1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
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2025-04-01 16:56

#74 秋葉原のコンセプト系飲食店の企画運営から、大阪の八百屋まで?!幅広いジャンルの職を経験された背景は…?|ゲスト: 梶谷篤志さん

【今月のゲスト】

株式会社みのりプロジェクト代表取締役 梶谷篤志さん

【今回のトークテーマ】

・北区王子で6店舗飲食店を展開される梶谷さんのご出身は?

・秋葉原のコンセプト系飲食店の企画運営から、大阪の八百屋まで?!幅広いジャンルの職を経験された背景は…?


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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サマリー

梶谷敦志さんは、秋葉原のコンセプト系飲食店での経験を経て、現在は東京都北区大寺で複数の飲食店を経営しています。彼は豊富な職業経験や起業家精神について話します。今回、梶谷さんは秋葉原のコンセプト系飲食店の企画運営や多様な職業経験について語ります。大阪の八百屋や兵庫の温泉ホテルでの経験を通じて、食への情熱がどのように育まれたのかが紹介されます。

梶谷さんの飲食店経営
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠三宏さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
パーソナリティを務めます小篠三宏です。
今、私がいる場所は、大寺飛鳥山にある邸宅の談話室。
こちらに、北区内外の多彩な企業家、経営者をお招きしてグラスを傾けながら、じっくり楽しくお話しする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
今月は、北区大寺の飲食店を6店舗経営されているスペシャリストをお迎えしております。
株式会社みのりプロジェクト代表取締役、梶谷敦史さんです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
早速、梶谷さんから事業内容を含めて、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
はい。私、株式会社みのりプロジェクト代表取締役の梶谷敦史と申します。
株式会社みのりプロジェクトは、東京都北区大寺の1丁目でだけで飲食店6店舗をやっておりまして、本店がイタリアンレストランのトラットリアみのりというお店で、今、8年目になります。
その他、バーピュアレストノートですとか、コーヒーの焙煎所の大寺、コーヒー焙煎所サクラピアス、ハーブ&ビアダイニング、春風千里など、大寺のお店でいろいろ楽しいお店を展開させていただいております。
なるほど。いろんなメディアでも梶谷さんのお店を見ることが多くて、本当に勢いの止まらない梶谷さんでございますけれども、今日はこれからあまり収録とか言っちゃいけないので、5本撮りますから。
本月5本でいきますから、ぜひ梶谷さんの仕事っぷり、それからプライベートも含めて、たっぷりと深掘りをしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
出身地と学生時代
よろしくお願いします。
ということで、ちょっとプライベートからスタートしたいと思いますけれども、ご出身はどちらなんですか?
私出身は、今は実家が兵庫県の神戸市にあるんですが、生まれたところは大阪府の寝屋川市で、父の実家の関係で、基本的にふるさとを寄生する先は島根県の出雲市になります。
なるほど。神様に守られているような。
そうなんですよ、本当に。私も親族に神社にとっついた人とか、毎年出雲大社なんて本当にちっちゃい頃から毎年行ったりとかするぐらい。
何年ぐらい前かな、50年ぐらい前。小学校6年生ぐらいのときに行きましたけどね。なんかやっぱりちょっと空気の違う場所ですよね。
そうですよね。ありがとうございます、来ていただいて。
学生時代は打ち込んだ部活とかそういうのあるんですか?
部活っていうほどうちの私が行っていた学校がそれほど部活に力を入れているわけじゃなかったので、あんまり物だった活動はしていないんですけど、一応野球というものに所属はしていましたが。
今でも野球を好き?
好きですよ。見るも、やるも多分筋肉がついていかないんですけど。
やっぱりプロ野球のご卑怯は阪神タイガスですか?
そんな時期もありましたね。
どうですかね。やっぱり野球の話を始めちゃうと、僕もずっと野球やってたんでね。これで終わっちゃうもんですからね。
全然私も行けますよ、5本ぐらい。
じゃあそれは次の機会ということで、またお仕事の話に戻りたいと思いますけども。
今、飲食店を経営されてるんですけれども、ご自身も料理とかもされるんですよね、もちろん。
もちろんです。全然調理場立つこともありますし、イタリアンレストランにランチ来ていただける私、よくピザを焼いている姿が見られると思います。
経営だけじゃないですよね。プライベートでもご家庭で料理をされる機会もあるんですか?
これがこの仕事をやり始めてから、家で一切と言っていいほどやらなくなってしまって。
というのも私、今は独身なんですけど、家帰っても一人なわけですよ。
飲食店で誰かに食べてもらうものじゃないですか。食べてもらう人がいない料理に面白みを感じなくなってしまって、
家は本当に調理器具もないんじゃないかぐらい何もしてないんですよ。
食べてもらう人を探さなきゃいけないんですよ。
どなたかいれば、いいですか、このラジオで募集しても。いつでもお店のほうでお待ちしておりますので、いつでも私のお隣に立っていただける方、募集しております。
そうですか。私の身内にも何人かおりますので、ぜひ面倒し方々、お店に連れて行きたいと思います。
職業遍歴とコンセプト系飲食店
よろしくお願いします。
さて、本当に今のお仕事ぶりからすると、大変起業家精神にあふれる梶谷さんなんですけども、子供時代というのはどうですか。
やっぱりそういうリーダーシップにあふれたみたいな、そんな感じだったんですか。
リーダーシップ。その中、一番イケてるチームに入ってたとか、そういう感じというよりかは、
みんないろんなところで一人で遊んでたり、どう加わっていいかわかんないかなみたいな人たちと、隅っこのほうでみんなで遊んだりしてるような感じだったような気がしてはいます。
何かクラス全体をまとめて、公式に何かとかっていうんじゃなくて、どっちかというとちょっとした何人かの集まりの中で中心になってみたいな感じかな。
そんな感じです。生徒会長みたいなのやったことないですし。
その中で、こんな面白いことやったよっていうのは。
何かあるんですかね。でもよく公園とかにみんなで集まって、秘密基地作ったりとか、落とし穴作ったりとかして、いろいろ怒られたりもしましたけど、
みんなで何か作業するみたいなのは結構好きでしたね。
今の子供たちも秘密基地作るってやるのかね。
やっていい場所ありますよ。
田舎だったからいいですけど。
結構僕たちの子供の頃っていうのはね、まだ昭和40年代ですからね。
行ってみても、いわゆる太平洋戦争が終わってから20年とかね、そういうタイミングでしょ。
なんとなくやっぱりそういう意向とかが残ってて。
ちょっと不思議な穴蔵があったりとか。
それからドラえもんなんかによく出てくるけど、土管があってとか。
秘密基地にしたくなるような場所がたくさんあったですよ。
梶谷さんの周りにもそんな場所があったんですか。
そうなんですよね。私今ちょっと最初にも申し上げましたが、今神戸が出身ということなんですけど、
ちょうどニュータウン開発みたいなのが結構盛んだったところで、
まだ使われてない空き地とか資材置き場とか廃材が捨ててあったりとか、そういう場所が結構あって、
材料と場所には困らなかったっていうのがあるんですよね。
それで結構やれたかなっていうのがありますけど。
その場にあるもので眺めながら、これちょっとライフルに似てるから見立てにしようとか。
これはこういうところで使えるとかね。
僕自身もそういうところでその場にあるもので楽しむみたいな物語を作っていくみたいなね。
秘密基地で何々が攻撃してくるからそれに備えようとか、
自分の中でどこかで見たようなストーリーを自分の中で作ってみたいなのがあったと思うんですけど。
そういうのありました?
そうですね。僕は木の上とかに作るのが好きで、本当に見つかりにくい場所みたいな。
高いとこ登りたかったんですよね。何にも襲われるとかでもないんですけど、
自分たちが誰からも世界から確立された場所じゃないけど、
そういう感じの意味合いで作って、時々みんなで登って、何をするわけでもなくみたいな感じのところが好きでしたね。
やっぱりまさにマーク・トウェインのトム・ソウヤーみたいなね、世界で。
今、東京ディズニーランドに行ってお金払って、それがあります、それを楽しみますみたいな感じなんだけど、
そういうのを自分たちで作るっていうのは、今の子どもたちにも色々やってもらいたいなと思うよね。
そうですよ。めちゃくちゃ思います。
もし仮に私に子どもができることがあるんだとしたら、そういうことができるようにしたいなと思いますね。
なるほど。
さて、少し飛びますけれども、大学に出られて、結構転職をされて、
まず最初は秋葉原のコンセプト系の飲食店とか、ちょっとその辺の職業遍歴みたいな話をしていただけます?
いいんですか。一周終わるかもしれないですけど。
最初ご紹介いただいた秋葉原のコンセプト系飲食店は、いわゆるメイドカフェだったりとか、
例えば鉄道モチーフにしたお店ですよとか、スプレーモチーフにした居酒屋ですよとか、
そういう飲食店をやっていただける会社さんだったんです。
本当に全然新卒の感じというよりかは、本当に町のタンカー、求人誌に載ってるようなもので、
普通にふらっと面白そうだなって、アルバイト行くぐらいの感覚で応募して、
なんか楽しかったんでそのまま入っちゃったみたいな会社なんですけど、
本当に食というものを使っていろんなアプローチの仕方をする。
特にその会社さん、アニメとか映画とか、アーティストさんとかですね、
コラボのカフェ、そういうコンテンツと出てくる料料理とか、
何々のアーティストさんが好きな飲み物とか、そんなのでお店を作り上げるみたいなところをやってて、
いろいろただ料理作るとか飲み物作るだけじゃない方向性を楽しませていただいたような会社が一番最初でした。
そういう中でご自身が携われて企画で一番印象に残ってるとかっていうのがあれば教えてもらえますか?
そうですね。一番になるというと、アニソンのレーベルさんの大きい、
もう最大手かそれぐらいっていうアニソンのレーベルさんですね、レコード会社さんが、
その自分とこのアーティストさんほぼ全部集めて野外フェスをやります。
秋葉原の飲食企画
何万人って集める野外フェスを東京と大阪と名古屋というか愛知県とあとは仙台でやりますみたいなやつの
公式飲食ブースの企画から運営まで全部やったんですけど、本当にアーティストさんのイメージ許諾取りからどうやってやって、
売上げだって何千万億とかになってきて何万人が使うお店をどう処理するかみたいな位置から作るっていうのは、
本当にアーティストさん、レコード会社さんの柔軟な発想というか、これやったら面白いんじゃない?
こんなんできるんじゃないの?みたいな、その我々の飲食業の常識を超えたところの要望があって、
実際やっぱり普通の飲食業専門とかだといや、そんなんできないよみたいなのがある中で、
僕がたまたま面白そうじゃんと思って何も知らないわが像だったんだよって言って、
やった結果すごい喜んでもらえて実現してお客さんもすごい反応良くて、
私が退職してから別の会社がその企画を引き継ぐことになったんですけど、
未だにその企画の種がずっと続いてるみたいなのがあって、
もうすごいそれは未だに印象に残ってて、私のターニングポイントだったんじゃないかと思って。
なるほどね。
その他岡山県の農家に住み込みをされたり、大阪の八百屋さん、兵庫の温泉ホテルの調理場っていう、
食っていう共通点は全部あるんだけど、いろんなジャンルを経験されてるんですね。
私が食に携わるきっかけっていうのは全然大学生のアルバイトのときに、
イタリアのレストランだったりタイニングバーだったりっていうところでやらせていただいたんですけれども、
そこからいろいろやるにあたって食にすごい興味を持って、
じゃあ作るところから流通から、それをお客さまに届けるところからみたいないろんなものにちょっと興味を持ってしまって、
ただその興味のままにいろんなところに問い合わせて、
働きたいですとか求人に応募して働いてみたいな感じを続けたような感じ。
今は興味を覚えてっていう話がありましたけど、
そうすると例えば今現在の六店舗を経営されてっていうところから逆算すると、
いかにも大学卒業して計画的にいろんなジャンルを勉強しようみたいな計画性を感じるんだけど、
そういうことではない?
全くなくて、いまだに別に飲食店を起業しようと思っていることは一つもなくて、
私大学では都市計画とか地域振興みたいなものを勉強していて、
それはもう小さい頃から、住んでたところから、
島根県の出雲市って周りに家一個もないみたいな田舎ですし、
ニュータウン開発の神戸市のところだったり、
長谷川とか文化住宅続く大阪のところで生まれたりとか、
そういう街の作り、いろんなところがある中で地域活性だったり、
そういうのに興味があったので、どっちかといえばそっちをやりたかった。
そういう中で、たまたまでもそこの全部のところに軸としてあるのは、
食だなというふうに思って、食に興味を持ったので、
いまだに飲食店でやっているのかなと思っています。
王子へのつながり
なるほど、そうですか。
そして、起業直前にはアニメート。
これはアニメーション関連のグッズだとか大変大きな会社ですが、
こちらに入社をされてということで、
ここが一つターニングポイント。
先ほどターニングポイントの話ありましたけど、
基本直前ですからね、きっかけになったと思いますが、
このときはどんなお仕事をされたんですか。
このときは全国にアニメとかそういうコンテンツをモチーフにした、
期間限定のレストラン、カフェをアニメートは10本くらい持っているんですよ。
北から南から全部持っているんですけど、
そこのどういう判件で、どういうそこにメニューをやってみたいなのと、
メニューを考える仕事、メニュー開発の仕事をしていたんですよ。
食の付加価値というところにすごい興味があって、
その専門職に応募させていただいたような感じですね。
なるほど。これが今の緑につながっていくというのは、
そこはちょっと落差がまだ。
どういう感じでつながっていったの。
私、全国を岡山だったり大阪だったり兵庫県だったりというところで点々とした中で、
当然アニメートという会社は東京にあるわけですけれども、
一番最初働いた秋葉原の会社も東京。
久しぶりに東京に帰ってきたわけですよ。
そうすると、秋葉原のコンセプト系のお店で働いていたときの、
先輩ではあるんですがパートのおばちゃんがいて、
そのおばちゃんが東京帰ってきたんなら、
ちょっとあなた今土日暇でしょ、あなた友達もいないんだからと言って、
ちょっと手伝いに行きなさいって言われて、
王子の飲食店というか王子のイタリアンレストランに、
私が休みの日にバイトでお手伝いをして関わり始めたのが、
そこで王子につながるんだ。
そうなんですよ。
なるほど。
そのおばちゃんが王子の近くに住んでなければつながってないんです。
なるほど。ちょっとそのおばちゃんを探し出して表彰しなきゃいけない。
そうですか。なるほど。
今まで梶谷さんの人生を遡って伺ってきましたけれども、
ここでようやく王子、そして企業にお話がつながってきましたので、
次週についてはその辺のところを深掘りしてお伺いしたいと思います。
また来週もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
16:56

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