00:06
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
さあ、今月のゲストは、株式会社JTVの相談役、そして東京商工会議所副会長、田川博己さんをお招きしております。
実は、今月は5週にわたる配信となっておりまして、今回は折り返し地点の第3週目ということでございます。
旅行業界のトップであるJTVの代表取締役社長、会長を歴任された田川さんだからこそ話せる。もう辞めちゃったからこそ話せるかな。わかりませんが、そんなJTVのお話を伺っていきたいなというふうに思います。
今週もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まずそういうベップをやり、外国人旅行のアセントをやりながら国内の方に戻られたんですね。
私の今の原点がベップから戻ってきて、ベップで感じたことを本社へ戻ってきてやった8年半ぐらいの間のことが、その後の僕の人生にすごく影響しているのは2つありまして、
当時JTV、日本交通公社ですけれども、切符を支柱で売るというのが中心であったので、なんとなく旅行はそのついでにやっているみたいなイメージがあって、旅行業法もまだその頃はなくてですね。
そうですか。
したがってどちらかというと旅行料にもチケットを売ると。
私はさっきも言いましたように、ベップにいたので温泉街とか旅館の皆さんに旅行に行ってほしいと要請を受けて本社へ戻ってきて、宿泊プランを作りたいといって、
例えば琥珀だとか旅場だとかという名前をついたグレード別の旅行商品とか、ホテルのグレード別商品とかそういうのを開発して、ゴルフもパッケージ旅行のエース化をしたり、ハイヤーとかバスをそういうのをやったんですけれども、
やっぱりなかなかまだそれは他の旅行会社にもほとんどやっていない時代なので。
今なら当たり前のことをスタートされたんですね。
今でいうとインターネットで売っている旅行宿泊プランの原型を全部作りました。
それを70周年の記念事業のときに、ちょうど私が国内旅行部に最後のときに70周年になったんですけれども、
一つ先輩が頼まれたのは、何か70周年を思い切ったことができないかと言われて、やったのが地域の宿泊施設をうまく使ってやるために、昔の伝統芸能をうまくやる、森のにぎわいというのを作りました。
03:15
今は30何年間、相変わらず続いているんですけれども、観光地クリエイターキャンペーンってゴミ拾いです。
今でいうとちょっと違う名前を使っているんですけれども、まさにそういうものを70周年の記念事業を打ち出してやったんですけれども、
そのときに先輩に言われたのが、そんなのうまくいくのって言われたんだけど、JTPでそこでスタートしたんですね。
それが今の地域創生の源流になっているんですね。
それがあってずっとそのものを持って、その後の人生を送っていると言ってもおかしくないかもしれない。
そのクリーンナップって、今でこそSDGsだとか環境だとかって言われていますけれども、
1970年代、80年代になるかどうかぐらいのタイミングですよね。
70周年というのはJTPが1912年ですから、82年ですよね。
ちょうど旅行業ができたのと同じ時期は70周年だったんです。
そのときにそういうものを始めました。
というのは正直申し上げて、当時郊外で日本の海は山や都市は汚れていたわけですよね。
それをやっぱり観光地というのはきれいじゃないといけないわけで、
そういう意味で海とか山とかをきれいにしようと。
JTPに旅館ホテル連盟というのは、その旅館の皆さんと協力して、
そこにゴミ拾いした後に旅館に食事をしてお風呂に入って帰るというバスツアーをたくさん作ったんです。
これは本当にボランティア的なツアーなんですけど、
これは今でも大事にしているテーマなんですけど、今風で言えばSDGsなのかもしれません。
でもそういうのは結局観光地はきれいじゃないと誰も行かないということになるので、
今考えると非常にいいことだったかなと。
この渋沢FMを主催されている北区観光協会の大前会長はですね、
いつもおっしゃるのはトイレがきれいじゃなきゃ絶対ダメだということをよくおっしゃられていて、
この飛鳥山を観光地としてしっかりとしたものにしていこうという中でもですね、
まずトイレからだよという話をよくされていましたね。
おっしゃるとおり。私も例えばお店を作るときですね、トイレをきれいにするというのが一番大事なことで、
お客様がご案内をするときですね、時間が長くなるとね、
お年の方はちょっとトイレどこですかって惹かれるので、
そのときに案内する場所が汚いとだらしないなと思われるので、
だからビルに入るときもトイレのきれいなビルしか入らないと、入店しないって、
そういう決め事はしてましたね。
本当ですか。これは近年私なんか感じることですけれども、
日本の観光地も含めてですね、トイレきれいになりましたよね。
きれいになりました。
中国はずっと観光客が増えるにしたがって、最初にきれいにしたのがトイレなんですよね。
06:05
トイレの汚い国ってたぶん行きたがらないんですよね。
そうですね。特にやっぱり女性はダメだと思いますよね。
ですからそういう意味で、意外に生活の原点みたいなことが観光にもですね、
すごく影響しているって考えると、なかなか奥深いなというところがあると思うんですけどね。
これ僕の思い出話になりますけれども、今から20数年前に家族で台湾に旅行に行ったときに、
やっぱり子供がトイレに行きたいって言い始めて、
あんまりトイレきれいじゃなさそうだなと思って、
新興三越行って駅の前にありますよね、台北の。
あそこのトイレだったら大丈夫だろうと思って行ったら、三越なのにすごくきれいじゃなかったんですね。
やっぱりその時にも、あの当時の台湾はまだまだこういう感じなのね、みたいな話をしてたの。
今すごく印象的で。
たぶん世界中で一番トイレがきれいな国は日本だと思います。
やっぱりアメリカでもどこでもそうきれいではなくてですね。
やっぱりそういう意味で、今全世界で先進国と言われている国のトイレは本当にきれいです。
これ結構大事なテーマだと思います。
さてちょっとお話変わりますけれども、1912年の創立という話が先ほども出ましたけれども、
もう100周年を超えられてというJTV。
このトップとして旅行業界の中でどういうお考えでお仕事を進められたのかという話をお聞かせください。
50年以上この仕事をしているんですけれども、さっきも一番最初はチケットを売っているというイメージ。
社長になる直前は旅行事業本部長で旅行統括。
東の営業本部長もやったんですけれども、そういう現場を見ていると本当にいいのかなと。
さっきの原点に戻ってキャッチャーから見たらですね、受け値から見たら旅行会社って何やっているのっていうふうに、
ただお客さんを送るだけですか、そうするとそうじゃないんじゃないかと。
だから旅行会社を変えるにはピッチャーとキャッチャーの両方の役を同時にできる。
その結果生まれた商品というのがルックであったりエースであったりなくちゃいけないので、
頭でっかちの旅行商品屋さんが作っているということではないと。
そうしないと本当のお客様のニーズを受け取れないと。
マーケティングをやる発地の話とプロダクトアウトの受け値の話を両方対等に聞けるような会社組織でないと難しいんじゃないかというのが、
私が始めたディストネーションマネジメントカンパリーという、そういうのに近づけるために、
いよいよ社長になったときに本格的に始めるぞと合礼をかけたのが最初なんですね。
その前からもやったんですけれども、そういうことで地域分社をしたときにですね、
地域の社長さんにはその思いをどうのように自分たちでやるのかという、
09:02
単なる営業をやっているだけじゃなくて、地域のためにどう役立てるかということを考えながら旅行商品を作る。
よく言えばそういう話をね、最初に言いました。
ただ社長になってですね、ずっと旅行営業とか旅行事業のことをやっていましたから、
財務とかですね、人材育成というのも、それは人事部の仕事だった。
その財務の仕事だったんだけど、社長になったらトータルで見なくちゃいけなくなってですね。
その上にグローバル化という話もあってですね。
しかし私は基本がディストレーションバネジメントであれば、必ずそういうものが全部跳ね返ってくる。
ただやっぱり時間がかかる話なので、2年とか3年の中期計画では難しいので、
5年とか10年とか、そういう意味での計画の作り方をやる。
それから評価軸もですね、単なる単年度の評価軸を作らないで、
支店長には3年でやるとか、テーマを決めてやるとか、そういう評価軸をたくさん作って、
人事部とかそういうところが大変だったかもしれませんけれども、
そういうことをやってきたプロセスがありますね。
そのことによって、GTBという旅行会社のイメージを変えたいというのがすごくありました。
それが社長の時の最初の抱負だったんです。
ですから、観光とか旅行じゃなくて、トゥーリズム。
要するに人を動かして、そこで何かをしていくという仕事。
だからトゥーリズム業をやりたい。旅行業でもなく観光業でもなく。
というイメージを出して、最初の社長就任の時の全軍に対する支持はそういう一つの内容でした。
いわゆるトゥーリズムという言葉は、我々も一般に耳をするようになって、そんなに長くないというか。
それを言い始められたのも、まさに田川さんでいらっしゃったということですね。
私、書いた本を読んでいただいたんですけれども、その中に自分で定義したことがあってですね。
人々の流れを創出し、交流・消費を促すともに、新たな価値観を作り出す活動というのをトゥーリズムだと。
まさにこのことを社長として会社の事業のドメインとして置いたというのが、英語で言うとディストレーション・マネジメント・カンパニーという、そういう言い方をしたんですね。
だからトゥーリズムの概念って、多分移動とか交流というだけだと思うんですけど、
作り出すという創出力みたいなことがトゥーリズムにはあるので、それを生業としていきたいなと。
ですから旅行業でも観光業でもない、もっと上の上位概念のトゥーリズム業をやりたいというのが一つの考えとしてはありました。
やっぱり大企業のトップとして、理念とか思いはあると。
それを実際にやっていこうと思う時に、それを利益にしていくというんでしょうかね。
12:00
マネタイズしていく部分という中で、やっぱり現場はちょっとどうなんだろうと思うところもあるんじゃないかと思います。
今の流れがありますから、まさにイノベーションなんですけども、
実は昔90年代の45歳の時に、ルックのモノブランドという、実はルックともう一つその時はメインディッシュのパレットという商品があって、
30万円ぐらいで出た商品をですね、ルック一本化にするので、30万円で出ている商品を撤退というか、やめちゃったんですね。
そういうことを常務会にかけて海外旅行部の次長の時にやったんですけども、その経験がちょっとありましてですね、やっぱりどういう信念をつくるかというと2つありまして、
そこで一つは人がやっぱり重要だと、やる人。
もう一つは、その時は自分だったからいいんですけども、社長になると自分じゃなくて誰か。
人とそれから財務の財政力をどういうふうにすると、持っている内部利用とか資産をどういうふうに使ってそれをやるかという。
ここがちょっと旅行事業の本部長の時代とは社長とは少し違うところなんですね。
この2つをやりたい事業と人と財政の3密体をどういうふうに作るかというところがやっぱり社長としては一番大変だったんですけども、おかげさまでそういうことができるので、
交流文化産業と始めてそれを交流文化事業にして、今交流創造事業、要するに創出という事業がGTBのドメイン。
それをやるためには2008年くらいからかかって、結局2017年までかかるから、10年近い年月がかかっているというふうには思いますね。
ありがとうございます。社長としての大変貴重な話を伺いました。4週目もまたよろしくお願いいたします。ありがとうございました。