1. 田中健士郎の働き方ラジオ
  2. #185 ライブハウス「下北沢LOF..
2025-05-20 46:12

#185 ライブハウス「下北沢LOFT 」50年の歴史と多様な表現者を受け入れてきた店長の話(下北沢LOFT店長 長沢幹夫さん ゲスト回)

今回の聴きどころ

  • 働き方ラジオと下北沢LOFTの出会い
  • 下北沢LOFTの歴史
  • 下北沢LOFTを譲り受け、経営へ
  • ドラムを無くしたときが、転換点に
  • サザンのメンバーがバイトをしていた時代
  • BOØWYの初期の印象
  • miwaさんと交わした約束「武道館後のライブ」
  • 変わらずやり続けてきたことが自己表現
  • 多様な表現者を受け入れ続けるフラットさ、こそが長沢さん下北沢LOFTの文化

サマリー

下北沢LOFTの店長である長沢幹夫さんは、50年にわたるライブハウスの歴史や、様々な表現者が集まる場所としての役割について詳しく述べています。彼は地域文化や音楽の多様性を受け入れるこの伝説的な場の重要性を強調しています。下北沢LOFTは、多様なアーティストを受け入れ続けており、長沢さんはアコースティックライブの転換点や過去の伝説的な出来事について振り返りながら、ライブハウスの魅力や地域文化の大切さを語ります。また、長沢さんは音楽シーンの進化と共に、その独特な雰囲気作りを重視し、駆け出しのアーティストを応援する文化を育んでいます。最近の変化や今後のイベントについても語ります。

働き方ラジオの開始とゲスト紹介
スピーカー 2
働き方ラジオ始まります。株式会社セッション・クルー代表、働き方エヴァンゼリストの田中健士郎です。
このラジオは、誰もが自己表現をするように、情熱を持って働く、そんな世界を目指す仲間づくりをしていくポッドキャスト番組になります。
みなさん、自己表現していますか。はい、ということですね。今日はゲストとしてですね、下北沢LOFT店長の長沢幹夫さんにお越しいただいております。長沢さん、今日はよろしくお願いします。
はい、こんにちは。よろしくお願いします。はい、ありがとうございます。長沢さんをご紹介する前にというところで、まず、今、下北沢LOFT店長って話を
したんですけど、まずちょっとこれの説明をする必要があるんですが、今日はですね、そのLOFTのこともよく知っているというか、
働き方ラジオ準レギュラーの宮さんにもですね、今日は準レギュラーとして一緒に出ていただいて、ちょっと一緒に長沢さんにいろいろ聞いていこうと思います。
はい、よろしくお願いします。よろしくお願いします。はい、ということで下北沢にあるLOFTって、これライブハウスなんですね。
いわゆる、詳細は後ほどまたご説明あると思うんですけれども、下北沢に50年前から存在する、ある意味伝説のライブハウスと言われているんですけども、実は去年ですね、
働き方ラジオから生まれた会社、セッションクルーの一つの活動としてですね、そこでイベントをやらせていただいたんですね。よく聴いてくださっている方は
聴いていると思うんですけど、JAMっていう名前で自己表現とビジネスが混ざる場所っていうタイトルをつけてですね、ある働き方ラジオのちょっとオフ会じゃないですけれども、
そのイベントをですね、やったのがこの下北沢LOFTでした。当日の音源の一部はですね、第174回のサージャムの幕開けですっていう、このポッドキャスト、働き方ラジオの回に残ってますので、
気になる方はですね、このイベントの会場なんだなっていうのを理解いただけるようにぜひ聴いていただければと思うんですけれども、そのJAMもですね、あえて僕らはビジネスイベントなんだけれども、
高層階のコワーキングスペースでやるとかじゃなくて、あえて地下からやるっていうところで、イベントのタイトルでもあり、この働き方ラジオのコンセプトの一つでもある、
自己表現っていうキーワードと、ある意味この地下から多くの表現者が生まれるみたいなことを重ねてですね、あえて地下のライブハウスからやる、さらにこの歴史のある会場でやるっていうのをやりまして、
僕はもう本当はこの下北ザロフトという場所に非常に魅力を感じてですね、去年忘年会っていうのにも勝手に顔出させていただいてですね、長澤さんとまたご挨拶させていただいたっていう、そんな繋がりのある場所です。
ミヤも去年行ったと思うんですけれども、どうでしたか。
スピーカー 1
そうですね、懐かしさというか、僕当時90年代ぐらいは小田急線沿線に住んでたんで、北はもう通り道というかですね、レコード会に行くわけですけどね、ぐるぐるぐるぐる回ってた中でライブもたまに行ってましたね。懐かしかった。
スピーカー 2
じゃあもう久しぶりの90年代ぶりに行ったという。
スピーカー 1
そうですね、80年代は本当にレコード会にひたすら放浪。とにかく多いんですよね。そこでライブも見たりしてました。
スピーカー 2
ありがとうございます。そんなですね、本当に歴史のあるミヤも本当に若い頃から知っているこのライブハウスなんですけれども、そこでですね、ずっとこう続けて店長をやり続けている長澤さんということなんですけど、ちょっとここからですね、早速長澤さんに聞いていきたいなと思うんですけど、まずちょっと自己紹介というかですね、下北ザロフトも含めてちょっとご紹介いただいてもよろしいでしょうか。
スピーカー 1
よろしくお願いします。一応オープンが1975年の12月の2日にオープンしてまして、そこから今までずっと同じ場所で営業を続けております。
それで今年の12月2日で丸50年ということで、50周年イベントなんかもちょこちょこやりながら頑張っております。
スピーカー 2
ありがとうございます。もうあれですか、その50年前に下北ザロフトができた時からもうずっといらっしゃって。
スピーカー 1
そこがですね、話すとちょっと長いんですけども。
スピーカー 2
じゃあもうそこからロフトの歴史の話が始まりそうですけれども。
スピーカー 1
僕がオープンからいたわけではないんです。
僕は新宿のロフトという西口の滝橋通りにあった新宿ロフトに初めて勤めたわけです。
それが78年かな、新宿ロフトが76年にオープンしてまして、その先から僕がスタッフとして働き始めまして、
82年か82年まで新宿にいて、83年からずっと下北沢ロフトをやってます。
新宿にいた頃ってどういう時代かというと、
大井が初めてロフトに出て、それでデビューするまでの間、だいたい僕がずっと店長やってた感じです。
スピーカー 2
それ新宿時代。
スピーカー 1
新宿時代。それでその時に下北沢のちょっと人事異動で、僕が下北沢ロフトの店長に移動したわけですけど。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
そこからなんですよ。だから83年からなんですよね、僕は。2年の秋から。
スピーカー 2
その当時は新宿と下北沢2つあって、長澤さんまずは新宿の方の店長から入って。
スピーカー 1
そうです。新宿やって。
スピーカー 2
なるほど。防衛が出てくる。
スピーカー 1
防衛さんとかね、あの頃ですね。
当時結構ロフトはいろんなところにあって、西尾家とか。
そうですね。順番にやめてオープンしたりやめてオープンしたり。
そうなんですね。
最初はからす山で始まって。
からす山です。そっかそっか。
次が尾生窪かな。西尾家かな。
尾生窪、西尾家とやって、その後に下北、それで新宿。
新宿始める頃に尾生窪とかからす山とか辞めちゃって、っていう感じですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
ゆうが丘にも作って、今山はすごい数ですけどね。
全国各地、あちこちにありますけど。
今阿佐ヶ谷なんですけど。
阿佐ヶ谷にもあります。
なるほど。
そういう感じで、いろいろ歴史を話すと大変なんですよね。
スピーカー 2
そうですよね。
今各地にあるロフトっていうのはグループ的な感じなんですか?
スピーカー 1
そうです。ロフトグループとして。
スピーカー 2
グループとして。
スピーカー 1
今残ってるところだと、一番古いところで残ってるっていうと下北と、新宿は今は?
新宿ロフトは西口から移転して、今下北町で40年近くなんかな?
もう40年になるんですか?
そのぐらいなんじゃないですか?ちょっと僕も曖昧ですけど。
ちょっと僕もそこの記憶、もう離れちゃって、あんまり。
スピーカー 2
じゃあ今現存してるロフトの中では一番古いのは下北。
スピーカー 1
場所変わってないっていうので下北ですね。
スピーカー 2
場所が変わってない。
スピーカー 1
唯一ロフトグループから離れてるのが下北のことですね。
上都。上都ってもうつもんね平野さん。
そうなんです。
スピーカー 2
ちょっとその辺の、ちょっとだけ記事とかで見たりはしたんですけど、その辺もちょっと聞きたいんですけど、
まず最初に82年に新宿やって、そこで83年から下北にいわゆるグループ内移動みたいな。
スピーカー 1
そうです。
上野店長お願いみたいな感じの始まりだと思うんですけど。
そこから独立というか。
そこから何年かやって、3年かな、3年ぐらいやって、もうそのロフトグループとして下北沢は閉めますという。
やめるよ。
スピーカー 2
なるほど。
そうだったんですね。
スピーカー 1
もう一点、自由学校にもあったんですけど、自由学校を復活ロフトもやめると。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
長沢新宿に戻ってくんないかって言われたんですけど、
その頃の新宿ロフトがちょっとあんまりその音楽性が好きじゃなかったというか。
結構つらくて戻んのやだなって言ったら、じゃあロフトの名前使っていいからお前やるかっていうことで、
下北沢ロフトを譲り受けたんです。
自由学校のその時の自由学校の店長も同じく自由学校からロフトとして名前を譲り受けて、店舗も譲り受けたんですよ。
スピーカー 2
そうだったんですね。
スピーカー 1
そうです。だから2店舗は離れたんです、ロフトから。
はいはいはい。
それで僕はそのまま引き継いで今までやってるということなんです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
いやでもなんかいわゆる店長を任されるのと、その店舗をもらってある意味経営ってことですよね。
スピーカー 1
経営ね。
スピーカー 2
全然違いますよね、なくされもらった。
スピーカー 1
それはそうですよね。もちろんもらったわけじゃないんで、支払いもいろいろ当然ありますから。
スピーカー 2
そのグループとしては手放そうという決断したところを自分で成り立たせるっていう。
スピーカー 1
やっていいよっていうことだったんで、やりながら返済していったってことですよね。
スピーカー 2
なるほど。
初期のライブ文化と代表的なアーティスト
スピーカー 2
なんかそのできた頃というか、長澤さんがもうオーナーになった頃とか、その初期のロフトっていうのはどういう感じだったんですか。
スピーカー 1
その頃はもう僕が行ったときはもうライブやってなくて、
そうなんですよ、いちいちずっとライブやってなかった時があって。
そうなんですね。
それこそ80年前ぐらいかな、78年から81、82年まではライブやってなくて、バー営業だけだったりして。
それで僕行ったときもやってなくて、やっぱりライブやろうよっていうことで。
82年の10月、83年ごめんなさい。
83年の10月からライブを復活させて、島に至るって感じです。ずっとやってました、そこから。
スピーカー 2
ライブの文化も一回切れちゃってたものを、長澤さんが帰ってから復活させたって感じなんですね。
スピーカー 1
そうですね、やっぱりライブやった方が面白いねということでやってたんですけどね。
スピーカー 2
その初期の頃の代表的なバンドの方とかなんかいらっしゃるんですか?
スピーカー 1
僕自身が割とフォーク畑の人間だったんで、
それこそ日本のフォークの今で言えば大御所の人たちに皆さん声かけて出ていただいて、
やってましたね、最初のオープニングの頃は。
高田渡さんとか西岡強造さんとか、ご存知の方はご存知ですけど、
長澤涼さんとか。
その辺をとにかく僕が大好きなんで、
富上誠さんとかみんな声掛けして出ていただいて、
っていう感じでしたね、その時は。
割と関西系のブルースマンとか。
関西アングラフォークとかね、URCの人たちがほらほら出てます。
結構多かったですね。
まあいろいろなフォークが出てたんですけど、
やっぱりアングラフォークの人たちの声掛けというか、
アングラフォークの人たちの声掛けというか、
アングラフォークの人たちの声掛けというか、
ひらほら出てます。
結構多かったですね。
今でこそURCって伝説なんですけど、
当時はもう何ですかね、渋いなこの人たちはみたいな。
あとブルース、関西ブルースとか。
そうですね。
下北沢LOFTの歴史
スピーカー 1
URCベルトはいっぱい出ていただきましたね。
出やすい。
50周年でも中川五郎さんが出てたりして。
そうですね。先日やっていただきました。
スピーカー 2
素晴らしいなと思って。
スピーカー 1
元気なのがすごいですよ、50年間。
元気ですよ。
この間、全然関係ないけど、
ドミュー見てたら五郎さん出てて。
そうですか。
スピーカー 2
五郎さん以上に、おたきさんがお元気で。
スピーカー 1
どっちかというと五郎さんより喋ってたっていう。
そうですか。
おたきさんが元気だなと思って。
変な話、亡くなっちゃった方もいっぱいいるんで。
寂しいとこは寂しいんですけどね。
でも元気でやってらっしゃる方はいっぱいいるから。
まだまだ。
伝説でいうと、僕本当全然話でしか聞いてないんですけど、
田森さんが東京進出でライブやったのって
下北ロフトだっていうふうに聞いたことある。
これは山下陽介さんがライブでやってるときに、
九州に面白いやつがいる子を呼んできたんだと。
ちょっと今からステージに上げるからって言ったのが田森さん。
スイヤースとかのエッセイに書いてあるような気がして。
それで、田森さんがイグアナをやったっていうのが。
伝説の。
だから山下陽介さんが連れてきたみたい。
スピーカー 2
いいともとかやるより前ってこと?
スピーカー 1
全然前です。
本当に77、67年とかそのぐらいです。
スピーカー 2
それぐらいの歴史が詰まってますね。
アコースティックの転換点
スピーカー 2
でもやっぱり80年代中盤から長澤さんが店長というか譲り受けたところから、
割とフォークというか長澤さんの色がより出て、
スピーカー 1
ライブが復活したみたいな。
ブルース系が多かったかな、やっぱりね。
スピーカー 2
ありがとうございます。
そこからどんどんライブハウスとしてもいろいろな伝説のアーティストが出てきたりとかって話もあったんですけれども、
何かやってる中でここ転換点だったなとか、
スピーカー 1
すごい記憶に残ってることとか何かあったりしますか。
転換点といえば、ある時期大手企業さんがライブハウスをあちこちに始めた時期があって、
それで僕たちのスペースのテンポじゃかなわないっていうか、
アーティスト全部持ってかれちゃって、
結局僕らどうしたらいいっていうことで、
その時にお店からドラムを捨てたんです。
もうドラムはやめると。
それでアコースティックの、完全なアコースティックの店にしようということで、
その頃からアコースティックの店にしてずっとやってるんです。
スピーカー 2
そこをもう同じ土俵で戦わないという。
スピーカー 1
戦わない方がいいだろうと。
スピーカー 2
ということですよね。
スピーカー 1
戦わなくても変わらないし、そしたらちょっと色付けて逆にアコースティックの店にしてみようかということで、
やったらまあまあこれがなんとか食いつなげたんですけどね。
そしたら今度は最近になってもうやたらアコースティックの店が増えちゃって。
増えました。
もうどうしましょうって今悩みの種です。
ライブハウス文化の重要性
スピーカー 2
そんな感じです。
その先を常に行っている感じですね、ある意味。
スピーカー 1
行ったんだけどね、誰もが真似できる感じになっちゃったんで。
でも良いことですよね、人よ。
みんなが歌う場所が増えるっていうこと。
スピーカー 2
そうですよね。
大企業がたくさん作ったっていうのは何年ぐらいの頃かな。
スピーカー 1
85年ぐらいかな。
日清パワーステーションとかね。
あの辺ができ始めて渋谷にも大きいのができたとか。
でもこれは叶わないなと。
スピーカー 2
みやも割とそういう変化を見てたんですか。
スピーカー 1
そうですね。
なんだけど欠陥残ってんの?どこだっていうと。
ロフトだけ減ってるから。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
生き延び方がすごいよね、やっぱ。
企業さんは撤退も早いんですよね。
スピーカー 2
なるほど、そっかそっか。
スピーカー 1
やっとけばバッとできるし、撤退も早いから。
新規事業でこれからライブハウスだみたいな感じで始めても。
もうここが限界だろうとなるとサッと引いちゃうんで。
さすがだなと思いますけど。
スピーカー 2
やっぱりライブハウスとかって結構新しいところっていうのも定期的にはできたりするのかなと思います。
スピーカー 1
できてますね。
そうですよね。
スピーカー 2
僕は行ってやっぱりロフトの空間にすごく特別なものは感じたんですけれども、
長澤さんから見て何がここが違うんだろうなとかって何かありますか。
スピーカー 1
これはやっぱりあれなんじゃないですかね。
もう今まで出演してきた方達の何かがいるんじゃないですか。
何かが。
スピーカー 2
そういうことか。
そうですよね。
僕もこれがっていう落ち着くとか、
ちょっと抽象度の高い言葉でしかうまく言い表せないんですけど、
なんかこうカルチャーというか、
この辺ちょっとミヤンにも聞いてみたいんですけど、
いろいろライブハウスとか行ってると思うので。
どうですか。
スピーカー 1
ライブハウスって言っても、
例えばクラブクワトロとかだとライブハウスっていうよりも箱って感じがするんですよね。
ブッキングされてて。
ロフトとか、
シェルターとかもそうですけど、
ブッキングにこだわりがあって、
下北っていう街に対しての強い思い出とか、
なんかそういうのをすごい感じるんですよね。
街の一部分であるみたいな。
なんとなくフラット。
例えばお亡くなりになったカネコマリさんとかって、
ずっと下北在住でね、
葬儀屋の娘さんだったんですけど、
普通に家が見えるんですよ、カネコさんの。
そっからロフトで出てるんだ今日はみたいなのが、
なんかこう街の雰囲気を感じるっていうんですかね。
なんか普通のコンサートに行くのとライブハウスに行くのとの違いが微妙なところでありまして、
スピーカー 2
クワトロってなんか普通のライブミニの延長って感じですね。
街のカルチャーになんか溶け込んでるみたいなね。
そこが街の風景の中に一つもうすでに入り込んでる。
スピーカー 1
そうですね。違いはあるかな。
スピーカー 2
確かに。
下北座自体なんか昔から若者が多いし、
なんかこう固定化された、
例えば東京とか新宿とかの雰囲気とは違うなっていうのは僕も思ってて、
確かにフラットみたいな言葉はすごくしっくりくるのかなとか思ったんですけど、
長澤さんどうですか?
なんかその今、下北のカルチャーと下北座ロフトのカルチャーも混ざってるんじゃないかみたいな話があったんですけど。
スピーカー 1
なんか混ざってるというか、もう今や置いてかれてますよね、なんかね。
最初の頃はこっちはカルチャー的な感じで動いてたんでしょうけど、
今はもう街がどんどんどんどん変わってって、
今は変わらずにただやってるだけで、
なんか下北から置いてかれてる感がちょっとあります。
なんかね、駅も変わっちゃって、
スピーカー 2
僕の知ってる下北座ではないなという感はしますけど。
スピーカー 1
そういう感覚なんですね。
これは仕方ないことですからね。
この間、おだきゅうさんの冊子の取材で、
そうですよね。
方が来てて、おだきゅうの悪いって俺言っときましたよ。
おだきゅうの地下化する時ってミュージシャンがめちゃくちゃ反対運動を起こしたよね。
本当ですよね。
スピーカー 2
そうなんですね。
スピーカー 1
曽我部圭一さんとかの辺とかね。
そうそう。
ゆうかさんとかもそうですし。
完全にそこでおだきゅうに勝ったかっていうとそういうわけじゃないけれども、
日の日落としたあの時代の証をなんとなく感じてる人がいて、
スピーカー 2
そういう人がやっぱロフトとか来るんじゃないかなみたいに思います。
多分、どの街も開発によってがらりと変わって、
それでいうとカルチャーも含めて完全に崩れた街もあると思うんですけど、
スピーカー 1
そういう反対運動が起こるぐらいの街ってそんなないんじゃないですかね。
下北特別ですね。
スピーカー 2
そうですよね。
それがすごいですよね。
そこのプライドがあるというかね。
東京のあんな都心の街なのに、
そこにプライドを持って何とか残すところは残そうっていう人たちが今もいるみたいな。
そうですね。
今ちょうど下北ゾロフトの特徴みたいな話もしたんですけども、
長澤さんとして下北ゾロフト運営する中で常に大切にしているものとか、
何か価値観とかあったりしますか。
スピーカー 1
今は変わらずですけどね、
これはやっぱりライブという生音を聴くというのがやっぱりとっても素敵で、
良いことだと昔から思ってて。
配信が出たときに、僕配信はどうも馴染めなくて、
これでいいのかなと。
これを見て聴く人がお金を払って、これでいいのかなっていうのをすごい疑問に思ったことがあって、
それでも見る人は見るんで、それは自由でいいんですけど、
でもやっぱり足を運んでステージの前で音を聴くっていうのがやっぱり一番いいことで、
スピーカー 2
その場所は残しておきたいなって僕はずっと思っていることですね。
生でそこで音を聴いて、
そのいる人たちとも空間で共有できるみたいなところが、
やっぱり配信だと難しいですよね。
スピーカー 1
そんな気がするけど、それは良い方法であって、
コロナの時にみんな他のライブハウスに行き残る手段でしたからね。
ほんと、コロナはほんと大変な2年半ぐらいですよね、結構。
スピーカー 2
ですね。
それはもちろんロフトも大変だったということですね。
スピーカー 1
大変でしたね。
スピーカー 2
みんなに助けてもらって、なんとか。
もらって。
ロフトで、僕も去年の末に忘年会。
あの雰囲気がやっぱりすごく良くて。
そうでしたか。ありがとうございます。
なんて言うんでしょうね。
スピーカー 1
アーティストを見に来る場所みたいなライブハウスって、
スピーカー 2
そういうイメージがあるんですけども、
あの場に行った人は、
あの場に行った人は、
アーティストを見に来る場所みたいなライブハウスって、
そういうイメージがあるんですけども、
そうですよね。
ロフトっていう場所が好きだから来ている。
そうですよね。
ロフトっていう場所が好きだから来ている。
で、最後は長澤さんが、
で、最後は長澤さんが、
リンゴの後に前出て歌ってて、
リンゴの後に前出て歌ってて、
下北沢LOFTのコミュニティ
スピーカー 2
その日の盛り上がりだったんですけど。
恥ずかしい。
なんかそういうのも含めて、
僕らもよくコミュニケーションをしてるんですけども、
ここにあるコミュニティみたいなのがすごい特別だな、
なんていうのはすごく思っていまして、
やっぱりそういうところは、
長い時間かけて作られてきたという感じなんですか?
ずっと同じ人がいるわけじゃないけども、
なんかそういう接しやすい感じにはしたいなとはいつも思って。
スピーカー 1
なんかそういう接しやすい感じにはしたいなとはいつも思って。
やってきてますね。
そうですよね。結構定期的に、
毎月何かしらイベントも、
スピーカー 2
バーみたいな形でもやっております。
バーもやったりして、最近はね。
スピーカー 1
そこの、何でしょうね、
スピーカー 2
ただ音楽を、ライブを聴きに行く場所っていうのとはちょっと違う、
繋がりがあって、
ありがとうございます。
なんか下北ザーロフトの歴史について、
ミヤから何か聞きたいこととか。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
サザン出てた頃ってまだあれですもんね。
さっさと延長になる前。
スピーカー 1
そうですね、はい。
さっさと延長になる前に、
逆にこう、サザンとかボーイとかも、
わりと新宿にも出てたり、
両方出てたと思うんですけど、
そこのシーンの盛り上がり度合いを今、
振り返るとなんかこう、
何か、
何か、
何か、
何か、
ないです。
最近が近々お Again の
お Again の
アップデートの
目一點が
どっか上になる引っ張りが
スピーカー 2
良いんですけど、
スピーカー 1
そういうことでしょうね。
色のスペースみたいなやつが
みたいな
作られてるんですゃー
特に
生徒も
覚えるのは
こんな guessed
お店終わったら、お店終わって片付け終わったら、練習をするって言う。
当時は、時給はめちゃめちゃ安いけど、終わったらスタジオとして使えるっていうのがみんな魅力で、バイトしてたんですよね。
どこのロフトもそうでしたね。
ただで練習できるからって言って、もう国企使われてたんですよ。安いバイト代で。そうなんですよ。
そっからバンドが大きくなって、ホール埋めるようになるみたいなのっていうのを、長澤さん、どういうふうに、
どんな目で見つめてたんですか。
僕、新宿の話になりますけど、防衛なんて最初来たときに、これは売れるなって、すぐにこれは行っちゃうなと。
引いた瞬間にそう思いましたね。もうあっという間でしたもんね。
ある種それも楽しみだったりするんですか。
そうですね。防衛士さんに限らず、防衛士さんに限らず、
いろんなバンドが武道館まで行くわけじゃないですか。そういうのを見てると、これ行くんじゃない?これ行くんじゃない?なんていうのが、
ズバリ当たると楽しかったりしてね。
アーティストの成長とサポート
スピーカー 1
もういいな、面白いね。
スペシャルな、ねえ。やっぱりそういう、先ほどの50周年、
50周年の時に、
いやーやっぱりそういうジャンルのこと、
まあ一番、専門のジャンルの人間、
ジャンルの人間っていいますね、
個人じゃないですけど、
そうやって、
そういうジャンルの人間のことを、
普通に歴史分析すると面白かったなと思ったんだけど。
スピーカー 2
そういうジャンルは得意な人間、
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
で、スペシャルなジャンル、
だから、
6周年の話もありましたけど、卒業生っていう言い方が正しいか分かんないんですけど、
昔そこで演奏してたような仲間がたまにやってくるみたいなこともあるんですか?
スピーカー 1
それはよくありますよ。
スピーカー 2
よくあるんですか?
スピーカー 1
よくありますよ。
あと最近は、お父さんが出てました。
あー。
お父さんが出てました。
スピーカー 2
お父さんのギターもらってやってますって娘が歌いに来たりとか。
嬉しいですね。
スピーカー 1
しょっちゅうありますよ。
スピーカー 2
それはでもいい、なんでしょうね、嬉しいですよね。
スピーカー 1
まあね、長いことやってるからこそのね。
そういうことですよね。
私ここに、小学校、違うな、小学校に入る前にお父さんの横でタンバリン叩いて出たんです。
今こんなになりました、ってワンマンやってますからね。
おー。
スピーカー 2
すごい。
スピーカー 1
そういうのはいい話ですね。
スピーカー 2
いやー、いいですね。
スピーカー 1
歴史があるからこその。
スピーカー 2
あれですよね、ミワさんもちょっと前にテレビかなんかでロフトの話をして、
長澤さんが登場するっていう、たまたま見たんですけど。
スピーカー 1
はい、ありがとうございます。
彼女は初めてデモテープ、デモ音源を持って、
高校生の時だっすね、高2年のときかな。
スピーカー 2
一人であの階段を降りてきてね、
スピーカー 1
寝たいんです、聞いてください。
たまたま僕がいて、僕が受け取って、聞いたら素敵な歌声だって、
もうすぐ来月でな、という感じで。
そっからやっぱり1年半ぐらいずっと月1月2でやって、
目に留まってデビューしましたもんね、やっぱり。
で、店長、ここの出たアーティストさんで、
武道館やって、前日か翌日のここのライブハウスでやった人いますかっていう話があって、
さすがにいねえなーとか言ったら、私やりますって言ったんだよね、多分。
あー、すごい。
スピーカー 2
この間デビュー決まる前ですよ。
デビュー前に?
スピーカー 1
完全にメジャーデビュー決まる前に、私やりますって言って、
スピーカー 2
本当にやりましたからね、多分。
おー、その話、そのテレビでもね言ってて、めちゃくちゃすごいなと思って。
スピーカー 1
いやー、あれが嬉しかったですね。
スピーカー 2
いやー、本当に武道館に行って、その翌日ですかね。
スピーカー 1
翌日にやってくれましたね。
スピーカー 2
下北ザロフトでライブやるという。
スピーカー 1
いやー、ありがたいお話ですよ。
自己表現と店の雰囲気
スピーカー 2
やっぱなんかそういう駆け出しの、なんていうんですかね、
ライブハウスによっては値段がいくらだからとか、チケットこれ以上売らないとやらせないとかもあるかもしれないですけど、
下北ザロフトはあれなんですか、割とそういう駆け出しの方とかも、全員じゃないんですよ、応援していこうみたいな感じの。
スピーカー 1
もちろん、今はもうそういう感じでお店作りしてますんで、
なんかデビューまでの、下積みじゃないけど、ステージ慣れする場所であって全然問題ないと思うので、
はいはいはい。
こういう感じで営業してますよ。
スピーカー 2
いやー、本当に、我々も働き方ラジオとしても初めてのイベントをね、
駆け出ししていただいたので、
もうそういうのも、いやなんかさすがにロフトで、こんなよくわからないビジネスイベントではダメかなと思ったらね、
一度お話しして心よくオッケーくださったんで、
本当に、そういう意味でもこう受け入れてくれるカルチャーが脈々と続いて、
多くの人に感謝されて、今のロフトがあるのかななんていうのはね、
はい、思いました。
ありがとうございます。
じゃあ、最後にというかちょっと聞いて、これは割と皆さんに聞いているんですけれども、
このラジオのキーワードとして、自己表現という言葉があるんですけども、
はい、長澤さんが今自己表現できてるなぁと感じるときはどんなときですかっていう。
スピーカー 1
これがね、難しい質問でしてね。
あんまり自己表現をしようと思ったことがないんですね。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
だから、特にその自己表現するために何かをしてるかって言ったら何もしてなくて、
うーん、何と言っていいか僕この質問はすごい難しいですね。
アーティストブッキングって自己表現とはちょっと違うものなんですかね。
そうですね、ブッキングは自己表現とはまたちょっと違う気がするんですが、
やっぱりお店の雰囲気作りとして、何となくそっちに持っていこうっていう感じなんで、
自己表現というのはどういうことなのかな。
スピーカー 2
そうですね、何かこう、あえてこれも解釈もお任せして聞くんですけれども、
僕的な解釈としては、ついついやってしまうこととか、
何か割とそういう、何で、今から表現するんだ、これから歌うぞみたいな感じよりは、
何か周りの人からは、何でそれずっと続けられるの?とか言われること。
で、いや別にそんな頑張ってもいないけど、これだけは続けられるんだよねっていうものって、
何か意外に皆さん持ってたりして、
何かそれ自体がすごくその人の人間性そのものを表してるんだなっていう意味での自己表現みたいなことかなぁなんていうのは考えたりしていて、
ライブハウスをやられてきて、
何かその他のライブハウスとのやっぱり違う部分とかっていうのがどんどん出てくるだろうなと思うんですけど、
そういうところにやっぱり長澤さんのらしさというか、そういうのがなんかにじみ出てるのかなぁとかも思ったりして。
スピーカー 1
うーん。
うん。
スピーカー 2
何ていうんですか。
スピーカー 1
おかしいなぁ、自己表現。
まあ変わらずやってきてることでしょうかね。
スピーカー 2
うーん、あまりいろんなことをやらずに。
スピーカー 1
逆に変わらずやってきてると、周りがなんか変わってきたりして、
例えば僕らのようなね、ビジネスイベントもやらせてくれませんかみたいな変なやつらが出てくるみたいな。
そういうのに対してもすごくフラットに接したり、向き合ったりされてるのがすごく長澤さんっぽいなと。
スピーカー 2
わりと来るものは拒まずのタイプですね。
スピーカー 1
たとえばドッターズと変わんないかもなんだけど、町が変わり、出る人が変わり、音楽生が変わりみたいなの。
そこをずっとフラットに見てこられたんだろうなーっていうのもすごい感じ。
そうですね。
スピーカー 2
なんか、やっぱり長くやればやるほど、我々はこういうものであるっていう、どんどん確立されていって、
こういう方向なんだみたいに決めていきがちですけれども、
スピーカー 1
もしかして下北ドロフトは、そこがわりとフラットっていう受け入れるところがあるのは、長澤さんの確かに性格から出てくるものなのかもしれないななんて確かに思いました。
そうですね。音楽もね、どんどん変わりますしね。
いろんな表現者がいるんで、確立しちゃうと新しいものがなかなか生まれにくいんで、音楽はどんどん変わってますからね。
多様な表現者の受け入れ
スピーカー 1
表現者がいろいろな表現力で迫ってくるんで、それはやっぱり受け入れないと。
スピーカー 2
いやー、なるほど。多様な自己表現を受け入れる人なんですね、長澤さんは。
スピーカー 1
そうですね。受け入れないとね、それこそ変に固まっちゃうしね。
スピーカー 2
そうですよね。なんかやっぱり、逆にアーティストとかだと、俺は絶対こういう方向なんだっていう強いがあるからこそうまくいくこともあると思うんですけども、
逆に下北ドロフトはそれを受け入れる側なので、より柔軟に多様にやっているみたいなところは、確かに長澤さんがいたからこその部分かもなと。
スピーカー 1
そういう変化みたいなところで言うと、最近のアーティストとかお客さんもまた変わってきたとかなんかあるんですか?
まあ、私の音楽はもうずっとずらっと変わってるんで、それは今更ってことはないんですけど、
ただ、最近の若い子はビールを飲まないね。もう全然音楽じゃないですけど。
スピーカー 2
ビール、あー。
ファイムハウスというのはビールでしょっていう時代だったんですけど、今はビールですから。
スピーカー 1
お客さん満員になってもビール3杯とかそういう日の方が多いですからね。
そうなんですね。
スピーカー 2
ここは変わってきたと思いますね。
確かに。でも下北ドロフトってお酒飲みやすい雰囲気がありますよね。
スピーカー 1
そういうのみんな飲んで欲しいんだけど、みなさん飲まないな。
スピーカー 2
みなさん1杯しか飲まないっていうか、もうライブメインだから、とりあえずワンドリンク制のチケットだけで、
あとはもうすぐ帰っちゃうみたいな雰囲気感じますけど、
なんかロフトは割と何杯も飲みに行ってる人が多いですね。
スピーカー 1
ねえ、飲んで欲しいんだけどね。若い子は飲まないな、今。
スピーカー 2
そうなんですね。そういう、なるほど。
スピーカー 1
つまんない話ですいません。
スピーカー 2
いやいやいや、そういう変化も受け入れつつやられているという、ありがとうございます。
50周年のイベント計画
スピーカー 2
じゃあちょっと最後にですね、今年ちょうど50周年になるっていうところで、下北ドロフトも不死目の年になると思うんですけども、
今後予定してることとか、予定してないことでやりたいこととか含めてですけども、なんかあれば最後にお聞きしたいなと思うんですけども。
スピーカー 1
うちでやっていただいてた、今までやっていただいてたそのなじみのアーティストさんとかがみんなでこうイベント組んでくれたり、
ワンマンライブやるよとか言ってくれたりして、これから年末にかけていろいろ決まってますので、
ホームページとか見ながら、もし気になったら遊びに来てほしいです。
スピーカー 2
なるほど、ありがとうございます。
特にでっかい告知はないです。
毎月そういう、いろんなアーティストがちょっと特別企画的に。
スピーカー 1
そうですね、毎月、一応月1ぐらいでは入ってます。
スピーカー 2
おーすごい、すごいですね。
スピーカー 1
だから一般のアーティストがやれるライブとは別に下北ドロフトの50周年記念にもちょっと絡めたライブイベント。
やってくれるんで、楽しみにして遊びに来てくれたら嬉しいです。
スピーカー 2
下北ドロフトコミュニティに参加したいなら今年がチャンスかもしれないので、聞いている人はぜひ、僕もちょっとまた行きたいと思うので、
ありがとうございます。
リスナーさんと一緒に行けるかなと思います。
ありがとうございます。
ということで、ありがとうございました。
今日はですね、50年の歴史を誇る下北ドロフトの店長長沢さんにお越しいただきました。ありがとうございました。
スピーカー 1
ありがとうございました。
スピーカー 2
今回もお聞きいただきありがとうございました。
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