1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
  2. #62 キャリアチェンジをした..
2025-02-06 15:50

#62 キャリアチェンジをしたのは「高校3年生」。高校球児時代のお話。|ゲスト: 高原幸一郎さん

【今月のゲスト】

株式会社NearMe代表取締役社長 高原幸一郎さん

【今回のトークテーマ】

・高原さんのモットーは「その瞬間ワクワクすることの連続でいい」

・キャリアチェンジをしたのは「高校3年生」。高校球児時代のお話。


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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サマリー

高原幸一郎さんは、高校時代の厳しい野球環境からキャリアを変え、特に地域課題の解決に取り組むスタートアップ、株式会社ニアミーを立ち上げています。彼は高校野球の経験を生かし、自由な環境を求めて海外留学を決意しました。高校3年生でのキャリアチェンジに関するエピソードでは、カナダでの留学経験を通じてグローバルな環境の重要性を認識し、SAPでの業務改革に取り組んでいます。彼は直感やワクワク感を大切にしながらキャリアを築いてきたことを振り返ります。

ニアミーの創業背景
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠三宏さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイディアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
パーソナリティーを務めます、小篠三宏です。
今、私がいる場所は、大寺飛鳥山にある邸宅の談話室。
こちらに、北区内外の多彩な企業家、経営者をお招きして、グラスを傾けながらじっくり楽しくお話をする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
今月のゲストは、この方です。
高原幸一郎です。よろしくお願いいたします。
株式会社ニアミーの代表取締役、社長を務めの高原幸一郎さんにお会いいただきました。
高原さんとは何年前ですかね、お会いしたの。もうコロナの前だから、最初は多分…
そうですね、5年…
ニアミー、後でお話出ますけど、ニアミーを創業された頃のような、直後ぐらいの感じなんだけどね。
そうすると7年ぐらいも経ってる感じですね。
素晴らしい経営者で、まず株式会社ニアミー、お聞きの方、皆さん、この会社の名前知ってるかな。
事業内容はもしかしたらご存知かもしれないんですが、ちょっとこの会社についてご説明いただけますか。
はい、ありがとうございます。ニアミーという会社は、もともと地域の課題解決をしたいと思って立ち上げた会社で、
その中でも特に移動の課題が大きいなと思いましたので、今、初めてからモビリティのスタートアップというふうに見られることが多いんですが、
移動のサービスを提供している会社です。
具体的には、例えば皆さんが空港に行くのに、ドアツードアでシェアで、相乗りで空港に行けるという送迎のサービスをやってまして、
こういった送迎のドアツードアのシェアサービスをやりながら、空港以外にも、最近は観光向けとか自治体向けにこの仕組みを提供することで、
移動の課題を解決し、地域課題に向き合っている、そんなスタートアップでございます。
なるほど。移動の課題に着目されたというのは何かきっかけだったんですかね。
そうですね。地域の課題って考えると、本当多岐にわたりますし、いろんなテーマがあるんですけど、
結構そこはですね、私の現体験が強くてですね、そこから着想を得て、移動のサービスをやろうと思ったんです。
私が当時住んでいたのが、埼玉の郊外で、最寄り駅からバスに乗って帰らないといけないところに住んでいたんです。
それはバスが、夜の10時38分には最終バスが終わってしまって、当時それに激しく働いていたので、ほとんど週に3回以上ですね、終バスを逃すと。
そうするとタクシーで帰らなきゃいけないんですね。
最寄り駅から終バス後の駅前はですね、タクシー待ちの行列がすごくて、この行列を待つ時間も負担だし、1人1台乗っていくと。
その時に、どうせタクシー、バスがあったらバス乗る人たちだと思うんですが、これ1人1台乗ってタクシー代も高いし、またこの待ち時間もペインだから、みんなでシェアしたら、これどんどん解決していくんじゃないかなと思ったんです。
そこがまず自分の現体験として、住んでいる地域は郊外で、緑も豊かでいいんだけど、この移動が悪いことで非常に住みにくくなっているっていうのを解決できないかな、みたいなのは当時から移動の課題には感じていて。
もう一つ現体験がありまして、私が住んでいたところが集合住宅で、今でいうURを文庄中古で買ったんですけど、当時その地区30年ぐらいのところをリノベーしていて、そこに住んでいる400世帯ぐらいのコミュニティというのは、当時新地区で買った人たちがメインなんで、当時40代ぐらいで買った方が30年経ってますから。
もう78が当たり前のコミュニティに住んでたんです。
この方々の10年後とかを考えたときに、この人たちは移動をどうするんだっていう問題意識もありましたし、いろんな食べることとか移動することも含めて、この地域、このコミュニティがどう持続可能になっていくのかみたいな問題意識が生活の中にあって、
そういうのもあって、雨とか雪降ったら陸のことを犯しちゃうような地域だったので、やっぱりこの移動にテーマというのは地域の課題解決するためには大きいのではないかという、自分の今言った減体験が結構、今回サービスを始めたって着想になりましたし、思い通してこれを何とかしたいという気持ちになった背景ですかね。
高校野球の厳しい環境
減体験という言葉で表現されてますけど、本当に自分の非常に近いところというか、すごく足元をしっかりと見つめながら、後ほどお話を伺いますが、ビジネスモデルを構築していったということですよね。
やっぱりそういう課題だとか、ある種ちょっと何か解決しなきゃなというふうな思いをする減体験としてね。僕が高原さんと親しくなった時、高原さんが高校野球やってた。僕も高校野球児だったし、監督もやった経験があるので。
しかも高原さんは、私の西東京の実は憧れの高原さんと甲子園に出てるでしょ。
僕自身は出てないんですけど、二高へは出たら高校に入ったような感じですね。
そういう強豪校だったということで、そこでの経験とかっていうのは何か生きてるっていうのはあります?
そうですね。私は小中高はずっと野球に専念したい、プロ野球選手になりたいと思っていたんです。
高校を選ぶ時も、きっと甲子園に行った高校に行けば一番プロに近いんだろうと。一番強い高校に行けばいいっていう結構シンプルな考えで当時一番強い高校に入って、それで二高へが甲子園に出たと。
その時に一年生だったんですけど、非常に上下関係が厳しい社会にいて。
もう平成?
平成には?
1900何年?
94年ぐらい?
平成5年とか。よく僕ら昭和って切り捨てられるんだけど、十分、指導者昭和だしね。
指導者昭和。昭和な環境にいたんだと思うんです。当然監督の成功体験があるから、そのやり方で教えてくださって。
やり方がいいか悪いかというよりも、僕がいた環境というのは非常に、私の言葉でいうと理不尽な社会にいたなと。
上下関係が厳しくて、殴られるじゃないですか、そういうこともありましたし、いろんなルールがありましたし、理不尽なルールって言うんですかね。何のためのルールかみたいなのもありましたし、笑顔は出せないし。
歯見せるなとかね。
笑顔は出せないっていうこととか、先輩の言うことは絶対ですし、そういうかなり閉塞的な上下関係の社会にいたなと思いますね。
なるほど。それでちょっと潰れていっちゃったりとかいうのはあるんだけど、高畑さんがこれだけ大変なものになっているっていうのは、それを自分の中で良い方に転化したと思うんだけど、それはどういうふうに繋がっていくの?
これは結果論かもしれないんですけど、私はポジションとしてはピッチャーだったんですけど、肩を怪我してしまって、しかも高1の頃に怪我してしまって、練習3年間も続けたんですけども、レギュラーになれず、強い高校には当時行きましたが、レギュラーになれず、そういう意味では怪我も治らず、
留学への道
3年生の時にキャリアチェンジをしなきゃいけないと。私の中のキャリアチェンジは高校3年生の時にあったと思っていて、薬以外のことをやらなきゃいけないという時に、これは僕の場合は、自分がいた環境を踏まえてどうするかにあたっては、私の場合は、そういった閉塞的な理不尽な社会にはいたくないというふうに強い気持ちになり、
自分のコミュニケーションがちゃんと伝わっていくみたいな。
そう。自由、活達な環境に行こうと思った時に、私の場合は日本じゃないなと思っちゃったんです。日本じゃなく海外に目を向けようと。なので、進学するにしても、留学をする前提で進学をすることを決めた。
いわゆるキャリアチェンジをしなきゃいけない状況になった時に、自分がどういう環境に置きたいかというところで考えついたのは、逆に触れて、厳しい環境の延長というよりは、自由な環境イコール、私の当時は日本じゃなく海外だというふうに留学しようと思って。
実際に留学されて、そういう環境を得られました?
本当に当時そこまで描いていたことはなくて、自分をワクワクするとか、いいなって気持ちに素直にしたかった結果だと思うんですけど、行ってよかったなと思うんです。
それは本当にいろんな、当時行ったところはカナダのバンクーバーってところだったんですけど、いろんなバックグラウンドの方がいて。
人種もアジアも多いしね。
そうなんです。アジアの方も多いし、母国語もあって、英語という共通言語で、皆さんが知った激励というか、自由活達に切磋琢磨している環境に見置いたときに、自分はこういうフラットでオープンな、自由に意見を入れて前向きに物事を進められるような環境が、自分にとってはよかったなという気づきが当時ありましたね。
行ってよかったなという、本当に思います。
なるほど。やっぱりその後も、要するに日本へ帰られ、サップジャパンの新卒で入社ということで、この会社もIT企業としてはヨーロッパ最大級ということですから、ここではどういう、やっぱり今のアメリカでのキャリア、カナダでのキャリアというものが活かせた感じですか?
そうですね、活かせたと思います。まずは、そもそもSAPに行こうと思った選択のときに、カナダには1年近く留学をして、帰ってきて、やっぱり自分が見置く環境はグローバルな環境がいいと。
まだ大学生で考えることは非常に深みがないかもしれないんですけど、大きく私はキーワードが2つあったんですよ。
1つはグローバルな企業、先ほど言ったような環境に身を置きたいので、グローバルな企業、つまりその業界で世界一の企業に行こうと。
そうしたらきっとそういう環境に身を置けるんじゃないかということで、キーワードとしてグローバル。
もう1つはなんとなくインパクトのあることをしたいなと思ったんですね、社会に対して。
自分の存在意義もそうかもしれませんが、自分を通して、会社を通して自分の能力以上のことを社会に提供できる、与えるためにはインパクトができる事業を選びたいなと。
そうすると、例えば分かりやすいところで言うとインフラみたいな。そこには鉄とかエネルギーもインフラだと思うんですけど、私の中では情報インフラって面白いなと。
ソフトウェアを通じて見えないんだけども企業の変革が促されるとか、それが起きていく。しかも見えないから広がりもあって見えたんで、私のときは非常にワクワクしたんですね。
そのグローバル×情報インフラでご縁があったのがSAPで、それで新卒でSAPという会社に入りました。
直感に従ったキャリア
やってたことは10年ほどSAPにいたんですけど、やってたことは今の言葉で言う業務DXみたいなことをひたすらやってました。
いわゆる大手と言われる企業の国内外の会社様に彼らの課題をお聞きして、新しい業務設計してソフトウェアで実装すると。
それを改善も含めてやって一通り業務の改革プロジェクトみたいなことをいろんな企業で10年ほどやってましたね。
SAPで最初のキャリアはそういった形でやってました。
いくつも今アメリカのとき就職をされたので、自分がワクワクするというキーワードが出てきたんだけど、これは今に至るまでずっとそういう感じ?
そうですね。振り返ってみるとずっとそうだなと思いますし、あるとき本当に進路を一生懸命考えたときに思ったのは、それこそスティーブ・ジョブズさんの言葉にあった
Follow your heart and intuition という言葉があって、僕はそこはすごく大事にしていて、ロジックでいろんなことを考えるんだけど、最後は自分の気持ちと直感に従う。
それは正しいんじゃないかっていうのを思えたんです。
結局未来のことを想像してその通りに行くっていうのは、この時代というか環境の中で難しいじゃないですか。
だったらその瞬間一番ワクワクすることの連続でいいと。
そうしたときに振り返ってみたら点と点が繋がってやってよかったって思えるわけで、今からこうやってこうやってこうなるみたいなもので想像できないっていうのがわかったときに、僕はその瞬間ワクワクすることに没頭することでいいんだなって思えて、それを大事にしてますね。
それは本当に僕ももう66年かかってようやくそんな感じがしてきたけど。
不透明、結構じゃないかと。
結構なんです。
先が見えなくて結構じゃないかと。
不確実で結構と。
だから最後は直感で決められる、直感を信じられるだけの蓄積もしていくっていうね。
そうですね、それも大事だと思います。
そういうことですよね。
いいお話を伺いましたね。
まださらに日本国内に戻ってのキャリアもありますが、そのへんのところはまた次週お伺いしていきたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
15:50

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