2023-11-11 16:48

【第34回】不登校の歴史~あの恐ろしい首縄時代をしっていますか?~

皆さん、不登校の「首縄時代」をご存知ですか?当時、不登校は「怠学」「学校恐怖症」と呼ばれ「首に縄をつけてでも学校に連れていく」ものでした。そのおぞましい歴史についてお話しています。


#ホームエデュケーション
#ホームスクール
#不登校
#オルタナティブ教育
#大正デモクラシー
#軍国主義
#フリースクール
#詰め込み教育
#怠学
#学校恐怖症
#管理教育
#登校拒否
#受験戦争
#東京シューレ
#ゆとり教育
#教育機会確保法
#ジブン株式会社
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63b66a5a7655e00c1c7c63b2
00:01
こんにちは、おあです。3児子育て中で、小学生の娘2人は、ホームエデュケーションを選択しています。
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるチャンネルです。
第33回目の今日は、【不登校の歴史】あの恐ろしい首縄時代を知っていますか?というテーマでお話ししていきます。
我が家の娘が小学校を辞めたのが、昨年度1年半前になるわけですけれども、その時、我が娘たちは不登校というカテゴリーに属するということになりまして、
そこで初めて私自身、不登校という問題に向き合い、学校ですとか教育という問題をその根底から見直して勉強するきっかけになりました。
その過程で、私が一番びっくりしたことは、自分が生まれるよりも前から、大昔から、この公教育が問題であると。
こんな教育をしていたら、国が滅びるということをずっと言われてきたということだったんですよ。
そして今は不登校という表現になっていますけれども、その当時からずっと登校拒否という言葉で、子どもたちが存在していたということだったんですよ。
もうそれはですね、遡ること、明治維新なんですよ。
1872年に義務教育制度というのが導入されました。
それこそ151年も前の話ですよ。
ここから始まるんですよ。
やっぱりそこでですね、それまでは寺小屋ということでね、やっぱりとてもこじんまりと、それぞれの様々な教育という形が取られていたわけですけれども、
それが不国共平ということで、近代化に向けてということで、国を挙げて教育をということでですね、一斉一律集団指導というのが始まるわけです。
で、これに反発して起きてきたのが大正デモクラシーですよね。
自由教育運動と言われています。
まだ戦前のこの時期からですね、既にジョン・デューイという人の思想に基づく、もっと子ども主体の一人一人を尊重した教育が大切だという考えで、様々な学校ができてきていたんですよ。
その一つとして有名なのが、窓際のトットちゃんですよね。
黒柳哲子さんが言っていた、とても自由な学校だったんです。
03:06
ところが、第二次世界大戦が起きるわけです。
戦争ということで徴兵制が敷かれて、兵隊を集めるためにも兵隊を作る学校ということで、1941年に国の定めた学校以外を教育の場として認めないという国民学校令というのが下されます。
まさに教育の軍国主義化の時代です。
そして敗戦を迎えますよね。
1947年、GHQの支配下の下、単戦型学校制度への転換というのが図られます。
これはつまり何かというと、教育の機械均等ということを謳っているんですけれども、同時に教育の中央集計化が図られます。
そして迎えるのが高度経済成長期ですよね。
大量の工場労働者が必要となりました。
支持されたことを正確に実行する人材が求められていたんですよね。
そして1960年代に学習指導要領の改定ということで詰め込み教育が始まります。
共通一次試験の導入がされ、いい成績、いい大学、いい会社ということで熾烈な学歴競争が始まります。
と同時に学校で何が起きてきたかというと、校内暴力、非公、いじめ、そして退学という問題でした。
この退学というのは、怠ける学ぶと書いて退学です。
さらに学校恐怖症という言葉も使われるようになってきました。
この怠ける学、退学と学校恐怖症というのは当時治療の対象とされていたんです。
この時期に学校に行きたくないと、行けないという子どもたち既に存在していたんですけれども、
この子たちは精神科病棟への強制入院や、強制施設への強制入所という処置が行われていたんですよ。
つまり、完全に本人の性格だとか、親の育て方の問題であると。
この時代を不登校の世界では、首縄時代と呼んでいるそうです。
首縄時代というのは、首に縄をつけてでも学校に連れて来いと、そういうことです。
この首縄時代はですね、本当に悲惨だったみたいですね。
06:02
徹底的な管理教育、校則はどんどん厳しくなると。
男の子は丸坊主、女の子は三つ編み。
もう完全にがんじがらめに子どもたちを管理して、締め付けてですね。
それに合わない、もうそれにつらいという子たちは、もう怠けていると。
根性を叩き直さなければいけないと。
おそらく、結構な割合のお子さんが、この影で亡くなっていた可能性があるんじゃないかなと、私は思いますね。
それにとどめを指したのが、とつかヨットスクール事件です。
ご存知ない方も多いかもしれませんけれども、
1976年にヨットマンのとつかひろしさんという方が、
青少年の問題行動は脳の機能の低下によって引き起こされているという持論に基づいてですね、
アトピーや喘息、投降拒否、引きこもり、がんなども脳を鍛えることによって克服できると説いてですね、
恐ろしい合宿所で訓練が始まるんですよ。
当然、この合宿の中では、大抜を使った指導というのが日常的でしたし、
スパルタ式と呼ばれる独自の指導で、
不投降ですとか、引きこもりですとか、家庭内暴力、飛行少年たちを次々強制させたというような実績で、
メディアに取り上げられて話題となったらしいんですね。
ところが、その合宿の訓練中に生徒が次々死んだり、行方不明になったりということが明るみになりまして、
1983年に障害知識の疑いで捜査が行われて、逮捕、起訴されたということです。
私はこの事件、もうとっくのとうに終わった話だと思っていたんですよ。
最近になってですね、ちょっとそのことを調べる機会がありまして、調べたらですね、ちょっと余談なんですけど、
なんと、その校長さん、今またこの戸塚ヨットスクールやってるんですよ。
この令和の時代に。めっちゃ怖くないですか?刑務所から出てきて。
しかもですね、今ちょっと見たらですね、2006年に静岡刑務所を出所して、スクールの現場に復帰して、
その後もですね、次々いろんな人が死んでいます。
そして事故死か自殺か分からないみたいなことで。
いやー、そういうのを崇拝した人たちがまだまだいるみたいで、
過去には石原慎太郎ですとか伊藤志郎さんなどが支援者の名前に連なっているそうで、
09:03
戸塚ヨットスクールを支援する会というのがあるそうですね。
恐ろしい話ですね。
さすがにこんな事件が起きてきてですね、もう一部の教育者の中には、
まずいと、やばいと、こんな教育は。
気づき始めて、そういう発言をする人、そしてまた違う教育を、
そういう管理型ではなく子ども主体の教育というのを実践で始める方々が、
同時に次々現れてきた時代でもあったみたいです。
そこで登場してきたのがフリースクールでした。
その先駆けと言われているのが東京修練ですね。
1984年に登校拒否を考える会という親の会からスタートして、
1985年に学校以外の子どもの居場所、学び場として、
親と市民によって作られたのが東京修練です。
この東京修練がやっぱりすごいのは、もう1985年ですよ。
もう38年前から、まだまだ首に縄をつけてでも
学校に復帰させなければいけないという世の中の逆風の中で、
子どもの成長は学校のみではないんじゃないかと、
子どもの気持ちを尊重して多様な成長の姿を支えていきたいと、
子ども中心の学びは必要なんだと言って、
自分たちの手で子どもたちの居場所を作ってきたということなんですよ。
不登校の問題なんて、今に始まった問題では全くないってことなんですよね。
40年も前からあったんですよ。
いろんな人がいろんな形でSOSを出し、脳を突きつけやってきたんですけれども、
なかなか変わらないという状況だったんですよね。
ただ、その中で1989年に学校週5日制が導入されているんですね。
やはりそういうとっつかヨットスクールみたいな事件があって、
やっぱり世の中としておかしいんじゃないかと、
そんな子どもたちをぎゅうぎゅう締め付けて詰め込んで、
子どもたちがどんどん死んでしまうっていうのは、
社会問題におそらく相当なったんだと思うんですよ。
それでちょっと緩めようということで、
おそらくこの1989年に週5日でいいよと、
ちょっと学校詰め込みを少しやめてみようという流れが出てきたというのは、
少しいい兆候かなと思いますけれども、
そこに1991年バブル崩壊が起きるわけです。
12:02
そこから失われた30年が始まります。
その30年間の中で学級崩壊が起き、ゆとり教育が導入され、
バックラッシュが起きてまた揺り戻しですよね。
時代にマッチしない硬直化した教育が継続していくわけです。
その間にもIT革命だの、グローバル化時代の到来だの、
いろんなことが起きたんですけれども、
ようやっと2016年に教育機械確保法というのが成立します。
この教育機械確保法の一番のメッセージは、
学校に行くことだけが教育ではないよと言ってくれていることなんですよ。
国が子どもたちがね、学校に行かなくてもいいよって言ってくれるっていうことは、
40年以上、不登校の親の会の保護者さんたちがずっと言ってほしかった一言だったんですよ。
その国の一言がないために、本当に今までね、
多くの子どもたちが犠牲になり、親御さんたちも本当につらい人生を送ってきたわけなんですよね。
なのでこの法律自体はですね、本当に価値があると思いますし、
とても重要な法律だったんですよ。
ただね、ちょっといろんなやり取りの過程の中で、
どうも多様な教育を確保するという一言が排除されてしまったというふうに聞いておりまして、
ここに関しては本当に残念に思っている方がとてもいっぱいいるというふうにも聞いております。
ただそこはね、完璧じゃないんですよ。
完璧じゃないんですよ。だから法律、今回やっと2016年にできたこの法律も完璧ではないんですけれども、
それでもね、もう今まで首に縄をつけてても連れていかないといけないと、
もう強制入院だって言われていた時代を考えればですね、
本当に国が不登校は問題ではないと言ってくれて、
学校に行くことだけが教育ではないと、
家でやってもいいしフリースクールにも行ってもいいんだよと認めてくれたというのは、
本当にほっとしたと思いますね。
私はこういう不登校の歴史ということを学びまして、
本当にありがたいんだなと思いました。
自分がね、子供が不登校という当事者に立たされて、
初めてこういう歴史を知ったわけですけれども、
そうやって何十年と不登校に悩んできた保護者さんたちが、
力を合わせてですね、何とか認めてほしいと、
学校に行かないということも認めてくださいということで、
一生懸命活動してきた賜物が今の教育機械確保法という法律であり、
15:02
私たちが今、ホームエディケーションなんて言って、
学校に行かないという選択ができているのも、
本当にそういう方々、先輩方のおかげだなと。
そして何より忘れてはいけないなと思うのが、
この歴史の中でですね、多くの子供たちが犠牲になってきたということなんですよ。
そういう多くの先輩方の努力と、犠牲になった子供たちの無念さっていうのを、
重いバトンとしてしっかり受け取ってですね、歩みを止めずに時代を進めていくと。
今、自分たちがこうしてホームエディケーションという選択ができているということに感謝しつつも、
でもそこで歩みを止めずにね、やっぱりオルタナティブな教育をしっかり認めてもらって、
誰もが経済的な負担なく自由に自分に合った教育を選べる社会っていうのを作っていかなければいけないなと改めて思いました。
今日は不登校の歴史ということでお話ししてみましたが、
歴史を振り返ると私も胸が詰まるところがありまして、お聞き苦しい放送になってしまったかもしれません。
でも皆さんにもやっぱり歴史を知ってもらうということはとても大事なことだと思っています。
こういう歴史の上に今の私たちがあり、そしてこれからもそれを知った上で自分たちにできることを一歩一歩やっていきたいなと思います。
お聞きくださりありがとうございました。また次回お会いしましょう。
いいね、フォローお待ちしています。
16:48

コメント

スクロール