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【ゲスト 工藤勇一】なぜ日本で不登校になると辛いのか?
2026-04-14 1:14:32

【ゲスト 工藤勇一】なぜ日本で不登校になると辛いのか?

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工藤勇一と日本の不登校問題の特殊性について話しました。

感想

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サマリー

今回のエピソードでは、教育改革で知られる工藤勇一氏をゲストに迎え、日本の不登校問題の特殊性について深く掘り下げました。工藤氏は、欧米諸国では日本のような「不登校」という概念が教育問題として存在しないと指摘し、その背景には日本の「学校教育法」が定める厳格な進学ルートと、国が認定する「一条校」以外の学びの場への支援不足があることを説明しました。この制度が、不登校になった子どもたちに「ルートに戻れない」という「二次的な苦しみ」を与え、問題を深刻化させていると述べます。 欧米では、親が子どもの学びの場所や方法を自由に選択でき、ホームスクーリングなども広く認められているため、日本のような進路への不安が少ないと対比しました。また、日本の教育は幼少期から過度な介入と規律を重視し、子どもの主体性や当事者意識を削ぎがちであると警鐘を鳴らしました。これにより、子どもたちは自己決定能力を失い、問題解決を他者に依存したり、うまくいかないことを人のせいにしたりする傾向が強まると指摘しています。 工藤氏は、第二次世界大戦後のヨーロッパが、画一的な管理教育から、子どもの主体性と民主的な対話を育む教育へと転換した歴史的経緯を紹介し、日本もこの「人類が成長していくためのハードル」を超える必要があると強調しました。学校が「社会が変わる」のではなく「学校が変わって社会が変わる」起点となるべきであり、子どもたちが対話を通じて全員が納得するルールを自ら作り出す力を養うことが、平和で民主的な社会を築く上で不可欠であると語りました。不登校は個人の甘えや親のしつけの問題ではなく、社会制度が生み出す構造的な問題であるという理解が、解決への第一歩であると締めくくっています。

ゲスト紹介と不登校問題への導入
スピーカー 1
はい、お願いします。
今日は、ゲスト会ですね。
ゲスト、いらっしゃっております。
はい、楽しみです。
工藤勇一さんですね。
はい、来ていただきました。
学校の先生だと、聞いたことないって人あんまりいないんじゃないかっていう感じで。
僕も、かなり工藤勇一さんの本に、教員時代に衝撃を受けた一人でありまして。
簡単に紹介すると、もともとは山形と東京の公立中学校の教員だったんだけど。
その後に東京の教育委員会に行って。
で、話題になったのが千代田区の麹町中学校。
麹町中学校ね。名前めっちゃ聞くわ。
そうそう。そこの学校の運営が、学校経営が異端だったっていう。
定期テストもなければ、宿題もなければ、子どもたちの主体性を育むっていう一貫した。
学校経営方針で、もう全国から視察がいっぱい来たと。
その後、横浜創栄中学校でも教育改革に取り組んでいて。
本当にいろんなメディアで活躍されていて。
まず、自分が教員時代に学校の当たり前を辞めた本で、ちゃんとOECDとか文科省の目指しているところから逆算して学級経営をするようになってさ。
目的意識を持って、この宿題の目的なんだっけとか、この授業の目的なんだっけっていう。
そこに立ち返って、子どもたちと合意形成とって、日々教員として子どもと関わるっていうことができてから、本当に変わったんよ、教員としてのスタンスが。
そこですごく影響を受けていて、ずっと本を読んで追ってたっていうのがあって。
っていうのがありましたと。
そんな中で、宮崎県の小林市で公演をする機会があって、そこでフリースクールコンコンの実践をプレゼンする機会があって。
その後に工藤さんがそこで登壇するっていう、すごい奇跡のようなイベントがあって。
宮崎やけんね、なかなかそこで出会うって珍しいよね。
そうそう、宮崎で工藤さんと会って。
で、そこで工藤さんに、実は僕ポッドキャストしててとかっていう話をしたら、ティーチャーティーチャーって。
ティーチャーティーチャーの存在を知ってらっしゃって。
嬉しいね、それは。
そうそう。多分めちゃくちゃ忙しい仲なんだけど、ティーチャーティーチャーには学校に行かなくて困ってる保護者とかがたくさん聞いてくれていて、
もしよかったらその保護者に何かできることをいっしょに考える回を収録できませんかって話をしたらやりましょうっていうことで、今回の収録に至ってということであります。
スピーカー 2
楽しみですね。
スピーカー 1
工藤さんの教育論、主体性とか当事者意識とか自立とかっていうのがキーワードで、教育論はいろんなメディアで話をされていて。
もう工藤雄一って名前検索したら大量に動画が出てくると思います。
なので今回はあえて不登校という話題に焦点を絞ってお話を深掘りしていこうかなというふうに思っています。
お聞きください。
今収録を終えてお話をしてるんですけども、不登校の課題とその解決策のところまで話をする予定だったんですけど、時間の都合上最後まで聞くことができなかったので、今回は不登校という課題の構造理解までになっておりますので、それを踏まえてお聞きいただけたらと思っております。
そうね。構造理解を踏まえて、じゃあどうしたらいいかの話はちょっと別でお時間をいただこうという話になっておりますので。
はい。
そこまで。
楽しみにお待ちいただけたらと思います。なるべく急いで収録できるようにします。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
さらに時間の都合上質問で深掘ったりとか、途中でまとめたりという時間もなかったので、途中で少しだけ人々はるかで音源を挟んで、そこまでのまとめと。
そうね。
最後に感想を入れ込むという形で、今回お届けしたいと思ってますので、よろしくお願いします。
お願いします。では。
はい、どうぞ。
日本と韓国に特有の不登校問題
スピーカー 1
こんにちは。
スピーカー 2
こんにちは。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
ありがとうございます。今日はお時間いただいて。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
先日は宮崎の小林でありがとうございました。
スピーカー 2
こちらこそ。
スピーカー 1
ティーチャーティーチャーも存在知っていただいてたみたいで。
スピーカー 2
そうですね。随分前から知ってますよ。
えー。
この間の台湾のとても興味深く聞きました。
スピーカー 1
ありがとうございます。
スピーカー 2
台湾も不登校はめちゃくちゃ問題だったと思うんだけど、台湾でもう不登校っていう概念もなくなってきてますよね。たった10年で。
あれだけ多かった台湾が不登校が消えたってことは、今日のテーマっていうのはまさにそこにポイントがあると思うんですね。
本質的な不登校っていう現象をきちんと捉えることができたら、一変に解決できます。
どうすれば解決できるかってみたいなことまで多分話ができると思いますよ。
スピーカー 1
楽しみです。
不登校への捉え方からお伺いできればと思うんですけど。
スピーカー 2
早速お話していきたいと思うんですけど。
じゃあまず不登校っていう概念って言ったら変ですけど、
欧米で不登校問題がまずあるかっていうと、
欧米の学校に行かない子っていうのと日本の学校に行かない子は全く意味が違いますからね。
極端に言えば、欧米には日本のような不登校問題って教育問題として存在してないんですよね。
もちろん学校に行きたくないっていう子はいますよ。
学校に遊んじゃう子もいるわけですよね。
でも日本の不登校問題っていうのは、
実は同じような不登校問題を抱えている国っていうのは世界にはすごく数少なくて、
日本と韓国ぐらいしかないんですよ。
日本と韓国はとても教育が似ているっていうのが、
不登校問題もそうだし、いじめの問題もそうだし、
それから教員の成り手がいない問題もそうだし、
日本と韓国に共通する問題なんですね。
今日本で不登校っていうと、小中学生が35万人。
35万人っていうこの数って、実はすごくとんでもない数で、
中学生で言ったら国公立、私立全く関係なく、
全ての中学生の15人に1人が学校に来てないんですね。
15人に1人ってすごくないですか。
スピーカー 1
多いですね。
スピーカー 2
多いですよね。
学校クラス平均的に2人以上、30人学級にしても2人いるわけだから、
実際今35人学級でも2人以上必ずいるわけですね。
小学校だと平均すると44人に1人いるんですよ。
すごい数ですよね。
不登校の国際比較って見たことあります?
スピーカー 1
いえ。
スピーカー 2
ないですよね。
スピーカー 1
ないです。
スピーカー 2
多分ような不登校問題が海外には基本的にないからなんですけど、
どうもこれは何らかの日本とか韓国に共通する教育的な問題があるわけなんですけど、
実は不登校問題っていうのはものすごく色濃く現れる現象なんですね。
まずじゃあなんで不登校っていう問題がアジア独特というか、
日本と韓国独特なのか。
あとで言おうと思いましたけど、実は台湾も同じだったんですよ。
スピーカー 2
台湾もすごく似ていたんですけど、台湾は今現在欧米型に近いっていうのが、
登校って概念もなくなってきています。
日本の学校教育法が不登校を生む構造
スピーカー 2
確かTwitterで台湾を話題にしてましたよね。
あの中にも答えがいっぱいありましたけど、
じゃあまず聞いてくださっている方に、
なんで不登校っていう問題が日本と韓国独特の問題なのかっていうことについて
少しお話ししていこうと思うんですが、
日本とアメリカっていう国、この2つの国を比較すると一番わかりやすいです。
本当はアメリカじゃなくてデンマークとかスウェーデンとかフィンランドとか
使ったほうがいいのかもしれんけど、一応日本とアメリカってことにしますね。
日本になぜ不登校が存在するかというと、
スピーカー 2
すごく乱暴な言い方をすれば、法律が作っています。
学校教育法という法律ですね。
日本には教育基本法という法律と、
学校教育法という大きな2つの法律があるんですけど、
学校教育法にはどんなことが書いてあるかということなんですけど、
スピーカー 2
学校教育法の特に第1条ですね。
1条に何書いてあるかご存知ですか?
一条項って聞いたことありません?
スピーカー 1
国の定めるって一条項。
スピーカー 2
ありますよね、一条項。
一条項じゃない学校によくインターナションスクールとか入りますよね。
予備校も一条項じゃないですよね。
学習所も一条項じゃないですよね。
フリースクールも一条項じゃないですよね。
この第1条に実は日本の場合、学校を定めたんですね。
国が通ってもいいっていう、
つまり学校として認めるのはここだけですって定めたんですよ。
小学校以上で国は学校として認めたのは、
小学校、中学校、
小中一科の義務教育学校、
中高一科の中等教育学校、
高校、高専、三大、大学、大学院、
それから特別支援学校、こういった学校ですね。
これを学校として名付けたんですね。
これが第1条です。
さらにこの学校教育法には、
小学校を卒業しないと中学校に行けませんって書いてあります。
中学校を卒業しないと高校に行けませんって書いてあります。
ですから国は、まず通っていい学校はこれだけですって定めたんですよ。
公立も私立も含めて、
きちんと国の基準に照らされてOKだって言われたとこだけを学校として認めたし、
上の学校に進学していくためには、
必ずそれを卒業してなきゃいけないということになるわけですね。
なんかもう道がルートができてますよね。
例えばどんなに勉強できても、
小学校時代に学習塾に通ってる子が、
卒業してなかったら中学校に行けませんよっていう意味ですね。
例外規定っていうのはいくつかあるんですけど、
簡単な例外規定は外国の子どもたちですね。
外国で学んだ子どもたちが日本にやってきて、
例えば日本の子どもが外国の小学校にお父さんの転勤の関係で通ってました。
小学校卒業してないけど中学生になってやってきましたっていう人が中学校に入れます。
これは例外規定ですね。日本の小学校卒業してないけど行けますよっていう。
あと皆さんがよく知っているのは、いわゆる大研ですね。
高等学校と卒業資格試験のような。
大研っていうのが満16歳になると受けることができますよね。
年2回国家試験みたいなものがあるわけですよ。
8科目の教科の科目をそれぞれ合格していくと、
大学を受ける権利を持つんですね。
科目を全部で8科目取れば在学を受けることができるので、
どんなに小学校も中学校も高校も行ってなくても、
大研さえ通れば大学に進学することはできるってことになりますね。
こういう例外規定があります。
国はこの法律によって学校に定めたところだけを支援をするんですよ。
公立だったらほぼ無料じゃないけど相当な教材が引っかかるけど、
授業料は免除だし教科書も無償で配布されますよね。
私立でも義務教育であれば同じですよね。
義務教育であれば教科書も無償配布されますし、
ある程度授業料はお金かかっちゃうけど、
基本的にはそうですよね。
僕は2年前まで横浜にある横浜創栄中学高等学校で私立の学校の校長をやってましたけど、
当然学校法人は国の支援をもらうわけですよ。
きちんと教育を与える機関として国が認定してくれたので、
スピーカー 2
もろもろの固定資産税も含めて全ての税は無償だし、
それから私学助成金という大金をもらうし、
子どもの数に応じてものすごい助成金をもらうし、
それから校舎改築とかなんかしても全部ほとんど半分は国から支援もらうので、
ものすごく手当つく私立は国の援助をもらってるんですね。
だから学校として認められればその機関にもきちんと手当が国から与えられるし、
保護者に対しても手当が与えられると。
でもインターナショスクールとか、または民俗学校とか、
例えば予備校とか、オルタネジブスクールとか、
そういった学校の多くは一条校ではないので、
当然国の支援をほとんど受けられないじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。それで困ってる家庭はたくさんありますよね。
スピーカー 2
登校になってしまったけどフリースクールに通わせたいと。
でもフリースクールに通うんにしても通学の手段が遠ければ、
それも支援はしてくれないし、さらにお金が相当かかったりするし、
これは学校として認められてないからそうなんですね。
欧米の柔軟な教育システムと進路
スピーカー 2
じゃあちょっと話を飛ばしてアメリカに話を移したいんですけど、
アメリカは週ごとに法律が違うんですが、
学校教育法みたいな法律は基本的にないんですね。
ただ決定的に重要なポイントは、
親に対してきちんと子どもに教育をしてくださいね。
国も子どもに教育をしますよっていうことは変わりない。
変わりないどころか、多分日本以上にはるかに厳しい可能性がありますね。
子どもをほったらかしておいちゃいけませんよってことですね。
ただものすごく決定的に違うことは何かというと、
どこで学んでどんな方法で学ぶかは、
親が決めてけっこうですっていう法律です。
そうなると親は学校って定められてないので、
日本のような学校っていう組織の小学校、
公立小学校もあれば、私立もあるわけですけど、
日本といったら学習塾みたいなところで学んでる子だって全然OKなんですよ。
教会で学んでもOKなんです。
学校行かないで教会でうちの子は学ばせますって全然OKなんですね。
さらに言うと台湾も今はそうですけど、
ホームスクーリングといって、
自宅で学んでもいいですよってなってるんですよ。
つまりアメリカの場合には、
子どもにちゃんと教育をしてくださいって。
でもどこで学ぶかは親が決めていいですよって。
決めたらそれに支援しますよって方法ですね。
だから自宅で学ぶのとは自宅で学ぶように支援しますし、
っていうことを簡単に言えば、
親と子どもが選べるっていう環境にあるってことですね。
うちの小学校時代は学校行かせませんって。
全然OKなんですよ。
中学から行かせますってOKなんですね。
スピーカー 1
教育の質とかは?
スピーカー 2
その話にちょっと移るんですけど、
学ぶ場所が親が決めていっていった瞬間に、
基本的に日本のような不登校がいないのは分かりますよね。
問題は今はるかさんがおっしゃったように、
まず教育の質が担保できるかと、
それからもし学校行かなくても、
ちゃんと社会に出る道筋がありますかって、
この2つのことが問題になるわけじゃないですか。
ですよね。
一番は学校に行かない方法をとっても、
社会でちゃんと活躍できる人間になりますかっていう、
この例外規定みたいなものがきちんとありますかってことなんですけど、
まず日本のような学力観で欧米を見たら、
学力は平均的に日本が高いのはご存知ですよね。
赤いどころじゃないですよね。
中3まではね。
中学3年生までは世界でトップですよね、日本。
第2位は韓国みたいですけど、
欧米はそんなにトップクラスないですよね。
だいたいみんなアジアの国々はトップクラスが並んでますよね。
これ意味があるんですよ。
じゃあ教育の質とか、
それからもし学校行かなくても、
スピーカー 2
ちゃんと社会に出れるのかってお話に移っていくんですけど、
まず徹底的に違うのは、
欧米には高校受験がないんですね。
スピーカー 2
受験じゃなくて違う選抜があるってことですか。
選抜はないですよ。
偏差値みたいな考え方もないですね。
スピーカー 1
テストはある?
学校ではテストはありますよ、もちろん。
スピーカー 2
でも受験っていう仕組みがないですね。
ほとんど義務教育みたいなもので、
行きたいって言ったらみんなが行く場所ですね。
学校にランク付けがあって偏差値があって、
この学校が良い学校悪い学校みたいな感覚も、
日本とか韓国とは全く違いますね。
ですから小学校時代は学校行かせません?
中学校時代も学校行かなくてもけっこうです?
でも高校に行きますって言ったら高校に行けるわけですよ。
っていう仕組みだってことですね。
スピーカー 1
名門校みたいなのってどうやって生まれるんですか?
スピーカー 2
名門校っていうのはアメリカだったら私立ですよね。
ヨーロッパにはそういう感覚あんまりないんじゃないですかね。
私立を覗いては。
だって基本的に偏差値がないし、
ヨーロッパの子ども塾行かないでしょ。
まず小中学生の姿を考えた時に、
ヨーロッパの子どもたちと、
日本、韓国のようなアジアの国の方角の姿が全く違いますよね。
自由ですよね。
スピーカー 1
想像もつかないですね。
僕たちは受験ありきというか偏差値ありきで大学まで行ったので、
それがなく学生時代を過ごすっていう想像すらつかないですね。
スピーカー 2
つかないですよね。
じゃあ次もう一つ重要なポイントですね。
大学受験ですけど、
欧米には大学受験で、
日本、アジアのような日本とか韓国とか一期試験、
例えば国語の試験とか数学の試験とか英語の試験とか、
教科によっては物理の試験とか、
そういった大学受験が基本的に論文とエッセイと面接。
スピーカー 1
日本でいう総合選抜。
スピーカー 2
日本でいう総合選抜をイメージしてくれればいいですね。
そうすると欧米の学力観と日本、アジアの学力観って全然違うの分かります?
スピーカー 1
はい。
日本とかアジアはペーパーのテストによって学力を判断するので、
スピーカー 2
この学力の点数を取ることによって大学入れるっていう仕組みだから、
さっきの一本道を考えてください。
すごくきついの分かります?
欧米は確かにいくつかの大学は選抜があったりしますよね。
名門大学といわれる大学もあるから、
選抜があるから誰でも入れるわけじゃない。
アメリカなんかだったら、ある基準さえあったら誰でも入れる大学とか、
ヨーロッパにもいくらでもあるわけですよ。
入りますと言ったら入れる大学って、
間口が広くて出るのが厳しいってみたいな感覚だから、
もともと大学を選抜で入らなきゃいけないって感覚っていうのは、
とても日本とかアジアに、韓国とかに特徴的な姿だってことですね。
日本の教育における主体性の喪失と二次的な苦しみ
スピーカー 2
だから日本だとディスレクチャー傾向のある子、
ディスレクチャーって分かりますかね、読み書きに困難が。
スピーカー 1
学習障害。
スピーカー 2
学習障害の中でも有名ですよね。
トム・クルーズさんとか有名ですけど台本が読めないのに全然困らないっていうのは、
台本は読めないけど聞けるから、聴覚を強めることによって学力が上がるじゃないですか。
日本だとどうしてもペーパーテストで大学入るとか高校受験入るので、
読むのが苦手で書くのが苦手なディスレクチャー傾向の子って、
だいたい受験で跳ねられちゃうじゃないですか。
だいたいこの傾向があるのってヨーロッパの調査で聞くと、
5人に1人20%くらいは読み書きに困難がある。
ディスレクチャーって名前がつかなくて。
スピーカー 1
そんなにいるんですね。
スピーカー 2
日本だって同じだと思う。小学校の先生を経験したことある先生だったら、
読み書きに困難がある子どもはディスレクチャーって名前がつかなくても
20%くらいいるって実感してるはずですよ。
スピーカー 1
確かに20%くらいは。
スピーカー 2
ああいう子どもたちっていうのはノートを取れって言われたら
勉強できなくなる子ですよね。
ノートを取れば取るほど書くことが困難だから、
本当は聴覚が優位なのに話を聞いてれば覚えられるのに
ノートを書けって言われる度ごとに先生の話聞けなくなるから。
でも欧米だったらディスレクチャーの子どもが
ハーバードでもスタンフォードでもどこでも入れるわけですよ。
だって受験がないんだから。
って話ですよね。
受験っていうか筆記試験がないんだから。
能力はそうやって判断されないので。
有名ですよね。
イローマスクだってそうだし、ビルゲージだって
みんな発達障害があっていろんな困難は持ってるけど
全然関係なく社会に出てきてるじゃないですか。
スピーカー 1
名門総合型選抜って
例えば読み書きとかでは図られないにしても
どういった評価基準で選ばれていくんですか?
スピーカー 2
名門校も世界基準っていうのは
あなた何者ですかって話なんですよね。
あなた何者ですかってこれを面接論文で見ていくわけじゃないですか。
あなた何者ですかって。
あなたをとったらうちの大学では何を再現してくれるんですかって。
つまりその人物の再現性を読み取るっていうのが
人物評価の評価基準なんですよ。
世界のコンピテンシーを読み取るって
みたいなこと言われるんですけど
コンピテンシー能力を見ていくってなかなか難しいと。
総合型選抜って基本的には3つの質問じゃないですか。
3つの質問。
なんでここを受けたの?って。
企業でもそうですけど企業に来るときに
なんでうちの企業を受けたの?って死亡の動機ですよね。
これまで何やってきたの?ってあなたはって。
どんな行動パターンをして
どんな困難を乗り切ってきたのかってみたいな
そこを多分面接者は聞いてくるじゃないですか。
なるほどこういう学習パターンとかこういう能力を見つけたって
そういうことはうちでとったら
それをきっと再現してくれるんで生き方をするんだろうって。
だからこの質問がすごく難しいんだよ。
あなたはどんな経験してきたの?
それでうちに来たらどんなことをこれからやりたいの?って
聞かれるのはこの3つなんですよね。
あなたは何者?っていうのを
あなたは何者?っていうのを具体的に言えば
なんでここを受けたの?ってこれまで何してきた?
これからどうしたい?
で、このことによって選抜が通っていくわけですよ。
企業と近いですね。
で、もちろん高校時代に何をやったかって
経歴みたいなものはちゃんと出すわけですね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、もう話戻してていいですか?
スピーカー 1
はい。大丈夫です。
スピーカー 2
まずアメリカは学校に行かない方法を取っても
どうも高校も行けそうだし大学も行けそうだし
ってことになりますね。
だから日本のような不登校問題っていうのは
日本の不登校問題っていうのはまず
法律が作ってるんだってことなんですよ。
スピーカー 1
はい。ただ実態として長期欠席者とか
孤立する過程とかっていうのはあると思うんですけど
その辺の保障とかっていうのもあるんですか?
スピーカー 2
あるってことですね。
ヨーロッパに目を移してみると
ヨーロッパは例えば北欧なんかは
就学義務がやっぱりないんですね。
デンマークとかそういった国々は
そもそも学校に行かなくても
社会にきちんと接続できるって仕組みを持っているので
つまり学校行かなくても高校行けるとか大学行けるとか
また社会に出れるとか
そういった仕組みをもともと持っているので
どうも日本とかカンコにおける不登校とは
違うわけじゃないですか。
つまり日本の子どもたちは登校状態になってしまうと
道に戻れないから苦しいんですよ。
受験できなくなるの?
不登校っていう概念がなぜできてるかというと
まず一つは学校を定めてしまって
学校に行かないと進学できませんよって
仕組みを作ったからですね。
戦前の法律はもっと楽だったみたいですよね。
日本も戦前は学校に行かなくても
今でいう高校受験
昔といったら就学受験を受験することができましたし
お金持ちのうちだったら多分学校行かせないで
家庭教室とかつけて受験をして
今の高校に進学して
その上を定代に入学するみたいなことが
全然できたわけですよ。戦前は。
でも戦後にできた学校教育法はけっこうガチガチにできてるんですね。
ですからこの法律によって学校に行けなくなったときに
子どもが苦しむってことが起こるじゃないですか。
つまり日本の不登校問題とか韓国の不登校問題というのは
登校状態になったときに第二の苦しみが来るってことですね。
第二の苦しみはこのルートに戻れないんじゃないかって
ものすごい不安になるんですよ。
この問題が登校問題を
強烈に深刻な問題に変えてるってことですね。
スピーカー 1
確かに子どもたち見ててもそうですね。
なぜか学校に行かないって選択をした後に
急激に心身の不調が起きるっていうのが起きていて
そういったところも社会的なプレッシャーとしてあるんですよね。
スピーカー 2
そういうことなんですよ。だから欧米の子どもたちに
じゃあそれがあるかったらないんですね。
だってそもそも行かなくてもいいっていう仕組みなんだから
日本の子どもたちとか日本の保護者の方々が
思っている強烈な二次的な不安はないわけですね。
スピーカー 1
二次的な不安はキーワードにありそうですね。
多様な学びの選択肢と日本の画一性
スピーカー 2
じゃあヨーロッパの他の国にはどうなのかというと
けっこう厳しい就学義務がある国もあるんです。
ドイツなんかはすごく厳しい就学義務があるので
国が認定した学校っていうところに通いなさいと
これは日本と同じ仕組みなんです。
でも明らかに日本と違うのは
学生指導有料で学校があまりにもきつけつに定められていないので
いろんな学校があるんです。
いろんな学校を自由に選ぶことができるんですね。
オランダなんかが一番わかりやすいですかね。
オランダだと公立に選ぼうが私立を選ぼうが
基本的に全部無料です。
厳しい学校から甘い学校からいろんなタイプの学校があるんですね。
子どもは自由に選べるので
適用できなかったら学ぶ場所とか学ぶ方法を選んで
変わればいいだけなんで
いくらでも救われる仕組みがある。
ですから日本とか韓国が抱えている問題っていうのは
立ててしまったルートから外れた場合の不安が強烈になっていくっていうことなんですよ。
他方向気になってるのが
スピーカー 1
そんな日本は何をどうしたら変われるのかっていう
社会設計側の話と
今きつい状態にある方たちができることって何なんだっていう
この2つの方向気になりました。
スピーカー 2
どう解決するかっていうのは台湾が示してくれたんですね。
台湾は10年前に日本と同じような教育システムだったのに
一番重要なポイントは
教育を受ける権利を国とか親は保障することが目的
つまり義務教育っていうのは
子どもに対して教育を与える機会をちゃんと与えましょうって
それは必ずしも日本のような学校という場所ではなくてもいい
けっこうですよって言ったのが台湾ですね。
台湾は十数年前に多分法律を変えて
学校という場所に通わなくても自宅で学んでもいいですって
自宅で学んでたらちゃんとお金を国がくれるんですよね。
これちょうど前回か前々回のお話で話してたでしょ。
ちゃんとお金を保障してくれて
自宅でインターネットで学べる環境を作ることができるとか
教材も買うことができるとか
ちゃんと自宅で学んだ場合でも
こんな風にすれば大丈夫ですよっていうわけですね。
日本は学習指導有労ってものが定まってるので
何でもかんでも学ぶわけですよ。
例えば発達にすごく特性がある子がいて
特別支援学級とか特別支援学校見に行ったことありますか。
特別支援学級行くと日本の場合だと特別支援学級って
基本的に通常の学級のカルキュラムと
同じようなものをモテルにして
ちゃんと全部教科があるの分かりますかね。
国語、数学、社会、理科、英語、音楽、運動
全部中学校であるんですけど
小学校でも似たようなのありますよね。
でも中には図工だけやってたら
また美術だけやってたらめちゃくちゃ集中してやるけど
急に次の時間になって社会科になったら
ぐたっとして伏せてしまって
やりたくないって言ったら僕見たことありません。
でもそれはカルキュラムが定まってるからですよね。
何を学んでどんな風に学ぶかが
もし子どもにものすごく権限があったら
この子1日中とか半日以上
もしかしたら図工をやってるかもしれないじゃないですか。
いろんな試行錯誤をしながら
そこで創造性豊かな子どもになってるかもしれないですね。
脳の状態はすごい元気ですよね。
最後に1時間とか2時間に
自分の苦手な教科がところどころに含まれてても
イライラする時間が短くて済みますよね。
でももしカルキュラム通りやってたら
大好きな図工の時間は1時間しか経てばなくて
あとの5時間はものすごい苦しい時間だとすれば
この子は1日中苦しんでますよね。
その姿を見て
ちゃんと我慢しなさいよってこれも一生懸命やりましょうよって
先生たちの姿が見えてきますよね。
この時点で不登校問題の決定的な違いみたいなのが
見えてきません?
不登校は個人の問題ではなく社会制度の問題
スピーカー 2
つまり学ぶ側っていうのは
子どもが学んで元気になって
いろいろ創造性豊かにいろんなチャレンジをして
仮説を立てて検証するっていうのは
体育の中にもあるわけですね。どのぐらいの力でどんな風に飛んだら
ここに到達できるかってみんな頭の中で仮説を立てて
実際に運動してみて検証してみるってみたら
この科学的な思考っていうのはいろんな教科の中で得られるわけですけど
でもそれは数学で学びます理学で学びますとか
なんか言っていてこれを全部学べば
総合的に素晴らしい人間になりますよって言ってる日本の法律と
欧米はもっとそこがすごく自由で
どう学ぶかは子どもが決めたら大丈夫ですよ
って言ってる国々とは根本的な考え方が違うって分かりますよね
スピーカー 1
日本では
もうカリキュラムが決まっちゃっててそれを学ぶことが目的になってしまってるから
そこから外れた場合
もうどうしようもなくなっちゃう
ということで一旦ちょっとここで区切って
ここでまとめて1分程度感想タイムに入りたいと思うんですけど
最後に
話にも出てくるんだけど
欧米とか諸外国と比較するっていう文脈が多いんだけど
欧米を目指していますっていうよりも
日本の制度との比較を通して
今の日本の制度の特徴を見やすくするための
比較であるということと
これまでの欧米の制度の歴史を踏まえて
今後こうなっていくとより良い民主主義を目指せますよね
っていうところにつながっていくので
あくまでも目指しているわけではないっていうところは
後ほど出てくるというところがあります
あとあれやね
二次の苦しみっていうのを構造的に理解するっていうのがすごい大事やったね
大事やね
ここで一番大事なのは不登校っていうのは子どもの甘えとか
親御さんのしつけとかっていう話じゃなくて
制度が二次的な不安っていうものを作り出していて
それによって回復が遅れてしまうっていうことがあるから
やっぱり個人じゃなくて
社会の制度としての問題として
見直す必要があるっていうところかなと思っていますね
その状況になったらもうルートから外れてしまって
この先どうするんだみたいな不安がね
あるってすごいよね
だけどちょっとね工藤さんが冒頭に言ってたんだけど
代検っていう制度を活かしたりとかすれば
実は二次的な不安とかも抑えられる方法があったりとか
そんな話ももしかしたら解決策のところに
出るんじゃないかなっていうふうに思っていて
だから二次的な不安を起こさないために
どんな関わりができるのかっていうところは
かなり今までの制度の話で資差があるんじゃないかな
っていうふうに思っています
もう一個これとは別でなんで
じゃあ不登校の数がこんだけ増えてるんだっていう話は
社会の出来事と因果関係と考えられているものが
研究であるからそういった解説もいずれしたいなと思ってるんですけど
今はとにかく個人の問題じゃなくて
社会の制度の問題として見る必要があって
そうすることによって
二次的な不安であったりとかそれによる心身の不調が
起こることを防げるんじゃないかっていうところが
スピーカー 1
一個考え方として得られたんじゃないか
さらには今度は具体的にどうやって
家庭で対応していけばいいのかっていうところも
次回聞いていきたいなというふうに思ってますが
今回はそこまでは言っておりません
後半は子どもがどんな力をつけていくといいのかっていう話も
今からありますのでお聞きください
お聞きください
スピーカー 2
そういうことですね
主体性を奪う日本の教育と子育て
スピーカー 2
学校の先生たちも勘違いしてるんですけど
日本で教員をずっと続けてると
子どもはほっといたらきっと勉強できないから
スピーカー 2
教えてあげなきゃ伸びないでしょって勝手に思ってるんですね
だって子どもって
スピーカー 2
赤ちゃんで生まれたときを考えればよくわかるんですけど
赤ちゃんで生まれたときって好奇心の塊ですよね
たとえ障害があったとしてもすごく好奇心の塊で
その子なりにいろんなものに興味を持って
なんかやろうとするじゃないですか
スピーカー 2
だからすごい主体的な生き物なんですよ
でも日本の教育とか質疑を受けてると
5年ぐらい経っちゃうといつの間にか
子どもはですねその主体性を失われていくんです
あれをしろこれをしろって人に迷惑かけちゃいけないじゃん
それやっちゃダメよって
あれしちゃダメこれしちゃダメって言ってるうちに
子どもはだんだんこれやっていいって聞くようなんですね
でできることとか言われたことしかやらなくなって
リスクを追ってチャレンジすることをだんだん拒んでくるんですね
小学校6年生ぐらいになると
日本の子どもたちは世界で最もお利口さんになりますよね
きちんとしてますよね
先生の言うことをよく聞く子どもになりますよね
でも一番大事な主体性削られるんですよね
だから幼児教育こそが人生をつくる
とても重要なものだって言われていて
幼児教育の研究してるんですけど
日本の幼児教育の研究と
欧米の幼児教育の研究の根本的な違いは
生まれたときに持ってる主体性を失わせないで
教育することが非常に難しい
つまり手かければ手かけるほど主体性が失われていくので
どういう手のかけ方が主体性を削らないでいくのかって
この研究ですよねつまり環境をどう作っていくかって
非常に重要なポイントなんですよ
本人が望まないものをやっててもそれなりに能力はつくんだけど
一番根本的な自己決定をして物事をやっていくっていう
人間にとって最も重要なポイントが失われていくんですよ
学力ってペーパーみたいな学力は世界で中3で世界1位ですけど
でも日本の子どもたちの多くは主体性削られるので
主体性削られた子どもたちって自己決定を繰り返してないので
どんな特徴があるかっていうと
うまくいかないことがあると人のせいにするんですね
勉強がわかんないと先生の教え方が悪いって言うんですよ
いやはるか先生は教え方がうまいけど
ひとつ先生は教え方がだめだよねみたいなこと言っちゃうんですよ
スピーカー 1
お客さんが言ってますね
スピーカー 2
でお母さんってうちの先生全然だめって
だから塾行かしてってみたいこと言うんですね
学校の先生たちもより教え方がうまい先生になろうと思って
どうやって教育のサービスをいいサービスを与えられるかって
サービス競争するんですよ
でも教育の本質はこの子が自分で学び方を
いろんな環境の中で学び方を覚えながら
どうやったら克服できるかを伸ばしていくことが本当は教育なのに
つまり独り立ちさせるのが教育なのに
手をかけるのが教育というよりは
どうやって手を離していくのが教育なんですよね本当はね
だから親御母さんによく言うのは
何歳まで子育てしますって僕言うんですよ
12歳ぐらいで中学受験で学校説明会に来た親御さんに
今12歳ですよねお子さんね
何歳まで子育てしますかって聞くんですね
まさか18歳になって高校3年生になった時に
お母さんお父さんって
僕大学どこ受けたらいいかわからないから
どこ行ったらいいか教えてよって
そんな子どもになってほしくないっしょ
僕ここに決めたんだけど
報告してくれろって子どもになってほしいでしょって
皆さんが子育てって言ったら
12歳から18って考えたら
あと6年もできないんですよ
どうやって手離すかってことが子育てだから
これ考えてねって僕学校説明会で必ず言うんですね
日本の子どもたちがあれをしろこれをしろ
あれをするなこれをするなって言われてるから
わずか小学校の
もう低学年から中学年ぐらいになってくると
どんどんどんどん主体性削られてるので
ますますサービスを受けないと
教育ができなくなるんですね
だから子どもたちはうまくいかないことがあったら
必ず人のせいにすると
クラスがうまくいかないと担任外れだって言うんですね
うちの担任外れだよって学級崩壊状態だよって
学校の先生も崩壊状態になるのは
学校の先生の責任だと思ってるんですよ
確かに管理教育をすれば
管理していこうって教育
手をかける教育をしていくと
教員のその能力差が出るんですね
でも幼児の頃から子ども主体の教育をしていくと
学校の先生なんて本当は関係ないんですよ
例えば自分の子どもが
日本ってやたら宿題出すじゃないですか
これも日本独特ですけど
学校教育でやたら宿題出すんですよね
この宿題出すって文化があるから
日本のお母さんだと
なんとかちゃんって宿題やったの?って声かけるじゃないですか
良かれと思って子どもに声かけるんですよ
そうすると子どもがうるさいなって今やろうとしたのに
本当お母さんのその声ね
やる気伏せるんだよとかって言うわけですね
お母さんは良かれと思って声かけたんだけど
この声のかけ方が悪いって
そのサービスの仕方が悪いよって文句言うんですよ
つまり主体性を失った子どもっていうのは
サービスの与え方に不満言うようなんですね
もっといいサービスちょうだいよってなるんですよ
こんな子ども育てるわけじゃないですよね
教育の本質っていうのは
主体性を育てていくってことが一つだし
もう一個僕が大事にしてるのは当時支えですね
これは後天的に学ばせなきゃいけないんだけど
子どもがとらぶってるときに
子ども自身がこれを解決していく能力ですね
これも日本とヨーロッパと比べると
すごい決定的な違いがあるんですよ
当事者意識と民主的対話の重要性
スピーカー 2
僕はデンマークの関係の方とよく話させてもらうんですけど
デンマークで子ども同士が
例えば幼児が砂場で遊んでると
そうすると保育園先生だったら
よくやりがちなのは子ども同士が遊んでると
仲良く遊んでねって余計なこと言うわけですよ
おもちゃは貸し借りしようかって
借りたらありがとってよって
よくできましたねって言うわけですね
誰かがブランコ遊んでると
みんながなかなかブランコできないので
ほらみんな待ってるでしょって
順番だよって
10回超えたら交代ってことにしようかとか
またルール決めるんですよ
これデンマークの保育士さんってこういうのどうするんですかって言ったら
まずはずっと見てるだけですって
そばにはいますって
でも介入しませんって
介入された子どもと介入してない子どもの違いですけど
日本だと介入されちゃうので
先生役に出てきて
なんとかくんって先生が順番だって言ってたでしょって
言ったりする子が増えるんですよ
で誰かが泣いてるとどうしたの
大人とか先生がやってきてどうしたのって言ったら
なんとかくんがこんな意地悪するのって言ったら
なんとかくんのとこ行ってダメじゃないって言うんですよ
謝ろうよって言って
介入するんですね
スピーカー 1
よくある関係ですね
スピーカー 2
これはなぜかって言ったら
秩序を保つためには
とても美しい秩序
これを教え込むことが大事だって感じがしてるんですよ
親も先生も
そうすると何が起こるかって言うと
トラブルが起きたら解決するのは大人だって勘違いするんですね
でデンマークでそれどうするんですかって言ったら
見守っておくだけなので
基本的にずっと喧嘩が続くんですよ
先生が解決してくれるっていう風に
もともと思ってない子どもたちはどうすると思いますか
スピーカー 1
自分たちで対話する
スピーカー 2
そうなんですよ
時間がかかるんですけど
お互いを理解しながら
到達点をだんだん見つけていくんですね
ルール決めたりするんですよ自分たちで
時間はかかるんだけど
この肯定的な当事者性を教えていく
当事者意識って言ったらいいですかね
これを教えていくのは
経験を通じて学んでいくものなんですけど
これを奪わないっていうことが
教育の専門性なんですね
この研究が進んでいくわけですよ
ここで出てくるのが
スピーカー 2
民主的な対話の方法っていうものを
子どもに教えていくんですね
民主国家として成長していかなきゃいけないってことを
体験を通して教えている国は
デンマークのような国は
みんなが自由に来たらぶつかるじゃない
ぶつかったらどうするって考えさせるんですよ
どうすればみんなが楽しく暮らせるのかな
そうすると
自分の自由と人の自由は必ずぶつかるので
自分の自由を尊重してほしかったら
人の自由を侵害しない
安易でしか自分の自由は認められないって社会
そういう社会を作ればいいんじゃない
つまり子どもたちは
自分の自由は人の自由を侵害しない
安易で認められている社会を
みんなで認め合ってルールを決めていく社会
これがヨーロッパで教えている民主主義ですね
日本の例でいくと
授業があって
授業中に寝ちゃう子どもがいると
寝ちゃう子どもは自分の自由だから
人に迷惑をかけていないかもしれないから
認められるかもしれないけど
授業中に人にちょっかい出して
嫌がらせをしてから
この人が学びたいって自由を侵害しているので
これは寝てる行為と邪魔してる行為で比べたら
明らかに強烈に違うわけですよ
程度が
という話になりますよね
例えば
服装・頭髪なんかも
僕は小島町でも横浜副大でもそうだったけど
ほぼ全部自由になったんですね
僕管理教育だったから全部自由になって
ピラスでも何でもオッケーだよって
みたいな学校に変わったわけですけど
それって誰にも迷惑かけないですよね
でも例えば授業中にゲームやってて
うるさいとか
ちょっかい出した
これは明らかに問題ですよねってなりますよね
横浜副大なんかも
携帯持つことだとかスマホ持つことだとか
全部自由ですけど
基本は教員たちが教えるのは
自分の自由が人の自由を侵害してないから
この判断基準だけ
しんと思とうで
で、ぶつかったら先生が出てくるんじゃなくて
どうやってそれをやればいいかは
君たちが考えることだよ
っていう話だから
常に子どもたちはその対話をしなきゃいけないんですよ
スピーカー 1
なるほど
スピーカー 2
だから社会は
自分としてルールを作っていくものだ
ってことを学びながら
社会の
なるほど政治はそうやって作られてるのかが
体験的に分かってるんですよ
スピーカー 1
ちょっとすごい根幹になっちゃうんですけど
欧米と日本の教育史に見る民主主義の進化
スピーカー 1
欧米と比較してよくお話されるんですけど
欧米の姿を目指しているっていう
スピーカー 2
違う違う
それは歴史で考えるとよく分かるんですけど
欧米って今でこそ日本って
すごく秩序を守ってますよねって言いますけど
100年も遡れば
ヨーロッパの方が日本よりもはるかに管理教育で
もっと言ったら大罰教育ですね
だって明治維新から今日本って150年じゃないですか
100年前まで遡ったら
もうなんかすぐ
ちょっと前に
蝶投げ打てた時代があるわけですね
その100年ぐらい前って言うと
世界ってほとんど人権無視なんですよ
ヨーロッパ中世界中ですよ
だって女性に選挙権もほとんどないですよね
ヨーロッパでもないですよ
もう1回100年遡ると
各家庭のしつけっていうのは日本以上に厳しくて
だいたい子どもは革のベルトで叩かれたそうです
学校の先生はみんな鞭を守ってた
で叩くんですね
これが100年ぐらい前までは
普通に行われてたってことですね
ヨーロッパで
ですからヨーロッパ目指してるわけではないの分かりますね
でなぜそうなのかというと
中世にできたようなヨーロッパの学校っていうのは
基本的に宗教の影響をすごく受けていて
特にキリスト教のカトリック系の影響を受けているので
すごく厳格なんですよ
人間っていうのはもともと罪を背負って生まれてくる
宗教的な考え方があって
ですから厳しくしつけないと
まともな人間にならないと思っているので
ヨーロッパの方々は子育ても学校も
とても厳しい場所だった
で授業は教えるものであって
一斉授業っていう方法をとってたと
江戸時代の中期ぐらいだったら
多分日本とか中国が
世界のナンバーワンの文明を起こってたわけですね
でもヨーロッパにいきなり抜かれたのが
産業革命がイギリスに起こって
それがヨーロッパにどんどん広がっていったと
科学の技術がもう劇的に変化した
急激に成長したと
あっという間に日本とか中国の
科学技術を世界が抜いていったんですね
一瞬で
それが侵略戦争みたいなものにつながっていって
植民地になる恐れがあった
周りは確かにどんどん植民地になっていったんですね
日本はそのタイミングで明治維新に起こり
植民地になっちゃいけないというので
ヨーロッパ型の教育を早く入れて
国民に寺小屋ではなくて
自由に学ぶという方法ではなくて
ヨーロッパ型の学校の仕組みを入れなければ
ヨーロッパに追いつけない
学生が惹かれて
ヨーロッパ型のカリキュラムと指導法が入ってきた
もともとは学年も壊れていて
学ぶのは主体的であって
共同的な学びをやってたって日本の寺小屋って
先生は教えるものじゃなくて学び合うのが仕組みだった
子どもたちは学びたくてたまらなくて
寺小屋に通ってた
寺小屋制度があったんですね
これが国が学校を定めていきなり学校に通いなさいと
美術とか音楽とか英語とかなんとかと
カリキュラムが決められていくと
最初は大反対の人たちがいっぱい日本中にいたそうです
学校が焼き討ちになったこともあったそうですね
でもそこを順調に通り過ぎて
ヨーロッパ型の教育が日本中の筒ぐらいまで広がって
いろんな教科を学ぶことによって
やっぱり集中な人間が出てきたっていうことですね
科学技術のトップクラスの人間が出てきた
これによって日本は欧米に肩を並べるようになってきたんですね
でもこの時に入ってきたのが
一斉教授型ってことと指導をするってことと
それから比率教付で着席のような管理をしていく
それからさらに大罰教育ですね
江戸時代までは小型からって
違う教育されてた子どもたちが明治になって
このヨーロッパ型の規律正しい教育が進んでいった
この延長線上に今の日本があって
ヨーロッパはそれをやめたんですよ
なぜやめたかっていうと
先生の言うことをよく聞く
素直で誠実によく聞いていくっていう子どもたち
いわゆる僕は自主性ってよく言ってます
先生の望むことを自主的に行っていく
そういう望ましいことも育っていくと
第二次世界大戦の時に
例えばドイツですね
ドイツは民主主義国家だったのに
第一次世界大戦負けて借金だらけになった
その国の状況があったんでしょうね
リトラが選ばれて洗脳的な教育をし
子どもたちは先生の言うことを鵜呑みにする子どもたちが
どんどん育ち戦争にストップかけないどころか
犯罪を起こしてしまった国で
ものすごい反省がドイツの中にもあるので
この教育をしてはいけないと
それはなぜかというとヨーロッパ勝った国々もそうだったんですけど
みんなやけの腹になったんですよ
科学の技術が進歩するってことは
こんなにすごいダイメージがあるのか
戦争は勝てばいいって問題じゃなくて
やっちゃいけないことだかってことを認識できたのが
第二次世界大戦だったんですね
今から80年前
ヨーロッパ中の管理局が変わっていくんですよ
先生の言うことを鵜呑みにする自主性のある子どもじゃなくて
先生の言うことにいちいち疑問を持つ
主体的な子どもたちを育たないといけない
人権的に優しくなり
子どもたちの教育が変わっていったんですね
だからヨーロッパの方々が今の日本の姿を見て
日本はきちんとしてますね
これは日本独特の文化もあるんですよ
ちゃんと
でもそれは比率を正しい教育をしてるから
日本が素敵なんですよっていう意味じゃ
多分僕はないと思いますね
やっぱり日本独特の江戸時代から
伝わる思いやりみたいな教育がちゃんとある
でも多くの日本の教育者は勘違いをしていて
きちんと規律正しく
強制的にやってるから
その下で育っていて
世界はそれを称賛してくれてるって
勘違いしてるんじゃないかなと思いますね
個別最適化と画一性のジレンマ
スピーカー 2
今日も新聞かなんかだったかな
今日か昨日だったかな
デジタル教科書を今国が許していこう
って方向にあるときに
でもフィンランドでは
もう一回紙ベースの方がいいっていう風に
戻ってるみたいな言い方してますけど
全然話が違うんですよ
さっきのディス役者の子どもを考えたら
ディス役者の子どもって読み書きがとても苦手で
鉛筆を持つとノート取れないんだけど
キーボードを打つとけっこうノート取れる子いますよね
僕もたくさん知ってますけど
先生の話を聞きながら
ノートを書こうと鉛筆を書こうとすると
先生の話が聞こえなくなった
聴覚優位の子どもがノートを取れなくなるんですけど
キーボードだとブラインドタッチができるようになってきて
脳の回路が違うので
全然先生の話を聞きながら
ノートを取れるような聴覚優位の子いますよね
この子はデジタルを使わないと
やっていけない子なんですよね
タブレットとかスマホ
手放せない子もいるわけです
でも文字をみんな紙ベースで読んだら
全く読めない子もいる
字が読めない子もいるんですね
でも読み上げソフトを使ってくれたら
全然読める子もいると
デジタルのほうが全然オッケーな子もいるじゃないですか
だからそれぞれ違うものを
日本は何でもかんでも一斉でやるそうです
だからフィンランドで
やっぱり紙に戻そうとかって話って
本当なんですかって僕聞いたことあるんですけど
紙の優位性がやっぱりあるので
紙に戻したいんだけど
一律に紙に戻すわけじゃなくて
やっぱり子どもによっては
デジタルじゃなきゃダメな子がいるので
それが認められる環境を作ることですって言ったから
日本で言われてる話題になったことと
だいぶずれてるんですよ
そうですね
スピーカー 1
しかもあれデジタル化にしたわけじゃなくて
デジタルも使っていいですよっていう無料で
スピーカー 2
そうですそうです
デジタルじゃなきゃダメな子がいるんです
100%デジタルじゃなきゃ
全く勉強できない子だっているんです
その子に
使う時間がどう残るのって問題ではないんです
何時間以上はダメだとか
悪いとかって問題ない
その子その子に応じて
みんな違うんでしょ環境が
それをどうやって
何を学んでどう学ぶって
どうやって学びますかを
子ども主体に考えましょうっていう法律と
一律にこうやって学びなさいって
日本全国でいまだに
なんとかスタンダードって
ノートの取り方から
何から何まで徹底する
自治体ありますよね
20%くらいの子どもを無視している
自治体ですよね
スピーカー 1
ちょっと見えてきました
例えば紙に統一した方が
全体平均
偏差値は上がるとか
目に見えやすい数字が
上がりやすい統一した方が
説明がつきやすいわけじゃないですか
だけど一方
僕たち子ども一人一人を見てた時に
その統一によってどれだけ苦しんでいる子がいるかっていうのは
現場目線だとやっぱり
あるわけなんですよね
だからその全体を
分かりやすく導こうとすると
統一した方が良くて
その統一によって
苦しんでいる子たちが
それこそ不登校で苦しんでいたりとか
するのかな
スピーカー 2
日本の中には
嫌なことでも我慢することでも価値になる
それから一度始めることは
絶対続けなきゃいけない
マレーシアの話
雑談の中だったから
今日この中でやったから
話になったと思うんですけど
マレーシアの話を聞いた時には
マレーシアの方々は
けっこう日本と違って
始めたことでもすぐやめちゃう
文化があると
やめることに対して全然オッケーな文化がある
日本って
始めたらやらなきゃいけないのよって
何か知らないけどそういう圧迫感
圧力感ってないですか
あります
三日坊主もそうだけど
一度続けたことはやめちゃいけないのよって
やるとことんやってみて
そこから考えるんでしょって
みたいな文化があるわけですけど
これによって苦しめられる子どもだって
いっぱいいますよね
それが日本の良さでもあるんだけど
なんかすごい苦しみを生んでる感じがしますよね
でも
世界に目を広げてみると
そうじゃない文化の国っていっぱいあって
何が正しいってないじゃないですか
スピーカー 1
そうですね
スピーカー 2
でも基本は
幸せになるために教育があるはずなのに
こうやれば
幸せになるよって言ってるみたいな
おかしいでしょ
でも日本ってすごくおせっかいなんですよ
例えば小学校5年生だったら
移動教室に行きます
なんとか山に登ってここでキャンプします
学校の先生たちは成功させたいじゃないですか
親御さんは親御さんで
この2泊3日なんか帰ってきたら
なんか立派になって帰ってきてくれないかな
って期待しますよね
でもこの構造をよく考えてみると
小学校5年生っていう中には
背のでっかい子もいればちっちゃい子もいれば
精神的に大人の子もいれば幼い子もいれば
そもそもこれに行きたい子だけじゃなくて
行きたくない子までいる
あるいろんな理由を抱えて
行きたくない子までいる
行きたくない子まで群れがついていくわけですね
学校の先生は
失敗させたくないので
例えば小学校の先生だと
忘れ物させたくないってことに
すごくこだわる先生がいるわけですよ
と忘れ物させたくないために
うちのクラスはねって
前日に荷物で検査してあげるから
前日に荷物持っといてって言うんですね
全部みんなでチェックするんですよ
このクラス忘れ物しないんですね
隣のクラスはほったらかしてたから
当日行っての向こうで
忘れ物したと
親からクレーム来たりするんですよ
いつも文句ばっかね
先生は
サービスしてくれないと
先生はサービスしてあげようと
そのうち思うようになるんですよね
これ子育てでいったら
トンチンカンでしょ
全くやっちゃいけないことやってますよね
だって子どもが独り立ちすることを学んでいくのが
学校教育なのに
失敗たくさんしてもオッケーなような環境を
作りながら行くのがそうなのに
わざわざ理想学校5年生で
無理矢理連れてって
うまくいかない子どもに対しては叱るわけですよ
叱る先生も気の毒だけど
叱られる子どもはもっと気の毒でしょ
そもそも行きたくなかったのに
わざわざ行けって言われて向こう行って
やっぱり態度が悪いって叱られる
これが日本の良さですよって
言ってる先生たちって山ほどいるんですよ
やっぱり厳しくやるから
鍛えられるでしょう
っていう人がいるんですよ
それはその通りですよね
そういう子どもいますもんね
厳しくやって
救われる子どもいっぱいいるわけじゃないですか
いっぱいってまあいますよね
でも厳しくやって救われない子もいますよね
でも救われない子どもは
救われない子どもが悪いんだっていう風潮がありますよね
これ不登校といっしょですね
誰一人置き去りにしない
社会を作ろうと思ったときに
優先事項は何ですか
って考えるのが民主主義だから
人の自由を侵害しないで
認める社会をみんなで作って
ルールを決めていきませんか
にシフトした国が台湾ですね
みんながオッケーな社会作るのって
シフトしていくんですけど
台湾はそれを学校で教えて
学校で言ったら子どもたちが社会をだんだん
広めていく
社会が変わって学校が変わるって
思ってる人が多いんだけど
そうじゃない学校が変わって社会が変わるんです
ということが歴史的に
見ると当たり前のように
見えていくということですね
主体性教育への移行に伴う課題と対話の力
スピーカー 1
さっきの話なんですけど
それによって起きる
弊害みたいなのもあるんですかね
子どもに任せて自己決定を
大事にしていくことによって
それができていく子はどんどん
スイスイできていくし
一方それで失敗経験を積み重ねていって
二次的な
自己効力化の失い方
みたいなのあったりとかもするんですかね
スピーカー 2
今の日本は
必ず歪みが出ます
例えば僕が工場中で校長をやったときに
僕6年間は校長してたんですけど
最初の3年間は管理教育の
教員だらけなんで
怒鳴りまくったり叱りまくったりして
宿題も山ほど出すって学校だったじゃないですか
これがだんだん
だんだん変化したときには
意識が
子どもの自己決定は大事だと分かった
でも自己決定をさせようとすると
質度が乱れやすいんですね
政治といっしょですよ
スピーカー 1
そうです
スピーカー 2
教員たちはこういうんですね
やっぱりダメなことはダメだって教えなきゃダメでしょ
子どもがやりたいように
やってないでルールを守るって
子どもたちにしないと
質度が乱れるじゃないですか
って話になるんですよ
厳しくしましょうよって
教員が入ると
さっきの砂場と同じ状態が起こるんですね
子どもたちはトラブルが起こると
先生あいつら何とかしてくださいよ
ってうるさくてたまんないんですけど
って文句言うんですよ
つまり平和な状態を作られないのは
先生の責任になるんですね
ヨーロッパは幼児教育から変えているので
幼児の頃からそんな教育をしているので
ずっとだんだん成熟していくから
いきなり
主体的な教育を中学でやりますよ
ってことになったとしても
ならないんですよ
つまり小学校も
ずっと当事者性が
育てられながら来るから
日本のような先生の言うことをきちんと聞いて
ビシッとした状態ではないけど
子どもたち同士が
対話をしながら地図を保っていくっていう
民主的な運営ができるんですね
フランスでさえも
学内民主主義を取り入れて
落ち着くまで30年かかったそうです
だから
工藤さんは
ヨーロッパに近づけようとしてるんですかと
全くそうじゃなくて
人類は成長していくためにそこの道
ハードルを超えていかなきゃいけないんですね
民主主義国家っていう方法以上に
世界に
誰もが平和で暮らす方法ってあるんですか
って言ったときもないんじゃないですか
誰か優れた遠慮者がみんな全員で
それを社会を治めるんですか
ってことを理想にするんですか
って言ったらならないでしょ
やっぱり全員がオッケーなものを探し出して
優先順位を決めて
みんながオッケーなものをどうやって
ルールを決めていきますかって言って
ヨーロッパの方々はちょっとずつ成熟していって
一番早朝的なのは
ドイツとフランスってあれだけ
国民性も違って
長い歴史で考えていくとずっと
戦争してきた2つの国が
EUをつくる中心の国になったわけじゃないですか
EUって
自国のことだけ考えていったら
関税かけたほうがいいし
人の移民は入れたくないし
でも
EUに加盟した国々は
関税全部ゼロにしようよ
通貨もいっしょにしようよ
人の移動も全部自由にしよう
って考えられないじゃないですか
日本は韓国と中国と
関税ゼロにして
人の行き来も自由にしましょうってなるわけないでしょ
今の日本だったら
でもヨーロッパの方々は
それを実現したっていうんだから
すごい国民の成熟度が
当然
EUに加盟するときには
反対した人はいっぱいいたと思いますよ
関税ゼロになったら困るって
うち農業やってるんだけど
これもっと安いもの入ってきたら商売成り立たないよ
っていう人たち
山ほどいたと思うんですよ
でもそれでも国の人たちは
将来にわたって自分たちの子どもたちが
平和な社会作るためには
戦争が起こらない仕組みを
作っていくしかないんじゃないの
そうすればちゃんと国として支援するから
支援していくので
これ受け入れてみんなで
反税ゼロ
自由に動くってそういう制度に
加わろうよ
って国民を説得した
それはそういう教育がなされたから
最優先になるもののためには
痛みをみんなで
勝ち合いながら
ソフトランディングしていきましょうってことを
選んでいくわけじゃないですか
歴史が違うんですよ
日本はこのハードルを超えなきゃいけないですね
主体性のある教育をすると
子どもたちが適度に乱れます
これを先生が管理して
きちんとするんじゃなくて
彼らに民主的な対話の方法とか
ほらぶったときに
人の自由を侵害しないで決めてるのはどうすればいいの
常に常に対話をさせながら
ルールを決めた
子どもたち自身を学んでいくんですね
不登校問題の構造理解と今後の展望
スピーカー 2
だから僕がいたときの
高島中っていうのは
1年生のときはトラブルだらけですね
教員たちはそこを
技術を覚えていって支援をする技術を覚えていって
2年生3年生になると
すっごく落ち着くんですよ
ものすごく手がかからない
でも普通の管理教育やってる学校は
局長に言えますよ
悪い言い方すれば
中学1年生でまず教員たちは
締めるって言いますね
入学と全員締めなきゃいけない
整列の仕方とか号令の書き方とか訓練するんですよ
更新の仕方とか訓練する学校だと
未だにありますよ
で子どもたちは中1だから
先生たちの圧力にけっこう負けてくれますよね
でも2年生ぐらいになると
飛び出していく子どもがだんだん出てきて
それを極端に
教員たちは締めようとするって
これ締められないと荒れるっていうか
子どもたち何人かの
グループ集団に荒れていく
だから管理教育をしていくって
ますますやられますね
スピーカー 2
でひどいときだと荒れまくって
中学2年生は中だるみだとかって
言い方しますけど
管理教育の中だるみみたいなんですね
中だるみだっていう感覚も
日本独特の言葉だと思うんですけど
3年生になるといきなりピタッと収まるんですよね
なぜかというと高校受験があるから
いきなり子どもたちが
ごまをすり始めるわけですよ
で受験が全部終わるまでは
とりあえず子どもたちは大人しくして
受験が終わった途端にまた弾けるみたいなことが
起こると
学校荒れさせないようにするには
どうするってみたいなことが話題になるんですよね
つまり教育っていうのは
子どもたちを独り立ちさせていく
社会はいろんな人がいるから
ぶつかるところだ
これを困ったらどうやって決める
高島中は基本的に
生徒総会で多数決で
決めるってことはやめてねって言っただけですね
多数決はダメだよ
どんなにルールを変えてもいい子どもたち
みんなでどんなルールを変えてもいい
ただね多数決ってのは
マイノリティを切り捨てる方法だから
誰一人取り残さないことはできないでしょ
だからみんながオッケーだったら
どこまで変えてもいいよ
みんながオッケーになる対話をしてごらん
って教えてたんですね
だから
スピーカー 1
それで対話できていくものになる
スピーカー 2
できるようになりますね
顔ぶちになりますよ
例えばスマホを使うか使わないかって
僕が校長辞めてから話題になったことがあるんですけど
教室にスマホを入れていいかどうかって
みたいなことを
子どもたちに議論したんですね
そうすると許可してください
っていう子どもたちと
やっぱり許可すべきじゃないって
大きく2つに分かれるじゃないですか
でも議論重ねますよね
許可してほしいって
言ってる子どもたちはやっぱり
いろんな意味で通学もそうだし
それから授業中ももしスマホを使って
いいってことになれば授業中に
例えばインターネットで分かんないことがあったら
先生に聞かなくても
インターネットで調べてこれはこんな意味か
って分かったりまた今だったら
AIを使えばチャットGPTとか使えば
いや今議論してるのは
もしかしたらこの視点が足りないんじゃないかって
チャットGPTって言ってますと
みたいな手を挙げて
この視点でもうちょっと話し合ったらいいんじゃないですか
って見たことができるとか
いろいろ利点を言うわけですよ
で一方
許可しないほうがいいってところは
いやもし許可したら
みんなが勝手なことをやり始める子が出てきます
授業中にゲームやったり
騒いだりなんかする子どもたちいっぱい出てきたり
または授業中に
写真撮ったり動画撮ってそれを
SNSに流す恐れもありますって
言うわけですね
この話し合って
ずっと平行線みたいな感じしますよ
で結果的には多分
許可しないほうがいいでしょうって
なっちゃうんだと思うんですけど
スピーカー 1
そんなパターンも見えてます
スピーカー 2
僕は必ず子どもたちには
全員OKなものを探しなさいって
まずは全員がOKな共通の目的を探し出せって
を使ったらね
全員OKっていう
ものは何なのかをみんな考えるわけですよ
そうすると子どもの中に
こんな発言する子もいるんですね
もしみんながルール守れて
きちんとやれたら
使えたほうがいいってことは
みんな全員OKですか
って聞くんですよ
そうするとみんな
それは全員OKだと
やっぱり便利な点があるから
もしこれを使わなければ
授業の質も上がらないし
使ったほうがいろんな点が便利なんだから
きっと使いたい子が
使える環境を作るっていうのは
これは全員OKだと思いますって
応答するわけですよ
じゃあこれ全員OKですよねって
じゃあこの全員OKなものを
実現するための手段で
次は話し合いませんかって話になりますね
スピーカー 1
はぁ
スピーカー 2
上位下限が決まるわけですね
そしたら次の段階に
二方と一つならないんですよ
上がじゃあこれOKですよねとなると
もし
使わないほうがいいって
だからこんな問題が起こるから
使わないほうがいいって言った場合には
そもそもみんなが
OKするってことを妨げるって
わけだから
今みんなでOKだって言ったこのことが
OKにならなくなるわけだから
これは
絶対維持しながら
そうじゃない方法をみんなで話せばいいんじゃないですか
って話になるじゃないですか
話は進みますね
飲酒技ってこういうこと言うんですよ
スピーカー 1
それと爽快とかのイメージは
スマホ使う使わないで
多数決して使わないになるイメージだったけど
訴状以外に決まってしまえば
スピーカー 2
建設的に話し合い進みそう
これができない理由っていうのは
学校の先生たちがこの民主主義を教えられないから
国民の民度が一方に高まらない
スピーカー 2
だから
主体性を大事にした学校は
見られるからだから崩壊するんでしょう
スピーカー 2
ダメなものはダメって厳しく言わなきゃいけない
じゃないですかっていきなりそこに
議論が戻っちゃうんですよ
スピーカー 1
なるほど進まなくなりますね
スピーカー 2
進まないんですね成長しないんですよ
時間になっちゃって
本当は時間の配分考えれば
登校は実は解決できるんですけど
解決できるんですけど今は今日僕が話したのは
不登校はなぜ起こるのかっていう
日本の不登校はなぜ起こるのかっていう構造ですね
スピーカー 2
一つ目は法律だった
法律が作ってる
つまり日本の教育システムが不登校を生んでるから
本当は悩む話じゃないんだよって
自分の育て方が悪かったとか
なんかそういうことをお母さんとか思うわけですよ
自分の子どもが不登校になると
子どもも自分を責めるわけですけど
スピーカー 2
それは違うんだよと選べないような
教育システムを作ってる
スピーカー 2
日本が不登校を作ってるだけだから
まずは悩まないで
っていうのが一つ目の答えですね
と言っても日本だと
ルートがないから
すごく不安に思うじゃないですか
この不安を消すための方法があるんですよ
本当はね
もう一個背景として
日本っていうのは幼い頃から
ルールを教えていくっていう
つまり自己決定させないから
常にサービスを求めて
人の批判をするみたいな子どもを作ってしまっているわけだから
実は自分の解決能力が
とても低いんですよ
日本の子どもたちは
主体性と到着性が削られた子どもが
いっぱいいるからいじめも起こりやすいし
解決できないし
っていう構造が起こりやすいのは
実は日本の子育てとか教育の
背景が生んでいるので
不登校も含めたいろんな問題を
悪化させている理由だ
今日はだから理由だけ話したわけですね
これを解決していくためには
例えば保護者とどんな面談をして
どんな風に子どもと話をして
どんな風にやっていくと
これ解決できるかっていうのは
こっから30分から1時間かかります
ですから
また今度やります
スピーカー 1
いいですかまた
構造とこの理解だけで
スピーカー 2
また今度やりましょう
僕もこれだんだん
広める作業をしなきゃいけないと思って
今全国の自治体丸ごとで
この講演してるんですよ
全国の自治体さんは僕に依頼くると
私立中学校小学校
全校だったら
例えば30校ありますとか40校ありますといったら
今Zoom使って
今日お話してますけど
Zoom上に40校の中で
40校の会議室が映って
そこに全教員が入って
今日の僕の話みたいにいっしょに聞いてる
まずはこの
トークを含めたいろんな
ノウハウを教えていく作業をしたいと
もともと思っていて
今日ティーチャーも
なぜ僕が参加したかというと
そういう意味もあって
参加させてもらったんですね
今月中になると思うんですけど
今月から来月の
頭までには
僕自身のYouTubeチャンネルも立ち上げるので
そういうノウハウを
全部公開していこうと思っています
スピーカー 1
そしたらちょっと
後半戦収録させてもらって
そこで
スピーカー 2
不登校の場合の解決の仕方を
スピーカー 1
ぜひよろしくお願いします
ありがとうございました
スピーカー 2
ありがとうございました
収録を終えての振り返り
スピーカー 1
いやー終えましたね
お疲れ様でした
どの辺が印象に残った
フレーズとして残ってるのは
社会が変わって
学校が変わるんじゃなくて
学校が変わってから
社会が変わっていくんだっていう
この視点はけっこう
面白かったですね
そこの発想の転換は大事そうだったね
なんかねどうしても社会で
必要とされる人材を育てるみたいな
のが理解しやすいな
と思ってそっちの考えに
触れる機会多かったけど
対話でルールを作るみたいな
このもう一歩手前の対話スキル
みたいなのは
学校を起点に社会を変えていくんだみたいな
すごいね
なるほどって感じ
その視点あるんだ
だから今ある社会に当てはめようとすると
どうしてもそこに合わない
工藤さんがおっしゃるように20%ぐらいは
そこに合わない子達がいて
その子達を見捨てるんじゃなくて
誰も見捨てないような
平和で民主主義的な国を
作っていくんだったら
学校教育はそうじゃないといけないんだって
そのためにやっぱ主体性と
当事者性っていうのを
育てていく必要があるんだってことが
分かってきて
かなり学び深かったな
と思います
一個だけ
勘違いされるかもしれないなと思ったのが
主体性とか当事者性って要は
自分事として捉えるとか
いうことだと思ってるんだけど
スピーカー 1
それによってこの言葉だけ
一フレーズだけ聞くと
支援が必要な子とか
発達の特性上今はマイノリティであって
今の学校環境に合わない子とかの
支援の必要性が薄れちゃうんじゃないかとか
なるほど
自己責任論っぽくなってしまうんじゃないかとかっていう
そこだけ切り取ると思うことも
あるかもしれないんだけど
前半に前提として
制度の問題であって
社会が変わっていく必要があるんだ
っていうところが前提としてあるから
そういったところも
具体的にどういう調整ができて
どういう支援ができるのか
ってところまで後半戦は
聞けたらなっていう風に
思っております
あと工藤さんの
YouTubeがいずれ
開講されるということですので
もうすぐじゃないかな
ぜひ興味ある方
ご覧ください
また次回の収録も
よろしくお願いします
楽しみにしております
ありがとうございました
こういう先を生きてきた
人の知見をたっぷり聞けるのも
いいですね
よかった
ではまた
01:14:32

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