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働き方ラジオ始まります。このラジオは、誰もが情熱を持って働く、それを実現するために働くということの解像度を上げていくポッドキャスト番組になります。
今日も働き方エヴァンジェリスト、田中健士郎が、皆さんの眠る寄せをゆったりとしたトーンでお話をさせていただきます。
はい、いつもお聞きいただきありがとうございます。
先週はですね、KPIマネジメントというところで、前半後半に分けてですね、働くという中で楽に成果を出すための仕組みづくりみたいなところですね。
ビジネスってのはやっぱり持続的な成長っていうものを前提としますが、目標達成の仕組み化みたいなところですね、を考えていきましたが、
今日はですね、ちょっと趣味的な回にできればと思っております。歴史系ですね。
ちょっと前にも、大学の歴史なんていう話を少ししましたが、ちょっと最近は歴史も結構楽しくてハマっているので、今日はほんと雑談程度に話していければなと思います。
皆さん、江戸時代について結構勉強したことありますか?
あんまりですね、もともと大学でも世界史が好きだったりとかしたので勉強してないんですけども、なんかどうも江戸時代っていうものがすごく気になるんですよね。
江戸時代って、僕のもともとの認識だと、なんか鎖国をしてて、江戸幕府がすごく強くて中央集権的で、鎖国をしすぎて世の中の成長とか変化にも取り残されてしまったみたいな学び方を小学校とか中学校とかでした記憶があるんですよね。
皆さんどんなふうに学びましたかね。
で、最近いろいろ調べていくとですね、この江戸時代結構すごかったんじゃないかっていう話を聞きます。
その当時の列強のヨーロッパ、宗教とか、あるいは国家、国民っていうものをめぐる争いが非常に絶えなかった時代において、250年間の平和、安定した政権運営がされていたっていうところですね。
これはなんか世界的にも結構すごいらしくて、かつ江戸時代に発展した町、この町っていうのはなんとなく江戸の町っていうイメージを持つかもしれませんけれども、全国各地で藩と呼ばれる、今でいう市区町村みたいな存在ですかね。
これがですね、すごくしっかりと発展をして平和で、かつすごく衛生環境とか浄水下水の技術なども高かったというふうに言われているんですね。
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このあたりは何で起きたんだろうなってすごく気になったりしました。
江戸時代を調べていくとすごく面白いのがこの幕藩体制っていうものですね。幕藩、幕府っていうのが中央の今でいう官僚みたいなものですよね。
藩っていうのは今でいう市区町村とか都道府県みたいなものだと思うんですけども、当時藩っていうのは300ぐらいあったらしいんですよね。
この藩っていうのは今の市区町村とかと全然違って、より一つ一つが国のような機能を果たしていたらしいんですね。
それこそ政治的なところだったり、経済だったりとか、税金を納めたり、あるいは裁判をするとか、そういったこともすべて藩の中で一つの国のような形で行われていたんですね。
なので江戸時代イコール江戸幕府がすごい強くて、中央集権的だったっていう見方はちょっと一方的で、すごく地方自治が進んでいた時代、ある意味今でいう地方創生がすごく進んでいた時代だったらしいんですよね。
その前にあった戦国時代って地方でいろんな戦国大名っていうのが出てきて、その戦国大名同士が争いをして自分たちが一番強いんだっていうのを決めるような戦争がずっと起きていた時代だったと思うんですけれども、やっぱりその時の方がやっぱり強い
街と弱い街っていうのがすごく明確になっていて、それこそ1万人以上の人口がいる都市っていうのは全国にもいくつかしかなかったんですよね。数えるぐらいしかなかったらしいんですけれども、江戸幕府ができたことによって、その1万人以上の都市が50都市以上に増えていったというふうに言われています。
なので、よっぽど戦国時代の方が地方格差って言うんですかね。今で言うと人口集中みたいなものが起きていたんじゃないかというふうに言われます。江戸時代ってどんな時代だったかというと、結構秀吉の時代にですね、江戸幕府に代わる前に朝鮮出兵とか、結構外国に打って出て、
自分たちの土地を獲得するだったりとか、そういった軍閣路線っていうのが強かった時代が少しあったんですけれども、うまくいかなかったという中で方向転換して、いわゆる内政って言うんですかね。国の中をしっかりと発展させて維持拡大していくっていう風に方針が転換せざるを得なかったんですね。
そうなってきた時に、やっぱり日本の街をどう復活させるのかっていう、それこそ戦国時代っていうところですごく街が疲弊しちゃったんですよね。地方都市とかもすごく疲弊している地域も多かった。そんな中でここから地方を一気に盛り上げようっていうね、江戸時代版の地方創生がどうやら起きたみたいですね。
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で、それが成功していったっていうのが江戸時代だったらしいんですね。で、どんなふうに街ができていったかっていうと、それまでの時代って結構山間部とかにそういった地方の拠点とかがあったらしいんですね。やっぱり食べ物とかも手に入りやすかったりとか、やっぱりその当時って農業とかっていうものが一番重要だったりするので、そういった意味では山間部とかを中心に栄えたりっていうのがあったんですね。
この江戸時代からは、そこからいわゆる沿岸部ですね。まあ中石平野とかも言われるらしいんですけれども、山と海の間の平野、いわゆる太平洋側の神奈川から静岡、関西に至るまでどこも発展していると思うんですけれども、この流れができたのは江戸時代だったらしいんですよね。
やっぱり元々この沿岸部とかって災害も多かったりとか洪水が多かったりとか、すごく開拓するのは難しいと言われたらしいんですね。ただやっぱりこの時からやっぱりこの交通っていうものがすごく重要になってきて、交通っていうのは海を通じて他の街に行ったりとか、あるいは道路ですね。
まあそれこそ東海道みたいなところを通って、人が交流することができる。そういった街のりみたいな部分があって、この海沿いの街っていうのがどんどんできていった。で、この時に一気にできてきたのが浄化町と呼ばれるものですね。
全国に城がめちゃくちゃたくさんできていったのが江戸時代ですね。今でも地方に城がある街だったりとか、あと城の跡がある街ってあると思うんですけれども、これの多くはですね、この江戸時代に栄えたお城の跡で、その周りには浄化町っていうものがあったと。やっぱり地方に行くと結構浄化町の名残が未だにあって、すごく綺麗な雰囲気だったりとか、それが観光地だったりとかすると、
思うんですけれども、これはこの時代に地方を一気に栄えるという江戸幕府の戦略のもとですね、生まれてきた街っていうのが全国各地にあると。そういうふうに考えていくと、なんか今ね、あのちょっと全国もし旅できるようになったら、こうかつての浄化町みたいなところをね、こう古地図みたいなものを見ながら散策したりするのすごい面白いかなというように思いました。
はい。江戸時代って参勤交代みたいなのがあったって、あの中学とかでも学んだと思うんですけど、この参勤交代も地方で権力を持つ大名に江戸に来させたり帰らせたりっていうのをすごくさせることによって、疲弊させて力をなくさせてしまうみたいな説明を受けたんですけど、これもどうやらあんまり正解ではないらしいんですね。
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なんか今やっぱり調べると、その藩っていう地方の街のいろいろ予算の中で、この参勤交代に占める割合って実はそんな多くなかったんじゃないかって言われてるらしいんですね。
で、それよりもこういった江戸幕府の中で、全国各地に藩を中心とした城下町を発展させるために、やっぱりそこに人の交流ができることによって、いろんな都市に泊まっていったりすることで、宿場町が栄えたりとか経済が動いたりとかする。
さらにそこで人と人と話すことによって、それが今でいうインターネットみたいな役割になって、あそこの街ではこんな感じの城下町が出てるらしいぞ、うちの街でもやってみようかとか、そういった形で経済とか情報みたいなものが動いていく。
それがある意味参議院交代っていう仕組みだったんじゃないかと考えると、すごく江戸幕府というものは、戦略的にこれをやったんじゃないかというふうに言えることもできるということですね。
この城下町の設計っていうところは、東藤貴寅っていうですね、江戸幕府の中でも非常に重要な役職だった人が、最初は三重県の津市ですかね、今でいう津市のあたりに班を担当して、そこで城下町を作っていったっていうのが最初らしくて、このモデルが非常にうまくいって、それが全国に広がってきて、
全国に広がっていったと。こういうふうに考えると、すごく当時の城下町っていうものに行ってみたくなるなっていうのは改めて思います。
なので、お城が作られたっていうのはわかると思うんですけども、お城の前の城下町っていうところが一体で設計されて、一気にできたのが江戸時代であり、やっぱりこの時代に発展した城下町っていうのが、今でも結構ですね、町の中心になっていたりすることがあるというのはすごく面白いなというふうに思いました。
歴史を世界的に調べていくと、やっぱりこの中央集権的な流れと、いわゆる地方文献みたいな地方自治とか、そういう分散的な国の作り方というのが交互にずっと交代で押し寄せていくみたいなのが、ヨーロッパでもそうだし、日本においても起きているという中で、江戸時代っていうのは、
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そのある意味、中央集権的な江戸を中心として、結構土地とかは全て管理をして大名に、それぞれにあなたはここの土地ですよって分けてたみたいな、ちょっと中央集権的な考えと、でも政治的なところとか納税とかっていうのは全部完全に地方文献に任せていたっていう、
その地方分散的なところのバランスを絶妙にやっていたのが江戸時代だったし、だからこそ250年の長い平和が続いたんじゃないかなというふうに、今回感じまして、これはなんか今後もっと深く勉強しがいがあるんじゃないかなというふうに思いました。
ここ数十年は、やっぱり日本というのも中央集権的な部分も多くて、その結果というか、人口流出みたいなところで都心に人が集まりすぎてしまうとか、そういった中で地方創生みたいな流れの中で、地方にどうやって人を移住させるのかとか、そこで経済を活性化するのか、最近はそれこそコンパクトシティみたいなものを地方に作って、
地方の中だけでちゃんと経済とかが回っていくような仕組みをどう作るかみたいな議論がされていますけれども、この400年前という江戸の時代にですね、すでにこのコンパクトシティが日本でできていたというところは非常に面白い視点ですよね。
今、僕たちがこの江戸から学ぶべきものはもしかしたらあるかもしれないというところですね。僕もこれからまた江戸時代について時間があれば調べてみようかなと思いますが、もしこういうことに興味がある方がいればぜひお声掛けをいただければと思います。
それこそ、メタバースとかオンラインコミュニティみたいな話じゃないですけれども、このリアルな地方自治っていう話だけではなくですね、これからオンライン上の自治みたいなものも進んでいく中で、江戸時代的なまちづくり、そういったものの考え方っていうのはすごく参考になるものもあるかもしれないなということを考えながらですね、
もしまた全国にどんどん行けるようなタイミングが来ればですね、いろんな城下町を歩きながら、そういった地方自治について思いを馳せてみるみたいなこともやってみようかなと思います。
はい、ということで今日はちょっと趣味的な会になりましたが、また来週お会いしましょう。おやすみなさい。