テーマ】 

・空調整備会社営業×ラジオ番組のディレクターで創業⁉️ 

・ユニフォームデザイン最優秀賞獲得「旅するSUBWAY」


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。今月のゲストは、ルームハートの代表取締役、丸山慎二郎さんをお迎えしております。
前回は、その底抜けに明るい丸山さんの人とのなかや、学生時代のお話を伺ってきました。ジャマイカのお話もたくさん伺ってきたんですけれども、
今日は、ルームハートの創業から現在に至るまでのお話を伺っていこうと思います。
今日もよろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いします。
さてですね、海外協力隊で、大変ジャマイカで、まだ人生若いけれども、先を決めるような素晴らしい体験をされたということだったんですけれども、ここを経って創業に至るというのは何年くらい?
帰ってきて、7年後くらいに創業するんですけど、26歳に帰ってきて、33歳に創業するんです。
そうですか。7年間はどういう期間だった?
帰ってきた時に、僕は行く時に何で行ったんだろうって考えたんですよ。
行った時に、この業界はダメだって言って、出てった自分を。
そうですね、前回もお話し変えましたけど、やっぱりバブル崩壊で、本来ものづくりを大切にする業界だと僕自身は思ってきたんだけども、一部ではそういう手抜きとか、そういうことが横行する時代だったということですよね。
でも時代も変わってて、そういうことは僕の目にはすることはなくなってたんですけど、このままノーノーとやっててはいけないと思って、業界を変えたいって思ったんです。
僕の会社の位置っていうのは、比較的作業ベースで言うと、最終的に仕事が降りてくる位置なんていう位置関係があるんで。
職人集ですよね。
なので、変えようと思ったら、上の方で変えない限りは変わらないはずだって。
で、上ってどこだってなると、よく来るオーナーさんと一緒にいる設計師だって、ゼネコンの人だって、ここの辺に行かない限りは変えられないはずだと思って、何とか変えてこうと思って、会社の中で設計の勉強をさせてくれと。
で、営業の勉強をさせてくれって言って、社長に頼んで、結果も出すんですけど、そういう営業を教わっていく。
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で、いろんな人に営業のことを教わりながらやってて、ある時に、33歳になった時に、兄もいたということもあって、独立させていただいたっていう経緯です。
なるほど。
それ、お父さんに申し出られたっていうことですか、独立は。
そうですね。
お父さんどういう反応でいらっしゃいました?
話にならないぐらいでした。
あ、もう何言ってるの、お前はって感じだった。
感覚的には認めてるんですけど、まだ早いっていう言葉が適切だったんだと思います。
なるほどね。お父さんその時、おいくつでいらっしゃった?
えっと、73ですね。
そうですか。もう少し手元において、しっかりと育てたいって。
育てたいと思って。
思ってられたんでしょうね。
荒っぽかったと思うんですよ。荒削りで仕事はできるが、人間性になってないとか。
そういう意味の荒削りだったんで、多分今考えれば、ここだけはちゃんとさせないぞという思いの親の愛だったと思います。
なるほどね。確かにお父さんにしてみれば、独立するっていう感覚はあまりない中で、
手元において、じっくりとは言わないけども、育てていこうというふうに考えられたところで、
パンと自分一人でやるなんて早いよみたいな、そういう感覚だった。
そうだったと思います。
私ごとになりますけど、26歳と33歳って、実は両方ともすごく僕の中で重要な年で、26歳の年って結婚したんですよ。
33歳の年って、親父が死んで社長になったんですよ。
今日、僕の話する番組じゃないんですけど、今のお話聞いてて、
この7年間って、僕にとってもすごい大事な7年間だったなっていうのを今伺ってて、
また今日も共通点が見出してて、すごく嬉しい感じがしましたね。
そうですか。じゃあ、マリアさんの話にもちろん戻るんですけれども、
この7年間を経って、独立しました。そこでできた会社がルーマハートということなんですけども、
さて、どんな形で始められたんですか。
先ほどの流れになるんですけど、やっぱり設計者とかなんないといけない。設計の資格なんか持っていないし、設計をしたこともない。
設備の設計はできるけれども、資格を持っているわけではなかったっていうのがあるんで、
デザイン会社だったら資格はなしにいけるだろうっていうめちゃくちゃいいな感じと、
そこのデザイナーで会って、兄がいずれ後継者となって、兄弟仲良く、こういう関係で仕事ができればいいっていう気持ちで、
よし、デザイン会社と。あとはその当初、結婚する間がラジオの制作会社をやってた。
そのラジオの制作の彼女と、僕もともとラジオっ子だったんで、
お客さんの売り上げに貢献したいとか、お客さんを幸せにしたいっていう願望があったんで、
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職人だけではできない、もうちょっと直接的な幸せを作りたいと思って、
じゃあデザインとラジオだって言って、この2つを武器に開始やろうって言って、
セルマハトっていうのが立ち上がったっていう。
なるほど。そうすると具体的に最初に手がけたお仕事ってどういう仕事?
それがですね、デザイン会社やったはいいんですけど、
デザインの仕事の取り方も分かんなければ、デザインの仕方も分かんないことに、
気がついた?
気がつくんですよ。ほんと早く気づけっていうところなんですけれども。
早く気づけって言ったら、そこを押さえてからやれよって言われるんですよね。
で、やって、結局食べれないんですよ。
彼女はラジオの仕事で稼ぐんで、1年ぐらいは全然食べれなくて、
紐みたいに飲みにも行けなくて、
なんかこのうち5,000円くれるかなっていう生活をしてて、
でも幸せだったんですよ。
それは幸せですよ。それはね、理想ですから。
人生紐は僕はね、男の理想だと思いますからね。
それは幸せだったと思いますけど、
それはでもお父さん早いって言うわけだよね。
そうなんです。
なるほど。
で、でもそこから何とかやった最初の仕事は何?
そこから本当にデザインでの仕事は5年間かかりましたね。
ちっちゃい仕事はあったんですよ。
デザイナーを人伝いに探していくんですけど、
で、デザインっぽいことをやってる人に見つけたら、
周りにデザイナーいないかって言って、だんだん集まっていって、
デザイナーの輪に入っていって、
一人一人こうあおたがいしていくっていうことなんですけど、
そんな中の持ってた得意を、
その人が雑誌の絵を描ける子だったら雑誌で絵を売ろうみたいなとこから、
ともかくデザインに触れようと思ってたんですけど、
インテリアデザインっていう1店舗丸々やらせてもらったのは、
5年間かかりました。
なるほど。
どうですか、最初に手掛けた仕事の思い出みたいなのがあったら教えてもらえますか。
いや、感動的でしたね。
僕を信頼して、よく仕事を一件も実績ない僕に振ってくれたなと思いました。
結局食べられなかったから元の仕事をするんですよ。
空調独立して、だからライバルになっちゃうんですよ、実家の。
本物じゃなかったんですけど、食えないんで、結局同じことをやるんですよ。
で、そうやって稼げるようになっちゃったんですよ、そこでやっぱり。
そうだよね。
元々の仕事なんで。
で、稼げたもんなんで、一方でデザイナーたちは育ってて、僕は稼ぐっていうことをやってたんで、
そんな僕によくデザインの仕事を振ったなっていう、信頼をしてくれたっていうのがあって、
その人に対する自分たちの全力を買いしたいっていうので、
もう予算とかなんか何も考えられない別に、ともかく流行る店を作りたい。
その人の夢を叶えたいっていう一心でした。
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ジャマイカで30分寄り添って話をしたとか、そういう経験とか思いがそこに間違いなく活かされたんでしょうね。
それから一日停電だから仕事しなくていいとか、だから5年間そんな状態でも食べられてればみたいな、
ある種の覚悟っていうのか、腹が定まってるっていうのか、
それはやっぱりジャマイカのいい感じ、影響があったような気がしますね。
そうかもしれないですね、今改めて気づきました。
そうですか、改めて気がつくのが遅い丸山さんですね。
それから苦労されながら順調に仕事進め、現在の事業内容っていうのは、冒頭もお伺いしたんですけれどもどういう感じになりますか。
インテリアデザインを結構中心にして、そこにまつわるグラフィックのデザインだったり制服だったり、
その企業だったりお店だったり商品とかをプロデュースする、ブランディングするっていうのがメインの仕事と、
あとは一方でラジオの制作っていうのは、ラジオだけに留まらず音声コンテンツとか、
海外の人が聞いたら音声で場所が消えるとかそういうのもどんどん制作をしていく会社です。
そうなんですか、いろいろ事象歴もたくさん終わりになるんですけれども、
この中で僕面白いなと思ったのは、黒川貴昌さんが設計された中銀カプセルタワーのリノベーションと、
あれ解体した時に1個ずつになりましたよね、それをリノベーションされた。
そうですね、1個1個全部やったわけじゃないんですけど、オーナーが僕たちに相談してくれて、
結果映画とかに使われる部屋になったんですけど。
それは何ですか、何個か取得されたオーナーがいらっしゃって、
その中の1つをやってほしいって言って。
そうですか、あれメタボリズムっていう黒川さんの思いが詰まった。
実はよくそこに関わられた方、王子にね、僕いらっしゃってよく知ってるんですけど。
そうなんですか。
元々そうやって再生させていくっていうか、ユニットとしてのものをしっかりと使っていく。
それをある意味黒川さんの思いを引き継がれてやられたっていうことですかね。
そんな黒川さんのレベルではないですけど。
いやいやいや、そんな僕の愛と思うんですよね。
今ね、ラジオなんでね、映像的な、画像的なものをご覧いただけないんですけど、
ぜひ皆さんもちょっと調べていただいたら面白いね。
そうですね。
あと、ユニホームなんかも手掛けられてということで、
2014年には東京デザイナーズウィークのクリエイティブ部門で
旅するサブウェイというのを出したので最優秀賞をとられた。
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これどういう意味ですか。
なんか結構自由課題で、サブウェイがもっとこうなったらいいっていうところが主題だったと思うんですよ。
で、その話を誰かから聞いて、
そんなんうちの得意なやつじゃないって、好きなこと考えていいんだって。
で、デザイナーと一緒に考えたのが、旅するサブウェイって、
サブウェイってお店に行って食べられるっていうんじゃなくて、
サブウェイごと旅、動いているっていうところで、
サブウェーマンっていうのがいて、
全部サブウェイの商品を背負ってる人が歩いていく。
で、ゆくゆくはこのコスチュームみたいなところを使って、
ちゃんと野球場とか、そういうところで販売してもらいたいと。
サブウェイはそんなこじんまりとあるべきじゃないみたいな、勝手な固定概念から、
もう想像して、サブウェイマンっていうのを作ってやったら、
それがすごく表彰されて、最優秀賞にもなったんですけど、
その後すごいいろんなお褒めの言葉もいただいてっていうことがありました。
なるほど。だから単にユニフォームということだけじゃなくて、
サブウェイがどうあるべきかっていうところをデザインしていったっていうことですかね。
だからデザイン会社を作るっていったときに、
個々のデザインについて何もわからない丸山さんだったんだけど、
なんかそういう大きくデザインするっていうことの発想は、
どこかにあったのかもしれないですね。
そうかもしれないですね。
デザインそのものはご自身がされるわけではないっていうふうに伺いました。
はい。具体的なデザインは僕はほとんど関わっていないかなと思います。
どうですか。イメージみたいなものはお伝えになるんですか。
そうですね。やっぱり一番初めにお話を聞くっていうケースはどうしても多いんで、
そのときにクライアントさんがこういう感じの、
ちょっとイメージとかないの?とかっていうところで聞くんで、
それをなるべく曲がらないようにご説明するということは知ってます。
なるほどね。
そこの中にエッセンスとしてきっとこういうことをしたいっていう
いきさつってこういう背景あるよっていうのを説明してる。
なるほどね。僕なんかもそうなんですけど、
デザイナーが全部クライアントさんの要望を
しっかりと自分の中に入れてデザインできるかっていうと、
必ずしもそうじゃない。
少し禁止眼的になってしまうっていうところもあったり、
それから時にはやっぱりちょっと自分の思いが
強く入りすぎちゃうっていうこともあるかもしれない。
そのときにどちらかといえば、
お客さんのお話をデザイナーに通訳していくっていうのかな。
そういう役割もすごく大事だと思うんですけれども、
やっぱり丸山社長としてもそういう役割を果たされてるっていうことですか。
それが多分僕がやや得意な部分だと思います。
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役割としては。
なるほどね。
特に我々中小企業がやっぱりデザインを考えるとか、
ブランディングを考えるとかっていうと、
そこの部分がちょっと得意じゃないかなっていうのはあるんで、
そういう方が横にいていただいて通訳していただいて、
すごい心強いですよね。
そう言っていただけると。
でも結局は、これ僕じゃなくてもできるようにするために、
今ちょっといろいろ仕組み化して。
なるほど。
中小企業のブランディングということが一つの業務でもあるということで、
次週はその話を盛り上げていきたいと思います。
どうもありがとうございました。
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