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TOKYO NORTH MOVEMENT-飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、
未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。
さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
SANKEIプランニング株式会社代表取締役、溝口さんをお迎えしてお送りしているこの番組。
いよいよ3回目となりました。
前回までは、溝口さんが中国での活躍を引き下げて独立をされたというところまでお話を伺ってきました。
今日は現在のSANKEIプランニングでのお仕事、そして将来に向かってということをお伺いしたいと思います。
今週もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ということで、前回、もともとのお仕事の中でお得意先の一つでもあった会社さんの担当者の方と帰国して巡り合って、
そしてその方が会社を独立して作るにあたって協力をされる、一緒にやろうということになった。
そこまで話を伺ったところでありますけれども、この2014年以降、会社はどういうふうな形で発展されてきたんですか。
最初の年がですね、2人でやるようになって、その頃なんて、今の私代表と今でいうと政務ですけど、もう当時2人しかいないんで、警備も事務も。
我々反則会社なので現場仕事っていうのもあるんですけど、夜の現場仕事なんかも2人で行って、遠方でも人を使う余裕もお金もないので、何でもお金も2人でやって。
っていうところを知って、気が付くと仲間が集まってきて、3人なり4人なり5人なりっていったところで、本当当時はもう今思っているより部活みたいな感じだったかな。
どこに行くのも私も当然プレイヤーでしたし、全員がプレイヤーで、一つの机に一つの狭い事務所にみんなが肩並べて、
ああでもない、こうでもないって言いながら、本当に休みなく働いて、これ以上人は働けないんじゃないかなっていうぐらい働いて、でしたけど、今思うとすごい楽しい時代だったなと思います。
今ね、本当に働き方改革っていうふうに言われる時代、あれからたった10年しか経ってないんだけど、今でも多分ね、起業して頑張るぞっていうところは一生懸命やってるんだと思いますけど、いい時代だったっていうか。
そうですね、もちろんそういう働き方改革だとか、残業時間とかって言えば、もう当時の産経プランニングなんかもう全然人にお聞かせできるような感じじゃないんですけど、今はそういったところからお仕事がありがたく増えてきたので、従業員を新卒とかも入れながらですね、増やしていって、
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残業時間も含め、健康経営だとかSDGsとかっていう観点も取り入れながら、従業員のみんながこの会社に入ってよかったなと思えるような経営を今目指してやってる。
でもさ、やっぱりさ、そうやってさ、創業時がむしゃらになってやった人たちが中堅幹部でいるわけでしょ。で、その人たちと今新入社員で入ってきてる人たちとのギャップみたいなのあるんじゃない?
めちゃくちゃあります。もうそれがやっぱりこう埋めていくことが今の経営の中での主要課題の一つなんじゃないかなと思います。
だから埋めるっていうのはこれ両方でこう渡り合えるようになるっていうことなので、決してその若い人たちに合わせていくっていうことじゃないと思うんですよね。
僕もね、24時間で仕事のことは考えてなきゃダメだってよく言うんですよ。
それはやっぱり別にそれは遊んでるときは遊びにどっちだって集中するし、でもふとなんかこう提供を受けてるサービスとか聞いたときに、あ、これ仕事につながるなとかね。
なんか考えられるためにはどっか片隅に、まあ仕事のこと考えてないというか仕事を残しておかなきゃいけないっていう気がするんだけどどうですかね。
いやもう全くおっしゃる通りで、我々なんて本当デザインの売りにしてる会社なんで、だからこうみんなに言ってるのは、まあ休みの日にこんな言い方するのはちょっと難しいんだけど、
休みの日に街に出たときに仕事のことが頭の片隅に先ほど会長おっしゃったようにあると気づきが生まれると。
やはりあのデザインがどうだとか、あそこに行ってみたらこんな新しいものができてたとか、それってたぶん家でテレビ見てるときもそうで、こういう新商品が出たというときに、
あれでもこれってこういう使い方をしたらもっと便利じゃないのっていうもので、やはりどこかで仕事のっていうもの1ミリでも残ってないとっていうところなので、そこは私も本当に力を入れて従業員のみんなにはお願いしてるところではあります。
いやよかった、もうね、あなたと30歳くらい違うけどさ、やっぱり今の若手経営者もそういうふうに思ってくれてるっていうのはね、心強い限りですよ。
で、そこからさらに岡山に視点を出されたり、それから2019年には上海事務所を設立をされたということなんですけども、これはやっぱりね、もちろんそのご自身勤められているときの経験も生きてるとは思うんですけど。
はい、この岡山に視点を出したのは、もう私の出身地だからっていうのは実は結構言われるんですけど関係なくてですね、当時僕がその会社を作っていってチームビルディングをしていく中でですね、どうしてもこのデザイナーと一緒に仕事をしたいって言った子がいてですね、当時は僕が上海に行くときにはまだ東京で仕事をしてたので、東京にいるもんだろうと思って声をかけたらですね、もう岡山に家を建ててたというところで岡山から出れないっていうところだったんで、じゃあ岡山の視点を作るからぜひうちで働いてくれと。
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そういうようになったのが岡山視点の設立のきっかけですね。
19年の上海事務所の設立はですね、やはり我々の総合販売促進業のノベルティグッズを作って、中国から輸入することっていうことも多かったので、その中で私中国で働いてて工場も知ってる、中国語も喋れるってなったときに、普通の会社のように輸入するときに商社を挟んでいくとまあコストもかかるので、
であれば私が直接輸入をできる。じゃあでもできないのは何かっていうと現地の検品になるので、上海で知り合った日本人の人にお給料をお支払いするので、我々が作る製品の品質管理をしてくれということで上海に拠点を作ったという形になった。
なるほどね。まあそういういろんなことを整えられて、さらにいくぞっていうときにコロナっていうことだったんですけども、これはどういう影響だったんですか。
コロナのときはですね、やはり私中国に行っていろいろ感染症だとかっていうものがやはり人より温度感が高かったからかなと思うんですけど、コロナのときって多分まず客船が港に入ってて、新型の感染症にかかった方がその船の中にいらっしゃるみたいなのが多分日本にいる皆さんが多分初めてコロナに触れたときだったと思ったんですけど、
あれって本当に中国にいるときにも似たようなことってやはりダイナル症なり感染症があったので、これは間違いなく日本で蔓延するなと思いましたし、中国にいる現地の日本人の友達からもですね、これ中国でも結構やばいことになった。
これは反則事業必ず傾くなと一時的にと思って、じゃあ私が会社を生き残らせるためにできることは他の同じような業界の社長とは違うことなんだろうと思ったときに、やはり中国とのネットワークかなと。
衛生用品の開発を決めたのは本当にダイヤモンドプリンセス号が港に入って感染症が日本に入ってくるんじゃないかと言われているときにその構想が頭に。
何もまだわけわかんないときですよね。そこで生まれたのが看板商品フンムという。これはどういう商品なんですか。
このフンムっていうのはですね、当時本当に日本でも消毒消毒消毒というところで、家庭でも消毒をするときに上からプッシュをして消毒液を出すと。
あれもいろんな人が触ったら、上がね、だっていう話があったと。自動で出てくる、手をかざして出てくるディスペンサーみたいなのが出てきたんですけど、それに積み替えていくとボトルが廃棄しなきゃいけないというふうなことを考えてですね、何か差別化をしていこうと思ったときに、
どのボトルでも、ボトルの後継って結構違うんですけど、にも合うヘッド部分ですよね。を開発してそれをつけるだけで消毒液がすべて自動化できれば、これ売れるんじゃないかなと。
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そりゃ売れるけど、なかなか開発難しいって気がする。
難しかったです。なので結局このホムムっていう商品って、我々反則会社なのでこれを開発した狙いってもう一つあってですね、我々って企画とかをする会社なので、デザインするのも何するのもクライアントから言われたものを作るっていうのが大筋ですけど、私はやっぱりデザインとかで選ばれる会社になりたいし、企画で選ばれる会社になりたいんで、
結局自分のところで商品を開発すれば、うちの従業員も当然自分の商品を売るために一生懸命頑張ってモチベーションもレベルアップするっていうところが根幹にあったので、それでもオリジナル商品をやっていこうと思って。
で、このホムムっていう商品開発もすごい大変だったし、テストもどれくらい繰り返したかわからないんですけど、本当にこだわり抜いて作ったんですけど、夜中にリリースをして、その時にデザインコンテストで大賞取ったりだとかってしたんですけど、ある程度コロナはもうピークはアウトしてたので、製品的にじゃあめちゃくちゃ売れたかっていうとそうじゃなかったんですけど、そういった従業員に対するアイデンティティも含めて挑戦して良かったなという商品ではありました。
僕のやってる建設業もそれから広告業っていうのも基本自中産業ですよね。当社もその音楽マンションという企画商品を持ったところから、実はそのBtoBからBtoCのことも考えなきゃいけない。やっぱりCの研究っていうのをしっかりやらないとその商品が伸びていくこともできない。
やっぱり従業員の意識っていうものを変えたっていう実感があるんだよ。まさにそういう感じですね。
おっしゃる通りです。本当にこういろいろ考える時にいつも言ってるのはもう最終クライアント、先ほど会長がおっしゃっているようにカスタマの部分ですよね。
考えたものを我々考えないとやっぱり生きていけないよと。我々も基本的にBtoBなので、なぜそのお客様がその商品を使いたいのか、どういった売り場を作りたいのか、そうすることで一般のお客様にとってどんな影響があってどうやったら買い物をしやすい環境になるかということを考えたものを提案しないと結局気が利く企画はできないし、気が利くデザインはできないよということはもう本当にこういつも言ってるところではあります。
だからそういう意味でさっきゴトルをいちいち取り替えないという意味で環境とか持続可能な社会というものに対してもすごく目を向けておられる。簡単に言えばSDGsへの取り組みということもされているというふうに伺ってますけれども、それについてはいかがですか。
SDGsはもともと私は青年会議所という団体に属してまして、そこでSDGsに触れる機会が多かった部分も間違いなく影響はあるんですけど、ビジネスをしている中で自社だけが良ければいいのかということをすごく考えるようになったんです。もう5、6年経った時ですかね。
やはり持続可能性を持たせた商売をしていくということ、社会から評価されて初めて自社があることということをすごい考えるようになった時にSDGsに触れる機会とか勉強する機会があって、本当にこれだと。これからの会社として差別化をしていく究極の最後の一手ってこれだなと。
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いわゆる我々も繁殖物を作ったりだとか、今は本当に内装建築とかもするようになったので、いかに環境負荷の優しいものを提案できるかだとか、そういったこともやはりクライアントからの要求の中に絶対入ってくると。
そういったところでビジネスの部分と私が持っていた疑問点の部分と両方解決するのがSDGsだなと思って、一生懸命推進をしているところであります。
B2Bと言っても、相手先のBの向こう側にあるCだったり、もっと大きく言えば地球環境とか、より広い部分に対してもこちら側からしっかりとした考え方を持っていないと、なかなかビジネスが難しいという時代になりましたよね。
そうですね。私たちは本当にクライアントから依頼を受けるんですけど、クライアントは別に安くて目的を達せればいいっていうところなんですけど、我々はそこに一定を打てる立場にあるので、こういうふうにすれば環境にもより優しいですよ。値段もほとんど変わりませんというのが提案できれば、それはクライアントからしたら当然どこかの観測会社ではなくて産経さんを使おうというきっかけもなるでしょうし、広い意味でいけば地球の環境のためにも間違いなく貢献できますし、
そういったビジネスの考え方をしていこうということを推進しているところです。
なるほどね。SDGsって欧米から入ってきた考え方なんで、いろいろこんなことやってもとか批判的な声も大きいんだけど、そうやって水口さんのように自分の中でしっかりと消化をして、自分の会社としてできることをそこに当てはめていくということができれば、また新しいチャンスにもつながっていくという気がしますよね。
やはりSDGsも健康経営でも何でもそうなんですけど、メリットが出てくるという時間が結構長いと正直思うんですね。ただ、それをやっていくというエネルギーも当然必要なので、どうやって自分に置き換えたときに腹落ちする部分を見つけられるかなと思う。
そう、腑に落ちる。大事ですね。ありがとうございました。今週も大変面白いお話、興味深いお話を伺いました。
いよいよ最終週であります次回は、産経プランニングの地域との関わりについて伺っていきたいと思います。
今日も本当にありがとうございました。ありがとうございました。