【今月のゲスト】
株式会社NearMe代表取締役社長 高原幸一郎さん
【今回のトークテーマ】
・楽天への入社は、日本の会社が世界一を目指すことに「わくわくした」ことがきっかけ
・オンラインドラッグストアを運営する中で、「地域の物流の拠点」になるビジネスだと感じた
東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が
王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。
グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。
▼しぶさわくんFM公式サイト
▼公式X →@shibusawakunfm
サマリー
高原幸一郎さんは、楽天への入社を決めた理由として、日本の企業が世界一を目指すことに魅力を感じています。彼は楽天での経験を通じて、特に物流や日用品のeコマースにおけるワクワク感やインパクトについて語り、次第に独立を考えるようになります。高原幸一郎さんは地域の課題解決に向けて日本に帰国し、楽天ではなく自らの会社を立ち上げる決断をします。彼は資金繰りの難しさや事業を続けるための苦労を振り返りながら、独立した起業家としての体験を語っています。
00:06
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
今晩は、小篠光洋です。今週も引き続き、株式会社ニアミーの代表取締役社長を務めの高原幸一郎さんをお迎えしています。
楽天入社の背景
今回は、SAP JAPANから日本の楽天に転籍される。この辺のお話から伺っていきたいと思います。高原さん、今週もよろしくお願いいたします。
ということで、高原さんは楽天で、アメリカグループ会社の副社長、役員なども歴任されて、会社の中賃に最終的にはなられたわけですけれども、転籍のきっかけみたいなのは何だったんですか。
はい、ありがとうございます。少し長くなるんですけど、SAPにいた時、10年ぐらい勤めてたんですけど、その中でもですね、徐々にせっかく業界で世界一の会社、グローバルな会社にいたので、当初通りグローバル人材になりたいな、みたいな思いがあって。
社内転職をする形で、SAPの中でもですね、徐々にグローバル組織に所属するようになっていったんです。いよいよもっと意思決定に関わるような仕事をしたいなと、本社としてですね、本社の中で。
思った時に、もう一度留学をしたいなと思いまして、そこで一度、アメリカの大学院にですね、SAPに一度席を置きながら、大学院2年間、いわゆるMBAを大学院に行って取得をしましてですね、卒業するところだったんです。
で、卒業してSAPに戻るというふうに思って、本社に転職というかですね、移動するぐらいの感覚でいたんですけど、行ってみたら行ってみたらですね、非常にいろんな刺激と学び回りまして、当時、日本の会社というとですね、やっぱり80年代の豊田さんの事例とか、そういったものが多いんですが、特に最近の事例ということで言うと、あまりアジアだと日本の企業の事例はなくて、
アジアだと、例えば中国のアリバマとかインドのTATAとかですね、日本のプレゼンスが相対的に下がっているんじゃないかというところに危機感を持ったというのもありますし、同時にですね、自分がそういう大学院生として、いろんな国から来た人たちと切磋琢磨している中で、
日本人的なマインドというか、まだまだ日本人とか日本企業がまだまだ活躍できるんじゃないかみたいな錯覚というかですね、変な自信も持ってしまいましてですね、そうした時にたまたまこれから日本の企業が世界一を目指すみたいなのにですね、ロマンを感じて、当時それを目指していた楽天にですね、ジョインすることを決めたと。
決めるにあたってはそういった背景がありましてですね、いわゆる日本の企業が世界一を目指すのに、日本と世界をつなぐような職場になれたらいいなと、そういう気持ちで楽天に入ったような経緯です。
楽天でのお仕事、前段ワクワク感、ワクワクする仕事ありました?
いや、結構ありましたね。元々楽天が目指そうとしている、結構インターネットを通じて社会をエンパワーメントするみたいなビジョンでやっている会社でして、70事業ぐらいありますので、どの事業に行くかみたいな、結構それこそ確実な感じなんですけど、私はそれよりも楽天が目指そうとしているミッション、ビジョンに共感していたので、正直何をやっていてもそれを感じられますし、それでいいと思っていたんですよ。
楽天は5年半ぐらいいたんですけど、前半2年が国内で、後半3年半がアメリカの企業を担当するんですけど、前半2年も別に楽天が目指そうとしていることに共感していたので、別に何をやるかというのは意識していなかったんですけど、最初に配属されたのは超ドメスティックな物流の事業の立ち上げだったんですよね。
物流というと、今でも問題ですけど、例えばラストワンマイルの物を届けるところの非効率さとか、人材不足というのが当時からあって、これを何とかしようと思ったら、たまたま通ったタクシーみたいな移動体も物流ネットワークに入ってきてもいいんじゃないかとか、そういうような感覚になりましたし、
ワクワクしたというところで言うと、その次に物流機能を持って日用品系の授業をやったんですよ。
日用品の授業なので、例えば分かりやすいところで言うとオンラインドラックストアの授業をやっていまして、お薬とかお水とかおむつとかティッシュをすぐ届けるというサービスだったんです。
そこには物流の機能があって、すぐ届くためには物流も持っていないといけないし、直接お客様に向け合うB2Cのeコマースのインターネットの授業をやっていましたので、お客様に対して直接サービスを提供する手触り感みたいなのが僕の中ですごくワクワクもしましたし、インパクトみたいなところで言うと直接買い物のペインを解決している感覚になったんですね。
これまでインターネットってどちらかというとエンターテインメントの要素が多かったんです。
ショッピングそのもの自体を楽しむみたいな。
ただそれがどんどん当時から日常生活に自然に入っていく流れを感じていまして、私が扱っていた商材がまさにドラッグストアの商材なので、別に物自体は同じものを近所のおうちのどこどこスーパーのティッシュとかドラッグストアのおむつとか。
そういったものと同じ商材なわけですね。
じゃあ同じ商材をわざわざ早く届けようと思ったときに地方の倉庫から持ってきてラストワンマイルドをつなげていくよりも地域のアセット、同じものであればその商材をつなげてその地域の中で循環していくような仕組みができたら面白いんじゃないかという当時から思っていて。
そうすると地域軸で仕組みを作っていけば、そこでのエコシステムみたいな循環する仕組みができて横展開されたら日本という単位になるし、それが栗をまたえた世界みたいな単位になる。
そのような広がりがありそうだと思って、当時すごくワクワクしたのを今でも覚えています。
ちょっと話がずれるんだけど、企画の地元に格安さんというお酒を売る会社がありますけど、この会社の社長さんと話した当時、多分そのくらいの頃だったと思うんだけど、
この社長さんも、うちの会社がこれから発展していくと、お酒を売るんじゃなくて物流の会社になっているかもしれませんよ、というふうにその当時おっしゃっていて。
今はもうまたものすごい上場もされたんだけど、まさに今の拠点で、遠くから運んでいくんじゃなくて、拠点に小さな倉庫を持ちながら、そういう展開されていますよ。
まさにそういう感覚と私も当時から近いところがありまして、格安さんの場合は近所の居酒屋さんとかにお酒ビールとかを補充するような役割もあるじゃないですか。
それってやっぱりまさに物流の拠点ですし、ある意味インフラなのかなと思うんですよ、地域に必要な。
そういう感覚は私も当時物流をやって、その後日用品、オンラインドラッグサーの授業を一責任者とした時に思っていたことで、
インターネットってもっと生活を便利にするとか生活の課題を解決するものにどんどん活用されていくのではないか、みたいな感覚はありました。
先週の番組冒頭で、ご自宅から駅からご自宅まで行くバス終電の話があって、そこで移動というものが課題だと思いましたけど、
まさに今の話も物を移動させるということの中で、実は楽天のお仕事の時もそういうことを思っていて、
まさに楽天で残業、残業でやっている時に、そこの駅でという感じだったのかな。
まさにそうです。
つながりましたね、話がね。
独立への意識
さて、その後独立をされていくんですが、いつ頃から独立というのも意識されたんですか?
楽天を辞める1年前までは、1ミリも思ったことなかったです。独立すること自体は。
どうしたかというと消去法でした。
そのきっかけも含めて少しお伝えすると、自分でやろうと思ったのは、後半の3年半アメリカにいた時なんですけど、
実はアメリカである授業を買収するから、宝くんに行ってきてということで、日本から送り込まれて、
あるアメリカの会社のいわゆる系統を授業開発みたいなのを担当しに行っていたんです。
その後、最後辞める1年前ぐらいは、フランスのグループ会社も担当してくれということで、
アメリカとフランスを行ったり来たりするような生活をしていたんです。
それ自体は個人的には、私はワインも好きなので、非常に個人的には良い生活をしていたんだと思うんですけど、
その時の気づきとして、買収した会社に行くことも多かったので、
日、英、仏、皆それぞれ買収した会社に僕が関わることが多くて、
その時に、そこのファウンダーの方とお仕事するケースがあって、いわゆる企業方ですね。
近くでお仕事するケースが、日本、アメリカ、フランスとあったんです。
その時に、この人たちの働き方はすごく良いなと思ったんです。
というのは、自分で思いを持って立ち上げて、楽天に売却をしましたが、
その後もマネジメントとして、その授業を何とかしたい、こうしたいという思いを持ってやっていて、すごく楽しそうなんですね。
それにすごく刺激を受けて、自分が考えるようになったんです。
自分にとって、そのコミットしたいテーマであるとか、ことって何かなというのを、アメリカに行った時にすごく考えるようになって。
その時に、先ほどの話に戻りますけど、自分の現代圏の移動の課題であるとか、地域の課題に向け合う。
日本に帰国した理由
地域の課題に向け合うイコール、それがその仕組み化されていけば、すごくスケールするんじゃないかなという感覚もあったので、
自分が向けたい課題は地域なんだなと思ったんです。
じゃあ、どういう課題かなと言った時に、移動だと。
移動をやるにあたって、別に日本じゃなくてもいいという選択肢もあるわけですね。
ただ、私はアメリカ、フランスにいて、相対的に日本を見て、日本っていい国だなと思うんですよ。
すごい自分の国っていい国だなと思う。
同時に、もったいないなとすごく思ったんです。
これは観光資源もすごくいいものがあるけれども、なかなかそれが伝わらないとか、そもそもそこに行けないとか。
日本の課題に向けようということで、日本に帰っていくことを決めたんです。
じゃあ、楽天の中でやるという選択肢もあったわけです。
それは考えました。
ただ、楽天は良くも悪くもすごくガバナンスが利いているというか、
会社としてフォーカスするべきことが定まれば、それにリソースも投下するので、
自分が3年後にこのテーマでやりたいという時に、やらせてもらえる保証がないと。
そうしたら楽天の中で立ち上げられることができたとしても、
コミットを長くすることは難しいかもしれないなと。
私も結構使い勝手のいい人材だったので、
たぶん今あった楽天モバイルとか、楽天が注力するテーマに
自分は多分アサインされたんだと思うんです。
そういうことも考えて、楽天の中では難しいかなと。
じゃあ、外に向けた時に、僕がやろうとしていることをやっている会社があるかと。
なかった。
誰ももう自分でやるしかないという。
結果としてそういうプロセスだったか、至高プロセスだったかを置いておいて、
結果としてそういう消去法的な感じで、自分がやるしかないかなという形で思ったので始めた。
消去法というか、絞り込んでいったという感じだね。
そうですね。
ずっと流れを伺っていると、必然だったという感じで。
だから5万人が、いろんな環境もあるし、もっと他に考えなきゃいけないこともあるから、
いろいろお考えになるという意味では、確かに消去法だったのかもしれないけど、
お話を伺っていると、なるべくしてなったというか、やるべくしてやったという感じを受けますよね。
これも本当に振り返ってみて、そうかもしれないなと思うところで、
当時は本当に、先ほどの話ではないんですけど、
その瞬間瞬間に多分爆発することに向き合った結果なのかなと思いますね。
なるほどね。
そしてご創業当初は、拠点をアメリカに持ったんですか?
日本です。
日本に帰ってきたのは2017年末で、2018年に実は始めているので、
始めた拠点は、社会人というか会社員の中でいる間に統計はしていて、
アメリカ時代にして日本に戻られたということですね。
統計は日本でしていて、
立ち上げたのが、実際に始めたのは2018年、日本に帰ってきてから始めたので、
日本からスタートしています。
起業家としての苦労
思いもある、それから能力もある。
だけど、企業ってそれだけじゃできないじゃないですか。
ご苦労ありました?
そうですね。
事業責任者の経験はありましたので、いわゆるPLをマネジメントするとか、
事業をどう伸ばしていくかという思考は、それにあったかと思うんですけど、
スタートアップって一番、今でも思いますけど、
キャッシュがすごく重要で、キャッシュがなかったら、継続できないと。
キャッシュのことを考えるというのは、圧倒的にいわゆる会社員と、
自分で事業を立ち上げたとの大きな違いですね。
もちろんそれとはいい面では、
意思決定が自分でしなきゃいけないというところであるんですけど、
できるということはOKですし、苦労という意味では、
キャッシュのところは、コロナの時に、
需要がほぼゼロになった状態もありましたので、
その後が一番辛かったですかね。
コロナ明けの瞬間、次のファンディングをして、資金調達をして、
成長させるにあたっての資金繰りというところでは、
一番そこが辛かったですかね。
それ以外は、これは繋がっているのかもしれないんですが、
野球はずっとやってきた中で、
かなり精神的にも体力的にも厳しい環境にいたというのはあって、
結構体制があるんじゃないかなと思っているんですよ、自分としては。
だから、あまりしんどいというふうに思う感覚が鈍いんだと思うんです。
だからあまり仕事は嫌いと思ったことは一度もないですし、
嫌だってないんですけど、ただしんどかったというふうに振り返ると、
キャッシュがなくなって授業を続けられなくなる可能性が出てきたときには、
やっぱりしんどいなと思います。
私たち中小企業の親父は、金がないのは首がないのと同じって言うからね。
いや、もうまさにそういうことなのかなと思います。
わかりました。
ご総議をされた後の話、また来週からお伺いいたします。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
16:30
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