スウェーデン・ヨーテボリの街並みの美しさ
建コンのアレこれの建コンのアレです。よろしくお願いします。 私は今スウェーデンという国の両手堀という町に
来ております。最終日です。もう帰りの空港に今来ていて、これから帰ります。
この町というかここに来た目的は、ダムの国際会議が毎年持ち回りで、いろんな国で開催されているんですけど、それに
私は基本毎年というか毎回参加していて、コロナで3年間ぐらいオンライン形式で
開催されたりしてたんですけど、今年晴れてコロナが明けて現地開催が叶ったと。現地開催実際は去年フランスのマルセイユというところで
やったのがコロナ明けなんですけど、その時日本はなかなかあんまり渡航ができない状態だったので私も行けなかったんですけど、今回
スウェーデン開催から再び現地参加するようになったというような感じで来ております。
ヨーテボリという町で感じたことをちょっとせっかくですね、来たんでポッドキャストに残していきたいと思います。
ヨーテボリという町はですね、皆さん是非ちょっと写真とか見てみていただきたいんですけど、めちゃくちゃ綺麗です。めちゃくちゃ綺麗ですね。
なんてこういう街並みができるんだろうって、本当に思っちゃうような美しい都市でした。
ちょっと言語化しますとですね、パッと見の感じは、日本人参加者の人がよく言ってましたけど、
ディズニーシーみたいっていう感じですね。なんでディズニーシーっぽく見えるかというと、ビル建物が全部こうレンガ作りのような
あしらいになっていて、いわゆる日本によくあるような高層ビルとかね、コンクリートの建物、コンクリートでできていると思うんですけど、
ヨーテボリの建物もコンクリートでできているとは思うんですけど、でもその壁のあしらいがもうレンガ作り風なんですよね。
そこが全然違いますね。あとね、あの建物の高さが統一されてて、あれはきっと基準があるんじゃないかと思うんですけど、
デコボコしてないんですよ。だからパッと見、もうあの道にパッと立った時のその通りの風景がもうピーッとこう一転倒しで、
あの目に飛び込んでくる感じが、あの本当になんていうか綺麗だなっていう感じで、それと道が広いですね。
道が広いっていうのは車道が広いんじゃなくて、歩道が広いんですよ。歩道がまずめちゃくちゃ広くて、
めちゃくちゃ広いってどんなもんかな、3メートルくらいですかね、幅。
歩道が片側ね、3メートルくらい、2.5から3メートルくらいの歩道をプラス同じ幅の自転車専用レーンがあります。
で、少し詳しく言うと、その自転車とそれから歩道、歩行者用スペースの両方がマウントアップされた上にあって、
で、あのその下側に車道があるんですけど、車道は基本的にそのトラムと共用されてて、あのレールが敷かれてるっていう感じの作りですね。
あの、だからね、あのさっき通りにパッと立った時のその風景の話しましたけど、あの歩道のね、要は、
以前私のポッドキャストの別の回でも話したんですけど、道路っていうのは公共空間なんで、
道路じゃない場所は私有地で、道路って公共空間ですよね。その公共空間のスペースがすごく広く取られていて、
で、そこでパッと立ってみた時に、さっき言ったみたいなビルの高さの統一感とか、その壁面のあしらいの統一感とか、
そういうものがまた一層ね、なんていうか、見上げなくても目に入ってくるんですよね。
日本のその都市の感じって、やっぱり建物がすごく高くて、で、歩道が狭くて車道も狭かったりすると、すごく深い谷の底にいるような感覚になったりとかする場合もあるじゃないですか。
そういうんじゃなくてね、開放感がめちゃくちゃあるっていう、そういう印象でした。
ヨーテボリの建設と歴史的背景
で、どうやったらこんな街ができるのかなって考えたんですけど、ちょうど私が到着した週の週末に、都市建設400周年のお祭りをやってたんですね。
このヨーテボリっていう街は、グスタフ2世アドルフっていう時のスウェーデン国王が建設したんですって、公安都市として建設した街なんだそうです。
これwikipedia情報ですけど、あんまりちょっと詳しく学んでとか調べたわけじゃないんですけど。
で、実際ちょっと地図を見て、ヨーテボリってどこにあるのかなって見てみていただくと、スウェーデンってスカンジナビア半島っていうのがあって、ニョローンと出てるうちの南側がスウェーデンなんですけどね、細長い国なんですけど、
その半島の南に向かって突き出たところの西側、西海岸っていうか、その辺にあるんですね、ヨーテボリっていうのは。ストックホルムの反対側っていう感じなんですよね。
ストックホルムっていうのはスウェーデンの首都ですけど、ヨーテボリ公安都市をその時のスウェーデン国王が建設したっていうのは、やっぱ北海へのアクセスっていうのを多分考えたと思うんですよね。
1600年代らしいんで、大航海時代とかとも重なってくるんで、北海にアクセスがしやすいと。
で、それからヨーテボリっていう町を見ていただくと、そもそもスウェーデンってすごいゴツゴツしてるような地質地形で、湖っていうか池みたいなのがいっぱいあるんですけど、比較的大きい川がドーンと出てて、深い入江みたいになってるんですよね。
だから多分港が作りやすかったんじゃないかと思います。そういう地のりがあって、ヨーテボリっていうところに町を作ったってことらしいんですね。
400周年って言ってるんですけど、日本で誰々が作った町とかってあんま聞かないじゃないですか。
町ってそもそもそこに人が住んでいて、その住んでる場所に自然と町が自然発生的にできるのが日本の町の出来方なのじゃないかなって思うんですけど、
このヨーテボリっていう町はある時の権力を持った人が意識、意思を持ってそこに町を建設したってことらしいんですよね。
だからここには逆にあんまり人が住んでなかったわけじゃないかもしれないけど、あんまり住んでなかったってことだと思うんですよ。都市建設400周年とか言うぐらいだからね。
与手堀の建設と町の成り立ち
で、なんで逆にここにもともとあんまり人が住んでなかったかっていうと、きっと生活のための真水が手に入りやすいとか入りにくいとか、
そもそもこの土地に目的が当時はあまりなかったとか、あと冬はむちゃくちゃ寒いらしいんで、
今夏なんで夜11時、12時、1時、2時ぐらいまで明るいんですけど、白夜って言ってですね。
逆に冬って言うと午前10時ぐらいまで暗いらしいんですよ。
だから日が出てる時間がすごい短い。むっちゃくちゃ寒いらしいんで、ここに町を建設したっていう時、建設する前どうだったかっていうか、なんで建設するみたいな話になるかっていうと、
物資を運んでこないとここに人って多分住めなかったんだろうなって思うんです。例えば薪とか、暖を取るためのね。
だし、しっかりちゃんと住める場所を、家を建てて、そこをちゃんと温めないと人が定住しづらい場所だったんじゃないかって思うんですよね。
だけど、さっき言ったみたいな深い入り江になっていて、北海へのアクセスが良いっていうことで、航海とか貿易っていう目的を考えたときに、ここに拠点があるといいなって言って町を作ったんじゃないかなと。
そんな順序とか、そういう経緯でできた町って日本にあんのかな、北海道とかになるんじゃないかなと思うんですよね。
っていうとね、そもそもの町の生まれ方が全然違って、それがきっとこの風景の根本にある、我々日本の町とこの与手堀っていう町の生まれ育ちの違いなんだなっていうことを、
これ全然私、町の歴史とかっていうか、日本の都市のでき方についても詳しく知ってるわけじゃないんですけど、一想像として考察として、そういう感じの違いなのかななんてことを思ってですね、すごく感慨深く感じました。
何だろうな、あんまり与手堀が綺麗綺麗って言うと日本が汚いみたいに聞こえちゃうかもしれないんだけど、そういうつもりを言ってるわけではなくて、やっぱり我々インフラに関わる人間として、なんていうか世界にはいろんな町があって、
ここ与手堀はさっき言ったアードルフさんっていう人が建設をした、建設をするってことは当然道をそのとき作って、また水道、水、真水、飲料水へのアクセスをそのとき作って人が住めるようにしたはずで、
また何だろうな、人が暖を取れるような、もしかしたら公共住宅みたいな公共的な国王、王国の国のお金を使って住める場所を作ったかもしれないし、家とか建てたかもしれないし、なんかそういうインフラっていうものと人との関わり方もなんかちょこっとずつ違うのかなっていう、
日本の町の成田地にも当然コミュニティーがお金出しあって水路を引いて田んぼを広げたりとかいろんなことやってますけどね、なんか少しずつちょっとインフラの人との位置づけとか自然と人との関わり方とか、町っていうもののその生み方生まれ方みたいなものの違いとかバリエーションを感じてすごく面白いなというふうに感じました。
ということで取り留めもなく養老、養老手掘りに来て感じたことを喋ってきましたけれども、一つね、町に来るだけでもいろんな視点で感じれるのがまた健康の面白いところでもあると思いますので、また皆さんお仕事なりプライベートで海外行ったりするときあればいろんな視点で町を観察してみてください。
ということで養手堀空港からお送りいたしました。最後まで聞いていただきありがとうございました。